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2015-09-21

安保法制民主主義とは何か?

もし、安保法制の中身に賛成でも手続きおかしければ反対して欲しいんですね。

今回は皆様も感じていらっしゃるように民主主義手続きが踏まれていないと思います

こういうとね、多くの愚かな政治学者を含めて「民主主義とは多数決からそれでいいんだ」と応えるかもしれませんね。

それが何故愚かなのかというとね、政治思想歴史を知らないからなんです。

それは具体的にはルソーによるロックの反駁として知られています

ルソーロック流のある種の代議制民主主義をこう言ったんです。

選挙ときだけ参加して、あとは奴隷になる仕組みだ」

ですので、代議制は必ず、デモその他に国民たちが絶えず参加することで補完されなければならないとされた。

まり民主主義とは何かといいますと「参加による自治」のことをいいます

まず、ここまでが前置きです。


分かっていただけましたか(繰り返しましょう)。

まず、民主主義本質とは「参加して、自治すること」です。

このルソーの反駁として知られる有名な議論も含めて、当初、民主主義は小さな規模で考えられていました。

ところが、アメリカのような大きな国が(あるいはヨーロッパ20世紀に大きな国になっていきますが)

出現したとき、考え出されたのが「共和」というシステムなんですね。

それは、民主主義的な自治のスモールユニット(小さな単位)が共生するため、

アメリカなら「連邦」を作る、

ヨーロッパなら(補完性の原則に基づいて)できるだけ下の単位で決め、できないことを上にあげていく、

そのように運営されている仕組みのことです。

民主主義とは「多数決”ではなく”」、基本的には「自治なのである」ということなのです。

もっと言えば、自治の本質とは「代議士に任せない」ということなんですね。

そういうことを知った上でモノを言っている人がどれだけいるのでしょうね。


また、そういったことについて考えてみると、日本おかしな仕組みで「党議拘束」というものがあります

これね、英語でいうと、これに相当する英語は無いんですよ。

海外では「無理やり党の決定に従わせること」という一文に置き換えられています

ひどいでしょう?個人がいくら公約したところで、その意味剥奪されてしまっている。

個人が公約するところが全く無意味になってしまっている。

さらに、国会審議の意味さえ失われる事態になっている。

党が決め、その党が多数を占めてシナリオを描いてその通りに進む審議に何の意味もないではないですか。

まるで国会には民主主義存在しないかのようです。


また、勘違いされている方が多いのですが、今回の法案自民党に利するところより官僚に利するところが多い。

官僚権限無限の拡大が疑われているのが国会審議で分かりつつあります

法案の中に歯止めとなる部分が無い、政府の思うままにことを動かせる内容です。

政府」というと一見すると安部政権であるように思われますが「そうではありません」。

政権はあるとき必ず変わりますしかし、変わら無いもの根底に流れ続けている。

それが「官僚機構」です。

官僚機構が(自衛隊安全確保基準も無いまま派兵ができようなっているなど)絶大な権限を得るような内容になっている。

それが今回の法案です。自民党はそうとは知らずに片棒を担いでいるに過ぎません。

安部政権自民政権がそのままならばいいでしょう。その権限の一部を彼らが行使できるわけですから

しかし、次はどこが政権を取るのかは誰にも分からないのです。

自民党安部氏を応援している方々は、そうした政権(たとえば民主党公明党)に、

そうした権限を与えても問題無い、とお考えでしょうか?

鴻池氏の言動に幾ばくかの逡巡が見られた方もいらっしゃるしょうが、実はそのあたりだと思われます

「最小限度基準」なども書かれておらず、「安全基準」も書かれていない。

権限ときの(誰が握るか分からない!)政権無限に使わせないための「歯止め」がない。

合理的判断して」など、ようするにとき政府総合的に判断する、と。どうにでもなる内容で書かれているのです。

今回、残念なことに「違憲かどうか」にかなり焦点が当てられてしまったが故に注目が薄いのですが、

違憲」をひとまず横に置いておいたとしても、「法律としてあまりにも問題が多い」んです。

ここで知っておいて頂きたいのですが、「一旦法律としてできてしまったら、それが取り消されない限り有効」です。

最高裁判所違憲判決が出されるか、次の政権が廃案にしない限り、有効であり続ける。

とうことは、次の政権官僚機構無限権限行使を許すことになる、ということです。

(続きはWEBで!)

日本は本当に民主主義の国なのか?」

http://www.tbs.co.jp/radio/dc/fri/

2015-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20150920202220

元増田記事を逆に解釈してないか?

安保法に反対する人ってなんで反対なんだろう?」って読んでないか?

http://anond.hatelabo.jp/20150920202220

そういう人等が安保法に賛成するの?

逆じゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20150920175456

なんで「安保賛成=中国の横暴を許さない」で「安保反対=中国の横暴を許す」なんですかあ?

どっちにも根拠ないですよね?

安保法に賛成する人ってなんで賛成なんだろう

個別的自衛権集団的自衛権の違いを理解して、本当に日本必要だと考えてのことなんだろうか。

非正規社会底辺にいる癖に自民を支持したり安保賛成とか

そんなんだから非正規なんだよ

シールズはボロクソに批判されるのに、

選挙国民に選ばれた政治家が強権的に法案を通そうとしたぐらいで、

国会を占拠しちゃった台湾学生ってなんで非難されなかったの?

安保法案も、台湾政府が通そうとした法案

世論調査見ると同じくらい反対が多いのにさ

安保問題について

ここ数日、安保問題についてテレビではかなりの時間報道されている。

国会での騒ぎやシールズの人たちがデモをやっているのはわかったど

中身については正直よくわからん

お互いの主張の根拠、それぞれの主張のメリットデメリットはなんなんだろう。

シールズのひとたちが言ってるように

戦争はよくないってのは普通に考えてだれもが納得できる話なんじゃないのか。

そのうえで中国の脅威を牽制していかないとアメリカいつまでも

日本を守ってくらないんだぞとかその辺のことを説明してほしい。

てか、おまいらそんなの全部分かった上で

反対とか賛成とか言ってる人たちなん?

日本人は、神輿を壊さず、現実に合わない部分は変えていくのが得意

ここ最近安保関連法案の騒動を見ていて、鎌倉幕府制度関係に想いを馳せた。


御存知の通り、鎌倉幕府は長期にわたって日本支配した初の武士政権ではあるが、長である将軍の力は初期において奪われ、そのあと数百年にわたって政治を動かしたのは北条家であり、彼等の代表執権として辣腕を振るっていた。

御成敗式目」という日本最初武家による法律を定めたのも鎌倉幕府だった。これも、お題目として後世にわたって尊重されてきたものの、内実は有名無実化して、現実に沿った行政が行われるようになった。

この手のことは鎌倉幕府のみならず、そのあとも幾度と無く繰り返されてきた。家祖の定めたものを壊すことはままならない。しか理想現実は食い違うばかり。西洋では、現実理想に近づけるか、理想現実に沿ったものへと変えようという試みが行われるのだが、日本では、理想を掲げながら「現実は違うよね」と開き直ってその場その場で恣意的運用を行い、たまに「お上」が理想ふいに持ちだして厳格な処罰を行い現場の引き締めを図る……こういうやり方を続けてきた。

家祖の定めたものは素晴らしい、変えてはならない、変えようとする人間は悪逆非道の大悪党だと罵るくせに、現実とそぐわない面には頑として従わず、従わないを当然と思い、「柔軟アな対応」と誇る。法を完全無視するほどの人治主義でもないが、かといって法治主義でもない。法や権威尊重し、時々それによって引き締めを図る程度にはその支配力を認めるけれども、普段は臨機応変な対応対応するというこの考え方を、なんというのだろうね?

神輿となったものを壊さず、作り替えたり新しい神輿を作り上げたりすることもせずに、それはそれで担ぎながら、現実はそれとは異なる対応を行い、人々もそれに従うというものだ。

日本国憲法もどうやら、その段階に入ったらしい、平和主義という理想理想として素晴らしいと誰もが思い、この理想を下ろす気はない。しかし、理想と相容れない現実中国が圧倒的な軍事力を背景に周辺国政治支配しようと目論む)が現れたときに、憲法はそのままにして、法運用解釈を変えることで対処しようとしている。日本社会のこれまでのあり方そのものじゃないか。

日本の歴史社会がそのようなものから、それを是として受け入れていくべきか、それとも西洋流の方法を是として、日本社会を変えていくべきか……悩ましき問題だ。

護憲派改憲派も、憲法9条に対する検証が不十分

安保法案話題となっているので、自分憲法に対する意見を書きたくなった。

憲法論議を見ていて、憲法9条に対する検証が不十分だと感じている。

護憲派は「憲法9条には、日本戦争から守る力がある」と主張する一方、

改憲派は「憲法9条のせいで、日本戦争侵略危機さらされている」と言っている。

しかし、

憲法9条がある→日本平和日本危険

というのは飛躍がある。

憲法9条がある→○○という結果となる→△△という結果となる→……→日本平和危険

と詳細に因果関係説明してほしい。

http://okwave.jp/qa/q8610114.html

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070226/263272/

そのためには憲法9条が、

日本の政治家の心理や行動にどのような影響を及ぼしたか

自衛隊員心理や行動にどのような影響を及ぼしたか

在日米軍心理や行動にどのような影響を及ぼしたか

周辺国心理や行動にどのような影響を及ぼしたか

など、憲法9条が与えた影響を全て検証する必要があると思う。

憲法9条に対する綿密な検証の結果、

憲法9条によって、重大な危機さらされている(さらされる可能性がある)」

という結論に達すれば、改憲派が正しいということになる。

ただし、

憲法9条があってもなくても、国民生命国家の存立にそれほど影響がない」

という結論では不十分である

憲法9条があってもなくても大差ないのであれば、崇高な理想である憲法9条を「外交宣言」として掲げ続けたほうが日本名誉となる。

http://shuchi.php.co.jp/article/1905

現に憲法9条評価する声は国内外に少なから存在している。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45328

http://www.article-9.org/whynot9/sb/log/eid15.html

しかも、今回の安保法案によって「憲法9条のせいで日本危険」という主張の説得力が弱まったのではないか。

http://blogos.com/article/123562/

一方、「憲法9条によって、日本戦争から守られている」という結論でも、

憲法9条があってもなくても、国民生命国家の存立にそれほど影響がない」という結論でも、

護憲派の勝利である

しかし、護憲派は、速やかかつ緻密な検証が求められる。

なぜなら、中国北朝鮮に対して国民が少しでも不安を感じたら、すぐに改憲派に傾くからである

改憲派危機をあおっているだけという主張もあるが、それだけでは世論が納得しないだろう)

したがって、「憲法9条があるからこそ、中国北朝鮮の脅威から守られる」

もしくは「憲法9条があっても、中国北朝鮮対処できる」と、

護憲派証明しなければならない。

自民党政権のせいで、憲法9条がこれまで活かされてこなかったという主張もありえよう。

しかし、その場合は、

憲法9条を活かして○○と、△△と、□□と、…をすべきである。そうすると、、

・●●に~~影響というを及ぼす

・▲▲に~~影響というを及ぼす

・■■に~~影響というを及ぼす

(中略)

という因果関係をもたらす。」

のように、憲法9条を活かした外交防衛政策の案を主張し、さらにそれがもたらす因果関係シミュレーションすべきである

このシミュレーションには、戦後70年において憲法9条が果たした役割に関する検証結果必要であろう。

また、主張の際は自衛隊日米安保条約にも言及してほしい。

長々と書いたが、結論は「憲法9条日本平和にしているのか、それとも危険にしているのか、きちんと検証してほしい」ということである

原発安保もそうだけど、

SNS政治的なことばっかりシェアするやつって、

基本的に頭悪いやつか、頭おかしいやつか、学歴はいいんだけど社会でクソの役にも立ってないやつが多いな。

安保法案反対派の立場として野党に感じた恐怖

山本太郎牛歩戦術とか、大乱闘委員会とかあったじゃん?

俺あれを見て「頑張れ」って思っちゃったのよ。これって結構怖い事だなぁって感じてる。

正義」を守るために悪いことをすることを良しとする気持ちを知ったわ。


でもさー憲法に明らかに反した法案なんでしょ?だったら改憲のための国民投票やれよ!それだよ!少なくとも俺はそこだけなんだよ。

それでだめだったら何でもやればいいよ。ルール守れよ!


そんで、その後の野党の行動が解釈憲法れべるの姑息な事やってたじゃん?それはダメでしょ?

一緒じゃん!

あと、シミュレーションっていうテクニックがある時点でサッカー選手スポーツマンシップを語るな。

でも、色んな国に一杯金払って良い国ぶってるんだから戦争パスしていいじゃん?っていう気持ちもあるわ。

2015-09-19

自称頭いいやつ」特徴 1、プロセス軽視 2、詭弁を使ってでも議論に勝ちたがる 3、自分の信念は晒さず信念あるやつをただ冷笑するのみ

とりあえず一つだけ確実に言えることは、特に2番に要注意だということです。

議論に勝つことを優先する余り、露骨すぎる詭弁を使っているのにそれに気づかない人には近づいちゃ駄目だということです。 

そういう人たちは、自分の正しさを全く疑わないので、たとえ8割正しいことをいっていたとしても、2割の間違いでみんなを巻き込んで滅びます

他人を見るとき大事なことは、8割正しいことを強気でいえることじゃなくて、時々だれでもおかす間違いに対して、どういう対応をするかです。

2番と3番が合わさると、都合が悪くなったらすぐにポジションチェンジしまから、まともに信じてついていくとバカをみます

彼らは政治家ではなく投資家です。 常に分のいいポジションに貼るだけで信念などありません。 社会かえる力もなければそのつもりもない。

そういう人たちを信じてついていくなら、第一に学ぶべきは、彼らの語る言葉ではなく、自分たちもすぐにポジションを変える節操の無さです。
















http://anond.hatelabo.jp/20150920001448

言い逃げか。とりあえず「必死そう」なやつをみかけたらおちょくって楽しむって感じかな。

うそういうことでしか楽しみを感じられなくなってるのかな。

詭弁とかそういうレベルですら無いなこれ。 怒る気にもなれないよ。かわいそうにな。。。

http://anond.hatelabo.jp/20150919225110

佐々木さんはそういう人なのかもしれないけど、ホリエさんもよくわからん地頭いいはずなのに、なんで安保法制みたいな、「いやそれ一般人判断するためには開示されている情報足らないでしょ」的な話であんな自信を持って話せるんだろうか。炎上させてホッテントリの実績作り、生活のためのPV稼ぎましょう的な芸風?だとしたら可哀想立場だね、としか。。。今をときめくIT長者が高知の二十代ブロガーと同じ立場にまで落ちたんだ。。。諸行無常。。。

安保おじさんの睡眠時間帯わかりやすすぎwwwwwww

安保論点複数あるよ

議論の際には、よく「論点がずれている」というが、

安保って法律としては大きな範囲のものから

重要論点

海外との関係(これが一番影響でかい

集団的自衛権個別自衛権

憲法改正必要性

の3つあって論点がまず複数あると言う前提で話さないと全体が見えなくなるよ。

ロジックエモーションに勝てるのははてな村だけ

ロジックエモーションに勝てないとかいって絶望している人がいるけど、バカじゃないのと思う。

ロジックあくまで何か目的を達成するための道具でしかなくて、その目的エモーションで定まる。エモーションロジックははっきりした上下関係があり、目的を定めるエモーションの方が道具であるロジックより上。エモーションに対抗するためにロジックを使おうなんて、他人目的が間違っているから、手段を変えよう、みたいな意味からない話になる。そもそも、ロジックがそんなに大事あなたは、死ぬ時に「あー、もっとロジカルに生きたかった」って思うの?

あと、今回の安保法案で、Sealsとか共産党とかよくわからない感情論を言っているのは間違いないが、賛成派だってそんなにロジカルなわけではないと思う。賛成派の「ロジック」は

A 安保法案を成立させることで、日米同盟が強固になる

B Aの結果、中国が攻めてくる可能性が下がる

C Aの結果、中国が攻めてきた時に米国日本の側に立ち中国に対して宣戦布告する

だろうとおもう。まず、Aが不明所詮日本アメリカにとってはアジアの元枢軸国エシュロン対象国家だし、どこまで強固になるのかについての少しでも定量的分析は見たことがない。Bも定量的効果不明日米安保があり、大統領が繰り返し尖閣に対する米国コミットを表明している現状で、安保法案によってどれだけ追加的な便益があるのかについて、論じている議論は見たことがない。Cも定量的効果不明。いざというとき中国を切り日本を選ぶ選択をするかどうかは、「日本がどれだけ誠意をみせるか」よりも、ずっとずっと米国国内事情民主党共和党か、米中の経済的相互依存がどれだけ強いか、日系人アメリカ政治にどれだけ影響力を持つか、など)が大事だろうと思う。アメリカは、第二次大戦当時、ロンドン米国世界一仲がいい国家首都)がドイツ米国との経済的相互依存は高くない)に空爆されているときでも、イギリス側に立った参戦は行わなかった。Cの定量的効果不明しか

もちろん、反対派の「イラク戦争みたいな戦争に巻き込まれ日本人が殺される」「テロ対象国になる」「国際的な評判が下がる」的な意見も、定量的な測定はされていない。メリットデメリットのどちらも定量化してない、それどころか数字仮置きによる定量化の試みすら行われていない現状で、ロジカル決断ってどうやるのwそもそもメリットデメリット比較考量した分析も見たことない。みんな賛成か反対かどちらかばかりで。

賛成だとか反対だとかをどうでもよくさせる人達

安保法案可決に関して、結局のところ何がアレを可決まで進めてしまったのか。っていうのはもう国民性とかの問題ではない。

単純に政治家というものの質がアレを可決に進めてしまったのだろう。

端的に言えば『嘘吐きがいるならそっちの方は信用しないほうが良いんだね』と皆が思ったまでのことだ。

それが政治家のやり口だ。

 

国会前に集まった人間達も、反対だと言って止めている人間達も一人の暴走しすぎる人間が行った暴走を見て

識者が『犯罪紛いの行動して反対するのはテロと変わらないんじゃねえか』と言ってしまえば

犯罪紛いの集団、と呼ばれ、暴力を揮ってNOと言わせようとした愚か者と呼ばれ、そいつらの言ってることが当たってようが当たってまいが却下されてしまうのだ。

 

とかそういうのはもう十分議論されてると思うし、安倍ちゃんとかもそういうのに『最初は強く押して後は流れで』みたいなこと言ってんだろうなってぐらい茶番が酷くなってきた。

まぁ、もしそういう打ち合わせ無しに『Isayするな』とか言ってたら本当に馬鹿だし、その後『手は出しておりません』とか言ってるのも一度裁判沙汰にならないと理解できないレベル、だったりするんだと思う。

 

どちらにせよ、そういう政治家は取っ払っていかないと二大政党にしている意味合いは無い。

与党とそれの法案にとりあえず反対したいけどよくわからないから暴れながら賛成する馬鹿達にしかなっていないから

 

国民理解とかじゃない。

選挙の時点でそれを篩い落としていけるよう、今後も頑張っていきましょうね。

この一週間で安保法制に対するスタンスが変わりすぎ

なんか一週間ぐらい前から急に、

安保法制を支持するブコメとそれらに対するスターが増えて、

反対意見とそれに対するスターが激減した。

はてな住人のスタンスが変わったのか、

業者が大挙したか

粛清されたのか。

みんな憲法違反だし欺瞞だし過剰な対米追従だって言ってたのが、

レッテル貼りする野党がアホだとか、

SEALDs分別のないガキだみたいなことばっか言ってる。

ひょっとして飽きちゃったの?

私はなぜ安保法案消極的賛成で、何を心配しているのか?

安保法案をめぐるここ一連の流れは、今まで日本という国と国民が先送りしてきた諸々の問題が噴出してきた感がある。それは安全保障だけでなく、日本行政機構構造問題や、ともすると太平洋戦争に至る過程・戦中の流れ・戦後の総括についての話題も含まれるようだ。

先に、これを書いている私個人の意見を述べておくと、憲法違反疑念問題を除けば、安保法案消極的賛成だ。「後ろ向き」賛成ともいう。

  1. 憲法違反の件はヤバイ。あれは下手をすると「政府は何やってもOK」という意味になるから
  2. でも憲法との整合性がとれているなら、安全保障の面では、安保法案で示される流れについては理解しないでもない。
  3. 安全保障の面で理解しないでもない」とはいものの、その舵取りを現在三権行政立法司法)に任せたら、枕を高くして寝ることは一生無理ではないか――という不信感がある。

たぶん、この3点は、程度の差があれども(で、程度の差によって意見が分かれるところだろうけど)、普通日本国民の誰もが感じていることではないだろうか。

憲法違反問題

安保法案憲法違反疑念がある問題は、安保法案主題としている安全保障とは別のところで、大問題だといえる。

乱暴に言えば、「オレオレ憲法解釈」で物事を進めてしまうことは、「オレオレコーラン解釈』」で物事を進めているISISと似たようなものだ(「オレオレじゃない『コーラン解釈』」=イスラム法)。ISIS非難できなくなってしまう。

本来は、安保法案を進めたいのなら、憲法改正すべきなのだ。だが憲法改正に関しては、また別の、根の深い問題がある(後述)。

安全保障問題

憲法違反の件を無視するなら、安保法案で示している内容には、傾聴に値するものがある。

それは「俺は殴るつもりはなかったし、むしろなだめようとしたんだけど、興奮した相手が殴りかかってきて……」というケースにどう対応するか、という問題だ。

基本的に、戦争なんて損ばかりだ。人道的にも、財政的にも、経済的にも問題ありすぎる。戦争せずに済むなら、その方がよいのは当然だ。

太平洋戦争を経て日本が学んだことは、第一に「自分から殴りかからない」ということであり、第二に「とりあえず、まずは話し合いをこころみる」ということだ。この2つをまとめると「揉め事には『大人の対応』で臨め! ガキじゃあるまいし、すぐに殴ろうとしなさんな」となる。

(まあアメリカも、「ABCD包囲網での締め上げ」とか「蒋介石カイロ宣言で『無条件降伏』を要求させちゃった」とか、火に油を注いだところが結構あるのだが)

はいえ、揉め事自分だけでなく相手もいるから生じるもので、相手が最初から殴る気で仕掛けてきたら……と考えると、少なくとも護身はできないとマズイ。

この辺のバランスが、(当時の国際政治の状況やら何やら事情があったとはいえども)自衛隊誕生の一端にある、といえる。

問題は、東アジアの各国が経済成長にともない軍事力も増していることと、経済成長により他国との摩擦が表出してきたことと、世界的な不況の影響で各国国民の不満がたまっていることと、その不満が経済成長による他国との摩擦で高まってきたナショナリズムの気運に流れ込んでいることと、そんなナショナリズムの高まりを各国政府制御しきれるか否か、である。今の東アジアは、第一次世界大戦前夜のヨーロッパ並みにキナ臭い

個人的には、政府戦略として反日を主導している今の中国韓国よりも、何らかの要因で政府の力が弱まって下から突き上げを抑えきれなくなった場合中国韓国の方が怖い。戦前日本にもそんな感じ(=下から突き上げ)があっただけに。

しか他国軍事力が増加しているため、自衛隊との相対的な差が縮まることで、相手から「くみしやすい(殴っても問題ない)」と思われてしまう可能性もある。

日本場合四方が海で、防衛すべき範囲が広い。海上自衛隊海上保安庁はともかく、今よりも備えを厚くする必要はあるだろう。現実問題として、離島地域では中国漁船違法操業問題があるし、竹島尖閣諸島のような離島地域での領土問題も抱えている。

備えを厚くする場合方向性として「自前で全てそろえる」と「仲間を呼ぶ」の2つが考えられる。安保法案後者の「仲間を呼ぶ」の流れを汲んでいる。

実際のところ、日本経済状況的に「海上保安庁自衛隊を拡充して、日本全土を自前の軍隊で守る」というのは厳しい。先に書いたように、四方が海であるために、防衛すべき範囲が広い(というか広すぎる)。また、例えば対中国で考えると、装備や錬度でカバーするのが難しいぐらいに「数」の差がある。

ここで従来のようにアメリカと組むとして、アメリカ軍が度々行われてきた軍縮で縮小していることに留意する必要がある。この影響は、少なからアメリカ軍軍事力を頼りに軍縮していた同盟国に影響を与えている。日本例外ではない。

あと安保法案の話で「自衛隊アメリカの都合で起きた戦争に駆り出されたら――」的な批判がなされるが、同様の批判アメリカ国内にもあるだろう。すなわち「他国の都合の戦争に、自国アメリカ)の若者を送り出すって、どうなのよ?」ということだ。アメリカ軍を引っ張り出したいなら、アメリカ国内が納得する「(アメリカにとっての)大義やメリット」が必要だ。選挙のこともあるだろうし。

安保法案は、いわば「規模を縮小したので一度にカバーできる範囲が狭くなったアメリカ軍の協力をとりつけやすくする(アメリカから見た優先度を上げさせる)」ためのものだ。こうしておくことで、「ワイの後ろには○○の代紋があるんやで」効果で相手を怯ませることも狙えるだろう。

繰り返すが、戦争せずに済むなら、その方がよい。その一方で、万が一への備えそのもの必要だ。

三権行政立法司法)不信の日本国民

(再三ならが、憲法違反の件を無視するとして)安全保障の点で、安保法案が示す内容は、良し悪しは別として、ある意味現実路線と言える。

いえるのだが、しかし、実際に日本国民として安保法案に直面して感じるのは、「これ、悪用されずに適切に運用されるのだろうか?」という心配である

私はとりたてて再軍備主義者ではないが、日本再軍備化すると仮定した場合重要になる点を1つだけ知っている。

一言で表すなら、それは「空手の有段者になれ!」ということだ。空手の有段者は強いが、強いからといってむやみに周囲に殴るかかることはない。むしろ普通の人よりも強い自制が求められる。

仮に日本再軍備化するとして、再軍備化したからといってすぐにやたらと殴りまわったら、それはガキの態度だ。大人ではない。軍隊を持つ平和路線の他の国家と同様に「(鍛えてますけど、むやみに殴りかかりませんよ。だって)大人ですから……」という方向が望ましい。

民主主義国家において、このような態度をとるには、第一に軍隊自体暴走を防ぐためのシビリアン・コントロール必要であり、第二に軍隊を統帥する政府暴走を防ぐための「国民による政府監視と、選挙による適切なコントロール」が必要であり、第三に「国民自身の自制」が必要となる。

日本再軍備化を進めるなら、国民はまず自省して、過激な排外主義排除しなくてはならない。排外主義他国他民族とのいらぬ摩擦を生み出し、火種となってしまう。これは大人の態度ではない。排外主義排除されるべきだろう。軽挙妄動は許されない。高い倫理観を持つべきだ。

また国民は、日常的に政府の動きを監視し、選挙直前の動きや宣伝に紛らわされることなく、観察した記録にもとづいて投票を行い、政府暴走の要因となりうる人物を当選させないように努めなくてはならない。

残念ながら、今の日本では、まず選挙による政府コントロールが効いていない。例えば安倍政権安保法案の一件は、2014年選挙の時点で囁かれていた話だ。だが、結果はどうだろうか? 選挙の時、我々は直近の出来事にとらわれて投票していなかっただろうか?

次に、日本では政府暴走の歯止めとなる公的機関存在しない。例えば憲法裁判所がないため、憲法違反疑念がある法律であっても、一度可決・公布されてしまえば、何か具体的な事件が起きて誰かが提訴しない限り、違憲性の審査は行われない。

最後に、行政立法司法三権のどの分野でも構造問題が指摘されているにもかかわらず、何の変化もないため、三権に対する不信がある。

例えば、仮に日本憲法裁判所があったとして、安保法案違憲判断を下すことができるだろうか? 日本裁判官の大半は実質的最高裁判所裁判官に任用されている。最高裁判所裁判官内閣によって任命されている。そして最高裁長官の任命過程においては、内閣意向が少なからず反映されている。このような流れの中に憲法裁判所があるのならば、暗黙のうちに内閣意向に影響された判決がでても不思議ではない(ことに、内閣意向を受けた最高裁判所裁判官胸三寸出世更迭も決まってしまう一般の裁判官の身ともなれば……そして、内閣意向によって出世の頂点(最高裁裁判官)に立てるか否かが決まる最高裁判官の候補や、下手すると引き摺り下ろされかねない最高裁判官ともなれば……)。

行政立法に関しては、外部から見て、どうにも組織に自浄作用があるように思えない。例えば何か問題が起きた場合、大抵はトップ更迭で済んでしまう。何が問題であったか分析し、具体的で効果のある改善案提示し、改善を行い、その結果を問題分析改善案を含めて広く公開する……というPDCAサイクル的なものが、組織外部の国民の目にはみえない。

そもそも我々日本人は、失敗を恐れすぎる。もとより人間は失敗する動物だ。何も考えずに突っ走って失敗するべくして失敗するのは、さすがにどうかと思うが……しかしある程度成功確率を高めたなら、その時点でチャレンジしてみて、失敗したならしたで反省会を行い、次に生かすべきなのだ

だが実際には、なぜか最初から失敗を許さな雰囲気が強いし、失敗するとすぐに責任問題を言い出す(本来は、反省会で色々と分析した上での「責任問題」のはずだが……)。人格攻撃になることもしばしばある。そして早すぎる責任問題に決着がつくことで、本来開かれるべき反省会はなされず、有耶無耶に終わってしまう。

悪いことに、日本社会は失敗に厳しすぎる。一度更迭されたら、ずっとそのままだ。このような環境では、皆失敗を恐れるし、失敗したら隠そうとする。なぜなら、失敗したら、そして失敗したことが発覚すれば、この先一生どん底だからだ。

行政立法構造問題は、この日本社会の「失敗への厳しさ」が悪い方向に作用しているために生じている気がしてならない。誰だって自分の身はかわいいものだ。少なくとも私はそうだ。あんだって、そうだろ?

ともかく、日本国民には少なから三権への不信があるうえに、政府をうまくコントロールすることもできていない。この状態では、どのような法律であっても、適切に運用されるか否かの疑念が生じる。

特に安保法案をめぐる安倍政権自民党の動きはマズかった。政権による強引な進め方や、一部議員による乱暴な発言は、国民にとって「国民政府議会コントロールできていない」という印象を与え、不信を高める結果となった。またオレオレ憲法解釈を持ち出してきたことで、安保法案のものについて「将来、オレオレ安保法案解釈』を持ち出して、滅茶苦茶なことをやらかす政権がでるのではないか?」という疑念を与えてしまった。

安保法案戦争法案」と揶揄される背景には、その内容の難解さだけでなく、「誤った運用がなされるだけでなく、将来、拡大解釈して無茶なことをやらかすようにならないか? そして誰にも止められないのではないか?」という三権への不信が見え隠れしている。

蛇足だが、安保法案を通すには、本来憲法改正必要だ。だが日本国民には憲法改正へのアレルギーがある。なぜか? 「あいつら絶対に余分な変更(=改悪)も入れてくるから」という政府議会への不信があるからだ。自民党憲法改正案は酷かったし、派遣法の改正もアレだった。こんな実例が山ほどあるのだから、不信が高まって憲法改正アレルギーになるのも無理はない。

「我々はキ○ガイなのか、違うのか?」という問題

日本国憲法に関しては、そもそも押し付け憲法論がある。個人的には、押し付けだろうとなんだろうと、ネズミを捕るのが良い猫だと思うのだが……。

仮に押し付け憲法だったとして、ではなぜ世界でも稀な憲法九条存在するのか、という点を考えてみることは重要だ。世界的には、平和路線国家でも(規模の大小はあれども)軍隊を持っているものだ。

要するに、大日本帝国は、当時のアメリカに「キ○ガイ」だと思われたのだ。あいつらに刃物を持たせたらあかん、何やらかすか分かったもんじゃねえ――ということだ。

例えば、現在生きている日本人たる我々がニュースで目にする自爆テロ理解しがたいように、当時のアメリカ人特攻という行為を行う日本人理解しがたかったのではないか? また国体維持のためだけに南方戦線で損耗率7~8割という無茶(現代戦では損耗率3割で全滅判定)をやらかしメンタリティーも理解できなかったのではないか?

理解できないことが、恐怖をあおる。戦略的には、特攻南方戦線での戦いも、大日本帝国政府にとっては裏目に出てしまった。日本軍隊を持つ資格はない、とんだキ○ガイだと認定されてしまったのだ。

しかしこれは、裏を返せば「まともな国になったなら、まあ、軍隊を持ってもええんじゃね?」ということにもなる。まともな大人は刃物を振り回しません、ということだ。

さて、「安保法案戦争法案」と揶揄される背景をもう少し考えてみると、興味深いことに気づく。それは、日本国は未だに「キ○ガイ」ではないか、という疑念だ。これは中国韓国の主張(実際に彼らの言っていることから類推すると、そういうことになる)のことではなくて日本国民から日本国政府ならび議会への疑念のことだ。

というのも、「安保法案戦争法案」という構図には、どこか「また『特攻』や『ニューギニア戦線での地獄』が繰り返されるのでは」という不安があるからだ。

これは、太平洋戦争について国民国家をひっくるめた反省会(失敗の原因の分析、具体的な改善案提示改善案適用)が行われなかった弊害だろう。

そもそも太平洋戦争は大失敗だった(戦争に懲りたということは、つまり、失敗だったということだ)。大失敗だったからこそ、三権国民を巻き込んでの大反省会必要不可欠で――もしかしたらどこかで行われていたのかもしれないが、残念ながら私は寡聞にして知らない。

国民国家自らによる反省会(総括)が行われて、落とし前がついていたなら、ここまで疑念は膨れ上がらなかったはずだ。でも反省会無し・対策も無しなら、「またやっちゃうかも」という心配は残ったままとなる。

戦後反省会が行われず、そのまま70年が経過した。その間、残念ながら三権への国民の不信が高まった。そしてここ20年ほどの政府議会の混乱や暴走ともとれかねない動きは、国民に「政府議会=我々がコントロールできない代物」という印象を強く与えてしまった(仮にも民主主義国家だというのに……)。

再度繰り返すが、戦争せずに済むなら、その方がよい。その一方で、万が一への備えそのもの必要だ。

必要だが、しかしまた「キ○ガイ」のごとく暴走してしまわないか? やむをえない自衛のための戦争ならともかく、暴走して要らぬ戦争を起こしてしまわないだろうか? 三権への根深い不信と、国民政府議会コントロールできていないのではないかという疑念ゆえに、日本国民は、日本という国が「キ○ガイ」のままではないかという恐怖を感じているのだ。

まとめ

私は憲法違反疑念より安保法案否定的であり、安全保障の面では安保法案Permalink | 記事への反応(1) | 18:20

http://anond.hatelabo.jp/20150919153615

こういう事言う人って、有権者の裁きが自民党以外には下らないという前提が無意識レベルですり込まれてるよな

悪い政治をすれば市民を敵に回すという緊張感を政権に持たせよう。

実際敵に回ったじゃん

民主党に、さ

安保法制落選運動がどうたら言ってる連中も居るけど、そもそも今の自民党一強状態自体が、民主党やその他左派政党への落選運動によって生まれものという面が強いのを完全に忘れてるだろ

今更ですが安保法案の内容を教えて下さい

テレビとかネットとかで安保の話見たり聞いたりしても

大体みんな内容をよく熟知されてる前提で議論されてるようなので

恥ずかしながら法案の中身を何も知らない自分としては

まず内容を教えてほしいんですよね。

もちろん自分でもgoogle検索くらいはしてみたのですが

調べ方が悪いのか、内容を解説してくれてるものになかなか出会えなかったもので…

反対の人も賛成の人も

とりあえずどういった内容で

どの部分に反対、もしくは賛成なのか

教えてもらえませんか?

そういえばネトウヨって東日本大震災ときには放射能デマを撒き散らす側だったのに、

いま「反原発バカサヨ、反安保バカサヨデモバカサヨ」みたいに言ってるの面白いよね。

ネトウヨデモヘイトスピーチ問題になったのだってつい最近なのになぁ。

年齢の話

安保関連で政治に関心を持った若者選挙立候補できるようになるまであと数年かかるんだよな

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