はてなキーワード: 洒落とは
Apple系の縛りが入ってる以上中古iPhoneかApple公式サイトで新品SEポチるくらいしかないだろう
そこを譲れるならAppleのUIに似たXiaomiをオススメする
Mi 11 Lite 5Gあたりが洒落てて軽くていいけど夏頃には12 Liteが出そうだから待てるなら待ってもいい
Amazonでも買えるけどIIJで端末だけ買ってもギフト券還元があるからそっちのほうがオススメだな
iOS→Androidの移行だとLINEのトーク履歴がどうしても引き継げないくらいしか大きな問題はないだろう
でもiPod touchからだとデカく感じるかもな
それでもゲームもするなら小型スマホみたいなニッチを攻めるのは悪手だし
慣れたらこれくらいで良いと思うようになるはず
もちろん付属のアダプタ噛ませて繋げることはできるが
個人的には有線イヤホン・ヘッドホンを使うならEarstudio ES100みたいな小型のBluetoothアンプを使うことを推奨する
ワイヤレスでハイレゾ相当音質にできる上複数デバイスをマルチポイントで切り替えて聞けるのでPC/スマホ/タブを行き来しながら使えたりもする
音ゲーとかしない限りは遅延は気にならないし、AndroidならLDACやAptXみたいなコーデックも使えるので高音質
あーIIJは単体で買えるけども何らかの有料サービス経由で既に会員になってないといけない(会員登録だけというのがないっぽい)んで面倒だな
金銭面をシビアに見るならいっそMNPで最小プランに入って1万円台でSnapdragon780端末をかすめ取ったあと即解約or楽天モバに即転出して0円運用、というのがベストだろう
ただし転出元の会社とは数年間契約できないブラックリスト状態になるが
そういう面倒がアレなら価格コムで最安値のショップから買うのが無難か
端末のグレードを下げて予算を抑えることも考えると思うが、個人的にはSnapdragon600番台以下のミドル・ローレンジAndroidは品質的な意味でちょいちょい粗が目立つようになって満足度がイマイチな印象があるんでおすすめしない
友達のAくんはトランスジェンダー男性(生まれたときの身体は女性で、自認する性別は男性)
やや小柄だけど、ホルモン治療を受けているためか体格はがっしりしていて髭も生えている 声も低い 仕草や話し方も男性そのもの
性別適合手術を希望しているが、諸般の事情でまだ受けられていないらしい
すなわち髭が生えていてがっしりしていて声も低くて男性にしか見えないけど、性器は女性のものということ
なんかバズってた、お洒落なレストランのトイレのマークが男女の性器を抽象化したやつだった、ってツイートを見て思ったんだけど
Aくんが自分の性器に合わせて女子トイレに入ったら即通報されるに決まってる(もちろんAくんはそんなことしないのだが)
「社会」が誰かの性別を判断するとき、いちいちパンツを脱がせて確かめたりしない
顔立ちや体格、服装、仕草や話し方といった総合的な見た目で判断してる
性器に合わせたトイレを使え、は本人に苦痛を与えるだけじゃなくて、普通に社会を混乱させると思う
結局のところ人類にとって妊娠出産における母体の負担がかなり洒落にならない部分が諸々の問題の根源になってる気がしなくもない。
仮に産む場合、妊娠時の長期的な負荷に加えて出産時の死が普通に見えてくる母体の負担に対して父側の負担が軽すぎる(性交時に出して終わり)のはまあ事実だろうし。
中絶するにしたって負担がかかるのは母体だけだし、中絶の負担自体も洒落にならない。
昔のヨーロッパの発禁エロ本で嫌がる尼さんを無理やり襲って云々ってシチュエーションが人気あったと何かの論説で読んだのだが、その際に紹介された作品の中の尼さんがセックスを嫌がる理由が、尊厳とか信仰ではなく単に「妊娠(と出産)して死にたくない」からだとさらっと書かれていてマジで衝撃を受けたのを覚えている。(ちなみにその尼さんは中に出さないから!とゴリ押されて流されていた)
現代は医療体制が整っているからそこまでではないにしても、人ひとり産まれてくるまでの負荷のかかり方の違いというか、性行為における侵襲性とか、そういった部分でどうしても男女が非対称になってしまうことは避けられないし、故に女性側が時に過敏すぎる反応をしてしまうのもある種仕方ない気もしないではない。他の哺乳類みたいにさらっと出産できる種なら、諸々もっと楽だったんじゃなかろうか。
次代以降のホモサピエンスがより安産に進化するか、あるいは人工子宮技術の完成を待たないと完全な解決は見えない気もしてきた。全部印象論だが。
ルッキズムという言葉、最近はよく聞くようになったけれど何でも「ルッキズム」扱いして無条件に批判するのは
少なくとも「生まれつきか、そうでないか」「後天的な努力によって変えられるか、変えられないか」「それが個人の努力で変えられる範囲のものか、美容整形などが必要か」くらいには分けて考える必要があると思う
例えば私は漫画の『タコピーの原罪』の9話でヒロインである久世しずかが描いたようにくっきりとした二重だと語られ、
12話で高校生のしずかが周りから「凄い美人」と評された事には剥き出しのルッキズムを感じて嫌な気持ちになったが
でも最終話で高校生になったしずかが、元の時間軸と容姿そのものは変わっていないが
雑貨店でアイシャドウを買おうとして積極的にお洒落を楽しもうとしている様子には好感が持てた
生まれついての容姿による差別はまさにルッキズムそのものだけど、後天的な努力を見る事は必ずしもルッキズムじゃないでしょう
就職活動における顔の作り自体で採用を決める顔採用はルッキズムで悪だと思っているけれど
身嗜みとして髪をきちんとまとめているかとか、スーツが汚れていないかとか靴が綺麗かとかを見る事がルッキズムだとは思わない
女性がファッションやメイクを主体的に楽しむ事は必ずしも「ルッキズム」の範囲には括られないと思っているし
でも中国に何十回も行っていて、辛さに対しては少しだけ進化してきた。
辛いからだ。
白いご飯と混ぜれば少しは食べられるが、食べたいとは思わない。
北京でも無理だった。
四川省でも食べたことが有るが、小さなスプーンで一口も食べられなかった。
四川省のは一緒に行った中国人でさえ辛くて食べたくないと言っていたし。
(四川省のは汁気の殆ど無いものも、少しだけとろみのある汁の有るもの等色々有った)
そんなわけで、いかにお洒落な横浜と言えど、あんなもん喰いたくない。
丸美屋の中辛で十分ですな。
仕事はスーツで、暑いときは上着ネクタイ無しでドゥエボットーニのシャツ、寒いときはウールのステンカラーコート。
私服は上がギンガムチェックで下はスキニー、その上にフードだったり、ピーコートだったり。
体格は基本的に骨も細ければ筋肉も薄いタイプなので、程よくソフトで装飾的にしたい人。
ということで、これとこれに似た色と形の、そこそこの値段の靴を買った。
どっちもエレガントな印象かつカジュアルにも履けて、ギリギリスーツもOKだろうと思ったので。
あとはこういうのをそのうち買いたいと思っていたり。
というか黒の革靴は冠婚葬祭以外に履きたくないので、いつもスーツに合わせる黒靴はアッパーをスエードに変えてみるかーみたいな。
ただ、あまりにも性的な話題が出なさすぎて、「ここはそういうものが存在しない世界線なんじゃないか?」と錯覚してしまう。
ある同僚は、古着とコーヒーが好きで、丸メガネの似合うお洒落なイケメン。仕事にもストイックで、誰に対しても嫌な顔をしない。常に俳優のインタビューくらい隙を見せない人だった。
そんな同僚が突然結婚した。まず、恋愛をしていた(プライベートが存在した)ことに驚いた。驚くのもおかしいんだけど。
それから一年たたないうちに子どもができたという。つまり、(これも当たり前だけど)奥さんと肉体関係があったわけだ。もっと嫌らしい言い方をすると、生セックスをしたわけである。
そこで気になるのは、普段性的な話題に一切触れない人が職場で結婚や妊娠の報告をするとき、たとえば「自分がセックスをしている事実を認めていることになるなあ」とか、一瞬でも想像したりして、内心ではどぎまぎしているのかということ。
上司や先輩には典型的な昭和のオジサンが多くて、飲み会の席で新婚の先輩についてイジったり、キャバクラや愛人、性体験の有無など、下品な話が出ることもあった。
私も別にそういう話が好きなわけではないし、なんなら気まずいからやめて欲しいと思っていたが、今となっては「正しくはないが少なくとも不自然ではなかった」と思う。
数年後、都内の企業に転職すると、同僚は全く別世界の人たちに見えた。
みんなオフィスカジュアルを着こなしているし、缶コーヒーなんか飲んでる人はいないし、雑談の内容もアートやカフェの話ばかり。
たとえばお笑いの話をするにしても、昨日観たバラエティの雑な感想なんかじゃなくて、芸人のラジオの話とか、ライブに行った話、みたいな。
それなりに話を合わせてはいたけれど、正直いけ好かないというか、意識高すぎというか、同僚たちの会話がドラマのワンシーンみたいな血の通っていないものに思えてしまう。
モラル的に人前で性的な話題を出さないのは間違っていないと思う。むしろ前職の上司の方がデリカシーがない。
ただ、あまりにも性的な話題が出なさすぎて、「ここはそういうものが存在しない世界線なんじゃないか?」と錯覚してしまう。
ある同僚は、古着とコーヒーが好きで、丸メガネの似合うお洒落なイケメン。仕事にもストイックで、誰に対しても嫌な顔をしない。常に俳優のインタビューくらい隙を見せない人だった。
そんな同僚が突然結婚した。まず、恋愛をしていた(プライベートが存在した)ことに驚いた。驚くのもおかしいんだけど。
それから一年たたないうちに子どもができたという。つまり、(これも当たり前だけど)奥さんと肉体関係があったわけだ。もっと嫌らしい言い方をすると、生セックスをしたわけである。
周りの同僚たちは「おめでとう〜」と言っていたけれど、ちょっと待って、みんな性的なものなんて存在しない世界に生きてたんじゃなかったの?と思った。
前職と今の職場では、青年誌と少年誌ぐらい、明らかに世界線が違ったはずなのに。
わけが分からなさすぎて妻に相談したら、「たぶん他の人はそんなにセックスを特別なものだと思っていないんじゃないかな?」と言われた。
一瞬納得しかけたが、そうだとしたら、逆に普段全く性的な話題が出ないことがおかしくないだろうか。多少なり特別なものと思っているからこそ、普段はその話題を口にしないわけで。
ちなみに妻も飲み会の席で同性の同僚とは普通に性的な悩みを話したりするらしい。ちょっと安心した。
仕事中は真っ当な仕事人であることを求められるにせよ、休憩時間や飲み会の場ですら常に素の部分を見せず俳優然としていた私の同僚が、サラリと結婚や妊娠の報告をするギャップに違和感があるのだ。養子をもらっていたり、『よつばと!』みたいな親子の形だったら、彼が演じるドラマの続きとして納得できるけど。
そこで気になるのは、普段性的な話題に一切触れない人が職場で結婚や妊娠の報告をするとき、たとえば「自分がセックスをしている事実を認めていることになるなあ」とか、一瞬でも想像したりして、内心ではどぎまぎしているのかということ。
あるいは本当に心から喜びの気持ちで溢れていて、なんの躊躇いもなく公言できているのか。
少なくとも私はちょっと照れ臭かったし、照れ臭そうにしながら報告したけどなあ。
それとも妻の言うように他の人はセックスが衣食住の一部みたいに当たり前すぎて、「昨日お風呂入った」と同じくらいの感覚だからわざわざ言わないだけなのか。
なお、結婚や妊娠=性的なことという結びつけが安直だという指摘もあると思うが、私も決して同義だとは思っていない。
ただ、それが100%清らかな気持ちだと言い切るのもカッコつけすぎてないかということ。
誰もが物語の主人公のような一生を過ごしているわけではないだろうし、清らかな部分もあれば、人間臭い生々しい部分もあるのが当然で。それなのに、あまりに清潔な部分しか見せない人が周りに多いので、自分がおかしいのかなーと不安になってきた。今となっては、前職の上司の方が、よっぽど人間らしかったなあと。
独り言のような内容でしたが、思った以上に反応があってびっくりしました。
思考がまとまっていない文章にも関わらず読んでくださった方、ありがとうございます。
コメントを読みながら自分の考えを整理してみたので、もし良かったらもう少しだけお付き合いください。
まず、こんなタイトルをつけておきながら、自分のモヤモヤの本質はそこではなかったと気づきました。
コメントで多くの方から指摘された「職場でそんな話しないのは当たり前」という意見については、私もその通りだと思ってます。
そもそも冒頭に書いたように、前職の飲み会のノリはついていけなかったし、今の職場の距離感は仕事をする上で凄く快適です。
私も自分から聞かれてもないプライベートをベラベラ話すこともなければ、他人のプライベートに踏み込むこともしていません。
同僚の出産報告についても、「生セックス」という強い言葉の部分だけ抽出してしまいましたが、もちろん私も周りの同僚と同じように「おめでとう〜」のノリで接してます。
当然、からかうような気持ちもなければ、セックス自体が悪いことだと思っているわけでもありません。
諸々の社会人として求められる振る舞いをほとんどの人ができている前提で、「でも、本当はみんな上手に大人のフリをしてるだけなんだよね?」という確認がしたかったんだと思います。
仕事はもちろん、飲酒やお金の扱い、マナーや身だしなみなど、子どもの頃にはできていなかったことが大人になるにつれてできるようになってきました。
今では仕事終わりにお酒を飲んだり、空き時間に株価をチェックしたりと、子どもの頃の自分からすれば大人に見える行動を取っていると思います。
でも、子どもの視点からは当たり前に行っているように見える行動も、実は大人だって一人でバーに入るのは内心ドキドキしてるし、株価を眺めるのは植物の成長を見守るみたいにちょっと楽しかったりするし、大事な打ち合わせの日の朝に髪型が決まらなくて鏡の前で狼狽してたりするんです。
その中でもセックスは特別で、結婚して5年経ちますが、未だに毎回ドキドキします。
私たちの夫婦にとっては、いわば外食以上旅行未満みたいなちょっとしたイベントで、とてもじゃないけど排泄や歯磨きと同じようには考えられないんですよね。
だから「セックスなんて既婚者にとって日常。そんなことを考えるのは中学生」のような意見だけは、どうしても共感できなかったです。
そういう人にとって、学生時代の初めてのセックスは重要な出来事だったけど、現在のセックスは排泄と同じくらい無意識の行為になったのでしょうか?
確かに、他人の妊娠報告に性的な揶揄をする人がいたら私も軽蔑しますし、極力関わりたくないと思います。
でも、特別な行為だと思っているからこそ、そういう想像を一瞬でもしてしまうことすら糾弾されるのだとしたら、みんな大人のフリが上手いんじゃなくて、本当に心まで大人なんだなぁって感心します。
相手を祝福する気持ちも嘘じゃないし、その一方で良からぬ想像や、黒い感情を少しだけ抱いてしまう人もいる。でも、それを飲みこんで笑顔で接するのが大人であり、人間ってそういう割り切れないものだと思っていたのですが。
基本的に結婚・出産報告に対する「おめでとう」は本当に「おめでとう」の気持ちです。
高い場所で絶景を見て感動したあとに、「でも、落ちたら死ぬんだよな」とか一瞬考えちゃうのと同じで、そんな自分が不安になったんだと思います。
しかも爆乳といって良いほどに巨乳で、目のやり場に困ったものだ。
中学一年生の春、その友人とはとある運動部を見学に行った時に出会った。彼女は薄暗い所に一人でちんまりと体育座りしていたので、パッと見男子かと思ったがよく見たら女子だった。そのときは巨乳であるとか気にしていなかった。ひとの乳の大きさに別に興味がなかったので見過ごしたようだ。
正式に入部して、部活の更衣室を使うようになった頃になって初めて、友人が巨乳であることが気になりだす。その前に、部活の先輩達が人前でも臆面なく服やユニフォームを脱ぎ着し、友達同士で乳やブラジャーの品評会みたいな事をし合う様に、おののきそして呆れ、やがて自他の乳に関心を持たざるようになった感じだったと思う。
私と友人はたった二人だけの新入部員で、先輩達が着替えているときは、いつも部室の隅っこでぴったり体を寄せあって体育坐りしていた。場所は薄暗がりだが、日なたに香箱を作っている仲良し猫みたいなもんで。そして我々は、中1にもなってブラジャーを着けていない者仲間であり、先輩達が他人のブラジャーの肩紐を引っ張って悪ふざけをする、そのノリに巻き込まれるのが嫌で、胸をガードするように膝を抱えていたのだったりする。二人で、昨日見たアニメの話とかをしていた。
その頃(今でも)私は貧乳だったのだが、それでもブラジャーなしで体操着を着れば胸というか乳首は下着や体操着の布越しにも目立っていた。かといって良識を持った同級生達は何も言って来なかったが、持たない奴はなんか色々言ってくる。入学当初はブラジャーを着けていない女子は少なくなく、だがやがて同級生の反応に泣かされたり、直接の被害を受けなくとも、自衛をするようになっていくようで、仲間の出方を窺いつつブラを装備するようになっていった。
たった一級上の部活の先輩達は、ブラを着けることも乳が大きくなることも屁でもないぜという様子で、ブラも制服の下に隠した小粋なお洒落みたいに楽しんで好きな色柄のものを着けていた。なのに、一年の私達は、体育の授業の前に女子更衣室で着替える時は、他人に見られないように隠しながらそそくさと着替える。この文化の違いみたいなのが謎だった。
夏が過ぎ、秋頃だろうか。ある日突然、母が「初めてのブラ」とかいう白くてダサいブラジャーを買ってきて、今日からこれを着けろ、寝るときもだと私に言い渡した。それ以前は、私がもう恥ずかしいからブラがほしいと訴えても、そんなもんはまだ子供には要らないとにべもなかったが、おそらく母の事なので、ママ友達との井戸端会議で感化されただけなんだろう。そういう訳で、私はレベル1の装備を図らずも手に入れてしまった。正直、先輩達が着けているような、水色のチェックとかピンクのレース付きのようなのがよかったと思いつつ。
装備レベル1を初めて身に付けた頃も、私と巨乳の友人は部活で二人きりの一年生で、部室で着替える時は先輩がふざけながら着替えを終えるまで、隅っこに肩を寄せあって体育座りで待っていた。
そしていつものように座っていると、不意に友人が私の背中に手を回して、体操着のシャツの上からブラの紐を引っ張り、パチンてした。
「なんだよこれ」
友人は相変わらず、豊満なボディと不釣り合いな男子みたいな顔でいう。
「そっちこそ、なんなんだよ」
と私は言い返す。なんだなんなんだよと言い合いながら、小突き合い始め、仔犬の兄弟がする喧嘩の真似事みたいになる。先輩達が、お前ら本当に仲良いよね、という。だが、先輩達がお互いにセクハラのし合いをして悪ふざけをしている様子ほど、なんか楽しさがないよなと私は思った。友人は、私よりもずっと乳がでかいのに、まだブラを着けていなかった。二人だけのノーブラ仲間から1抜けしてしまった事への罪悪感がじわじわとひどい。
友人は、ふざけて私の膝を枕にすることがよくあった。私も友人の肩に凭れかかることがあったが、膝枕は遠慮した。友人は乳だけではなく体全体がむちむちしており、膝枕の柔らかさはたぶん何か他のものの柔らかさを連想させるし、ていうか、膝にも頭を乗せればその何かがすぐ顔の目の前にぶら下がることになる。目のやり場がないどころの話ではない。
友人は顔が男の子みたいだが、言動も男みたいで、男以上に野蛮だった。私はわりと野生児だったので気が合い、友人とどつきあいなどをして遊んだ。そんなんだったが、ある日友人がこそっと言った。
私は驚き、
と言った。痴漢は放課後のひとけのない道端に出るものだとばかり。だが、広々として客が常時うろついているような大衆向け書店の中にも痴漢は出るものらしい。しかも、狙われたのは友人。乳はでかいものの女らしい格好をてんでしないような、パッと見男子に見える中学生がターゲットになるとは。友人は背後から尻を触られたそうだ。そこか。はあ、世の中は私の知らないことばかり……と思った。
友人は部活をサボりまくるようになってしまい、クラスも離れていたのでしばらく接点がなくなってしまった。
二年と三年は同じクラスだった。いつの頃から友人がブラを装備するようになったのか、記憶にない。いつの間にか、ノーブラで普通に過ごしている様子を見た男子達が「見た? あいつ乳首立ってるぜ」と忍び笑いをする所を見かけなくなった。
ブラ装備になったとはいえ、友人の巨乳の迫力がすごいことには変わりなく、同じクラスになったので、気軽に私の席に友人が遊びに来る分けだが、名前を呼ばれて顔を上げると、まず視界に入るのはその大迫力の乳だった。よく巨乳の人が「男はあたしじゃなくてあたしの乳に挨拶してくる」と言うが、友人の場合、私にまず友人の乳が挨拶してくるような状態だった。
地味にリアクションに困った。同性同士なのであまり気兼ねしなくても良いのかもしれないが、私が先にブラを装備したときはだいぶ気にして私のブラの肩紐を引っ張ってみたり服の上からホックを外すような悪戯をしかけて来たような奴だ。そして、性格が勇ましくて乱暴な癖に痴漢に遭った時は驚いて一言も喋れず身動ぎもできなかったというし、痴漢遭遇頻度が私よりもずっと高いような奴だ。同性の気安さでなんか言ったりしたらどう思われるかわからない。そんな怖さがあった。それ以前に、私があんまりそういう方向性のおふざけをするのは好きじゃない。
でも、ぶっちゃけて言うと、いつも突然視界にばいんと入って来るあれに、ちょっと触ってみたいなという気持ちがあった。でも私も女子の端くれなので、乳がただの脂肪の塊ではない事を知っているので、触ったって思ったような感触はしないし、触られた方は痛いだけで楽しくもなんともないだろうと思った。巨乳を気にされていたら、どうリアクションして良いのか、わからないし。
修学旅行の夜、同室の皆が、こんな夜だし恋バナをしようとか言い出した。友人も同じ部屋だった。そんな事言われても、私はそういう話をするのは好きではなかった。だが、私は幼馴染の男子と毎日時間を合わせて下校していて付き合っていると思われていたので、誰が好きとは問われなかった。ところが幼馴染を他のクラスの女子が好いていた事もあり、私と幼馴染みの話はタブーに近い話題だった。それで難を逃れたと思ったら、友人がやおら私に聞いてきた。
「お前、男同士ってどう思うの?」
当時はボーイズラブという言葉はなく、ゲイというのも一般的ではなく、かといって軽々しく当時普遍的に使われていた差別用語・ホモというのはうっすらと憚られた。でも「やおい」同人誌がめちゃめちゃ流行っていた。中学生でもけっこう際どい同人誌を平気で買って読んでいた。友人はやおい同人誌をものすごい数コレクションしていたような手合いだ。私にも貸すといって頼んでもいないのに押し付けて来ることがよくあった。そんな奴が、何を改まって男同士の恋愛をどう思うのか聞いて来たのか、意味がわからない。
「いいんじゃね、お互いに好きなら」
そう答えたら、同室の全員が黄色い声をあげた。男同士だよーとか、太っ腹とか心広すぎでしょ、とか言われた。お前らだってしょっちゅう更衣室でこそこそ隠れてやおい同人誌読みまくってるじゃん、なんだよその優等生ぶりっこは! と腹が立ったので布団を頭から被って寝ることにした。友人が、
「そっかそっか、お前は男同士でも受け入れられるんだな」
と布団越しに話しかけてくるので、
「おー。美しければな」
なんて、偏狭な応えを返したら、友人は何もこたえなかった。
そんな友人だったが、十何年後かにSNSで相互になったところ、実はバイなんだと誰にともなくタイムラインで告白していた。昔、いきなり私に男同士はどう思う? と聞いて来たのとそれは関係があったりするのだろうか。それを問うのは、その乳触ってもいい? と聞くのと同等にタブーな気がする。今となっては生活環境が違いすぎて、SNS上でさえ滅多に話すことがない。
最近、とあるエッチな漫画を読んだ。要の部分だけ言うと、主人公に対して同性でありながら長年片恋をしていた人がいて、色々あって念願叶ってセックスしようってなるんだけど、そいつは経験がまるでないので、主人公に目隠しをして半裸に剥いたはいいものの、次に何をしたら良いのかわからない。それで思いきって出た行動が、主人公の胸にぴとっと頬をくっつけて見ることだった。若干の羨ましさを感じるシーンだが、友人相手にこうはならんやろ、と自分に置き換えて想像してがっくりした。