はてなキーワード: カップヌードルとは
前者の現実は我々のいるメタ的意味での現実で、後者の現実はゲームの中のリアルな世界観って意味だな。
後者の考えの人は少なからずいるだろうけど、それはあくまでプレイヤーのロールプレイ(なりきり)の範囲であって、なりきるつもりがない人たちには別の選択肢(赤の他人に攻撃)があってもいいよね。まあ開発者の遊びの範囲だな。日本のゲーム業界はカッツカツだから遊びを入れる時間がないけど。ロード画面のミニゲームやイースターエッグがなくなって僕さみしい。
補足:FF15のカップヌードルとか旧作のBGMは決してイースターエッグではない。あれはどうあがいても絶対に目にすることになるし、完全に俺を見ろ状態。
イースターエッグっていうのは、オープンワールドの端っことか何も無い平原のど真ん中にキーブレードが落ちてるとかそういうのよ。通常プレイでは絶対に目にしない場所にある遊び心。それがないなーって思って寂しい。
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、シーチキン、減塩野菜たっぷり味噌汁
○調子
はややー。
ゲームするって言ったけど、思いの外まだしんどくて、そんなにたくさんはできなかった。
っていうか、すれちがいとポケとるだけで、全然新しいゲームはできなかった。
明日から仕事初めですが、水曜日と木曜日と金曜日の三日間行けば、三連休なので。
気楽に、のらーりくらーりとやっていこうと思います。
●3DS
・伝説II
さすがに飽きてるので、ゲームコインを150枚ほど使って、ぼうしをコンプリート。
お知らせコンプは興味ないのでやりません。
ただ、さすがに150枚は使いすぎた感があるね。
・スロットカー
いわゆるキッチン系ゲーム(制限時間内に客が望む料理を作る系のPCのフリーゲーでよくあるやつ)かな? と思ったら全然違うゲームだった。
すれ違った人から食料をもらって、それを元にいろんな組み合わせの料理をしていくゲーム。
すれ違いのパターンでいろんな食材を組み合わせられる的な感じかな、勇者にご飯を食べさせて、その勇者の冒険の報告が新聞で読めるってフレバー部分が気に入った。
すれ違った忍者を上手く大砲の軌道上に配置して連鎖させるゲーム。
これもまたシンプルだけど、ゲーム中に登場するくノ一の「シノビ」ちゃんが、超絶可愛いのでプレイ意欲がグビグビ湧いてきた。
下品な言い方をすると、スケベブックに出てきそうなキャラだ……
・探検隊
これはちょっと特殊で、すれ違った人の「歩数」を使って冒険をするゲーム。
うーむ、すれちがい要因の3DS3台を持ち歩くのはさすがに面倒なので、このゲームはゆったり進行になりそうだ。
釣りゲー。
コペラちゃんが可愛すぎる。上で、シノビちゃんきゃわわって書いたけど、この子も負けず劣らず可愛い。
……今年はあれだな「ゲーム日記色々アワード」を作るので、それの可愛い女の子部門にノミネートさせておこう。
・ゾンビ
いや、無双ゲーっていうかベルトアクション3D風味じゃね? とか言われそうだけど、いまいちこういうジャンルのゲームってやらないから、ジャンル名がよくわかんないや。
これは素直にプレイしてて楽しい系だね、ストーリーもあるみたいだし楽しめそう。
全方位ちっくなシューティング。
今までのミニゲームから一転して、かなりのガチシューティングだな。
シューティング苦手で、ゴリ押しできなさそうだから、若干不安かも。
・ガーデン
花を育てるゲーム。
進めると、タネを交配するシステムもありそうな感じ。
ちょっとすれ違っただけじゃ、よくわかんないや。
・合戦
じゃんけんゲー?
うーん? ほら、僕ってチュンソフ党員じゃないですか……
今やもうスパチュンだから別にいいんだけど、あんまり罵倒したくないので、ちょっとこのゲームの詳細な感想は控えます。
・迷宮
ちょっと今までプレイしたことがないゲーム性だから、いまいちジャンルがわかんないや。
すれちがいでもらったピースを、上手くダンジョンに当てはめると、プレイヤーが進んで行くんだけど、ランダム要素ましましってノリ。
この中で一番「凝ってる」感じがして、楽しいな。
上で、シノビちゃんやらコペラちゃんが可愛いとか書いたけど、ベルちゃんがダントツに好きですね。
今年はこの可愛い子ちゃん三人を愛でていこうと思う。
ログボのみ。
○ポケとる
とイベント系をこなした。
いや、ボーマンダは普通にメインステージでもよかったんだけど、いまいちわかってなかった。
ログボのみ。
3,0ブクマになりましたね?カップヌードルにお湯を入れ10分ほど待ちます。
4,0ブクマの状態ではてブをエクスポートし、そのファイルをExcelで開きます※1のファイルを上書きしないように
5,あら不思議!0ブクマのはずが、何件かエクスポートファイルには残ってるではありませんか!?
(6,元のデータを戻したいときは、1でできたdumpファイルをインポートし私に中村静香ちゃんの画像を送れば元に戻ります。)
どういう基準でバグが起こるのかは不明だが、削除して一見0ブクマになった後も、中のデータにはなんらかの基準でブクマが残っている?
5のエクセルファイルに残ってるブクマを見ると、1年くらい前のものから数日前のものがある。時系列でバラけているので、タイムラグでの消え忘れということは考えにくい。
○朝食:なし
○調子
はややー。
仕事は適当にこなした、まあよくよく考えると僕がそこまで気負うこともないわ。
ポケモンの感想は今日書き終わらなかったので、明日以降、できれば金曜日までには書き切ろうと思います。
現在44回クリア、実績解除が100回クリアなので、そこまではやろう。
が、ストーリーだの対戦欲だのといったゲーム的装飾が一切ないゲームは、終わった後時間の無駄感を感じてしまうなあ。
パズルゲームが意外と好きなのかな? 今まで全く意識したことないけど。
が、運が悪く進展はなし。
それと、ポケリゾートを全開放。
とりあえず旅パメンツ、サトシゲッコウガのレベル上げをさせている。
(A下げの木の実の栽培が終わってないので、まだだけど)
あと、ドンカラス用の闇の石目当てに探索。
とりあえず、ここら辺の要素はデイリー要素的に毎日こなしていこう。
未プレイ。
ノー課金。
○ポケとる
・バクーダのメガストーンイベントに挑戦、いちおうメガスキルアップがもらえるところまでは乗せた。マックスレベルアップはしんどい
以上をプレイした。
ログボのみ。
http://anond.hatelabo.jp/20160413013038
言及いただいたkato19です。大変遅くなりましたが地震の影響はありませんでしたでしょうか?
※意味不明な一般の方へ:一連の流れは下記のブログに記載されています。
じっくり読ませてもらいました。批判文っていうのは読むのにもなかなかエネルギーを消費してしまいますね。増田の文章は論点も多いのでなかなか大変です。自分の知らない分野についても検索しながらできるだけ理解できるように努めました。とはいえアニメ化以前をリアルタイムで追っていない以上は本当の意味での理解は難しいなと思いました。増田が本当に細かい所まで気にしている所に驚かされますが、これがまさに増田の拠り所であるんだなと感じましたね。
今回増田の疑問に逐一回答する事はあまりに労力が大きのでご容赦ください。総論的な内容になります。それに以前も書いたように、そもそも回答した所で増田が納得するとは到底思えないのです。増田も同じような事を書いていますが、結局それぞれが重要だと思う所を重要だと思えないのです。
それを踏まえた上で今回のやり取りの感想を書かせてもらいます。
私が、批判派に対して当初思っていたのは、あの作品を観て面白くなかったんだろうか?それとも面白かったんだけど細かい所が気になってしまってダメだったのか?もう全てがダメで良い所はほとんどないのか?という所でした。
増田の文章を通読してみて感じたのは、やっぱり原作・原案問題がなければこんなにこじれる事はなったんだろうなぁという事。増田ですら『カップヌードル』程度には面白いと思ったわけで。『見たい作品が見られなかった』という点については批判派の方からもツイッタなどで一定の賛意をいただけた所です。
さらについでに言うと、僕はこの映画を観たとき、涙もろいタイプなのもあってちょっと泣いたんだよね。その意味では、その程度には感動した。でも、あの劇場版が駄作だという評価、特に脚本が極めて稚拙だという評価はまったく変わらないし、それは普通に両立することだと思っている。— おりあそ (@oriaso) 2016年4月11日
批判派のおりあそ氏が劇場版で泣いたってのも自分にとっては結構衝撃的な事実で驚いたんだけど『μ'sが解散するんだから涙くらい出るよ』という事なんでしょうね。もちろん自分にも当然そういう所はあるのだけど、今回はそれだけではない感動があったんですよね。
自分は『ガルパン』劇場版でも大変感動して涙が止まらなかったんだけど、あれは決して大洗女子学園が存続してよかった!という事で感動したのではないのです。あの映像と演出自体に感動させられたのです。心底すごいと思いましたしその凄さに当てられて感動しました。話の筋で感動したのではなかったのです。
参考 http://kato19.blogspot.jp/2015/11/girls-and-panzer-movie.html
劇場版ラブライブ!の感動はそれによく似ていると思いました。技術レベルと前衛的な演出、それと当然ストーリー上の感動が合わさって強い感動を得られたんだと思います。自分は少数派になる事が多いので自分の意見が絶賛派の主流ではないでしょうけど。
増田はおそらく劇場版ラブライブ!はガルパンより論理的妥当性がないからダメと言うでしょうが、自分にとっては十分に許容範囲であったという事です。しかしこの点については程度問題としか言いようがありません。
『もっとも、絶賛派の多くは作品において即時的で表面的である所の彼らがいうところのアニメならではの表現内容への思い入れを拠り所にしていて、前後や総合的なつながりや辻褄の考察を要する物語性やキャラクター性については考えたくないようなので難しいかもしれませんが…。』- 絶賛派の負のエネルギーを和らげたい より引用
『考えたくない』のではなく『気にならない』というべきですが、上記のように互いの主張は『糠に釘』状態なわけです。お互いを説得する事は出来ないよね。実際、増田はなぜ絶賛派が絶賛するのか?その理由を理解できていない。その結果『ラブライバーの自己愛』などという荒唐無稽な理由で論じている。自分は前回から増田はもっと前向きな方向にエネルギーを使うべきだと主張してるのだけど、それはこの問題については相手の考えを変える事は無理だからです。もしも増田が絶賛派に対して『本作が駄作だと改心』しなければ納得しない・・・とすれば残念な事です。
増田は初期作品の良さも述べているというが、アニメ版への恨みつらみが主となってしまっているのは間違いないですよね。増田が単に虚空に向かって文句を叫びたいだけなら仕方ないですが、初期作品の良さを知ってほしいのならその方法があるはず。増田で絶賛派を無能呼ばわりしていてもしょうがないわけです。
増田の意見を読んで公野櫻子さん関係を少し勉強しました(増田から見ればまだまだでしょうけど)その中で上記ブログの公野櫻子論で印象的だったのは、公野さんの特徴として読者参加型作品を得意とする事でした。ラブライブ!の初期作品も読者参加型であった事を考えると増田もその影響を強く受けているのかなと。やはり自分達で作り上げた作品という感覚が他の作品よりもずっと強く、それがアニメ版に対する『歪められた』という感覚につながっていると推察しました。そこが単なる原作改変問題とは違う根深さなのかな。
自分は『参加型』とは真逆の鑑賞者。京極・花田氏の作家性が強く出ていても何の問題もありません。ガルパンのように映像作品としての演出・技術に感動し『物語』は当然必要だけれどもそれは作品の一部を構成しているにすぎない。それがつまり『構成・演出・楽曲すべてが一体となって表現』の意味なのです。増田にとっては物語(や、それを含むキャラの設定)が重要なテーマであってそれ以外は物語をよく見せるための添え物であるべきなんだろうと思う。そしてラブライブ!においては公野さん以外の作家性が見える事は不快感につながっているんでしょう。
ちなみに私だって物語重視の作品は大好きですよ。『ここさけ』なんて感動しすぎて3本も感想書きましたし・・・。
参考 http://kato19.blogspot.jp/2015/10/kokosake.html
ラブライブ!については原案の先入観なくアニメに入っているだけの違いです。増田は先入観でまずハードルがあり、さらに細かな物語重視の点でさらにハードルがあった。その二つに加えて大事にしていた公野作品が汚されたという感情的な問題が不快感を増幅させているのだと思います。
本当の数はわかりませんが、初期作品からのファンの全てがアニメ版を否定しているわけではないですよね?おそらく増田が一番怒りを感じているのは、初期作品からのファンのくせにアニメ版・劇場版を礼賛している人間でないでしょうか。アニメ版以降の人間はただの無知蒙昧だから啓蒙する必要があるが、初期作品からの人間はなぜ礼賛するのか理解できない。だからラブライバーとしてのアイデンティティを維持するためだけに礼賛している害悪だ。完膚なきまでに叩く必要がある・・・と。
増田氏は絶賛派を宗教的などと揶揄するけれどそれはお互い様でないですか?というより、この議論そものもが神学論争である事を自覚していないのだろうか。私は自覚しています。この問題は宗教論争やイデオロギー論争と全く同じです。
(初期作品群を)肯定をしている様子も殆ど見受けられません。ただ踏み台として蹴落とされるべき歴史としての存在を認めているだけに過ぎないでしょう。先述のメディアミックス理論の持ち出し方にもそれが現れているように思います。 - 絶賛派の負のエネルギーを和らげたい より引用 カッコ内筆者付加
原案作品群を否定していないだけでは飽き足らず積極的に肯定しなければ満足しない・・・踏み絵でしょうか?折伏でしょうか?『目を覚ま』さねまばらないなど過激な宗教団体と同じではないでしょうか。少なくとも私は初期作品群を『踏み台として蹴落とされるべき歴史』とは思っていません。そもそもよく知らないだけですから。
まあ、そういう人もいるでしょう、誰もが議論に慣れているわけではないでしょうから。もちろん私は『批判する奴が悪』なんて思っていません。しかし好きな作品をけなされる不快感は原案派の人だって同じでしょう。貶して凹ませるのが目的なんでしょうか?そうであるなら品がない行為だなぁと思いますが、実際には増田にとって大切な『初期作品群』を不当に扱われている事を質したいという趣旨ではないですか?
それなら絶賛派に対して『自分の感動はまちがっていました。この作品はご指摘の通り駄作です』と言わせる事で目的は達せれれるのでしょうか?私には単なる当てつけのようにしか感じません。
増田とは確かに感じ方もキャリアも違いますが、同じラブライブ!というコンテンツを楽しんでいた者としては、互いを排除しあうのではなく包摂されるべきだと思う。
増田氏がアニメコンテンツの流れに大変造詣が深いだろう事は一連の文章を読む事で推察されます。であるからこそ、ラブライブ!が『もはや好きとは言い難い作品』などと離れるのではなく、その想い・知識を残すべきだと思うんですよね。
それは、ネガティブな文章を増田で埋もれさせるのではなく体系的に整理された作品案内を提示するべきでなないですか。増田の思う本当のラブライブ!の楽しみ方を、初期作品の良さを記録に残す方がずっと目的にかなうと思います。確かに旬は過ぎてますが、ワンテーマのブログだとしても増田で埋もれるよりはずっと有益だと思う。注目されやすいアニメ版にくらべて原案作品群は実際のところ目立たないし、新たなファンには見る事すら困難になっているわけです。サンシャインが出た今はなおさらμ'sの初期情報は検索しにくい状況です。だから意味はあると思う。
個人的には、この一連の投稿はすごいと思うし、内容についての賛否は別にしても、ただ増田で埋もれるのは残念だと思う。でも別の形で発表するにしても、ぜひ否定だけではない前向きな批判。つまり好きな作品を広めるために使ってほしいと思うんですよね。
増田は原案作品が軽く扱われている事に不満を持っていますが、増田にとっては自明の事でもアニメ以降のファンにとってはその周辺知識は非常にわかりにくいのは事実です。サンシャインが始まるとはいえ、これから再放送や配信でオリジナルを見るファンも多いでしょう。実際私もちょっと調べただけでは意外と整理されていない事に気付きました。作品紹介、見る順番、その魅力など、いまからでも整理して発信する事は無駄ではないはずです。はっきり言って知識の乏しい自分には無理です。
それなら読んでみたいと思うし、こんなマイナスのエネルギーで文才を消耗する事はないと思う。もしそんなページを作ってくれたら是非私のブログにリンクしてお知らせください。こちらからも紹介させてもらいますから。
こんな事書くとまたね『上から目線』みたいな批判がツイッターでされそうですけどね。ツイッターで深い議論のやり取りはむずかしいですが、このように長文を書ける人の意見は真意が分かりやすくエネルギーを使う意味があると思います。自分も今回の事で劇場版の良さを変更する気は全くないのですが、初期作品群の事を詳しく知るきっかけになりましたし、批判派の真意というのも(ある程度ですが)理解できてよかったと思っています。
いいじゃん平和で!と思ったけど、まさに批判派にとっては戦争状態なのだな・・・その心中がわかりますね。平和に絶賛を謳歌している絶賛派への怒りを感じます。
海未はアニメ以降特に不遇だと囁かれるキャラの一人であったため制作陣の悪意や、または慢性的な配慮の怠りの結果だと感じる人も多かったようです。
そうなんだ・・・でも海未ちゃん不遇かなぁ・・・アニメ版でもすごく人気あるじゃないですか、自分もかなり好きですよ。でも一番好きなのは花陽ちゃんですね。批判派の人はアニメ版の花陽ちゃんを『ただの米好き女』に貶められた怒っているみたいですけどね。あのキャラ設定良くないですか?アニメ版の花陽ちゃんすごく良いと思うんだけどなぁ。
※以前指摘されたメディアミックス論の『出自』部分については訂正しました。
『ラブライブ!』は私達に何をもたらしたのか? http://kato19.blogspot.jp/2016/01/lovelive.html
追記:最後になって申し訳ないんですが、『絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①』http://anond.hatelabo.jp/20160413011057 を見逃してたみたいです!ごめんなさい。読んで改めて追記で補足しますね。(2016/5/1)
http://anond.hatelabo.jp/20160413011603
『映像だけ見て萌えているのか?』と思うのは誤解です。省略されているとはいえ引きつける構成・演出・楽曲すべてが一体となって表現されているところに感動があるのです。(補足3参照)
京極監督は初めから劇場版を狙ってたわけではないだろうけど方向性はTV1期から存在する事は明らかです。漫画や小説では表現できないアニメならではの作品とする方向性。
どのように構成と演出と楽曲が一体となって表現されているかを説明して頂けないと解釈が難しいです。また、一体となっていないことを表すもつれが構成に存在することについては、おりあそ氏の記事やそれに対する自分の考察記事などでも言及されています。それを全部放り捨てて「一体となってます」と無理矢理言い張られても困惑します。
もしかするとアニメならではの作品として表現したいという方向性が一環していてそのために構成演出楽曲すべてが一体となっているという意味でしょうか…。だとしたらその姿勢や結果に致命的な怠りが存在しているので問題があるという話を何度もしています。そしてそれは言い換えると全てを雑にやろうという意図がしっかりしているみたいな状態です。
劇場版でSDSのライブシーンで海未がいるはずの所に存在せず作画ミスだと物議を醸したことがありました。海未はアニメ以降特に不遇だと囁かれるキャラの一人であったため制作陣の悪意や、または慢性的な配慮の怠りの結果だと感じる人も多かったようです。
絶賛派はそれについても全体的な表現として問題ないからどうでもいいというつもりでしょうか。呆れるしかありません。
それを理解しない増田は絶賛派を以下のように認識しているようです。
『ラブライバーである自分が好きだからラブライブが好き』なので、失敗作である現実から目をそらして『盲目的に賛美すること』しかできない人間 (かぎ括弧内引用/ 他筆者補足)
まあひどい言われ方ですね(笑)
『海外ドラマにのっぺりとした無個性の二次元美少女絵を貼り付けて動かしてたまにライブシーンで踊らせておけば萌えて尊い』
ため息がでますね・・・私がどうして感動したのかはこのブログで5本も長文投稿をしたのでここで繰り返しません。でも読んだとしても理解はしてもらえないでしょうね。
自分の価値観も相手の価値観も絶対ではないのです。そんなことは発言する時の広く大きな前提です。その自己嫌悪の苦しみと戦いながら内へ外へと開いていくものです。
このように結局は絶賛派が批判派に対して主として持ち出すのはファンとしての立場の在り方的な話です。作品の内容を論じる場でそれを用いても、今まで論じてきておいて今さら何を言っているんだろう…?と思ってしまいます。
一時期流行ったように「それはあなたの感想ですよね?」と返せば全てが解決するわけではありません。それは元も子もない大前提ですし、お互い様になってしまいます。
自分の感想を他者の感想として言っていたなら問題あるでしょうけれど、互いに自分の感想を真っ向から述べているはずの場です。
また、絶賛派の考えがその作品としての在り方を照らし合わせて見た時に論理的妥当性を欠いていて即時的で表面的な感想じみていることは、この記事でもずっと指摘してきていますし、そこを検討してみてほしいところです。
もっとも、絶賛派の多くは作品において即時的で表面的である所の彼らがいうところのアニメならではの表現内容への思い入れを拠り所にしていて、前後や総合的なつながりや辻褄の考察を要する物語性やキャラクター性については考えたくないようなので難しいかもしれませんが…。
増田の言うように駄作という現実から目をそらして感動したフリをしているのでしょうか?さすがに増田も自分の論理に無理があると薄々気づいているはずです。
多くの人の感動させた作品であるという事実。それを受け入れられないとすれば『現実から目をそらしているのは増田の方である』というしかないでしょう。
洗脳だろうと幻覚だろうと感動したらしい人達が沢山いたことは確かでしょうから、そのことには一定の価値があると思います。
しかし、主に内容自体の在り方を主題として論じていたところで「お前が何を言っても感動した奴は沢山いるんだぞ」という内容自体の考察から距離が離れた根拠を持ち出されても、たまたま都合がいい形で現れた現実に縋りながら、内容そのものという真実から目をそらしているように映ります。内容に対する真実の好きを手に入れたいと思わないのでしょうか。好きという状態さえあればいい、そんないまが最高だからいいのでしょうか…。
君、原理主義に陥る事なかれ
自分の価値観を大切にするのは良いと思います。でもその価値観を唯一絶対のものとする事は『原理主義』ではありませんか?増田の論は批評を超えて否定となっているように思います。
『アニメ化以前の作品が好きだ。劇場版はまったく理解できない』それはそれで結構じゃないですか。しかし現実にこれほど絶賛している人がいる以上『自分には理解できないが別の価値観があるようだ』と受け入れるべきです。
正直な話、私も増田の言っている事の多くは理解できません。だから『なぜこの人は本作の良さを理解できないのだろう・・・かわいそうに』となるのです。
増田は自分の好きなものをポジティブに論じるべきでしょう。②の方はいくらかポジティブさを感じたし同意できる所も多いです。(あそこまで合っててなぜ結論が違うのか・・・補足7参照)
私にとっても『駄作・理解不可能』な作品が世間で絶賛されている事が多くあります。その度に自分の認識不足を自覚し考えを改めます。
増田も本来は同じだと思います。しかし今回は不幸にもメディアミックス作品と言う事で感情的行き違いがあるように思います。初期派はおそらく強い矜持を持っているのでしょう。でもそれが原理主義に陥らないで欲しいのです。
確かに理解不能の作品が売れたり評価されたりしている状態は不愉快なものですが、人気がなくても好みなのでしかたがない。一方で人気があっても嫌いなのは好みなのでしかたがない。芸術はそういうものだと思います。
どの現実が真実により近いのかは分かりません。だからより感じて考えて主張して反応を見て…などという行為に意味も生まれるのでしょう。
『アニメ版の良さは理解できないけど初期作品はこんなに素晴らしい!』と言ってくれればアニメ版以降のファンも目を向けてくれるかもれません。一つがダメだから全部潰れてしまえ!では悲しいではありませんか。
.私はラブライブ!とμ'sがいつまでも輝いていて欲しい。だからファン同士の対立は否定ではなく肯定で終わらせて欲しいと思うのです。
投稿においては確かにアニメ以降の批判が多いかもしれませんが、それでも初期の良さも述べていますし、また、先にも述べたように絶賛派は平和ボケしていて余裕なので脳天気なことを言うだけでいいでしょうけども、肯定で終わらせられるわけがないくらいにラブライブというプロジェクトは致命的な問題が山積みなのです。
それを好きな人、擁護する人が多いから問題ないとするのは思考停止です。犯罪はバレなきゃいい理論に似ています。
自分は現実的に考えて、作品が是正されることや、社会的に糾弾されることにはもはや期待していません。作品が終わる折に思い出を語るように純粋に意見を発信する目的で述べています。
純粋さと不純さどちらがいいとも悪いとも時によりけりではありますが、作品が批判されたくないために内容の状態にかかわらず擁護するというのは不純です。内容自体に対して、また自分自身に対しても純粋でないために説得力が不足しています。
今回は意見交換になってますが、元はただ作品内容の問題点を感想としてただ述べているだけでした。
そのように純粋に意見を独り言のように発しただけの投稿を態々発見して頂き、読むだけでなく反応を返してくださったことはとても貴重なことで有り難く思います。そのような純粋な喜びは励みになります。
以下は補足説明に対して述べます。自分の補足説明にもなりますね。
*補足1*
とはいえメディアミックスなのだから、すべての作品がμ'sが出演する創作作品と考えるのが自然だと思う。それは原案者への冒涜になならないはずです。
名前とか見た目や声だけ同じμ’sでもキャラや作品内容が根本的な所から違いすぎるのでそれを乱暴に同一人物が出演してるかのようにまとめてしまうのは逆に問題があります。
*補足2*
パクリである事と『つまらない』かどうかは関係がないので、その辺をあえて混同するのは論理として如何なものかと思っています。
せっかく自分はパクリじゃなくても滅茶苦茶つまらないからクソだみたいな身も蓋もない独断偏見を避けて説明したのに対して、まるでどこにでもあるようなパクライブ批判に対して反応するかのようにざっくりいかれてしまって残念です。
とりあえず配慮の足りてない意図から内容を歪め、配慮の足らない結果になってしまったことが問題なのですと繰り返し強調しておきます。
*補足6*
「今が最高!」と騒げば『飛べるよ』」というようなパッパラパーな意味
ひどい皮肉ですね(笑)むしろ私は『今が最高』の本来の意味『時を巻き戻してみるかい?no no no 今が最高!』※(過去には戻らないの意)を、増田は『過去=初期作品』と捉えて『初期作品ではなく劇場版が最高!』と言われて怒っているのかと思いました。
もちろんその点にも怒っているというか呆れていましたが、その点は言うまでもないほどのことですので…。過去のことや積み重ねてきたものをしっかりと大事にしながら、今を成し遂げたなら今が最高もいい言葉になるんでしょうが、そうではないので残念でしたね。結局、大事な原案とか過去とのつながりを普段どうでもいいと思っているくせに困った時だけメディアミックスを持ち出してみたり、黎明期の声優のことに思いを馳せて声優を思いやれるファンを気取る程度のファッション的なファンにとって都合良く理由はないが今が何より良い気分だということと、積み重ねを感じているふりをできるということを表せる都合のいいフレーズになりましたね。
*補足7*
『ラブライブ!のPVは内容的にアニメキャラというよりアイドルPVの二次元化であり』- ②より引用
私も近い考えですが、私は架空アイドルの『コミック化』『ノベル化』『アニメ化』『ゲーム化』『ライブ化』であると思います。結論が違うのはやはり増田が原案重視だからではないでしょうか。
架空アイドルをコミック化~化…という作品なら特に珍しくなく、今に始まったことじゃないですから当時に期待するものとしては価値を見出しませんでしたね。
実際公式がどうしようとしていたのかは分かりませんが、自分が当時の状態を見て想定し、期待した魅力ある展開の仕方はそれだったということです。
そこについては原案重視とかそういう問題ではありませんし、また、アニメ以降の在り方を評するならともかく、アニメ以降の立場からの物言いでその点を論じるとかなり捏造に近いと思います。
また、ここで原理主義的だとか原案厨や原作厨というものについても言及しておきますが、それらはよく批判されますけど、それが重視されるのは時により人により残念かもしれませんが当然だと思います。
そこについては逆に原作を好きじゃない作品の展開について考えていた時に至った考えです。結局は原作が一番偉いから仕方ないと思わなきゃいけないんだと自分を納得させました。その作品をその作品たらしめるのは原作であって、原作者であるべきなんだろうと考えたのです。
つまり、原案や原作こそ作品にとって最も重要なアイデンティティとなり、軸となる要素ですから、その要素が消えて倒れてしまったら、もはや元とは無関係の作品です。
実際アニメ以降のラブライブはラブライブと無関係の学生が歌って踊る作品としてならば積極的に評価できる部分も増えてくると思いますが(それでも色々盗作などの問題点はありますが)、『ラブライブ!』として見たら間違ってもとても快い気持ちで見られる作品ではないということです。
カップヌードルはカップヌードルで美味しいと思いますけどステーキ屋で高級ステーキを食べられると思いそれを期待して頼んだ時にカップヌードルが出てきたら快い気持ちになるでしょうか。
それをカップヌードルはステーキと違ってただ肉を焼いただけではなく素晴らしい発明で最低限肉も入っていてステーキよりむしろ素晴らしいんだとかなんとか言われても一理なくはないですが困りませんか?
それぞれをそれぞれに例えたわけじゃないですが、自分が感じる納得できなさはそのような感じなのです。