はてなキーワード: 徴兵制とは
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB098BF0Z01C22A2000000/
君の人生を困難にしているのは、
学習障害があって文章の意図が読みにくいか、言語化能力が弱すぎるから調べ物が出来ないこと
知的な困難があるならゆっくりペースで成長してるんだな、自分の独自の世界の話をしているんだなって思うけど、どうなん?
戦時中において、一部の個人が特殊な手段を使って兵役を回避しようとしたという報道や記録が存在します。その中には醤油を飲んで「貧血状態」を装い、兵役を回避しようとしたという報告もあるようです。
当時の日本では、戦争による兵力不足から徴兵が厳しく実施されていました。兵役を回避するためには、健康上の問題を装ったり、裕福な家庭であればお金を使って兵役を免除されることもあったとされています。これらの行為は違法であり、社会的にも非難される行為であることは言及しておきます。
戦時中の日本において、一部の支配階級や裕福な人々が軽井沢などのリゾート地でパーティーをしていたという記録や報道があります。当時、日本は太平洋戦争を戦っており、国内は厳しい経済状況や食料不足、空襲などの戦争の影響を受けていましたが、一部の富裕層はそれらの影響を比較的受けにくい状況にあったため、リゾート地での贅沢な生活を楽しむことがあったとされています。
軽井沢は、夏涼しく過ごしやすい気候と美しい自然があり、戦前から日本の上流階級や外交官、外国人などが避暑地や保養地として訪れることが多かった場所です。戦争が進行していた時期でも、一部の特権階級の人々は軽井沢での生活を続けていたという記録があります。
これらの情報は歴史的な資料や回想録、報道などによって裏付けられていますが、一部の特権階級の行動が全体の状況を反映しているわけではありません。当時の社会は戦争の厳しい状況により多くの人々が苦しんでいたため、特権階級がリゾート地での贅沢な生活を楽しんでいたことは一般の市民にとっては不平等や不公平な状況として捉えられることもあるでしょう。
白洲次郎(しらす じろう)は、日本の外交官であり、戦後には評論家としても知られる人物です。彼は戦時中、外務省の要職にあったが、病気を装って徴兵逃れをしたとされる代表的な例の一つです。
白洲次郎は、日本が太平洋戦争に突入した時点で、外務省の官僚として国内の情勢や国際的な状況をよく理解していました。しかし、自らが体験した第一次世界大戦の戦場での経験や戦争の悲惨さを胸に抱え、戦争への反対や人道的な理由から徴兵逃れを試みたとされています。
白洲次郎は、病気を装って入院したり、療養の名目で兵役を免除されるように働きかけたりしたと言われています。彼はその後、戦後の日本の外交政策に大きな影響を与える存在となりました。
徴兵制について。昭和2年(1927)までは、お金を払って兵役期間を短縮できる制度がありました。もっと前は兵役免除となる時期もありました。こちらは入営中の経費を負担することで2年の兵役を1年にする一年志願兵への申請書類と選考結果。現在の長野県塩尻市の方です。
信州戦争資料センター
太平洋戦争ですが、私の知ってる金持ちは、誰も戦争に行ってませんが、何か方法があったのですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10158993500
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うちの父も、自らの口で語ってますが「軍部にお金を積んだ」そうです。
最初は、暗号解読とか、通訳の口を狙っていましたが、御殿場の練兵場で終戦です。
食べ物も、ウラから手に入れ、飢えた思いをしたことはないそうです。
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それだけで本が書けるほど。
結果として単純に徴兵に応じたのは
①何も知らない人
②親にカネがなかった
④みんな仲間だからと、抜け駆けはできない人
など。
詳細は省きますが、ウチの親の場合、満洲の炭鉱の課長なので「徴用」扱いで最後まで赤紙は来ませんでした。
叔父は馬の専門家で「軍医」として戦地には赴きましたが、ずっと後方です。
親戚には陸大を卒業し、陸軍中枢の参謀本部勤務のまま終戦を迎えた人もいます。
知人は臨床検査技師で、衛生兵を希望し、最後はシベリア経由で帰ってきました。
著名な作家の多くは、結核の既往歴で徴兵免除になったか、さもなければ報道班の「徴用」で南方に行っただけ。
勉強し過ぎの学徒上がりは、視力不足では鉄砲が打てないと大幅に順位を下げられ、
診断書に手心を加えてもらった金持ちの子弟、自傷して障碍者になった者、わざわざ犯罪を犯して自首したもの(懲役以上の受刑者は徴兵の対象外)、良心的兵役拒否で最後まで出頭に応じなかった、等やり方は無数にあります。
私は高校生の時から、今徴兵が来たらどうするか、そればかり考えて行動していたのでやたら詳しくなりましたが、今後のお勧めは、コンピューターの腕を磨いて、資格をとって、徴兵されても後方勤務になるよう工作するのが一番簡単でしょうね。
実は徴兵制なかったニキ?
もう遠い昔になるが、民主党政権発足時、日本におけるリベラル左派陣営は今ほど弱くなかった。むしろ、各種の世論調査を見る限り、自民党は積極的な意味で支持される政党ではなかったので、ふわっとした中間層によって消去法的に自民党政権はキャンセルされ、2009年に民主党政権が発足した。ここでは民主党政権当時の党内のゴタゴタについては扱わない。そんなことは調べればわかることだし、ここで話したい内容ではない。
ここで話したいのは、民主党が政権を失い、自民党政権が始まって以降、どうして積極的な支持を受けていないはずの自民党政権がずっと続いてきたかということだ。いろいろな理由があるが、私は端的に言って左翼の自滅だと思っている。というより、正しく書くならば、「リベラル左派」という立ち位置から、文字通りの「革新左翼」に成り下がってしまい、ふわっとした中間層の支持を瞬く間に失った。しかし、私は政治そのものには大して興味はなく、ここで書きたいのはそういう政策論争でもない。もっと単純に、ここでは右翼からも左翼からも差別される、現代の本物の被差別階級について扱いたい。
それはトランス女性(MtF: Male to Female)である。
トランス女性とは、性多様性を謳うLGBT的な価値観からの言い方で、精神病理としては性同一性障害(GID-MtF)がそれに該当する。海外においてはここは重ならないことも多いようだが、日本においてはこの二つはほとんど同じものと考えて構わない。
詳細は割愛するが、リベラル左派陣営はそもそも自由主義を前提とする。したがって、女性を家父長制から解放し女性を権利を男性と完全に平等化することを目的としていた従来のフェミニズムと親和性を持つのは当然である。しかしながらそれは日本においては、男女共同参画社会基本法(1999年)で成立し、権利において男女差別が完全に禁止されることで、その存在意義は乏しくなる。「女性は男性ほど稼げない」とTwitterではよく言われるが、同一条件での雇用であれば時給は全く同じはずで、そうでなければ違法になってしまう。
ここで、性同一性障害特例法(2003年)が成立することで事態が一変する。一言でいえば「トランス女性という名の男性は女性ではない。彼らは女性スペースを犯して性犯罪を犯す性犯罪者だ」と主張する人たちが現れたのである。その人たちは自身らが本当のフェミニスト、すなわちラディカルフェミニズムだと主張し、従来の権利の平等化を目指すにとどまっていた従来のフェミニズムをリベラルフェミニズムと蔑視して差別化を図っていった。そもそもこのラディカルフェミニズムは、徴兵制を背景として深刻な男女差別の問題が残っていた韓国から輸入されたものであるが、説明する意味合いに乏しいため、ここではその経緯については深くは触れない。当初はラディカルフェミニズムは異分子だったが、気づけばフェミズムの主流がラディカルフェミニズムとなっていった。それが現在のフェミニズムの主流派に置き換わったTERF(Trans Exclusionary Radical Feminist: トランス排除ラディカルフェミニスト)である。
TERFは徹底的にトランス女性を誹謗中傷し続けた。いや、今もし続けている。その主張は単純で、トランス女性と女装変質者は見分けがつかないからトランス女性を排除しろ、というものだ。そして、性同一性障害という医学的概念を完全に否定したうえで「トランス女性は男性です」と言う。これに対して、普通ならリベラルは反差別なのだから介入するはずが、リベラルは無視を続け、その間に多くのトランス女性たちが、今に至るまでに自殺を続けている。ryuchellは性同一性障害だともトランス女性だとも公言はしていなかったが、言動からは明らかにそうだったと考えられる。そう考えると、あれほどの誹謗中傷を浴び続けたryuchellもそんな被害者の一人だったのかもしれないと悲しい気持ちになる。
そして、問題となるのが政治家とフェミニズムとのかかわりである。結果からというと、社会党に由来を持つ日本のリベラル左派政党は、すでにフェミニズムの中身がまるで変容してしまっているにもかかわらず、このTERFをフェミニズムの正当な後継と考えて長い間受容をし続けた。しかし、TERFというのはだれがどう取り繕っても過激な差別主義である。口を開けば、トランス女性だけでなく、女性を扱った一般的な二次元の絵(フェミニストが言うところの「萌え絵」)に対しても誹謗中傷を繰り返し、皆さんもご存じのように一般のSNSの利用者からは冷たい目線を浴びせられ続けることになる。そこで中身の変容しきってしまったはずのフェミニズムを切り捨てられずに、票田であると読み違えてリベラル左派政党はこれを受け入れ続けてしまったことで、明らかに一般の指示の得られない、優先順位を明らかに誤った政策を選挙のたびに掲げ続け何度も自滅し続けた。私はそう思っている。
ちなみに、私自身は、いわゆるトランス女性かどうかはわからないが、精神科で性同一性障害とも診断されていて、身体の違和感を緩和するためにホルモン療法も行っているものの、世間からの差別が怖くて、結局そういう「男性」としてしか生きることのできていない、ryuchellとは真逆の小心者だ。今日のryuchellの死は、明日の私の死かもしれないと思いながら生きている。
韓国ドラマ以下Kドラは、もうそうだと思わせるくらい女の性欲をぶっ刺しにきている。
全部ではないが、こんな話は多い。
昔の韓流メロドラマと違うのは、恋愛要素に加えて、女性の社会的に自立したいという欲求も叶えるという点にある。
これがポルノだと言うのは、ドラマの前提となる設定が余りにも女性側に都合良くできているからである。主人公の女性は男社会でやっていけるくらいの能力を持ちながら、オンナを使えるくらいには美人設定で、言うなれば才色兼備。
また、オンナの使い方も枕営業といった下品なことはしない。あくまで女を盾にして、男なら殴られるから言えないようなことを平気な顔で言い放ったり、好意を向けてくる男をうまく利用したり、といった狡猾な使い方である。
一方、彼女の相手をするイケメンの類は男児のような幼い顔で、大人しく、ツルツルした女性のような顔立ちである。男の暴力性は無害化され、男のわがままは男児の駄々こねに見えるくらい可愛く描写される。
少年漫画や王道アニメでは、仲間のために強くなれる男をヒロインが好きになるという共同体の構造が必ずある。しかし、Kドラは、この共同体の概念を希薄させ、私とあなたの物語の周縁程度にとどめる。そして、最終的には私が気持ち良くなるようにあなたとその周りを改変させていく。この過度な私中心のストーリー展開はポルノ的と指摘せざるを得ない。
しかし、Kドラは女性をエンパワーメントしているとフェミニスト界隈ではむしろ称賛されている。能力を活かして仕事をバリバリこなす筋書きなら理解できる。しかし、オンナを逆手にとって、都合よく愚かに設定した男性社会をのし上がり、一番魅力的な男を自分だけのものにする過程を描くことはエンパワーメントではなく、単なるエンターテイメントである。
同時に、過度に弱体化した男性相手に性的な優位性を取って支配下に置くことはもはやレイプ演出と呼べるのではないだろうか。
しかし、ポルノをポルノだと見抜けないまま大人になると痛い目に遭うのだ。充分に成熟しないとポルノを閲覧してはいけないのはそのためである。これは今まで男の専売特許だと言われてきたが、女にも言える時代が来たのだと思う。女性用風俗が産業になる時代なのだ。
Kドラに感化されるのはいいものの、現実はそこまで都合良くできていない。実際、美人や能力者ではない女性は取り残されるという、ドラマ設定の裏の脅迫に対して多くの弱者女性たちは無力だ。だからこそ彼女たちは美容整形に走ったり、摂食障害になってしまったり、姫扱いしてくれるホストクラブにハマってしまったり、ODに依存したりといった逃避・自傷行為に出るようになったのではないか。
また、現実にはドラマほど愚かな男性は中々おらず、ドラマで見るような鉄槌を下す機会などほとんどない。煮え切らない思いをぶつけるために、一部フェミニストが敵の定義を不必要に押し広げた結果、フェミニズム運動は女性にすら支持されないくらい過激化してしまった。
韓国の異常すぎる整形文化、”韓国フェミニズム”と呼ばれるに至った特殊なフェミニズム、憎悪としか形容できない激烈な男女間対立と、極度に低下した出生率は、Kドラをはじめとする女性用ポルノの悪影響と言えるのではないか。もちろん、依然として残り続ける儒教社会の悪習や、周辺国相手に全く役に立たない弱腰軍隊(や徴兵制)及び政治家への辟易など、男性を糾弾する土壌が先にあって、その欲求に応えるようにKドラが発展し、その価値観を強化して捻じ曲げたとの見方もできる。
日本でも、トー横キッズ、歌舞伎町界隈、港区女子、過激なフェミニズムといった女性が登場する世相の乱れが目立ってきたのは、女性用ポルノの無制限の蔓延をその要因の一つに挙げても良いのではないだろうか。
ポルノは社会の風紀を乱す。だからこそ男性向けポルノは文化的に暗がりに追いやられ、法的にも規制されており、表立って語られるときは冗談や嘲笑の対象にすることで現実との距離感を保っている。
それなのに、Kドラに見られるような女性用ポルノは忌避されるどころか、政治的妥当で、多様性準拠で、年齢制限も緩くて良いものとみなされている。今もなお、エンタメ界のど真ん中を、スポットライトを浴びながら威風堂々と闊歩しているのだ。
ポルノを嗜む主体性を女性が得たことは歓迎するべきことである。しかし、主体性に伴う責任と枷のようなものが、男性側には文化・慣習の中で課せられている一方で、女性はそのような社会的装置を壊すことが近代であったがために、際限のない自由に放たれてしまったことは問題視したい。
自由を阻むものは自分だけである。だから自由は弱き者にとっては呪いでしかない。フェミニズムは弱者女性を救うことができないまま、自由だが不安定な空虚だけを残したのだ。
そんな空虚を埋めるために、男性向けポルノのような規制を受けない女性向けポルノが広まるのは当たり前のことだった。その女性向けポルノが、Kドラこと最近の韓国ドラマなのである。
自分たちに対しては「厳しいのを知ってるから軍隊に入ってないだけだけど?」で済ませるんだぜ?
若者を鍛えるために徴兵制を復活させろと語りつつ自分たちは徴兵年齢の枠から外す老人と同じ脳みそしてる。
だってそれって
「京都で新入りがいびられるのなんて有名だろ」
で全部済ませようとしてるようなもんじゃん。
本当にそれで済ませて良いのか?
ムラの伝統的なルールだから、そのムラに入る奴らが悪いんだぞで済ませてばかりでいいのかよ。
お前、それが絶対自分に帰ってこないと本気で思ってるなら想像力が足りないぞ。
たとえばお前が警備会社で働いて、それがある日突然自衛隊OBを幹部候補として雇うようになったとする。
ソイツは自衛隊流で滅茶苦茶な指導をするけど、お前の会社の連中は「いいね。会社の空気がピリっとしたね」でご満悦だ。
お前はそれに耐えられるのか?
名古屋に旅行に行ったとき滅茶苦茶な交通ルールの車にレンタカーごとふっ飛ばされて死にかけた時「でもこれがトヨタワールドのルールだもんな……」で本当に耐えられるのか?
お前が思ってるよりずっとずっとムラはこの世界に身近だぞ。
「他所のムラが勝手なルールで好きにやるのは勝手だよ」で済ませるにも限度はあると思う。
出しゃばりだとか多様性の否定とか言われるかもしれんが、やはり人権や法律に対しての意識よりも上にムラのルールが位置してしまっていたらそれはムラのルールを変えていくべきだ
ジャニー喜多川の「負の遺産」とも言うべき性的暴行スキャンダルは未だ落としどころが見つからない。
告発したK氏含め多くの若者が多感な時期に精神を踏みにじられ、さぞや心を痛めたであろう。
ジャニーにしたって生前のその加害行為は到底許されるものではないし、生きてけじめをつけさせる機会が永遠になくなったのは痛恨の極みである。
この増田は被害者であるタレントの皆様に死体蹴りをかます目的は無いし、ジャニーの性暴力を擁護する意図もない事を先におことわりさせていただく。
第二次大戦後、戦勝国サイドが今度は共産主義と資本主義に分裂し、その両陣営が朝鮮半島を南と北に分断して繰り広げた言わば「代理戦争」である。
ここで重要なのは当時アメリカには徴兵制が存在していたのである。米国籍を持つジャニーも例にもれず銃を持って半島へ送られる事となった。
そこで見た光景、昨今のウクライナ情勢がそうであるようにそれはもう凄惨なものであったろう。
おまけにジャニー自身も十割被害者とは言えないのだ。生き残る為には北か、中共か、あるいはソビエトの兵隊に向けて引き金を引いた事もあったかもしれない。
こうして命からがら逃げ延びて、メンタルがボロボロになった帰還兵が平和な日本でか弱い少年に何をしたかと言えば……。
仮説を立てるが、本当に心のケアが必要なのは、ジャニー本人だったのでは?
幼少期の太平洋戦争も含め、大量の「死」を見続けたジャニーが性と言う形で「生」を求めていたとしたら?
己が心の傷を癒す手段が、同じように少年たちの心に傷をつけるしかなかったとしたら?
だとしたら、あまりにもむごすぎる。
厳格な仏教徒で、恐らくは保守的な価値観の喜多川家に生まれた長男坊が、何のフラグも立たずにあんな倒置した性癖をこじらすと言うよりよほど説得力があると思うのは私だけか?
それを踏まえた上で本題。
告発した人びと、そしてそれに乗じてジャニーズを叩いている連中のうち果たしてどれだけこの事実を知っていたのだろう?
元ジュニアの人たち、これは仕方ない。ジャニー本人がまず語りたがらなかっただろうし、元ジュニアも元ジュニアであれだけ言うからにはさぞかし近寄りづらかっただろう。
もっと言えばジュリーだって知らなかったはずだ。軍の関係者はその仕事内容を家族や親戚にさえ語りたがらないと言う。だもんでこの辺は無理もないで済まそう。
マスメディアとして取材する以上、基礎知識として上記のジャニーの生い立ちは下調べをしていなかればおかしいのだが、それを怠っていたのだろうか?それとも、事実をつかんだ上でそれを伏せて「Jポップの捕食者」としてつるし上げたのだろうか?
前者であればジャーナリズムとしてあまりにもお粗末で「公共放送」の看板に傷をつける事になるし、後者であれば捻じ曲げた印象を公共の電波に流した立派な人権侵害である(まして「白人がアジア人を」のパターンで)。
話は逸れるがYouTubeの規約には「従軍経験者への誹謗中傷を禁止」とされている。詳しくは解らないが要は「不本意な形で戦闘行為に参加させられた人物に対して『人殺し!』などと言ってはいけない」と言う事なのだろう。
ジャニーも広い意味で「従軍経験者」とするならば、BBCはYouTube上で規約に違反した動画をアップロードした事になるが果たして。