はてなキーワード: 好戦的とは
友人にすすめられて見始めた
そいつは女子なので明らかにビジュアルで見はじめたタイプだけど
構成はデスゲーム+スポーツって感じ(ちょっとカイジの地下労働っぽさも入ってる)
どっかでみたなーと思ったら大運動会だった、あれ大好きなんだよね
・理不尽なことする主催者枠の人がちゃんと理屈っぽいこと言ってて笑う
・スタンドプレイかチームプレイか、っていうクソみたいな二元論に終止してないのがいい
・サッカーの作画がめっちゃよくてかっこいい、良質な格闘漫画みたい
・BL狙ってそうな雰囲気めっちゃ感じるけど個人的に嫌な感じがしない、むしろ尊い
・デスゲームでよくある「敵」「味方」がコロコロ変わる感じもおもしろい
てかこの話の構成ってうまくやるとハマるよな
スポ根ってどうしても試合がメインになるけど、試合ってもう擦られすぎてて新しいものが生まれにくいんだよね
そうなると「チーム戦を一回バラす」っていう作業が必要になってくる
この作品はそれをデスゲームとミックスさせることで常にバラしまくりの状況を作ってる
ただデスゲームみたいな「死」を作れないからそこを「選手生命」に変えることで成立させてる
デスゲームみたいなファンタジーよりかはスポーツに立脚してるからリアリティも出せる
どんどん数が少なくなっていくからトーナメント戦みたいな「負けるキャラにフォーカスを当てていく」もできる
この作品が向いてると思う人
・デスゲーム好き
・スポ根好き
・BL好き
向いてない人
・熱血嫌い
実際に活動の現場にずっと残りがちなタイプは「世直しさん」である。理念を口にするばかりで実務軽視。無駄に好戦的な無謬の正義マン。好きな言葉は「心によりそう」「つながり」。仕事がデキる実務家タイプは潮時を見つけていずれ退出していく
いやあ、耳が痛くてもげそうだぜ!やめてくださいしんでしまいます。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな誰も得しないショボい自己満足活動は今もザラにある。
そういうところに公金をイージーに流し込む行政の問題がまず一つ。
最初に言っておくけどこれ全部フィクションだからね。わかった?わかったなら次に進んでよし!
国の予想では近い将来人口ゼロ集落が続出すると予告されている町。
町だが、面積が無駄に広く人口密度はそこらの村よりも低い。自治体を維持するために昭和の大合併、平成の大合併で合併しまくった結果だ。
合併したのに従来の役場はそのまま支所という形で残し、行政改革をせずにくっつたけたけ。無駄に体力を消耗。当然集落の整理なんてできるはずも無くて、だらだらと消滅に向かっている。
この町がなんとなくでもやれていたのは、地方交付税に加えて、特殊な助成金が比較的簡単に取れるからだった。
電源立地補助金ほどは打ち出の小槌ではないが、そこそこ破綻してない申請書を書ければ、国から自動的に金が来ると言う程度の助成金がとれた。
ところが、近年になって渋くなってきた模様。そこでそれ以外の補助金に手を出すようになったのだが、流行のキーワードはこれ
「地域の力を生かす取り組み」
国もこの手の自治体に頭を悩ませており、いろいろな助成金を作って自立を促したり、整理を促したりしている。
その中で、良くも悪くも鈍い感じの自治体に改革を促すために、自治体単体ではなく、民間企業や、地域住民による地域作り団体などと共同で取り組む計画を求めるようになってきた。
こうして「おくにが考えたさいきょうの政策」を実現するために補助金を使っている。THE 補助金行政である。
とは言っても、そんな一緒にやってくれる企業などはそうそう転がっていない。
地元でがんばっている社長さんとかいるんだけど、既に頼られまくってどうしょうもないぐらいになってるのが普通。
地域おこしをするための地域受け皿がない。服を買いに行く服が無いみたいな話である。
行政の出資比率が高くなると駄目な場合があるので、行政の出資比率は見かけ上低くしているが、そのかわりに商工会議所とか、農協、地銀、信金とか、青年会議所関係とかに声をかけて出資させて、一般社団法人を作る。(オイコラそこ、めんどくさそうなメンツとか言わない!俺もそう思う)
そして、そこと共同でやるという枠組みを作ることによって、えらい人の威光を保ったたままに補助金をゲットしようと言う仕組みである。
さて、ここで求人をするとどうなるかというと、デフォルトで最低賃金での募集になる。
そもそも職なんかほとんど選択肢が無いような地域だ。社会貢献ができますよ、と言うところと、自治体が出資している安定した組織に、学歴職歴関係なく就職できるという二つばかりが注目されて人が来るのである。
だから、意識の高い系職員と、ほとんどコネで送り込まれてきたような意識の低い系職員が混ざり合ったカオスからスタートする事になる。
さて、こうしてできた一般社団法人。当時の政治家が鳴り物入りで作ったお国の制度の補助金が出る3年間はある意味やりたい放題である。
給料は安いが、儲けや結果は求められないままに、申請書をぺらっと書けば金は使える。拠点も昔補助金もらってうっかり作っちゃった交流センターを事実上の払い下げ。
行政の看板を使えるからみんなとりあえず話を聞いてくれるし、人も集まるし、金を配ってるような状態だから表面上は感謝もされる。
国の政策集にものったりするから県知事や国会議員が視察にきたりして、注目を浴びて自分がえらい人になった気になる。
何故3年かというと、中央省庁の官僚がそれぐらいで担当替えするから。そして新しい担当になった人物は、前任者がやったそれがどんなに成功していても、引き継いだところで自分の実績にならないので、打ち切るのが普通なのである。
当初の補助金が切れるとどうなるのか。
社会の中で困ってる人に手を貸そう的な活動において重要な・必要なものは、まず実務的な知識・スキル。マンパワー。(金のことを含む)行政との連携。
でも実際に活動の現場にずっと残りがちなタイプは「世直しさん」である。理念を口にするばかりで実務軽視。無駄に好戦的な無謬の正義マン。好きな言葉は「心によりそう」「つながり」。仕事がデキる実務家タイプは潮時を見つけていずれ退出していく。
国の補助金が切れた後、1年は現在の体制が維持できるだけの金を町が用意してくれた。ただお先真っ暗なのはあきらかなので、実務的にいろいろやってくれていた頼りになる人ほど、培ったコネを使って退職していく。
そして、残るのは、
もう解散してしまえ、と思うのだが、この状況に至っても広げに広げた大風呂敷を畳む奴はおらず、地域のキーパーソンに声かけまくって作ったためにしがらみが多すぎて、いつの間にかこの一般社団法人を維持していくことが目的にすり替わる。
そうして今はどうしているかというと、元々作られた地域振興のための団体、と言う看板は下ろせないままに、行政仕事の便利屋みたいなポジションになっている。
上の奴は本来は自治体職員が自らやるべき仕事だが、我々がやると、なあんと!全員最低賃金報酬非正規雇用で人をこき使えるよやったね!
社団法人を維持するためと言う大義名分で役所から出してもらっていたが、心ある町議会議員様から、それは利権だろと正論ハラスメントを受けて価格ヤスクを徹底された結果ご覧の有様です。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな
ははは……。
この中で最も実入りがいいのがプロモーションビデオ作成なんだから笑える。
そして、町の仕事で安泰なんでしょとか、儲かってるんでしょとか言われる。うるせーばか
非営利の「社会的課題の解決を志向する活動」におけるコンプライアンスとは、もっと攻めの姿勢のものであるべきだ。
はい。
自分たちだけが秘密ヒーロー戦隊じゃダメなんだよ。全てをオープンにして「出資者」も一緒に運用を考えるんだよ。何にどうリソースを投じるべきか、それでその先どうなるか。コンプライアンスは制限じゃなくて指針なんだよ。
そして情報公開こそがその団体の、活動の命綱だ。
リアル社会でのリアルな人助けってのは難しい「大人の仕事」なんだぜ。
おっしゃるとおりです。
まぁ、今、地域おこし協力隊で面白い兄貴が来たのと、あと何人かを抱き込んで、反旗を翻そうと準備は進めている。今に見てろよ!
じゃなかった。
暖かく見守っていただけるとうれしいです。
例のコラボの件。
社会的な課題の解決を志向する団体活動のありかたについて、本邦の残念な現状が炙り出されていると思う。
トーンポリシングと言えばそれまでだが、その「お行儀の悪さ」はコラボやコラボ側弁護士の独善的な言動に一定の正当性を与える。
戦略としてやってるつもりなのだろうが、どっちもどっちで本当にいいのか。
そして「そこほじくったとて…」という明らかにショボいネタまで敢えて大仰に取り上げて犬笛吹きまくっている。「タイヤ交換が”久しぶり”ということは…!?」とかってさあ。勝手ファンネルどもには事の軽重は区別つきゃしないからな。何でも陰謀の尻尾に見えて「つながる…全部つながるぞ!」となってる連中を止める気は毛頭ねえのな。「女性差別を目的とする妨害行為」というコラボ側の主張を事後的に自己成就してしまってるがな。
仮に各方面からの疑惑の指摘の数々が事実だったとして、おそらくコラボなんて別段悪質なほうじゃないのだ。相対的に。
それなりに活動実績もあるし、寄付金着服で贅沢三昧しているわけでもない(だろう)。
一方で「大雪りばあねっと」のような大規模横領事件がかつて明らかになったことがある。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな誰も得しないショボい自己満足活動は今もザラにある。
そういうところに公金をイージーに流し込む行政の問題がまず一つ。
池のかいぼりや、ゆるキャラやふるさと納税みたいにいったんブームに火が付けば小役人は右に倣えだ。惰性で乗っかっておけば仕事してる風のアリバイになる。ブーム前に提案されても耳も貸さない。責任とチャレンジのないミーハー行政。その時々の流行を追った、聞こえのいいネタさえ持っていけばチョロいもの。
会計の透明性や活動内容のクオリティについての説明責任、やりがい搾取問題、そういうことについてはガバガバなのがむしろふつうだろう。コラボばかりが特段悪質ではなかろうというのは、擁護ではない。界隈全体へのDISである。
社会の中で困ってる人に手を貸そう的な活動において重要な・必要なものは、まず実務的な知識・スキル。マンパワー。(金のことを含む)行政との連携。
でも実際に活動の現場にずっと残りがちなタイプは「世直しさん」である。理念を口にするばかりで実務軽視。無駄に好戦的な無謬の正義マン。好きな言葉は「心によりそう」「つながり」。仕事がデキる実務家タイプは潮時を見つけていずれ退出していく。
「困ってる人」の「心に寄り添う」ことがいかに高度にテクニカルでリスクをはらむ行為なのかということが正義マンにはわからない。
例えば宿なしの未成年を保護しておいて、「決して無理強いではなく、結果的に」別の政治活動にオルグしたりなんてこと、死んでもあってはならない。「そんな別におかしな活動ではないよ」そんなん関係ないんだよ。そこは鉄の壁で隔てておかないと全てが台無しなんだよ。わかんねえかな。わかんねえんだよな。
非営利団体の活動がガバガバになるのは「悪意でもって金をポケットに入れる輩ばかりだから」ではない。「営利」の原理と別のところでひとの金を運用するということの難しさをナメているからだ。
「自分たちは善意の団体なので、信じて任せてもらって大丈夫です」そこから躓きは始まっている。「本当か?着服してんじゃねえか?」そういう人が現れた時に「心外な!我々の正義に泥を塗ろうというのか、許さん」そういう方向でつっぱって、どこに行きつくと思ってる?
コンプライアンスという言葉の意味は、儲けが第一の営利企業なら「最低限のルールは守ってますよ」という単なるアリバイの意味になることが多いだろう。本当は違うけどな。
非営利の「社会的課題の解決を志向する活動」におけるコンプライアンスとは、もっと攻めの姿勢のものであるべきだ。
自分たちだけが秘密ヒーロー戦隊じゃダメなんだよ。全てをオープンにして「出資者」も一緒に運用を考えるんだよ。何にどうリソースを投じるべきか、それでその先どうなるか。コンプライアンスは桎梏じゃなくて指針なんだよ。
金の出どころが税金なのか寄付なのかというのも別に本質ではない。
私的な寄付だからどう使おうと文句つけられる筋合いはないというのは既に独善サイドに転んでいる。人の金預かって運用するということに違いはないので。
正義の旗手がアプリオリに正義を独占して正義を執行する。それにケチつけるものは即ち悪。そんな幼稚な世界観からいい加減脱却しないか?
アンフェさんて好戦的やな
機動戦士ガンダムSEED DESTINY に出てきたデスティニープランというのは投稿者さんの思ってる様なものでは無く、
ただ遺伝子「のみ」で適性を判断するだけのものでよほどの何らかの才能を持つ稀代の天才で無ければたいしてアテになるものではありません。
というか、進化の否定であり要約すると最終的に好戦的で利己的な遺伝子はきれいに消されるので戦争は無くなります!というわりととんでもない内容で、それこそ投稿者さんの公務員という職に就いてなお適職に悩む熱い心すら否定されてしまうという内容です。
そんなもので適性を見たところで80%どころか訳の解らない職種を薦められる可能性が大ですので結局、同じように後悔を抱えて終わりだと思います。
本来のアジア人は古モンゴロイドつまりインディアン、アイヌ、琉球人のように二重で目がぱっちりして、顔の彫りが深く、輪郭もくっきりした美しい顔立ちをしていた。
しかし、ある日朝鮮人、弥生人のように一重、目が細く吊り目、面長、鼻が低く、アデノイド顔貌の醜い集団が発生した。
新モンゴロイドだ。
純粋なアジア人の一部はアメリカに渡り、インディアンとして高度な文明を気づいた。
一方、旧大陸では本来の美しいアジア人が新モンゴロイドの遺伝子に汚染されてしまい、醜い顔になってしまった。
日本人も本来はアイヌのような顔の彫りが深い美しい民族だったのが、朝鮮からの渡来人に汚染され、今日に至る。
温厚で心優しい一方、好戦的で勇敢という一見相反する基質を兼ね備える
彼らは敵対しない者に対してはお人好しとも言えるレベルで優しいが、一度敵対すれば極めて攻撃的で恐ろしい相手となる。その例はいくつかある。
・東北の蝦夷安倍氏は、一度朝廷との対立関係に陥ったが、すぐに恭順の意を示し、争いを避けた。しかし、陸奥守が口実をつけて、蝦夷を挑発すると恐ろしい敵となり、その鎮圧に12年を要した(前九年の役)
・アステカの王はスペインの征服者コルテスを神の化身と考え丁重にもてなした。しかし、スペイン人がそれをいいことに破壊・略奪・虐殺に走ると、怒り狂いスペイン人を一度撃退した(悲しい夜)。更にスペイン人は大軍でアステカの首都テノチティトランを包囲するが、激しい抵抗に遭い陥落に3ヶ月を要し、コルテス自身も危うく死にかけた。
・スペインの征服者ピサロはインカの皇帝アタワルパを殺し、その弟マンコ・ユパンキを擁立する。しかし、スペイン人の残虐行為に堪忍袋の緒が切れ、スペイン軍に蜂起を起こした。その後36年間にも及ぶ激しい抵抗を続けた。マンコ皇帝自身は度々和平を申出たが、スペイン人の不当な要求を飲めず抵抗を続けた。ピサロが仲間割れで暗殺されると、マンコは寛容にもその暗殺者たちを庇ったが、裏切られた暗殺された。インカの王族たちはスペイン人に虐殺され、抵抗は終わりを告げたが、アンデスの先住民たちはその後も幾度かスペインに対して反乱を起こした。
・ワンパノアグ族は飢え、寒さ、病気に苦しむ白人を助けた。しかし、白人が彼らの土地や命を奪ったため、白人と激しく闘った。(フィリップ王戦争)
・アイヌ人は松前藩と平和に取引をしていたが、不当な為替に激怒し、シャクシャインの元で蜂起した。
・アパッチ族の戦士ジェロニモは本来は心優しい性格であったが、白人に家族を虐殺され、その後は好戦的な戦士として恐れられた。
・スー族の勇者シッティング・ブルは心優しく非常にモテた。その一方で勇敢な戦士として誉れ高く、リトルビッグホーンの戦いでは米軍の騎兵部隊を全滅させた。最後まで白人に屈することを拒み、射殺された。
・日露戦争の名将、東郷平八郎、乃木希典、秋山好古、秋山真之と太平洋戦争の名将、本間雅晴、牛島満、樋口季一郎はいずれも縄文人顔の美形である。白人との戦いで活躍した一方、平時は温和な人格者であった。
以上の例の通りアジア人とは本来顔が美しいだけで無く、勇敢と温和という美徳を備えた優秀な人種なのだ。
一方、新モンゴロイドはどうか。
・弥生人顔の香淳皇后は陰湿な性格で美人であった美智子様に冷たく接した。
・悠仁も両親がお辞儀しているのに、自分だけ頭を下げなかったり、女子生徒から水筒を奪ったりした。
・東名高速煽り運転の犯人も、名古屋アベック殺害事件、市川一家殺人事件、光市母子殺害事件、コンクリ殺人事件の犯人弥生人顔だ。
しかし、東南アジアの人々は朝鮮人よりも更に残虐なことを日本軍にもされたにもかかわらず、それを許し現代は親日的だ。これは宗教も一つの原因だろう。
だが、それだけでは仏教国のビルマ・ベトナム、イスラム教国のマレー、インドネシアが日本を許したことは説明できるが、キリスト教国のフィリピンが日本を許したことは説明できない。
朝鮮人は純粋な新モンゴロイドだ。一方、東南アジアの人々は一部新モンゴロイドの遺伝子の汚染されているが、本来のアジア人としての性質も持っている。
これもアデノイド=弥生人顔が害悪な遺伝子である証明だ。勿論発達障害だから口呼吸してアデノイド顔貌になりやすいという事実を考慮してもだ。
本来は美しい民族だったアジア人が新モンゴロイドに汚染され醜くなってしまったのは嘆かわしい。
これからのアジアの繁栄のためにはそういった醜い遺伝子を少しでも減らし、アジア人の優秀な遺伝子を後世に残すことが大切だ。
縄文人顔の諸君は同じく縄文人顔の同士と結婚し、その遺伝子を残して欲しい。
そして弥生人顔の諸君はもし僅かでも良心があるなら、子作りは辞めて頂きたい。
縄文人と結婚すれば、その美しい遺伝子を汚染してしまう。だから頼む。
S 爆サイ民
B 嫌儲民
E ネトウヨ
現在はなんGがメイン
「最後にレスした方が勝ち」という特殊ルールを採用したフィールドで戦闘を行っているため
屁理屈の王
他では許されない長文を繰り出し論理とお気持ち表明を混ぜて相手への口撃を行う
『チョコエッグ』や『クンニ』等 劣勢になった際の誤魔化し手段も豊富
底辺。
斜陽になってきた日本においては価値観が合致する者が増えてきており
思想も極端な方向で統一が取れておりネトウヨやレイシストが大量にいる
今やすっかり過疎
古いノリを許容しているが故に寛容な部分がありレスバも少なくなってきている
放っといてあげよう
割と好戦的だが根本的な話 思想を管理人に操作されていることに気付いていない
最弱
『レスバが発生し得るのに場がレスバに適していない』という重大な欠陥を抱えている
逆に横から同意するレスを飛ばしたりしても自演扱いされてしまう上 自演を証明できない
これを使用して「俺はこれだけ支持されているんだ」と誇示できたりできなかったりする
スレの流れに沿わない発言をすると複数人から通報されIDが顕になるという謎のシステム
つまり気に食わない意見をとっとと排除してしまう仕組みのためレスバどころの話ではない
そもそもの話ふたばは他のSNSと比べて返信が激烈にやりにくい(文章を丸々引用する必要がある)
おっしゃる通りです。
俺は継続力がありません。元々持って生まれなかった上に、後天的にそれを獲得する必要がない程度の地頭のおかげで楽に小中学生を生き抜いた記憶が、地道な努力を受け付けません。今から獲得しようと思っても、なんとなく嫌です。面倒だし、大変だからです。
何かを極めようとは思いませんでした。どうせ無理だろうという気持ちが先に出てきてしまいます。
昔から負けるのが嫌いでした。負けるくらいなら勝負を避けました。昔は好戦的だったような気がします。いつからこうなったのかは覚えていませんが、何かを極めようと奮い立ったとしても、その過程で自分よりもそれに精通している人間がいて、ああ勝てないなと思いたくないのです。わかってます。俺は弱くて狡い人間です。
俺の中の冷静なところでは、面倒でも地道に努力をして、人のために生きて、自分も幸せになる、そういう人生を送るべきだとわかってます。
努力の真似事をしていると、なんでこんなことをしているのだろう?と疑問に思います。なんのために、と考え始めてしまえば、いつだって結論は同じです。意味なんてない。目的なんてない。理由なんてない。ならやらなくてもいいじゃないか。そうして、俺は流されてきました。叱られるのは怖いので、逃すと本当に留年しそうな提出物だけは出すという狡さが俺を今ここに立たせています。
できることなら試行錯誤したいです。でもそれをする気力がありません。配信サービスで映画やドラマを垂れ流したり、活字を追って小説や漫画の中にいるときだけは、死ななくてもいいかなと思います。俺の脳の中の「理屈っぽく物事を斜めから見る機能」が物語に浸っている時間だけは忙しく麻痺してくれます。
返信していることからバレてしまうと思いますが、俺は誰かに俺の存在に気づいて何らかの言葉を貰いたかったのだと思います。
俺の今の精神状態では参考には出来ないけれど、いつかもう少し元気が出たら、何か自分にもハマれるものがあると信じて試行錯誤してみるかもしれません。
私自身の囲碁クエスト9路での戦闘スタイルは基本的に詰碁対決に持ち込むのを好み、目標はいつだって相手の石を皆殺しにする事であり、これは好戦的な性格ゆえだという自覚はある。
だが、狭い碁盤ではそれでいいとしても広い碁盤においては、バチバチに接近戦でやりたがるというのはむしろ臆病者のやる事感が強い。局地戦にかまけると、そこの地は安泰となるかもしれないが全体が疎かになる・下手すると全体にマイナス影響を与えることすらあるからだ。碁盤全体のことを考えれば、いかに迅速に・相手よりも先に局地戦を切り上げるかという見極めが肝心な訳で、それは無駄に好戦的だと却って出来ないことだ。
女は喧嘩碁を好むという俗説のようなものは、女の意外なほどの好戦的性格(男が女を舐めて偏見の目で見ているが故に意外と思うだけだろうが)に対する賛辞か女らしくないことへの嘲り、ではなくて、シンプルに女は鼻息荒く打つくせに碁が弱いと馬鹿にしてんじゃないかなあという気もする。
最近「垢抜けたね」だったり「可愛くなったね」と褒められることが多くなった。
実際、垢抜けたなと自分でも思う。ダイエットをして髪色を変えてメイクの仕方も変えたらあら不思議、その辺を歩いている女の子と変わらないように見えるのだ。
その辺を歩いている女の子(所謂量産系)になるのが垢抜けかとか、そういった話はひとまず置いておいて、垢抜けてから最近1番思うことは、舐められやすくなってしまったという事である。
特におっさん、初対面のおっさんにはかなり舐められる。ちょっといい車両に乗っている、ちょっといい食事をしている、ちょっといいバイクに乗ってようもんなら、人生の先輩が小娘に教えてやるか〜の如くべらべらと喋り出す。
「この辺は危ないから送っていくよ〜(アセアセ)」と言われても、私は前からその危ない地区に住んでいるし、1人で帰れるし、そもそも以前は送ろうともしなかったよね?舐めてんの?と思う。
垢抜ける前はそうではなかった。
おっさんだって物腰低く話しかけてきたし、他の男性も人と人同士の対等な関係で見てくれいた(はず)
一般的な女の子=か弱い、言いなりにしやすい、守ってあげなきゃ。みたいなレッテルが少なからずあるのだ。
外側が一般的な女の子へ変わったからと言って内側も女性らしく変わるとは限らない。少なくとも、私は変わらず対人には好戦的であるし男性の庇護下に置かれなくても生きていける。
何を言いたいのかまとまってないけど、一つだけ言えるのは、大して仲良くなかったけど突如垢抜けて可愛くなった女の子を食事に誘って、今のこの子なら付き合いたいみたいな事を思う奴、女の子を舐めすぎですよということです。