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はてなキーワード: 考えるのをやめたとは

2020-07-02

自分で考え続けなくちゃダメだよ」を中学生に伝えるにはなんて言っ



2020年6月30日にまたここで会おう』は、瀧本哲史さんが2012年6月30日東京大学で講演された内容を1冊の本にまとめたもの。これが期間限定で全文無料公開されたので読んだ。

勉強になるし、考えさせられる面白い文章だったのでぜひ一読をおすすめします。


瀧本さんは20代とかの若者に向けて話していて、いろんなメッセージがあるんだけれど重要だと思う前半からいくつか引用

>> ・次の日本を支える世代である若者自由人として生きていくために必要不可欠な「武器としての教養」を配りたい。

・外見だけは人間なんですけど、やってることは人間以下という人が老若男女問わず世の中にはたくさんいる。「自分で考えてない人は、人じゃない」

・「正解」なんてものはない。 自分人生は、自分で考えて、自分で決める。

・そのための「思考の枠組み」として、リベラルアーツがある。 自分自身を拠りどころとするために、学ぶ。

・まず「言葉」によって正しい認識にいたり、「言葉」を磨くことでその認識の確度を上げていく。そして「言葉」を使って相手の行動を変えていくことで、仲間を増やし、世の中のルール空気を変えていくことが可能

パラダイムシフトとは、「世代交代」である

・ 君と君たちが正しい選択をし続ければ、いつか必ず世界は変わる。<<

以後も大事な考え方を教えてくれます

歴史的なことを散りばめて語られるから、すごく説得力があるなと思った。現代史も含め、歴史事実に近いことだから、知っていることはものすごく大事だよな。パラダイムシフトについてなんか眼から鱗でした。


で、これを読んで私が考えたこと。


これを「賢い」と言われる人たちに話す意味はすごく大きい。賢い人が世界を動かしていく(はず)だから。だけど、私はそれだけじゃ足りないんじゃないかと思う。

ある程度理解する力がないと、自分の中に噛み砕けなくて受け入れられないのは確かだけど、「賢くない」人の方が多いんだよ、世界

しかも今は発言権拡散力)はみんなが持っているし、賢くない人は、数の多い「仲間」=大衆に受けやすい。

けど、賢くない人ほど、こうした話は聞きたくないし、聞けない。受け入れられない(たくない?)。

じゃあどうするかって、もっと早くにこういう考え方をわかりやすく、広く、教えなくちゃじゃない?って思う。中学高校、それも地方を含めた公立とか、「普通」なところで教えていくべきなんじゃないかと。やっぱり教育って大事と思う。



中学生って大人が思うより、考えられるよ。いろんな空気を読みながら生活してるし、いろんなことに影響されて学んで生きてると思う。だからこそ、そこで思想は固定されてしまいがちなんだよ。どれだけ勉強ができていい大学にいけた人だって、育った場所(家庭・小学中学高校)でできた思想ってなかなか変えられない。むしろガチガチな人も多いんじゃないかって思う。

そういうことでいうと、中学生って無垢ではないけど、まだまだ足りなくて、考えがかっちり固定されてないと思うんだ。(まだ変えられる、というか。)

でも既に、変に諦めてる子とか、頑張るのバカじゃん、どうせ自分バカだし、みたいな子も多いだろうと思うんだよね。そのまま行っちゃうと、世の中の、その地域での「普通」の道を辿ることに疑問をもたないまま進んでしまうことになるわけ。これって今の時代の「再生産」的な人間じゃん。




からさ、できれば中学生とかの内に、せめて高校生のときに、こういう話を聞いて、自分可能性とかを自分で考えてほしいなと思うわけ。

じゃないと多分、「パラダイムシフト」は起こんないよ。世代交代は必然的に起こるけど、次の世代もおんなじ考えの人が再生産されてたら意味ないんだよ。


パラダイムシフトを起こすためには、賢い・意欲のある20代に話しているだけじゃ足りない。

人の考え方は基本変わらない。歳を取ればとるだけ、変化は期待できない。

から固定される前の中学生とかに伝えたくない?

ってことです。(この考えにつっつポイントもあると思うが)


で、じゃあ中学生(賢くない)にどうやってこの話を伝えたらいいんだろう?って考えた。

メッセージの大ポイントは「自分で考えることをやめるな」ってことだと思うんだけど…

>>大人自分考えるのをやめたダメ!」

中学生「なんで?」<<



ってなるじゃん。これ、なんて答えたらいいんだろう……というのがいま見つからない。

だって中学生はまだ社会を知らない。今の社会のなにが未来にとってよくない考え方なのか、その考えがどれほどスタンダードなのか……絶望感を知らないと、「今のままじゃダメだ!自分たちの世代が変えるんだ!」なんて思えないんじゃないかなって。



この「なんで?」に対する答えをちゃんと伝えられる大人になりたい。

誰か手伝って!なんて答えたらいいと思う?

2020-06-09

anond:20200609113152

冒頭の子供に見えたらアウトというのは子供に見られたらアウトと言いたいのかなと混乱してきて俺は考えるのをやめた

2020-06-06

anond:20200605095402

国債ちょっと調べたけど

手続きとかする面倒さに見合うリターンがあると言えるほどではないなと思って

考えるのをやめたのですよね……

2020-05-15

見た目が男とも女ともわからん人の話

つっても自分ことなんだけど。

そしてかまととぶるのもあれだから先に言っとくけどLGBTQ+の世界には一通り足突っ込んでるし知識もある。トランスジェンダーに一番近い。

戸籍は女。最近は大体いっつも男ってことで働いてる。体はなんもいじってない。男性ホルモン摂取してない。

で、不思議というか悩みというかがあるんだけど、自分は何をアイデンティティにすればいいと思う?もうちょいわかりやすく言うと、他者に対して自分はどう映っていてどう映るべきなんだと思う?

男として働いてる女?男っぽい女?

いいねマンガみたい。イケメンパラダイスみたい。イケメン女子、かっこいいよね。女子高ではヒーローになれる。学生時代はそんな位置づけにされそうになったこともある。そしてこれが正解だと強く思ってしまっている自分がいる。アイデンティティっていうのは自分に対する他人自分共通認識なのであって、今の状況を一番正確に書こうとするならこのタイトルが一番合ってる。人によっちゃこれは事実以上の何物でもないというかもしれない。

でも一番にあげといてなんなんだけどこれは絶対却下だ。なぜなら自分は”女ではなく”て、自分を女と説明されることにとてつもない嫌悪感を抱えているから。

女ってーのは事実じゃん、染色体・外性器etc...っていう批判は聞き飽きるほど聞いたけど、自分にとっての女という体験(=人生)は、というか性別という体験そもそもその定義以上のものを含むものだと思う。

まぁ勘がいい人は性同一性障害とか性別違和とかいキーワードが頭に浮かんだだろうし、分かんなかったらググってほしい。そしてその嫌悪感を抱くことこそがその障害を持つ者の定義であるわけで、ここを議論しても仕方ないから許してほしい。

というわけで自分を女として知っている知り合いの多くは自分を男っぽい女だと思ってるだろうし、一度女として認識した人間へ向ける視線をひっくり返すのはとても難しい。自分はそれがとても悲しい。通ってきた門は変えられない。



幸か不幸か、自分は初対面の人間に対してその入り口をある程度意図的に変えられる。つまりこれから自分はその人と付き合っていくにあたってどっちの性別で行くか大体決められちゃうってことである

ちなみにこれは初対面一発目で相手自分の望む性別自分認識するということでは必ずしもなくて、話していくうちにちらちら実は男なんです~/女なんです~要素をチラリズムさせていく、もしくは単刀直入自分性別宣言してしまえば納得してもらえるってぐらいの見た目を自分はしているってことだ。端的に言うと一人称を変える程度で私の性別は揺らぐ。

また会うことなんてねぇだろうなって人は勝手にあっちの想像に任せて話を合わせている。会話の節々で「あっこの人は今自分を君付けで読んだな」とか判断材料にして。

これから長く付き合っていく人間に対してはそうもいかないので、大体付き合いが長くなってきた時点で胸が裂ける思いがしながらも自分ネタバラシをする。しか卒業を目前に鬱で発狂した自分はもう考えるのをやめたくなって、性別欄のない履歴書を黙って送って、雇ってくれた会社の人に自分性別判断を託した。(性別のわかる公的書類の提出はいらないとこだった)

はじめて会ったとき君付けで呼ばれて聞きなれないながらも若干安心して、それから職場では同じ戦術ながら奇しくもずっと男として働いている。



男として働きだすと言われることが真逆になった。女の子っぽい男の子だね、かわいいね、と。(ちなみにほとんどが初対面の客からである。世の皆さん、人の性別安易に突っ込まないでください、肝が冷える)

女の子っぽい男の子、というタイトル自体はも満更でもない。それどころかその受け皿に収まってしまおうか、つまりそれを自分アイデンティティにしてしまおうかという選択肢まで生まれだした次第だ。しかしそう言われるたびに腹の底が冷えるような気持になり、その話題をどうにかしてそらしたくて仕方なくなる自分には、そのラベル積極的自分を売っていく気にはまだ到底なれない。

話が少しそれるが、自分はあわよくばわかりやす自分他人に分かってもらえるようなラベルアイデンティティが欲しいと常々思っている。しかも自信をもって自分から提示できるような。(この場合の自信っていうのは真実か否かっていう次元の話)

性別不明の人間に対する探るような人々の視線は、一度経験してみてほしいと思う。みんな説明安心がほしいんだと思う。

男として生きてくのも色々大変なんだ、特殊な業種なんだが仕事中に生理なんか来た時には泣きそうになった。女子更衣室のチェックのために同僚の女の子読んでこなきゃいけなかったときは笑いそうだった。不意打ちのボディタッチはいつも致命傷になりうるししょーじき男として生きるのもしんどい。これが一生続くのかと考えると。

自分(の身体)が女だと知られることが自分への他人見方を決定づけてしまうことになる一方で、男か女かしかないこの世界真実を隠し続けながら一生過ごさなきゃいけなくなると思うと死にたくなる、ライトに。積極的死にたいっていうよりはこの苦しみから解き放たれたいの方が近いほうの死にたい

悲しくて泣きたいけど、今まで流してきた大抵の涙は、大人になったらよくなるとかなんでそんなことでくよくよ悩んでいるのかとかい言葉で流されていった。もう大人になってしまった。



Xジェンダーとか、LGBTだけにとどまらない言葉は世の中に無数に存在していて、それに出会うことはできる。でもその言葉に含まれる人々は、一般社会の中で存在していることになっているだろうか?その受け皿は、いまだ世の中に生まれはいない気がする。

アイデンティティ自分他人共通認識で、他人の中に存在できない自分は、いない。それがとても虚しい。考えても分からない。どうしよう?

2020-03-27

――オタクは――

2度と有明へは戻れなかった…。

同人商業中間生命体となり永遠にネットをさまようのだ。

そしてコミケに参加したいと思っても開催されないので

――そのうちオタク考えるのをやめた

2020-03-15

はいつかはxななければならないわけだから

満足してxねる理由提供してくれる説法AI牧師とかがいた枠)というものを考えたけど

最新チャットボットの性能に絶望

これは薬で得た多幸感の中でxぬのが楽だし速いわ

イノベーションを起こす必要もない

となって

考えるのをやめた

2020-02-17

anond:20200217124600

モデルがいるならそうだけど、アニメとか漫画二次絵の話でな

空想おっぱいの大きさの正確性なんてないぞ

可愛さカッコよさについては「顔のデッサン狂ってる」って聞いたことない?

これはある子の一例だけども

パーツが福笑いみたいになってるわけじゃないから正確性とは離れるし

そもそも目がでかかったりするから現実的でもない

自分の思ったように描けないって言う正にデッサン力の欠如を言いたいのかとも思えば

思ったように描いた結果「良くない」って事らしい

デッサン意味とは?深すぎて考えるのをやめた

2020-01-21

働かずに楽してお金が欲しい

と思ってる人が(少なくともネットを見てる限りでは)かなり多いと思うし実際自分もそうなんだけど、

今回(前にもあったけど)の前澤?とかい社長お金バラ撒く際に上記の様に日頃から思ってるはずなのにこれについては手を出さない・反応しないという人が少なくないなと思って(自分もそう)、これは何でなんだろうなというのをぼんやりと考えていた

他にあるかな

自分は上4つがごちゃまぜになってる気がする

ただ自分はこれについてあ~またやってるんや~くらいの(たまに反応してる人を見て思い出す程度の)認識で具体的にどういうアクション必要なのかよく知らないので頓珍漢なことを挙げてる可能

追記

今(22日14時)見たら予想外に反応貰えててエエーーーーーって言った 元々「もしこれが確実に貰えるものだったら自分はやったか」と思ったのが始まりだったんだけどいくらいっぱいお金持ってる人でもそれは無理がありすぎるな……って思いが先んじてしま考えるのをやめた 仮定の話がへた

かに「働かずに」って話だとポンと100万もらうというより毎月コンスタント20万とか30万とかほしいというのはわかる

そもそも感情労働なのではというコメ見て確かにな〜と思ったけど結局精神面を含めた払うコスト結構あるので「(働かずに)楽して」に該当しないってところが大きいのかな

あと一番最初に挙げたけどコスト払ってもリターンが確実じゃないし

1~4って言うなら箇条書き数字しろよってちょいちょい言われるから文章の方を修正したわよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(最初リストやめて数字入れたんだけど見栄えが悪くなったのでやめた、番号付きリストって使えるんですか?)

2019-12-17

恋愛至上主義も負の性欲も社会的ヒエラルキーも何もかもが優生思想の上に成り立っている…とした時にでも人類にそれがなければ人類は滅亡の可能性が上がる…しか優生思想はとても危険思想…ってなってわああああああああ!!!!!!ってなって考えるのをやめた。さて長い昼休みも終わりだ。

2019-09-11

セックスを最高にする魔法スパイス

俺の最高のセックス24歳のとき。当時付き合ってた19の子と。

毎週会うたびセックスしてたが愛というスパイスのおかげで何回しても飽きなかった。

愛のあるセックスは最高だった。

最低のセックスは同じく24歳。相手も同じ19歳。

ひたすら演技臭く、やたらと俺を早く逝かせようとしてた。

アソコがゆるゆるで逝くこともできないので俺はそのうち考えるのをやめた

愛というスパイスのないセックスとはこんなにも虚しいものかと悲しくなった。

あれからセックスを最高にするスパイスを色々試してみたが、愛を超えるスパイスを見つけることはついにできなかった。

あなたセックスを最高にするスパイスは何ですか?

2019-09-04

創作に呪われた承認欲求の話

この話を始めるにあたっていくつか留意してもらいたい点がある。

一つ、これはいわゆる「腐」の作品創作するオタクの話である

特定ワードに触れるつもりは全くないが、カプや界隈といったそれらしきワードは話の進行上必要なので、そういった要素が許せない方は読むことをお勧めしない。

二つ、この文章には特定の誰かを非難したり貶めたりといった意図存在しない。

この文章書き手である私は確かに傷ついている。でもそれは誰かのせいでは全くなくて、強いて言わずとも私が勝手に傷ついているだけである

三つ、この文章はいくつかの登場人物が出てくる。

おそらく、当事者たちがこれを読めば自分のことだ、あるいは関係者が読めばあの人のことだ、と思い当たるかもしれない。

もしこれを読んだあなた当事者ないしその関係者であるなら、お願いだから私の前でこの文章言及しないで欲しい。

私はどうしても抱えきれなくなってしまった気持ちを誰かに知ってほしくてネットの海にこれを投げ込んでいる、でもそれを自分の眼前に突きつけられて正常でいられるほどの覚悟を持っていないし、今後も持てることはないだろう。

前置きが長くなってしまって申し訳ない。

タイトルの通り私は創作をする腐女子である

いくつかの界隈を転々としながら現在の界隈と自カプに落ち着いている。

現在の界隈はとても狭い。きっとおそらくこれから広がっていくだろうが、これを書いている現在創作をする人の数はとても限られている。

そんな狭い界隈の中で、私は自分と同じカプが一番好きだ!という人をまだ見つけられないでいる。

おそらくいないんだろうな、という諦めを持って久しい。だから少しでも自分のカプを好きだと言ってくれる人が現れるように、果ては自分のカプを創作する人が現れてくれるように、と祈りとも呪いもつかない気持ちを込めて創作をしている。

話は少しそれるが、界隈の中で私には仲のいい人が何人かいる。

その中から2人をこの話の登場人物にしたい。仮にAとBと置こう。

Aは雑食を自認するオタクである。一番好きなものはあるけどどれもこれも好きだし創作もする。

私はそのマインドが羨ましいと思いながら、仲良くさせていただいていた。

Bは雑食とまではいかずとも、自分の自カプに愛を注ぎ素敵な自カプを生み出すオタクである

Bの自カプと私のそれは一緒ではないけれど、界隈の中ではお互いにとって数少ない解釈合致する相手だった。

同じテーマ創作する、という企画を何度かやるくらいには仲良しであると思っている。

2人とも、通話をする仲であるし、都合が合うなら会おうとも言い合う仲だ。

Aの本命カプと、Bの自カプは一緒であった。

2人の一番好きなカプは私の自カプとは違った。それでも2人とも私の創作を好きだと言ってくれた。

前述の通り私は2人とよく通話をする。

Aは、喋らないと感想を言えない、と言っていた。

文章に起こすことがどうにもできないらしい。

そういう理由から、私はAから通話の際に自分作品への感想を音声で受け取っていた。

Aが喋る称賛の内容は流量な語彙とみずみずしい感情にあふれていた。そんなに人を褒めることができるなんてすごいなあ、と思うくらいだった。

ところが、残念なことに私は音声で情報を受け取るのがとても苦手である

学校の授業でも先生が喋ってる内容だけでは追いつくことができず、先生の板書を合わせないと理解することができなかった。

通話で予定を決める際にもなんども聞き直してしまうほど、音声情報を処理するのがどうにも苦手だった。

から、大変失礼な話であるのは承知だが、Aが褒めてくれた内容を私はほとんど覚えていない。

褒められた事実は覚えている、でも何を褒められたのかはほとんど覚えていない。残らないのだ。

私は承認欲求お化けを自認している。

感想をくれなきゃ筆を折るぞ、が口癖だ。実際常にそう思っている。

から、音声情報を処理できない脳みその都合からツイート匿名ツールなど、文章として残る形で感想が欲しかった。

そうすればスクショなどの方法で保存して見返すことができる。いただいた感想は全てスクショして携帯お気に入り登録し、いつでも見返せるようにしていた。

そうして見返すことが私の創作をする心の支えであった。

私は人のリプ欄を見るタイプ人間なので、誰かからリプライだってしかしたら私を知ってもらえるきっかけになりうるという下心だって、あった。

でもAがそうやって喋った方がつつがなく思いの丈を伝えられるのなら、と、自分に残らない悲しみを飲み込みつつ受け取っていた。

また少し話がそれるが、本気で筆を折りたいと思った出来事があった。

詳細は省くが、創作に呪われ界隈を転々としながらも創作をやめられなかった私が創作をやめてしまおうと思ってしまったほどの衝撃だった。

実際に創作するためのツイッターアカウントを消してしまった。

でも、今はまた復活させている。創作意欲は死んでいる。生き地獄だ、と思っている。

なぜなら、少し前から私はAとアンソロジーを発行する企画を立てて主催を担っているからだ。

アンソロ参加します、買いますって声を受けているしそもそも主催なんだから放棄するような真似はよくないよ、と諭されて泣く泣くアカウントを戻した。

わかっている。Aの言うことは大正論だ。わかっている。

でも自分創作意欲は死んだままだ。自分作品なんて誰が好きなんだろう、私はこんなに心を注いでいたのに、と思う気持ちが止められない。

そういう時に一番薬になるのは自分創作への感想だ。でも、直近で自分投稿した作品感想は一つも届いていない。

苦しい。続けるエネルギーがないのに、続けないといけない。

別のカプのつぶやき作品はどんどんいいねが増えるし共感のリプがつく。でも私の創作にはつかない。

私はなんのために創作をしていたんだろう、と思うようになった。

もともと創作楽しいから、自カプが好きだから始めたんじゃないのか?それとも認められるためのツールとして創作をしているのか?

それはもう卵が先か鶏が先かという話だからもう考えるのをやめた

ぐちゃぐちゃだった。創作をやめることはできないのに、しないといけないのに、ずっと気持ちの整理はつかないままだった。

そんななか、Bがその自カプの作品をあげた。

素敵なお話だった。Bが生む作品はどれもこれも素敵で、新しく上げたものも例に漏れず素敵な作品だった。

純粋に自カプへの愛にあふれているんだろうな、と思ったその作品に、Aがリプライ感想を送った。

音声で聞くそれと遜色のない、語彙と称賛の気持ちにあふれた、文面だった。

心の中で何かがぽっきりと折れた。

肥大した承認欲求をかろうじて支えていたピンヒールが折れたような、乗っていた薄氷が足元に投げ込まれた石でがらがらと崩れ落ちたような、そんな気持ちで、私はAとBの会話を眺めていた。

私は文字で褒められたいと思っていた、それが私のわがままであることは火を見るより明らかだ。

Aに限らなかった。でも、Aに文字で褒められたいと思っていた。Aは私の創作が好きだと信じていたからだ。

私のお話が好きなら文字で褒めて、と願っていた。実に身勝手なのはわかっている。

でも、私が願って願ってやまなかったAから文字での称賛を、Bは簡単に受け取った。

どうしても羨ましかった。

私はもらえないんだ、と思った。

本当に、筆を折りたいと思った。純然たる私の醜い嫉妬だ。

創作をすることで呪われた承認欲求が首を絞めるから、いっそ創作人としての人格を殺してしまおうと思った。

その苦しさを引きずって、怨霊のような私の創作人としての人格が生きながらえてしまっている。

思うだけじゃ届かない。感想も、要望も。

いいねだけは来るけど感想が来ない、という理由で筆を折った作家は何人もいる。

私もそのうちの1人になりそうだ。

別に、そうなってしまっても構わないんだと思う。それでも世界は回る。

ただ、どこにも名前が残らない程度の作家である私の、そんなに短くない創作人としての過去が、何一つ報われないまま死んでしまうだけだ。

そうなったって、世界は回るし、私のフォロワーはきっと私を忘れていく。

誰かが送ってるだろうからはいいや、どうせ貧弱な語彙しかいから、と感想を送らずにいる読み手あなたへ。

その心理が全員に働けば、作家に届く感想ゼロだ。

それが続けば、たとえあなたがその作家を好きであったとしても、静かに筆を折って手の届かないところへ行ってしまうだろう。

そうなったら、どんなに嘆いたってもう帰って来ない。帰って来るかもしれないけど、帰って来ないかもしれない。

傍観者効果で人が死んだ実例がある。誰かがやるだろうから自分はいいや、という気持ちで人は死ぬ人格死ぬ。帰らぬ人になる。

創作人のわがまま申し訳ないとは思っているが、好きですの一言では不十分だ。

好きです、の前に一つの単語でいいから、目的語を添えて欲しい。あなたの絵が、小説が、この作品のこの場面が、表現が。なんだっていい。

何が好きなのか、それだけでいいから教えて欲しい。それだけで、読み手が思う以上に創作人は救われる。

創作呪いだ。

一度呪われてしまえば、誰かの一言ぽっちで救われるほど心が弱くなってしまう。

たとえ悪意がなくても、誰かの一言ぽっちで死んでしまうほど心が弱くなってしまう。

そんな呪われた創作人を、救うことができるのは目に見える感想だけだ。

から怨霊になってしまった創作からのお願いです。たった一言だけでいい。

あなたに好きな創作人がいるなら、人助けだと思って、形で残る感想を伝えてあげて欲しい。

2019-07-26

anond:20190726211137

歴史的な〇〇が関係してる/してない、で考えるのをやめた方がいい。経済はつながってるんだから歴史的事象は何でも、間接的には関係してると言える。

関係しててもしてなくても、歴史的事柄は起こってしまたことは変えられない。こういうのの再発防止は、ちゃん郵便局名と担当者名前を出して処罰すればいいだけだ。その他の議論は、全部目くらまし。

2019-07-02

夫婦別姓だと子持ちで離婚したらどうなんの?

山田

鈴木

山田

離婚して母親についていき母が高橋再婚

高橋

鈴木

山田

娘成長し田中結婚

田中の子供もうけるが離婚

斎藤再婚

高橋

鈴木

山田

斎藤

田中

複雑すぎて考えるのをやめた

2019-06-16

年金払えみたいな意味ないデモに参加してみたい

デモしたところで現状が改善されるわけないのは普通頭脳の人はわかってると思う

頭がからっぽで自分人生他人に預けてる人がおそらくデモに参加するんでしょう

それはいいんだけど、一回デモに参加したい自分もいる

なぜかって理由を考えると頭をからっぽにして、ひたすら叫び続けるっていう

ある種のストレス解消みたいなことがやりたいからだと思う

デモしてる人たちって起案者以外は大抵流される人が多いと思うんだけど

その中に自分が入ってたまに自分考えるのをやめたいんだと思う

実際デモが実行されても年金破綻まではいかないけどそれだけでは生活できないものになるでしょう

それだからこそ大きな声を出してたまには頭をからっぽにして叫び続ける

そういう時間がおれは欲しんだと思う

2019-06-07

anond:20190607101851

それは俺はライブドア事件ときに思ったな。

でも結局、警察検察側もリンチ側だったわけで、これが日本だと察して考えるのをやめた

2019-05-09

あーもーどーでもいい

なんつーかどーでもいい。全てがアホくせえ。そしてカーズ考えるのをやめた

愚痴増田に書こうと思い、300文字くらいまで行ったところで「これは本当に妥当愚痴なんだろうか、不当な問題提起として読まれしまうのではないだろうか。いや、こういうケースならたしかにこの書き方なら、全く明後日の方向を向いた文章になってるなあ…」となり、結局消してしまうということを何回も繰り返してしまう。これをして「一人議論が深まっ太郎」と呼ぶことにしようと思ったが、面白くないので考えるのをやめた投稿

2019-04-14

蟻になる病

うつ病と診断されていくら経ったろうか、もうパッと答えられるほど最近ではない。確か思春期外来にかかって、そこでうつだ、と言われた。恋愛部活で悩んでいた中学校の私は、はっきりと、そこでうつと言われた。今ではそれしか覚えていない。その後、自分に都合のいい親は私をクリニックから引き離した。我が息子がうつであるはずがない、こんなに他人とも関わるのが好きで(好きではなかったが彼らにはそう映ったらしい)そして何より明るい人が、そんな病気にかかる訳がないと。当時、文字を読むのとかがそれほど嫌いではなかった私は必死自分の病について調べた。どんな人がなりやすいのか、どういう治療法があるのか、こんな体験談があるのか、僕は果たして治るだろうか―――そうでもしていないと、冷たい彼女のこと、部活で受けるいびりを思い出してしまうからだ。頭を動かして、紙に文字を書いていれば少なくともそちらには気を取られなくて済む、そう思った私はひたすらに本とにらめっこをしていた。ただ、それでも原因から離れられない日々は間違いなく僕をおかしくしていた。親は投薬も、休学も認めなかった。それも嫌だったが、留意点として教師など、知るべき人にも僕が鬱である由は伝えられなかった。ただ、それでも僕は死んでいない。これは僕が死んでいないかうつでも平気だよ!なんていう詭弁を書きたかったものではなく、うつというのは周りの人も協力してあげないと決して治らなくなるものだ、と言いたいために書いていることは了承しておいていただきたい。それでも常に自殺脳裏に浮かんでいる。従来の自殺は美しくない、死ぬとき牡丹のようにぼとりと落ちて死にたいと思っているだけで、もしそのように死ねものがあれば、直ちに使ってしまうかもしれない。

これを何故書いているかというと、とうとう投薬が終わったからだ。それは僕が良化傾向にあるからではない。むしろ真逆の、薬が効かないという事態になったからだ。長期間渡り抗うつ薬を処方されていた僕は、親に隠れてでもこっそり飲んではいた。でも、原因が近くにありすぎること、またその環境から経済的にも、精神的にも自立して逃げ出せないことでその場しのぎの安楽剤にしかなっていなかった。まぁ、首を吊りそうになったときとか、割と助かりはした。でもとうとう、それも効かなくなりつつあった。この間自殺未遂まで行ったからだ。早期に発見されてしまったので、今も意識清明思考の混濁もない。(無いと言ったら嘘になるかもしれないが)

から、今もこうして文字を打っている。

こうしてみると、仏教説話蜘蛛の糸だとか、信じる者は救われる系の話にすがりたくもなってきた。それでもダメものダメだった。ただひたすら鬱屈とした自分が襲いかかってきて、たちまち意識占拠されてしまう。毎日この繰り返して、今僕は一番勉強すべき時期に差し掛かっているのだが、一向に進まない。それに受験のことを考えてもダメになる。いっそ考えるのをやめたいとずっと思っている。脳が腐ってしまえばいいのに。臓器カードは準備できているのに。

今の自分を一度自分から離れてみると、子供ときに見た蟻地獄にハマる蟻を思い出す。藻掻いて藻掻いて、砂がじわじわと迫ってくる。はてには埋もれて死んでしまう。色んな人に言われる。うつ知識がないような人から毎日をより良くしようとは思わないの?とか苦しいのを楽に変えたくないの?とか。そんな元気があればとうに打つ手は打っている。それができたらこうはなっていない。もう何をしようが、どう動こうがこのまま砂の渦の底に追いやられるのは自明で、それが早くなるか遅くなるかの差でしかない。こう思って、毎日蟻になってしまった僕は暮らしている。

2018-08-07

不安

社会人になって13年が経とうとしている。

つの間にか30代も半ばを過ぎて会社では中堅として課長を任されていて、20人のメンバーからは信頼されている事を感じる。

メンバーミス顧客に頭下げに行き罵詈雑言を言われる事もあるし、メンバーを守る為に他部署上司とぶつかる事もしばしばある。

それが課長仕事から当たり前だと、思うかもしれないけど、信頼と信用を得るのと引き換えに、ストレスが溜まり神経が少しずつすり減っていくのが分かる。

表向きにはそんな素振り微塵も見せてないから、周りからは「メンタルが強い」とよく言われるけど正直そろそろ発狂するんじゃ無いか不安だ。

本当は誰かに助けて欲しいと叫びたいし、周りの期待や信頼を全て捨てて楽になりたいと思い会社を辞めようと何度も思ったけど、家族生活はどうなる?辞めて保証は?と堂々巡りになるため考えるのをやめた

これからもこの生活は続く。

ここに誰にも言えない胸の内を書いて少しスッキリしたので明日も頑張ります

おやすみなさい。

2018-07-05

怪しいサプリ広告に騙される人

最近スマートニュース広告にやたらと痩せる酵素やら脂肪が溶けるやら、怪しいサプリがよく表示されるんだけど、広告の中身を見てみると、めちゃめちゃ嘘っぽい。

というか嘘が結構あるんだけど、共通して書かれてるのが、あの芸能人も愛用!とかいうやつな。

例えば元モー娘。のあの方とかだけど、愛用してるからと言ってインスタグラムでわざわざ顔と一緒に商品写真載せるわけないだろ。

いや、載せる人もいるかもしれんけど、前述の元モー娘。のあの人、聞いたことのないサプリやらなんやら大量にあげてるんだよ。

仕事マーケティングやってるけど、あれめちゃめちゃ安価でやってくれるからね。TV cmハロプロ関係使うと何千万とか億とか軽くいくけど、インスタに写真載せてもらうなんて下手すりゃ100万円切るレベルよ。人によるけど。

んなもんでバンバン広告として載せてもらってるわけ。

そんなことちょっと考えたらわかると思うんだけど、それで怪しいサプリとかなんとか酵素ドリンクを買う人がいるというのが驚きだわ。

小中高とまともに勉強せずに生きてきた人が騙されてるのか、考えるのをやめた人が騙されてるのかわからんけど、それなりに考える力を持ち続けるのは大事だなと思うわ。

アフィリエイターというのはああいう怪しいサプリやらを嘘で固めて売ってるのかな。だとするとあまり褒められたもんじゃいね

ちゃんとした人もいるだろうけど、無知の人を騙して効きもしないサプリを売るなんてのは良心がいたまないのかな。

あと念のため言っておくけど、良心承認欲求、つまり損得なしに商品を紹介してくれる人もいるよ、もちろん。

2018-06-25

人生地獄なのかもしれない

最近ふと思うんだけど、この世は地獄かもしれない。地獄っていうのは悪いことした人間が死後行く世界で、辛くて苦しい罰が待ってる。

私はこの人間界そのもの地獄なのかもしれないって思ってる。人間界にはすごい多くの枷がある。肉体、地位お金、色々ある。体調不良ってなんだろう。魂だけなら本来しまなくて良い部分でしょ。お金がなくて餓死寸前で苦しむっていうのも意味がわからない。ましてや精神疾患ってなんだよ。人間関係で苦しむなんて。脳なんてものがあるから苦しむんでしょう。

中には「楽しいこともある」って言う人もいるけど、こんなに苦しいことばかりの人生の中にある「楽しいこと」っていうのは洗脳DVの手口と全く同じなんだよ。

「苦しいけど、楽しいことがあるから生きてられる」とか言うけど、「あの人お酒飲むと暴れるけど、本当は優しいの」って言うのと同じなんじゃないか

この世はたまに優しさを見せて痛めつけるDV夫と同じような地獄。どんなに徳を積んで他人に優しくしても、無駄

本当の地獄は、今よりもっと辛いよって言う人もいるかもしれない。ずっと針に刺されたり、火に焼かれるかもしれない。

でもランニングだって、ずっと走ってればだんだん慣れてくるでしょ。走った後歩いて、そしてまた走る。っていう行為の方が数倍疲れる。心拍数に幅があるから適応出来ない。だからこそこの世の人間界の人生は、辛くて苦しい。

私は人のために優しくすることが、その人のためになると思ってた。でも違うのかもしれない。DV男の優しさのように、もっと人を苦しめてるだけなのかもしれない。

私も人に良いことをして、感謝されると嬉しいけど、無下にされると悲しい。

人間同士、お互いがDV男になっているのかもしれない。

そして今は、だんだんと考えるのが面倒になってきた。これが大人になるってことなのかもしれない。でもも考えるのをやめたら、私が嫌だなって思う大人になってしまうのかな。

私が嫌だなって思う人って、本当にこの世に生きている人たちなのかな。もしかしてNPCなのかもしれない。私たちを苦しめるために生まれたノンプレイヤーキャラ。中身なんて無くて、ただ標的を自動攻撃するために設置されてる。電車のよくわからん足踏んだり、痴漢してくるおっさん、嫌味を言うおばさん、イジメをする同級生、わけがからないままデモに参加する人がそれ。なぜそんなことをするのか、よくわからない、見てるだけで心が痛む存在

解脱こそ救い。と信じた昔の仏教のえらい人たちの気持ちがとてもよくわかる。

今でこそ「そんなわけないじゃん」と鼻で笑えるけど、遠い昔に生まれていたら、私も修行していたかもしれない。

本当に死にたい。「あ、今日ハンバーグ食べたい」ぐらいナチュラル死にたいが襲ってくる。

鬱病ってこういうこと?って思ったけど、思えば物心ついたあたりからこんな感じだし、病院にいって話しても、わけがからないやつだ。と一蹴されて薬だけ出される。

同じように、死にたい。と言って「親がかわいそうだ」「なんでそんなこと言うんだ」とか言う人に、上記説明しても無駄なんだ。宇宙人みたいに言葉が通じなくて、頭の中に「?」がいっぱいになって風船が爆発したみたいに怒ってるだけ。そこに考えなんて無くて、ただ「死にたい」を言われると、生きている自分自身否定されたかのように錯覚してるだけ。脳の異常だって言うだけ。

でも本当にそうなのかな?鬱病って、脳の異常なのかな?そもそも正常ってなんだろう。鬱病の人って、このことに気がついた人なだけな気がするのよね。

みんなどうしてわからないんだろう。この世の地獄に。なぜ気がつかないのだろう。この世の不条理に。

こんなこと、気がついてしまわなければよかった。ずっとわからないまま、人生を楽しく終えたかった。

はやく安楽死、させてほしい。お願い。

2018-06-05

天寿に近い祖母を見て思うこと

20年近く認知症を患い、寝たきりになった祖母がぼちぼち天寿に近づいている。

今年に入ってから肺炎になったりしていよいよか、と思うことが多くなってきた。実際はそうなってからもう4ヶ月近く経っているが…

入院している病院へお見舞いにいって祖母の様子を見ると、認知症の症状が進みもう言葉もしゃべれない状態になっていた。

今までも年に一回ぐらいは見舞い(入院前は老人ホームに入居していた)に行っていたが、その時より痩せており、少し見るのが辛い。

辛いというのは可愛そうとか、そういうのではなく、いつか自分もこんなふうになってしまう時が来るのかと考えてしまうのが辛い。嫌でも現実を見つめさせられている気分になってしまう。

周りを見ると80歳近い祖母と同じぐらいの方がイビキを掻いていたり、聴き取れない呻きのような声を上げている方もいて、尚更そう感じてしまう。

母曰く、引っ張られるからそういうのを考えるのをやめた方がいいと。頷くしかなかった。

40年か50年か60年後か分からないが、自分祖母と同じようになった時、見舞いに来てくれる家族が居るんだろうか。居て欲しいが、今はまだ居ない。楽に逝けるんだろうか。まだわからない。

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