はてなキーワード: 80年代とは
これはそのとおりで、日本だとたしか一番貧しい沖縄が最も出生率高くて、一番豊かな東京が最も低い。基本先進国は出生率低くて、途上国は高い。貧しい人たちにとって子供は労働力で、教育費もかからない(親が低学歴でその世界しか知らないので高等教育を受けさせるという概念がない)。DQNもポンポン子供産むよね。沖縄の人馬鹿にしたくて言ってるんじゃないよ、世界中でそうなはずだから。
セックスについては諸説ある。欧米メディアなんかはずさんな取材を元にアクセス稼ぎで日本はセックスレスセックスレスって騒いだんだけど、外国人でももっと日本に詳しい人たちや一部メディアはそれに懐疑的。データとかはもちろんなくて自分の感覚だけど、二極化が進んでる?たぶん性的なことって元々そうだけど、さらにその傾向が強まってるのかも。
でも、未婚数は増えてるし、データで裏付けられてるよ。離婚数、というか離婚率は増えてそう、知らんけど。
増田は田舎住まいなの?田舎だと未婚数の増加も感じないのかもね。
追記:https://www.fnn.jp/posts/00406610HDK
この記事によれば、婚姻数の減少数は見合い・職場結婚の減少数と一致するらしい。もともと恋愛強者は3割で、残り7割は見合い・職場結婚に救われていたそうな。つまり未婚数増加の原因は見合い・職場結婚の減少。また、
今の若者が結婚しないことについて『草食化』や『意気地がない』なんて言いますが、関係ありません。さっき申し上げた通り、いつの時代も恋愛できるのは3割です。むしろ世間が恋愛ブームだった80年代に20代だった若者が、2015年に生涯未婚率過去最高記録を打ち立てた張本人でもあります。恋愛を謳歌したからといって結婚できたわけではありません
全部統計上30~20パーセント以内ということを発見したので書きたい
まず世間では「社会人なら彼女の一人や二人と付き合った経験くらいはあるのが普通」
でも統計上は恋愛できたのは80年代からずっと世代層でも常に「上位3割以内の層だけ」だそうだ
統計上、30代で500万なら上位25パーセント以内、20代なら10パーセント以内という超ハイエンドエリートになるそうだ。
結婚してて普通っていうけど、結婚率も戦後から上位30パーセント以内だけだそうだ。
そもそも子供部屋おじさんとか言われてるけど、独り暮らししてる時点で20代では上位30パーセントだそうだ
これってつまり「世間の言う普通」に合わせてたら、常に上位3割キープできるってことじゃねえか!?
さあ、目指そう「普通」
「天皇陛下に「お疲れ様」を使って炎上した山田優」に対して杉村喜光さんや飯間浩明さんが「誤用ではない」と解説 - Togetter
上記まとめにもある通り、杉村喜光という人は、以下のような発言をしている。
山田優さんの「天皇皇后両陛下 お疲れ様でした」発言が炎上中らしい。
この「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」は平成になってからマナー本などに登場した新ルールだよね。本来は上下関係なし。
それ以前に記事の「違和感を感じる」が…。 pic.twitter.com/axgcAGrS2c— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) 2019年5月5日
しかし、これまで「『ご苦労様』を目上の人に使うのはNG」というマナーは、(そのよしあしはともあれ)聞いたことがあるものの、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」という言説は、少なくともマナー(マナー講師)関連において見聞きしたことがなかった。
※ただし、マナー講師ではなく芸能人(タモリ氏)や言語学者(園田博文氏)は、「お疲れ様」という言葉について以下のように述べているようである。
タモリが「お疲れ様です」は目上の者に使ってはいけないと指摘 波紋呼ぶ - ライブドアニュース
「子役が誰彼かまわず『お疲れ様です』といって回るのはおかしい」(タモリ氏)
「『ご苦労様です』『お疲れ様です』というのは、本来、人をねぎらう言葉。目上の人が使うのが伝統的で、目下の人が目上の人に使うのは失礼にあたります」(園田氏)
ならば、本当にマナー本は、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」と主張しているのだろうか?
このことを検証するため、八重洲ブックセンター八重洲本店2Fの「ビジネスマナー」コーナーにあったマナー本を片端から当たってみた
……かったのだが、1段・56冊あり、全部を立ち読みするのは時間的にも労力的にも足りず、かつ、売り物の書籍を使って調べ物をするのが申し訳なかったので、20冊だけ抽出した。
(八重洲ブックセンターを選んだのは、会社から近く、また今日の仕事の関係で立ち寄りやすかったというだけであり、他意はない。図書館を選ばなかった理由は3つある。近隣の図書館が思いつかなかったこと、冊数としては八重洲ブックセンターの方が豊富だと判断したこと、古い、昭和の本も交じっていそうで、そうすると有効な冊数はさらに少なくなると考えたことからだ。八重洲ブックセンターさんには申し訳なかったが、普段も毎月1万円程度は購入しており、今日も本を買ったので、許してもらえたらうれしい)
なお、書籍はスミからスミまで見たわけではなく、「あいさつ」「言葉づかい」といった項目のところだけざっと流し読みしているので、漏れがあるとは思う。この件についてはご容赦願いたい。
さて、その20冊の中で、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」と書いてある書籍は何冊あったか?
答えは0冊だ。
調べた限りでは見つからなかった。
ただし、「ご苦労様を目上の人に使うのはNG。お疲れ様を使いましょう」と推奨する書籍は、5冊発見した。もっと多いと予想していたので、案外少なかったが、精査していないため見落としもあるのだろう。
(個人的には、杉村と同じく、ご苦労様だろうがお疲れ様だろうが、目上の人に使っても、まあいいんじゃないのかな、とは思っている)
念のため、その書籍名を記しておく。
○新人の「?」を解決する ビジネスマナー100 または 社会人としての常識とマナーQ&A(メモのミスで、どちらか分からなくなってしまった。申し訳ない)
以上のことから、
○「『ご苦労様』を目上の人に使うのはNG」とするマナーは、確かに複数の著者が主張している
○「『お疲れ様』を目上の人に使うのはNG」というマナーを主張する著者(マナー講師)は、少なくとも「『ご苦労様』NG」以下だろう
ということが確認および推測できた。
杉村は、どのような根拠をもって「この「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」は平成になってからマナー本などに登場した新ルールだよね。」などと断じているのか、また、そのようなマナー本がどこにあるのかを示してほしい。
加えるならば、「新ルール」とまで言うからには、1人のマナー講師・1冊の著書の主張では足りない。最低でも3冊は「お疲れ様はNG」と述べているマナー本を、杉村に限らないので提示してほしいところだが、どうだろうか。
※言っちゃあ悪いが、マナー本なんて、よくも悪くも似たり寄ったりだ。二重敬語のNG例など、同じ表現を何度見たことか…。だが、それは当たり前で、マナー本ごとに言っていることが違ったら、プロトコルとしてのマナーが機能しないからである。逆説的に言うと、本当に「お疲れ様はNG」というマナーが新たにできたというならば、上記の通りタモリ氏・園田氏の事例もあるし、20冊も拾い読みすれば、2~3冊は目に引っかかっておかしくないのであるが…。
改めて、杉村のtweetを見てみる。スクリーンショットだが、元ネタをたどると、
山田優、「両陛下お疲れ様でした」という投稿に批判殺到「皇室をなんだと…」(1ページ目) - デイリーニュースオンラインが出てくる。
デイリーニュースオンラインという段階で、取り上げるのもあほらしくなるのだが、ひとまずそこは置いておこう。
「会社の上司にすらお疲れ様と言うのは失礼と言われるのに。。」
と引用されているだけであり、どのような根拠、つまり、マナー本を読んだりマナー講師に教わったりしたのか、上司にそう注意されたのか、はたまた、自分個人の思い込みなのかは一言も書いていない。
(個人的には、元の発言者は「ご苦労様」と勘違いしているのではないか、という第一印象を持ったのだが、もちろん、定かではない)
それをいきなり、マナー本が~と言い出しているのは杉村である(だからこそ、典拠となるマナー本を提示してほしいのだ)。
実は最初、杉村も「ご苦労様」と勘違いしたんじゃないか、と思ったのだけど、その後別のtweetで、
ついでに「ご苦労様は目下からはダメ」も80年代後半ぐらいに登場したルールのハズ。バブル期の就職ガイドとかで最初読んだような記憶。それがついに「お疲れ様」までという感じ。
90年代初頭は謎マナーが多く登場し「徳利の注ぎ口から注いじゃダメ」「結婚式の引き出物にお茶はダメ」とかもそう。— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) 2019年5月6日
と述べているので、「お疲れ様は目上にNG」と主張するマナー本を数冊は読んでいるのだろう。ぜひ教えてほしい。本当にそう思う。
これまで述べた通り、一個人としては、
○「ご苦労様は目上にNG」というマナーは聞いたことがあっても、「お疲れ様は目上にNG」は見聞きしたことがない
○書店に並んでいるマナー本を抽出調査したが、「お疲れ様は目上にNG」とするマナー本が見つからなかった
ことから、
○「お疲れ様は目上にNG」だと主張する平成のマナー本は、あったとしても本当にごく一部で、「ご苦労様NG」ほどには広まっていない
○「平成のマナー本が『お疲れ様は目上にNG』だと広めた」という杉村の主張には根拠が薄い
と考えているが、はてなブックマーク
[B! 日本語] 「天皇陛下に「お疲れ様」を使って炎上した山田優」に対して杉村喜光さんや飯間浩明さんが「誤用ではない」と解説 - Togetter
において、「『お疲れ様は目上にNG』という謎マナーをマナー本(マナー講師)が広めた」というベースのもとでマナー本やマナー講師をののしっているブックマーカーは、
○実際に「お疲れ様は目上にNG」というマナー本を読んだか、マナー講師の指導を受けたことがある
のか、
○「平成のマナー本が『お疲れ様は目上にNG』だと広めた」という杉村の主張を鵜呑みにした
のかは、せめて教えてほしい。
と、あたかも、言葉遣いのマナーを追及している者も言葉遣いがなっていない、という含みを持たせた書き方をしている。
が、これは釈迦に説法だが、「違和感を感じる」は、話し言葉(引用したコメントの言葉)ならば別におかしな表現ではないし、書き言葉としても、許容範囲内だと考える。
その破堤基準を一つ挙げると、「○○感を感じる」の前半の「感」を取ったときの表現に違和感があるかどうかである。
※一種のジョークとして「○○を感じる、と表現しても(すると)違和感がない(ある)」という書き方をしている。読みづらくしていることは謝りたい。
それなのに、
長過ぎて読まれない。
でも、まあ自分の記憶整理の側面もあるんで、いっかな、って感じ。
長い旅行記は後でアップするんですが、長過ぎて読まれないので、一応、ヘッドライン的に気づいたポイントを先にアップします。
近いから一回行ってみたほうが良いと思うよ。
ちなみに韓国の整理は自分の中でついたし、出逢う人はおおむね親切(おせっかい)だったし、良い旅行だったけど、なにか強烈に特別な韓国ファンになった訳でもまたない。
次はどこいこっかな。
やっと80年代回帰が始まった。この分だと、90年代回帰が始まるのは、2010年頃になるだろうか。
ラジオから流れてくる80年代ポップスのカバー曲を聴きながら私はそう思った。
2010年。私が25歳になる年。同じ世代の大半の人がおそらくそうであるように、私は25歳の私を想像することができない。21世紀に入ってからというものの、時間感覚が酷く曖昧で、今18歳であることすら、実感が湧いてこないのである。
1995年と聞くと、つい最近のことに思えてしまう自分がいる。2001年、地下鉄の延伸。2002年、サッカーワールドカップ日韓共催。2004年アテネオリンピック開催・・・。小学生の頃教科書に載っていた未来の予定が、どんどん既成事実になっていく。あの頃の私には教科書の中の未来はどれも実現不可能なことのように思えたのに・・・。
ノストラダムスの大予言について、あれほど熱心に議論を交わしていた人々は一体何処に消えたのだろう?
ノストラダムスの予言の年、私は14歳だ。結構生きられる、と思っていた。そして1999年の7月1日のニュースでは、アナウンサーが笑顔で「さて、この世界もあと一ヶ月になりました」と言うはずだと思っていた。まるで年の瀬のニュースのように・・・。
人々は世紀末という言葉を忘れた。21世紀という言葉も、昔ほど使われなくなった。70年代や80年代のことはよく話題にのぼるのに、今が何年代と呼ばれるかについては、誰も口にしない。
物心がついてから10年余りが経った。総理大臣は何人代わっただろう。冷夏は何回あっただろう。巨人は何回優勝しただろう。
私たちの世代は昭和最後の一人になりうる。何歳まで生きたら、昭和の最期を見届けられるのだろう。明治はもうすぐだ。大正もすぐ後を追う。多くの人が愛した昭和が完全に歴史の中に入るのはいつのことだろう。
歴史は巨視的に見れば円軌道を回っているだけにすぎないのかもしれない。人はその一切片を直線であると思って生きていくしかないのかもしれない。
住んでいる区域内のわりと土地勘もあるエリアで、あ、そういやこっち側には曲がったことがないな?という道の先にそれはあった。
古いがさっぱりとしておりよく手入れされた建物で、80年代のドラマで観た刑務所然とした趣はまるでなく、来客用のエリアで私物をすべて預け、鍵のかかった扉を2つ経ると
そこは病院のような、映画で観た外国の寄宿舎のような趣の場所だった。
打ち合わせで会った職員のひとりはこう言っていた。
「普通がなにかわからない子たちなんです、非行しか知らないような子が大半なんです。少しでも普通の世界を見せてあげたくてこういった授業を行っているんです」
それを聞いて正直少し怖気づいた。
いままで生きてきてずっと自分は普通で平凡な人間だと思ってきた。中流家庭に育ち中間程度の学力で普通に大学まで出て就職した。
だけど自分が「普通」のモデルケースとして「普通じゃない」10代の前に立って「普通」を見せるというのは、普段している仕事とはまるで性質が異なることのように思えたし、「非行しか知らない」という状況が上手く飲み込めなかった。
仕事とは言え一体何をしに行くんだろうと、鍵のかかる扉の奥の長い廊下を歩いていながらも思った。
生徒は整列しており、声高に号令をかける様子は軍隊のようであった。
講演のようなものをしたのだが、生徒は全員身じろぎもせずこちらを見つめており、普段もしていることなのに緊張して最初のあたりはよく覚えていない。
一緒に行った同僚が話をしている間、席をまわって数人の生徒と個別に言葉を交わしたのだが、ジャージから伸びる手にカラフルな入れ墨をした子がいた事以外は予想に反してただ単に普通の若者だなという感じだった。
見た目は幼く、その入れ墨に合うような派手な髪型や服装をしている様子に思いを馳せようとしてもうまくいかなかった。
いやそうではなく、周囲から見て「非行しか知らない」と思われる人生がこの子達の「普通」なんだなと思った。
自分がこの子達の年齢の時、当たり前に母親の作った食事を食べ、当たり前に兄弟と一緒にゲームをし、当たり前に学校に行って家に帰ったら猫と遊んでいた
それと同じように、世間的に法に反することが当たり前という環境に生まれる場合もある
ただそれだけのことなのだなと思った。
本人としては自分が普通であり、世間一般的な「普通」というものは実は無く
ただ自分と、それ以外の外の世界があるだけだ。しかも外の世界は無限にある。
だけどいろいろな過程を通して、自分の「普通」の枠を超えたものを知ることは人生で必要なことだし大切なことで、
自分がこうしていろいろなところに仕事に行くのも、この生徒たちが少年院に入って生活が一変することも、ただそういう一つの経験でしかないんだなと思った。
普通ではないというレッテルを貼り一方的に話の通じないものであるように恐れていたことが申し訳なく、最後は緊張もせずつつがなく仕事を終えて帰ってきた。
翌日は週末だったので実家に帰り、食事をしながらその事を母親と姉に何気なく話すと、
「そんな経験してきたんだね、すごい」
「そんなふうに思えてえらいね」
と、当たり前のように言われた。
そうだ。自分にとって当たり前の周囲の環境、これが自分の「普通」を左右するものなのに、生まれてあの子達の年齢になるまで自分ではどうにもできないことじゃないか。
冒頭にて
男性オタクってひとくくりにすると「俺なんもやってないもん!」な人が出てくると思う。
そうだね。でも傍観してたよね。
たしなめてる人見たことないよ。
ってあるけど、
男と見るや否やこぞって無理やりにでも叩きに来てるフェミニスト(ミサンドリー)の方々が吐く理不尽極まりない言葉たちを、
何の罪もない男性たちを次の怨嗟に巻き込まないためにたしなめに行ったりしてないの?と思う。
傍観しながら直接叩きはしないまでも「オタ男どもめ、ざまあみろww」と溜飲下げる精神活動なんてしてませんよね?
無慈悲に叩かれる悲しみを知っているあなたは、第二のあなたを生まないためにも勿論止めに入ってますよね?
今の若い層の男性オタたちは、そもそもこの風潮に関与も傍観もしていない層が大半で、その人たちがまたも意味なく叩かれているって状況。
そのセリフが出るからこそ、この理不尽に巻き込まないであげてほしい。
00年代ではまだ差別的な風潮が残っていたものの、彼らが持つ突飛で変質的な感性だけが生み出せる独特の面白さが次々と形となり、
オタクであることをむしろステータス化する風潮も同時にできていたと思います。
ここについては日常に潜む一部の天才的なオタク達の功績によるもので同意できるんだけど、
だからといって「なに不自由なく伸び伸びできてた人達」とは全く思えない。
普通にリアルではもちろんネット上でアニメ見てる的な事言い出しても「アニオタキモい」と叩かれる場所はあったと思います。
あと題意と逸れるけど、女叩きが出てきた理由の一つとして、
「これまで自分たちをさんざ迫害してきた立ち位置の人間が、いざちょっと面白そうな界隈だなとなると露骨にすり寄ってきてる」
という事に気持ち悪さを感じた面もあると思うよ。
更にその他の理由として
女が少ない空間なので、女と明かすだけで持ち上げられる
→それを理解しているからこそ、匂わす程度に女アピをして承認欲求をある種不当に?稼ごうとする女性達が現れる
→それに反感を持つ層が現れる
という流れで「女とわかるアピールそのものが嫌われる」という状況に至ったとも思える。
これ考えたんですが、女と明かすと叩かれる風潮はあったにせよ、同時に他の属性についても叩く風潮が十分強かった。
2000年代のVIPでは、女が男を自称しなきゃならないのと同様に職業はニートか引きこもりを自称するのが普通だったし、
女性だけが叩かれていたわけじゃなく、多くのものが理由なく叩かれている中で、
悲しくもマイノリティであった女性という属性もその中の一つになってしまったんだと思います。
勿論全く良い事ではないですけどね
女性全般に言えるけど、2000年代のオタクへの迫害具合って80年代や90年代に比べて落ち着きを見せていたもののまだまだ根強いものがあって、
「特に何もしていないアニメが好きなだけの男性」ってだけで格下の生物を見るような見下した目で見られる状況が続いてたんですよ。
で、この時女さん達殆どの方が黙認してましたよね?
なんだったら言わないまでもメンタリティとしてオタクという属性を抱えていただけで見下す側にナチュラルに回っていたとすら思うんですよ。