はてなキーワード: 米国人とは
TOEICはテクニックで700点取れてしまうから700点取ったという事実だけだと判断できない。
正直、対策やテクニックを使わずに700点だったら十分に英語能力があると言える。
ただ、ネイティブレベルの高い英語能力を保持しているかというとそうではないし、
900点でもネイティブレベルとは言えないので、ネイティブレベルかどうかを測るのにTOEICがそもそも向いていない。
ちなみにネイティブレベルの英語能力があれば海外で仕事にありつけるか、というとそうではない。
例えばネイティブレベルの英語が喋れる日本人が米国に行ったとしても、別にそれはネイティブの米国人と同列なので、同じ条件なら米国人が採用される。
日本人が米国で働きたいのならネイティブ米国人以上の価値を提供しなければならないし
それが提供できるならネイティブレベルの英語力なんて必要としない場合が多い。
真にネイティブレベルの英語力が求められるような仕事の場合、米国の文化であったり歴史であったり米国人としてのマナーや教養までが求められるので日本人には相当ハードルが高い。
などと聞かれたら
「そんなことを言っているうちは海外で働けない」
と答えるだろう。君の両親のように。
ロシアの黒海海軍の旗艦モスクワが沈められた話ではてサのブックマークコメントが
ロシア軍の気持ちも考えろみたいなコメントだらけで頭を抱えてしまった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718953508520360002/comment/cha9
ロシア国民の間で厭戦気分が広まるのはそれだけ和平に近づくので、平和のためには良い事。
ウクライナ側もロシアで厭戦感情が広まる事によって少しでも終戦が近づくことを期待して発表したのだろうし、こういう人はロシアが戦争を継続していくのが望みなのか?
それにミサイル巡洋艦であるモスクワはミサイルで沿岸の都市を破壊し市民を虐殺していた。
自分の言ってることが「祝、原爆投下!。これで日本の降伏も近づいたね!」(当時の一部米国人)と同じくらい酷いつう理解はないんだろうな。とはいえ多分「祝・原爆投下」にはマジギレだろうが
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718953508520360002/comment/bogus-simotukare
韓国国民の間では植民地解放のシンボル。これは韓国アイドルグループBTSが原爆Tシャツを着ていたこと事からもわかる。
さらに言うと一般人を標的にした戦略核攻撃と軍人しかいない軍艦を沈没させるのは違うので詭弁という他はない。
むしろ一般市民を空爆などで虐殺しているのはロシアの方なので彼らのほうにはマジギレしないんだろうか?
まさにプーチンロシアとか、或いは影響下のトランピスト等々各種のマチズモ集団て、「他者の感情を思いつく限り害するムーブ」の殊更な顕示が、集団内で同調確認する儀式になってんだよな。酷いこと言える奴が偉い
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718953508520360002/comment/Gl17
これって「公立学校は動物園」みたいな発言がスター集めるはてサでもそうだよね。
「反省」が好きな彼らはココらへんどう思ってるんだろうか?
正直上記のような反応が主流のサイトって、もうニコニコ動画反ワク親ロシア動画のコメントとか、橋下徹とその支持者のツイッターくらいなんだよな。
日本人は増田みたいに口での反論が成功しないと恥ずかしいと思っちゃうんだよな、増田みたいにムカつく、恥かいた、殴ったれってなる。ディベートができない原始人だからな。
理性的な米国人は反論が成功しなくても抗議をしたこと自体はきちんと受け入れそう、殴るなんて論外で思い浮かびもしないだろう。
ウィルが口で反論していた場合、日本人はみっともないと思いウィルの擁護は減り、米国では今よりもっと同情的な擁護が増えていただろう。
日本ではウィル・スミス擁護の色が強く、米国ではウィル・スミスが悪いという論調が強い。
ウィル・スミスは愛ゆえにあの行動を取ったわけではないとか男性性の発露がとかいろいろ言われているが、ではコメディアンという立場ならいくらでも他者を侮辱してよいのかという問いについての答えは少ない。
文化が異なれば笑いも異なるが、彼の国においてコメディアンの皮肉悪口罵倒は許されている。クリス・ロックが壇上で何言おうが笑うか聞き流すのが米国では分別のある振る舞いだ。
翻って暴力は絶対に許容されない。コメディアンの悪口はどこまでエスカレートしてもFワード止まりだが、暴力がエスカレートすれば銃をぶっぱなすのが米国だからだ。人が死ぬのである。
日本において暴力がそこまでエスカレートする状況というのにはほぼ遭遇しないし、それを前提に我々が暮らすこともない。だが、西の大陸では銃とかいうクソヤバい殺人おもちゃが誰でも買えていつでもぶっ放せるのである。彼女の家に行ったら日本刀もったお父さんが待ってたなんてヒヤリ話がジョークとして語られるが、向こうではマジにショットガンぶっ放しにくるパパにあふれているのだ。
日本からすれば異常ともいえるほどの暴力への忌避感はそういったいきなり人をぶっ殺せるおもちゃが一般販売されまくっている現状が原因だし、頭良さげにウィル・スミスの暴力を咎める知識人たちも半数近くはお家のタンスにオートマチックが一本置いてあるのがアメリカという国である。
日本において人口10万人あたりの殺人発生率は0.25件、アメリカにおいては10万人あたり6.28件、25倍近く人が死ぬのである。
日本人にとって他者から与えられる死など交通事故など偶発的なものでもなければ想像もしない。だから多少の暴力にも目くじらをたてることはない。
アカデミー賞でオスカー俳優のウィル・スミスがコメディアンの司会クリス・ロックを平手打ちし、賛否が挙がっている。
賛否の境界線として、日本人と米国人という大きな分水嶺がみられる。どういうことかと言うと、
日本では、「人」としてどうなのかという点でウィル・スミスが賞賛され、米国では「プロフェッショナル」(社会人)としてどうなのかという点でウィル・スミスが批判されている。
むろん全員ではないにせよ、マジョリティの意見がそのように違っている。では一体何が両国の人々の着眼と賛否を分けているのか。
私の仮説はこうだ。
日本では会社や公において、個性を出さないことが基本的な美徳とされている。
反対に米国では、個性を主張することが基本的な美徳とされている。
この前提の違いゆえに、日本でウィル・スミスの振る舞いは、「普通」は我慢するべきところ、ちゃんと人として家族である妻のために怒る振る舞いをして偉い!という評価になっている。
反対に、米国では「普通」は個人として主張するだろうが、それをプロフェッショナルであることを忘れたかのように、そのままエゴ丸出しでふるまってオスカーの舞台をぶち壊してけしからん!という評価になっている。
おそらく日本人の常識からすると、何か公の場で理不尽なことなどを言われても笑顔でその場を取り繕うということは、多くの人が当たり前に経験していることなのではないだろうか。
反対に米国の常識からすると、主張するべきは主張する文化なので、それをオスカーという公の大舞台の場で暴力という最悪の表現で返すという<我慢できなかった>未熟な奴だという評価になってしまうのだろう。
それぞれの文化の背景にある「普通」からの距離感が、つまり日本では公の場において普通ではない振る舞い<あえて>した人物として賞賛され、米国では普通の振る舞いを<おさえられずに>した人物として批判されているのではないだろうか。
この増田は下記ロシアサッカー選手への提言増田を、太平洋戦争開戦当時のアメリカ社会の日本人に対する感情を考慮しつつ、元増田に沿って日系人排斥の歴史的事実に基づき改変しました
https://anond.hatelabo.jp/20220302171738
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アメリカ議会が日系人を正式に市民社会から排除する法案を決定し、大統領も日系人をアメリカ社会から排除し収容所に入れる大統領令を発した。
このことは正しいのだろうか?それを問いたい。
イギリスでは、従前よりヒトラーと親交があったイギリスファシスト党指導者のオズワルド・モーズリーが、ドイツが始めた侵略戦争に対してどう考えるのか?を表明するように期日を設けて要求され、モーズリーはこれに対して恭順しイギリス軍と王室への忠誠と協力を呼びかけたが、
「敵国政府指導者と関係を持っている組織のメンバーを誰であろうとも裁判なしで無期限に投獄できるものとする」という防衛規則18Bにより裁判無しで刑務所に無期限収監となった。
このケースなどは、同指導者がヒトラー総統と同じ考えを持っていると考えられても仕方ないと言えるし、英国にとってのイメージ悪化を損害と考えるのであれば収監するのは正しい判断と言える。
であれば、日系人、日系人団体に対して日本が始めた侵略戦争に対しての批判と抵抗を求めてはどうだろう?
日本の侵略に強い反対を示させ、星条旗に敬意を払わせ、アメリカ軍に志願して日本の同盟国であるドイツと戦う意思を示した者のみアメリカ市民と認めて収容所から出したらどうだ?
とは言え、心情的には飲み込めない問題もある。既に報じられているように、パールハーバーの米軍人数百名が日本軍からの卑劣な騙し討ちによって命を失っている。
まだ生きている米国人の若者は徴兵令によって故国を守る防衛戦争に従事する為に、家にいることも家族と語らう事も出来ない。
このような状況で、侵略をしている最中の当事者である日系人がアメリカ市民として自由を謳歌出来る事に、心情的には許せない怒りを覚えるのは普通の人間だろう。
だが一方で、この日系人は直接戦闘を行っている兵士でもなければ、意思決定にかかわった政治家でもないということは言える。
侵略に賛成しているのであれば権利を奪われて当然だが、反対している日系人までが自由を奪われてしまっていいのか?とは考える余地があるだろう。
例えばだが、今後労働で得られる賃金やこれまで稼いできた財産などの全てを、合衆国政府に寄付させるのはどうだろうか?
日系人団体を含めて、彼らが働くのは本国のジャップへの仕送りや自分の利益の為ではなく、米国のためであればどうだろう?
仮に必死に働いても財産を得ず、稼ぎ全てを合衆国に譲るという労働のみの市民権にしてはどうだろう?
全ての日系人を罰していいのか?
日系人の中には侵略を正当化し賛成する者から、反対を表明し本国の親類が非国民認定された者までいる。
侵略に関与した者も、賛成する者も許されなくていいし、それは罪だ。日本人は、その存在すら許さなくていい。
だが反対するものから、アメリカ市民として米軍に志願する権利までを奪う事は、はたして適切なのか?とは考えてしまう。
とは言え、パールハーバーで殺された米軍人が今後合衆国に奉仕することすらできない時に、日系人が米軍に志願し合衆国へ貢献する栄誉を得る、それは酷い冒涜であるようにも思えるのは事実だ。
合衆国が尊ぶ民主主義的には、天皇制に反対して日本の民主化を訴えてきた日系人だけが志願出来るべきなんだろう。
天皇制に賛成し天皇を敬っている日系人がアメリカ軍人であることはパールハーバー犠牲者への酷い冒涜だと思うし、個人的にも人間として許せない思いも強い。
だから収容所にいる日系人にブーイングと石を投げつけたい気分ではあるのだが、それでも彼らは米軍に志願してもいいのではないかとも思うのだ。
皆さんはどう考えているだろうか?
正直疲れませんか。
連日の報道が、「どちらかについて」「なにか行動を起こしなさい」と言われているようで。
私は非常に疲れました。連日、眠れない日々が続きます。
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正しさとそのあり方を問われることも疲れの原因ですが、
何より一番疲れたのは、命の重みが問われなくなっていること。
これが一番つらいです。
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■1:情報の正しさを問うことについて
プロパガンダ、フェイクニュース、デマゴーグ、印象操作、いずれにしてもありえることでしょう。
人種的にルーツが似通う彼らですから、被害にあった人がロ人かウ人かなど見分けが付きません。
でも、そんなことより大事なことって、いずれかの国の人が、国益のために命を奪われていることじゃないですか?
国を直接コントロールしてもいない、無辜の市民が銃弾を浴びたり、爆散したりしていることが正しいのですか?
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義勇兵に70人の日本人が志願したとあります。義のために命がけで行動できること、それは素晴らしいことだと思います。
でも、両手を挙げて讃えるのは恐ろしいことに思えるのです。
だって、「玉砕覚悟」がベストである、みたいな論調にすり替わりそうじゃありませんか。現に、一部の人はそう捉えています。
志願した彼らは現状を鑑みて、とにかくそうせざるを得なかったのだと思いますし、
自衛隊経験から「自分にできること」として旅立とうとするその行動力も讃えますが、
私は誰かが命のやり取りをしにいく、ということを思うだけでキツいです。
彼らが可能な限り人を殺さず、人に殺されずに帰ってくることを願います。
プラカードを掲げる人、復興に募金する人、SNSで反戦を訴える人、それぞれ自分のできることをやってるじゃないですか。
なぜ、命をなげうつことが偉いのですか?
なぜ、人を殺すことを正当化できるのですか?
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■3:核爆弾について
この手の話もSNS上では盛り上がりますね。とても寒気がします。
核が放たれることは、おぞましい結果を生むことです。
爆心地半径3kmに被害が及び、半径1.2km圏内の人々はほぼ死にます。
これは広島の時の話で、現代ではもっと広範囲に及ぶかもしれません。
国益のために14万人以上が消えることは正しいですか?
持っていたら、投下されないのですか?投下されたら、報復に投下するのですか?
消える人々は、消えるだけの罪を抱えたひとびとなのですか?
核を持つ、持たないという手前に、そのことを念頭に入れてほしいのです。
分かってるよそんなこと、と言う人には、
自分が爆撃機に登場し、投下のスイッチを押したあとの数十年のことを考えて欲しいのです。
罪のないひとびとを、平和な暮らしを、街を、半径3km圏内で消し去ってしまったことを背負い続けて。
平気でいられるはずがない。
核爆弾を研究開発する予算があるなら、いざというときに核にも耐えうる地下シェルターを作ってください。
唯一核を放たれた経験があるのであれば、国益よりも人命を優先する国家であって欲しいと思います。
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■4:国防について
専守防衛にしろ、攻撃可能な状態にしろ、日本の軍備はアメリカに頼らずとも充分なのでしょうか。
日本の軍事力は世界上位に入ると聞いていますが、重要なのは狂気とも言える士気と、マンパワーでしょう。
日本のトリガーが自由になったとき、どの程度安全でいられるかには安心していません。
総動員令が出てからではもう遅いと思うのです。
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■5:あなたが引鉄をひくことについて
前項でも少し触れましたが、なにより人が人を殺すことが正当化されていることがおぞましいのです。
多くの人に、人の命を奪ってほしくないのです。
あなたが万が一にと思って持ち歩いた銃で警戒を続けるとき、誰かが同じように銃を持っていると思います。
関係の無かった二人が銃口を向け合い、引鉄に手をかけるでしょう。
殺すかもしれないし、殺されるかもしれない。
そんな緊迫感のなかで、ひとの命の重さよりも、大義や英雄像で頭をいっぱいにして、麻痺していくのです。
何人もを手に掛け、「平和」を勝ち取って帰り、讃えられ、そして家庭のなかで平穏を味わうとき、
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■6:民族について
〇〇人は、△△の国民は、そうひとまとめで語ることはなんと簡単なのでしょう。
同じように平和を願う人を無視して、国の方針や何十年と過去の話をとりあげて、
「ぽさ」だけで攻撃するのです。
国の政府はそれぞれの方針があるかもしれませんが、そこに暮らす人々をまとめて語ることはどうなんでしょうか。
一人ひとりに焦点を合わせていたらキリがない?そうですね。
でも、その慎重さが失われていると、簡単に「核を〇〇に撃てよ」みたいなことが言えるようになってくるのです。
その辺は背景も事情も知らない外国人があーだこーだ言うことじゃないな。
米国人で決めてくれよって感じ。
日本の場合、秀吉の時代に刀狩りが行われ、武士しか武装できなくなった。
普通に考えて、武士が司法および警察機能を果たすから民兵は必要ないという仕組みをその時に作ったのだと思う。
各藩は一揆のリスクを考えて、各所に番屋を配置し、くまなく警察を張り巡らすほうを選んだんだろうな。
江戸時代という長らく武装解除された時代を経て、明治期に銃砲取締規則と廃刀令。
そして、戦後に出された銃刀法で民間人の武装が不可能になった日本。
一方、国土の広さもあってすぐに警察が来ることが期待できず、交番もない。
自力救済が広く認められているし、そういう運用でないとやっていけない米国。
背景が違うのにあーだこーだ議論できんて。
日本は異国というか異界みたいな扱いで、日本人はみんな細目で人力車乗ってるみたいな
今はそれが中国人に置き換わっているというか、
基本的に米国人は日本人と中国人と韓国人の区別がつかないというか、
顔とかぱっと見はよく分からんことはあるけど、
そういえば、久しぶりにロボコップ3観たんだけど、
あと、日本人のサラリーマンとか観光客はメガネ、カメラ、七三分けみたいな、
やっぱり、あの頃の日本人は、米国から雇用を奪う悪魔みたいな認識だったので、
今は新自由主義だの言ってる側に、日本人はエコノミックアニマルだの言われたり、
みたいなことされたりしてたみたいだし
時代は巡るのだねぇ…
「米国人に言ったら驚かれた」的な話、育ちの良い米国人は相手が重要だと思ってる話には驚いてみせるので単に社交辞令と思うべき https://togetter.com/li/1820129
おまえが海外旅行したことない引きこもりだということはよくわかったからそこのインド料理店でグラブジャムン買ってこい
同じもの食ってもインディアン居住地の人とほかの平均的米国人とでは3倍くらい糖尿病の発病率が違うぞ
米国人は肥満で自分で立ち上がれなくなるまで太れるくらいランゲルハンス島だの肝臓だのが丈夫なだけだぞ
日本人は相撲取り(めちゃ運動する)でも引退後糖尿で平均余命少な目だぞ
https://dm-net.co.jp/calendar/2015/024123.php
糖尿病有病率は、白人で11.3%であるのに対し、アジア系で20.6%となっており2倍近く高い。さらに、アジア系の51%は糖尿病と診断されておらず、自分が糖尿病であることを知らないという。
糖尿病は米国で主要な死因となっている。糖尿病の治療を行わずに放置しておくと、やがて心臓病や脳卒中を発症しやすくなる。神経障害や腎臓病、失明などの危険性も高まる。
「糖尿病を発症する人を早期に発見して、治療を開始することが、糖尿病合併症を防ぐために必要です。我々は糖尿病をもつ人を助けるために治療を行えます。しかし、治療を行うために、糖尿病の診断が必要です」と、NIDDKのグリフィン ロジャーズ氏は言う。
肥満が増えると2型糖尿病の発症率か上昇する傾向があるが、アジア系は体格指数(BMI)が低い段階で2型糖尿病を発症しやすいことが知られている。
https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/kenko21_11/b7.html
日系移民を対象とした研究によると1)、日本人とは遺伝的背景は同一であるものの生活習慣の欧米化がさらに進行した米国の日系移民集団では、糖尿病有病率・罹患率はともにわが国の住民よりも2ー3倍高いことが知られている。社会的状況を考えれば、現在の日系米国人は将来の日本国民の健康状況であるとも推測され、早急な糖尿病対策が必要であることの根拠としても注目すべきである。
https://kamiuchidm-clinic.com/blog/?p=304
米国アリゾナ州に住むピマインディアンは古くから飢餓環境に順応するために摂取したエネルギーを少しでも脂肪に蓄えておこうとする体質が備わっていると考えられています。そこで、西洋文明が流入してきて生活様式が一転したことで成人の90%が高度肥満で世界的に最も2型糖尿病が多い民族となってしまいました。飢餓を乗り越えた遺伝的体質は飽食と運動不足の現代においては肥満遺伝子となるのです。
糖尿病専門医がピマインディアンの体質を調べ上げ、明らかになった遺伝子が、アドレナリンβ3受容体遺伝子多型です。この遺伝子を持っていると体のエネルギーを節約するように働く、つまり倹約遺伝子なのです。飽食の時代にはこの遺伝子は肥満遺伝子と呼ばれるようになります。この肥満遺伝子を日本人は3人に1人持っています。つまりそれほど食べていないのに肥満になりやすい体質を日本人は持っている可能性が高いのです。
肥満の方は、食べ過ぎであるというレッテルを張られることが多いです。特に病院や健康施設ではそのような偏見をもつ医療者が多いです。しかし、太りやすい体質があるということも事実なのです。