「名前」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 名前とは

2024-11-20

anond:20241120153242

はてなダイアリー」というサービスが「はてダ」と略されていたか

アノニマスダイアリー」を「アノニマスダ」と略すやつがい

アノニマスダ」って名前みたいだな

となって「増田」が生まれただけやで

anond:20241120152145

ぽんぽん買うwwwwwwwwwwww

タヌキが好きなんだポンポコリン?wwwwwwww

くっwwwwww

みんながわらってるーwwwwwww

おひさまもわらってるーwwwwwww

るーるるるるるーwwwwww

私は花の子ですwwwwwww

名前はルンルンですwwwwwwww

これからあなたのすむまちへwwwwww

いくかもしれませんwwwwwwwっw

ルルルンルンルンwwwwww

ルルルンルンルンwwwwwwww

ルルルンルンルンルンルーwwwwww

ランランルーwwwww

シロクマ先生記事の書き方は、齋藤知事パワハラと同じである

インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。

シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります

もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。

シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事パワハラと全く同じです。

シロクマ先生記事のうち、記載を改めるべき箇所

インターネット民主主義が加速して良かったですね

ビバ! デモクラシー

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800

斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。

https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/010/159000c

小学生を含めて(個人的感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。

インターネット民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。

以下、具体的に指摘します。

民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。

「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。

なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しまたか

今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。

他の支持者との一体感体験やすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。

自分は、いいねシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?

なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現しまたか

他人選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。

SNS動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸コメントでも、論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判非難コメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったか重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。

「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったか重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?

どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?

なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?

他人コメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

それらは従来型のマスメディア機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。

「それらは従来型のマスメディア機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネット機能した結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?

もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディア機能とは異なり、より積極的他人干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?

従来型のマスメディアを超えることによるなにがしか危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?

「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネット貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか

その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。

みんな投票選挙活動に参加できて良かったですね

投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?

馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。

単独文言では無く、前後文脈から、この文章を読み取った相手が「投票選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?

「なるほど、コイツインターネット情報収集したり、いいね応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?

真摯相手人格尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います

インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的必要不可欠なことでしょう?

段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。

民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。

その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。

(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)

民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?

前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度限界だ」としか読み取れません。

それ以外の意図を持つ文章として文脈構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。

(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねますナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定了解があるはずです)

いまどきの民主主義理念を作り上げた人というと、ロックルソージェファーソンといった近世近代思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆選択までもが民意フィードバックされる民主主義想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?

少なくとも、ジェファーソン名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。

このall men (すべての人々)に、大衆シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。

トーマス・ジェファーソンが、いかマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、

ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままで不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。

彼らが、貴族選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民奴隷犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。

(その後の段落は、シロクマ先生想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います

個別選挙結果が未来制度設計材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義ドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。

この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。

ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。

(私はそれをアリストラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います

「ただし、制度設計改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?

「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。

未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。

また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか

なぜ齋藤知事パワハラと同じである

シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。

これを、面白おかしものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)

ただ、それはパワーハラスメントと全く構造が同じです。

パワハラをする側にとって、されたもの右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。

齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくした」と表現しています

知事時代パワハラ問題視した人は、この「業務上指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法問題があったのだと認識しているはずです。

愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これから社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います

その意味で、シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています

そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。

バカだと呼んだのは立花であるとか、選挙から排除すべきとは書いていないという、言葉遊びをするべきではありません。本当にその意図が無いのであれば比喩暗喩の使い方が致命的に間違っています

選挙権を持つ国民を、尊重して記事を書くべきです。

もっと言えば、記事全体が記事中に貼られた立花氏と同じことを言っており、そこから一歩も外に出ていません。

制度設計排除すべきでは無いかと暗に書いている分、また「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」と記載している分、なお悪いと考えます。それは選良主義陰謀論と具体的に何が違いますか?

そして、バカや犬や猫と同じと言われた側とすれば、率直にそう表明する立花氏に好感を持ち、シロクマ先生嫌悪感を持つと思います。率直さは美徳であり、当てこすりは悪癖です。

なぜならば、立花氏は返す刀で「バカじゃ無くなればいい、キミはいバカじゃ無くなった、立派な選挙民になったんだよ!」と導くからです。

シロクマ先生が、「自分マスメディア一定正しいものだと思っている。それを大きく超える力をインターネットが持つと証明されてしまったようで怖い。こんな選挙結果になると思わなかった」と思うのであれば、そう表現してください。

投票に行った国民を「お前らにはどうせこうやって書けばわからないだろう」という書き方で馬鹿にするのは即刻止めてください。

その積み重ねが、インテリ層への嫌悪に繋がり、わかりやす自分肯定してくれる者への同調に繋がります

よい県政になりさえすればパワハラが許されるわけでは無いのと同じで、民主主義問題だと思う点や選挙への在り方を指摘するのに他者馬鹿にして良いわけではありません。

ブコメについて

別に何を面白がろうが自由だけど、二言目には自浄作用が無いだの、パワハラ現代にはそぐわないだの言っておいて、中身が正しけりゃ表現些末な問題と言う立場をとるなよ。

読み取り方の問題じゃないし、皮肉から何しても許されるとか無いの。そういう表現は、お前らがバカにしているネットde真実と1ミリも変わらねえよ。

百条委員会って名前が悪いよな

なんかSFとかだったらめっちゃい組織の名前にありそうだもん

生成AIの論争について

正直論争が見ていて面倒くさいものになってきた。

AIは反AIAIを少しでも使ってる人はAI使用者だとレッテルを貼って話を聞こうともしない人が多いし、AI自体を悪だと思っている人が多すぎるし、正直いって頭が悪い人が多すぎるし、そんなんはここで書かなくても見ればわかるぐらい可笑しい。

かと言ってAI推進派(この言い方が正しいか知らないのでとりあえずここではこう言う言い方にする)もとにかく主語デカすぎる。絵師って一纏めにして言ってるけどその中にも商業絵師漫画家学生だったり本業がある中で趣味で絵を描いてる人の多数がいて、その中でも一次創作者と二次創作者だけでも大きく違って、一次創作者は著作権違反する事なんて無く、体を悪くしながら命を削って絵を描いてる人もいる訳で、その人は二次創作でちょいちょいと描いてる人と一緒にしていいのか?っていう疑問もある。一次創作者の人がやって二次創作者がやらなさそうな事と二次創作者の人がやって一次創作者がやらなさそうな悪行をそれぞれ分けて言うまでもなく絵師っていうクソデカ主語にして一纏めに巨悪みたいに言うのは良くないし、『男』という性別だけでまとめるツイフェミと同じ発想になっている。(なんならその絵師という一纏めの中に森川ジョージ先生や尾田先生みたいに正しくAIを推進させたい人もいる訳だし)

そして単純に反AIを反ワクだったり嘲笑しているのをよく見るが、SNS上だとしても目に余るし、それを世間一般会社の同僚だったり、上司に見せられる行為なのかを考えて欲しい。AIについて調べようとしてる人がその行為を見て第一印象が悪くなったとしたら勿体なさすぎる。

正しい好意をしているのなら味方を減らす行為をするのは勿体ないからやめた方が良いと思う。

双方ともに変わっていかないと、そのうちTwitter政治の話レベルAIの話も嫌悪される時が来るかもしれないし、生成AIは正しく使えば私達の生活を便利にするものなので、いかに正しく使うかが大事なのであり、議論の前にレッテル張りして相手嘲笑したり、嫌悪して一切話を聞かないのは勿体なさすぎる。

自身AI気味だった所からAI過激派を見てドン引きして少し気持ちが揺らいでる形だから単純にAI推進派の人への不満も多いけど素直な気持ちなので間違ってる認識があったら申し訳ない。

まぁこんな匿名で言ってる僕よりも、ちゃん名前とか全てを明かして正しくAIを使えるように活動している森川ジョージ先生だったりは本当にすごいと思う。

PS.二次創作お金を稼いだり、著作権問題があるって批判する人のTwitterのトプ画がアニメアイコンだったり、ニコニコの切り抜きを無断転載してたりするのはなんのギャグなんだろうか……?

神サーチがほしい

なんかAIとかじゃなくてさ、「神サーチ」みたいのできねぇかな

神サーチって何かと言うと、この世の森羅万象について100%正しい内容を返す装置

例えば「詐欺を行ったことのある人物名前と住所の一覧をcsv形式でください」とクエリを投げるとそのとおりにしてくれる

もちろん、俺の個人情報(例えばパスワード等)も漏れるので諸刃の剣だが、神サーチを俺だけが使える状態にしておいてほしい

すげぇな警察汚職は隠し、冤罪謝罪せず

適当理由つけて人を逮捕する

まさしく国営暴力団じゃん

桜田門組名前変えなよ

さて、俺が消えたら、警察に消されたってことで

チェス戦略

チェスは順序のゲームだ。

最初に打てる手は限られており、それに対する相手の応手があり、さらにその応手に対する手がある。

これはゲーム理論に当てはまる。なぜなら、どの手にも相手の最善の応手があるからだ。

チェス無限可能性を持つゲームでもある。ゲーム永遠に続く手順もあるのだ。

どのゲームにも戦略があるように、チェスにも攻撃的か防御的かという戦略がある。

チェス特有なのは、有限のオープニングや変化があることだ。ゲームの始め方は千通り以上あり、すべてが序盤の手順に基づいている。

ゲームが複雑すぎて、完全支配戦略存在しない。しかし、客観的に他より優れた手や手順はあり、これが弱支配戦略定義している。

相手の手の後、プレイヤーには複数選択肢がある。その選択報酬は、駒の配置がどれだけ戦略かに関係している。

その駒がさらに何手動けるか?他の駒、特にキングを取るのにどれだけ近づいたか重要なのは相手の動きをどれだけ制限できたかだ。

手の報酬相手次の一手次第で、最善の戦略を測るのは難しい。相手の手はあなたの手に対する最善の応手だからだ。

しかし、チェスには通常の意味でのナッシュ均衡存在しない。手は連続的かつ順序立てて行われ、一方が起こらなければもう一方も起こらないからだ。

また、プレイヤー主観的プレイする。スタイル心理的リスク分析、盤面全体を分析する能力の欠如などがあるため、客観的に最善の手を判断するのは難しい。

そのため、メリーランド大学のガス教授が「サイエンティフィック・アメリカン」誌で説明しているように、純粋戦略存在するかもしれないが、それを説明するのは難しい。

両者が完璧プレイすれば、ゲーム引き分けになるだろう。

序盤の手は限られているため、序盤の特定の手順にはそれぞれ名前がついている。

これらの手順をオープニングや変化と呼ぶ。例えば、クイーンズギャンビットというものがある。

これは白がd筋のポーンをd4に動かすところから始まる。黒がd5にポーンを動かして応じ、白が3手目にc4にもう一つのポーンを動かす。

この時点で、黒はギャンビットを受け入れるか拒否するかを選択できる。受け入れるならd5のポーンでc4のポーンを取り、拒否するならポーンを取らずにd5のポーンを守って中央支配を維持する。

盤面中央支配を維持することは極めて重要だ。これにより各駒の選択肢が決まり攻撃や防御のしやすさが決まる。

完全支配戦略存在しない。利点は個人の好みやスタイル関係するからだ。ギャンビットを受け入れると駒の位置を失うため、中央支配を維持する方が良い戦略だと主張する人もいるだろう。

ヤンマガマンガ

なんか違う方向になってきた

アマガミ綾辻さんみたいなキャラヒロインでずっともてあそばれる展開かと思ったら、正ヒロインとくっつきそうになって、

今週は田舎のおばさんという名前の年上姉御きゃらとメスガキがでてきた

絵柄がすげー好みだからエロいってほしいけどまあガキは無理だろうなあ

2024-11-19

ニコニコ倭寇

昔は人気実況者だった記憶があるけど今みたら千とか二千再生とかですごく落ち込んでるのな

Youtube軸足移したのかと見てみたらそっちも低再生数だし不思議

なんか不祥事でも犯したのかな?

でもセピア、じゃないひと。名前でん。ごめんだね。の人は普通に復活してたと思うし。

どんだけすごいやらかしやったんだ?

密着ブルマについて思ったことをつれづれと

自分は男。小学校の途中でブルマからハーフパンツに切り替わった。その当時の、うっすらとした記憶の前提。

togettorで https://togetter.com/li/2467625 が盛り上がってるけど、基本的に「今の価値観過去価値観攻撃するのは控えるべき。

するなら、せめて当時の価値観で」派なので、あんまり名前を出して、この場に参戦したくないので、増田で細々と書く。

歴史研究した訳では無いけど、ネットに転がるブルマ研究者の資料を流し読みした感じ、以下みたいに自分は思ってる。

自分の低学年の時の記憶はほぼ無いが、小学校高学年の時に低学年がスカート運動して中が見えるのに抵抗が無かったような記憶があることから

anond:20241119174057

選挙カー名前連呼してるのは、そういうことでしょ。

有権者バカから、一番、聞き慣れた名前投票するんだって

anond:20241119155401

明確に絵柄の保護の話じゃん

絵柄の保護と分量(容易さ)の組み合わせで言ってるけど

絵柄を保護する前提がなければ分量なんて何にもかからない

印刷機が出来てから著作権だって丸コピーがアウトなんであって絵柄なんて保護されてない

似た絵柄で有罪になった有名な事件商標権問題

名前を騙らなければ関係ない

幸せ再確認する人

自分少年だったあの日やっていたドラクエ3をいま息子とやっている。幸せだ」といった内容の記事が流れてきた。

何でもパーティメンバー家族名前にして楽しんでるらしい。よかったですね

ところで誰もあなた幸せなんぞ疑ってないが急に公共の場再確認し始めたけどどした?それもおよそ既婚・子持ちのような「社会的な正しさ」から逃れてきたような人しかいない場で何故わざわざ「正しい幸せ再確認」を?

記事の末尾に「と、いうわけで俺はお前らみたいなもんと違って幸せということでよろしいか?」って問いかけが透明な文字で見えた気がします。勝手見出し質問勝手にお答えさせてもらってる物狂いの身で恐縮ですが、再確認必要としている時点であなたには何かしらの不満があるかおそらく記事エピソードのもの虚構だと思います。ではあっしは穴を掘って埋める作業に戻りますので…(ほんのり小便の香りがする薄汚れた作業着に着替える)

ドラクエ日記

名前アルファベット使いたかたか英語で始める。性格診断がめんどくさい。スマホ翻訳しながら進める。パーティー魔物使い、遊び人僧侶

ロマリアからカザーブ行ってアッサラーム

あいかわらずあばれざるが痛い。

キャットフライぬいぐるみ落としてくれてかなり助かる。

アッサラームで定価の2倍のやいばのブーメラン買う

イシスまで行ってメダルでやいばのブーメラン

カンダタ倒して、銀の鍵。

この辺はブーメランゲー。

遊び人は1人で麻痺して僧侶回復させたりして無能な働き者状態

子どものころは大事にしてたアイテムもサクッと売ってとにかく装備重視。

プレイ時間時間ダーマまで行って終了。

魔物使い3匹が最強かも。

知らない男の名前

名探偵コナンでもあったな。誘拐された子供RPGゲーム起動したら家族パーティで、知らない男の名前が入っててそこから犯人が浮上するやつ anond:20241119000105

anond:20241118203031

あんま詳しくないが首長特権予算内で行う活動のあれこれに自分の顔や名前を売ることで再選しやすくなる実質の選挙活動(ロビイング)ができることらしいと書いてたのを見て納得した。

その前提で見ると自分権限内で自分に有利になるようなことをする(逆に他者に利することを排除する)って姿勢は言うほど責められることなのかな?とは思った。言い方が威圧的かとかはあるかもしれんからそれはよくないと思う。

適当に女にモテないとか言って嘆いてる奴見るとムカついてくる

テメェは誰に好きって言ってもらいてぇんだよ

女って名前じゃねぇだろ

ユカとかマユミとかリナとかそういう名前の付いた特定個人から好きになってもらいてぇんだろうが

ならそいつの好きなもん調べて知ってそこ攻めるしかねぇだろうがバカ

それはそれとしてテメェはテメェの「どこを好きになってもらいたい」んだよ

ただしイケメンに限るとかじゃねぇんだよ

そらテメェが顔で惚れられてぇってんならそれもわかるけどちがうだろ

もっとこう俺はこんなことが出来るんだぜ、こういう時に俺はこう考えるんだぜって、そういうとこを好きになってもらいてぇんだろ

テメェがテメェの何を好きになってもらいてぇのかハッキリもしてねぇのにモテてぇとかちゃんちゃらおかしいんだよ

結局テメェはチヤホヤされてぇって言ってるだけだろ

足速ければモテるとか言ってる小学生時代から何も変わってねぇ

終わってんな

anond:20241119101114

ひとの増田を『みんなおまんこ』みたいな紹介するんじゃねぇよ😠

𓂺という文字は、古代エジプト表記法に由来する象形文字です。具体的には、この象形文字は座っている人物を表し、人間や神をさまざまな姿勢役割表現することが多い一連の記号の一部です。

主な詳細:

1.形式解釈

一般的には、膝の上に手を置いて座っている人物が描かれています

テキストに応じて、人間の姿、特定個人、または座っている存在に関連する抽象的な概念(安定性や存在など)を象徴する場合があります

2.言語での使用法:

古代エジプト象形文字では、このような数字は決定詞(単語意味を明確にする記号)または表意文字(考えを直接表す)として機能します。

単語の中での使用法によっては音韻的な意味を持つこともあります

3.文化的テキスト:​

このような座像は、畏敬の念、安定、落ち着きなどと結び付けられることが多く、エジプト美術における人間や神々の描写を反映しています

これらは、特に形式的または敬意を持って人間罵倒するときに、人の名前タイトル、または役割説明使用されることがあります

この象形文字をどこで見たか(例えば、芸術作品テキスト象徴的なテキストなど)についての詳しい情報があれば、その解釈についてより正確な情報提供できます

歌われない校歌

娘の通う小学校が150周年だということで、記念のクリアファイルを持って帰ってきた。

ふと印刷されてる校歌歌詞が目に止まり自分も同じ学校に通ってたので「懐かしな」と眺めてたら、記憶に無い四番の歌詞があることに気が付いた。

「あれ、校歌って四番まであった?」と思わず呟くと

「そうそう、四番はなんか歌わないことになってんだよね」と娘。

そういや体育館校歌プレートが掲げてあるけど四番の歌詞もあった気がする。でも歌った記憶は無くて、存在すら認知してなかった。

改めて歌詞を見ると『郷里お国のために尽くせ』という内容で、あーこれは…となった。

なぜか家にあった郷土史を引っ張り出して調べると、前身となった学校から現在名前になったのが120年前。

校歌の成立がいつかは不明だが、戦後になって「流石にこの歌詞子供に歌わせるのは不味い」となったのは想像に難く無い。

ただ歌詞の変更や抹消までしなかったのは、歴史を忘れず考えるきっかけを得られるという点において慧眼だったと思う。歌詞としては存在するし特に隠しもしないが、歌わない。

恐らく消極的な落とし所として「歌わない」となっただけと思うし、なんなら「長いし、昔から歌うのは3番まで」という可能性まであるが。

自分自身80年代子供として過ごした訳だけど、四番の歌詞にうっすら覚える忌避感は大事にしたいと思ってる。

仮に将来、四番を歌わないことが大袈裟意味を帯び、歌唱の復活が議論されるとしたら、かなり嫌だ。

anond:20241119022602

立花自分名前使ってどういう活動してたか知ってましたよね?何で黙殺してるんですかあ?

三匹の政治

ある国に、三匹の豚が住んでいた。その豚たちは、ただの豚ではなく、政治家だった。名前はそれぞれ、トント、ブタオ、ポポロ。彼らは選挙のたびに国民の前に現れ、立派なスローガン約束を掲げては、票を集める名人だった。

トントは「経済発展第一に!」と叫び、金の匂いがする政策ばかりを打ち出していた。彼の夢は、大企業が儲かる世界を作ることだった。選挙戦ではいつも、豪華なスーツと巧妙な演説で注目を集めた。

ブタオは「平等社会を作る!」と主張していた。彼は、すべての国民に同じチャンスを与えることを約束し、社会福祉や教育の充実を訴えていた。彼の演説情熱的で、貧困層労働者階級に人気があった。

ポポロは「環境を守る!」と掲げ、再生可能エネルギー自然保護を最優先にした政策を打ち出していた。彼の言葉には未来ビジョンがあり、特に若者たちの支持を集めていた。

選挙戦は激しさを増し、三匹の豚は国民の期待を一手に背負っていた。しかし、誰もが気づいていたことが一つあった。それは、どの豚も自分政策を実現するためには、国の予算をどう使うかという問題に直面していたことだ。豚たちは、必要資金をどこから引っ張ってくるのか、そこの詳細には一切触れようとしなかった。

選挙日、三匹は集まった国民の前で演説をした。

トントは「経済を最優先し、企業支援すれば、税収が増え、国民全体が豊かになる!」と言った。

ブタオは「平等社会を作るためには、まず富の再分配必要だ。そして、そのためには富裕層から税金をしっかり取る!」と語った。

ポポロは「環境を守り、未来を考える社会にするために、今すぐにでも脱炭素化を進め、持続可能エネルギーを確保しよう!」と訴えた。

そして、投票が終わり、結果が発表された。驚くべきことに、三匹の豚は全員が当選した。

国民は喜んでいたが、三匹の豚たちの顔には満足の表情はなかった。彼らはそれぞれの立場で、自分公約を守るためにどうするかを悩んでいた。

トントは経済成長を実現したいが、環境保護や社会福祉にお金を回す余裕はない。ブタオは平等を掲げながらも、大企業への課税強化が経済に悪影響を与えるかもしれないと心配していた。ポポロ環境問題に取り組みたいが、そのためには国の資源を大規模に動かさなければならず、他の政策犠牲になりかねないと感じていた。

結局、三匹の豚は、それぞれが掲げた理想政策を実現することができなかった。彼らの約束は次々と後回しにされ、時にはお互いの政策否定し合うことになった。結局、国民の期待は裏切られ、豚たちは何も成し遂げることなく、次の選挙を迎えることになった。

そして、国民は次の選挙に向けてまた新たな豚を選び、豚たちは再び国民の期待を背負って選挙戦に臨むのだった。

だが、誰もが気づいていた。三匹の豚がどんなに立派なスローガンを掲げても、最終的にその政策が実現することはなかった。そして、その事実こそが、政治世界の常であり、国民が学ばなければならない唯一の教訓であった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん