AIをつくりたいのであれば、AIを定義しなければ具体的な作業にとりかかれない。
そして「知性とは…」「コンピューターとは…」とどんどん定義していく。
そして定義は一度決めた場合でも途中で変えてもよい。言葉は変数だ。
人によって定義は違うし、自分の中でも時間が立てば変わるものだ。
変えるのは当初の目的に沿う形であればよい
「知性=X」でありXに好きな定義をいれてください。それがあなたの今のAIです。
当初の目的は「AIをつくりたい」である。これが「自分の思うAIをつくりたい」なのか、「みんなが思うAIをつくりたい」なのかによってつくるべきAIの定義は変わるだろう。
後者の場合は「みんな」の定義もしなければならない。それが過半数なのか、2/3なのか、全員なのか。
「それは知性とは言わない」とか言われても無視すればよい。お前の中ではそうなんだろうな、俺の中ではこうだ、で終わりである。
Aがした行為がセクハラに該当するのであれば罰せられるという状況であれば当事者は真剣に定義に考えざるをえない。
しかし、どうとでも取れる言葉の定義を議論するのは楽しいものでもある。
ただ単にレッテルをはって馬鹿にするためだけに定義を議論する人もいるが、あれこれ意見を言い合うのは楽しいと思う。
手段の過程で定義を考えるのはなんとなく理系的だと思うがただ単に定義を考えるのは哲学的であるきがする。