はてなキーワード: 自由自在とは
あめみやたいよう氏の対戦動画見て思ったんだけど、これ突き詰めていったらどう見てもテトリス有利じゃね?
ぶっちゃけテトリスは消しきれないレベルのブロックせり上がり(?)さえ防げば良い→ぷよぷよに7連鎖以上させないのを死守すればいいっぽい。
そんで7連鎖を困難にするには、お邪魔ぷよをこまめに投げつけて連鎖のロジックを複雑化させるのが、非常に効果的に見えた。
それは、単純に2段以上消すのをできるだけ頻繁に繰り出すだけで実現できる。
しかもそのほうが、ぷよぷよを差し置いてビシバシ消してる感がギャラリーにウケそうと来ている。
その上でテトリスできるタイミングを逃さなければ、ほぼ確実に勝てるんじゃね?
逆に1回でも7連鎖以上させると一気に形勢不利、最悪即死というパターンが待っている。
だから自由自在にブロックを消せない、初級中級レベルのテトリスプレイヤーにとって、ぷよぷよは少なからず怖いんだろうとは思った。
で、実際どうなの?
AIをつくりたいのであれば、AIを定義しなければ具体的な作業にとりかかれない。
そして「知性とは…」「コンピューターとは…」とどんどん定義していく。
そして定義は一度決めた場合でも途中で変えてもよい。言葉は変数だ。
人によって定義は違うし、自分の中でも時間が立てば変わるものだ。
変えるのは当初の目的に沿う形であればよい
「知性=X」でありXに好きな定義をいれてください。それがあなたの今のAIです。
当初の目的は「AIをつくりたい」である。これが「自分の思うAIをつくりたい」なのか、「みんなが思うAIをつくりたい」なのかによってつくるべきAIの定義は変わるだろう。
後者の場合は「みんな」の定義もしなければならない。それが過半数なのか、2/3なのか、全員なのか。
「それは知性とは言わない」とか言われても無視すればよい。お前の中ではそうなんだろうな、俺の中ではこうだ、で終わりである。
Aがした行為がセクハラに該当するのであれば罰せられるという状況であれば当事者は真剣に定義に考えざるをえない。
しかし、どうとでも取れる言葉の定義を議論するのは楽しいものでもある。
ただ単にレッテルをはって馬鹿にするためだけに定義を議論する人もいるが、あれこれ意見を言い合うのは楽しいと思う。
手段の過程で定義を考えるのはなんとなく理系的だと思うがただ単に定義を考えるのは哲学的であるきがする。
こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。
・小学生
関西の田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。
「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。
自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。
父は会社勤め。ホームレス気質の天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的な独自の戦略のようなものを持っていたと思う。
小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。
「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。
秋からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。
私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分の感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である。
・中学生
強制的に勉強する時間が毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧な発音でテキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年でイギリス人の先生と普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会の模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分の立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。
音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である。音大かっていう。親友にピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調の譜面を初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキな伴奏を思いつく、など。理解不能である。ピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。
・高校生
下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。
授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。
こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。
自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自に勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。
授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間も勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの。毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田は勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。
高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金でアメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分の英語力はあんまり大したことないと気づいた。同級生にアラブの皇太子とかトルコの首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。
高3になって流石にクラスの空気も変わり、自分も放課後も勉強するようになった。小学生の時は夏休みからの半年でなんとかなったけど、さすがに東大は一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。
一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。
・高3夏休み
化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大の過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題をゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。
一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。
・数学
チャート式などは数冊終わっている状態。大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習。
・英語
TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年分定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話はビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルのリスニングやスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。
・国語
Z会の小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味。結果的に200字作文に多少役に立った。
・高3秋
9月に学校の最後のイベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンドは解散した。
・高3冬
英語198
数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い。東大理系はわりとこういう感覚だと思う。
国語167 古文漢文論説は150/150。小説でめっちゃ間違えた。こういうこともある。
化学100
倫理93 一応、山川の倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから、哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事かわからん。
合計
前記749/800
後期489/500
・センター試験後
ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単。
というわけで薄々気づいていた数学の不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語は最後の一ヶ月だけ、古文漢文を個人の先生に習った。
ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。
・本番
当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。
ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。
国語 60/80 ほぼできた。
数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。
生物 50/60 多分まあまあできた。
化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。
合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。
・発表当日
赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」
弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。
家賃が安いという理由で三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師のバイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である。
自分のディレクトリが散らかるのが嫌で、その時に便利と気がついて使い始めたGithub。
正しい使い方はわからないが、複数のプロジェクトを管理している。
今日、昔作ったプロジェクトを見ていると、自分のプロジェクトからブランチが出ていた。(数ヶ月前の変更)
3歳児が塩コショウだけで必死に作ったグチャグチャの卵料理を、
シェフがたった数分で聞いた事もない調味料や料理方法を駆使して完璧な料理に仕立て上げていたようなものだった。
ぐうの音も出ないほど完璧だと思う。20回コミットしただけでできるなんて、悔しいけどすごいと認めざるを得ない。
こんな人の元で働けたのに、勿体無いなって自分でも思うけど
正直、人格はゴミクズで「親の七光りの子役俳優が良い年した感じ」な奴だった。
業務に必要な話はしないし、適当でワガママで短気、個人能力に全振りで協調性ゼロだから、当然得られるものもなく2日で辞める結末に至ったのだ。
人格はどうでも良い、この人のその才能は素晴らしいと思う。
でも、授業じゃやってくれなかったあの書き方も絶対どこかで習ったはずなんだ。
自分の独学じゃ絶対理解できなかった効率化手法や考え方もどこかで習ったはずなんだ。
見れば見るほどにわかるコードの書き方の違いに嫉妬すら覚える。
クレヨンを握り潰したような俺の絵と、補助線を入れた美術部みたいなアイツの絵
酷い差だった。
俺の友達はQiitaのコピペで謎のプログラムがゴチャゴチャ酷い。
アイツのは必要なところだけ残して、コメントまで添えてて良かった。
俺に教えてくれよ
どこでそれを得ることが出来たんだ…?
認知が理解に追いついていないから、ゴミクソみたいなカスな質問しかできなくて申し訳ない。
ブラッド・ピット……むしゃむしゃ食べながら話す。もしくは指パッチンして指差しして話す。
マット・デイモン……特殊な技能や才能を持っている。もしくは彼を助けることが映画の主題になる。
エド・ハリス……軍人やNASA職員等として指揮統制を図れる立場にいる。
クリスチャン・ベール……体形が自由自在。
ジェイソン・ステイサム……いつもハゲ。
フォレスト・ウィテカー……悪人になりきれないか、不幸な目にあっている。
トム・ハンクス……うまくいかないこともあるが、色々な体験をする。
ゲイリー・オールドマン……悪役の時は死ぬ。非悪役の時はよき理解者となる。
サミュエル・L・ジャクソン……説教を垂れる。そして死ぬ。
猫たちはニートが空を飛ぶのを見た。雲の間を自由自在に飛び回り、腕を振り回せば雷が起こる。猫に人間のことは分からないが、きっとニートは神になったのだと思った。
ニートの家のおばさんは野良猫に餌を与えることで有名だった。そのことで地域住民とだいぶ対立もあったようだが、おばさんは気にしないで野良猫を集めていた。おばさんは「酒鬼薔薇聖斗が来てもうちの猫には指一本触れさせない」という。
おばさんのもとには県議会議員からフリーターまで、いろいろな人間が出入りしていた。なかにはホームレスまでいた。ホームレスは猫の餌だと言って公園で汲んだ水を持ってくる。おばさんは「あら、ありがとう」と言っておにぎりを渡した。ホームレスは猫の頭を撫でて帰っていった。
いろいろなひとたちが出入りしていたが、猫たちはおばさんの息子であるニートの顔を見たことがなかった。いちどだけ家のなかから「うるせえ、ババア」という怒鳴り声が聞こえた。人間たちはおばさんにひきこもり団体の支援を受けたほうが良いと言ったが、おばさんはニートがひきこもり団体のことを反日左翼の砦だと言って聞かないという。怒鳴り声は「私が死んだときのために生活保護の話をしたらキレた」という。
ある日、ホームレスが公園で倒れていた。酒が大好きなホームレスは神社の祭りの事務所から一斗樽を盗みだし、イッキ飲みをしていた。
倒れたホームレスのまわりに大勢の猫が集まってきた。なかにはホームレスの酒を飲み、水甕に落ちて死ぬ猫もいた。異様な鳴き声をあげる猫に気づき、住民は警察を呼んだ。ホームレスは最期に空を指差しながら「なんだい、ありゃあ」と言った。猫たちが空を飛ぶニートを見たのはそのときである。他の人間には見えなかったようだ。
ホームレスは飲酒とDVが原因で社会的に破綻した男だった。元嫁は「あの人は人間じゃない」と言っていたが、猫たちは公園で死んだホームレスを見て人間だったと思った。
どういう意味かってそのままの意味としか言いようがないけどなぁ
天賦人権って人間は生まれながらに自由自在に生きる権利があるという考えなわけだよ
基本的人権というのは天賦人権を参考にして成立しているものなのね
んでなぜ日本国はこの天賦人権をそのまま採用せず基本的人権なんてものを作ったのか?と言えば天賦人権に制限が一切ないからなんだわな
天賦人権は窃盗をするのも殺人をするのもすべてを許容する自由自在の権利なんだよ
こんなことを国家が許容したら立ち行かなくなるから日本国は天賦人権に制限を設けた基本的人権を作ったってわけ
ただよく問題になるように基本的人権は曖昧な概念で時代時代によって解釈が変わるという性質がある
つまり時代時代の日本人は基本的人権という名の制限的天賦人権をどこまで許容するのか?という話になってくるんだな
例えばもしかしたら基本的人権絶対正義みたいなことを言ってる人は、無制限な天賦人権を求める思想者かも知れなくて、誰かを自由にぶっ殺す権利をよこせと暗に言ってるかも知れないんだ
そんなんだから基本的人権支持者が必ずしも博愛な心を持っているわけではないから、安易に基本的人権支持者の言葉を信じちゃいけないよってことさ
運がいい。少なくともそう思ってた。
なぜ朝に行くのかって? 朝だと値段が安くなるからさ。
そしたら「人気の○○ちゃん、キャンセルが出て朝イチの1枠だけあいてるんです!」と黒服にゴリ押しされちゃって。
順番が来るまでスマホをいじりながら、そわそわして待ってた。
30分くらい待たされて、いよいよ番号が呼ばれた。
階段を登っていった先には、写真とはちょっと差があるけどクラスにいたら間違いなくTOP5に入るであろう美人がいた。
ソープって歯磨きしてからじゃないとキスをさせてくれない女の子が多いけど、この子はちがった。
ベッドに腰掛けて軽くおしゃべりしてると、早速ねっとりと深いやつ。
キス大好きっ子な私としてはこれ以上ないご褒美。
終始主導権を握られて、そして舌の圧がすごい。
服を脱がせていくと、これがもう見事な乳房。
直径が大きいタイプのハリのある巨乳で、乳首はチョコボール程度と書けば伝わりますか?
なかなかお目にかかれないタイプだ。
谷間に顔をうずめたり、先端を舌で転がしたり、存分に楽しませてもらった。
メインイベントであるお風呂を経て、お湯に浸かりながら軽めに下ごしらえも施してもらった。
体を拭いて、準備は万端である。
狭くて固いベッドで体を重ね合う。
下の毛は生えてなかった。
とてもキレイだった。
乳首が好きだと伝えると、丹念にほぐしてくれた。
やはりこの子、舌の圧がすごい。
終わりが近づいているのだ。
そろそろ、と伝えるとすべてを悟った彼女は、どこから現れたのかゴムゴムの避妊具を取り出した。
ふー、危ない危ない、と思っていたら、それは突然だった。
装着途中で果てた。
彼女は、えーっ!と驚いていた。
無理もない、これからおっぱじめようとしている最中、ウォーミングアップで力尽きたのだ。
彼女の指先が俺にとどめを刺した。
再起を図ろうと必死に頑張ってくれたが、すぐに復帰できないのは誰よりも自分自身が理解している。
ごめんね、といわれる度に心が傷ついた。
悪いのは君じゃない、俺なんだ。
ムチッとした彼女の体を、精一杯の力で抱きしめた。
20代後半くらいからだったろうか、自分でも驚くほど早漏になった。
数年前、はじめて飛田新地を訪れたときなんて、ワンストロークで果てた。
事前に抜いてこないとダメじゃん、と痩せ気味の美人に怒られた。
あれはあれでいい経験だった。
飛び抜けてカワイイ子と出会ってしまうと、俺は役に勃たないらしい。
学生の頃は自由自在にコントロールできたのに、これが老化なのかと自分に絶望している。
でもさ、こういうお店に来て勃たない人もいるからね、とフォローしてくれた彼女の優しさが胸にしみた。
店を後にして、もう俺は男としてダメなんだと自信を喪失しながら仕事に励んでいたら、どうも体がおかしい。
あれだけ体液を交えたのだ。
喉の痛みからはじまって、鼻もやられた。
幸い、熱が上がることはなかったが1週間ほど苦しい思いをした。
もう二度とソープになんて行くか。
かなり拙くて分かりづらいけど前バイオメガについて書いた増田があるからまずURL貼っとく。
https://anond.hatelabo.jp/20160124183345
僕が思うにデビューからシドニアまでの弐瓶作品で起こることは作品が違えど同一世界の出来事だと捉えている。そしてBLAME!の世界とシドニアの世界はがっつり分断されている、まるで違う。
過程のうえでBLAME!で描かれていたような世界が滅びシドニアの世界が生まれたターニングポイントがあって、それを描写したのがバイオメガなんだと思う。
先の増田で書いたようにバイオメガはしぶとく生き延び世界を支配しようとするガウナの脅威や、庚造一の旧態依然とした態度と新世界の様相を対比することでなお強調される、合成人間という存在の拠り所のなさ、そして一貫して人間味を感じさせないアンチヒーローであった弐瓶作品の主人公が復物主の世界に転送後は唯一人間らしい存在となる関係性の逆転などが見受けられる。メタ的に捉えればバイオメガ後半は舞台をがらりと変えることで自らの作風を逆説的に洗い出す作業だったのかもしれない。
又バイオメガはシドニアの前日譚だと僕は思っている。復物主の発芽に伴う地球での人類文明の崩壊によりシャトルで避難したものの成れの果てがシドニアに出てくる人々だと。
そしてフニペーロと造一の共闘やフニペーロとニアルディの対峙する様はシドニアのストーリーを示唆している、というかシドニアのデモストレーション的意味合いがあったように見える。(加えて言えばABARAで描きたかったものはBLAME!世界のハルマゲドンかもしれない、するとその点でバイオメガ前半のデモ版といえるのではないか。)
ガウナの復物主ももとは何らかの思念体でそこに植物に近い驚異的な力を持った肉体が付与された生き物なのだろう。
ニアルディが復物主に融合しようとしたり吸収されたりしたのはニアルディが思念束という相手の意識に入り込める能力を持っていたからで、思念体を乗っ取れば自由自在という目論見が逆に自分が相手に乗っ取られてしまったというわけだ。
シドニアでエナ星白やつむぎが誕生できるのも、シドニアに出てくる人型生物が植物に近い肉体を持っていて、ガウナとの肉体の親和性の高さから思念を共有することが可能だったってことなんじゃないだろうか。
バイオメガの大筋はDRFという世界征服を狙う悪徳企業の討伐で、世界が復物主の物になっても幅をきかせているDRFのボス「ニアルディ(とそれを吸収して操る復物主)」を復物主の子であるフニペーロの力で倒すというオチなのね、多分そう。復物主とフニペーロは同じものから出来ているから融和した。造一との旅でフニペーロは強くなってたから復物主の思念体が飲み込まれて消えた。僕はそういうことにしている。
なんにせよ僕が確信するのはバイオメガを描いたからこそ、弐瓶勉はシドニア以降のスタイルに移行できたのではないだろうかということだ。