はてなキーワード: 社会生活とは
そうそう!まんこがマンコヅラして話聞いてないと男も社会生活おくりにくいから表面だけでもマンコヅラしてほしいってそういうこと!そしたら男もやりやすいんだよ。
それが分からずに空気読めないフェミババアはカンベンってだけだ。
トラブルなけりゃっていうが、その行く先がトイレ掃除のおばさんとかそういうことなんだけどさ。男も社会になじめない奴は将来ホームレスなのと同じな。
社会生活できなくなるで。
男は表立っては論理的に当たり前のことをいうけど。腹の中では産廃を処理したい処理したい、ゴミ片付けたいみたいな欲求あるからな。
男の論理はしつこくて否定できないもんおしつけてくるからな、辛いで。女は一生結婚できないくらい仕事本気でやらんと男と対等にすら扱ってもらえないんや。
それをキャンセルしてるのが、「この女ヤレテ便利ちゃうか?」ゆう下心やで。
恋愛できない女→ヤレルヤレナイ→産廃はゴミ。これやで。社会生活を送るために産廃扱いされない必要がある→ヤレルヤレナイで見てやってる。
あまりに煮詰まっている。自分の子どもたちを優先順位の一番に出来なくなりそうでヤバいから精神安定剤的にカキコしようと思う。長文申し訳ない。
私は某宗教で育った。アメリカの再臨派から分かれてるのに唯一無二のキリスト教ってうたってるやつだ。
小さい頃から鞭でぶち回されるのは当たり前だったし幼稚園も行っていない。伝道活動に連れ回される中、幼稚園の前を通った。垣根越しに園内を覗いたことがある。にぎやかで楽しそうな世界だった。子どもながらに心臓がぎゅっとつかまれる気がした。
その時代は信者は週三日の集会、週五日の午前午後の伝道活動が当たり前だった。子どもは親と一緒に連れ回された。終わりが来る、とずっと言われ続けていた。高校なんて考えなくていいし、仕事は伝道活動を最優先にしてと言われていた。
小学校に上がってから、学校はとても楽しかったが、出来ない行事も多かった。日本の伝統行事、誕生日、クリスマス……。御神輿をクラスで作成する中、先生に言い、私は一人椅子で本を読んでいた。先生への証言は気の重い作業で、でも仕方なかった。校庭で校歌ダンスがあった時は、一人で膝を抱えて木陰にいた。
私は音楽が好きだった。高学年になってマーチングバンドに入りたかったし、少年団のソフトボールに入りたかった。
だが、諦めざるを得なかった。世との交わりになるし、優先すべきは放課後の伝道活動と集会だったからだ。
中学校になり、私は部活に入りたかった。本当にどうしても入りたかった。この時は多少抵抗したが、会衆の長老を含めて親の説得に負け、仮入部した部活を自分から取り下げた。応援してくれた先生や同級生に、本気ではないと思われ、信用をなくした。このとき多分全力で抵抗していれば順調に年齢通りに社会生活を送れたのだろうが、洗脳も強かったし、親を愛しすぎていた。組織を出るなら殺すと言われ、それに負け、無力感とともに青春を送り始めた。
その後10年思い出したくもないような宗教漬けの日々の後、その宗教を辞めた。
幸いな事に結婚も出来た。子どもにも恵まれた。やりたい場所でやりたい仕事をし、そのためにやりたい勉強をし、好きな家を買って暮らしている。
子どもはまだ小さい。4歳と1歳だ。平日は、保育園に預けている。とてもいい保育園で、子どもたちに毎月の行事をしてくれているし、園も季節感のある飾り付けになっている。リトミックや英語、図工に体育など年齢に合わせた遊びながらの教育もしてくれている。給食もおいしい。ほんと楽しい場所だ。
ふっと気を抜くと、最近子どもにイライラしている。子どもを応援する母親になりたい本心がある一方で、私は人生を取り返したくてたまらないし、たくさんわがままを言える子どもが羨ましくて仕方がない。子どもに嫉妬するのは馬鹿げていると理性が思う一方で、私の中の子どもが、楽しそうな上の子を虐めたがっている。
上の子の2歳後半から3歳にかけてのイヤイヤ期には本当に手を焼いた。自分は大人しい子だったし、常に人目を気にしていた。公園で泣きわめかれたりお店で転がれる気持ちがわからなかった。あまりにもひどいとき、とうとう手をあげてしまった。小さい頃の自分を叩いたようで、夜中吐いて泣けて反省した。だが、その後も元気がよく、私も我慢しすぎて階段から付き落としそうになるよりは、躾の範囲で言い聞かせてその場で服の上からお尻なりひっぱたいた方がよっぽどカラリとお互いのためにいいのではないかと、何度かはしているうちにイヤイヤ期が収まってくれた。
まずいのは、夫はこういう葛藤を理解できるはずもないという事だ。夫は育ちがよく、彼の母親は始終笑っている人だ。子どもも夫も動物も可愛がって楽しむ人だ。
上の子どもが赤ちゃんだった頃、何のためらいもなく行えた誕生日会。幼児期になってから辛くてたまらない憂鬱な会になった。
子どものイヤな面が私に似ている。それがまた私を責め立てる。自分の性格のせいで親からの自立が遅れ、上手くいかなかったのは単に自分のせいだったことに気がつかされてしまった。
気分が沈んだ日は、疲れているから、と言い訳にして、子どもを放置した時間だけが過ぎていく。子どもとの今日一日はかけがえのない日だと分かっているのに。エネルギーのあまっている子どもを休みの日に一日外に出さないで、たまった家事の解消にあてたりすると、もうへこむ。
さて、今朝のことだ。仕事で昇進し、今度はチームを動かすほうになった。チームワークについて、常日頃年下から学ぶ事が多すぎて、自分としては自信がない。学生時代に部活が出来たら経験になったに違いないと思ってしまう。だからつい、夫に学生時代に部活が出来なかった事がいつまでも経験の少なさとして尾を引いていると愚痴ってしまった。すると
と言われ、ついお互いムキになってキレてしまった。だが、こうして文章として起こしてみると、そんなに重いものを裏にして話す方が悪い気もしてきた。
午前中、悲しすぎて棒に振ってしまったから、せめてこれから子どもたちにも夫にもいい一日になるよう頑張ってみようと思う。
だが問題の本質は、分かってほしい人に分かってもらえないと、子どもをだんだん愛しづらくなっているという事だ。だがそれも他力本願な甘えでしかない。
オレは典型的な不細工なんだけど。
確かに女側からしたら、「こんな不細工の子供を作ったら不細工な子供ができてしまう、イケメンじゃないと子供が不幸」って思うわな。
年収とかで自分が楽したいってので不細工と結婚して子供は不倫の子、ってのを狙うなら理解できるが。
そう考えると、ブサメンの中身を見てやれというのもこくだわな。
まあ、だからといって、一般生活や社会生活でブサメンを冷遇したり差別したりするのは許せないな。
まあ、分かるけどさ、不細工にトラウマ保ってる女とかもいるだろうから、それはしゃーないって受け入れてもいいんだけど。
そういう理由無く、単にイケメンアゲ、ブサメン下げ、みたいな女イルやン。
あれはゆるせんな。
不細工=ウンコが臭いのと同じで不快感。っつーことなんだろうけどさ。
そうなると、不細工側も女を叩くわな、「女は内面もクソ」。
いやそりゃそうだろ、女も本能レベルでイケメンを求める、子供のためにも正常な反応だわな。
その正常な生得の反応がブサメンの人間性を阻害するんだから、女の人間性はクソ、という結論になる。
それは仕方が無い。
公然となされるブサメン差別はイケメンの利益だわな、イケメンだけ退社時刻守られたり。
イケメンが「狭量だなあ、、皆つらい時あるしがんばろうよ」みたいに流すのはまたむかつく。
炎上している案件をみると、「世の中の関心が高いこと」が何か良くわかる。本音はいえないけど匿名だからこそ本気で関心があることはなにかということがでる。
結論勝ち組は下の5要素。一つでも満たせなければ負け組。足切り的基準。
1.適度な高収入
年齢×20万円以上ですか?以下ですか?
2.伴侶がいますか?
3.学歴はそれなりですか?
4.健康/身体
デブですか?ハゲですか?五体満足ですか?障害もってませんか?
5.裁量
同世代と比較して時間の使い方の融通がきく仕事/ポジションですか?
同世代と比較して「何をするか」の選択権が多いほうですか?多くないですか?
まあこの5項目でだいたい、社会生活での勝ち負けは判断できるようだ。
そうそう、間違ってたとこはちゃんと謝ってるんだよ。
でも意見違うから、お前こそは精神病だってずっと攻撃的に噛み付いてくる人がいるの。
>まちがいを指摘されたらごめんなさいしなきゃだめだよ 開き直って相手をキチガイ扱いしてもだめだよ
別人かもしれないけど、いまだにこんなこと書いてくるし。
>精神病の認定には社会生活の不自由が必要ってことはこれ逆に精神病認定のボーダーが高いんじゃないの?
ツリーを延々読めばわかるけど、言ってることは同じです。
犯罪犯してない、生活に支障がない、自分で自覚なければただの変な人だから放っておけばいい。と相手は言うんだが、、
精神病(予備軍)だけど放置しとけばいい人のボーダーが低い(高い)過ぎるんじゃない?
精神病患者は無職になるか犯罪でも起こさなければ精神病の治療受けられんのか?
てずっと言ってるんですけど。
よぉ、俺はあんたの知能が社会生活をする上で下限ギリギリなんじゃないかと
疑ってるんだが、人生は上手く行ってるか?
もちろん、知能がギリギリでも上手く生きていく問題の無い人もいれば
それが障害の形で顕在化する人もいる。あんたはどっちだ?
あんたも他人を何の根拠もなく障碍者扱いするっていう
「精神障害者」は「障害者基本法」で、「精神障害があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相
「障害」や「疾病」ってのは社会とのかかわりの中で定義されるものだよ。
こんなもんでいい?条文自体はググれるよね?
んで、すごい曲解してるよね。誰が鬱病の定義に犯罪を入れたの?境界知能の人?
あなたには人格障害のように見えてたとしても(あんたの判定なんか信用する人間はいねーだろうが)
その人間が社会生活上不都合が無いなら、それは精神障害とは認定されないの。
「犯罪行為」を条件に入れたのは、人格障害の人間の異常行動をどこで
行政が「異常」と「正常」の区分を引くかって点から。人格障害の人間は病識が無いことが多いので
こういう定義になる。精神病というのは制度上定義の問題だってことは理解出来てるよね?
あんたには障碍者に見えても「継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受け」て
理解しないまま訓練に励め、ということですかね。
とにかく何も言わずに訓練させろ!隠し通せ!
みたいなラリったこと言ってるんですか。
つーかそもそも、俺も含めたADHDを抱えてなんとか生きてる人って
「あ、俺ADHDだ」って気づいたところからしか対策を立てられないんですよ。
周囲が協力的とも限らんし、そもそも小児ADHDを診断できるところって少ないし
更に幼少期からの投薬を親が嫌がることも多いし、そもそも障害だって認識を持つのが難しいんですよ。
それまでのボンヤリした「なんか社会に溶け込めない」ってのが
障害の概念を理解してやっとそこで形になるんですよ。こういう理由でダメだったのか、と。
そもそもADHDはADHDじゃない人の世界を知らないんですよ。その障害の存在を知らん限り。
こういった自己認知への情報を「隠せ」ってのはどうなんですかそれ。
そもそも「大人のADHD」ってのは厚労省的には存在しないことになってて、子供の頃しか
治療は受けられないんですよ。
「自分を正しく理解するチャンスを失わせろ」ってあまりにヒドイ話じゃないですかね。
ADHDは割りと、「何も知らずに努力してもどうにもならん」とこのある障害です。
ADHDの人が他人に迷惑をかけず生活するのは、例えれば「人差し指が無い状態で箸を使う」みたいなものに近い。
「あ、そうか俺人差し指無いんだ。ってことは、他人と同じことを同じようにしようとしてもダメなんだ」
って気づくことが何より大事なんですよ。なんすかそれ、「パーソナリティー形成に悪影響」って。
そんなもの如きのために社会適応への足がかりを捨てろっつーんですかね。
自分を取り巻く苦しい状況の原因が全く不明なままの努力をしろ、あるいは強いろって言うんですかね。
それはあなた、人差し指の無い子供に「皆と同じように箸を使え」って言うのと同じですよ。
箸を使うっていう動作自体は同じでも、全く違うメソッドが必要になるわけなんですよ。ADHDにとっての社会生活はそういうものです。
とはいえ、「俺人差し指無いから箸が使えなくて当たり前」ってADHDの人間も嫌いですがね。
無いなら無いなりになんとか生きていくしかないわけで。最低限、他人様を納得させる努力くらいしろ、さもなければ死ねとは思う。
リベラルで理性的なコメントが優勢な「はてな」ですら、違法薬物については俗っぽい厳罰論が優勢なことに私は驚いている。
ヨーロッパやオーストラリアでは、違法薬物に対して厳罰主義ではなく実害最小化主義(Harm Minimization、適切な訳語が見つからないので私の感性に基づいて直訳した)の姿勢をとっている。発展途上国、シンガポールや韓国などの開発独裁国、ならびに日本は厳罰主義である。アメリカ合衆国は中間ぐらいだ。実害最小化主義は即ち危険や害悪の元を絶つことは不可能であるから、それらが存在しうる前提で実害を最小限に使用という試みであって、性風俗産業にコンドームを配布するとか、薬物使用されうる繁華街などで使い捨ての注射器を配ったりするとかがそれにあたる。なお実害最小化主義においても、違法売春の元締めや違法薬物の流通に関しては極めて厳しい罰則が定められている。したがって違法薬物の使用者は弱者であり守られるべきであるが、それらを食い物にして金を儲ける奴はけしからん、というある種の優しさからくる社会正義に基づいているといえる。賛否両論はあるだろうし偏見に基づく価値基準であることは否めないが、ヨーロッパ諸国と発展途上国のどちらが人類に最適化された社会システムを持っているかは、少なくとも私にとっては疑いの余地がない。日本は先進国として実害最小化主義に軸足を移すべきである。「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」なんて全くナンセンスであって、人間の価値は覚醒剤の使用で毀損されるほど不安定なものではない。「間接的に反社会勢力の資金源に・・・」とかいう話は置いておくならば、他人に何ら実害を与えていない違法薬物使用者を極悪人のように仕立て上げて報道するのは間違っている。
モルヒネで前後不覚になって職務遂行不能であったならともかく、社会生活に支障の無いリラクゼーション・ユースの覚醒剤使用で逮捕された校長先生の作曲した校歌を変える、チャゲアスの楽曲が使われているテレビ番組の現場が騒然、とか全く的外れもいいところである。それならば全員ヤク中、それもMDMAなんていうヤワなもんじゃない、皿に山盛りのヘロインとかコカインでパーティーやりながらレコーディングしていたMiles DavisやJohn Coltraneが作ったアルバムなんて完全に発禁だし、現代音楽も基になるバークリー音楽理論なんてそいつらが発展させたようなもんなんだから、違法薬物抜きには語れない現代の商業音楽作品は全て発禁だ。
そもそも私はモルヒネやヘロインなど「狭義の麻薬」を使用するのはやめた方がよいと思う。しかしMDMAのような穏やかで感染リスクのない覚醒剤や、身体依存の全くない大麻と、合法である酒やタバコを仕切る境目に合理性を見いだせない。後者は薬理作用の他に食品や嗜好品としての味わいがあるが、大半の使用者はこれらを薬物として摂取している。なぜか問題にされないが、特に飲酒の害悪は恐ろしい。加害者がそれなりの社会的立場を有している場合の喧嘩やセクハラなどは大半が飲酒による酩酊のせいといっても過言ではない。覚醒剤使用で懲戒免職なら、飲酒して他人に絡んだら懲役の実刑ぐらいじゃないと釣り合わないと思うぐらいだ。
だからASKAとか槇原敬之とかミュージシャンが薬やってたって騒ぐことじゃないし、「やまとなでしこ」も「ホテル」も再放送で観たいし、大麻くんは大野やってないよ。
勢いで描いたので多分に偏見や引用が不十分な部分があることは自覚しています。「アスカに覚醒剤を教えたのはチャゲであって、チャゲは「残念です」とかコメントしてる場合じゃない、自分が黒幕のくせして。見た目的に。」ぐらいの偏見で書いてる。ごめん。
これなんて自分、って思った。数年前までの自分がまさにこれだった。
わたしも学生時代もずっと寝ていて、とにかくいつも眠い。仕事を始めて仕事中にフラッシュ睡眠(一瞬だけ寝るのだけれどその間に長い夢とか見てて時間の感覚がおかしくなる)を繰り返して仕事にならないのでヤバいと思って病院に行ったらたぶん特発性仮眠症って言われた。自分は好きなことを仕事にしているのに、やりたいことなのに寝てしまう。人に迷惑をかけてしまう、なんてダメ人間なんだってずっと思ってた。でも病院へ行って「あなたは睡眠障害ですよー」って言われたら少し気持ちは楽になった。そんで薬をだしてもらって「全く眠くない」というのをはじめて体験して、なんだこれは、みんな眠くないってこういうことなのか、と感動した。病気のせいにしたら少し気分が楽になったよ。
でもその後もずっとリタリンとベタナミン(当時もダフィニルはまだでまわってなかった)で無理矢理覚醒させて仕事をこなしてた。周りの理解もなかったし、家族の理解もなかったし、薬で無理矢理自分にむち打って生きてた。そうしないと社会人できなかったし、社会人しないと生きられなかったし。
ほんで、ある時仕事をやめて薬もやめた。妊娠出産子育てもした。その間いっさい薬は飲んでいないんだけど、昼間のフラッシュ睡眠でなくなった。なぜなら、毎日12時間寝ていられたから。子供と一緒に昼寝もするし、夜も7時半に寝ちゃう。だいたい10時間寝ると、フラッシュ睡眠もなければ、吐き気もフラフラもない。薬なくてもちゃんと目が覚めている。つまり、わたしは病気なんじゃなくて「障害」なんだよな、って気づいた。つまり、世間一般の時間のサイクルにはあわせられない障害者。逆にあわせなくてよければ、薬なんて必要ない。まぁ、わたしの場合本当はロングスリーパーで、それなのに通常の社会生活を営もうとして無理が来て特発性仮眠症みたいになったんだろうと思う。
今子育てに一段落ついて、社会に戻ろうかと思っている。しかし、また薬で自分にむち打って生きていくというのが正しい選択なのか、迷っている。じゃあ薬を飲まないで、一般社会の時間についていけないとしたら、どうやって仕事をしてお金を稼ぐのか? って考えるとなかなか難しい。
睡眠障害の一番辛いのは、どんどん自己嫌悪に陥っていくことだと思う。なぜなら、眠たいだけだから。普通に起きられる人からはたぶん想像がつかないレベルの眠気。ナルコレプシーとかだともっとキョーレツだろうけれど、特発性仮眠症だってきつい。意思とか根性とかで太刀打ちできないレベル。
薬で無理矢理健常者のフリをして生きていくべきか。でもあくまでフリであって、どこかで無理が来る、そしてそのときに「病気の製にして甘えるな」って言われる。じゃぁ、最初から健常者の世界を目指さないで違う方向へ行くべきか? それで自分が納得できるのか?
薬で無理矢理生きていた頃、体は辛かったし、自己嫌悪にもいつも苛まれた。でも、薬のおかげで起きていられて、やりたい仕事ができて、仕事仲間や友人付き合いもできて、人生はとても豊かだったことも事実。
当時は、車の運転は絶対してはいけないと自分に言い聞かせて、ペーパードライバー更新しないで無免許になった。最近、自分は夜十分寝ればフラッシュ睡眠がでないことがわかったので、免許取り直したよ。
どうやって生きていくのが、心の苦しみが少なくてすむのかなぁ...
元増田、なんて励ましていいのかわかんないけど、自分のせいではなくて病気のせい、でいいんじゃないかなぁ... それから、自分の辛くないくらい寝て生きていく方法を模索するのも手じゃないかなぁ、と、自分の今後も含めて感じているところ。
自分が他人の行動を受けて不快に思っている事について、最近改めて考えてみると
自分も別の他人に同じような行動をかましていることに気が付いた。
物凄い自己嫌悪に襲われて、ここ数日嫌な気分が続いている。
このように抽象的に書くと自己を反省する善い行動に見えるかもしれないが、
上司や先輩からされている嫌な行動を年下の女子社員にはしている自分
ほら、嫌な奴だろう。最低だろう。
ちなみに、自分は40代のおっさんだ。猶更嫌な奴イメージが増しただろう。
相手が男性だとあまり腹が立たないのに、女性(特に若い女性)だと同じ事象でも腹が立つので
自分はいわゆるステレオタイプな「嫌な奴」なんだなあと感じる。
さりとて、沸き起こってくる嫌な感情はどうすれば良いのか途方に暮れる。
無駄な脳の働きなのではないかと思える。
まるで通勤電車内での腹痛の様に無駄で、迷惑で、誰の得にもなってない。
嫌な感情を湧き起こす部分だけ、自分の脳に死んでほしい。活動停止して欲しい。
どう考えたっておかしい。そもそもロリモノの所持を規制している理由がわからない。
そりゃ実際に小さい子がセックスをしているような実写の動画は、それをやる子が必要という意味で
制作できないというのは分かる。だから制作を規制する、というのは分かる。しかし、なぜ所持が規制されている?
そういったものを見ると実際にそういう犯罪に手を染める可能性が、とか言うならば、SMモノも規制しろ。
女を殴ったり首を絞めたりする行為を実際に社会生活でおこなったらとんでもないことだぞ。
それとの違いを説明できないのならば、せめて実写ものでない、創作モノの所持制作は許容すべきだ。
自分は社会生活に必要ななにかしらの素質みたいのが欠如してるから、ぼっちは本当に楽でいい。
なにかしらの集団に所属してると、大抵の場合その団体の規律とか全体の向かう方向性みたいなものがある。
もちろんこれは社会人になったら絶対に必要なものなのだと思う。
だけれど、とにかくそういうのが面倒くさくて、大学生のうちは集団に所属しようとは思わなかった。
自分のしたいことをしたかったし、自分のしたくないことはしたくなかった。
集団の規律は、個人のしたいしたくないといった意思を無視して、統制をとるためのシステムだし
そういうものに逐一とらわれるのは非常に不満だった。
それに、そもそも一番の感心事は他の人ではなくて、自分そのものだ。
他の人がどうしたとか、どうなったとかそんなことはどうでもよくて、自分がなにをしたいか何を考えているかが一番重要だ。
自分は一時期、音楽系サークルに所属していたが、非常に飲み会が不満だった。
酒ばかりだして飯がほとんどでない安っぽい飲み屋に毎回お金を払わされるのが不満だった。
ライヴはたのしいが、飲み会はつまらない(そして、つまらないほうにお金を払わされるという最高の不愉快)
そこでライヴだけ参加して飲み会に毎回欠席していると、語らいの場には来いという指令がだされた。
何が語らいの場だ。酒ばっかりのんでなんにも考えてないくせに。アル中になって死んじまえ。
そしてサークルをやめた。自分のしたいことを強制されるような集団に所属するつもりはない。
だれにもなににも従う必要はないし、自分のしたいことをすきなだけすればいい。
社交辞令的に友達とかと遊びに行く必要はないし、先輩に媚びる必要もない(たいていはクズだ)
自分のしたいことをすればいいし、自分のしたくないことはしなくていい。
すばらしいではないか!
ところで、こんな生活をしばらく続けていれば、いつのまにか少し友達もできる。
サークルのやつらは牛の糞みたいなやつらばかりだったが
学科や、そのほかの交流でできた友人は比較的いいやつだったし、個人的にも興味が持てた。
集団に所属するのではなくて、自分から少しづつ関わりをみたいなものを作っていくほうがいい。
そして、最終的には自分で自分の納得のいく集団をつくればいい。
ダメなぼっちは、永遠に自分の中だけで生き方を完結させている。それではだめだ。
「服なんて何着ても一緒、結局顔だろ顔」
高い服着たブサイクと、安い服着たイケメンの画像が2ちゃんねるにあったけど、この手のことを言う人はほぼ間違いなくダサい人だと思います。
そう見えるのは、服を見る目がボヤけてるからです。
ド近眼の人がちょっと離れて人を見ると、白いシャツを着ているなとか、青いジーンズを履いているなとか、服を漠然としか認識できないのとまるっきり一緒で、ダサい人はそれがバンドオブアウトサイダーズの3万円する白のオックスフォードシャツであろうと、2000円のユニクロの同じシャツであろうと、値札を見るまで違いがわかりません。同じ白いシャツと思ってるのです。
だからか、ダサい人はメニューの多い安っぽいファミレスみたいに、いろんな服に手を出しがちです。一杯のおいしいコーヒーを飲むよりも、ドリンクバーで不味いいろんなジュースを飲む方が嬉しいんでしょう。
例えば変な形のシャツだとか、変わった色のジーンズとか、そういうキワモノを選んでから色の合わせ方がわからないとか、コーディネートを考えるのが面倒だとか方向性の間違った悩みを持ちます。
違います。
例えば一番ベーシックな白のオックスフォードのボタンダウンシャツでも、安いとこではユニクロ、無印、5000円~1万前後ではJクルー、バギー、各セレクトショップオリジナル、ポロラルフローレン、1万5000円~ではギャンバート、ニューイングランドシャツ、ギットマン、インディビ、RRL、3万円前後ではメゾンキツネ、バンドオブアウトサイダーズ、ギャルソンシャツと多種多様です。上にあげたものは全て余計なデザインのされていない、ただの白シャツです。ですが、それぞれ生地の質感だったり、襟の形だったり、着たときのサイズバランスだったりが少しずつ違ってきます。
この中から、一番自分に似合うものを探すのが、おしゃれをするということです。決して10色のオックスフォードシャツを集めることではないです。(オックスフォード地でベーシックと言えるのは、白、ライトブルー、あとせいぜい薄いピンクの三色)
もっと言うと、同じインディビの白オックスでもフィットが3種類、生地も3種類あります。でもより自分にピッタリのものが欲しいという人が結構いて、個人向けのカスタムオーダーもやってたりします。
これらの同じ服を何種類も着て、自分に一番しっくりくるものを見つけて、それを長いこと着続け、ダメになったらまた買いなおす、これの繰り返しです。(余裕があれば、買える時に同じものを何着も買っといた方が賢い)
ジーンズやチノパン、革靴、ジャケットなんかの他の服も全て一緒です。よりベーシックでより自分に似合うものを探す。
その後はコーディネートなんて別に考えなくても良いんです。
白Tシャツの上に白シャツ、ジーンズに茶色の革靴だったら、せいぜい袖はまくるかまくらないかとか、ジーンズの裾を折り返す幅、回数とかそんなぐらいです。
服に回すお金がない、興味がないという人だったら上の格好で全身ユニクロでも構いません。おしゃれに興味はないけど、特別ダサくもない人にはなれます。
そんなわけで、しまむらは絶対にやめましょう。
4/15追記(編集できることに気づいたので、返信っぽいのを載せておきます。)
「ダサいんじゃなくてオシャレなんて興味ないだけ。何上から目線で言ってるの? キモー」
オシャレに興味がないことをダサいことの言い訳にする人はやっぱりダサいです。オシャレしてもモテるようにならない、だからオシャレなんて意味がないって言うのなら、あなたは物事を下半身でしか価値判断できないってことじゃないですか。そんな人生絶望するしかないです。そもそもオシャレ=モテることじゃないんです。オシャレ=モテだと思っている人は、ダサいです。オシャレに興味がない人でも、ダサい人とダサくない人がいるんです。
普通の人は誰ひとりとして人生を変えるために服なんて選んでません。服は社会生活を送る上で、毎日必ず着なきゃいけないものだから仕方なく選んでるんです。たとえ興味がなくても「選ばない」という選択肢はとれません。唯一、メタな解釈で「選ばない」という選択肢にあたるのが、ベーシックな服だけを着るということです。
「 ダウト。安いものでもコーディネートしてオシャレに見せるのがオシャレ」
違います。前時代的な服ヲタに多いけど、コーディネートに特別な才能が必要だと思っている人は、間違いなくダサいです。コーディネートは、料理の塩加減みたいなものです。味付けでリカバーしなきゃいけないのは、使ってる素材がおかしいからです。まずマトモな素材を使うことです。その上で素材の味をより引き出す最高の味付けを考えるのは、上級者だけで十分です。普通レベルの人には関係ありません。あなたみたいな服に興味がない人ならなおさらです。あとユニクロと無印は安くてもアリですが、H&MとZARAはなしです。GUに半額で同じことやられてます。
違います。色も選ばなくていいんです。シャツなら白、ジーンズなら青、チノパンならベージュ、カーゴパンツならオリーブドラブ、スウェットなら霜降りグレー、ブレザーなら紺、というようにベーシックな服にはオリジナルな色があります。それだけ着てればいいんです。
「繊細な感覚はどうやって身につけるのかが書かれてない」
書いてます。同じものを何種類も着て経験を積むことだけです。料亭の味噌汁とだしの素の味噌汁、違いがわかるようになるには何度も飲み比べるしかないでしょう。お金がなくて料亭にいけない、もしくは何度飲んでもわからない味覚音痴なら、それはどうにもなりません。黙ってユニクロを着ましょう。
「オシャレは結局顔だ、の画像に対して答えられていない」
あの画像を作った人は性格が悪いです。イケメン白人の横に、ヤバめの服オタと脱ヲタビギン君を並べてどれがいいかってそんなの決まってます。
あの画像の左の2人は、小木“POGGY”基史と八木沢店長にすべきです。まあイケメン白人が一番モテるのは一緒です。
「セレクトショップの店員にコーディネートしてもらうのが一番」
大学を出たかもわからないようなショップ店員にどうしてもアドバイスを請いたいのなら、あたまに「来年も置いてあるものだけで」と付けてください。
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