はてなキーワード: 心拍数とは
最近は親が子供にApple Watchをもたせてたりするんだってな。
それってスゲーよ。
Apple Watchって自己管理するためのアプリいっぱいあるしさぁ。
今使ってるやつ知って、自分がいかに無理して走ってたか思い知らされたね。
これでも中高生の頃陸上部だったんだけど、これじゃどうやって長距離走るか分かってなかったって事だよなあ。お恥ずかしい。
こういうアプリ子供も使ってるんでしょ?部活とかで使ってるんでしょ?
そりゃー良いわ。良いなあ。俺も中高生の頃こんなの欲しかったよ。
今30代だけど、俺の練習中はドラゴンボールや刃牙みたいなエクストリームなものばかりイメージして励んでたよ。
俺の頃にApple Watchがあればなあ。今頃オリンピック出られたのに。
2021/7/3北とぴあ
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NYMC Japan
柔らかな響き。アカペラならではのよく聴きあった融ける和音が魅力的。2曲目は、遠い大地から聴こえてくるような幻想的な部分と、力強いエネルギッシュな部分の対比がよかった。
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粋声
すげえうまい。もうプロでしょ。(感動したので言葉が悪くなりすみません)
各人の技量がとても高く、パート内の声が揃っており、和音が完璧。などと私ごときがテクニックを褒めるのはおこがましいので、曲の感想を。
隠れキリシタンのオラショ(祈り歌)をモチーフにした曲。潜伏の末にもはや意味がわからなくなったのであろう、ミサ曲の聖句の残滓が見え隠れする中、「瀬戸の潮騒…」と日本語があらわれ、江戸期のおそらくは貧しい人びとの暮らしが立ちのぼる。かと思えば強く鋭くアレルヤ、アレルヤ…!と歌われて、長い年月を経てなお信仰が「ある」のだと思わずにはいられない。
圧巻。
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2曲目、若く瑞々しい爽やかさを感じる。この合唱団によくマッチした曲だと感じた。コロナ禍のためあまり練習できなかったとの事だがよくまとまっていた。挨拶した学生さんから、やっと歌えて嬉しいという気持ちが伝わってきた。
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入場が楽しくてノリが良くて元気!
1曲目、万華鏡のように入れ代わりながらユニゾンになったり音がぶつかったりするのがカッコいい。攻めの姿勢の演奏が小気味よい。
2曲目、一転して優しい雰囲気。大切な女友達に誘われているようで嬉しくなる演奏。
3曲目、冒頭のアルトの、包むように支えてくれるところが好き。
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1曲目、グレゴリオ聖歌とおぼしき清潔なユニゾンの旋律が、ふわりと現代的な和音に広がるのがとても好き。
2曲目、ルルルの重く歌うところとスッと抜くところのコントロールがカッコいい。腹筋が使えてるのだろう、日々の基礎練習を讃える。
プロフェッショナルな上手さとは違うのだが、音楽を作る意志に溢れている。アマチュアが音楽するひとつの理想型では?!
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明るいノンビブラートの声で、丁寧に聴き合っている上品な演奏。少人数で、各自が和音の中での自分の役割を味わいながら演奏しているように感じた。
この人数で歌うのは怖いけれど楽しいだろうなあ…。
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「高齢化で…」と謙遜ぎみに挨拶されていたけれど、とても素敵な演奏でした。
女声はまろやかにつややかに伸びやかな声、男声はしっかりした支えで力強くも優しい声。
声がとてもしっくりと溶け合っていて、長年のご活動で皆さん仲良しなのだろうなぁと思います。
楽譜の音をただ出すだけでなく、曲を「歌って」いる、心がある。これもアマチュアのひとつの幸福なかたちだと思いました。
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1曲目「優しき歌」は混声版しか知らなかったので男声版に衝撃を受けた。やはりメランコリックで、混声版だとここが痺れるんだよ〜、という部分は期待を裏切らず心拍数を上げてくれる、たっぷりした演奏。ステキ過ぎる。
2曲目、斎太郎節系のワクワクする曲。エンヤトットじゃないけどベースの通奏低音ビートの上を高声が華やかに駆け回るケレン味!ロビーストームで聴いたら恋に落ちそう。
最高でした!
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人口が多いしスポーツジムのプログラムでもやってるめっちゃメジャーなもので
メンヘラしかいないわけがない(メンヘラじゃない人もいる)のだが
https://anond.hatelabo.jp/20201017130534
その警戒する労力は自分がマインドフルネスの効果があるタイプの人間か?に向けた方が良いと思う
別に目をつぶって深呼吸して脈拍安定させるだけで効果あるタイプにはあるぞ
やり方!!!とか意気込まんでもな
直球でマインドフルネスはスピだと思うぞ
好きにしたら良いと思う
繰り返し『脈拍を整えるのは無意味ではない(意味がある)』と書いてるのは
splatoon2への増田がブクマが付いてて、良い機会だと思ったので世の皆さんに警告することにした
https://anond.hatelabo.jp/20210606152106
健全な人生を過ごしたいならsplatoon3に近づいてはいけない
沼だ
ハッキリ言っておく沼だ
1マッチ3分、5分でできるため面白くもう1マッチやりたいと連続して遊びたくなる
ゲーム内にタイムスケジュールがあって、2時間毎にルールステージの組み合わせが変わる
遊びたいルールステージの組み合わせは機会を逃すといつまた遊べるか分からないので遊べるときに遊ばないといけないと熱中しやすくなる恐ろしい仕掛けが仕込まれている
次に身体に影響がある
嘘じゃない
splatoonシリーズはゲーム内にボイスチャットが実装されてないため目と耳と脳をフル活用して戦わなきゃいけないゲームだ
戦況を把握しようと思ったら画面上部のアイコンを見て敵味方誰か死んでないか確認しないといけないし、レーダー呼び出しですぐ見て確認しなきゃいけない
具体的にいうと体温が急激に上がる
運動してないのに運動してるかのように体温が上がって汗が出やすくなる
心拍数も上がって早くなる
可処分時間を奪われるということはそれに使えたはずの勉強や読書、もう少し有益な趣味、異性と過ごす時間を潜在的に失いやすくなる
splatoonシリーズは有益な使い方が可能だった可処分時間の可能性を潰してしまう可能性がある
さらに、splatoonは無料で定期的にアップデート更新がある
新しい武器が追加された
新しいステージが追加された
武器の性能が調整されて変わった
そういうアップデート更新が短ければほぼ毎月のスパンで行われる
次から次と新しい更新、変化をもたらす更新が行われて、飽きることも許されない
その間ずっとsplatoonに心が囚われる事になる
いいか
よく聞いてくれ
健全な人生を過ごしたいならsplatoon3に近づいてはいけない
大げさだと思うかもしれないが他のことがしにくくなる
そういう危険な沼だ
可処分時間でやらなきゃいけないことがある
誰でも抱きつけば心拍数上がるだろ
スマートウォッチをつけてるだけで、睡眠の質を記録できたり、心拍数とかその他いろいろバイオメトリクスを測れたり、スマホで撮影するだけで心拍数が測れたりとかいう技術が発表されてる。
一番基礎的な体重を自動で測定して記録してくれる仕組みをIT企業は考えてくれないか。
毎日身軽な服装になって体重計にいちいち乗らなくても、ふと思い出したときにスマホのアプリを見たら、自動で記録された体重の推移がみれるとか、そのくらい簡単にしてほしい。
たとえばとある自死遺族スレには、死にたい私が本当に言ってほしいと思わせるような言葉がたくさん書き込まれている。
これはあくまで傷の舐め合いであって、根本的な解決(果たしてこの苦しみに対して解決など用意されているのかわからないが)に繋がることはないと思うが、ひと時でもここまで心を軽くしてくれる言葉たちの存在は、決して小さなものではない。
同じ類いの苦しみを持っているからこそ、誰かのその傷をやさしくなでる術を知っている。
これは一種の療法として確立することはないのだろうかとさえ思う。専門家さえ居ないひとつのオンライン空間に、確かにその救いは存在している。自助・共助という言葉はかの総理大臣の発言として記憶に新しいが、まさしくこのスレッドの在り方こそが、それに最も近いのではないかと思う。
病院の匂いが鼻腔の奥によみがえる。正しく言おうとするならば、それは私の気道を確保した管の匂いであるかもしれないし、看護師の制服の匂いかもしれないし、大量服薬した苦々しい自分の口臭であるかもしれないが、それはひとまとまりに、自分が救われた病院の匂いとして強烈に私の記憶に残されている。
しばしば嗅覚は記憶を呼び覚ますと言われるが、記憶のほうが先に呼び覚まされ、嗅覚が再現されるという前後が正しいかもしれない。
家族に聞くところによると、私は部屋で無意識にのたうち回り泡を吹いていたそうだ。それは私の中でおよそ化け物のような姿に想像される。正気に戻ったあとには重い離脱症状が待っていた。息ができるのにできない。身体が痺れているのに痺れていない。藁にもすがる思いで看護師に助けを求めようとすると、酸素や心拍数の値は正常だからゆっくり呼吸をしてくださいと繰り返されるのみだった。1分が永遠に思われた。数時間はその状態だったと思う。ただひたすらな苦痛としか言いようがなかった。私はもうあのような地獄を味わう覚悟はない。
そういう死を超えていった故人を思い出すと、本当に切なく思う。死後の世界を信じるタチではないけれど、死は筆舌に尽くし難い虚しさであると思う。死は人間の想像をゆうに越えた概念であると思わざるを得ない。彼らはそんな場所へ到達してしまったのだ。
仮にも死を目前にしたため、毛ほども誇るべきことではないが、結果として私の共感性は周りの誰よりも高まったように思う。私はいまそのスレッドにかじりついて言葉を探すことしかできない。正直、これを今記しておかずしてどう生きていけばよいかわからなかった。乱文で申し訳ないし、思い上がりも甚だしいけれど、この経験が誰かを助くものになればいいと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210130055110
俺の故郷では陶芸が盛んで、小学生の頃は毎年図なにか陶器を作らされた。図画工作と郷土学習が兼ねられて子供ウケもいいんだから、最高の教材だっただろうな。
湯呑みみたいなシンプルなやつを最初は作らされ、途中からは立体の自画像を作れとか夏を表現しろなんてヘンな課題を出されることもあったりして、結局最後はなんでもいいから自由に作れってことになった。
当時の俺は早めの中二病で、剣とか竜とかそういうものが大好きだった。自由にやれと言われたので、当然喜び勇んで剣を作った。(剣って言ってもしょぼいもので、十字の形をした陶器の棒といった方がいいかもしれない。装飾のセンスもないし、刀身らしい刀身なんて作れなかった)
作ってるときはノリノリだったのに、作り終わって10日くらいたったところで猛烈に恥ずかしくなった。普段クソ真面目なキャラでやってるのに突然剣なんか作っちゃってイタい。純粋にクオリティが低くてダサい。いま思えば別にどうってことない気がするんだけど、当時は本当に恥ずかしくて、夜にその剣のことを思って寝られなくなったりもした。
陶器は捏ねてその日のうちにパッと焼いて終わり!ってものでもないので、実際に完成品が手元に届くまでには結構日があく。小学6年生くらいのときだったと思うんだけど、そのときの俺はかなり気が気でない状態で日々を過ごしていた。いつ返ってくるのか、返ってきたらどうしたらいいだろうか!
児童が作った焼き物(そう、焼き物って表現をしていた!)校舎の横のプレハブ小屋みたいな倉庫に入れられていて、給食を運ぶときなんかにその近くを通るたびに心拍数が上がっていたような記憶がある。
そんで、そんなに気にしてたのに、結局その剣は俺の手に渡らなかったんだよな!というか、そのときに作られた作品は全部なんとなくウヤムヤになってどこかに消えた。マジでどうなったのかわからん。さすがにもう捨てられてるだろうな。
小学校卒業あたりの俺の心配事といったらあの剣のことだった、ってくらいに俺にとっては大きいものだったのに、結局出来上がりの姿すら見ずに大人になってしまった。
ガキの頃の自分に会えたら、あの剣のことは気にしないでいいぞって言ってやりたいな。