はてなキーワード: 呉服とは
日本和装といえば、無料着付け教室を全国で展開して、CMも打ってるアレ。受講生に着物やら帯やらを売って、そのマージンで運営しているわけで、当然講座中にも「着物買え」っていう機会を設けている。それが「セミナー」。メーカーから問屋を複数とおすのが通常のところを、メーカーから日本和装一カ所を通すだけなので、呉服屋から買うより安い、たぶんメーカーも問屋への卸より上乗せしているんだろう。で、講座終わっても勝手知ったるところに頼む流れになるので、生徒は長らくお客さんになる、と。そういう商売なのである。
着付けを習う=初心者=着物仕立てたことはない、というのが通常想定されている。だから、いろいろ見せられ、呉服屋で買うより安いですよ、と言われて、せっかくだし一揃えはいいものを、となって買ってしまう。恐ろしいね、セミナー。
しかし、だ。
着物をどれだけ着るかは、まだ未知数の段階と言っていい。そもそも、’いい着物’ではなく気軽な小洒落た普段着として着物を選んでみたい、という程度の人もいるだろう。今なら、ポリエステルの可愛い柄の着物や半巾帯が気軽な価格で手に入るのである。むろん、正絹の方がいいに決まっている。だが、高価で手のかかるものを最初から持つことが良いとは言えないだろう。
それを、「いいものを持てば、着る機会を積極的に作るようになる」「ポリエステルは良くない」「自分への投資」などと言い立てて30万円の帯(おそらく問屋を複数通ったものよりは安いのであろうが、一般市民がぽんと払うにはやはり高い)、30万円の着物を買わせるのはいかがなものか。
なお、私は普段着としてポリエステル、ウール、デニムの着物(自宅で洗えるのは重要)と半幅帯や作り帯を愛用し(帯で腰が支えられているのは、楽なのである)、つい先日別ルートで着物と帯の仕立てを頼んだばかりである。つまり、セミナーだろうが何だろうが要らんのである。金もない。ただし、仕立ての件についてはセミナーの場では告げない。面倒なやり取りを増やす気はないのである。「自分に使える金はない。すっからかんである。」という設定を貫く方向で臨む。ルールはこれのみである。
今回のセミナーとやらは、着物界隈では有名らしい帯メーカーのもので、会場には色とりどりの帯が持ち込まれ展示されていた。帯のほかに着物や襦袢の反物もある。これがミソなのである。
午前中は西陣織の製法や糸などが紹介され、帯に触ることもでき、なかなか興味深く面白いものであった。置かれている帯はたしかに質がよく、思いのほかモダンでお洒落で大変魅力的である。
午後からは、この素敵な帯を中心としたコーディネート、と称した販売(いくさ)である。
まず、好みの帯を展示されたものから選ぶ。せっかくだからと二つ選んだ。
「どんな着物と合わせたい?」
では、とひとつ面白い生地があったのでそれを選ぶ(なお、帯、着物とも、私が仕立てに出したものと色合いを似せた(特色は全く違うのだが))。
さっそく反物を着せられる…着物はほどくと反物に戻る、というのがこういうときによくわかる。反物も帯もとても良い。おしゃれである。金があれば買うな。しかし今は金がない。うん、ないぞ、金は。
やはり、この色は良いよね、と数日前の自分の選択にも満足したところで、戦のはじまりである。
「どっちの帯がいい?」と当然買う前提で言われる。
こっちがいいが、今は買う金がない、という旨を述べると(自分の名誉のために言っておくが、着物と帯ふたつ買う金はある。がこれ以上着物に使う金はない。)、
「月にいくらなら払える?」と言われる。
何言ってんだこいつ。しかも勝手に計算始めてひと月なんぼの何回払い、と、おいおい着物と帯2つのお値段じゃねーか。
分割でも払う金はない、と言うと「実家ぐらしで余裕はあるはず」(そんなこと言った覚えはない)「月賦があるから仕事を頑張れる」(追いつめられてるだけじゃねーか、アホか)「この機会を逃したら二度と買えない」(毎季新作出てるから、別のものでも気に入ったものには毎年出会えるだろ)と、まあ、想定問答集くらい作ってあるんだろうなと思わせるやり取りが続く。
人に借金させることに何らの呵責もないのである。この人、何パーセントもらえるんだろう、とうんざりと考えながら、ヒトヤマ当てたら何ぼでも買う、と言っておく。
分割払いは借金なのである。債務である。服のために借金するか?必要でない服飾品の購入による債務負担は浪費であって、破産の場面では免責不許可事由として申立書に記載すべき事情である。生活を圧迫してまで着物を買う義理などないし、そんな義理があったらすでに色々ヤバい。弁護士か精神科医に相談してくれ。
「ウールだとか木綿だとかは、ジャージみたいなもの。コンビニ程度にいくならまだしも電車に乗って出掛けるには論外」と人の持ち物をdisるdisる。うるせえ黙れ。
とっかえひっかえできる価格の範囲で、ポリのキュートな柄や、デニムやウールの素朴な風合いを楽しむのは、H&Mやユニクロの世代には普通の感覚ではないだろうか。そのなかで、一生ものと言えるような、自分の気に入ったものを買うこともあるかもしれない。だが、それを他者に強要されるいわれなどないだろう。
こんなことやってるから、和服廃れるんやで…と謎の関西弁を胸の奥で繰り返しつつ、右から左に受け流すこと数十分、私が頑に買うと言わないのでやがて売り役はスーッといなくなった。
ふう、やれやれ。
やっと解放されて、気になっていた草履を検分する。草履はなかなか足に合うものがなく、下駄と1000円草履でしのいでいたので、足に合えばこれを機にひとつ欲しいところではあった。まあ、現にはき心地もよく、台の色が選べ鼻緒も帯地のシャレオツなのを選べたので、5万と高額ではあったが買うことにした。草履ばかりはどこに行ってもこれ、というものがなかったのでよしとしよう。
さて、時間もなんぼかあったので、半巾帯を眺めていたら、またも帯を出してくる。いわく、両表の仕立てができるから、好きな柄を選べと。へーへー。片面10万ね。へーへー。でも、模様はシャレオツなのである。和柄スキーとしては眺めるだけで楽しいので、最後まで買うとは言わずじっくり眺めさせてもらった。最後には、金がないから、宝くじ当たったらな、と断ったが。すると、分割払いにして、宝くじ当たったら残額一括で払えばいい、と。てめえらの血はなに色だー、とレイの真似くらいしてもよかろうと思う。
個人的見解であるが、襦袢は普段着用なら自宅の洗濯機でガンガン洗えるものがいい。肌襦袢を着るとしても、こまめに洗いたい。絹では自宅の洗濯機で洗えないので、絹で襦袢を仕立てるとしたら、それは宝くじが当ったり石油王に嫁いだりして、洗濯ごときに煩わされないようになったら、である。肌触りやら着心地が如何に優れているとしても、洗濯という現実から目を背けるつもりはない。
と言うと、案の定
「ポリエステルじゃダメよ〜、襟の袷が決まらないでしょう云々」
あー、はいはい。言ってろ。デュポンの回し者ではないが、石油製品であるところの襦袢の洗えるという最大の利点に軍配である。
なお、いい着物用になる絹の襦袢はお下がりがあるので当面それをあてる予定である。
この頃になると、帯やら着物やらを見すぎて頭も朦朧となり、受け答えも面倒になっている。とにかく草履以外は買わねえぞコンチクショウ。
で、ほかの受講者は、というと。
私を含めて4名いて、2期以上受講している人はさすがに買っていなかった(既に数着買っている)が、少なくとも一人は買っていた。もうお一方は分からない。私はその行方を見届ける余裕もなく買え買え圧力と戦っていたからである。
要らないものは要らない。金はない。借金なんてもってのほか。という強い意志をもって臨まないと、ほわわん、としていくとつい買ってしまいそうであるおそろしや。
恐ろしいことに、これはたぶんクーリングオフ対象外となる…着物はクーリングオフ指定商品にはなっているが、店舗に消費者自ら足を運んで購入した場合は除かれる…セミナーに自ら申し込んでいるので、店舗に自ら足を運んだ形になっていると思われるのである。
クーリングオフではなくとも、強迫で何とかなるかもしれないが、なかなかハードルは高い。
なんかもうメンドクセーから、草履の代金払わないで講座の残りもばっくれちまおうかな…。と思わなくはないのである。だが、あの草履は気に入ったのであれだけ手に入れて、しかる後にばっくれるかな…。
北海道帯広市の野江呉服店の娘として生まれたふみ子は、左乳房の切除手術を受けたが、
がんは転移しており放射線治療を受けるも1954年になくなった。
中城ふみ子が育った野江呉服店は、開拓地の都市のなかでではあるがかなり裕福で、
ふみ子を帯広高等女学校から東京家政学園に学ばせる余裕があった。
ふみ子の写真は多く残されているが、どこか気取っていて、
しなを作ったりポーズをとったりするものがほとんどだ。若いころは特にそうだ。
彼女は「プチブル」なのだ。「私はあなたたちとは違うのよ」とでも言いたげな、言い方が悪いが、
いかにも「成金」的な姿勢が写真からにじみ出ているようで、私はひどく嫌だった。
彼女の容姿はかなり整っている方で、それが彼女の「気取り」に拍車をかけているようにも感じた。
ほどなくして彼女は結婚し母となる。結婚は恵まれたものではなかった。
写真で「気取り」を見せることは少なくなったが、
「罪と罰」と捉える論者も多いが今回の話では割とどうでもいい。
この一緒に写っている女性は顔も体もでかくて(お笑い芸人のバービーに似ている)、
ふみ子と一緒に写ると自分のボリュームが強調されてしまうから少し下がって写りたい!と訴え出たそうだ。
今に残る写真では、この女性とふみ子の顔の大きさは同じくらいで、
病に侵され余命いくばくもないふみ子も、
この写真を取る際のやりとりには僅かにだが笑顔を見せたという。
この、弱ってボロボロになってたたずんでいるふみ子が一番好きだ。
彼女の可憐な学生時代も性の奔放さも、実は「プチブル」に担保された性質のように思う。
病は「プチブル」的なものをごっそりそぎ落とし、何かが残り写真に写っている。
歌人としての才はギリギリそぎ落とされずふみ子の手元に残った。
ブルジョアジーというものを、革命でも何でもなく、がんというこの時代の不治の病が打破したのだ、と私は思う。
一つの身体においての事例だが、近代の克服を自分の身体を削ることで成し遂げたのだ、と本当に勝手だけど思う。
冬の皺(しわ) 寄せゐる海よ 今少し 生きて己の 無残を見むか
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/604236
英語いらんとまで言って、学生の学習意欲を削ぐこともなかろう。
「日本国外の人間を使いたいから」の英語必要性ってのがブコメでもあんまり見えなかったから、ね。
まあ自分も「おもてなし」以上の意味で庶民が英語使える必要があるとは思わない。
TOEIC600点台で海外出張での商談には通訳の人がつくし、正式な書面はネイティブチェックが入る環境で仕事してる。
メールも定型ならなんとかなるけど、結構頻繁に辞書引くし、日常会話レベルでもかなり怪しい。
飛行機飛ばなくてもパニクらずにホテル予約して、天気予報を見てタクシー載って観光地回るのに困らない程度。
ただ、これって「人生にギターは必要か?」と同じレベルの質問。
「英語」って書いてあるところは「北京語」とか「ヘブライ語」とかに置き換えると理解しやすいかもしれない。
英語関連の話は、結構色々混ざるから、一度分類すると理解しやすいかも。
この中で問題になるのは、1番と3番かな。
必要だね。
ただ、僕も国外で仕事することもあるけど、別に英語喋れなくても不自由しない。
これは通訳さんがついてくれたり、タクシーやホテルで多少変なコト言っても外国人ってことで流してもらえるから。
これは「英語を喋る仕事が特別だ」としてもらえる間は、問題にならない。
どういうことかっていうと、えーと昔は清書屋さんって居たんだよね。
つまり、書類を渡すとワープロでパチパチ打って書類にしてくれる人。
ブラインドタッチって、そこそこの技能として通用してたのよね。
いまだって、中小企業だったらExcelが使えるのは技能として通用するし、
社長さんがパソコン使えなくても事務員さんがやってくれれば問題にはならない。
そういうレベルの話。
今度は、部下とか上司とか、請負とか業務委託とか、どっちかというと自社内の話。
この場合はちょっと違って、間に通訳を挟むのは、無駄に見える。
実際、無駄だよね。
でっかい契約ならともかく、週次の報告会でそれやると、無駄が多い。
と、言うか、数字で見る経営者には、その翻訳のコスト(時間・人、つまりお金)は無駄でしか無い。
「上司は英語を勉強しないが、新人には英語を勉強させる」ってのは、正鵠を射ている。
頻度が増えれば当然特別扱いしてくれなくなる。
メールの英文程度は通訳使うとかフザケンナ、みたいには結構みんななってるよね?
これが、受発注作業ぐらいは、業務管理ぐらいは、簡単な契約更新ぐらいは、になってくるってこと。
そして、特別扱いして貰える人(経営者とか、特殊技能者)は、別に今後も通訳を使えば良いだけ。
キッカケになったtogetterで言ってんのはコレかな?
「エリート層の英語力=国際競争力を高める」ってところにみんな違和感があるんじゃないかな。
例えにあがってるブラジルの低所得者層が英語を使えなくて、高所得者層は英語が使えるって件、
コレは多分逆で、英語が使えると日本人とビジネスが出来て、英語が使えないと警備員にしかなれない。
教育状況にもよるんだろうけど、やる気や能力とは無関係だよね。
だから、日本は自国語以外が使えなくても高所得者層入りできる国だってだけの話。
ただ、さっきのビジネスの件以外に、エリートとしてって概念はあり得る。
第二言語習得の研究とか読むと判るけど、ネイティブじゃない言語を使うと、能力が落ちる。
計算能力とか、思考力とか、第二言語をしゃべる方に能力を割り振るから、使える力が減る。
これはもうどうしようもない。
それと同じように、英語圏の人にとって英語が喋れないというのはソモソモの能力が劣っていると判断される。
カタコトの日本語をしゃべるガイジンを、日本人は笑うじゃない?嫌な笑い方じゃなくても。
そして、流暢な日本語をしゃべる大使館員みたいな人を、賢んだろうな、と推測する。
これはどうやら、どの国の人であっても同じらしい。
ハッタリも重要なビジネスの世界において舐められない事が重要なのと同じように、
エリートの教養として、英語程度は流暢に喋れないとね、という話。
ラテン語を読めず、聖書の引用ができず、シェイクスピアを読んだことがない。
日本人ならまあどってこともないけども、欧米においてそれはどうなの?って言う。
例えば、ザッカーバーグならパジャマでプレゼンしても、逸話として残るかもしれない。
でも、普通のビジネスマンが商談に行くのに、スーツにスニーカーは無いよね、とか
そういうレベルの話。
日本の恐ろしく高い土木建築技術で世界を席巻するというのとは違う次元で、
エリートの教養として英語が流暢に喋れるというのは、重要だったりする。
これはもう相手に期待する(パジャマでも能力が高いと正しく判断できるか)しかない世界よね。
なんか長くなってきたから巻いていこう。
ラテン語で論文書かなきゃ存在しないのと同じ、みたいな時期があった。
これはある意味で傲慢とも言えるし、ある種自虐ネタにもなってる。
ただまあ、面倒だからみんな英語ね、レベルの話。どうしようもない。
流暢である必要はないけど、質疑応答には答えられるようにね、って言う。
圧倒的に多い英語話者に対して、環境を整えていこうね、という。
これもまー、どっちかっていうと、日本にお金落としてね-系の話。
医療、教育、サービスが英語で行えるようになると、外国企業の人も来てお金落としてくれるしね、という。
例えば、バンガロールとかハノイで日本語が通じて日常生活不自由しなかったら、
そういうレベルの話。
まず、ビジネスで「英語が使える」は、「Excelが使える」のと同じ感じになると思う。
掛かるコストは必ず削られる。残業代も出ない企業で専属の通訳は何人雇われるだろう。
いまは特別感のある仕事でも、そのうちソレぐらいは出来てアタリマエって言われちゃう。
これはまあカタコトでもブロークンでも伝われば良い世界。ただ使わない人は使わない。
つぎに、エリートとしての英語教育は、まあ、それなりにやった方が舐められないかもね。
プレゼンや商談で、決定権者が流暢な英語使っていたほうが、格好はつくしね。
(カタコトでも日本語を話せる賢いガイジンを笑う日本人が、他所に比べて特別品性下劣なわけじゃない)
ただそれは、他の国と同じように、資産も熱意も運もあるエリート自身が解決すべき問題かも。
そして、アカデミックな分野で英語を使えないのは、居ないのと同じ。
イギリスのネイチャー、アメリカのサイエンスが君臨する世界が早晩変わるとは思えない。
そのせいで、日本の大学で英語を使って不自由なく研究が出来ると世界中に思ってもらいたい、
と、政府が思い始めると、大学では英語を使うのがアタリマエになっていくかもしれない。
他に問題が多くても、独立した問題は予算がついたもん勝ちだから。
最後に、政府方針としての英語教育は、まずは外貨獲得としての英語サービスの普及化を目指すんじゃないかな。
日本に誘致する際には、医療教育サービスの英語話者増加は必要だから、庶民が英語を使えるようにする方針に進みそう。
(まずはアメリカにいる移民がカタコトの英語を使ってるのと、同じレベルで)
おおきなまとめになるけど、結局のところ世界も慣習という慣性の法則には逆らえないってところか。
あとは、世の中カネ、かな。
英語が世界で通じる言語になってるから、英語を学ぶ人が多くて、それがまた英語を世界共通語にしてる。
スペイン語話者だって多いけど、富裕層は英語を使うから、やっぱり英語が力を持ってる。
ラテン語から英語に学術言語が変わったみたいな大きな転換がない限り、
明治生まれの祖父さんの親なので、たぶん明治中頃の生まれの曾祖父さん。
地主の三代目だったらしく、小学校を寄進したり、気前の良い太っ腹な人だったそうだ。
ただし、稼ぎ方を知らない人なので、気前よく使っては、財産を売って生活を凌ぐ状態になり、
一方で、そんな親父を見てか知らずか、次男の祖父は小さいころから丁稚奉公へでて、
呉服問屋の跡継ぎ候補まで上り詰めたらしい。(養子縁組で揉めてご破産になったが)
そういえば、一条ゆかりの親もそういう人だったそうだ。エピソードで、銀行は言えばお金を出してくれる所だと思っている人だったと述べられている。
稼ぎ方を知らない人は、一生知らないし、そのまま破産して行く人もいる。
300円の借金で難儀している実家を救おうと1,350円で身を売った
だが、そのうち周旋人に250円、実家の借金返済したあと残った800円が
家に残った金。6年の年季の間に1,350円は返せると考えていたが、とんだ誤算
朋輩の多くがいつまで経っても一向に足を洗うことができないのを不審に思ってが
謎はすぐに判明。客から入った10円のうち7割5分を楼主に取られてしまい2割5分が
玉割と称して娼妓の手取りだがその中から1割5分が借金返済のたけ天引きされ残り
1割(1円)だけで生活。彼女の稼ぎは月に300円程度、手元に残るのは僅か30円、
これに対し呉服代、化粧品代、洗濯代、電話代、客用の茶菓代、銭湯や病気の際の
治療費に至るまで諸掛一切が娼婦の負担。これが月に40円をくだらないので、楼主
から追借をせざるを得ず借金は減らない仕組み。さらに、特定の日を「しまい日」と
大家族で育ったジジババはあれを見て「懐かしいわねー」とか思ってるのかもしれんが、あの時代もヨメの犠牲の上に無計画に子供作ってただけで、
うーん、これは違うんじゃねえ?
曾祖母の名前が「スエ」って言うんだが、名前の由来はぶっちゃけ「この娘が末っ子になってほしい」という意味だ。
曾祖母の一つ上の姉は「トメ」だ。止める、の意味だ。11人兄弟だったって聞いてる。呉服屋だったんで生家はサマーウォーズみたいに馬鹿でかいし、
実際裕福だったそうだから、子どもを労働力としてほしがっていたわけでもない。
生理周期と子どもが出来ることとの間に関係を初めて医学的に見いだしたのは日本人だが、
人類の歴史からすれば超最近のことだ。それまではセックスすれば出来る、ぐらいの知識しかなかったんだよ。
無計画で、ってのは現代的な発想だな。
懐かしいねーって感想もありえないと思う。大家族の長兄の方は子どもの子守りばかりやらされて親を恨み、末っ子は末っ子で親の愛情を受けずに育ってきたから。
先日、私の祖母が亡くなった。85歳だった。
祖母との思い出といえば、私が生まれてから成人するまでのおよそ20年間、元旦に直系の親族一同とともに正月祝いを行っていたことを思い出す。正月祝いと言っても、細田守の「サマーウォーズ」に描かれるがごとき祝祭的な性格のものというよりは、近況報告を兼ねて親族同士で気を使いあう儀礼的な色彩のつよいものであった。
祖母には一人の息子と三人の娘がおり、息子が一番年長、その下に長女、次女、三女と続く女風上の一家で、この末娘が私の母である。四名とその家族が毎年元旦に祖母のいる実家へ帰省していたわけだが、態々そのような古臭い集まりを続けていた理由は簡単で、いずれの親族も実家から車で1時間以内の場所に住んでおり、集合するのが容易だったためである。
長男は、礼儀正しく気の優しい人で、奥方とも仲睦まじいが、子宝には恵まれなかった。長女は結婚してすぐ最初の孫――――私のいとこに当たる娘を産み、次女もまた結婚後すぐに娘を一人もうけたので、祖母からすれば、自身の若いうちから孫を抱いて可愛がる楽しみを得ることが出来た。私が生まれたのは次女の娘よりも5年ほど遅れてのことだったが、あとから母に聞いたところによれば、祖母にとっては初めての男の孫であったから、幼少時の猫可愛がりは尋常ではなかったということだった。現在を見てみれば、いい年をして結婚もせず、祖母の期待に沿う形には成長できなかったのだが。
私に遅れて妹と弟がそれぞれ誕生したが、正月にはこれらが皆、映画のように広い日本家屋などではなく、昭和のごく平均的な一軒屋に集まるわけだから、私たち孫の小さいころの祖母は片付けや食事作りなどにてんやわんやで、忙しそうに家中を動き回っていた。
生前における祖母と祖父のおしどり夫婦ぶりは母や親戚から伝え聞いているが、その足取りは大抵のものではなかった。
大正生まれの祖父は、呉服屋の息子で自らも商店を営んでおり、利発聡明と専ら評判の若者であったが、当時の男性としては体は丈夫なほうではなかった。そのためかは定かではないが、第二次大戦時もなかなか徴兵されることはなく、結局日本が敗戦する直前になって突如として徴兵されることとなったという。
終戦後、祖父は無事帰還したものの、兵役の最中に肺結核を患っており、生業である商売もままならず、しばらくは寝たきりの生活を余儀なくされた。戦後の結核治療の確立から一命はとりとめたものの、後遺症か定かではないが、原因不明の発熱と咳に生涯悩まされることとなり、商店の経営にも難渋した。
祖母は、看護学校を卒業していたが(戦中、従軍看護婦になることを希望していたのかもしれない)、卒業後すぐに祖父と結婚したことから、看護婦となることはなく、祖父の徴兵後は夫に代わって商店を切り盛りしていた。しかし、祖父の体調不良もあって戦後いよいよ先行きが怪しくなり、結局私の母が生まれて5年後に閉店したという。
その後の祖母は、しばらく職を転々とした後、昭和42年ごろ、某市の市立病院の看護婦となる。祖母にとっては、高校以来の看護業であり苦労は並大抵ではなかったというが、持ち前の剛毅さと天性の快活な性格にナースは天職であったようで、中途採用者としては異例の副婦長の地位まで昇進したという。60歳で定年した後も、市内の私立病院に嘱託職員として居場所を得、4人の子供を成人させ、病の夫を支え続けた。
しかし、その祖父も私が5歳のときに癌で帰らぬ人となる。確かではないが、病室で遺族が泣き伏せる中、祖母は一度も涙を見せなかったと幼いころの私は記憶している。
祖母との最後の思い出らしい思い出は、一昨年の夏のものである。
何とか就職が決まり、自分の車を手に入れた私は、何を思ったか一人で先祖の墓を参りたいと考え、祖母に親類の墓地の場所を尋ねに行った。その前の年、私の父が母と離婚しており、20年続いていた正月の集まりは中止されてしまっていた。祖母の顔を見るのは、同年の冬、祖母が初期の癌を患っていることが判明し、見舞いに訪れた病院以来であったと思う。これは治療により完治し、祖母は実家で一人暮らしを再開していた。
唐突に尋ねてきた孫に、祖母はメロンを振舞ってくれた。墓地の場所を教えてもらい、私はひとり車を走らせる。天気は伸びぬけるような快晴であった。セミが絶息の声を漏らして、草だらけの殺風景な墓所に風情を齎していた。確か、わざわざ花を携えて行ったと記憶している。
墓めぐりが終わって、私はもう一度祖母の自宅を訪ねた。最近腰が痛くて食器の片付けに苦労するというので、洗物を手伝い台所の片づけをした。年季の入った炊事場の汚れを見ると、正月に走り回りながらおせち料理を拵えてくれた、祖母の苦労が感じられるようだった。帰り際に、祖父の眠る仏壇へ線香を立てた。
帰り際、私を何事か心配そうに見つめながら、祖母は言った。
「私はもう、長くない。私が死んだら、後のことは頼む」
私は、何を言っているの、おばあちゃんは癌になったって死なない人でしょう、と言った。豪快な祖母のしおらしい一面を見て、私は意外に思いつつ、やや後ろ髪を引かれながら岐路に着いた。
その2週間後、祖母は脳梗塞で倒れた。
以後の祖母の容態は、芳しいものではなかった。脳梗塞からただちに生命の危機には至らなかったが、脳の神経が一部破壊されてしまったことから、記憶の維持に支障が生じ、軽度のアルツハイマーの様相を呈していた。また、翌年の冬、恐れていた癌の再発が認められた。
近年の病床の不足から、祖母は短期間の転院を繰り返し、結局地元の病院(かつて勤務していた病院ではない)に落ち着いた。最後に会ったのは、今年の5月ごろであったと思う。もう、私の顔はあまり分からなくなった様子であったが、お見舞いに来てくれているのはわかっているようで、こちらが手を振ると童子のように身振りで返してくれた。黒かった御髪はすっかり白くなり、顔も痩せて、さながらどこぞの聖人のようでもあった。母は週に一度見舞いに行っていたが、亡くなる前日までは、元気に呼びかけに応えており、当日は眠るように安らかに逝ってしまわれたという。
通夜には、上述した親族はもちろん、各地に散らばっていた祖母の兄弟の他、長女の娘の息子と次女の娘の娘、つまり祖母にとっては曾孫に当たる二人も参列した。二人とも終始、お経が退屈で帰りたいとぼやいていたが、赤ん坊のときにまだ健全だった祖母に抱かれたことは記憶にないのだろう。
私にとっては従甥・従姪にあたる二人の相手をしながら、私はかつてこうして祖母の実家で遊んでいた時代のことを思い出していた。辛櫃の前をずいぶん騒がしくしてしまったが、生涯をかけて一家を守ってきた祖母にとっては、たぶんこの光景が一番望んでいたことであったのだろう。
おばあちゃん、生前は本当にお世話になりました。
http://anond.hatelabo.jp/20110815225307
ということで先日はじめて台湾に行ってきた。
なんやかんや言って香港などよりも、下手すれば中国本土よりもずっと中国的なところだと思った。
中正紀念堂に書かれた儒教思想および日本で翻訳され中国にも輸出された近代西洋思想に基づく孫文の訓示。
美しい繁体字を皆達者に書く。
南京路とか重慶路とか中国の都市を基にした地名が非常に多くニューヨークなどと同じく植民地の地名そのものだった。
中国ではすべて横書きに統一しているが、台湾は日本と同じく新聞など模範的な文章は縦書きで書かれる。
香港では北京語は通じない。少なくとも、香港人は北京語を聞き取りはできても話せず英語のほうがよほど通じる。
名前も英名が公式に使われる。
台湾や中国でも最近は英名を名乗る人が増えたけど香港ほど公式ではない。
日本人ならダニエルとかマイケルとかメアリーとかキャサリンとかとても名乗れないだろう。
英国植民地の面影が色濃く残る香港やポルトガルのそれであるマカオはアジアの国とは思えなかった。
英語を母語とする中国人とムスリムとインド系の街であるシンガポールは、
すでにアジアなのかどこなのかわからない無国籍国家という印象だった。
ベトナムも中国とフランスとが混交していてカオスな雰囲気を醸し出していたし。
日本語が通じる人もこれまで行ったどこの国よりも多かった。
片言の中国語で、英語と筆談の助けを借りながら住民と会話した。
少なくとも西洋言語のみが全人類に受け入れられる世界共通言語になり得る。
英語を否定するにもそれを手段として使わなければいけないという時点で、英語を否定できないことが証明されてしまう。
何が入用で何がそうでないかの判断はこのように割合容易につく。
言語はアイデンティティ(帰属意識、同胞意識)の確立の手段、という重要な機能を持つが
それがコミュニケーションの手段という機能を上回ることはない。
文化は発祥した地よりもむしろ影響を受けた衛星で保管されることも多いのではないかと思った。
どこの文化圏でも土着の文化よりも舶来の文物を珍重し上位に置く一定の傾向がある。
土着の文化は卑近で生々しいのに比べ舶来のものは「よく理解できない」ために神秘的だからだ。
日本語では大層難しく聞こえる漢語や外来語が、中国や西洋では子供でも使う日常語であることは多い。
儒教思想や陰陽五行思想はむしろ朝鮮で本家中国よりも忠実に継承されている。
お箸単独で食事をするのもやたらお辞儀をするのも深々と頭を下げるのも日本人特有の風習であるし、元号も今や東アジアで日本しか使っていない。
唐服に影響を受けあるいは呉服に起源を持つ?和服も今や日本の象徴である。
国家元首の名前と元号の名前を漢籍から採るということも中国ですらしてない。
江戸時代からの伝統だけど、一番多い起業のパターンは組織のナンバー2、3の独立だと思う。
経営者の下に優秀な人材が2人いたとして、1人が後継者、1人は独立っていう感じで。
呉服屋の番頭が自分の店を持つとか、寿司屋の職人が暖簾わけして自分の店をもつとか、そういうのが典型的だけど、だいたいの業種そうじゃないかなぁ。
インテリな業種でいうところでいうと医者やら弁護士やら、あんまりインテリでない業種だって内装業やら水道屋やら整備工やら。
雇われているときの顧客を自分の顧客にできるわけだから、失敗する確率が少ない。(円満に独立したか喧嘩別れだったかにもよるが)
資格で守られてるとなおのこと。
ナンバー2、3の地位とかじゃなくても、たとえば顧客をたくさん持ってる営業マンとかだってさ。
「私はこういう顧客を持ってます」
はいちばんのアピールポイントだもん。
だって、イコール
「私は○○○万円の利益を上げるだけの力があります」
だもん。
雇われ人時代につくった人脈がでかいと思うな。
顧客に限らず。
独自ルートで安く仕入れたり、頼れる同業者と提携できたり、いろいろと。
非正規のほうが失うものが少ないから起業しやすいなんていう理屈はどうかと。
仕入れルートも顧客も全部自力で新規開拓、同業者に助けて貰うどころか、出る杭として打たれって状態だと、格段に成功率は落ちるんじゃないかなぁ。
一般論だけど、
「バイト」には名刺交換しないし、「バイト」には営業をかけないし、「バイト」には社外秘を教えない。
故に、人脈もできなければ、ノウハウの深いところも知りえない。
この国では非正規は職歴に入らない。
以下の文章を読んで後の設問に答えよ。(各4点)
江戸の呉服問屋高田屋吉兵衛は、十八世紀なかばの庚辰の年に生まれた。
吉兵衛は、お袖・仙八・お民という一男二女を儲けたが、仙八は姉のお袖とも妹のお民とも頗る相性が悪かったので、しばしば嫌がらせをした。
ところが仙八にとって真西の方角は大吉だったと見え、彼がお伊勢参りや京見物に行くと、決まって運勢が上向いた。
二人の娘が年頃になったあるとき、吉兵衛が娘のお袖とお民の花婿を探していると、二人にとってとても相性のよい権助という若者が見つかった。仙八も権助とは馬が合うと見え、二つ違いの権助の面倒をよく見てやった。
・この文章の登場人物はすべて満何歳として数えるが、翌年の一月一日に一切ずつ加齢するものとする。
・後の設問には、五行説にしたがって答えること。
・下記の設問に答えるときは、必ず根拠を記すこと(根拠無き回答は無効とする)
・登場人物はすべて十八世紀に出生している。
1.吉兵衛の生年の運勢を答えよ。
2.西の方角が最も悪いのは誰か。
3.お民の生年を六十干支で記せ。
4.権助の生年を西暦で答えよ。
5.お民の誕生後、吉兵衛にとって災厄の年となるのは、直近でいつのことか。西暦で答えよ。
服なんてなんだっていいとおもっている。
いまは裸足にサンダルで上ははてなTシャツ初代エディションを着ている・・・。
タンスひっくりかえしたらちょうどでてきたんだ!
1.良い手触りや、良い縫製の見分け方
良い手触りはひとによる。自分はまったくもって化繊がだめなので、コットンじゃないとだめだ。
肌が弱いのと、静電気体質なので、化繊を着ると冬場などは静電気でいろんなものが遠隔操作できるようになる。
絹とかはなにかテロテロしてていやだ。スーツみたいなウールに微妙に絹とか入っているのはおっけ。
手ざわりは、これは好みの問題だとおもう。
縫製はうらを軽くひっくりかえして、裾の部分をみればいい。
ここで使われている糸をみてみる。これがやすいいとだとしばらくとしないうちにやぶれてくるだろう。
Tシャツとかでいうと、脇の下とか、肩みたいなところ。3か所の布があわさっているところの縫製とかもみてみ。
とくに脇の下をみればだいたいの縫製レベルはわかる。
安いやつはほんとうに手がかかってないから。
縫い合わせただけみたいな。
ちなみにはてなTシャツは・・・んー。いいとはいえないなー。
そう、でも、最近のバージョンになるほどどんどん生地がよくなっているんだよ。
プリントも最初は・・・、
生地がよくなっているかどうかは生地の厚みからもわかるよね。
いちばん違うのは襟の部分かな。
そう、いまはてなTシャツきてて見ておもったんだけど、
中にプラスティックの紙的ななんか入れて厚みをだしているやつもあるので注意な。
あと、高いやつは縫製も立体的になってるよ。
縫製大事じゃないってぶくまのひといってたけど、縫製が一番大事だとおもうな。
縫製がいいやつは断然ながもちするし、着やすいよ。
2.1以外のチェックポイント
値段みとけ。同じ品物でも出たばっかりは高くてだんだん安くなっていく。
安くなってから同じものかえばいいさ。
あと、なんかしらんけどそういうのが集まった目ざとい人向けの棚というのはどこのお店にもあるとおもう。
ま、商品を選り分けているだけだとは思うけど。
3.ご自身は普段どんなものを着ていますか(値段・ブランドなど)
はてなTシャツ・初代エディション・・・。
ズボンはエディーバウアー、
はだし、サンダル。
なんでもいいじゃね?
こんど呉服の世界にちょっと足をつっこんでみようとおもっています。
つか俺はおしゃれさんじゃないからな。
ただ、長く着たいだけ。
服とか買っても買ったまま着ないやつとか結構あるし。
このはてなTシャツも数年ぶりに着た。まだ数えるほどしか着たことない。
「小説」など、大上段に構えてみたけれど、ドキュメンタリー・タッチなフィクション・エッセイを連載する。
俺の名は鈴木本太。すずきポンタ、もちろん仮名だ。これから出てくる人物、企業、団体、製品名等についても、架空のものであり、偶然、現実の名と重なっていても他意があるわけじゃない。米合衆国のオバマ氏と福井県小浜市とが関係ないのと同様だ。
俺は32歳。監査法人勤務だ。この業界ではイケてるほうじゃない。だって、システム監査を担当としているくらいだ。システム監査を低くみてるわけじゃない。俺の身長は・・、俺のことはどうでもいい。興味を持たないで欲しい。この話の主人公は国産メインフレーム・コンピュータとそれを構成する企業レガシー・システムなんだ。俺は、狂言回しに過ぎない。「北斗の拳」の真の主人公は「北斗神拳とそれを中心としたヴァイオレンス」であったと記憶する。いや、主人公はラオウだっけ。まぁ、ラオウが倒れた後の「北斗の拳」が面白くないのと同様、俺の人生はたいして面白いものではない。
今回の舞台はB銀行だ。俺たちのクライアント。TVドラマか何かの影響か、俺たち監査法人は、客先の不正を暴く行政官みたいな仕事振りをしていると誤解している友人もいる。あくまでクライアント=お客様から対価をいただいて、仕事をさせてもらっているサービス業なのだ。だから、ぜんぜん、上から目線ではなく、普通の客商売だよ。俺は提供するサービスを売るセールスマンも兼任しているんだ。営業担当者はいないからね。そりゃ、エンド・ユーザにマイ・カーや呉服を販売する営業とは、少し趣きも違うだろうけど、お客様あっての商売。
国税庁や検察庁とは立場が全然違う。銀行の人と話をすると、やはり、国税検査官の中には、高圧的な態度の人もいるらしい。背中にしょっているのが、徴税だから調査権があるからね。でも、やたら、高圧的な人は新米検査官に多くて自信の無さの裏返しだろうとのこと。むしろ、しょぼくれたおやじさんが、ひょいと指摘をする事項の方が怖いそうだ。
銀行をはじめとした金融機関には、金融庁の検査というものがあって、そこからも検査官がやってくる。金融庁は、金融機関に対して、業務改善命令から、免許の取り消しにいたるまで、大きな処分裁量をもっているから、銀行にとっては大きな存在だ。貸出債権が適正に管理されているかを検査する資産検査官、事務が適正な手順に則って行われているか、不正がないかを調べる検査官など、担当も分かれているようだ。システムについても専門の検査官がいる。最近は大手銀行の合併にともなうシステム統合で、おおきな障害が起きたことから、金融庁はシステム検査にも大きく目を尖らせている。
ITガバナンスの適正さ(システムを運営する組織、規定が整っており、正しい手順に基づいて運営がされているか)や、個人情報の管理が十分か、データの参照権限や手続きについて適正な扱いをおこなっているかなど。これらが、金融庁によるシステム検査の調査ポイントの一端である。監査法人によるシステム監査とも重なる部分は多い。ただし、見る立場が違うので切り口は違う。俺らは、処分や免許・許認可が目的ではない。クライアントのシステム運営が適正にされているか否かということを軸として、あくまでクライアントの経営の適正さ、透明性に関する評価・助言を行っている。だから、コンサルティング・マインドも必要だ。勿論、不正を隠匿したり、促したりする助言は駄目だ。
(つづく)↓第二回
二言目には「テル子ー!」と言う。テル子はどこだ、テル子は、テル子は。
テル子は祖母の名前である。祖母は師範学校を出て定年まで教師として勤め上げた
現代で言うところのキャリアウーマンである。しっかり者で賢い。
祖父は祖母にほれ込んで、一族の反対を押し切って駆け落ち同然で結婚したそうである。
とにかく祖母がいないと昼も夜も明けない。
子供である父が帰省すると祖母の関心が父へいくので帰ってくるなと怒るらしい。
今は祖母の具合が悪いので買い物から炊事まで何くれとなく世話を焼いているらしい。
そんな熱愛の祖父母から生まれた父(60)。
父と母が出会ったのは大学時代。知人の紹介である。
父は母を「ユリ子ちゃーん」と呼ぶ。今でも呼ぶ。
母が洗い物をしていれば背後から「ユリ子ちゃん」といって抱きついて振り払われ、
母が昼寝をしていれば「ユリ子ちゃん」といって上に乗って抱きついて怒られる。
月に2・3回は一緒に外食をする。年に3・4回は二人で旅行に行く。
娘の私が一緒に行きたがっても父に断られる。
父は出張の多い職種だが、成田空港から、着いた向こうの空港から電話を入れ
なんだかなあ。祖父や父はこんな感じで熱烈な愛の人なのに
何で私は愛しく思える相手に出会えないんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20071017144742
江戸時代、山東京伝の黄表紙(コメディ)が世間に孔子様のご期待通り礼が浸透した場合の社会が描いている。
江戸時代の戯作黄表紙:作品鑑賞其の弐 孔子縞于時藍染(こうしじまときにあいぞめ)
http://kibyou.hp.infoseek.co.jp/sakuhin/sakuhin2.htm
当世は、朱子学と藍染めの格子縞が大流行。礼を好み、金銀を嫌う世の中になった。 乞食が礼を学び、金持ちの商人が金を施そうとして断られる。傾城買いも大金を使うのを色男とされ、女郎は客に金を押しつけようとする。客の息子株は大金を背負い込んだため、朱子学が孝行を勧める通り、勘当を受けようとするが、親は朱子学の通り、子供を許す。 呉服のえびすやは貧乏神屋と屋号を変え、悪い商品をもっと高く売ってくれと客に言われる。そば屋は無料でそばを振る舞い、金をおいて逃げ出した客をそば屋はその客を追いかけ、握り拳でその頭を撫でる。通人は木綿を着、追い剥ぎならぬ追いはがれが出没、大豊作ゆえたくさん年貢を納め、天は米と小判を降らせる。小判に埋もれた人々は何とか助かる。
何時だって理想は現実ではないので気に病むことでもない。