はてなキーワード: 三沢光晴とは
試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合の真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山が木村をシュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道の系譜がもっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道をプロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。
言わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合は人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。
初代のタイガーマスクがデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画のキャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。
選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身のレスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キックがクリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合は引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーはリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。
公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木と巌流島に立てられたリング上で時間無制限、ノールール、レフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤のインタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤が裸絞めで失神し、猪木が勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラーが純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。
プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田の一騎打ち。新日本とUWFインターの対抗戦として行われたこの興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合に武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレスを代表する固め技で武藤がギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合は面白くなる、ということを示した貴重な一戦。
橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である。橋本はジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスにフェイク無しを魅せつけた一戦。
既に引退していた長州をなぜか大仁田がストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的に成功し、大仁田のお家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉のまやかしを大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合は長州の勝利。なお、この大仁田が長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初は大仁田からの理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋は大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。
2000年はプロレス界激動の年だった。6月に全日本プロレスから選手がクーデター同然に大量離脱し、残った選手は川田利明と渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本のリングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本の現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘をしかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野、忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本のリングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野の勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイクで第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものがプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。
一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合のクオリティも高く、当時の2ch・プロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合で三沢は小橋を花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しかし最後は小橋がバーニングハンマーを繰り出して逆転勝利。ベルトの価値、そして団体の価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。
以下、選外
この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合。
全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディの親友であるハンセンがセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセンが試合にラリアートで介入し、ブロディ、スヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙に馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセンと乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。
故意か事故か、川田が三沢に対して垂直落下式パワーボム(通称:三冠ボム)を敢行した試合。勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。
ハヤブサ(FMW)、新崎人生(みちのくプロレス)というインディー団体のレスラーでもメジャー団体のベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体の立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本を代表するタッグチームと呼んで良い。
犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次に勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレスは永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である。
デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西が後楽園ホールのバルコニー席からテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチの限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西が勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビューで葛西は現役続行を宣言したことから、デスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。
今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。
10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいいか。
・全日本プロレス軽視では?
⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったから新日本はハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。
⇒自分が最近の試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本を崖っぷちで踏みとどまらせたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合は事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。
・総合格闘技戦について
⇒自分も桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技をたまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである。桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人が総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというものに一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田がミルコに負けていた。
・女子プロレスは?
⇒女子は女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!? 今しかないぞ、俺達がやるのは!
・信彦じゃなくて延彦な
正直すまんかった、正直ポカした。
昔、とても素晴らしい人と付き合っていた時期があったんです。
その時が。私の一番輝いていた頃といっていいでしょうね。
でも、付き合っているうちに「私なんかがこの人と付き合っていていいのかな?」
「この人が私に束縛されるようなことがあってはいけないんじゃないか?」
あの人の重荷になることが耐えられなかったんですね(笑)
別れた後に、奥居香さんが
「キョンちゃん、詞書きな。あんなに素晴らしい人と出会った想い出を、曲として残すんだよ」
今でも「Mって誰なんですか?」とよく聞かれます。
私はただ「皆さん、よくご存知の人ですよ」とだけ答えるようにしてますけど(笑)
彼との想い出は、私の一生の宝物ですよ
2023年の新日本プロレス「G1クライマックス」は内藤哲也の勝利で幕を閉じた。ファンの方は嬉しかったことだろう。
しかし、今回のG1は確実にある男が話題の中心に居続けたのは疑いようのない事実だ。
その名は清宮海斗。プロレスリングノアの若きエースといわれる男である。
今年1/21のオカダへの「蹴撃」から始まった清宮の行動は他団体のシングルリーグ戦出場へとつながって、リング内外で想定外の渦を巻き起こした。それが何を示しているのか。
まず、今回のG1への清宮参戦はどちらの希望だったろうか。これに関して私は新日本側の要請とみている。ここでの参戦が大きな話題になることは自明であり、チケット売上や専用アプリへの登録数を
増やせるいい機会である。ここで新日本側から感じるのは自団体の試合内容やレスラーへの自信だ。きっかけさえあればある程度以上の他団体ファンのとりこみが容易だと判断したのだろうと思う。
ノア側からみても清宮には良い経験になるし、知名度に劣り、参戦発表段階では新日本ファンからは諸手を挙げて歓迎されているわけでもない彼への「誤解」を解くいいタイミングでもある。
加えて若いとはいえ団体最高王座に2度(一度目は最年少記録での戴冠)就いた選手である。無碍な扱いをしないような話はあったろうし、そうでなければ送り出すようなこともないはずである。
しかし、ここから(おそらくどちらの団体からしても)想定外の事態が起こりまくった。
まず、新日本での発表時にファンから想像以上の歓迎を受けたことだ。おそらく新日本的にはブーイング半分の状況を想定していたのだと思う。それが想像以上の歓声とともに受け入れられたのだ。
次に新日サイドが目の当たりにしたのは、当初の予想や見積もりをはるかに超える技量をいかんなく発揮する清宮海斗のレスラーとしての能力だった。条件の厳しい(全くのアウェイ+一般的ではない20分一本勝負)中出る試合出る試合で、様々なタイプの対戦相手の特徴を引き出したうえでそれを超えてみせるという、清宮にとっては当たり前の、だが新日本サイドとしては予想だにしなかった状況を現出させたのだ。
その技量の突出の度合いが令和三銃士と名付け、なかで団体としては筆頭扱いであった辻陽太戦で現れた。この試合での清宮は普段の試合では見せない挑発的な技も駆使しつつ、最後は完勝としか言いようのない組み立ててで勝ってみせたが、現場やフロントはここまで技量差を見せられるとは思っていなかったろう。さらに海野翔太戦でも技量で圧倒しつつも海野の気の強さを存分に引き出して引き分けに持ち込んだ。さらに現IWGP世界ヘビー級王者SANADAとの試合でも試合をリードし、最後は時間ギリギリの敗北となったが、王者を差し置いて週刊誌の表紙にまでなってしまう状況となった。こうなればファンは正直である。新日本のファンが一目置くのは必定だ。
自団体の選手を差し置いて会場(=ファン)の信頼を次々に勝ち取っていく清宮を見て、新日本のフロントや現場は何を考えたろうか。その一端がゲイブ・キッド戦で現れたのではないか。
この試合、挑発的ヒールファイトをするスタイルに隠れているが、明確にゲイブは試合を壊しにかかっていたように見えた。清宮は最初受けるスタイルで修正を試みていたが、ある段階で完全に「これは違う」と判断したようだ。
セコンドも連れず、文字通り「単身」敵地に乗り込んでいる彼は試合そっちのけで自らと団体の尊厳を守る行動に出る。最低限の行動(眼球への攻撃や急所への打撃を行わない)は守りつつ立ち向かったのだ。ちなみに観客席で自らの頭を椅子で殴ってから相手に襲い掛かるという奇行ともいえる行為も、湧き上がる怒りを抑える行動とすれば納得もいく。清宮の突然の「試練」に対しても全く臆することなく、むしろ敢然と立ち向かう姿に、おそらくレスラー間で彼を見くびるものはいなくなったはずだ。
だが、一部の人間がそれを完全に脅威としてみたこともまた真実だろう。
私は、この試合を見たときに「これが<仕掛け>であるなら、予選突破はないのかもしれない」と思い始めた。普通に試合を行っても引き分けは当然あるわけだが、この引き分けはそういうものとは違うと見え感じたのだ。その後報道で清宮がスタッフを突き飛ばした、という記事が出た。普段は試合後でもそのような態度をとらない彼がとった行動はその内容が全く予想外であったことを示している。このあたりから、当初の思惑とは違う流れが起こっていたのではないか。
話は飛んで清宮は成田蓮戦で「まさかの」敗北を喫しあえなく予選落ち、となったが、翌日にノアの副社長を兼ねる丸藤正道がかなりセンシティブな内容のツイートを行った(https://twitter.com/noah_marufuji_/status/1687979081059762176?s=20)。真意は以前丸藤との対戦を希望した成田の勝利後に自身と対戦すると清宮のランクが下がってしまうということ、と言っているが、タイミングがタイミングなだけに鵜呑みにはできない。時系列の文脈からすれば成田の勝利を隠れ蓑にしてG1興行全体のピエロとして清宮を扱ったのはおかしい、という風に解釈するほうが無理がないからだ。丸藤の立場でこの発言をしたこと自体、新日本側に対するけん制の意味があるわけで、けん制せねばならない事案が起こっていたという推論にたどり着くことになる。
リーグ戦敗退後もG1興行に参戦を続けた清宮を待っていたのは、なんとほぼ第一試合でのタッグマッチ、というものだった。当初から決まっていたグレート・O・カーン&ジェフ・コブ戦はともかく、その後のマイキー・ニコルズ&藤田晃生、天山公吉&マスター・ワト、矢野通&オスカー・ロイベとの試合とあっては、いくら興行のハナが大事だといっても他団体のトップレスラーをあまりにもぞんざいに扱いすぎている。これはなぜだろうか?
私は準々決勝の組み合わせでAブロックの選手の相手を見たとき、ふと「ヒクレオのところにSANADAが、SANADAのところに清宮がいたほうがはるかに盛り上がったのではないか?」と感じた。これだと内藤がSANADAに勝利していたろうし(結果として優勝後の興行の流れもこのほうがスムーズだった。)、清宮とEVILの試合は相当に盛り上がったはずだ。しかもここで清宮が勝てば準決勝でオカダ戦ということになり、興行の盛り上がりは最高潮だったろう。
しかし、それこそが新日本側の最も恐れていたことではないか。清宮がG1興行の柱になってしまうのだ。この流れでオカダが清宮に勝っても決勝でその盛り上がりを上回ることができるか。決勝は内藤でもオスプレイでもそれは盛り上がるだろう。しかし、仮に清宮がそこまでの試合のようにベストマッチ連発の内容を見せていたらどうなるか。清宮の試合の積み重ねが新日側にあった「自団体の試合内容やレスラーへの自信」を揺るがせたのではないだろうか?
そうなれば最も安全なのは「観客の記憶の奥に清宮の存在を眠らせる」ことである。それはノア側の「想定外」だったろうことが丸藤の態度に表れている。
しかし、両団体にとって(良くも悪くも)更なる想定外は「G1によって清宮の支持が大きく広がった」ことではなかったか。
清宮敗退の報がネットに流れた際、新日本の方針を批判する発言が多く流れ、想像以上の数の新日本のファンがそれに賛同していたのは正直驚きだった。会場でも第一試合や第二試合の出場であっても大歓声で迎えられた。新日本側のレスラーたちの思いも天山戦後に天山自身が清宮を讃えた態度で伝わってきた。そしてなにより清宮本人が腐ることなくしっかりと試合を行いファンを裏切らなった。これこそ清宮が再三言っていた「ノアを広める」が具体的な形になった瞬間ではなかったか。
清宮は正式に使用技の伝授をされている関係から武藤敬司の影響が語られることが多いのだが、元は三沢光晴に憧れノアの門を叩いた生粋の「三沢チルドレン」である。ここまでの清宮の行動を見ればわかる通り、「レスラーは試合で魅せる」「いざとなったら筋を通す」「ファンを裏切らない」という三沢光晴の思想が彼のレスラーとしての行動に裏打ちされている。彼の恩師である小川良成の指導が大きく花開いた瞬間でもあったと思う。
さらに、清宮はあの若さにして日本プロレス発祥のプロレス技術の継承者としての側面を持っている。彼と新日本でタッグを組んだ大岩陵平は清宮にスカウトされる形でノアに留学となったが、すでにノア道場の道場主でもある清宮は指導者としての側面も期待されている。
1988年4月26日、都内・六本木の喫茶「シールズ」で全日本プロレスのジャイアント馬場が会見をおこなった。
同日、某スポーツ紙の一面をデカデカと飾ったのは「タイガーマスク結婚」という独占スクープ。会見場に現れた馬場は「これには参ったよ! 仲人はオレ? 今日にも婚約発表? せっかくみなさんに集まってもらったのだから仕方がない。ちょっとタイガーを呼んで来い!」と“主役”を呼び込んだ。
会見場に現れた2代目タイガーマスク(三沢光晴)は「ほんの軽い冗談ですよじゃ、済まないだろうなぁ」と言ったきり沈黙。交際相手は第2回ミス映画村(京都)コンテストに優勝した女優。前年の1987年4月2日、全日本プロレス大阪大会で花束嬢を務めていたという。
彼女の写真を手に撮影に応じたタイガー。その横で馬場は「まさか虎のマスクかぶって結婚式をやるわけにもいかんしなぁ」とどこか嬉しそうだった。
結論から言うと、正規軍が勝った世界線に住んでる人かわいそう。
橋本真也は日頃の不摂生が祟って病死。長州力は小力とユニットを組むも爆死。両者の首は大阪城ホールの入り口に晒される。蝶野正洋は「笑ってはいけない」のビンタ芸人となり実質引退。
その後新日には何人かインディー出身のレスラーが移籍するが誰も定着せず不人気のまま。
新日なんて今もほとんど誰も見ていないマイナーなリングの話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。
G1 CLIMAX終了後、越中詩朗が新団体の代表になるも5年で引退。その後は後藤達俊が代表代行になる。日本格闘技界は平成維震軍、NOAR、全日、大日本などが乱立していたが、
総合格闘技ブームが起こらず、外国人レスラーの招聘も進みエンタメ化が発展していったので時代遅れなアンコ体型のレスラーは次第に消えていった。
その代わりにYouTuberとして人気を博した一般人がエンタメレスラー化していく。というわけでこちらのプロレスの授業ではいちいち技の名前なんて覚えない。
そちらではやたらとストロングスタイルがもてはやされているらしいが、こちらではガチンコ(シュート)は前田アンドレ戦まではともかく、小川橋本戦以降はZERO-ONE旗揚げを引き起こした元凶で、野蛮で恥ずかしい存在でしかない。
事前にシナリオが完成しているので、佐々木健介みたいなしょっぱーいレスラーがベルトを長州するなんてことはなくなった。
90年代後半に入ると各インディー団体のレスラーやファンが蜂起して有刺鉄線電流爆破マッチなどが漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って新日の強権的な支配がないのでゆるやかにリベラル化していく素地があった。
UWF勢もUWFインター・RINGS両派が認められ、パンクラスとあわせて三大勢力になっている。その後、プロレス八百長説を信じる人も増えていく。
2000年になると前田日明がオランダ勢やロシア勢と手を組み法律で禁止されていた総合格闘技の普及を始める。全国各地のライブハウスや潰れたパチンコ屋などが地下格闘技場となり、連日そこでダークマッチが開催された。
00年代後半になるとアメリカで金網ゲージの中で「なんでも有りルール」で闘う形式が人気となる。エンタメプロレスが主流となっていた日本人レスラーも何人か参戦するが全く歯が立たない。
そんな状況を一気に変えたのが三沢光晴だった。こちらの世界の三沢は斎藤彰俊のバックドロップをくらって死んだりはしていない。全日離脱後にNOARを経て初代タイガーマスクである佐山とともにタイガープロレスを旗揚げしていた。
得意のエルボーを武器に海外の総合格闘家相手に次々と勝ち進む三沢。タイトルマッチでブラジル人柔術家相手にエメラルドフロウジョンを極め戴冠した試合は最高視聴率91%を記録し、大河ドラマの題材にもなった。
試合後にオーカーン選手の反則攻撃を受け動かなくなり担架で運ばれた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b61b98c3b91f0ecac88f261981bf9a31fb1cbe5d
https://news.yahoo.co.jp/articles/5881655fdf17b0680956467fa39355da7dac112b
これらを見ると良いニュースに見える。
それにも関わらず一部のプロレスファンは批判の声を挙げている。
何故か。
それは首の負傷という生命に関わる負傷をギミックとして採用したのでは無いかと言われているからだ。
まず現在のプロレスファンはプロレスには台本がある事を知っている。
それを知った上で試合やその後のコメントなどを含めてドラマのように楽しんでいる。
しかしプロレスはその名の通りプロのレスリングであり、1歩間違えると死に至る危険な競技だ。
実際に2代目タイガーマスクでありプロレス四天王として活躍した三沢光晴選手は、バックドロップというプロレスの基本技で受け身を取り損ね死亡した。
プロレス界の帝王として知られる高山善廣選手は、前方回転エビ固めという危険性の低い技で受け身を失敗し半身不随となった。
だからこそ天山選手がTTDという頭から落ちる技を受けて動かなくなった時、三沢選手や高山選手の件が頭に浮かんだファンは少なくなかったと思う。
実際に自分もそれを見ていて心配になりその後の試合が頭に入らなかった。
だが実際は上記の負傷があった翌日には大事には至ってないという報道が出た。
その後、天山選手とオーカーン選手の特別マッチが組まれることが発表された。
これが本当にアクシデントであれば天山選手の無事が本当に嬉しいし、天山選手にはオーカーン選手の壁となりボコボコにしてやって欲しい。
こういうのは本当にやめて欲しい(首の負傷にも関わらず救急車などが呼ばれたとも聞かないので台本だった可能性はある)。
プロレスファンはプロレスを見たいのであって相手を負傷させるような危険な技を見たいわけではない。
確かに反則攻撃により負傷した場合、ここから因縁が生まれ抗争に発展していくのはプロレスではよくあることだ。
しかし、このような死の危険を感じさせる負傷を因縁のきっかけにするのはやめて欲しい。
たぶんこのような意見は新日本プロレスのファンの中では少数派だろうし、プロレスの台本がどうとか言ったら村八分に会いかねないので匿名で書かせてもらった。
みんなが凄いこと・革新的なことみたいに言ってるからチェックしてみたら完全なヤオだった。
これただの王子様やん。
衣装からも、どうしようもない野暮ったさ、振り切れない奴のダサさみたいなものしか感じられない。
単純にバランスも悪くてかっこわるいしさ。
こんなことしか出来ねえならやるなよとスタッフに説教したいレベル。
そもそももうさ、魔法少年なんて発想はとっくにあるわけじゃん。
何がキュアアンフィニだよ。「アンフィニ」って語句にも大した覚悟が感じられないし。
萌えギャグアニメの変化球にすぎないゾンビランドサガのリリィちゃんでもお前よりはちゃんとしてるわ。
なんか「プリキュアが一石を投じる」みたいな感じでこれをやるならせめてデザインを福島鉄平とかにやらせろよ。
金髪でハーフで王子様でみたいな言い訳・逃げ道を作りまくってんじゃないよ。
本当にヤオだわ。
ガチ性の欠片も無かったわ。
はてな民もこんなもんで言い争うのは時間の無駄だからやめろよ。
ていうかそうやって言い争う具にするのは過大評価だよ。
こんな振り切れてないヤオには「画期的」とか褒め称えられるのも「気持ち悪い」とか嫌悪されるのも勿体無いわ。
両陣営とも、こういうしょっぱい踏み込みしか出来ないスタッフには「この半端ものの雑魚が」という軽蔑の目線だけをくれてやるのが作法だよ。
社会情勢に沿うって言うならまずガチガチ貧困家庭のルンペン少女のプリキュアとか見せてくれよ。
多少問題抱えつつも根底はハッピーな家、みたいなのばっかなのに社会派ぶるのがすでに滑稽なんだよ。
しるかばかうどんの漫画に出てくるような女の子にプリキュアの力を与えてみろよ。
魔法少年やるならちゃんと黒髪の言い訳属性のない”普通”の男の子をナマ足出した魔法少年にするんだよ。
わかってるよ、やりたくねえしやる意味もねえよな。
「ヤオ」がどういう意味合いで使われてるのかよくわかんないや。一般的な用語なのかしら。はてなキーワードに書いてある意味合いなのかしら。
プロレス由来なんだけど、近年の用語で言う「ヤオ」「ガチ」は「ノアだけはガチ」という定型句に端を発すると見てよく、
「ノアだけはガチ」という句が生まれた時代には既にプロレスがガチ競技でないことはプロレスファンですら認めていた訳で、
そこでの「ガチ」とは「レベルが高い」「本気でやってる」「殺すぐらいの踏み込みでやってる」「覚悟がある」っていうニュアンスになり
「ヤオ」はその逆で「レベルが低い」「真剣味がない」「だらけてる」「おあそび」みたいなニュアンスになる。
ちなみにプロレスリングノアは世代交代の失敗と次第にたがが外れていった乱脈経営とに圧迫される中でただひとつの売りとなった「ガチ」なプロレスの象徴としての危険すぎる首での受身を連発していった結果社長でありエースレスラーである三沢光晴が頚椎離断・ほぼ即死というリング禍を招いた。
「ノアだけはガチ」というのはあれは総合にプロレスが押されてたころに生まれた自虐的なジョークで、四天王プロレス由来のひたすら受ける芸風を本気で賛美した言葉じゃないよ
ノアオタは本気で言ってたよ
ギャグとして回収されたのはその後
もうノアの全盛期なんか思い出せないだろうけど
毛なんか女にもあるがな
新日第三世代くらいまではよく言われているけど、それ以降の世代分けが分からなかったのでまとめた。
表記は「名前(生年/デビュー年)」で、デビュー年順に並べている。
力道山(1924/1954)
ジャイアント馬場(1938/1960)・アントニオ猪木(1943/1960)・坂口征二(1942/1967)
藤波辰爾(1953/1971)・ジャンボ鶴田(1951/1973)・長州力(1951/1974)・天龍源一郎(1950/1976)・佐山聡(1957/1976)・前田日明(1959/1977)
三沢光晴(1962/1981)・川田利明(1963/1982)・武藤敬司(1962/1984)・蝶野正洋(1963/1984)・橋本真也(1965/1984)・佐々木健介(1966/1986)・田上明(1961/1988)・小橋健太(1967/1988)
小島聡(1970/1991)・天山広吉(1971/1991)・中西学(1967/1992)・永田裕志(1968/1992)・秋山準(1969/1992)
真壁刀義(1972/1997)・丸藤正道(1979/1998)・棚橋弘至(1976/1999)・柴田勝頼(1979/1999)・中邑真輔(1980/2002)・諏訪魔(1976/2004)・潮崎豪(1982/2004)
中嶋勝彦(1988/2003)・オカダカズチカ(1987/2004)・宮原健斗(1989/2008)
中邑・諏訪魔・潮崎の扱いが難しく、デビュー年基準だとデビューが早かった中嶋・オカダと同時期になってしまうが、年齢的には前世代という印象が強い。どうだろうか。
6/25 マイケル・ジャクソン(歌手) ※享年50、他殺
村崎 ちなみに死因のひとつと噂されている鎮痛剤の過剰摂取なんだけど、マイケルが打っていたデメロールって鎮痛剤、そんなにヤバイ薬なの?
唐沢 モルヒネと同じオピオイド系の薬だね。モルヒネと同等だから確かに鎮痛効果はあるけど、副作用も山のようにある。まあ、これを投与するような症状はもう末期と思っていいほどに危険なクスリだよ。だからマイケルに投与していた医者が訃報が流れてから雲隠れしちゃったじゃない。
村崎 そんなに鎮痛剤中毒みたいな感じだったのかな?
唐沢 もともと痛みに弱い体質で、ペプシコーラのCM出演時に大火傷して以来、完全に痛み止め依存症みたいになっちゃったらしいね。
村崎 麻酔薬や鎮痛剤って、実は覚せい剤やLSDよりヤバイって話もあるよね。分量間違えるとエラいことになるとかさ?
唐沢 分泌系とか、人間の肉体の微妙なバランスは全て交感神経と副交感神経の交替のバランスで成り立っている。ところが鎮痛剤というのはこのバランスを崩して、常に交感神経緊張状態を作りだすことで痛みを緩和するんだよね。短期間ならいいけど、それを一ヶ月以上の期間にわたって持続させると、肉体にありとあらゆる障害が起こってくる。実は知人にセ×ス常用患者がいたけど、こんな大衆薬だからと油断していて、最後には体ががたがたになってしまった。
村崎 「♪痛くなったらすぐセ×ス」っていうけど、痛くなくても買いに来ちゃうんだな、困ったことに(笑)。
唐沢 血管の収縮が普通の状態になるわけだから、全身に栄養が回らない。長生きできるわけがない。
村崎 マイケルの遺体を解剖したら、お腹には溶けた薬があるだけで、消化された食べ物なんてまったく出てこなかったっていうじゃん。
唐沢 太ることを恐れていたから、もともと小食だっていうよね。それで食うもんも食わずに薬ばっか飲んでたら、そりゃ死ぬよ。
村崎 以前オレの周囲にもメシもろくに食わずに栄養剤ばっか大量に飲んでたような不健康な奴らとかいたけどけさ、みんなもう死人か廃人状態だよ。薬って一般的には、身体の不調を治すべきものっていう良いイメージがあるんだけど。
唐沢 でも、副作用のない薬なんか存在しないからね。どんな自然のものから採った漢方薬でも副作用はあるんだから。人間の身体の自然な作用に対して、外部から不自然に矯正していくわけだから、そりゃ影響は出てくるよ。特にマイケルの場合、たたでさえあれだけ人体改造してると、ね。
村崎 いやあ、とにかくオレはあんなに真っ白い黒人は見たことが無いよ! 病気だか整形だか、どんな理由でああなったか知らないけど、あれだけ目まぐるしく顔の色やカタチが変化したスーパースターはいなかったよね?
唐沢 いまの人体改造技術ってすごいからね。こないだ某有名整形外科の院長先生の腹筋の凄さに感心して、その先生の家人に“よっぽど鍛えているんですね”って言ったら、「いえ、あれは腹筋の形にお腹の脂肪を削っているんです」って(笑)。人間フィギュアだね。
村崎 マイケルにもそういう凄いテクを持った整形外科の先生がついていたはずだと思うんだけどさ、ヤバいと気づいた時点で、誰も注意したりしなかったのかな?
唐沢 いや、これだけのセレブになっちゃうと、自分に都合の悪いことをいうような医者はそばに置きたくなくなるのよ。必要なのは“自分が薬がほしいときに、すぐに投与してくれる”都合のいい医者なのよ。オレの知り合いにも、リタリンをすぐに処方してくれる医者ばかり渡り歩いている奴とか、いるもの。
村崎 なるほど、「良い医者」と「自分に都合の良い医者」は完全に別物だと(笑)。そう考えると、どんなに死ななさそうなセレブでも意外にあっさり逝っちゃう理由もわかる気がするな。そういうのとは関係ないけど、プロレスラーの三沢光晴がいきなり死んだのも(★9)オレ的にはかなりショックでガックリきたよ。別にそんなに大好きってほどのファンじゃなかったけど、何であんなに殺しても死なないようなタフで強靱な肉体の持ち主が、ああもあっさり逝っちゃうのかと……。
唐沢 でも、最近の三沢ってお腹がポッコリ出てきて、レスラーの体形じゃなかったからね。あれ、ノアの社長とか、慣れないビジネスとかやらされて可哀相に、ストレス溜まっていたんじゃないかと思うよ。馬場さん以来の伝統で、全日系は団体のトップが社長も兼ねるっていう流れがあるんだけどさ、本来はレスラーはリングの中だけに集中すればいいんであって、面倒なことは脇の背広組に任せりゃいいんだよ。
以下は株式会社「はてな」の行く末と同じくらいにどうでもいいことなんだが、自分のブログよりこっちの方が読者が多そうなので書かせてもらうよ。
まあ何が不満かっていえば、マイケル・ジャクソンの扱われ方ね。世代がどうとか趣味がどうとかいう問題とは別に、マイケル・ジャクソンの死は単なるポップスターの死とは異質な出来事だってことは読者のみんなも分かっているということを前提にして話を進めるので、ここで「?」と思った人はもう読まなくていいよ。時間とってごめんね。あ、あとマイケル・ジャクソンって誰だよ、って人もね。
僕はエルヴィス・プレスリーの死、ジョン・レノンの死についてはほとんど何も知らない。その時何が起こったかを見守った、という意味で「知っている」と言えるのは今回のマイケルだけだ。でもそんなこととは関係なく、今回の出来事が凡百のエンターテイナーの死とは異質な出来事で、前二者の死と同じ何かのマイルストーンになるってことは知っている。有名人の死、というのは消費されるべきひとつのエンターテンメイント・イベントでしかないけれども、この出来事は画面や紙面を通じて僕ら、つまり世界中の人間にひとつの進行形の歴史の波頭を突きつけると同時に、音楽というどこまでも個人的な体験にひとつの永訣を迫ったという意味で特別なんだ。
あの日Twitterのタイムラインを眺めていると、"Where were you when MJ died?"という問いが永遠に問われ続けるだろう、ていうポストがいくつもあった(このフレーズで検索してみるといいよ)。マイケル・ジャクソンが死んだ日、君がどこにいて、何をしていたか、というのはこれから先ずっと問われ続け、語り続けられるだろう。なぜなら、それが個人と歴史が出会ったということの証し立てだから、ってことだ。この日は決っして忘却されない。なぜならこの日僕らの人生は多かれ少なかれ決定的な変化を経験していて、それを僕らは言葉によって語ることができるから。そうやって僕らは歴史を共有し、歴史を生きながら他者と出会ってゆく。マイケルを除くあらゆる人間が、そのようにしてマイケル以外の誰かに出会うという、同じひとつの可能性を生きる。それが、マイケル・ジャクソンのいない世界を生きるということだ。著書のなかでジョン・レノンの訃報に触れた瞬間の出来事をまるで昨日のことのように克明に語っていた佐藤良明みたいにね。あの日カーラジオに耳を傾けていた佐藤良明を揺り動かしたものと同じ何かに、僕らはまさしく触れていたんだ。
それはどんな出来事でも同じことだ、と言われるかも知れない。確かに個人と歴史の出会いという意味では同じかも知れない。でも、今これを読んでいる「僕ら」にとっては違う。なぜなら世界中の「僕ら」の中に、マイケルを知らない者はいないから。そういう意味で、これは日本の偉大なるプロレスラー三沢光晴の死や、日本の偉大なるロッカー忌野清志郎の死ともまた異質な出来事なんだ。悲しさでいえば、僕の周りには清志郎が逝ったことの方が悲しい、という人は多いけれどね。僕個人がマイケル・ジャクソンとその死についてどう思っているかは、ここでは関係ないから書かないことにするよ。
さて、自社サイトのニュースメディア性に自覚も出てきた「はてな」はあの日の出来事をどう伝えただろう。
「はてブ」のトップページを見ていた人は最初「いま話題」の欄がマイケルになったとき、説明文が同名のバスケットボール選手になっていたことに気がついたはずだ。これは「はてなキーワード」の冒頭がそうなっていたためだと思うけど、「いま話題」が手動で書かれていることが明らかになった今では、何で修正しなかったのだろうっていう疑問を持たざるを得ない。それから、「はてなブックマークニュース」でマイケルの話題が扱われた記事のタイトルは、最初に「マイケル・ジャクソンさん死去――死期を“予言”した質問が発見される」、そして「“最高の80年代をありがとう“ マイケル・ジャクソン追悼サイトが作成される」だ。最初のものを見て、僕は「はてな」は滅亡すべきだと確信しかけたね。あらゆる意味で、記者の、編集長の、そして株式会社「はてな」の「神経を疑った」ってやつだ。「はてな」が世間と連動して情報を発信する自社コンテンツとして開始した「はてなブックマークニュース」を利用して、唯一あの日に伝えるべきことが、それだったとはね。ブックマークでもネット一般でもものすごい話題になっていたイランの騒ぎをほとんど黙殺しているのは何故だろうとか、「はてなブックマークニュース」についていろいろ思うことはあるけれど、「死」そのものを発端にしたニュースとしては、なんていうかあまりに酷いんじゃないかって思ったんだ。非常にナイーブにね。どう言っても自己申告型の言い放しにしかならないけど、卑近な言い方をすれば、セクハラに同席しているみたいな軽い衝撃というか、なんだか人に言いにくい不思議な感じがした。別にあの記事はすごく普通で、どこも不謹慎なところや無神経なところはないんだけどね。まあ君は読んでくれてるみたいだからついでに甘えて言い訳すると、僕自身よく分からないからこんなことを書いているんだ。
で、その直後のデザインと「いま話題」のエヴァ化ね。「『いま話題』って広告枠だったのかよ」という指摘に対する「広告じゃなくって応援しているだけです」とかいう申し開きがどこまでも斜め上だってことは「はてな」の皆さんには理解できないんだろうな。アニメの真似事する前にもっとやることがあるだろうとか、いろいろ言いたいこともあるけど、ひとつだけ確実なのは「はてな」はコミットする、っていう言葉の意味を知らないってことだ。コミットする、っていうのはひとつの決断だが、コミットしない、というのも同じ決断であって、さらにいえば決断しない、っていうのも、積み重なって歴史を形成するひとつの決断なんだよ。そしてその歴史は君たちの歴史であると同時にあらゆる人間の歴史でもあるんだ。
ま、言いたいことは何も書いてないけれど、僕が言いたいことなんてとりあえずどうでもいいんじゃないかな。大事なことは、遠い将来、どこかの街角でマイケルの歌声を聞いたときに僕が泣くだろう、ってことだ。もし君が泣いていたら肩を抱いてあげるさ。それから何か話すことがあれば、何かを話そう。僕らがそのようにしてマイケル・ジャクソンと生きる時代になるなんて、一体誰が予想できただろう、とかね。そして残念ながら、そのときにこの京都の IT 企業は完全に忘却される。彼らの決断としてね。
ね、本当にどうでもいいことだろう?