2019-01-18

○○とはなにか

仮に自分AIをつくりたいとする。

AIをつくりたいのであれば、AI定義しなければ具体的な作業にとりかかれない。

AIとは知性を持ったコンピューターである定義する。

そして「知性とは…」「コンピューターとは…」とどんどん定義していく。

そして定義は一度決めた場合でも途中で変えてもよい。言葉変数だ。

人によって定義は違うし、自分の中でも時間が立てば変わるものだ。

変えるのは当初の目的に沿う形であればよい

「知性=X」でありXに好きな定義をいれてください。それがあなたの今のAIです。

当初の目的は「AIをつくりたい」である。これが「自分の思うAIをつくりたい」なのか、「みんなが思うAIをつくりたい」なのかによってつくるべきAI定義は変わるだろう。

後者場合は「みんな」の定義もしなければならない。それが過半数なのか、2/3なのか、全員なのか。

前者であるならば、定義自由自在だ。

「それは知性とは言わない」とか言われても無視すればよい。お前の中ではそうなんだろうな、俺の中ではこうだ、で終わりである

定義が極めて重要になってくるのは法的な問題とかだろうか。

たとえばAがした行為セクハラか否か?とか。

Aがした行為セクハラに該当するのであれば罰せられるという状況であれば当事者真剣定義に考えざるをえない。

しかし、どうとでも取れる言葉定義議論するのは楽しいものでもある。

文学とは何か?文系とは何か?理系とは何か?右翼左翼とは?

ただ単にレッテルをはって馬鹿にするためだけに定義議論する人もいるが、あれこれ意見を言い合うのは楽しいと思う。

手段過程定義を考えるのはなんとなく理系的だと思うがただ単に定義を考えるのは哲学的であるきがする。

これは自分が「理系」や「哲学的」をどう定義しているかを考えるためのとっかかりになるのだろう。

しかし、今は特に興味がないので考えない。

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