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はてなキーワード: 美術館とは

2019-11-13

anond:20191113125816

だろうね

車いす男性美術館で殴られた話も映像は違ったみたいだし

2019-11-07

日本人精神性って昔から変わってないの・・・かな

2019-11-06

おおっぴらにフルチンで騒ぐのは犯罪美術館でやったらアートとかすでに意味不明なんだからとりあえず死ねアート界隈

2019-11-03

anond:20191103102251

では『オタク定義』とは?

絵に特殊感情を抱くとか漠然とした内容なら美術館焼き討ちしなきゃならなくなるぞ?

2019-11-02

anond:20191102090922

萌えるから萌え絵ですらなく

単にカウンターとして世界美術館で認められている萌え絵と言う権威がほしかったけど、そのような萌え絵が見つからなかったか海外美術館に展示された可愛い少女を描いている漫画を利用した感が強いのが不快すぎ

2019-10-30

負け犬の遠吠え

宇崎ちゃんこらぼの玉音放送臥薪嘗胆を誓うものもいれば、負けを認めないのもいて、まあ正直メシウマだな。

叶姉妹がどうのこうの、ってやっぱりオタクリアルフィクション区別つかないの?

オタク偏見を抱いてる単なる差別主義者とか腹痛いわ、「オタク趣味が浸透した世の中」なら僕ちゃんの大好きなエロい物も受け入れてくれるってまじ思ってるの?正直さ、いい加減「現 実 を 見 ろ」

美術館とかマジ受ける、コメディアンの才能あるよ。クローズ場所で展示されてるのに「広く公開されている」?そもそも日本語理解できてる?

ニーメーラーマンはいい加減食傷気味

他のコラボにも難癖って、あのさ?オタク君たち、このてのオタクカルチャーコラボなんてどれくらいあると思ってるの?年間1020じゃないよ。

で、炎上してるのは何個ある?本当にフェミが騒ぐから炎上してるって理解してるの?君の現実把握能力やばくない?敵をしらず、己も知らずだとどうなるか知ってる?

2019-10-26

anond:20191026153752

石川県民は美術館に一番よく行く県民性費用か回数どっちか忘れたが全都道府県で一番多い)らしい。

これもそうやって裾野を広げた結果なのだろう。

2019-10-25

anond:20191025095727

正しい間違いではなく、問題になりやすいかどうかについて言ってるよ。

美術館文脈が共有されてるから、現に問題は発生しないよ。

無名萌え絵文脈が共有されてないから、現に問題が発生するよ。

anond:20191025095212

オタクがではなく「フィクションの女をみることで現代女性がなにをされれば喜ぶか類推出来る」と勘違いしがちなキチガイがくるとまずいだろうけど

それはどの絵、どの漫画でも起こり得るんだよなあ

美術館だと古い時代の絵が飾ってあるところだという前提が常識としてあるけど

重度のキチガイ場合それでも平気で踏み越えてくるから

江戸しぐさだの戦国時代の女は道具だからこそだのw

生半可な知識だけで糊塗できてないかお笑い草w

anond:20191025095121

からそれはキモい顔のオタク美術館に集まった瞬間に成り立たなくなっちゃうじゃん

anond:20191025094352

あと美術館作品は、来館者には「性の消費を目的としていない」っていう前提が共有されているから、無名萌え絵よりも問題になりにくいよ。

anond:20191025093609

表現物の文脈意図無視して受け取り側が規制するのはおかし

美術館ポスター芸術を全く知らない人が見て「女性の裸体がある!性的搾取不快!」って言ってるのと同じことだぞ

2019-10-18

グルメブームが結局、お店を焼き尽くす

これ

https://note.mu/vino_cavolfiore/n/n98131f3f9bf5

を読んで、ブコメでもいろいろ書かれていたけど、お客さんの気持ちもわかるし、

シェフサービスマン気持ちもわかるなぁと思う。

結局のところ、これはお店とお客のミスマッチで、

ツイートも要はただのミスマッチ事故みたいなものなので、気にせずに流せばよいのに、

ぶつぶつと文句を言っていることが炎上の原因かなと思う。

なんで、こんなミスマッチが発生するんだろう?

といえば、やはりおとなの週末のようなグルメ雑誌食べログのような情報によって、

誰もが一流店を知ってしまうことにある。

たとえば、一人5万するお寿司屋さんに、自分の金で行こうと思う貧乏はいないわけだけど、

パチンコ10万勝ったか東京一の寿司屋に行くか!」だとか

「いままで東京に来たことないおふくろが初めて東京に来るから田舎にはないフランス料理を食べさせてやるか!」だとか

そういう意思決定が発生してしまう。

そのときに、自分の住んでる家の近くの寿司屋や(ビストロくらいの)フランス料理屋に行けばいいのに、

変に情報がいっぱいあるがゆえに、検索してそういう身の丈に合わないところに行ってしまうわけだ。

貧乏人にそういう店に行く権利がないのかって?

私見では、ないと思う。ただし、貧乏かどうかが問題ではなくて、客とお店の間にリスペクト信頼関係があるかが重要

今回の例でいえば、申し訳ないけど、リストランテパスタしか頼まないとか、

高級レストランで龍のスカジャンで来るとか、そういうのはやはりそのお店や料理文脈に沿っていないと思うのです。

文脈に沿っている、ということはとても重要なことで、「はいはい、また空気を読めってことね」と言われるかもしれないけど、

その通りなのです。

なぜなら、僕自身もこれまでにいっぱい失敗をしたから。

でも、美味しいお店を紹介してくれる先輩とか、いろいろと教育してくれるお店とか、

そういう経験で、なんとか少しずつ学んでいる最中。なぜなら、美味しいものをつくっている人をリスペクトしているからね。

それは向こうにも伝わるので、「(あなたがいまお金ないのは知ってるけどお金ができたら)今度はこれ試してみてくださいね」と言ってくれるわけだ。

横浜店長も同じで、スカジャンの彼自身がお店をリスペクトせずに来てしまたことを自覚していたからこそ、

「今度はこういう格好で来てくださいね」って言おうとしたんだと思う。

逆に元ツイートの親子は不幸なミスマッチではあったけれど、「こっちはお金払ってる客なのに、なんでこんなこと言われなきゃいけないの?」というのが顔に出てたんだと思う。

もちろん元ツイート主はこんなことツイートすべきじゃなかったと思うけど。

あー、めんどくせーなーと思った人。

はいレストランってめんどくさいところなんですよ。

1日にたかだか数十人しか相手できない商売ですよ。

それなら自分相手もいい気分で仕事したいですよね。だから、そのお店の雰囲気文化を大切にしなきゃいけないんです。

そうじゃないと、ファストフードチェーン店でいいじゃないですか。

食事なんてどこでもできるわけで、ファストフードチェーン店は十分美味しいどころか、コスパを考えたら最強ですよ。

コスパ度外視で、エンタメ目的で行くのがレストランなのであって、やっぱそこには個々の、独自ルール文化があってもいいはずです。

で、最後に。じゃあ、どうやってお客はそれを学ぶの?って話。

一番いいのは誰かに教えてもらうことだけど、それは難しいので、

まずは家の近くとか、一番大きな最寄り駅付近のお店に行くこと。

いきなりおとなの週末やら、食べログやらで東京1位の店に行こうだなんて思わないこと。

これほんとに重要

そこで、自分にとって美味しいものとか、好みとか、新しいものを試したとき面白さとか失敗とかいろいろ学ぶから

で、新しいお店に入って、頼み方やルールがわからないときは、お店の人に恥ずかしがらずに聞こう。

でも、予算がよくわからない場合があるので、多めにお金を持って行った方がいいと思う。

次に、お店の人におすすめを聞こう。たぶん一番高いやつを進められるかもしれない。

そうしたら、それを頼めばよいし、それが美味しくなければ、その店はその程度ということで二度と行かなくてよい。

これが勉強代ってやつだ。

だんだんそうやって慣れていくことで、その手のお店に入っても、特に緊張することなく、自分の好きなものを頼めるようになる。

ツイートのお店だって、もしよく通っていて、常連になっていたとしたら、

今日あんまりお腹すいてないから、軽めの食事がしたいんです。パスタだけ頼んでもいい?」って聞けば、

快くOKしてくれたんじゃないかと思う。だって、いつもはお店の文化を知ってくれてる良いお客さん(これは金払いがよいお客さんというわけではない)なので、

それくらいのわがままは聞くと思うよ。リスペクトされてることお互いに知っているわけで、信頼関係があるんだもん。

それくらい信頼関係ってとても重要

お金が全てじゃないよ。

お金が全てなら、もっと儲かる仕事があるし。

これらは「こだわり」でもないと思うよ。

そうではなくて、マッチミスマッチをはっきりさせるための一つの手段

10年位前にある先輩に連れて行ってもらったレストランジビエは本当に美味しかった。

かなり背伸びしたお値段だったけど、払ってよかった。一つ自分レベルが上がったなって思った。

先輩は「これ、情操教育から」って笑いながら言ってたけど、

しかにそういう部分が多くある。美術館に例えるのは、格式が高すぎるかもしれないけど、

そういうところに行くのに、いきなり行っても面白いけど、

少し美術史勉強してから行くと、もっと面白いじゃないですか。

よりすごさがわかるというか。

安易グルメブームに乗っかって、お金を払う客が常に偉いのではなくて、

自分教養を身に着けるためにお店に通う。そういう楽しみもあっていいと思う。

「そういう意図で申し上げたのではない」案件

anond:20191018131310

ここまで読んでくださったみなさんには、きっと分かってくださることと思うが、メッセージときに、発信者意図しない隠れたメッセージを伝えてしまう。

そして、そのメッセージによって、傷ついたり、安全を脅かされたりする人がいることを、発信者は常に意識する必要がある。

信者意図しないメッセージを読解して傷ついた人がいたとしても、発信者がすべきなのは「これはこういう意図ですよ」という説明をすることだけであって、「誤読して傷つく人がいるからやめよう」ということではない。

そんなこと言い出したら「誤読されうる表現」は全て公共の場に出すことを禁じられてしまう。あいちトリエンナーレの「表現不自由展」なんかまさにそれだし、実際誤読した人によって抗議や脅迫があったわけだけど、だから表現不自由展は公共美術館にはそぐわないか排除しよう」となるべきではないはずだ。

2019-10-16

anond:20191016181102

じっさい美術館とかは障害者手帳で入場料割引してくれるところあるし、いらすとやもそのうち対応してくれるかも。

2019-10-15

anond:20191015183835

美術館の奥で注意事項付きで限定公開しかされないもの

そこらに貼られるポスターを同じにするなと何度言われたら

2019-10-12

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-10-10

anond:20191010053527

ヒマとカネに任せて下らない嫌がらせしてる奴がいるのね

美術館ならわざわざ見に行ってる人という自己責任1%でもあれば文脈読み取り責任も問えるだろうに

2019-10-09

昭和天皇を燃やすやつなんだけど(あとあいトリ2019の感想

 昭和天皇写真が燃やされて「日本国民が傷つく」とか思ってる人、実際よくわからんのだけど。

 昭和天皇写真燃やされてウケる〜とか思っちゃいかんのだろうか、そのひとたちにとっては。

 少なくとも私は昭和天皇写真燃えてるのを間近で見ると興奮すると思うので、「傷ついた日本国民」に勝手カウントしないでほしい。T田さんとかH田さんとかK村さんのことね。

 私のそういう発想が不愉快なら私のことをべつに「非国民」とか呼んでくれてもいいけど、私にとって昭和天皇写真燃えるのは、後醍醐天皇肖像画燃えるのとあんまり大差ないよ(ウケるのは昭和天皇写真燃える方だけど)。

 なんにせよ、自分所属するカルトを飛び越えて主語を大きくするのはよくないよね。ここに存分に罵倒リーをぶら下げてもいいから、「昭和天皇写真燃やされても別に不愉快でなくむしろウケる」と思うやつが標本1個ぶんいることは、その罵倒の中でさらに明らかにしていってほしい。ついでに言えば伊藤真美大塚英志JAPAN』(全3巻)とか読んでラスト昭和天皇クローンで憤死しておいてほしい。

 昭和天皇やす上でそれをアートとするかどうかは、見た上で判断たかったのだけど、その楽しみは現場享受できなかったなあ。再開しても抽選ならしょうがないもんね。まあ、最初ガソリン脅迫した奴がクソクソクソ悪いんだから、私はあくまガソリン脅迫したやつにピンポイントでF**kと言っておくよ。

 ちなみにあいトリ2019でよかったのを書いとくね。トヨタ美術館の方は行けなかったので他の人に任せた。

桝本佳子五重塔/壺 ほか」(@名古屋市美術館

:マジかっこいい。かっこいいから見にいってくれ。これだけで名古屋市美に行く元は取れる。茶碗展と動物園の両方好きなやつはいっとけ。両方が入ってるから。私はメロンカジキマグロが好き〜。

パスカレハンドロ(アレハンドロ・ホドロフスキー&パスカル・モンタンドンホドロフスキー)「サイコマジックアレハンドロ・ホドロフスキーへの手紙アレハンドロ・ホドロフスキーソーシャルサイコマジック』」(@名古屋市美)

:うさんくさーい、けどこれIbとかラヴクラフトとかSCP好きな人にはたまらない空間だと思うよ。会場に手紙抜粋があるから受け取っていくといいよ。

村山悟郎「Decoy-walking」(@愛知芸術文化センター

:これ、本来なら科学技術未来館かにあってもおかしくない展示なんだけど、そういうものも「情(報)」ということでアート展示に収められるのはこの展示会のコンセプトのいい部分だなと思います人間下半身を模した機械がなめらかに動いているのを注視させてもらうだけでコーフンしちゃう

dividual inc.「ラストワーズ/タイプトレース」(@愛知芸術文化センター

自殺する直前に書かれた遺言書タイプする映像を暗闇の中に陳列した部屋。血と肉を人体から剥ぎ取った後もなお残る死の匂いって、もしかたらこういうものかなと思った。

モニカメイヤー「The Clothesline」(@名古屋市美)&#YOurfreedom(@愛知芸文)

:行った時には表現不自由展中止にあわせて展示自体が止まっていたモニカメイヤー作品は、 「女性差別経験」を来場者に書かせるという非常に生-政治的なコンセプトなのだけど、展示が止まってしまたことによってそれらのピンクメモ自体封殺されてしまたかような風景になっていた。これについてはむしろ展示中止中もまたひとつ芸術になっていたと思う。あと、モニカメイヤーのこの手法を借用して、表現不自由展前のブースで行われていた #YOurfreedom も、女性に限らない不自由差別的待遇について来場者の一人ひとりが強烈なメモを書き残していて、重苦しい気持ちになった。我々が取り除くべき不自由はまだあるんだという決意が漲った。ただ、それを「表現不自由展」中止の再開にむけたメッセージのようにも取れるような物理的配置はちょっと狙いすぎであざといなと、(再開を期待しており、不自由批判論者をわりとバカにしている私ですら)萎えるところはあったけれど。

今村洋平「tsurugi」「peak」(@愛知芸術文化センター

:今回見たあらゆる展示の中でもっと純粋に“何がどうなってるのかわけわかんない凄み”があった。生きてる時代が同じなのに、存在自体オーパーツ、みたいなのを作るのに挑戦してくれてありがとうってかんじ。今後いろんな展覧会でもういちど見られるといいな。

加藤翼「Woodstock2017」「2679」(@愛知芸術文化センター

ロープに逆らわないとバンド演奏もできない男たち。ウケる。でも弾いている曲だったり場所だったりの文脈によって政治風刺として立ち上がる、という作品愛知芸術文化センターの地下の端っこにひっそりとあるので余計じわじわ来た。

洪松明(ソンミン・アン)&ジェイソンメイリング「本当に存在する架空ジャンル

:合計10架空音楽ジャンルが、PowerPointちょっとしたオリジナルサウンドと共に表示される。一番ウケたのが「Neo liberal Adult Contemporary」と共に表示される$¥£などの通貨表示。「ネオリベを表すパワポ芸wwwwwwww」ってなっちゃった。他のジャンルも「言われてみればありそう」という気もしないでもなかった。近過去近未来SFアート一種としてこういうやり方はもっと聴いてみたい。

弓指寛治「輝けるこども」@円頓寺商店街

クレーン車で事故死した6人のこどもの人生を追跡しながら狭い回廊を逆時計回りにめぐらせると、うざったい現代車の垂れ幕に遭遇させられ、それをくぐっている間にいつのまにかくり抜かれた穴が右側に出現し、鑑賞している自分の側が「子供を轢きうる運転手の視界」に組み込まれる……という仕掛けになっている。前半の子供の記憶を掘り起こす温かみとはまた別の角度から刺してくる、順路コミのアート展示だった。円頓寺商店街をめぐるなら優先的に行っておいたほうがいい候補の一つ。ただ、並んで歩いてたひとの多くがその車の穴に着目していたかと言うと、よくわからん誘導ないほうが嬉しいけど伝わってない可能性も高いかもね。

岩崎貴宏「町蔵」

:蔵の中に展示された圧迫感ある古物ガラクタアート感が一方の魅力でありつつ、正直言って円頓寺商店街中屈指の瞬間的デートスポットである(作者の狙いは知らんよ)。カップルは並んでいっとけ。できれば内部に明かりのある夕方がいい。

その他めし事情

あと名古屋新幹線在来線駅構内きしめんを食べてから行くべし。駅出てからきしめん屋探すくらいなら松坂屋南館10階のあつた蓬莱軒でひつまぶし食っとけ。

2019-10-08

anond:20191008022303

下をみればきりがないけど

 

放火脅迫美術館閉園とかしょっちゅうだよ

 

香港ほどヘビーなのじゃなくてもいいかデモ

でもして若く前途ある人の生活を楽にできないのかね

2019-10-01

[] フードホール

Food Hall

フードコート」を進化させた新業態

  

従来のフードコートは、買い物中の空腹を満たす目的の、リーズナブル軽食メニューが中心。

それに対してフードホールは、その地域で獲れた食材を使った、ローカル健康志向の高いレストランコンセプトの店が、

同じ場所に集められている。フードホールが誘致される場所は、大型商業施設駅構内の他に、美術館文化的価値がある

倉庫などが改装されるケースもある。

  

飲食サービス形態は、各店舗カウンターで注文をして料理を受け取り、ホール内のテーブルカウンター席で食事をする。

そのため、複数の店で料理を注文して食べ比べをする楽しみ方もできる。料理の内容は、堅苦しくないファストカジュアルだが、

拘りの食材調理法により、他では食べられないグルメフードとなっている。

https://www.jnews.com/business/digest/2017/046.html

前衛芸術に国が補助金を出す意味ってあるの?

商業的に成立しなくなった伝統工芸継承・保存するために補助金を出すのはまだわかる。そういうのは国が補助金さないとロストテクノロジーになってしまう。

でも前衛芸術補助金出してまで保護する必要ってあるのか? 今は商業的に評価されなくても芸術的な価値が高いものが、補助金受けてる展示の中にあるのか?

ゴッホピカソが国から補助金貰ってたとは思えないし、そこまでいかなくても岡本太郎草間彌生補助金で食いつないでた時代があるとも思えない。

市場で高く評価されて高価なアート公立美術館が買い付けるために補助金を出そう」という話ならわかるけど、「作家を食わせるために補助金を出そう」という話はさっぱり理解できない。

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