はてなキーワード: 歴史的とは
6月25日午後には、党中央政治局委員(トップ25)を全員引き連れて、北京西郊の北京大学に乗り込んだ。ここの「紅楼」で開かれている「光輝な偉業、紅色の序章―-北京大学紅楼と中国共産党早期北京革命活動主題展」を参観するためだ。
後述するように、100年前の中国共産党の指導者たち――陳独秀、李大釗は、北京大学を拠点にしていた。中国共産党創建は、1917年のロシア革命と1919年の大規模抗日運動「五四運動」が基点になっているが、「五四運動」は北京大学が「震源地」となっている。私はかつて北京大学留学時、構内の学生寮に一年住んでいたが、5月4日は大学の創立記念日になっていて、特別な日である。
習近平一行は続いて、豊沢園の毛沢東故居を参観した。毛沢東主席が1949年9月21日(建国の10日前)から17年、仕事と生活の場にしたところだ。
毛沢東主席を崇拝してやまない習近平総書記は、そこに飾られた毛沢東の服や読んでいた本などを、感慨深げに見つめていた。そして24人の中央政治局委員を狭い部屋に入れて、またいつものように後ろ手に組んで、腹を突き出して説教を始めた。
さらにまだ言い足りなかったのか、中南海(最高幹部の職住地)の懐仁堂へ戻って、再び長い重要講話を行った。その要旨は以下の通りだ。
「紅色こそが中国共産党であり、中華人民共和国の最も鮮明明瞭な色だ。わが国の960万㎢あまりの広大な大地に、紅色の資源は星の如く流布している。わが党が団結して、100年の努力の偉大な歴史過程の中で、紅色の血脈を代々継承し、中国人民を導いていくのだ。
第18回中国共産党大会(2012年11月開催で習近平総書記を選出した)以来、私は地方視察を重ね、わが党の重大な歴史的意義を持つ革命聖地、紅色旧跡、革命歴史記念場所など、主要な場所をあまねく仰ぎ見てきた。どこへ行っても、栄光の歳月を再確認し、党の苦難の歴史を回顧し、心が震撼し、精神的な洗礼を受けてきた。
中国共産党はなぜ能力があるのか、中国の特色ある社会主義はなぜ素晴らしいのか。それらは根本的なことを言えば、マルクス主義が正しいからだ。われわれは党の100年の努力の歴史から、真理のパワーを悟り、共産党の執政の規律と社会主義建設の規律、人類社会発展の規律への認識を不断に深化させ、マルクス主義を用いた真理の光芒が、われわれの前進していく道を照らすのだ。
全党は終始、理想の信念を堅持するよう教育し、導いていかねばならない。革命の理想は天より高いのだ。100年の党史を振り返れば、千々万々の共産党人は、理想の信念を頭に抱き、鮮血を撒き散らしてきた。共産主義はわが党の遠大な理想であり、この遠大な理想を実現させるため、必ずや中国の特色ある社会主義の信念を固めねばならない。
新時代の中国の特色ある社会主義の新たな勝利を不断に奪取するのだ。全党の同志は党の100年の努力の歴史の中から初心の使命を悟り、人民を中心とした発展思想をうまく貫徹し、中華民族の偉大なる復興の実現のため、初志一貫で奮闘するのだ。
全党が終始、教育的指導で自己革命の推進を堅持するのだ。わが党は100年の風雲を経て、依然として繁茂している。その奥義は具体的な自己浄化、自己改善、自己革新、自己能力の強大化にある。自己革命の精神は党の執政能力の強大な支えだ。
政治性、思想性、芸術性を統一させ、精品を作り出すのだ。史実説話を用い、表現力と伝播力を増強し、生き生きした紅色文化を伝播させるのだ。革命、建設、改革の各歴史の時期の重大な事件、重大な節目に関する教育を強化しなければならない。
確定した重要な標識の地を研究し、党の物語、革命の物語、英雄の物語をうまく語るのだ。それらを青少年の特長が認知された教育活動と合致させ、潤沢な特色ある革命伝統教育、愛国主義教育、青少年思想道徳教育吉を建設し、彼らが小さい頃から心の内に紅色の理想を樹立できるように導いていくのだ」
https://www.globalnote.jp/post-1697.html
なお、一部抜粋すると、1位エルサルバドル、メキシコ12位、ブラジル15位、米国60位、韓国137位、日本154位、シンガポール155位
車に乗ってても余裕で強盗に合う。ホールドアップとは言ってもらえない。殺害前提。
https://www.youtube.com/watch?v=DGoC-r79tAc
https://www.youtube.com/watch?v=73-EN1T81Nw
https://www.youtube.com/watch?v=thVhVjn59mg
https://www.youtube.com/watch?v=oGZLYx8StWk
歴史的な経緯で一部白人の南アフリカ人などもいるが、アジア人が出歩いていると、肌の色で決定的に目立つ。
社会学は哲学と同じ善だの悪だのバイナリゲームのお遊戯の一種なのでいいかげん学問になるかお遊びのままでいるか進む方向を選ぶべき
学び問う、問えるだけの情報整理と定義とそのための集積、それらと分け隔てなく接し理解するための時間を費やす学び、それらを合わせて学問
学問によって定義ができる情報群ができたとき、その情報を応用できる手段にしたものが論
多くの意見や情報や視野を集める学びを会す場をつくることが学会でそれを基軸に題名をつけるなら学、何々学
あつまりもしてないし意見も聞かないし問うに情報が整理されていない、ただ罵倒するためだけにつけた蔑称で独自の定義を披露する社会学はそれらのどれにも少しもあてはまらない
学問という文字から大きくそれた「社会学」なんてものはもう言葉遊び
西暦何年~何年までとする それ以外は「社会学以外からの引用や参照や比喩」として理解できる 逆に範囲内に言及する場合は学会の方針に沿う
実在した人物や組織の名前をそのまま使い、個人的な評価をその名前を付け合せて妙な名前を都度生成しない
結果や行動について集積、分類するために評価基準を定義する 大虐殺なら評価基準は人数なのか方法なのか効率なのか等 それにより救われた人数や伸びた産業はどう評価するか等
・共有する
これが一番問題なのだろうけど、定義基準ができたとしてそれを利用できなければ意味がない
現在の社会学は他の社会学者が歌ったポエムにアンサーポエムを返したりしているだけ
社会学が学問として学が成り立ったとしたら次のような表現方法ができるはず
「ナチス」という一時期に存在した集団がとった行動の評価は「100(例として作った数字なので意味はない)」
これはAの時代のBという状態にあったCという組織や、同系統の例を定義上の要素で評価採点した方法による D論 の評価
のようになるべき
善だった悪だった悪だが民衆に好かれた、当時の価値観としては善だったが、などただの時系列を無視した正確性を欠くジャーナリズムでしかない
正確性も欠いているし時系列も現在とのつながりが話題性以外になく、善とか悪とかの価値観に巻き込まれた関係者の人数分布や思想の強度を行動や現象で数字化して比較するわけでもなく個人が判断しただけ等となると愚の骨頂
事実、現時点において何らかの問題を解決するのに歴史的な事象や統計にある手段を用いようとしたところで社会学のなにが方法としてだせるのか
六月X日、天皇の名によって五輪中止となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日本歴史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、政府はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて政府日本人合作の大詰の一幕が六月X日となった。
たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで辞めよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!
我等国民は五輪をやめたくて仕方がなかったのではないか。かち割り氷を配って酷暑に立ちむかい、土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。五輪の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨めとも又なさけない歴史的大欺瞞ではないか。しかも我等はその欺瞞を知らぬ。天皇の開催権返上命令がなければ、実際観戦して感染を広げ、厭々ながら勇壮に土人形となってバタバタ死んだのだ。最も天皇を冒涜する政治家が天皇を崇拝するが如くに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリに憑かれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42619_21409.html
2005年からはてなブックマークを使用している古参であるが、当時のブックマークに残っていた2chのスレタイを抜粋してみた。
涼宮ハルヒの憂鬱のエンドレスエイトがついに5週目突入決定!!!! 2ch各板で悲鳴、怒号、罵声、失望の声が飛び交う!!
男子中学生にオナニーを見せつけた、通称「マスターじじい」の男(83)を逮捕
「ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ」…ゴリラの孤独を表現した短歌で17歳高校生、市長賞に輝く
初音ミクのコスプレをしたアニヲタのキックボクサー「長島☆自演乙☆雄一郎」が圧勝で新王者に
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霞ヶ関の国家公務員のほとんど「働きすぎて死にそう、助けて〜」
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「かわいくない」「仏に角を生やすなんて」 平城遷都1300年祭マスコットキャラに批判相次ぐ…白紙撤回活動も始まる
実写版ドラゴンボールの登場人物「AGUNDES」。ラテン系フットボール選手で悟空の高校の先輩という設定
↓2007年
イヌイットはエスキモーの中の一集団ではあるけど、イヌイットではないエスキモーもいる。
現地語の名前を他言語 (主に英語) の習慣で違う意味をあてることこそ文化を理解しようとしない差別的態度だという考え方も今では主流のひとつ。
現地・当事者の習慣を大事にするという国際的習慣ができつつある。
国際的な潮流もあるし、かといって日本で続いてきた習慣を否定するのもそれはそれで日本の文化に対する否定的な態度であるし、色々あって良い感じの落としどころがないかというのはずっと模索し続けるしかないんだろう。
リリース直後は俺もウマ娘に感動し、ウマ娘を狂ったようにやり込みまくった。
だからこそウマ娘の持つ欠点がはっきりと見えたのでこうして記すことにした。
ウマ娘においての育成はほぼ確率が絡んでおり、トレーニング練習するにもお出かけするにも休むにも確率が絡んでいる。
これがどう意味するか、それは育成する度に毎回プレッシャーと戦わなければならないのだ。
特に休みは罠が潜んでいるのだ。夜更しバッドイベントが起きるからだ。夜更しは放っとけば体力もやる気もガンガンと下がっていく恐ろしいバステだ。
正直なぜ休むのにこんな致命的に近いバステを仕込むのか理解できない。これも確率が絡むのだが保健室も確定ではない。保健室に行っても治らないのである。
つまりはいつかは致命的に等しい夜更しバステに怯えながら休みを押して、もし患ったら祈りながら保健室に駆け込んでも絶対に治る保証はないという鬼畜のような仕様なのである。
それだけじゃなくて不意打ちで怠け癖という治らないとほぼ致命的なバステをつけてくるのもどうかと思う。
そもそも確定といえるのは「夏合宿中の休憩」、「友人枠とお出かけ」ぐらいしかない。少なすぎるのだ。
あと友情トレーニングが3人以上重なってて10%台なのに失敗する確率も数字以上あるだろあれ失敗しすぎだろ。
このゲームはサポートカードの仕様が非常に財布に優しくないのである。
確率でいうと3%のSSRのサポートカードは性能的に優れており、育成に出来れば使いたいのだが
最大で5枚も引いて性能を少しずつ上げていく前提の話である。いわゆる1枚だけ引いた状態を無凸というのだが
無凸だとほぼ役に立たないのである。数枚重ねたSRに劣る性能だ。じゃあそのSRを使えばいいのではないかというと
そう単純な話ではないのだ。SSRは金スキルを所持しており、3回ほどイベントを起こせば(これも確率)金スキルを取得できるのだ(確定もあるがこれも確率だ)
金スキルはレースするには欠かせないほど高性能もあり、育成評価も金スキルを多く取れば上がっていくのである。
つまりは育成に使えるレベルになるまではせいぜい1凸か3凸できれば完凸ってのがセオリーではあるが
このゲームのガチャのレートは10連につき3000円かかるのである。そして200連(6万円)すれば1枚交換できるという天井仕様である。
200回も引けば何枚か揃えるんじゃないか?と思ったあなたは甘すぎるのである。これも確率の恐ろしさで目当てのSSR引けないどころか他のSSR引けないまま200連してしまうなんて
しょっちゅう聞く話なのである。そしてこれを5枚引こうとすると最大で30万である。こんな不運な悲劇は流石に少ないがそれでも10万以上課金しないと話にならないのは事実である。
そしてウマ娘の方のガチャもあるし、ガチャ更新は月に3回もある。果たしてついていけるユーザーはどれだけいるのだろうか?
3.そもそも育成以外やることがない
個人的にこれが致命的だと思う。パワプロみたいとよく言われるが
個人的に全然違うなとは思う。パラプロは野球対戦モードがあるからだ。それに比べてウマ娘はどうだろう。
育成が終われば後はチームレースやレジェンドレースに出走するのはいいが最初は真面目にレースを見てた人も
今ではスキップ連打だろうから数秒で終わらせているのであろう。そしてもう育成しかやることないのである。
育成慣れしていてもそれでも最低20分はかかるし、もはやレースも全スキップで育成の確率に振り回されまくって感情も何も動かないし
URA優勝なんて当たり前でそれよりその後の因子しか興味なくて、その因子も結局青因子3やURA因子もつかなくて
溜息つきながら死んだ目で移籍送りする作業。そしてTP貯まる頃にまた溜息つきながら育成が始まる。もう最初にURA優勝した感動なんて忘れたよ。
タウラス杯どうだったかい?プラチナ称号取れたかい?俺は取れたよ、ここで取れなかったよといえばよかっただろうけど取れちゃったよ。
でもなぁ、これって結局は3人の内2人が悲しむ仕様なんだよね。1着以外は何も残らないのもリアル競馬と同じだからね。
そもそもオープンでもグレードでもどっちでもいいけれど頑張って育成したウマ達が全然勝てなくて決勝に進めなかった人もかなりいただろう。
自分の頑張りもウマ娘の頑張りも全否定された気分になり引退した人もいたかもしれない。
つまりはこのコンテンツは盛り上がりを見せているように見えてユーザーをかなり降るい落としているのである。
これを毎月開催するとなるとどうなるかはお分かりだろう。やらなければいいという意見もあるがそもそも育成以外に何もすることがないのだからやるしかないのだ。
そして人は減り続けるのである。
おおまかな理由としてはだいたいこんなもんだ。本当はもっと言いたいこともあるが(別衣装のゴミのような仕様や余りまくる靴など)
できるだけプレイしたユーザーなら共感は得られる項目だけに絞った。ウマ娘は本当に素晴らしいコンテンツだと思う。
つい先日のこと、偶々近所の古墳を散策していたらポケストが少ないと思って申請しようとしたんだわ。そしたら近くにいたおじいさんから話しかけられて古墳のうんちくを話してきた。で、おじいさんもポケスト申請してるっていうので話し合わせてたら、いつの間にか歴史に興味がある人と思われていた。
そんなことねー。歴史なんて古文という単語を見るだけで嫌悪してきた人間だからね。
こっちは散歩の途中で寄っただけだしそもそもこの付近はいつもいる場所よりやや遠いからあんまり来ない。たまたまの偶然なのに何でいきなり歴史好きなのか。
おじいさん曰くな「ポケストは人類の宝」「ポケストを作るのは歴史を紡ぐなんちゃら」「ポケモンは古墳とか古代のものを見つけるのが楽しい」「ポケストが歴史的なものをたどるのはちゃんと意味がある」ってどんどん喋るわけだ。
いや違う。うちは単にポケモン捕まえたいだけでポケストがどうこうはどうでもいい。おじいさんの言葉が正しいならウチはポケモンから歴史を学んだはずなんだけど、これっぽっちもわからない。というかポケストが歴史的なものになっている理由ってなに?
そもそも近所にはもはや基準を完全に逸脱したと思われるポケストがこの1年で10個も増えている。これ審査員が完全に業者じゃね?
なんか体感で30分くらい、実時間で10分弱話されていたので電池切れを告げて帰ってきた。申請も途中だったが、まあ単なる樹木だったから審査をとおることはないだろうね。
横だが、ポケストの成り立ちを説明すると手間なので簡潔に言うと
日本で言えばキリストの生誕祭やイースターエッグとかが近いと思われる。宗教・歴史的に重要な祭典や物であっても直接関わる機会を喪失したままイベントの名前や概要だけが残ると今のような形になる。もちろん他の国でも似たような物だが、日本でクリスマスやサンタってのはコスプレイベントと余り変わらないでしょ?ポケストも元々のポータルの意義や存在理由を喪失したまま使っているから、もうどうしようもないくらいにどうでもいい存在になっている。
恐らくポケモンGo的にはポケストの意味が後付けされていくだろう。本来存在しない意味を誰かが勝手に解釈して作り、それに基づいてポケストが作られていく。サンタの衣装が赤いと同じように。
真面目な話、ポケモンGoしている人で歴史的構造物に興味持つことはまずないぞ。
そういう真面目な人が申請や審査をするのは構わないが、大多数のポケGOトレーナーは「とりあえず数さえあればいい」という考えだ。ならば厳しい基準を設けて一部の人が作っている今の制度は大多数のトレーナーには百害あって一利なし
そもそもそんなものがポケストになる理由がないし、歴史的な物とそうでない庭先の花瓶との間に何が違いがあるのか。それに城や面白い造形の銅像というものをポケモンGoというゲームの中では一切活用していない。なら、どんなものがポケストになろうと殆どの人には関係ないし、基準を超えていようが集まっていれば文句は言わない。