はてなキーワード: 60年代とは
公共の福祉はかつて、警察国家、絶対主義権力による個人の生活全体に介入する正当性として謳われていた。
ナチスドイツでも「公共の福祉は個人利益に優越する」との標語があった。
日本でも60年代半ばまで、基本的人権を制約する立法の合憲性の根拠として公共の福祉が用いられてきたが、
その後は制限される基本的人権とその制限によって得られる社会的利益を比較衡量する手法に変わった。
基本的人権相互間、基本的人権と社会的利益の矛盾、衝突を調整する公平性こそが公共の福祉と考えられるようになっている。
平たくいえば、かつては垂直的なトップダウンを正当化する際に「公共の福祉」が掲げられたが
公害を問題にすることすら、経済成長を妨げるという主張もあった60年代
70年代は三菱重工ビル爆破事件や警視庁幹部邸爆破事件など内外でテロ事件が頻発し
また連続強姦殺人事件、青酸コーラ事件などの凶悪事件が世間を騒がせていた。
三菱銀行強盗事件では、人質の行員に、別の行員の耳をそぎ落とさせるというおぞましい事件も起きた。
あるラーメン屋台では寸胴の底に人間の手首を入れて出汁を取るという、カニバリズムを想起させる話もある。
ほかにもいくらでもあるだろうが、人間の記憶など当てにならないし、
思い出は美しく書き換えられるものだということはよくわかる。
こういう現実にあるものを直接的にモチーフに落としたようなものは、原型となる作品を1個に定めるのって無理じゃね?
現代ファンタジーの原型なら指輪物語だとか、異世界転生の原型がゼロ魔で一度まとまったとか、スペースオペラの類型がスターウォーズとか、そういうことはある程度は言える。
あるいは60年代SFが冷戦と切っては切れないとか、ゼロ年代中期の
世界の(特にハリウッド映画)作品は9.11の影響を受けてるとか、ゼロ年代後期の日本の作品が3.11の影響を受けてるとか、そういう話はやはり出来る。
けれど、集団の小競り合い的なのは人類史のごく初期からあるようなことなんだから、原型を作品に求めるのは無理あるんでは?
とんでもない役者たちが凄まじい演技でしのぎを削ってる
ただここまで遡らないとマトモな映画が出てこないのは暗澹たる気持ちになる
で、70年代に映画がテレビに負けて階段を下りるようにレベルがガクガク下がってく
80年代に入るとアイドル映画やジブリ映画といった演技のえの字もない稚拙な映画に支持が集まるようになる
これに加えてバブル崩壊以降はテレビでたまたま当たったものの劇場版が粗製乱造されだすようになる
この頃に邦画は完全に死んで今も死んだまま、失われた20年じゃなくて失われた30年だな
今も変わってないでしょ?年間興収ランキングはアニメ・アイドル映画・テレビシリーズの劇場版ばかり
ドラマはシラネ
少年ジャンプが創刊50年(週刊として49年)と聞いたので何か調べてみようと思った。人気がなければ10週打ち切りも珍しくないジャンプでおよそ2年以上の連載,単行本にして10巻を越えればそこそこのヒットと呼べよう。2018年7月14日現在において単行本で10巻を越えた作品数は,年代別には次のとおりであった。
年代 | ヒット作数/連載開始数 | 10巻 | 20巻 | 30巻 | 40巻 | 50巻 |
---|---|---|---|---|---|---|
1960年代 | 3/26 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 |
1970年代 | 25/159 | 15 | 7 | 1 | 0 | 2 |
1980年代 | 29/152 | 15 | 7 | 4 | 2 | 1 |
1990年代 | 28/128 | 12 | 7 | 6 | 1 | 2 |
2000年代 | 29/115 | 11 | 11 | 3 | 2 | 2 |
2010年代 | 15/102 | 9 | 4 | 2 | 0 | 0 |
全年代 | 129/682 | 64 | 37 | 16 | 5 | 7 |
ヒット率は60年代…11.5%,70年代…15.7%,80年代…19.1%,90年代…21.8%,00年代…25.2%,10年代…14.7%(2010~2016…18.3%),と確定していない10年代を除いて右肩上がりに伸び,連載開始数は右肩下がりになっている。粗製乱造から脱却し,狙ってヒットを打てるようになったことがうかがえる。
10巻以上30巻未満の作品数は70年代から順に 22, 22, 19, 22,(13),と極めて安定している。30巻以上の作品数は70年代から順に 3, 7, 9, 7,(0),となっている。最近のマンガは巻数が長大化しているという声をしばしば耳にするが,少なくともジャンプ作品については適当な批判ではないように思われる。
年別の詳細は以下に記す
※作者名等は割愛
※「父の魂」「はだしのゲン」「べしゃり暮らし」のように途中から週刊少年ジャンプ以外で完結した作品があるが,他レーベルの単行本の巻数についてもそのまま取り扱う
最近、オカルトブームを振り返る人が多いけど、あまりに言っていることがあやふやなので、とりあえず調べられるだけ調べてみた。
30年前というと88年だからバブルの真っ最中なので、オシャレなイタ飯屋は地方都市(少なくとも県庁所在地レベルあたり)でもボカスカ出来てたと思いますよ。あの頃は本当に凄かったから。
僕が大学に入った80年には既にそういうのは珍しくなかったので、スパゲティがナポリタンなどに限られていたのは、まあ、そういう店もあったし、そうでない店もあった、という程度の事なのではないかと。(高校生の行動範囲は限られているものですし)
バブル期にはそういう店が増えたということでしょうね。
もうちょっと遡って70年代の中頃(75〜76年頃)にも地方の某県庁所在地でも、中心部には既にそれなりの店があったのを覚えてます。何かの機会に入った覚えがあるので。
東京なら、それこそ60年代の終わりとか70年代の初めあたりには、いろいろあったんじゃないでしょうか。学生運動が盛んだった頃の映像をテレビで見るとそんな感じです。70年頃というと、グループサウンズも下火で、ビートルズは解散し、サイケな(?)ファッションが流行ってようなイメージでしょうか。
布教時間をまとめるのはエホバが初めてじゃなかったと思うなぁ。他の新興宗教だったと思う。キリスト教系だったかな。
50年~60年代頃、戦後すぐの新興宗教の勃興が激しかった時代は、既存宗教も含めて布教行動が凄かったんだよね。
そして他の宗教団体とかち合って喧嘩になりかけるとか、わざわざ境界やお寺に行って論破しに行くとか、普通にあった。
立て看も流行って、電柱に他の宗教のものがあったら取り外して捨てたり、なんていうのも結構あった。
なので、他の団体の布教活動についても結構知っていて、真似たりしてたから、その名残なんじゃないかなぁ。
ちなみにそのさらに後の時代の新興宗教。オウムや幸福の科学の布教活動がそれらと比べて比較的大人しめ(一見)だったり、粗暴でない理由はそういう時代を知っている世代が中核だった事があるんじゃないかなぁ。
生まれ | 大雑把な世代 | 世代の近い総理大臣 | 1945年 (終戦) | 1954年 (高度成長開始) | 1973年 (安定成長開始) | 1986年 (バブル開始) | 1991年 (バブル崩壊) | 2018年 (現在) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1925年 | 戦中派(20年代生まれ) 徴兵経験あり | 竹下登(1924) 宇野宗佑(1922) 村山富市(1924) | 20歳 | 29歳 | 48歳 | 61歳 | 66歳 | 93歳 |
1935年 | 昭和一桁世代(1927-1934年生まれ) 焼け跡世代(1935-45年生まれ) 徴兵経験なし | 海部俊樹(1931) 細川護熙(1938) 羽田孜(1935) 橋本龍太郎(1937) 小渕恵三(1937) 森喜朗(1937) 福田康夫(1936) | 10歳 | 19歳 | 38歳 | 51歳 | 56歳 | 83歳 |
1945年 | 全共闘世代(40年代生まれ) 団塊世代(40年代後半生まれ) | 小泉純一郎(1942) 麻生太郎(1940) 鳩山由紀夫(1947) 菅直人(1946) (小沢一郎・1942) (谷垣禎一・1945) | 9歳 | 28歳 | 41歳 | 46歳 | 73歳 | |
1955年 | しらけ世代(50年代生まれ) ポスト団塊(50年代前半生まれ) | 安倍晋三(1954) 野田佳彦(1957) (小池百合子・1952) (岡田克也・1953) (石破茂・1957) (岸田文雄・1957) | 18歳 | 31歳 | 36歳 | 63歳 | ||
1965年 | バブル世代(60年代後半生まれ) 新人類(60年代生まれ) オタク第一世代(60年代生まれ) | (前原誠司・1962) (河野太郎・1963) (枝野幸男・1964) (蓮舫・1967) | 8歳 | 21歳 | 26歳 | 53歳 | ||
1975年 | 氷河期世代(1970-83年生まれ) 団塊ジュニア(70年代前半生まれ) | 11歳 | 16歳 | 43歳 | ||||
1985年 | 氷河期世代とゆとり世代のちょうど隙間 | (小泉進次郎・1981) | 1歳 | 6歳 | 33歳 | |||
1995年 | ゆとり世代(1987-2003年生まれ) さとり世代(90年代生まれ) デジタルネイティブ | 23歳 |
下半分が寂しかったので民進党代表や次期首相候補と言われるような人も括弧書きで追加。
就職氷河期に関する補足→https://anond.hatelabo.jp/20180417161628
1985年をゆとり世代としていたのを修正→https://anond.hatelabo.jp/20180417163706
最低限を抜け出した人間は過去これまでに無いほどの豊かさを手に入れている。
私達は最低限のモノ(例えばスマホ)を手に入れたとき、人類史上最高の豊かな生活を得たと言っても過言ではない。
ただ、情報を手に入れる方法やそれを活用する能力が欠けていれば、一気にどん底に堕ちていく。
問題なのは考える時間がいまだかつて無いほど減少ていることだ。
自分を成長するために使うべき時間に、不法に安い賃金で働いたり、SNSを使った自尊心を満たすだけのツールに勤しんでしまう。
労働についてはようやく60年代的価値観が失われつつある。これから数年のうちに大きく労働環境は変化すると予想している。しかし、現在を見てみると時間をもっている人間とそうでない人間がはっきりと別れてしまっている。
時間をもっている人間でも、SNSによって時間を失う人間も多いように観察される。
SNSは使わせる側(提供者側)が十分な時間とノウハウを集めた結果生まれた集客装置なのだから、利用者はのめり込むのは当然だ。
そして、考える時間は減っていく。
考える時間が減っているのにも関わらず、膨大な情報が私達の手に持っている小さな端末に送られてくる。
自分の脳の処理能力を超えた情報を処理するためには考えないという最悪の手段をとる。考えないことを続けるとそれが癖になって考えるという行為を忘れてしまう。
私達が最低限を手に入れるハードルはここ300年ぐらい何も変わってない。だから、豊かさを手に入れた人と比べると、相対的な差は広がっていくばかりだ。これが今日の目に見えている格差の正体なのだと思っている。