はてなキーワード: 寒いとは
田舎にはまともな家が無い。特に、自治体が「空き家バンク」に登録するような家は。
テレビに出てくるような風格ある古民家は家主が手放さないか、すでに誰かが手を付けており、残っているのは単なる安普請の「中古民家」だけだ。
戦後から昭和40年代にかけて作られたそのような家は、貧弱な設計と建材によって断熱性も気密性も低く、夏は暑く冬は寒い。
外壁は一様に茶色いトタン板で、屋根は青いトタン板。大家族での生活がまだあった時代のため、間取りは二間続きの十畳間など、不必要に広いものが多い。
またトイレも問題だ。下水道の無い集落では汲み取り式が標準で、ほんのちょっと改修してあっても簡易水洗式。どちらも外に突き出した臭い抜き煙突(臭突)でそれと分かる。
きちんと合併浄化槽にリフォームしたような家もあるが、そのような家は家主かその縁者が住んでおり、そもそも空き家にはならない。
さらに都会では引っ越しの際、家財道具はすべて運び出し、空っぽの状態で明け渡すのが常識だが、田舎はそうではない。空き家の場合、なぜそこが空き家になったのかといえば、
息子や娘が次々に就職や結婚で家を出て行き、最後に残った高齢者が介護施設に入所したからだ。こうした場合、高齢者は「いつか戻る家」をわざわざ片付けようとはしない。
息子や娘もそう考える。そうこうしているうちに高齢者は施設で死ぬ。空き家となった家には高齢者の家財道具がすべて残ったままだ。年に一回来るか来ないかの息子や娘も、
手間と金のかかる家財の処理を先送りにし続ける。家そのものを解体するにはもっと金がかかるし、更地にすれば固定資産税が上がる。
ただ放置することが合理的な選択となり、中古民家は補修もされず、しだいにおんぼろ中古民家となる。
そんな無価値な住宅を、都会から来るアホな移住希望者に当てがって賃料をとり、あわよくば売却しようというのが「空き家バンク」。
腕に若気の至りで施した装飾があるわけでもなく、
手首に衆目に晒せないほどの痛々しい傷があるわけでもなく、
案件的制約があって、リモートワークできずに仕方なく通ってるビルの同じ階にいる誰がが
エアコンの設定温度を19℃に設定して、アホみたいな寒さに依存してる輩がいる
総務からもエアコンの操作パネルのところにも張り紙で26.5℃という注意が回ってるだろ
テレワーク推奨になって、注意の目が減ったあたりから明らかにエアコンの設定温度がおかしいんだよ
膝掛けとホッカイロ、ホットコーヒー、そういうものが必要なのに、トイレやフロア移動すると袖をたくし上げる。
苦情のメールは何度も投げている。フロアが広いせいか、まだ犯人がわからない。気がつくと19℃に設定されている。
頭よりも先に体がおかしくなる。
知らんおっさんをアレコレしたアレでアレして欲しくはないからマジで嫌悪感しかないよな
大正生まれの祖父は、坊主頭でメガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子である父から聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。
対照的に祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。
祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父の遺影はインテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真の遺影の人でしかなかった。
そんな祖父の遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父へ政府が贈ったものだ。戦後、日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父は戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。
去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父は戦後も抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎の山中にある村で、家業は農家という典型的な家だった。時代が時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。
その頃から興味が沸いていたんだと思う。
遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。
私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日、実家で終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。
兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父は陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要なものは、対象者が故人の場合は申請者との繋がりがわかるための除籍謄本と戸籍謄本といった、役所で簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。
まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父の戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言の事実のみであるのだから。
当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。
読み解いてまず驚いたのが、祖父は1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州で国境警備をしていたらしい。大きな作戦や戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。
次に驚いたのは1944年2月、祖父は除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父が満州で終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父の人生はガラリと色を変えた。
千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。
千島列島といえば、日本の降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島(ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵、終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。
お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島にソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前で漠然としているだけで、よくわかっていなかった。
どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。
祖父のいた部隊は結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。
得撫島はもとより、千島列島は自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい、今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空からは米軍の攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれて沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。
得撫島はラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意の戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずにはいられない。
兵籍簿には、祖父の召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的な情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。
古ぼけた紙は語っていた。戦争は8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ、祖父は戦後も長らく闘い続けていた。自分の血縁者である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父の存在への深みが増した。
シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気が流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ。戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。
祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去な抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父は日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷の山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。
ここでは政治的な話はしない。
兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父の存在がぐんと近づいた。存在そのものを実感した。祖父はちゃんと生きていた。過酷な時代を生き抜いた。ドラマや映画の主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷な環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和な世界でツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。
兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分の流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。
仏間へ行き、再び祖父の遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影は漠然とした無機質なものではなく、凄惨な時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。
たまたま「Google Mapsで旅気分」をしてたら見つけた.(ホントは事故で話題のモーリシャスの位置を調べてた)
https://goo.gl/maps/i6oyRAuMNaQj92o5A
インド洋の南,南緯70度・東経49度ぐらいのところにある島のセブンイレブンだ.ちなみにGoogle Mapsの評価は4.8,マストゴーだぞ.
なんと,この島にはペンギンがいるらしい.
https://goo.gl/maps/ZuVFWZNQKWeCyA2u5
お前はアザラシか?ガオー!
https://goo.gl/maps/4kFfw19SzSkq2wfUA
なんだ,みんなで寝そべって日向ぼっこか?俺も混ぜろ.
https://goo.gl/maps/u9Z941Y8RJszgF2bA
地形も奇妙だ.この岩山なんか,ぜひイモトアヤコさんに挑戦して頂きたい.
https://goo.gl/maps/Mpt9W7jcUNNdyk898
この島はケルゲレン諸島と言って,フランス領らしい.ちなみにモーリシャスはオランダ,フランス,イギリスが植民地化した後,国として独立したそうだ.
月間の平均気温は2~8℃で寒めだ.平均最低気温は冬でも-1℃と,南極に近い割にそんなに寒くない.最低気温記録でも-9.5℃で,下手したら日本の方が寒い.
一方,平均最高気温は夏で12℃弱,最高気温記録は1月(南半球なので夏)の23℃.夏が好きな人には向かないが,比較的過ごしやすいと言えるだろう.
https://en.wikipedia.org/wiki/Kerguelen_Islands
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%AC%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6
https://en.wikipedia.org/wiki/French_Southern_and_Antarctic_Lands
どうだい,そろそろ行きたくなってきただろ?
しかしバッドニュースだ.ケルゲレン諸島は,「不可能に近い目的地」(Next-to-impossible destinations)にリストされている60の場所の一つにカウントされている.
https://en.wikivoyage.org/wiki/Next-to-impossible_destinations
だが不可能ってわけじゃない.その気になればどこだって行けるさ.参考までに行き方を翻訳しておくぞ.
→続き: anond:20200814223304
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【追記】
ずいぶん前になるんだけれど、大学院生だったとき毎日紅茶を飲んでいた。6畳くらいの細長い居室に4人が机を並べて、来る日も来る日もボロボロの校舎で過ごしていた。大学院は楽しいだけではなかったけれど、今では懐かしい。
毎日、通勤ラッシュが終わったころ登校すると、ドンキで買った安物の電気ケトルでプラスチック臭いお湯を沸かし、卒業した先輩が残していった「HAWAII」と書かれたマグカップに注いでいた。安い紅茶、100個入りで500円の紅茶は、シブい。将来の不安と金欠のダブルパンチだったら、朝入れたティーバッグを入れたマグカップにお湯を継ぎ足して一日中飲んでいた。だんだん夕方になるとマグカップの中が出涸らしで茶色い水みたいになってきて、早く研究を終えて帰りたくてしょうがなかった。
寒い日も暑い日も毎日紅茶を飲んだ。教授に進捗報告をした後で、冷めて真っ黒になった紅茶を一気に飲み干す爽快感は忘れない。締め切りまじかで身体が辛いときはティーバッグを登校したら一つ、昼食を食べたらまた一つと贅沢に使ってカフェイン摂取に励んだ。カフェインは友達。紅茶は茶渋がすごいので、論文を投稿し終わったあとで変色したマグカップを激落ちくんで磨くことにしていた。こんなときの気分は最高だった。
就職してからはコーヒー党に鞍替えしてしまったので、しばらく紅茶を飲んでいなかった。最近ちょっと高い紅茶が眼にとまったので、奮発して買っちゃった。アールグレイだった。紅茶ってこんなに美味しくて香り豊かなのか、知らなかった。就職して、美味しい紅茶が飲める幸せを感じる一方で、ちょっとシブい紅茶が恋しくなった。
村社会ジャンルの声デカ信者に自ジャンルが踏み荒らされた気がした。
そのジャンルはストーリーやキャラは良いがとにかく民度が低い。声がデカく拡散力のある信者(以下、声デカ)含め大多数が検索避けもせずにキャラ名垂れ流しで下品な呟きばかりするわジャンルに真っ当な苦言を呈す人間を袋叩きにして引退まで追い込むわ苦言や批判のツイートやマシュマロなどを構文化して内輪でクスクス笑ってるわとにかく陰湿で民度が低い。にも関わらず盲目信者たちはうちは民度が高い高いと言い張っており自浄作用も無い。他ジャンルにもジャンル特有のノリのようなものがあると思うが、キャラに対しての感情や見方が一番狂っていて一番気持ち悪い人が優勝!みたいなノリのジャンルである。キャラが好きなんじゃなくてキャラに大暴れしてる自分が好きなのだと思う。
そんなジャンルの声デカの一人が、自ジャンルのソシャゲに触った。ストーリーの序盤だけをなぞってキャラに気持ち悪い属性付けをするようなツイートばかりだった。もちろん伏せ字や検索避けは無し。村社会ジャンルの痛くて寒い内輪ノリをそのまま持ってきたみたいな下品な呟きばかりだった。
自ジャンルは、一部クセのあるキャラはいるがユーザーの楽しみ方やキャラの推し方も他ジャンルと比べると比較的まともだ。キャラを無闇に貶めたりこき下ろしたりとかそういうノリは無い。大きな炎上も無く全体的に平和なジャンルだ。
しかしその声デカが、寒いノリをそのまま自ジャンルに持ってきて、取り巻きと一緒にキャラに汚い属性をつけて笑いものにし始めた。ここに書くのも憚られるほどえげつない下ネタとキャラを結び付けていたり、他にも色々と酷いツイートばかりだった。好きなキャラを寒いネタツイのためのおもちゃにされたような気がして、吐き気がするくらい気持ち悪かった。キャラを神格化しているとかそういうわけじゃ無いけど、汚された気分だった。今まで内輪でやっていたノリが外でも通じると思っていそうで痛々しい。自ジャンルに触れるなとは言わないけれど、楽しむにしてももう少し節度とか持てないのかな。
どうせこの増田も見られたら構文化してクスクス笑われたり一部だけ拾って揚げ足取られるんだろうな。ずっとそういうノリのジャンルだから。
摂氏の基準はもちろん同じなのに、これが逆になったら暑いし寒いのは不思議、
でも、
夏の真っ盛りの今、部屋でTシャツ短パンで過ごしてたら、小用が近くなるので、
(あっ、寒かったんだなワイのカラダ...)
って解る。
心底帰省したくなかった。暑い盛りと、寒い盛りに大勢と合わせて帰省するのが謎オブ謎だった。両親にしてみれば「他の家と同じように帰ってくる」のが自慢というか、安心というか、他の家に対して優越感でも持っていたのかもしれない。毎回、毎回、他の家と同じでありながら、息子夫婦が帰省するのを見せびらかしているようにも見えた。
しかし、今年は帰省しなくていい。それどころかむこうから帰ってこなくていいとまで言われて。最高だ。妻の実家にも帰省しなくていい。最高だ。彼女がしたいのなら止めないが、きいたら彼女も帰省したくないとのことだった。聞いてよかった。今後はなるべく帰省しないようにしよう。
こんばんは、クソ暑い夜やね。
わしは今彼女の賃貸にあがりこんで、いわゆる同棲をしている。楽しい日々は送れているのだが一つ難点を挙げるなら、エアコンがついていないこと。
でもエアコンが今目の前には無いのだから、無いなりに快適に生きる方法を考えなきゃと思って俺は流行りのハッカ油に助けを求めることにした。
そこでわしの涼しくなる体の洗い方を共有してみようと思う。
洗顔フォームを手の平に出し、そこにハッカ油を3〜5滴垂らす。
水を切った泡立てボールで泡を立てそこままボールを体に擦り付けるだけ。そのまま洗い流さず少し時間おけば徐々にヒンヤリ感が広がって不思議体験ができる。
え?洗顔フォーム?と思った方もいるかもしれないが、俺は肌がすこぶる弱いため洗顔フォームを使ってるだけです。泡立ちもいいし。ボディーソープでもいいよ。
ただこのハッカ油、最高やんけ!!となるが俺には失敗談がある。これも聞いてほしい。
それは顔と粘膜はハッカ油で洗わないこと!!
顔は他と比べて皮膚が薄いから単純に刺激が強く感じられる。
寒いを通り越してただ痛いだけから、間違ってもケツの穴*だとかペニペニの皮の中とかはやめといてな。
こうしたら寒さは和らぐとか、そういう解決法無いからほんと真似しないでな。悶絶必至。
あとな、みんな知ってるとは思うが、ハッカ油によるヒンヤリ感はあくまで錯覚なんやわ。
ヒンヤリしてるからエアコンいらねーわ!ってなってエアコン使わなくなったらほんまに熱中症で倒れるかもしれんからそこだけは注意してね。ほんま倒れないでね。
読んでくれてありがと。
アマプラで無料の『来る』が話題になってたから見てみたんだけど、後半の霊能力者が各地から集うシーンがすげえ良かった。沖縄から来る旅行者気分のお喋りオバちゃんグループ!関西圏から来るおっさん2人とジジイ2人の寡黙なグループ!JK巫女!警官隊!
チェンソーマンの京都組なんかも良かったし、ガンツの大阪グループも素敵だった。格闘漫画でトーナメントやる前のキャラ紹介も基本的に好きだ。だいたいほとんどのキャラはすぐやられたりして消えるんだけど、その儚さもいいんだよな。誰が残るのかわかんないのもいい。
(地域性じゃなくて専門分野が違うドリームチームみたいなのもいい。オーシャンズ、シンゴジラの巨災対、『いつだってやめられる』の教授チームもそうだ。各人が特殊能力を披露するシーンは燃える。)
そういうの集めたデータベースとかないのかなあ。俺はこれみよがしな方言描写は基本的に嫌いなんだけど、各地から集まってきた実力者が喋ってるってシーンなら全然許せるどころかなんなら好きだ。「なまら暑いべさ」とか言いまくっててほしい。地域ステレオタイプをほんのり練り込んだ、どうせすぐ退場するからってことではっちゃけて好き勝手作ったキャラたちを見たい。
氷系の能力で固めた北海道組!(北海道は寒いんだからむしろ氷系は効果が薄いんじゃないのか?みたいなツッコミどころも愛嬌になる)
地味な四国組!