はてなキーワード: 社会人類学とは
…ただしほかのあらゆる大学をのぞけば。
最近ホントそう思うよ。
なんてったって、この大学は授業に出ないことを半ば公然と認めている。
数学、物理学、経済学、文学、社会人類学、エトセトラエトセトラ。あらゆる教員は、本当に好きな奴に向かってだけ授業をしている。もちろん例外はあるけど、講義を取っている学生全員にわからせようという気がちっともないんだもの。だから、とりあえず全員に単位だけは出す。レポートをそれなりに提出しておいて、試験でもそれなりにもっともらしいことを書けば可ぐらいはまあなんとかもらえる。
そんなもんだから講義になんか出なくても良いわけだ。その講義が好きなら出ればいい。つまらない講義を捨て、おもしろい講義を求めてシラバスを繰る、あるいは京都の町を散策するもよし、なにかのプロジェクトを始めるもよしだ。
つまり、ほぼ無制限な自由のもとで、自分でいま何をすべきかを考えること、それを求めている。
それに回答が出せないなら、とりあえず授業に出ていればいい。京大卒の肩書きだけはとりあえずもらえる。まあ、学歴なんて最近は評判がイマイチだけど、そんなに持ってて損なもんでもない。損なときもあるけどそれはまあ置いておく。
不完全でも回答が出せたなら、授業を徹底的にほっぽらかすことだ。ただし卒業できる程度には可を取っておくこと。たぶん阪大なんかに比べればよほど少ない労力でとれる。それに、何をするにしたって、無駄になることなんかないんだから、教養だと思ってやればいい。やりたいことを徹底的にやる自由を認めた上で、やりたくないことを必要最低限だけやらせる。これ、すごいよ。必要最小の教養を身につけた人間を送り出せる上に、そいつは幅広い視野の教養まで身につけて出てくるんだもの。ドロップアウトした人間が持つハングリーさと、大卒という学位を両立させることが出来る。ほとんど反則じゃないか。
俺はこの大学に入ったとき、徹底的に失望した。半分ぐらいの授業はほとんど必修のような科目で埋められていて、眠くてイライラするような授業ばかり。学生はダラダラ、京大生という地位にあぐらをかいて、くだらないバイトに精を出して、飲み会をして遊んでいる。模試ではあれだけ争った存在たちが、そんなしょうもない有象無象に還元されていて、バカなの?死ぬの?と思った。だから早々に授業に見切りをつけた。大学そのものにも。最悪、退学してしまおうかとすら考えた。
けど、それは違った。この大学にはなんにもない!それは当たり前のことだった。まともな講義はしない!それも当たり前だった。
この大学は自分から求めなければ、何も提供しないぞ、と、その一点において徹底していたのだ。無駄なサービスなんか一切してくれないんだ。
そのかわり、そう宣言することで、徹底的に放し飼いする。よくできてるじゃないか。上等だ。やってやろうじゃないか。このクソッタレた京都の町を飛び出して、あの小さくて汚らしい時計台をぶっ壊してやる。そうして今、あるプロジェクトを進めている。おもしろい上に、徹底的に無駄だ。だからこそ全力を出せる。履歴書に残らないかもしれない。けどそれでいいんだ。
というわけで、京大志望の高校生のみんな、受験頑張ってね。できるだけ最小限の努力で受験を通過すること。最近は不人気で、倍率も下がってるらしいし、お得だよ。