はてなキーワード: 言ってはいけないとは
愚痴垢とは「本垢では言えない」本音を呟くアカウントであり、本垢で呟いてしまうとフォロワーさんに不快な思いをさせてしまうため作成されたアカウントです。
愚痴垢は最近どのジャンルにも見られ、ハロプロ界隈にも愚痴垢というものが最近発足しました。
かく言う私も、ハロ界隈ではありませんが愚痴垢を持っています。
しかし、ハロ界隈の愚痴垢の皆さんに共感する事も多いし、ちょっとこれは駄目なのではないか?と思う事もあります。
現在ハロ界隈において、1つのはてなブログをキッカケに愚痴垢と愚痴垢に叩かれているメンバーのファンとの対立が多く見られているのでこのブログを書こうと思いました。長いです
⑴ 主に愚痴垢が呟いてる内容について
(検索除けの為伏せ字を利用しています。また、今回はモーニnグ娘。の内容を中心とします。)
13期メンバーの加g楓さん
その他、太っているメンバーに対しての呟きが多い印象です。
kgさん
stuさん
・kduが卒業したのにm-do-をひっぱりすぎ、kduを解放して欲しい
・態度を直して欲しい
太っているメンバー
・痩せて欲しい
他にも事務所に対して
⑵ ファンが思っていること
しかし、kgさんやstuさんのファンからしたら愚痴垢のツイートはいい気分ではないと思います。そんなファンの皆さんの意見を(私なりに)纏めると
・鍵をかけて呟いて欲しい
・努力してるからステージに立っているのであって努力してないわけがない
・どうせ愚痴垢は在宅
癒しを求める人、憧れの存在であって欲しい人、恋愛対象として見ている人…人によって様々だと思います
その「求めるもの」によりアイドルに対して思うことも変わってくると思います。
例えば憧れの存在であって欲しい人なら、アイドルに美やスキルを求めるかもしれません。
癒しを求める人は、アイドルにありのままでいて欲しい。と思うかもしれません。
愚痴垢の方とファンの方(厳密に言うとどちらもファンですが、長くなるのでここからはファンの方と書きます)はその「アイドルに求めるもの」が違っていると私は思いました。その求めているものが違う以上、意見が分かれてしまうのは仕方がないことでお互いにその意見を押し付け合うことは無駄な事ではないか?と思います。
求めているものが違うなら、ファンをやめればいいのでは?と思う方も沢山いると思います。でも、どちらも「モーニnグ娘。が好き」という共通点があって、その上に求めているものがあるのではないでしょうか?
これは他のメンバーとぶつかる危険性があるというのは本当ですよね。
態度も、ファンではない方が見たら「うわ、態度悪……」と悪印象を持ってしまいますし改めた方がいいと思います。
ビジュアルや歌唱力の向上も、「アーティスト」ではなく「アイドル」である以上、顔や歌を仕事にしているので多少は気にかけて欲しいという方もいますよね。
体型管理も同様に、プロである以上、確かに気を付けて欲しいと思います。
私はこうやって愚痴垢が意見をするのは、「人気になって欲しいから」だと思います
「人気になって欲しいから」衣装を可愛くしてファンじゃない人に気に留めてもらいたい、悪印象を与えないように態度を改めて欲しい、デブやブスがいるってファンじゃない人に笑われて欲しくない。
こう思うのはファンのエゴですが、愚痴垢の皆さんが意見する気持ちもわからなくもないと思いませんか?
でも、愚痴垢を全て肯定できるのか?と言われると肯定できない部分ももちろんあります
・他メンが休業や卒業発表をすると、○○も卒業しろ などのツイートをする
・映像の一部をスクショして、ブスwwwと騒ぎ立て、映像の一部のスクショをアイコンにする
・根拠もなく叩く
などの点は私も改めるべきだと思います
映像の一部をスクショすればそりゃどんな美人であってもブサイクになりますし、それを使って叩くのは卑怯ですよね。
それに卒業しろ!などは言うのは自由ですが、ファンの方が不快に思うのも当然ですし改めるべきだと思います。
・愚痴垢を在宅と決めつける
(この日ライブに行ったなどとツイートすれば身バレする可能性もあるので、わざわざアカウントを分けている愚痴垢の方は呟きにくいのでは?)
でも、確かにダイエットの強制、化粧を頑張るアピールなどはしなくてもいいでしょ!という気持ちもわかります
しかしここは、先程言った「アイドルに求める事」の違いに関する問題なのでこれ以上議論することは無駄だと思います。
努力も確かにしてるとは思いますが、人によって努力の基準が違うのでこれもなんとも言えません。
⑷ 対策
私が思い付く対策は
・検索除けを徹底する
愚痴垢がなくなればいい!と思う人は多いと思いますが、愚痴垢というものはハロ界隈だけに収まるものではないのでそれは不可能だと思います
消しても消しても愚痴垢は現れますし、その度に騒いでも時間の無駄です
⑸まとめ
お互い、「モーニnグ娘。が好き」という共通点があるファンです。
自衛して、検索除けを徹底する。ということを気を付けて、ツイッターライフを楽しむ。ということを私は提案します
私は今の「同意する意見だけを述べなくてはいけない」という風潮は良くないと思っています。
ダメなところはダメであり、それを不快に思うことは悪なのでしょうか?
わざわざアカウントをわけてまで呟いているのに、それを消去させることはもはや宗教のようなものだと思っています
メンバーが好きでやっているのに否定するなんて!と思う人もいると思います。
確かにプライベートはグループに迷惑をかけなければメンバーの好きにすればいいですよね、交友関係や私服など
でも取材などで写真を撮られる、となったらちょっとオシャレな服を着て着て欲しいなあ……と思い、呟くこともいけないのでしょうか?
メンバー内でドッキリをして、それが酷いドッキリであったら、「それはやめたほうがいい!」という事もダメなのでしょうか?
言ってはいけないラインを超えないように愚痴垢も配慮し、そのラインを超えない不満は多少目を瞑ることは必要ではないでしょうか?見たくないならブロック、ミュートし、愚痴垢の方も酷い意見を言う時は鍵をかける。などの配慮が必要だなと思います
まとめると、片方を悪だと決めつけないで、一定のラインを超えない限りお互い干渉せずにいる、ということが重要だと思います。
もう一つのブログがファンの方よりの意見なので、少し愚痴垢の意見よりで書いて見ました。賛否両論あると思いますが、個人の意見なのであまり気に留めず、楽しいオタクライフを!
小さい頃から「嘘は言ってはいけない」と思っていたし、人の言うことはまず「信じて」理解するべきだと考えてきた。
人の言葉を疑わないと言う意味ではなくて、疑うのはいくら疑ってもいいんだけど、相手が嘘だと認めない以上は、どんなに疑わしくても、とりあえず「相手のいうことは正しい」とみなすと言うこと。
この態度がどうやって身についたのかよくわからない。小さい時から冗談を真に受けたりして「どうしてそうやってすぐ信じちゃうの?」なんて言われることがあった。別に本気で信じているわけではなくて、冗談のように信じたがいことであっても、そう言うのだからそうなのだろうとみなして理解するのが礼儀というか、当然そうするべきだと思っていた。多分、礼儀という概念はわかっていなかったけど、「人の話を無視してはいけない」みたいな感じで、当然、人の言うことを嘘だとみなすなんてことはしてはならない、みたいな。
そういえば、「人の話を無視してはいけない」は、多分小学校とか幼稚園で大人に言われてそのまま受け入れていて、中学くらいまで正しいと信じていて、高校生くらいの時に法学の勉強をするようになってから、「人の話を無視してはいけないと要求してはいけない」と認識を修正して、これは大変なショックだった。自分は今まで間違ったことを教えられてきて、それを今までずっと正しいと思い込んでいた、と言うことを受け入れるのが大変だった。
「人の話を無視してはいけない」って子供には一般的に教えていることだと思うし、みんな大人になるに従ってこれが世の中では通用しないことは肌で感じるはずなのに、どうやって折り合いをつけてるんだろう。
それと同じような感じで、「相手のいうことは正しいとみなすべき」って言うずっと受け入れていた正しさが、対人経験を重ねるにつれて、現実と整合できないと感じること。
相手の言っていることがある程度疑わしいとき、一応自分は確認をするようにしてきたつもり。「それは本当なの?」「本当だとするとこれおかしくない?」みたいに、それが信じがたいと感じる理由を説明して、相手が「実は嘘でした」と認めるか「それはこういうことだから不自然じゃないし疑うことないんだよ」って説明してくれるのを期待していた。
納得できる説明が得られなくても、相手が間違いを認めなければ、やはり信頼しなければいけないと思っていた。それが相互に信頼するために必要な態度だと思っていた。
でも、世の中では、信頼っていうのはそういうことじゃないんだってことを、最近強く感じる。言葉では認めないのに、やはり本音は自分が疑っているようなことで、そして自分がそれを疑う理由は全く正しく、そのような疑う理由が明らかにあるから、相手もこちらが察することを期待していたり。
自分では察することはできているつもりだ。察しているからわざわざ念押しの確認質問をしたり疑問を表明したりするんだ。それでも認めなければ、「疑わしいけど、本人がそういう以上信じるしかない」というのがこちらの結論になってしまう。
それが後になって、最初から疑いの方がただしかったということを告白されて、ものすごく悔しく裏切られたような気持ちになったりする。わかっていたのに、無理やり信じさせたのはそっちじゃないか、と思ってしまう。
言葉への信頼を裏切られるというのはものすごく辛く悲しい。でも世の中の人は、言葉を重視していないみたいだ。行動とか態度の方が重要なんだ。
逆に、立場をひっくり返したらいいのか。言葉ではなく行動と態度を聞いて、言葉ではなく行動と態度を信頼したらいいのか。どこかにそういう慣用句のようなものがあった気もする。でもそれって、相手の誠実さをはなから信頼しないってことじゃないのか。そんなことしていいのか。
こういうことを考えることが、度々ある。
ここ数年でいろんな作品にハマってきた。大学生になり、それまでと違って使える時間もお金が増えたこともあってゲームもイベントも沢山参加していた。
しかし、その作品たちの多くに浮上してきたもの、それが構図のトレス疑惑や素材等の著作権違反問題だ。
まず1つ目は刀の擬人化。ゲーム内のアイコンに全くの他者が作った素材をトレスしたものを使用していた。これに関しては公式側から謝罪があったが、更に一番大好きなキャラ二人の立ち絵にトレス疑惑が浮上していた。「刀の持ち主の流派の写真を参考にしただけではないだろうか」と心のどこかで思っていたものの、マイナスのイメージが一度でも付いたキャラを好きでいることに後ろめたさ、心苦しさを感じる様になり、段々ログイン回数が減ってそのまま離れてしまった。
2つ目、数字をモチーフにしたアイドルグループが活躍するジャンル。ある時、キャラクター達が某有名アイドルジャンルのキャラクターの外見や性格などの設定を丸パクリ、あるいは継ぎ接ぎして作られていること、またゲーム内カード絵、CDのジャケ絵などの構図がその他様々なジャンルの構図をパクっていることをかなり辛辣な言葉で指摘しているアカウントを見てしまった。そのいわゆる「ラレ側」には、今までハマって来た作品がいくつもあった。そこで気になり始めてしまい、作品アンチのアカウントを覗くようになった。「いくらなんでもそれはこじつけだ」と思う意見もあれば、「言われてみれば確かに」と思ってしまうような意見もあり、「自分はこの作品を好きだと胸を張って言ってはいけないのではないか」とどんどん暗い気持ちになってしまった。それからは1つ目の作品の時と同じようにログイン回数が減っていった。この頃「ラレ側」の作品の一つにもかなりハマっていたことも在り、その作品を好きでいる以上もうこのジャンルに関わってはいけない、と思うようになり、アプリをアンインストールした。
3つ目は、フィギュアスケートを題材にしたアニメ作品。最終回を目前に控えたある日、メインキャラの部屋が海外のアーティストが撮った写真と全く同じデザインであること、その作品の使用許可は出ていないことを知ってしまった。他にも背景やED映像に著作権のある写真や本当のスケーターの動画を許可なしで使っているのではないかという問題が浮上していた。これに関しては、今までの2作品で疲弊していたこともあり、アニメの終了と同時に熱も冷めた。
4つ目は、今まさに頭を悩ませていることだ。有名アイドルゲームシリーズの男性版で、本当に好きなユニット、キャラクターがいる。ゲーム配信時からどんどんコンテンツが進化していき、ついにアニメ化もした。大好きなキャラが動いて喋ることが嬉しくて、このジャンルにはまって本当に良かったと思った。しかし、最終回も近くなってきたある回の放送で「かっこいい」と純粋に思っていたカットと似た写真が既に存在していることを知った。こじつけだと思いたかったが、ポーズは全く一緒、何なら着ている服もほとんど同じ。「この作品でもか」「またなのか」という感情でいっぱいだった。また離れられれば楽なのだが、今度の問題はアニメの話だ。今まで離れてきた作品と違って、コンテンツの大元とは違う場所で起こっていることなのだ。どっちでも同じだろう、と思う人はいるかもしれないし、私の頭が無理やりそう思わせて逃げているだけかもしれない。しかし、今度は離れるには原作への熱量があまりにも大きすぎたのだ。はやく公式が何かしらのアクションを起こしてほしいと思いながら、せっかく買った円盤も開封できないままでいる。
これまでの事はすべて私の気持ちの問題で、人によってはこういった問題を目にしても気にせずその作品を好きであり続けられるのかもしれない。パクリだと騒がれているものの中にも、法律には何も反していないような事例もあるのだろう。それでも、ルール違反でなければ何をしてもいいわけではなく、トレパクという問題が浮上することで着いた暗いイメージに嫌悪感を覚える人ももちろんたくさん存在している。こういった問題が起きることで離れていく人を「元々そんなに好きじゃなかったんだろう」「本当のファンだったらそんなことはするべきじゃない」と批判する人もいるが、他作品が作り上げたものを何の敬意もなく、横から取って作品を作っている側の人達は「何をしても許す、あるいはスルーしてくれる人」のためだけにコンテンツを作っているのだろうか。
ふとしたことでその作品にどっぷりはまるのと同じように、何か一つでもマイナスになるようなことがあれば簡単に熱も冷めてしまう。もちろんそれはその人の勝手だが、決して1人2人という程度ではない。作品を支えたり、応援する人の何割かがごっそり減ることだってある。自分の好きな作品やキャラクターが、他の誰かが苦労して作ったものをあたかも自分達のものだと言わんばかりに使って称賛されていることが、どんなに苦しくて辛い事か考えてみて欲しい。
「でも、いつか好きな人ができれば異性を好きになるんじゃない?まだそこまで好きになったことがないだけで」
気の弱い子だ。
成人して社会人になった今も、友達にも同性愛であることはなかなか言えてない。
だからこそ思う、否定してないように見えるこの言葉は、本人が聞いたら辛いだろうなと。
そんな、もしかしたら異性を好きになるんじゃかという可能性は、本人だって思春期の悩ましい時期に何度も考えているはずだ。
そんなこと、とっくに通り過ぎた上での「私は同性愛だ」なのだ。
女の子のおっぱい大好きなあなたが明日、突然「同性を好きになるのが当たり前の世界」に放り出されたとして、そう言われたらどう思うのか、考えてほしい。
私はそう言われて「うん。私はね、なんでもいいから、本人には生きたいように生きればいいよと言ってるんだ」と返した。
「生きたいように生きて、幸せになる」
同性愛ということに限らず、そう思う。
みんな気を使ってるんだよ。
外向けには子育ては、「地獄」「いつまで奴隷か」「牢獄生活」「鬱」「発狂」「死にたい」「殺したくなる」ぐらい言うのがちょうどいい。
じっさいはパイパイあげてるときなんか、幸せ感が心の芯をダイレクトに揺さぶりまくるから、そういう意味で死にそうになるんだけどね。
「言ってはいけないといわれた」ことはしっかりと覚えているのだが
「この人になら言ってもいいかな」や「この雰囲気なら言っても大丈夫だろう」というその場の自分の認識でつい言ってしまう。
いままでに、それで大きく信頼を失い友人関係を壊してしまったこともある。
すごく仲良い子には「わたしに秘密はしゃべらないでほしい。つい話すから」と言っている。
だが私のもといんはたまに「秘密」がぽんとやってきて、
そもそも仲良くなればなるほど
人はどうしても秘密を分かち合いたくなる瞬間がやってくる模様。
今年すでに大きい失敗を二回した。
Aちゃんが私に不満として漏らしたため、
2名しかいない場所で私がそれについてはっきりと名言したこと。
これはBちゃんがそもそもAちゃんに「秘密」として伝えたことを
Aちゃんが私に言ったためAちゃんも私も悪いとい言っていたのだが
まあ私が言わなくてもよかったと思う。そもそも2人の関係のことだし。
もうひとつは、ある人がある女性に誘われたという下衆いお酒の席での話。
そして冷静になると「別にあの場で言わなくてもよかったな」と思う。
想像力がないのだろうか。
本当は他人に興味がないのだろうか。
すべてに当てはまる気がする。
あ、思いついた。
逆に今年ちゃんと秘密にできていることもある。
煮えきらない態度にだんだんと愛想つかしてるようだ。
私の考える「さすがに言ったらだめ」ライン=わかりやすい崩壊なのだろうか
実際は選んでいるだけで誰とでもセックスできる。
・友達の家で初対面とセックスした(これはバレているっぽいが、その友達は何も言わずいまでも友達でいてくれている。ありがたい。)
バレたらどうなるかも考えてみよう
・かなりだらしない人として見られるかも。
・友人をやめる人もでてくるかも。
・それを知られているところでまともな恋人はできないだろう
やめたい、とは思ってる~~~~~~~~思ってます。
↓の記事を見て思った
http://eikaiwa.dmm.com/blog/26789/
(この記事はあくまできっかけで、以下の内容は上記記事のみに対する反論ではない)
以下のようなことを書いてある記事をたまに見かける。
何故、外国の人の反応を気にして主義主張を曲げないといけないのか?
2に関しては、これが当てはまる日本人も確かに少なからずいるとは思う。
が、当てはまらない日本人も多数いると思われ、1の主張を補助するためのこじつけ感が否めない。
大多数の日本人が正月に神社にお参りに行くのが、大多数の日本人が神道を信仰している証拠だ! とか言われる。(ちょっと極端にしてるかもしれないが)
だけど、本当にそうなのか?
確かに、お参りに行ってお賽銭投げて手を合わせたときに、心の中で本当に真剣に神様にお願い事をしている人に関しては、「意識していないだけで神道を信じている」と言えるかもしれない。
でも、ただの付き合いだったり、お正月暇だったり、「ただなんとなく毎年行っているから」という理由で初詣に行って、特に真剣にお祈りすることもしない人たちも大勢いるはずだ。
それを「初詣に行っているから、神道を信じている」というのは、「クリスマスパーティーをやっているから、クリスチャンだ」というのと同じくらい暴論だと思う。
日本人の文化や倫理観に、神道や仏教の影響が強いことは否定しない。
が、それが即ち、平均的日本人の多くが神道や仏教を信仰している、としてしまうのは、宗教がないことを恥じた故のただのこじつけだ。
一昔前ならどうだか知らないが、少なくとも現代の日本においては、あまり正しいとは思えない。
マリオオデッセイがソニックアドベンチャーに似てるって思ったの、やっぱり私だけじゃなかったー
海外じゃとっくに指摘されまくってた模様
リアル現代都市な街並みも、リアル顔&等身な人間が普通に出て来てデフォルメキャラと共演も、20年前からやってたもんなあ
ゴールまで行く系のアクション面だけではなく、アイテム探索面もあったし(完成度が違うだろとは言ってはいけない)
LGBTの大波が来ている。
そういった大きな流れが海の向こうやネットの近所で少しづつ広がっている。
その中でも自分が隠れ同性愛者である事に気付く物語や、無理やり押し倒されて気づけば同性愛者にされてしまっている話を好む。
いわゆる「マスターベーション」と性教育では習うらしい行為を、私はそれらによって行っている。
さて、2つの前提が不幸にも巡りあわせた。
私の好きなものは、同性愛者を差別していて普通でないものとして扱っている作品として規制される可能性がある。
なんということだ。
ナチスが最初共産主義者を攻撃した時~~という有名な詩があるが、私はその真っ先に攻撃される共産主義者なのかも知れない。
私は声を上げて叫ぶべきなのだろうか。
書いてる内に脳の奥がボーっと熱くなってきた。
反対に股間はすっかり冷え込んでいる。
何年も鬱病で苦しんだ。
数年前にそれが行き着くところまで行って、まあ初めてではなかったけれども、自殺未遂、救急車で運ばれて気が付けば集中治療室、その後入院、と、散々迷惑をかけ心配をかけ。
退院はなんとなくヌルッと決まったような感覚だった記憶があって、その後どうなるんだ自分の人生、と思ったけれども、失業給付やアルバイトで食いつないでいる間にたまたま決まった仕事が妙に性に合ったようで、働き始めて二年を待たずに服薬が必要なくなるところまで回復した。病院に通わなくなったのは十年以上ぶりのことだった。とてもラッキーだったと思う。
もともと創作活動が好きだったのだけれども、鬱病が酷い時には創作どころではなかったので、何年も遠ざかったままだった。でも回復するにつれ自然に創作に向かうエネルギーも湧いてきて、たまたま外的なタイミングも合って、創作活動を再開し細々と行うようになった。
才能が無いなんてことはとうの昔に痛感していたので飽くまで趣味としてではあるけれども、趣味なりに本気で何かを創る感覚は久しぶりで、刺激的で、仕事やプライベートでうまくいかないことがあっても、創作が自分の支えになりつつあった。
評価は全然されなかった。自分の力では無理も無いと思う。年齢的な面もあって、年甲斐もなく何をやっているんだと思われていた節もある。でも本当に近しい人たちには、自分にとって創作が如何に大事なものかはわかってもらえていると思っていたし、そのうち少し良い作品ができたら、それなりに喜んでもらえるんじゃないか、なんて甘い考えを抱いていたりした。
とある賞で、予選を通過した。それなりの規模で行われている賞で、そういった機会で選ばれた経験が自分には無かったので、予選通過者なんて他にたくさんいたのだが、それでも嬉しかった。励みになった。それなりに浮かれてしまって、今となってはとても恥ずかしい。
そんなに盛り上がるなんてことを思っていたわけでもないけれど、七転八倒していた自分を知っている古い友人、近しい人々は、喜んでくれるんじゃないかと思っていた。でも甘かったらしい。
何の反応もなかった。何も。無理もないか、予選を通っただけだものね。作品のクオリティや方向性だって、まるで誉められたものじゃなかったのかもしれない、こんな自分の創ったものだから。
それでも、そうかここまでちゃんと形にできるところまで回復したんだね、今はやりたいことをやれてるのか良かったね、って喜んでくれる人もいるかと思っていたんだ。作品はまだまだ全然だけど、創れるようになったってことは本当良かったよ、なんて言ってもらえるんじゃないかって、思っていたんだ。
創る側の人間からしたら、ネガティブな評価もそれは勿論怖いけれど、評価が無いこと、誰からも無視されることがどれだけ恐ろしいか、身に染みてわかるんじゃないかと思う。それをわかっているはずの友人たちも、何のフィードバックもくれなかった。
コメントすることも憚られるほど作品が酷かったのか、気を遣って労いの言葉をかけることも煩わしいほど自分が嫌われていたのか、それともその両方なのか。何にしろとてもショックだった。とても。
他にすることも大してなかったんだけど、でもそれなりに色々なことを諦めたり犠牲にしたりしてなんとか形にした作品が、手元にある。でも結局誰にも届かないんだろうな。酷評にも値しない作品。
それでも自分が今死んだら、友人たちは葬いとして一応は作品に触れてはくれるだろうか?それなりに美化して、通り一遍でも褒めてくれるだろうか?
そんなことばかり考えている。作品が認められないこと、無視されることの苦しみに耐えることが出来ないなら、創作なんてする資格も無いのだろうけれどもね。そもそもちゃんと力があって、評価に値する作品が創れるならこんなことにはならない訳で、文句を言う筋合なんてない、こんなことは言ってはいけないんだろうなってこともわかっています。だから自分は駄目なんだ。趣味でこんなに消耗するなんて、バカだなあ。本当にバカだ。人生にはもっともっと大切なことがたくさんあるはずなのに。でもバカだから、もう死んでやろうかという気持ちになる。バカだなあ。
『これもよくいわれることですが、退職の際のトラブルは必ず避けるようにしましょう。
仕事を行う上で、退職後の会社とどこて繋がりがあるかわかりません。
ということは、過労死ぐらい働いても、
パワハラを受けても、
セクハラを受けても、
『フリーランスで契約するから残業代の事は今後一切いわないで欲しい』
僕の機能は搭載されることはなく、
ありませんでした。
これを当たり前と思う方もいるでしょう。
思う人もいるでしょう。
最終電車までは帰るように、と、
朝方、泊りはだめだという話はありましたが、
しないといけないという事は思いました。
結局出たアプリを皆さんがしてみて、
どう思われるか?だと思っています。
いいものを作っていきたいです。
仕事をお願いすると「自分はこういうの苦手」とよく言う後輩がいて、「苦手」は自覚はしても、人に口に出していうのはやめた方がいい、と言った。
①実際に口にすることで本当に苦手意識がつき、本当に苦手になる。いわゆる言霊。
結果が出せてないことに対して、他人にはどう評価されても仕方ないが、自分から苦手分野を公表するのは、自分の呼吸点を自分から狭めることになり、結果的に自分に対するハードルを上げることになる。
苦手ということで自分を守っていることはわかるのだが、実は自分を脅かす行為だよ、と。
なので、相談なら全然乗るし、愚痴も聞くけど、会社では誰に対しても自分の苦手なことを言ってはダメ。周囲のためというより、自分が厳しい状況になってしまうので。とアドバイスした。
その後輩は、苦手のアピールはあっても得意のアピールがなく、正直、鵜呑みにすると頼む仕事がなくて困ってきていたので。
僕は上記のように思うのだけど、皆さんはどう思いますか?