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スリー・キングス
anond:20180212233657への追記です。
長くなったので分けました。
作品名を挙げて下さった方、ありがとうございます。
彼女のプリズムライブに至るまでの物語、何度観ても涙が溢れてきます。
・萩尾望都、大好きです。
ただ「ポー」「バルバラ」「半神」「スター・レッド」あたりが好きで、
「イグアナ」「残酷な~」は読んだことがありませんでした。勉強します。
・トクサツガガガ、まだ未見でした。
ちょっと絵柄があんまり好みじゃなさそうだったのでやめていたのですが、
今度チャンスを作って読んでみます。
作品のご提案全部に反応するとキリがないのでこれくらいにします。
自分の中でも拾いきれてない作品が色々あったなと思うので少しだけ書いとく。
女性同士のねちっこい対立・成長構造を書きたい吉田がガッチリはまった怪作ですね。
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コメントを拝見してもう少し考えてみると、「母親に抑圧されている女性」が
「解放されて自らの道を選べるようになる瞬間」だとか
「面と向かって母に離別を宣言する瞬間」とかにカタルシスを感じてるんじゃないかと
挙げていただいたモノも含めて、上記作品群を再度眺めて思いました。
プリティーリズム・レインボーライブ 25話「さよなら、べる」を観てください。
決して虐げられている人間をみて興奮しているとかそういうことでは無い…と思うんですけどね。
不幸なロリ凌辱モノとかああいうのは苦手ですし、バッドエンドエロ漫画とかも嫌だし。
また不幸になってくれなんて露の先ほども思っていません。
予想通りの反応で正直笑った。
初増田に付き合っていただいてありがとうございます。
「現実でも不幸な人間探しをしてるやべー奴」扱いをしている奴らはお疲れ様でした。
わかってくれてありがとうございました。抑圧と努力と反抗と解放のカタルシスです。
ありがとうございます、多分近いと思います。困難に立ち向かう姿に惹かれているんだと思います。
◆シン・ゴジラみてきた話
シン・ゴジラ。見てきました。
12年ぶりのゴジラ復活であり、エヴァなんかで有名な庵野監督であり、進撃の巨人でやらかしたらしい(みてない)特撮監督であり、と。いろいろな意味でキャッチ―な話題を振りまいてきたシン・ゴジラを、見てきました。
ファイナルウォーズで子供ながらにちょっとがっかりしたままゴジラと別れ、ちょい前のハリウッドゴジラで大興奮し、こんどのゴジラははたして大丈夫なんだろうかと個人的に心配してたシン・ゴジラを、見てきました。
とりあえずの感想として、面白かったです。そこに嘘はないです。
ただ、見てる途中で引っかかる部分はあったし、あるシーンでは完全にがっかりしきってました。そこからテンションを持ち直せてよかった。
こっから先はネタバレを加えながら、具体的にどう感じたのか突っ込んで書いていきたいと思います。
本題に入る前にもう一つだけ。この文章を書いてる人間のゴジラ歴、ゴジラ観(というほどのものでもない)を共有しておきます。
生まれて初めて見たゴジラは、ゴジラVSデストロイヤーで、4歳か5歳のころに映画館に連れられて見た記憶があります。話は覚えてません。父親が好きだったので、一緒に連れてこられただけという感じだと思います。
ただ、幼少期にゴジラだったりデストロイヤーのおもちゃで遊んでた記憶はあるので、気に入ったんだとは思います。
ちゃんと、映画館でゴジラを鑑賞したと自覚のある記憶は、「巨大イグアナNYに現る」が最初のゴジラ映画になりますね。これも小さかったので、なんとなく楽しんだ記憶はあります。レゴで作ったビルをゴジラのフィギュアで貫通させて遊んだりはしてた記憶があります。と、いうわけで、本当にちゃんとゴジラを見たのはミレニアムからです。その後のいわゆる5代目ゴジラは大体父親と弟と一緒に映画館へ見に行きました。ハム太郎との同時上映なんかもありましたが、小さな妹もいた我が家的には、正直ちょうどいい組み合わせでした。そして、ファイナルウォーズを観てしょぼめのマトリックスみたいだなと思ったところで、一旦ゴジラが途絶えます。
僕が見てきたゴジラってのは、結構イケメン顔でマッチョ体格なヒーロー怪獣なんですよね。日本にやってきて暴れますけど、結局もっと悪い怪獣が他に出てきて、そいつと戦うこと自体が結果的に日本を救ってたりすることもあるような。
そういうゴジラをずっと見てきて、それが普通だったので、ハリウッド版のゴジラ(ちゃんとしてる方)は正直大好物でした。興奮しまくって映画館で立ち上がらなかったのが奇跡なレベルで。
ハリウッドが完璧にゴジラを再現した!と思ってたところで日本のゴジラ復活、監督は庵野!
最初はあまり深く考えずに面白そうだねーなんてへらへらしてましたが、だんだん変なわけわかんない展開にならないだろうかと不安になったりもしました。
予習として、進撃の巨人を見ておこうかと思ってGEOまで行って、パッケージがなんか無理って思ってスパイダーマンを借りました。2回目はバットマン。
そんな感じの、あまりがっつりゴジラオタクというわけではない平成生まれが見てきた感想です。
あまり事前の情報収集をしていなかったので知らなかったのですが、今回のゴジラはすごいネタバレ対策が徹底されていたとか。関係者試写会で誓約書を書かされたとかなんとか。
パンフレットにも思いっきり「ネタバレ注意!」なんて帯が付いていましたし。
ただ、誤解を恐れずに言うのなら、映画の大筋自体には、ネタバレするほどの情報もドンデン返しもないよな、と思います。
ゴジラが出てきて大暴れ。それに対して核攻撃したいアメリカ。何とかしてそれを阻止するためにゴジラを倒すぞ日本!すごくシンプルなストーリーです。
そういうシンプルなストーリーを、庵野監督が徹底的にリアリティにこだわって世界観を作ってゴジラというフィクションを成立させる。その手腕を楽しむという意味でクラッシック音楽ぽいかな、と思いました。
たぶん、これが突拍子もないストーリーで、かつあのテンポで話を進められたらついて行けてなかったと思います。
理解しやすいシンプルな話だからこそ、会議シーンみたいな細かい情報の芸術を楽しめたと思っています。
実際の日本にゴジラが出てきたら政府はどう対応するのか、を大真面目に検証した「空想会議読本」って感じでした。
◆あの音楽の話とあのシーンの話
あの音楽の話です。巨災対チームのシーンで流れる、あのエヴァのやつです。正直、勘弁してほしかったです。結構何度もしつこく流れますし。
僕なんか、特撮おじさんの方々と比べたらゴジラファンなのかどうかも怪しい浅さですが、それでも、「ゴジラを見るために」映画館に足を運びました。
そこでこう、デンデンデンデン、デンデンとされてしまうと、どうしても違和感を感じたというか、冷めたというか。俺は今ゴジラを観てるのか、庵野を観てるのか。見たかったのはゴジラなんだけど、今見せられてるのは庵野なのではないだろうか、というか。別に庵野監督の作品が見たくない訳ではないんですが、それはあくまでゴジラの内側に収まる範囲の話であって、その音楽のせいで庵野ワールドへと飛び出し過ぎてしまってる感じがどうしても引っかかりました。
エヴァの人が監督だからエヴァの音楽を使いました、じゃちょっとギャグになってしまう。シーンとしてはシリアスで、音楽の意図もシリアスさを出すためだったはずですが、映画への没入感が急激に薄れていきました。
同じ音源使いまわしでも、過去のゴジラシリーズのものはやはりゴジラの内側なので、しっくりくるんですよね。エヴァの音楽は単に庵野監督という存在のみをハブしている外の音楽ですから。
正直、これは自分の中で予想外だったのでかなり面食らいました。そして、この後も何かやらかしてくるんじゃないだろうかという不安が、以後鑑賞中頭から離れなくなります。で、あのシーンです。放射熱線。
ゴジラが紫色に輝いて、放射熱線撃つぞってシーン。急にBGMが声楽になって、なんかすっごいお洒落感出てしまいました。これは、正直覚悟してました。なんかそういう、山場のシーンでお上品な音楽は使いそうだなっていう勝手なイメージ。絵がスゴイかっこよかっただけに、既にデンデンデン攻撃でちょっと冷めてたのもあって結構堪えました。これに関しては、ゴジラの内側外側とはあんまり関係ないので、単に好みの話だと思います。デンデンデンが無ければもう少し前向きに受けとれた可能性もあります。最終的にここは、「翼をください」が流れなかっただけよかったな。と思うことにしました。
個人的にはこの2か所が、この映画を観ていて引っかかった部分です。
ここらへんで結構下降してたテンションは、その後のゴジラとの決戦、新幹線爆弾にビル崩し、在来線爆弾といった最高の作戦によってみるみる回復しました。
こういう「現在の日本でどうゴジラと戦うか」に対する回答はさすがに見事だなと思います。
平成生まれで、特にシリーズを深追いすることなくなんとなくゴジラを観てきた僕にとって、初めて「世界にゴジラがいなかったゴジラ」の映画でした。
娯楽映画として楽しく、ゴジラが登場したらという思考実験として興味深い映画だと思います。全体として、庵野監督がものすごく誠実にゴジラに対して向き合って作った映画だとも感じます。
だからこそ、上記2シーンはやや誠実さに欠けた、監督のエゴが行き過ぎた故に引っかかってしまったのかなと。
なので、ツイッターなんかで見かける「ここ10年で最高傑作の邦画!」とか、そういう評価感想がどうしても行き過ぎてるように感じます。そこまでじゃない、とはとても言わないですけど、デンデンデン気にならなかった?あそこだけゴジラちゃうよ?と。「ゴジラはいいぞ」くらいならわかるけど、って感じで。
自分が慣れ親しんできたゴジラのテンプレートに近い物、というひいき目こそありますが、ハリウッド版ゴジラの方が個人的には誠実なゴジラ映画だったなと感じます。
良くも悪くも、庵野ワールド全開な映画だったということでしょうか。
ゴジラ>庵野監督な僕としては、その分だけターゲットからズレていったんでしょうね。逆になにも知らなかったらそれはそれで素直に楽しめたんでしょうけど、浅いファン故に感じた違和感のお話でした。
町を歩いていて、ふと、窓ガラスに自分が映るのを見る。ああ、自分はキレイだなって思う。ものすごい美人ていうわけじゃない。でも私は自分の容姿を気に入ってるし、多くの他人にもそれなりに見えるっていうことも分かる。
その瞬間にいろいろなことを思い出す。
昔は自分の姿を見るのが、とても嫌だった。町中で唐突に鏡に出くわすと、ぎょっとして心臓が止まるかと思うほどだった。自分は家庭でも学校でもいつも醜い子供だった。少なくとも自分を醜いと思って生きていた。思春期になるころには、学校の男子にありとあらゆる方法で容姿をけなされた。母親は、顔の整形手術を進めてきた。少しずつ自分の身体が女らしくなってきたとき、それを私は嫌悪した。できるかぎり身体の線の出ない服、ダボダボな男の子みたいな服を選び、髪も五分刈りにしていた。女として見られるのが嫌だった。女じゃなくなれば、醜くても、そんなに傷つけられることはないから。きっと。好きな人ができると、こう思った。自分のことを見ないで欲しい、こんなに醜くて汚らしい自分を見ないで欲しい、モンスターみたいな私の存在をしらないままでいてほしい。少しでも人を不快にさせないように、いつも微笑んでいるようにした。微笑はそのうち能面みたいに顔に張り付くようになった。自分がもう少しでも美しければ、こんなに苦しまなくてもすむのに、と思った。願いはいつもひとつ、「美しくなること」だった。
高校を出て大学に入り、それまでの人間関係から解放されて少し楽になった。眼鏡もコンタクトにすることが多くなった。髪もすこしのびた。大学に入って知り合ったリア充男子が、ふと言った。「眼鏡外すと可愛くなるとか、少女漫画みたいなことってあるんだな」…ぽかんとした。意味が分からなかった。でも、その後実際に自分の人生は大きく変わった。だんだん女の子らしい服を着るようになった。どこへ行ってもちやほやされるようになった。家に帰ると母親は、女らしくなった私を見て馬鹿にしたみたいに鼻をならしたけれど。そして、彼氏ができた。それも死ぬほどイケメンで頭が良くて面白くて優しいとかいう、パーフェクトな彼氏だった。そして数年後プロポーズされた。
ここまでだったら本当に少女漫画みたいだ。醜いアヒルの子は美しい白鳥になって、王子様に求婚されて幸せな人生を送りました、というような。だけど、自分はその結婚を断った。理由なんて特に無い。強いて言うなら、結婚して仕事辞めて地方に行くなんてまっぴらゴメンだった、というくらい。彼氏は卑屈だった私の人生を変えてくれたのに、誰よりも大事だとか思っていたのに、結局そんな風に思う自分のエゴに失望した。結局自分は愛される価値も愛する能力もない欠陥人間なんだって思い知った。
それから数年。私はあいかわらず仕事をがんばっている。友達にも恵まれている。でも、あれ以来本当に好きになった人はいない。もう恋もしないし、性欲すらなくなってきた。婚活もする気にならない。いつもどこかに、自分は誰かと一生添い遂げる資格のない人間なんだっていう意識がある。自分には無理だって思う。そしてものすごく寂しくなる。それは、「いつかヒーローがやってきて、大冒険の末に私をこの世界から救い出してくれる」っていう妄想というか信仰というか、そういうものが打ち砕かれたからだ。一瞬そういう夢をみてしまっただけに、その失望感は大きい。人間には希望が必要なのだ。
美しくなることは、結局なにも解決しない。自分の性格を変えることもできず、王子様に助けてもらう気にもなれないのであれば。だけれど、今日鏡に映る自分の顔は、もうイグアナみたいに醜いモンスターじゃない。それだけでも自分は十分幸せになったのだと思う。
①ゴーリキーの良さが解らない。
ごり押しも酷いと思う。
が、正直ごり押しされても「個性的な顔の人がいるね」としか感じない。
いや、確かに可愛いのかもしれない。可愛いとは主観的な感情なのだから。
けどなんだろう、イグアナがかわいいとかナマケモノがかわいいとかそういう。
②ビブリア古書堂が嫌いだ。
ミステリが嫌いだ。
表紙で売っているくせに「ライトノベルとは違うんだぜ」な感じが駄目だ。
ヒロインの設定がとにかく鼻につく。
「男には媚びてないけど男オタには媚びるぜ」な感じが駄目だ。
せめてwikipediaの編集者よ、もう少し表現をぼかせなかったのか?
③ところがどっこい、ゴーリキーが栞子さんを演じるとなるとどうだろう。
読んだことない小説の鼻につくヒロインを興味のない女優が演じる。
俄然興味が湧いてくるではないか。
みたいな現象。
④例のキャスティングは
・ゴーリキーが好きでビブリアに興味のない人
・両方興味ないけどとりあえずドラマ見る人
・ビブリア嫌いな人
の三者にとっては最適なキャスティングじゃないだろうか。
というか多分あれだ
容姿以外のその他諸々に関しても低スペを見下してるんだよ!
読み上げたろか?
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容姿云々不細工云々を焦点にしてコメントしてるのは一人もおらん。
何故書かれてないことについて「書かれてる」と思い込んだか
あなたの心に関するなんかの手掛かりかも知れんけど。
なんか超今更感もあるけど。
私の彼氏も四捨五入したら10歳上だ。けど友達の反応は全く違ったなぁ。
彼は特に経済的に余裕があるというわけではないし、見た目が特に優れているわけでもなくひどく劣っているわけでもなく、学歴も私の方が上。話してて価値観が近いなぁというのと、考え方の方向性が同じだなぁということ、疲れないことと、基本的にほぼ割り勘で楽チンというところから仲良くなってまー付き合うかーという流れ。まぁ彼氏どんな人ときかれて考え方の方向性が…とかいきなり言わないのでスペック紹介などをすると、
「だまされてんじゃないの」
「若けりゃ何でもいいのかもよ、体目当てじゃないの」
「30年後とか考えたほうがいいよ、子供が成人する前に定年退職なったりするよ」
「同年代と付き合えない人だったりするかもよ?早まらないほうがいいよ?」
などなど否定的な意見が多い。実際に友達の話だったら、自分もそんなことを言うかもしれない。ちょこちょこといろんなエピソードを話していくと評価は180度かわるんだけど。
彼のほうも割りと経済的に余裕がないことはちょっと気にしているみたいだし、こんな年下の子と付き合うって果たしてありなんだろうかと悩んでいたりもするようなので友達にいわれたことは伝えていない。
んーだけどねぇちがうんだわ。私は博愛主義じゃないので増田によくいるミソジニー全開のひとはやだし、陰険な感じの人も嫌だし、チャラ夫とか吐き気がするくらい嫌いだし、かといってイケメンとかいうあれはなーんか気持ち悪いっていうかイグアナっぽいというかで嫌だしとかって好き嫌いが多いわけなんだけれども。あと誰とも付き合ったことない人もなー。なんてーかさ、いや、「誰とも付き合ったことがない人」だからいやなわけじゃなくて、なんつーかあれじゃん?はじめて付き合うからには色々とやってみたかったりするじゃん、毎日電話とかさ。メールとかさ。土日にデートとかさ。女の子はディズニーランド行きたいもんだ!とかさ。カップルで花火!とかさ。そういうのめんどくさいなーとか思うタイプなのね。一日一回生存確認ができれば満足なわけ。一日どっかに遊びにいくとか疲れちゃうから、それだったら2時間とかでいいから一週間の中に分散させてあったりするほうが楽なわけ。ディズニーランド別に嫌いじゃないけど特に行きたいと思わないなー生きたいっていうならついてくのはありだけどとか、人ごみ嫌いなんだよなーとか、そういう私の性格だとたぶん色々とやってみたいって夢を描いている人に申し訳ない気がするし、いつかそういう温度差は皹の原因になる気がしてあーごめんなさい…と思ってしまう。最終的には同じところに行き着くとしても最初の温度差って大事だよなーっていう。あれだね。ガラスにお湯を入れると割れちゃうみたいな。運よく割れずに平衡点に達しても、刺激を与えたら割れちゃうかもしれないみたいな。
なんかすげー脱線した。いや、違うのよ。元増田の彼女の友達の反応も私の友達の反応もどっちもおおいにありうることはわかってるんだけど、でも違うのよどっちもありなんだけど、ということをいいたくなった。なんてーのかなー。うーん。
付き合うまでの間、年齢のことはわかってはいたけど特に問題だと考えたことは一度もなかった。それは顔のつくりや学歴なんかと同じで、違うのはわかってるけど、それが気持ちを変える要因にはならなかった。全く視野外というか。
逆に最初に色々条件設定したところでそれにぴったりの人なんていねーよって話もあるんだけれど、そうじゃなくて結局条件に当てはまる人ってよりは多少条件から外れててもそのひとがいい!ってことになるわけで、なんだ、あれだ、10歳年上が魅力なわけじゃないよ。彼だからいいんだっての。とかね。思ったわけ。のろけか。のろけだ。悪いか。実際年の差あんまり考えないしなぁ。話してるときは。
なんつうかよくまとまらないんだけど、10歳上とか、金銭的余裕とか、包容力とか、将来のこと考えてそうとかそういうのと付き合いたいわけじゃないんだってことかな。そういう条件がほしいわけじゃない。無理せずに楽に特に大きなトラブルも変化もなく、ただ安心して穏やかな毎日がおくれるのであれば、私の場合はそれでよくて、そのときに必要なピースとして彼がちょうどはまった、そういう感じがしている。
でもこういうこというともっとハードル高くなるのかなぁ。なるよなぁ。まぁ最初は条件つけるとかでもいいんじゃないですかね、とりあえず一歩踏み出してみれば。合コンでも社内でも学校でも見合いでもナンパでもネトゲでもオフ会でも通りすがりの人のハンカチ拾うのでも曲がり角でぶつかるにしてもとりあえずきっかけがあって話してそうやってジグソーパズルを完成させていくんじゃないか。要は勇気が、とかいいたいわけではない。あんまりもてたいもてたい言ってると相手を身構えさせてしまってつかめるきっかけもつかめなくなったりするので、気負わずにそのうち縁もあるさーとかおもってれば10歳下の彼女もつかまるかもしれないですよというそういう話。
果報は寝て待て。縁は異なもの味なもの。あーいみがわからなくなってしまった。すまん。