はてなキーワード: 80年代とは
中学高校でよくある、生まれつきの茶髪or天パです、って親に説明させるやつな。
「日本人なら髪の毛は黒くて直毛のはずだ」っていう単なる思い込みレベルの偏見が根拠で、「そうじゃないやつは何かしているに違いない」っていう偏見を隠そうともせず、「パーマや毛染めは不良だ、風紀が乱れる!」って80年代のヤンキードラマ見過ぎの馬鹿どもが未だにしがみついてる前世紀の遺物。
もう今時完全にアウト。
もしいま北米で同じ校則つくったら訴訟になるだろうし、大騒ぎになって校長が謝罪会見しかねないレベル。
・日本人でも完全な直毛はさほど多くはない。うねっている人の方がはるかに多く、うねらないようにみんな手間暇かけてまっすぐにしている。こんなもん美容業界なら常識。
・くせ毛がストパをあてるのはよくて、直毛がパーマをあてるのはダメ?それで何が損なわれるのか合理的な説明できるのか?
・身なりに気を使って自尊心を育むことも大切。学業に悪影響を及ぼすレベルで過度に華美な場合のみ注意すればよく、画一的な外見を強要することはむしろ人権侵害では?
増田でどこまで集まるかはわからないけど、オススメの本を募集したい。
ただし、例えば伊坂幸太郎の新刊が面白い、みたいな話は別にいらないのです。どうせ読むから。
あと80年代より前に出版された名著は古典と定義することにして、ここでは除きます。
俺がすげーすきなのは「その人が必読と考えている本」を人から聞き出すこと。
フェミニストにはフェミニストのアツイ新刊があるがあるだろう。
ガノタにはガノタの必読書があるだろうし、ラノベ好きにはこれだけは読んどけってラノベがあるじゃない。
原発デマを普段から批判している人には批判の根拠にしているネタ本があるはずで、安倍批判のツイートをしている人たちには自分のそういう活動の基礎になった読書体験ってものがあるに決まっているのです。
はてサにだって、最近○○って本が俺の正しさを補強してくれてよかった~~って本があるじゃない当然。
そういう本には、人の情熱をもりあげる力がある。
俺はどんな思想や立場のものでも、そういう情熱の盛り上げるパワーをもった作品が読みたいのだ。
いつもは飲み屋のカウンターとかで試みるのだが、たまにはネットでやってみようかなと。
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ブコメにて、まずはおめーのオススメを言えよ、とのお言葉をいただきました。
っかー! やっぱーそーかー! っかー! しょうがねぇなー!
(本当は話したくて仕方ない)
https://www.amazon.co.jp/dp/4125011230/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_tikKCbD8G05YH
多崎礼はとにかくいいファンタジーを書く。俺の中でC-NOVELの価値の半分はこの人が担っているのだが、とにかく筆が遅いお方でもあるので、知らない人があまりにも多い気がする。なにか気取った本、しかしエンタメを進めたいときには、この作家をオススメすることにしている。
この『夢の上』は中でも名作。めちゃくちゃ美しいし、涙が止まらないです。
『人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線』 マイケル・S. ガザニガ
https://www.amazon.co.jp/dp/4772695184/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_WokKCbWH9VXSC
マイケル・S・ガザニガは、知る人ぞ知る有名人のはずだが、もっと読まれても良いと思う。
特に、人間とは? だとか、倫理とは? みたいなことを考えるには必読と言ってよい。
同じ作者の『脳の中の倫理』もオススメ。ガザニガはこれらの書の功績によってアメリカの倫理委員会に脳科学者として呼ばれたりしてるらしいぞ。
『社会学の使い方』ジグムント・バウマン
https://www.amazon.co.jp/dp/4791769457/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_kskKCbCBC9K9F
20世紀末から21世紀にかけて最高の社会学者だと信じる。もっと知られるべき。
とにかく著作が多く、また割とガチ専門書ばかりなので、うっかり手に取っても読みにくいところがある本が多いのだが、これは一応入門書の位置づけのはずである。
もしももっとガチめにいきたいなら『リキッドモダニティ』あたり抑えておくと、いろいろ頭のなかで応用が効いてくる。
2/22歳追記
めちゃくちゃ沢山のオススメをありがとうございます!
途中まではスターつけたり返信したりしてたけど、もはや無理なんでここでお礼を言わせてください!
今でも部品屋だのジャンク屋だのは多少あるけど、90年代前半くらいまでのアジア最大の電気街という称号は、とうに深センに持っていかれた。オタクたちがテクノロジーではなくて萌えにうつつを抜かしている間に。
1970から80年代、TKー80からPC8001、8801くらいまでは、テクノロジー業界のスターがたくさん秋葉原から出た。
20年くらい前のモルフィーワン騒動を覚えているだろうか。時代が違うとはいえ、あんなもん深センだったらサクッと作っていただろう。
たまたま大ボラ吹きがいたということでなくて、だれもアレを見破れず金を出し、できないとわかってからもだれも作れるというやつが出てこなかった。日本の技術力はすでに低下していたのだ。
ラジ館や秋月はまだあるけど、中国製ばかりで面白いものはあまりない。なにより一番幅をきかしているのはメイドカフェの呼び込みの立ちんぼだ。秋葉原は風俗街になってしまった。
なんらかのブラックを経験した増田ならわかるだろうけどブラックって、仕事そのもののやりがいや面白さはちゃんとあるんだよな。
やり方を工夫したりちょっと変えれば、一瞬でホワイト化するのに、業界全体で何故かそれができなくて、それゆえに無駄なことで薄給長時間労働になるから、精神の疲弊度合いが半端じゃない
TV制作会社のADとか、ブラック長時間労働の代名詞営業職とか、言わずもがな我らがIT業界とかもそう、
知っている範囲の業種で言えば、レッドオーシャンになる前の2010年代初頭のweb系とか、ITバブル前の90年代半ば~80年代くらいのIT業界とか、バブルの時の法人営業とか、規制撤廃前の介護や保育
ブコメを見てて興味が出たので。
・基本的には「売りたくなった時に買い手がいそう」な家であれば、自宅購入は、払うはずだった家賃の代わりとして考えればそんなに大きく損だとは感じないと思う。もちろん現在の住居費やどこに住んでるかにより異なるので、おのおの支払ってる住居費で計算してみたらいいとは思うが。
・災害等で、それなりにまともに建てて、それなりにまともに管理された鉄筋コンクリート造の建物が全壊するケースは少ない。これは戸建も築年数が浅ければ同様だが、戸建はメンテナンスも個人責任になるので選ぶのに見る目がものを言う。あと基礎杭が入ってる戸建なんてのはないので戸建は津波には弱い。散々映像で見たところだとは思うが…。辛い。あんな津波二度と来ないでほしいが、最低限人命・財産を保全するには杭が打ってある建物(中高層建物)の方が確率は高い(ただし低層階はだめなんだよなぁ…まぁこれは何造だろうが同じだ)。
・災害で半壊したとしても建て替えなあかんやろ、というのは当然。でもこれも戸建も同様。ここ数年の災害発生地で見ても「戸建だから楽」ということは考えないほうが良い。というか災害発生リスクに関しては工法はどれであれリスクは同程度と考えたほうが良い。要するにカネだ(後述するが、カネが寄ってくる場所であれば何とかなったりもする)
・「埼玉の一戸建て買うわ」のブコメが人気だが、埼玉が好きなら良いと思う。こんなもん好き好きだ。
ただし駅から結構距離がある場合は要注意。首都圏の郊外には昭和50年代~80年代後半までの時期に笑うほど「郊外型ファミリー住宅」が出来ていて、これが東京圏の労働人口を支えてきたわけだが、「たくさんある=売れ残りやすい」ということでもある。超人口減少時代に売れ残るのはぶっちゃけコレ。素人が適当にメンテナンスしたプレハブ住宅とか普通に15年も経てば建物のリセールバリューはゼロだ。
・ぶっちゃけ一番ヤバいのは東京都下、神奈川、埼玉、千葉の駅から10分以上の古マンション。実家がこういう家だったら、いっそこの1年ぐらいの間に売って両親にも引っ越してもらうぐらいでもいいと思う。モノによっては「ぜんぜん売れない」可能性すらある。親が倒れて老人ホーム代でお金が必要、なんて駆け込み売却は足元見られるしなぁ。
・問題は、将来売りたくなった時に「それなりに売り手が付く」ということ、すなわち不動産開発業者、デベロッパーが好んで選びがちな場所(駅から近い、高い建物が建てられる、都心、など)であれば、「その場所にカネを出してもいい」という輩がいるので、例えば古くなっても不動産屋が「わてらの会社と組んで建て替えしましょうやー、売上折半にして建て替え費用にしたらよろしいやんかー」と誘ってくる。マンション建て替え、大規模修繕なんかもビジネスモデルになりつつあるので、「場所が良けりゃ」そういう業者が出てくる。
・建て替え時期を待たずに売却することも、場所がゴリラなら大丈夫。立地ゴリラ増田のように立地にカネ出す人が現れやすい。不動産は、オンリー・ロケーションである。
・賃貸派は、ご両親の実家がそのまま手に入るような良い環境であれば無問題。ただし兄弟が居る場合は自宅はんぶんこにするのすげー無理なので兄弟仲を良くしておく&ちゃんと親が元気なうちに話し合っておくように。揉めるぞぉ~~
・もしくは、賃貸派は、老後のすまい用の貯金をしっかりしましょう。我が家は貯金をしっかりできる気がしない浪費型家族なので家を買って住居費を固定した。ローンは6年で完済。35年ローンを35年かけて払うのは論外。半分~1/3ぐらいの期間でで繰り上げ返済できるスケジュールを組んでおく。ローン返し終わったら急に家計に余裕が出て笑う。貯金のペースが2.5倍になった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190212091153
尾崎が生きていた頃は、歌詞は過激でも見た目は普通のイケメンだったので、ファンも普通の陰キャ的な子が多かったよね。
当時のリアル不良が好きだったのは、見た目もワルな横浜銀蠅とかでしょ。
中森明菜や工藤静香も不良っぽい見た目で人気だったし(今はそんな女性アイドルはいない)、
ルックスがワルっぽい芸能人が今とは比較にならないぐらいたくさんいて、それなりに支持されていた。
大体、校内暴力が問題化した反動で管理教育が肯定されて、暴力教師が普通に存在したからね。
毎月、持ち物・服装・頭髪をチェックされて、特に髪型が校則違反だと職員室で雑に髪を切られたり、
遅刻者は校門締め出し(どっかの学校で校門圧死事件が起きてからなくなったと思うけど)
体罰もビンタ、ケツバット当たり前。それも、忘れ物しただけでビンタとか。
日経xTECHの元記事を読んでもCOBOLの特徴があんまり伝わってこない感じだし、かといってそれをディスってもしょうがないので、書いてみた。
https://anond.hatelabo.jp/20190205192741
COBOLは本質的にはDSLなんだけど、一見汎用プログラミング言語に見えてしまってRubyやPythonなんかと比較するのが誤解のもとではあると思う。今の人でも知ってそうなCOBOLに似ている言語はたぶんSQLで、データを処理するための専用言語。ただ、SQLは頑張ればすごく複雑なこともできるパワフルな言語で、だからこそ現代でも生き延びているわけだけど、COBOLはわりとシンプルなデータ処理を想定している感じ。
SQLだけでアプリケーションを作れないのは触ったことある人なら誰でもわかると思う。普通はJavaやRubyで全体の流れを記述してデータベース入出力をSQLで書く。COBOLもそんな感じで、全体の流れをJCLやShellスクリプト、あるいはJP1のような運用管理ソフトで書く。SQLの1個の処理に相当するのがCOBOLのコンパイル単位で、それごとにソースファイルが分割される。ひとつのソースファイルに2個以上の処理を書くこともできるけど普通はしない。ここまで理解すると古いCOBOLに1ファイル内のすべての処理に影響するグローバル変数しかないのや、今のCOBOLにコンパイル単位をまたぐ真のグローバル変数がないのも、それほどクリティカルではないことがわかると思う。もし、本当に複数の処理にまたがる値が必要なら、データベースに格納してしまえばいいんだし。
で、SQLでいうところのデータベースに相当するのがCOBOLではデータファイル。sedやawkでテキストファイルやCSVファイルを行ごとに処理するのとちょっと似てるけど、COBOLの場合は固定長ファイルという点が違う。改行文字は入ってなくて、たとえば150バイトごとに次のレコードみたいな形式。これの1レコードごとに何月何日何時に〇〇という商品を□□円で売ったとか書いてあるのが典型的なデータの内容。それを集計して今日は〇〇が何個売れて売上がどれだけあったとか、出金合計がいくらで入金合計がいくらで、みたいな財務諸表を作ったり。SQLと同じように税率なんかが書いてあるマスタデータと、日々の売り上げが書いてあるトランザクションデータがあって、突き合わせたりということもする。こういう集計処理だからUIはなくて、夜中に自動起動するようなバッチプログラムが主な使われ方。(混乱するから余談だけど、今のCOBOLはSQLを使って普通のRDBにもアクセスできる。ただ使い方としては、RDB→ファイル処理→ファイル処理→ファイル処理→ファイル処理→ファイル処理→RDBみたいに、最初と最後だけみたいなのが普通)
入出力がファイルだから今の感覚で考えるとアクセスは遅い。でもメリットもあって、1回に1行しかメモリに乗せないからどんな巨大なデータでも時間さえかければ処理できる。それこそ国民ひとりひとりの年金データとかね。あと、途中でバグや不正データで止まってもデータを失うのは最小限で済むので復旧が比較的楽だったり。
データベースの話に戻ると、テーブル定義はどこに書いてあるかというとデータファイル側ではなくてCOBOLプログラム側、というのがSQLと一番違うところかも。つまり、このデータファイルの構造はこれこれこうなっていると想定して読みます、とソースコードに自分で書く。当然実際のデータ構造がそれと違ってたらおかしくなる。
まあそんな感じで80年代くらいに会計処理をする目的だったら悪い言語ではなかったので、銀行や官公庁とか、電力水道ガスといったライフラインを扱う大企業がこぞって導入して今に至る感じ。普通の大企業は途中でSunとかに置き換えてその後Linuxやクラウドにさらに置き換えたりしたけど、最初に作ったシステムが大きければ大きいほど、重要であれば重要であるほど現代的な環境に置き換えられないというのが今の課題。
80年代 ゲーム好きで、ゲーム音楽が自然と好きになる。インストゥルメントつながりでクラシックも聴くようになる。邦楽は殆ど聴かない。
90年代 ↑と似ている、(avex系CD)テクノ/ハウス/ユーロビートを聴くようになる。MIDI全盛期で音楽作りもするように。
95年代 ↑と似ている、ハッピーハードコアをMP3で聴くようになる。MP3は日本ではまだ知られていない時代。
00年代 ↑と似ている、ダンス系/トランス/チップチューンも、このころ流行りだしたインターネットラジオ経由で聴くようになる。
05年代 ダンス系で良くカバーされるポップスも聴くようになる。
10年代 ↑と似ている、ダブステップ/エレクトロポップも、YouTubeなど動画サイトなど経由で聴くようになる。