例の「田舎ツライ」ってヤツ→http://togetter.com/li/519951
この人からは、「周囲が悪いから自分は辛くて可哀想なのを分かってくれ。そしてこのままの自分を受け入れろ」って本音の喚き声しか聞こえない。
自分も「田舎に転居」以外の要素(都市近郊育ち、発達障害持ち、親と上手くいかない、甲斐性なし、結婚に社会生活の逃げ場求めてすがった)はほぼ同じ(つってもそう都会でもないが)。
確かに社会生活はしんどい。「分かってもらえない」気持ち、「どうも誤解される」「自分の意図にないことを勝手に忖度・解釈されて言いがかりをつけられる」等々の被迫害感はベースに育まれてる。
自分の何がいけないんだろう、自分の「当たり前」が他の人(親など含む)とズレるのはなぜだろう、って、発達障害が分かった今でもやっぱりいっぱい考えるし、そういう無理でデフォ生きにくいし「恨み」みたいなものもオセロの裏みたいに育ってる。
けどさ、だからっつって「ありのままの私のままでそっちが受け入れろ」なんて思わないよ。それは思わん。
だってさ、健常者だって多かれ少なかれ同じ思い持ってるし、その上で他人や社会に合わせる努力してんじゃん。みんなちょっとずつ譲り合ったり我慢したり変わろうとしたりそれでも合わなかったら離れたりして、自分で頑張ってるじゃん。
人よりできない分の苦労はあるさ。そりゃーある。当然だ。できないんだから。その上ひとさまに迷惑もかける。それも、そんな自分でも受け入れ愛してくれる人に一番迷惑をかける。
でも、普通にできることだってあれば、人よりもっとできることだってあるかもしれない。別にアスペ天才とかじゃなくてもっと普通の話で、人それぞれ得意不得意があるってそういうもんだろ?好きなこと嫌いなことがあったり、嫌いなものへの許容度にバラつきがあったり、別に誰にでもある当たり前の話じゃん。
つまり「どうやって人の間で生きるか」って現実的な話でいえば、程度問題なんだよ。
発達障害って免罪符でもなければVIPシートご招待券でもない。単なる障害で、他の多くの人ができることがだいぶできないってことなだけだ。
程度が重いからしんどいし、脳みその癖のせいで、自分が変わるのは人生かけた苦行みたいなもんだが、助けてくれる人の手も借りつつ取り組んでいく努力くらいは社会人としてするべきだ。
もちろん発達障害は自分のせいではないが、自分の人生は自分のものだろう。引き受けるしかないじゃないか。
障害だの健常だの、もっと言えば環境だの親がどうしたの金だの、何にしたって今目の前にある材料でどうするかを考えてやるしかないじゃないか。
ようやくオット氏の庇護と扶養のもとに入れたんだから、安心して引き籠ってオット氏だけ見つめて愛して幸せ堪能すればいいのにね。健常者でもそんな女性だっていっぱいいるよ。
んでこんな顔も見えないどこの誰とも分からないネットで広く共感を募らんでも、リアルに接する人達とどう交流していくかを丁寧に見つめて行動していく方が、ずっと生きやすくなるよ。
あとは蛇足。
・やむにやまれず田舎のオット氏のとこに転がり込むしかなかったんだ、とさも被害者であるかのように語ってるけど、自分の瑕疵には思い至ってないんだなぁとか。まあでも、いるよなこーゆー人。
・自分も自分は田舎者だと思ってるけど、一方でアーバンな感じの社会でしか暮らせない人間だというのは重々承知してる。だから「オット氏に救ってもらう」ことと「(書かれてるような)環境に住まう」ことを冷静に秤にかけた上で、前者を選ぶなら環境へは相当の覚悟と決意もって行くけどな。そこに思い至ってなかったらしいのは完全にこの人の瑕疵だ。プロフのIQアピールその他を見ると余計にそう思えて片腹痛い。
・勝手に悪いが、オット氏に同情をおぼえるな。被害者意識でいっぱいいっぱいの女をかつかつの中で食べさせてやって、挙句あんなとこでおおっぴらに愚痴られるとか。
・分析3割って、分析なんかどこにもない。あるのは主観的事実解釈ばかり。多分この辺の自己認識の誤りが、こじらせに繋がるんだろうなぁ…まあこーゆー人もいっぱいいるか。
僕も田舎はだいっ嫌いで絶対に帰りたくないのだけど、さすがに田舎の車社会に文句をつけるのは 道路の代わりに水路が走ってる魚人の街へ引っ越して「泳げることを前提に街が作られ...