はてなキーワード: 衝動とは
もし、医者からグレーと言われても不眠の症状があれば医者から薬をもらったほうがいい
依存症になりやすい人は不思議なことに加味帰脾や湯帰脾湯、黄蓮解毒湯+四逆散、半夏瀉心湯、女神散、六君子湯+四逆散などの漢方を飲むと衝動性が消えて、酒のことなんかどうでもよくなるし、よく眠れるようになる
(医者からストラテラやコンサータを貰えるなら、これらの薬と併用したほうがいい)
なぜか知らんが気晴らしになる
この詩は、人生の不安定さや葛藤、個人のアイデンティティを模索する苦しみをテーマにしています。また、現実と理想、社会的な期待と個人的な願望の間で揺れ動く様子が描かれています。以下、いくつかの重要なテーマについて解説します。
1. 空と涙
• 「空の青さが 涙の滲んだ跡なら」と始まる部分は、空の青さを涙の象徴として捉え、個人の苦しみや感情が広がっているように表現しています。空が涙のように広がることは、内なる悲しみや孤独を示唆しています。
• 「方々世界のプライドは 微かな日常すらも重いだろう」とあるように、世界の誇りやプライドが、日常のささやかな瞬間を重く感じさせているという認識です。これは、社会的な期待やプレッシャーが、個人の日常生活を圧迫していることを示しています。
• 「納得のできる生き方など 死に方さえも人それぞれならば」といった表現では、各自が異なる人生観を持っていることを認めつつ、それでも何が正しいのかを問いかけています。自分の選んだ道に対して確信が持てない感情や不安を表しています。
• 「プレッシャー抱えた年下は 愚直に幼さを包み隠してる」との記述は、若者が社会的なプレッシャーにさらされ、まだ未熟でありながらそれを隠そうとする姿を描いています。年齢に関わらず、誰もが不安を抱えながら、社会に適応しようともがいているという認識です。
5. 行き先の不確かさと解放
• 「納得に代わる行き先など 後押しさえも矛盾の塊で」といった部分は、どこに向かうべきか、どの道が正しいかさえもわからない中での混乱を示しています。矛盾した社会の現実に直面しながらも、「いっそ全て抜け空だと 伝えようぜ僕ら」と、すべてを解放し、空っぽになることで何かを見出そうとする姿勢が描かれています。
• 全体を通して、個人が自分の感情や理想と現実のギャップにどう向き合い、何を大切にすべきかを模索している様子が感じられます。特に「夜闇の安らぎを消して 朝を背に泣きながら」といった表現は、暗闇から逃れ、朝という新たな始まりに向かってもなお、涙を拭えない人々の苦悩を表しています。
総括
この詩は、現代の社会で生きることの複雑さ、プレッシャー、そして自己の存在意義を問いかける作品です。感情や悩みを隠すことなく、むしろそれを正面から受け入れながら、未来に向かって歩んでいく決意を描いています。詩全体にわたる「空」と「涙」という象徴は、広がりと同時に内面的な深さを示しており、人間のもろさと強さを同時に感じさせます。
「抜け空(ヌケガラ)」というタイトルと「抜け殻」をかけていることを踏まえると、詩の意味がより深く理解できます。以下、その観点から解釈を深めます。
1. 「抜け殻」の象徴
• 「抜け殻」は、何かがそこから抜け出し、もぬけの殻になった状態を意味します。この場合、自分自身の精神的・感情的な中身が抜けた状態、つまり、かつての自分や社会の期待に囚われていた状態から解放されたことを象徴していると考えられます。
• 「ヌケガラ」になることは一見すると虚無的であり、空っぽになることはネガティブに感じられるかもしれませんが、この歌詞ではむしろ、その空っぽさや虚無を新たな始まりや解放の象徴として肯定的に捉えているように思えます。
2. 「抜け空」=「空っぽの空」
• 「抜け空」という表現は、ただの「空っぽ」ではなく、空という無限の広がりや可能性を持つものを指しているようです。空というのは無限に広がっており、可能性や未来を象徴する一方で、何もない「空虚」をも意味します。
• この「空っぽの空」は、今までの自分や他人の期待から解放された状態を象徴していると考えられます。つまり、何もない「空」は、逆に言えば新しいものを受け入れる準備ができている状態であり、これまでの自分を脱ぎ捨てた「抜け殻」としての自分が、新たな可能性や未来を受け入れようとしているのです。
3. 殻を破る=自分の殻を脱ぐこと
• 歌詞の中で、「羽化不全の翅で藻搔く」や「蛹の衝動で溺れたい」といった表現があります。これは、殻を破る準備ができていない、あるいはその過程で苦しむ姿を描いていると解釈できます。蛹は蝶に成長するために殻を破りますが、もし「羽化不全」であればその過程がうまくいかず、もがき苦しむことになります。
• しかし、この「抜け殻」になった後は、もがきから解放され、羽ばたく準備が整った状態として捉えられます。つまり、自己の変化や成長、さらにはその過程での痛みや葛藤を経て、「抜け殻」として新しい自分を迎える準備が整っているのです。
• 「納得のできる生き方など 死に方さえも人それぞれならば」という歌詞は、人生や生き方に明確な答えがないことを示唆しています。つまり、自分が納得するかどうかは個人の問題であり、社会が押し付ける価値観や期待に応じる必要はないというメッセージです。
• 空っぽになることで、つまり「ヌケガラ」となることで、逆に自由を得て、自分だけの答えを探すことができるのです。「いっそ全て抜け空だと 伝えようぜ僕ら」というフレーズは、その空っぽさを受け入れ、自分を縛るものから解放されようという呼びかけと捉えることができます。
• 歌全体を通して「空っぽでいること」や「ヌケガラでいること」が単に無力感を示すものではなく、むしろ自己の解放や再生の象徴であることが感じられます。空っぽの状態だからこそ、新しい可能性が無限に広がっている。そこから、次のステップや新しい自分に向かうための余白が生まれます。
• また、「朝を背に泣きながら」という表現は、苦しみや痛みを抱えながらも新たな一歩を踏み出そうとする姿を描いており、ヌケガラとしての自分が新しい一歩を踏み出す瞬間を表現していると言えるでしょう。
総括
「抜け空(ヌケガラ)」という歌詞は、単に「空っぽ」や「虚無」を表現しているのではなく、抜け殻になることで新たな可能性や自由を手に入れるプロセスを描いています。殻を脱ぎ捨て、空っぽの状態になることは、自分自身や周囲の期待、社会的なプレッシャーから解放され、新たな道を模索するための準備段階です。
この「ヌケガラ」とは、以下のような象徴として捉えることができます。
• 「抜け殻」になることで、過去の自分や制約から解放され、次のステージへ進む準備が整う。これは、殻を破ることで成長し、新たな自分に生まれ変わる過程を示唆しています。
• 空っぽな状態は一見すると弱さや虚無に感じられるかもしれませんが、この詩ではむしろ、それが自由であり、無限の可能性を秘めた状態として描かれています。すべてを手放し、何も持たないことで、逆に新しいものを受け入れる余白ができるのです。
• 詩全体を通して、社会的な期待やプレッシャーから解放されることの重要性が強調されています。自分の「納得できる生き方」は他人に決められるものではなく、空っぽになって初めて自分自身で見つけ出すことができるというメッセージです。
• 「同じ空が広がってんのさ 胸に広がってんだ」というフレーズからも、空っぽであることが新しい視点を得るための出発点であり、同じ世界でも別の見方や解釈が可能になることを暗示しています。過去の枠組みを超えて、新しい未来を模索する自由がそこにあるのです。
結論:
「抜け空(ヌケガラ)」は、空っぽになることの価値や、それによって得られる自己の解放と新しい可能性の象徴です。殻を破り捨て、空っぽになることで、個人は新たな未来に向かう準備が整い、自由を手にすることができるというポジティブなメッセージが込められています。
第百八十一条第百七十六条若しくは第百七十九条第一項の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯し、よって人を死傷させた者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2第百七十七条若しくは第百七十九条第二項の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯し、よって人を死傷させた者は、無期又は六年以上の懲役に処する。
不同意性交の結果、人を死傷させても最高刑は無期懲役のため、死刑にすることは出来ません。
社会復帰が必要ないと考える場合は、法改正により最高刑を死刑にすべき、もしくは仮釈放なしの終身刑を導入すべきと書くのが適切です。
化学的去勢が死亡率の上昇につながるという科学的根拠はありません。また死ぬのであれば化学的去勢も物理的去勢も無意味であることから、去勢後すぐに死んでほしいという意味ではないと考えられます。
ということは「去勢によって性衝動を抑えた状態で生き続け、その状態のまま死んでほしい」という意味にとるのが最も合理的な解釈です。しかし一般的に人間は必ず死ぬので、最後の「死ね」という文言は無意味です。
先日、『自分が降りるまで階数ボタンを押さない』警戒行為に遭遇した
もうオッサンと呼ばれる歳だから仕方ない事だとは言え、自分より二回りは上であろう異性にそういう事をされると
「そんなに見境ない様な不審者に思われたのか…」となるとさすがに一日気分が悪くなる程度は凹むし傷つく。分譲なのに
大多数のまともな男性にとって警戒行為とは普通に失礼な行為なのだから
その行為を行う事を多少なりとも申し訳ないと思ってりゃまだマシなんだろうけどさ
世間の声を見れば「男が私達に警戒させるのが悪い!警戒するのは当たり前!自業自得!」ってな感じじゃん
無関係な糞野郎の、唾棄すべき性犯罪者と同一視されて、性犯罪者予備軍呼ばわりされて連帯責任を取らされている上に
まともな人間でも、いや犯罪とは程遠いまともな人間だからこそ、犯罪者予備軍扱いされる事に不満とストレスが蓄積され爆発しそうな衝動が少しずつ溜まっていっている
せめて女性は、いや女はさ、『加害者の顔』を知ろよって思っちゃうよね、さすがに
自分が大人しそうなオッサンだからやってんでしょ?二回りは年下、子供ぐらいの異性に対して警戒行為でハラスメントして楽しいのか?
世界が五分前に生まれたということはどういう事か分かりますか?
仏教徒の皆さんは「この世界はシミュレーテッド・リアリティに過ぎないから色即是空なんだ」とおっしゃるでしょう。
キリスト教徒の皆さんは「神がこの世界をお作りになったのが五分前なのです」とおっしゃるでしょう。
私の論点は、実はそこにはありません。
つまりですね。貴方が東大卒だとしてもその学歴は「貴方が何年も頑張って勉強して手に入れたもの」ではなく「何年も頑張って勉強して手に入れたという設定により手に入れたもの」だということです。
もしも貴方が自業自得の事故で五体不満足であってもそれは「貴方の不注意によって生じたもの」ではなく「貴方の不注意によって生じたという設定により生じたもの」だということです。
これについて「何の罪もないのに不幸ならば、それはあまりにも理不尽だ!」と思うかも知れません。
自業自得だと思えば耐えられたものが、自業自得で無かったと考えたら耐えきれなくなる人もいるかも知れません。
ですが考えても見てください。
過去の貴方はもう既に今の貴方にはコントロールしようがない他人なのです。
現代社会では多くの人がもうすでにコントロール出来ない過去に対しての後ろめたさから前を向けなくなっています。
仕事が上手くいかないのを「過去の自分が頑張っていい会社に入らなかったせいだ」と悔やんだりしても、それに何の意味があるのでしょうか?
人間関係が上手くいかないのを「子供の頃からもっと人付き合いの勉強をしていればよかった」と悔やんでも、それは過去の自分への八つ当たりのようなものではありませんか?
過去は五分前に作られてしまった設定なのでもうどうしようもありませんが、未来は現在の自分によってある程度コントロール可能な領域です。
「その考え方をするのに別に五分前仮説は必要ないのでは?」というのは正論ですが、人は正論にそのまま従えるほどに賢い生き物ではありません。
「過去はもう過ぎ去ったから仕方がない」と信じるためには、過去の自分と今の自分を決定的に切り離されなければいけないのです。
そのためには世界観に「巨大な仕切り板」を作ってやることが効果的なのです。
もしも、貴方が見にくく太っていたとしましょう。きっと貴方は過去の自分が自分で許せないという気持ちで日々を生きるでしょう。
ですがもしも、それが五分前に作られた設定だったらどうでしょうか?
自分で自分に攻撃することをやめれば気持ちに余裕が出てきます。
すると今度は他人の悪癖さえも「五分前に作られた設定に引きずられているだけなんだから仕方ないな」と許せるようになるでしょう。
もちろん「俺は五分前に連続殺人鬼として作られた人間なのだから殺人衝動も仕方がないのだ」と暴れまわる人は当然のように逮捕されます。
世界がそういう設定であるから仕方がないと人を許すことと、世界に設定された法律が無条件に人を許すことは全く別だからです。
五分前仮説を信じる世界とは、裁かれるべき罪がフラットに裁かれ、その上で人の心が不必要に裁かれることがない社会なのです。
その社会において人々は他人が法によって裁かれるべき存在であるならば淡々と裁き、私情によって私刑を加えられそうであれば許していけるわけですから、本当の意味での法治国家がここに産まれるというわけです。
ですが多くの人は仮説という表現につられてこれをただの思考実験と捉えてしまっています。
違うのです。
「天賦人権論」が単なる論では終わるものだと考えている人は現代にはほとんどいないでしょう。
「天賦人権論」はある種の信仰、それも20世紀的な社会の土台となる新世代の教義とも言えるものです。
ですが、これが社会に浸透するまで、多くの人はこれを「仮説」として捉えていたのです。
「世界五分前仮説」には、「天賦人権論」と同じく、新世紀を代表する宗教となれるだけのポテンシャルがある。
私はそう思います。
なるほど。
なんで私がこんな増田を書こうとしたのかよく分からないのですが、そういう設定の人間として社会に生まれたのなら仕方がないですね。
貴重な月曜日のアフターファイブをドブに捨てたような気もしますが、書いている状態で始まってしまった人生を書き終わらせずに続けるのもおかしな話ですから、書ききったことに後悔はありません。ありません。ない。ないです。
っていうけど、
自殺率が高いほど恵まれなくて辛いなら、日本人の方が発展途上国の人間よりも恵まれてないことになるぞ
幸福度も同じ。世界一幸せな国ブータンがネット解禁されただけで下がるような代物だぞ
イスラムみたいな男尊女卑の国ですら男の自殺率が高いんだから、そんな単純なものだと思えない
男は拳銃や飛び降り自殺など、成功率の高い方法で自殺するが、女は手首切ったり薬飲んだり、成功率の低い方法で自殺する。なぜか世界共通で
中国で例外的に女性の自殺率が高いのは、中国では強力な殺鼠剤を使うかららしい
「のび太と竜の騎士」までは藤子不二雄名義で、「のび太の日本誕生」以降、 藤子・F・不二雄なんだけど、
個人的には、「日本誕生」以降はどうも物語のスケールが小さくなって、迫力が落ちている感があるのだけど、(敵役が小物すぎたり、話のまとまりが弱かったり、テーマ設定が弱かったり)
ただのネタ切れなのか、体力の低下なのか、脚本やプロットに関わるスタッフなどの制作体制に違いがあったのか……なんなんすかね?
「竜の騎士」と「日本誕生」の間の年に、体調不良で原作描けずに作られた映画「パラレル西遊記」があるのだけど、
やはり体力の低下が大きかったのかな。
まあ、「竜の騎士」以前が良い!ってのは主観的な感想だけど、そこまではやっぱり物語にエネルギーが満ちてると思うんだよね。
宇宙で西部劇とか、海洋冒険とか、秘境冒険映画とか、スター・ウォーズみたいな話をやりたいとか、恐竜の隕石での絶滅説で一本やりたいとか、素直な創作衝動があってよいのだ。
梶井基次郎の檸檬って高校の現文で読んで、いまいち意味が分からんかった。ニュアンスは分からんでもないような気がしないでもないけど、輪郭が掴みきれない。
不吉な塊みたいなフレーズだけ覚えてる。
最近になって、ブルーハーツみたいなもんかと思うとしっくりきた。
そのブルーハーツの方も明瞭に分かっているかと言ったらそうでもないけど。
落ち着かなさや焦燥とか。心のモヤつきとか。衝動や強がりとか。荒唐無稽さとか。
置き換えるものが増えるとなんとなく肌感覚で接近するような感じがする。
じゃあ檸檬が青春小説かって言うとそれはあんまりしっくり来ないんだけど。でも確かに描かれてたようなモヤッとした心情とその爆破はまさに青春そのものかもしれない。高校生に読ませるくらいだし。青春なんて言葉は当事者ほど意味が分からなかったりする。
私はブルーハーツの方が好きです。
タバコは2年前に辞めた。
ふと、今日一日やる事もなく家にいてスマホを見るのも目が疲れてボーッとしてた時、辞めてからほとんど思わなかったタバコを吸いたい衝動に駆られた。
そんないきなり知的障害の話に推測が飛ぶかなあ。ネット上の匿名の書き込みへの憶測の話やろ?
寡黙且つ精神的に自律してる人は、仕事に没頭していても、その人は集中力が高くてフロー状態に入ってるだけかも知れない。
スキゾイドと回避性って他人が見てもそれほど違いが分からんような気がする(何でも精神疾患で分類するのもよくないけど)。
社交不安障害はご存じ?趣味の有無や思考の深さと、コミュニケーション上の緊張やストレスは別の話だからね。
まあ俺自身はもう諦めてる。元来の衝動性から、5chや増田覗いてるが、年に数回書き込むくらいしかしてない。
そもそもネットみたいな遠隔コミュニケーションで居場所になんのかと疑問に思うし(おしゃべりなAGIロボットができればいいけど)。
私は保育園のころ、ドラえもんのしずかちゃんを観て、異様に女の子はこうでなければならないって神経質すぎるくらい意識していて、しずかちゃんみたいになれないことに絶望感があった。
すでに強烈なルッキズムに晒されてるのを感じてたし(周りの大人が容姿に言及しまくるから)、保育園の水場でおさげにした髪に水をつけてしずかちゃんと全く同じ髪型にしようとずっと髪の毛を触ってた。
男の子のちょっとしたセクハラやいたずらは許さなければならないと強制されてきた。
何をされてもしずかちゃんみたいにいい子で誰にでも優しい子でなければならないと思ってた。
ずっと可愛い女の子でいないと価値がないと思ってたし、テレビで大人の女性が性的に、ぞんざいに扱われるのを見て、女の子から女になることを恐怖していた。
当時はリセットボタンなんて思っていなかったが、今あの時期を説明するとリセットボタンという表現が適切かもしれないなと思った話。
※フェイクあり
当時の自分は高校卒業後フリーターをしていた。高校時代すでに半分不登校みたいな感じで、友達は多かったが、いかんせん勉強がとても苦手だった。
大学には進学しなかったが、バイトで出会うコミュニティは面白くて良い人が多かったし、
高校時代の同級生とも関係は続いていたので、定期的に遊んだりして気がつけばフリーターも2年目を迎えていた。
フリーターのままでいるのも良くないとは思っていたので正社員で働くことにした。大学進学は選ばなかった。
勉強浪人ではなく、あてもなくフリーターをした後に大学に入学するのはダサいイメージがあった。
今思うと心底どうでもいいのだが。
気軽さ重視で短期や3~6ヶ月程度の期間限定のバイトばかりやっていたので、バイトからの正社員登用の選択肢もなかった。
結果、親に連絡をして学費を出してほしいとお願いした。
両親はとても喜んでくれて、応援してくれた。バイトは期間満了でぬるっと辞めた。
繰り返していた短期バイトとフットワークの軽さで、無尽蔵に遊び仲間が居たが、家族以外誰にも言わなかった。ダサいと思ったから。
一人暮らししていた家を解約して荷物は全部実家に送った。携帯も解約した。
これが自分のリセットボタン。親族の連絡はつながっていたのでプチリセットボタン。
高校時代の同級生が自分の消息を心配して高校に連絡を入れたらしい。高校から実家に安否の確認が来たとのこと。
話に聞くと、高校の同級生たちは心配して解約したアパートにも来たらしい(知らない中国人男性が住んでたのこと。申し訳ない。)
びっくりした。連絡がなくなって心配はされるとは思っていたが、皆すぐに忘れると思っていたからだ。
今この歳になると、みんながアッサリ忘れてくれると思っていたのも衝撃であるが、当時は心底そう思っていた。
もちろん心配してもらえた嬉しさもあったが、当時は正直いい年してフリーターで、親に金借りて語学留学してる自分のことなんて忘れてくれよという思いが圧倒的に強かった。
1年経って日本に帰国したときは、改めて同級生たちと集まって酒を飲みながら謝罪をした。
ちなみに同じパターンでバイト仲間たちも心配して家に来ていたとのことを別ルートで知り、同じように謝罪した。
当時の仲間は今でもごくたまに集まるが、最近改めて当時の話になった。
「あの頃は怖かった」と言われた。その後に「でも今なら同じことをしたいと思う」と。
何を言っているんだと笑い飛ばしたが、自分もたまに目の前にリセットボタンがチラつくことはある。
一度ボタンを押してしまうと、選択肢として気軽に出てきてしまうものだと思う。
1年間の語学留学如きで英語力は爆発的には上がらなかったが、今はなんとか正社員を続けている。
同性の友達しか居ない人生だったが、最近は恋人も出来てとても楽しい。
それでももし急に、今すぐ飛行機のチケットをとって海外に飛んだらと妄想にふけることがある。
海外に自分がいるときの、自分がここに属していないという圧倒的な不安感や、必死でコミュニケーションを取ろうとする自分のダサさがたまに無性に恋しくなる。
今は安定していて刺激も無いのかもしれないが、それで十分自分は幸せであると、
ちょっとのマンネリや不満如きですべてをリセットする必要なんて何も無いし、それで得るものよりも失うものの方が多いこともわかっている。
ただ、あの時リセットボタンを一度押してしまったせいで、何をしていても「自分はいつでもリセットできる」という選択肢が選べる状態になってしまっている。
それがとても良くない。
責任をもって仕事をするとか、恋人に誠意を持って接するとか、深く悩んで考えるとか、そういったものがめんどくさくなったときに、
セックスしなくても付き合うに入れるのか
俺は非もてを自称してるけど、
告白されて付き合った。買い物に行ったことは何度もあるが、彼女の胸をもみたくなったが、なかなかもませてくれないことしびれを切らせて、怒鳴りつけたら、疎遠になった
サークルで目が合い、色々話しているうちに趣味が合い、付き合うことになった。キスをしておっぱいをもんだが、その後なかなか発展できず、どことなく三段バラが嫌になり、疎遠に…
未成年をナンパした。一度デートをし、半年間のメールをやり取りだけで、いつの間にか疎遠に。
職場で知り合い、意気投合し、手をつなぎ、食事に行ったが、その後なかなか発展せず。いまだにメールのやり取りを続けている。
同じ職場で知り合い、キスをして、裸を見るまで行ったが、チンコがただず入れられなかった。その後、5人目のほうがやはりいいことに気づき、そのことを告白したが修羅場に。
サークルで知り合った。今年で5年目。三段腹のメンヘラだが、話を聞くのがうまい。たまにけんかになることがある。メンヘラで衝動性が強いタイプはやはり地雷。あと太ってる人は痩せないというのは本当だった。俺自身はDV属性一歩手前で、彼女はメンヘラなので、俺は種なしになり、子供は作らないことに決めた。
このことを話すと突っ込みを入れられる
でも、マジでもてねえんだよ
6人目の彼女から「ダメ男の雰囲気がするからもてないのかもね」「服装がかっこ悪い(彼女に選んでもらうとなぜか様になる。GUやユニクロだと合わない人はいるらしい)」とまで言われるし…
もてる人って何が違うんだろうな