はてなキーワード: 誰にも言えないとは
エロは見るのも読むのも好きだがリアルでセックスをしたことがない。彼氏がいたこともあるが手を繋ぐ以上のことができず別れた。
エロが好きなので書くこともある。これこそ誰にも言えないが、自分が書いたもので抜ける程度には自分が書いたエロが好きだ。
しかしセックスをしたことがないので、自分がエロをちゃんと書けているのかよく分からない。
小学生の頃は、「股の辺りをぎゅっと押さえていると何となく気持ちいい」という、あまりにも曖昧な知識でエロ妄想とオナニーをしていた。今もその延長でしかないのではと思ってしまう。本物を体験した上でフィクションを書きたい。
もちろん、探偵ものやファンタジーなどがある以上、体験しなければ書けないという訳ではないことは理解している。でもセックスは、やろうと思えばできてしまう行為だ。殺人や異世界とは訳が違う。
三十代にもなると、同年代は結婚して子育てをしている人が多くなってくる。
結婚も子育ても、大変そうだし別にやらなくてもいいかなと思っているが、セックス未経験のまま死ぬことは嫌だなあと思ってしまう。しかしうっかり妊娠でもしようものなら人生が180度変わってしまうので、あまり思い切ったこともできない。
思い出したのでついでに言うと、生理痛緩和の為に飲み始めたピルは、年に一度の子宮がん検診が痛すぎて耐えられずやめてしまった。
細い棒を膣に容赦なく突っ込まれるのだが、マジで叫ぶくらい痛い。処女でなければ多分もうちょっとマシだろうに。
しかしそんな有様で、産婦人科の棒よりは太いだろうペニスが入るのだろうか。
色々試してはみたが、指一本以上は入らなかった。世のカップルはどうしているのだろうか。謎だ。
とりあえず、彼氏になってくれる人を探すことから始めようかと思うが、正直こんな女どうかと思うし、奥手な童貞が好みなので夢は夢のまま終わりそうな気がしてならない。
こんにちは、増田に書くのは初めてだけど誰にも言えない私の思い出を書いておこうと思って書きました。
高校3年生、お金が欲しくなって援助交際をした。近日中にお金が欲しいんだよねと、クラスの一番仲の良い友達に相談したら「いい掲示板があるよ」と、援助交際の掲示板を紹介された。「私もやったことあるよ」と言われて、それならいいかと軽い気持ちで、サブメアドを書き込むと、大量のメールが届いた。
「こんにちは〜^_^」
とりあえず全てに返信をするけど全員とメールが続くわけではないため、とりあえず会話を続けてふるいにかける。残ったのは3人。
そのうちの1人がアドレスの設定を「子安武人」にしていてなんか面白いからその人とセックスすることにした。(処女ではない)
上野のラブホでエッチするはずだったが、その人は勃たなかった。「おかしいな…緊張してるからかなははは」とか言って、結局ベッドに入りながら1時間半ぐらいおしゃべりしただけで3万円くれた。バイトもしていない高校生からしたら超大金。帰り道はカバンが盗まれたらどうしよう、財布落としたらどうしよう、援交が警察にバレたらどうしようとヒヤヒヤしながら帰った。
大学に入るまでは受験で忙しかったから援助交際はしなかった。都内のそこそこいい学校に行き、一人暮らしでお金が無くてまた援助交際した。
最初はパパ活のつもりで出会い系サイトに登録したけどエスカレートして結局色々やった。
手コキ(個室漫喫)
たくさんしたな、懐かしいな
フェラチオしてあげた後に、君どこの店?って聞かれたのは嬉しかった。
11:00~12:00 〇〇さん(1h) 手コキフェラチオ @個室漫喫 1万
12:00~13:00 ××さん(1h) 手コキフェラチオ @個室漫喫 1万
14:00~17:00 △△さん(3h) セックス @ラブホ 5万
18:00~18:30 ⬜︎⬜︎さん (30min) パンツ生脱ぎ手渡し @カラオケ 5千円
20:00~22:00 ◉◉さん (2h) セックス @ラブホ 3万
こんな景気の良い日は1日で10万5千円getしちゃったりしてね。もちろん終わったその日は精神的にも肉体的にもぐったりだけど。
リピートして会ってくれる人たくさんいたな。楽しかったしもう時間もまあまあ経ってるから、印象的なエピソードをまた気が向いた時に記録として書いていきたいと思う。
今は援助交際はしていない。援助交際の怖いところは辞め時がわからないところ。辞める直前までは、私はいつになったら辞めるんだろうと思いながらやっていたところはあった。結局彼氏にバレて、やめなよって諭してくれて辞めることができた。だから彼氏に真剣に諭された時は、あぁやっと辞めれるなと思っていた。その人とは別れちゃったけど。
援助交際はギャンブルと一緒なんだよね。ギャンブルやったことないけど。色々してあげた後、お金もらえる時が一番アドレナリン出る。しかも男たち(客とは言わない、店じゃないからね)はありがとう、楽しかったよとか、良かったよって言いながらお金を渡してくるから、なんてwin-winな人助けなんだろう!なんて思ってた。
実際やめてからの1年間はなんて自分は汚いんだろうと、過ちを犯してしまったことを悔やんだ。活動する地域は限定していたから、用事があって援交してた街に行く時は辛くなった。今になってやっと懐かしい思い出として思い出せるようになってきた。
援助交際をしていた時はスナックでも働いていて、今はスナックはやめてアイドルをしている。ひどいアイドルだと思う。過去は過去だからと納得はしているが、実際自分をこうやって客観視するとひどい、本当にひどいアイドルである。ファンの人ごめんなさい。
援助交際して、スナックで働いて、アイドルやって、私はおばさんになるまではずっとこの、女を売り誰かから搾取するような生き方をしていくんだろう。援助交際もスナックもアイドルも、誰かを元気付けて対価をもらい、相手を日常生活に送り出していくという形式がどれも共通して当てはまってしまうのが可笑しくて笑ってしまう。やっていることの本質は一緒。世間の印象が段階的に”最悪”から”マシ”になっているだけだよ。
あーあおもろい人生。
もちろん悪い事をした自覚はあるし、反省しないとなとは思ったのだが、なんにも頭に入ってこなかった。
その上司は、同じ部署内で明らかな嫌がらせをしていたそこそこ立場のある女性社員を明らかに贔屓しており、先々月にその女性社員からの直接的な嫌がらせが辛いから辞めたいと申し出たが退職は据え置きにされたうえに女性社員には特に何も言うことなく増田さんの担当箇所をすぐ変えますので…と適当に誤魔化されて終わった。
辞められもせず、事の解決もせず、でも休むのも有給がもったいないし…と仕方なく仕事に行き続けたら出社前には必ずお腹を壊したり吐いたりするようになった。
同期も女性社員から同様のことをされており、自分と同じように体調がおかしくなっても出社していたので、自分も行かないとなと思い欠勤はしなかった。
その後、契約社員の人達やバイトさんからもその女性社員への不満を相談されたので、これはいけないと言うことで他部署の先輩に相談のうえ、同期と2人で社内の相談窓口のような所へ掛け合い、上司に対して偉い人から指導が入った。
偉い人からは、女性社員にはヒアリングと指導を期末にやることを約束させたので、様子を見てくださいとのことだったが、期がかわって1ヶ月経った今未だそのヒアリングと指導がされた様子はない。
それ所か女性社員は上司にマンツーマンでひとつ上の地位の仕事を教えられている。
女性社員の私達への態度はなんにも変わらないし、あの約束はなんだったんだ?と疑問でしかない。
コロナのせいで在宅勤務になったので私は上司や女性社員と顔を合わせることもほぼないし一緒に仕事することも月に1回あるかないか程度なのだが、あの2人は週に1回確実に職場で顔を合わせている。
月に1回しか来ないやつに説教できるのに、週に1回一緒に仕事している人にヒアリングすら出来ないのはなんなんだろうか。
1番辛かった時に自暴自棄になってやったことが跳ね返ってきたので素直に反省はしている。
辛いを理由にしてもう二度とアホみたいなことはしないと心に決めたし、嫌な事をされましたと言った時に大変だ!何とかしてあげるよ!と言わせられる人になるためにまた頑張ろうと思う。
だけど、どうしてもモヤモヤしたので、ここに書きました。
病院に勤めてる知り合いが言ってたんだが、N95マスクが足りなくて滅菌処理して使いまわしてる彼の病院のまさにその地下に、N95と書かれたダンボール箱が開封もされずに山積みになっているらしい。不要品置き場に使っている部屋らしいんで、ひょっとしたら使用期限が切れてるマスクなのかもしれない(そういうのは平常時なら日常的に発生するらしい)けれど、こういう非常時、使い回しのマスクよりはマシじゃね?って話してた。
ただ、こいつの部署は、その不要品置き場とは無関係で、本来そこに近づく用事はないはず。なので、下手に「あそこにありますよ」みたいなことを言うと「オマエ、なんで知ってるんだ?」みたいにあらぬ嫌疑をかけられる可能性があって誰にも言えないらしい。上司が嫌なやつらしくて…、ま、それは関係ないかな(あるかもしれない)。
なので、このマスク、たぶんこの先も埋もれたままなんだけど。そこで全国の病院関係者にお願い。もういっぺん、地下倉庫とか物置とか、あたってみてよ。ひょっとして埋蔵されたマスクが出てくるかもよ。
コロナが嬉しくて仕方のない人、コロナもっとがんばれって思ってる人、自分の他にいませんか?
誰にも言えないけれどここ最近ずっと嬉しくて、ドキドキワクワクして、心のうきうきが収まらなくて、どこかにきちんと吐き出さないと、言いふらしてしまいそうだから、ここに残してみる。
自分はいままで散々、会社で色々な雑務が大量にふられて、自分の仕事が進まなかった。在宅勤務になってから、スイスイと仕事が進むようになった。ヒステリックに怒る人たちと顔を合わせずに済むようになって、心も健康になった。いま、怒鳴ればなんとかなった人たちや、下っ端に仕事を丸投げすればいいだけだった人たちが、困っている。
職場に行って理不尽な思いをしては、一人暮らしの家で深夜に「クソーっ!!!」と怒鳴っていた日々だったが、リモートワークになって職場に行かなくなってからは、どんなに家仕事が増えようと、心は晴れやかになるばかりだ。
コロナうんぬんじゃなくても毎日出勤しなくていい仕事をしてる人はいる。それに就けばいいじゃないか。
…やれたら既にやっている。結局、毎日出社しなくていい生活を手に入れたのは、作家だったり、ライターだったり、Youtuberだったり、その努力と才能のある人に限られている。自分のように、努力も面倒で才能のない者は、どこかの会社に巻かれて、出勤するしかない。
さらに自分は普段から死にたい願望が強かったので、「志村けん羨ましいな〜」とさえ思う。コロナでコロっと、この機に乗じて死ねるのでは?って。
リストカットなどをしているわけではない。けれど、生活をすること、生きること自体がめんどくさくて仕方なくて、だけど自殺を進んでするほどの勇気はない。そんな人、たくさんいるのではないか。そしてその人たちは、自分と同じように、コロナ万歳、って思ってはいないか?
「自分はいいけど、身内や親、大切な人が万が一コロナになったら嫌でしょ」という意見も目にしたけれど、仕方ないって諦められる。諦めるしか、人生病まずにうまくいく方法はない。
今となっては、コロナの心配もなく毎日出勤しなければならない世界線のほうがもっとこわい。コロナ、もっと頑張って人類を脅かしてくれ。
昨日久しぶりに妹から連絡があった。
私は地元から離れて暮らしているが、妹は実家近くに住んでいる。
両親にはまだこの件について連絡していない。
夫にもまだ伝えていない。
夫の父親も胃ガンで数年前に亡くなった。
結婚式を挙げた頃はふっくらしていた義父が、手術と抗がん剤治療を経てガリガリに痩せていったのを見ているので、自分の父もそうなるのかと思うと怖い。
義父はステージ4で、標準治療を積極的にしていたが発覚から4年弱で亡くなった。
まだ自分の中でもこの事実をどう受け止めていいかわからなくて戸惑ってる。
父、まだ60代半ばなんだけどな…
定年退職した後、「俺はそんな長生きするつもりはない」と言ってたけど、そうは言ってもやっぱり長生きしてほしい。
誰にも言えないのでとりあえずここで吐き出してみた。
誰にも言えない過去がある。思い出す度頭がおかしいなと思うけど1回文章に書いてみて、なかったことにできるならしたい。
なんでかわからないけど性的な目覚めが早くて小学校低学年の頃には自慰を結構してた。高学年の頃には自慰だけには収まらなくなって弟の宿題をやる代わりに触ってもらったり舐めてもらったりした。初体験も弟。知識もそこまでなかったし弟も低学年で未発達だったから勃起もしてないちんこを自分の中にいれた。弟はこの一連の行為をめちゃくちゃ嫌がっていたから長続きはしなくて途中からもうやだ!と断られた。だから欲求を満たしきれなくて寝ている弟の手をこっそり借りて触ってもらったりした。たまにお父さんのも借りた。今思うとあの行為を父は気づいていたのだろうかとぞっとする。父は確実にロリコンのケはないので娘にそんなことされて喜ぶことはないと思うし弟に気づかれたことはないから(気付いたらすぐ泣きわめく)多分気づいてなかったんだと思う。気付かないふりされてたらどうしよう。
家族を使った自慰行為は小学校でやめ、中学生になったときからはネットでエロ動画、エロ漫画に触れてそこで性を満たすようになった。そこからさらに外の世界に発展することなく援交とかもせず大人になった。それだけは本当に良かったなと思う。今もエロいこと自体は好きだが当時のことを思い返す度死にたくなる。本当に頭がおかしかったなと思う。葬りたい過去だし思い出したくもないけど弟はずっと覚えて根に持っているんだろうなと思うと死にたくなる。
Kさんのことが好きになってから、わたしはツイッターで「旦那に不倫されている奥さん」のアカウントばかりフォローして、不倫されている人の気持ちをずっと追いかけている。
「不倫している側の女の子」のアカウントも星の数ほどあるのに、こちらは全くもって読む気になれないままだ。
不倫を開き直って楽しんでいる子の気持ちも、彼が自分のものにならなくて辛い思いをしている子の気持ちも、読みたくない。
「不倫は人殺し」と口を揃えて皆が言う。サレた側はいつまでも心に深く傷を負う。「一生楽しい時も苦しい時も支え合って生きよう」と心に決めた相手に裏切られるのはつらいんだろうな。わたしは結婚したことがないから分からなくて、分かりたいと思って、ずっとその人たちから吐き出される言葉を見ている。サレた側の人たちの執念はものすごく、多くの奥さんは旦那よりも不倫相手の女を不幸のドン底に落とそうと必死になっている。その思考回路もよくわかる。旦那を責めても自分が辛いだけだから。
わたしも落とされるのだろうか。
探偵でも雇えば簡単にわたしの家はバレる。両親が知ったら悲しむだろう。自分が辛い思いをするのはいくらでも耐えられるけれど、親に「娘が不倫して人の家族を傷つけてる」なんて思わせるのは耐えられそうにない。会社にだって告発されたら何らかの処分を受けるだろう。会社にとって全くもって必要ない存在のわたしは、簡単に居場所を奪われ自主退社を促される予感しかしない。親にも見放されて、仕事も失って、そんなわたしが友達に向けられる顔はない。今だって、数少ない友達が次々と結婚して幸せそうにしていたり、子供が生まれている姿を見て、わたしはいつも肩身が狭く、会うのを躊躇ってしまう。
自分は特別なんて、思ってはいけない。Kさんとの関係が、本当の愛だなんて思ってはいけない。いつか、ボロボロになって耐えられなくなって自分から手放すか、奥さんにバレて不幸の底まで叩き落とされるんだ。だけどわたしは被害者じゃなくて加害者だ。
やめればいいのに。
でも顔を見て、触れられると「もう他に何もいらないから、この人をわたしから奪わないでほしい」と思ってしまう。
なんでこんなに好きなんだろう。
苦しい。
写真の中のわたしとKさんがあまりに幸せそうに笑っていて、わたしには2人を引き裂くことができない。誰にも言えない気持ちを抱えて、わたしはどんどんKさんに依存していく。
この先にあるのは破滅なのかな、数パーセントでも幸せになれる未来があるならそこに賭けたいけれど、それまでちゃんと立っていられるかなぁ
時折深い波に飲み込まれそうになって、そんな時に電話ができたり、会いに来てくれたりする人はいない。
わたしはひとりで、立ってなきゃいけない。
こわい。つらい。かなしい。すき。恋愛は、こういうものじゃない。もっと暖かくてキラキラしてて、素敵なはずだ。Kさんと、もっと暖かくてキラキラして、素敵な時間が過ごしたいなぁ。わたしはニコニコしてる方が絶対かわいいのに、ばかみたい。わたし、花が似合うの。海が似合うの。太陽が似合うの。泣いてるのは似合わないの。隠さなきゃいけない関係も、似合わないの。笑顔でいさせてよ。この先もずっと隣で笑っていられるようにしてよ。全部、わかってるのに、それを簡単に凌駕する「すき」がわたしはこわい。
私の小学生までの夢は、子供が2人いる幸せな家庭を作ることだった。
でもいつからか、自分の遺伝子を残したくない、と思うようになった。
私は不細工に生まれた。そのことに、思春期に初めて気が付いた。正直びっくりした。
私って不細工だったんだ。
お姉さんになったら、あゆみたいになれるのかな、なんて子供の頃は考えていた。
でもなれなかった。その頃13歳になった私は、綺麗なお姉さん達みたいに鼻は高くならないし、目はぼてっとした一重のままだ。
「ブス」と、直接的に言われることは年に1度くらい、遠回しに言われることはよくあった。
(今この二文字を打ったら動悸がしたので驚いた。やっぱりすごい言葉だな。)
直接的に言ってくるのはほとんどが初対面の男子、間接的に言ってくるのは大人達(男女関係なくおじさんおばさん)だった。
「お母さん(美人)に似てないね」と言われるたびに「そーなんだ」とあほ面で答えていたけど、何を言いたいのか段々と分かるようになっていた。
しまいには母までも、「美人だからって幸せになれるわけじゃないからね。」と謎のフォローを入れてきた。
それでも中学生までは、素直な子供時代の私が残っていたので、友達は多かったし、男子とも喋れば仲良くなれた。
入学式で見かけてほんのりといいな、と思った男子に、すれちがう瞬間「あ、ブスだ」とはっきり言われた。
隣にいた男は「ギャハハ、ひでーな」と笑っていた。
今考えてもクソ男だけど、思春期の柔い心は簡単に壊される。その瞬間から私は呪いにかかった。
高校生活の3年間毎日「なんでこんな顔で生まれてきたんだろう」と考えていた。
性格もどんどん暗くなっていった。同じ中学だった同級生に「おまえ暗くなったな」と言われたので、外から見ても分かるほどに変わったんだろう。
「男子が怖い」
授業で手を上げなくなった。部活には入らなかった。中学の同窓会に出なくなった。大学は女子大を選んだ。
高校卒業のタイミングで、自分の顔に耐えられなくなって整形をした。
大規模なレベルは親が許してくれなかったので、大嫌いだった一重を二重に"治した"。これは自分にとっては治療だった。
美人でなくていい、普通の顔になりたい。もはや自分は人間ではないと思っていた。早く人間になりたーい。
手術は成功した。とはいえ他の要素は変わらないので相変わらず不細工だ。
でも、鋭い目から二重のタレ目に変わると人当たりがよく見えるようで、他人からの第一印象が良くなったのを感じた。
素直に喋れる機会が増えて、表情が変わっていった。
容姿で優遇されることはないけど、からかわれることもほぼなくなった。
もし整形など考えられない時代に生まれていたら、生きていけなかったと思う。
それからはだんだんと男性とも(敵意がないと認識できれば)喋れるようになり、バイトができるようになり、彼氏もできた。
そこから就職して現在28歳。大変良い人とご縁があり今度結婚することになった。
そして自分が不細工だと気がついてからずーーーっと頭のどこかにあった懸念と真剣に対峙しなければいけなくなった。
子供は欲しい、でも産むのが怖い。
自分に似て欲しくないのだ。
見た目は手術で変えられても、遺伝子は好きには変えられないので、産んでも本人が可哀想だ。
もし男親が超絶イケメンでも、確率は50:50だ。どこかに自分のパーツは入るだろう。整形前の顔で好きなパーツは一つもない。そして旦那さんは不細工なほうである。(ごめん。でもめちゃくちゃ善い男です。)
自分が思春期に経験した思いは強烈で、たとえ顔が変わってもあらゆる行動がトラウマに左右される。そんな思いはさせたくない。
呪いはまだ続いていたんだ。
顔を変えて結婚したとしても、お前は一生幸せにはなれないのだ。不細工は罪なのだ。
(整形をしていることは夫には申告済みです。)
みんなはどう覚悟したんだろう。
声を大にして言いたい。
「俺は、巨乳が、好きだ。」
雑誌の表紙には、水着で谷間を強調した若い女の子が載っている。
だっちゅーの、的なやつ。
ロリコンとかじゃなくて良かったとは思う。
ロリコンの人がロリコンになりたくてロリコンになったのではないように、
俺もおっぱいが好きになりたくておっぱいが好きになったわけではない。
オッパイと表記した方がエロい感じもするが、ここではおっぱい、と表記する。
しかし俺は、今の妻を含めて、おっぱいが大きい子と付き合ったことがない。
皆、割とスレンダーな体型の子ばかりだった。そして皆、貧乳だった。
付き合ってはいないが、おっぱいが大きい子とセックスしたことなら何度かある。
一番ノーマルな(?)、男が仰向けになってやるパイズリはやったことがない。
単純にそれをできる、テクニックがある子に出会ったことがなかった。
セックスしたのなら、その「おっぱいが大きい子」と付き合えば良かったのでは?と言われそうだが、
確かにおっぱいは大きいが、それ以外も全体的に大きい子ばかりだったのだ。
ぽっちゃりしていて胸もそこそこある子か、細くて胸はあまりない子か。
どちらかを選べと言われると、後者になってしまう。見栄えの問題として。
しかし、そんな峰不二子みたいな女の子は現実世界にはいるはずがなく、
好きな女優は、安齋らら、沖田杏梨、深田ナナ、吉永あかね、橘なお、等。引退してる人もいてますね。
パイズリは谷間に僅かにローションを垂らしてヌルヌルにすると気持ち良い。
ローションを垂らしてるときの眼が怖いと女の子言われたことがある。
仕方あるまい。パイズリは厳格な、聖なる(性なる)儀式だ。この世で最高の、至福の一時だ。
Iカップの女の子の胸の中は異次元の気持ち良さだった。すぐに逝ってしまった。
何だかんだで面倒くさくなって会わなくなった。後悔している。
なぜかといえば、全体的にかなり大きい女の子だったから。おまんこはゆるゆるだった。
閑話休題。
なんでヌルテカにするとあんなにも妖艶になるのだろう。おっぱいに限らずだが。
そして、谷間に挟まれて、そのまま挟射したい。
所謂縦パイズリも好きだ。あれはある程度の大きさがないとできない。
あとは、正常位でセックスしてるときにブルンブルン波打って揺れるおっぱいも好きだ。
おっぱいを鷲掴みにしたまま発射したい。
巨乳の彼女なり奥さんなりを連れている男を見かけると、激しく嫉妬してしまう。
畜生。良いなぁ。羨ましい。
毎晩あんなことやこんなことしているのだろうな、などと。
妻と暮らしているとそんなことしている時間がない。そもそも出会いもないが。
多少ブスでも(むしろ顔はブスだけど身体はエロい子は好きだ)、
多少ぽっちゃりしていても、この際構わない。
誰か、挟んでくれないかなー。
でもみんなおっぱい好きだよね?
揉んで、顔を埋めて、舐めて、吸って、パイズリされたいよね?
どうしても心が落ち着かなくて、精神的にもかなりギリギリのところにいるので、書くことにした。
正直にハッキリ言えることも多くないため曖昧な表現になることで、何が言いたいのか分からない文章になるだろう。
つまり、ただのはけ口であることを前提に、長文を垂れ流すつもりだ。
気が付けばもう40を超えて、「人生80年」と言われてた時代を考えれば、折り返し地点である。
しかし現在「人生100年時代」との声があり、自身の祖母も102歳でこの世を去った。
確信めいたものはないが、私もよほどのことがなければ長生きする気がするほど、健康だ。
人付き合いは変化したなとは思うが、それは周囲の人がそれこそ、結婚・出産・転勤・転職等で生活環境を変えたことが要因だと言える。
さて「何も変わらない」と言われる私であるが、実際自分でもそう思っていたのだが、それは違った。
環境などと分かりやすい面ではなく、『感情』という部分が大いに変化していた。
例えば、であるが、私は非常に泣き虫であった。人目をはばからず涙を流す恥ずかしい子であった。
割と思うがままに感情を表に出していた気がした。
感情の起伏はさほど激しくはないが、笑って泣いて怒ってを繰り返して、ある意味「分かりやすい人」だったと言える。
でもこの数年で、それを失っていた事に気づいてしまった。
怒りも悲しみも寂しさや煩わしさ、楽しいとか嬉しいとかどこかへ捨て置いてきてしまったようだった。
人はそれを「平穏」というのかもしれないけど、私に至っては「無機」という言葉で表現したい。
若い頃、勝手気ままに自由にはちゃめちゃに生きていた私が、年を取ることによって、落ち着いてきたと言えば聞こえはいいかもしれない。
でも多分そうではない。「幸せ」とか「安定」とか「平穏」という周囲の言葉に惑わされて
「何もしちゃダメなんだ、深く考えちゃダメなんだ、変化を求めてはいけないんだ・・・・しなくていいんだ」
そしてその無気力状態を作り出したのを、敢えて人のせいにしようと思う。
もちろんそこに甘んじて維持し続けた私が一番の罪であることは、頭の片隅に置いておこう。
年数は省略させてもらうが、私には長付き合っている恋人がいる。
それゆえ、「結婚しないの?」という外野からの声は数えきれないほど聞いている。私が一貫して返す言葉は「しない」の一言だった。
少子化時代を騒がせる昨今、私は曰く非生産的な存在であり、政治家たちにとっては国家に貢献しない存在であるのだろう。
…話が逸れたので戻そう。
彼は真面目な人である。聞いている限りでは育ちが良さそうで、家族に愛され家族を愛してきた男である。人当たりがよく、女性に対しても丁寧で優しい人だと思っていた。長年浮気の気配もなかった。
そんな男に好意を告白されたときは「何を血迷ってるんだ?」と思い躊躇したものの、結果的に押しに負けてお付き合いをすることにした。
私は当時、非常に流されやすい女であった。
恋愛感情はなかったけど、彼の人となりと、そして周囲の猛烈な後押しで私は川の流れのように流されたのだ。
そんな私に一生懸命に接してくる彼に、徐々に好意を抱き始めた。
彼との付き合いは、最初はとても楽だった。
彼は束縛をしない男だった。
私は、彼と付き合っても人間関係が特別変化することもなく、友人とも大いに遊んだ。私が普段何をしているのかもしつこく聞いてくることもなかった。メールや電話を強要することもなかった。
いつも私の意見を尊重してくれている、理解ある男を存分に発揮していた。
一度だけ、私はある問題に対して彼にお願いをしたことがある。後にも先にも彼に要求を突き付けたのはそれ一度きりである。
「分かった」という言葉は消え、時間がたつにつれて要求は破棄された。
この頃から私の中で「諦め」が生まれてきた。何を言っても無駄。
時は過ぎ、その放置度合いはさらに拡大していったが、いつしかそれが「おかしなこと」と思わなくなっていた。
そう、完全に麻痺してきたのだ。
不満は消えた。怒りもない。寂しいとか悲しいとかもない。楽しい嬉しいと思うことも減った。
彼自身には諦めを持ち続けながらも、波風立たせることなく付き合い続けた。
彼の愛情が冷めることはなかったが、私の愛情の温度は「常温」まで下がっていた。
束縛をされず私の時間を自由に使え、煩く言ってこない存在は「恋人」という肩書を持っていても邪魔にならなかったのだ。
尚且つ、自身がさほど恋愛体質ではない上に、趣味もあって友人もいて毎日に不自由を感じなかった。
そして既に何年も付き合い続けてきた結果、彼はそれを「安定・平穏」だと思い、周囲からも諭され続け、考える能力を失うまでに至った。『感情』が消えた。
そんな私が一度だけ、常温の恋人との関係を考えたことがあったらしい。
「らしい」というのは、数か月前「他に好きな人がいないから」というような事を記してあったのを見つけたからだ。
おそらく「別れる選択をしない理由」を探し、そこに行きついたのであろう。
なぜ?と考えたときに、
というマイナスにしかならない理由に勝てる、他の理由を探した結果だと思う。もちろん、そのあと何か行動を起こしたことはない。
そう「他に好きな人」どころの話ではない。失っていた全ての『感情』という感情が一気に動き出したのだった。
長年憧れ続けた人のたった1言で、今まで抑えられていた想いが、一瞬にして溢れるように噴き出したのだった。
「憧れ」というものが変化した瞬間だった。
40歳にもなって何を恥ずかしいことをと思われるかもしれないが、私にしてみれば多分人生で初めてかもしれない感情が生まれたのだ。
あまりに遅咲き過ぎる「恋」に私の感情のタガが外れたと同時に、頭のネジもどっかに飛んで行ってしまったのか、私はその直後に、人生で史上最悪な事をしでかしてしまうのであった。
人生史上最高に後悔している。死にたくなるほど後悔している。精神的にギリギリなのはこのせいである。
私は今の恋人と別れたいのだろうか?
理由を探して別れてこなかったとはいえ、別れたいと本当に思っていたのだろうか?
それはいまだに私への愛情を見せる常温の恋人との、この長年の付き合いを捨ててまですることなのだろうか?
実は正直、史上最悪な出来事が表に漏れないのは、常温の恋人のおかげでもあるのは否定できないのだ。
それに新たに生まれたこの「恋」が一過性のものではないとハッキリ言えるのか?
可能性がゼロではないにしろ、それを自分は本当に手に入れることができるのか?
万が一全てを失ったとき、後悔しないと言えるのか? 耐えられるのか?
動き出した感情が、困惑、切なさ、嬉しさ、不安、後悔・・・さらなる要素をプラスして一日中動き回っている。独り言が増えて夜が眠れない(朝辛い)。
40年間、それなりに付き合ってきた人はいたのだがいずれも好意を受けての付き合いだった。好かれてなんぼのイヤな奴だった。だから、自ら好きになった人と付き合ったこともなかった。
私は、今までまともに「恋」をしてこなかったのだ。
この年になってその結果がこの体たらくかと思うと、情けなくて涙が出るし、みっともなくて誰にも言えない。
書き連ねたところであんまり解決にはならんが、でもまずは頭のネジを詰めなおす必要があることだけは理解した。
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<追記>
気が付いたらなかなかの反応に、正直少しビビっています。色々どうも。
いくつか書かれていますが、「恋」の人は既婚者じゃないです。不倫だけはしません。これは絶対に。
人生史上最悪な出来事は、何とか自力で方向修正しました(多分)。少しだけ気が楽になったという自己満。
常温の恋人は、急にああしようこうしよう言い出して(まだ行動はされてないけど)、何か私の変化に気が付いているのか。
新しい恋の人には、関係が先に進むことへの行く先を不安視され、足踏み中。でも、別れてまでという話がでないってことは、そういうことだと思う。
ただ、こうやって人の言葉を聞いて整理していくと、常温の恋人とはどんどん温度が下がっていくような気がする。でもずるくてビビりなので、決心がつかない。
あ、あとネジは詰めなおす、ではなく、締めなおす、ですね。