はてなキーワード: 個別論とは
男女の不均衡ってやっぱ異性に対する欲求の強さから来てると思うんだよね。
個別論はともかく一般論としては、男性は女性と接する機会があると嬉しいのに、女性は男性に接するのは色々準備やタイミング整った状態であってほしい。
電車で隣になるのとか、店員さんが異性かとか、そのレベルからもう違う。
女性ももちろん男を求めてるけど、男性の求める強さや頻度とはやっぱ比べ物にならん。
男性があれほどに女性とお近づきになりたがるのを見ると、差別とか上下関係とかの前に、健啖家がラーメンや牛丼やとんかつをモリモリ食べてるのを見た時の「なんでそこまで食欲旺盛で胃腸が強くいられるんだ……」と圧倒されるような感心するような気持ちと近いものを感じる。
その話で40男と会話したおばちゃんてのは50代なのか?たぶんそのへんだとおもって話を進める。
(同世代以下をおばちゃん呼びしておいて女性におじちゃんあつかいされないとはまさか思ってないよね)
そのおばちゃんの言ったことはまあお金ありそうだしダメなとこなさそうだからあなたなら簡単につかまえられるわよ、みたいなお世辞こみのアレだと思う。
一方で実際、結婚相談所にも登録せずかといって趣味で捕まえようとかも何も行動せずに「結婚できない」という人が多い。
「大学にいけない。共通一次?なにそれやったことない」みたいな無知というか無邪気な話がほんとによくあるある。
(他力本願になれないほどのプライドらしいんだけど、そんなお金狙い結婚とかされるほどの高給とりなのかな?)
(本当に共通一次までしかお金がないとか身内で介護しなきゃって人もいてまあ一概に否定はできないが、
あなたには結婚相談所に登録することができない障害があるのだろうか?)
あとは個別論
・どうしてももったい無いと思うならその手のピクシブ系マンガとかでそれなりに勉強して(30歳漫画家が婚活しました系のタイトル読んで)
・あーあれだほら、星野源で有名になったドラマかその原作マンガも読んで
・「恋愛工学」だけはひっかかるなよ
自分に合う学部をちょっと予習して受けるだけ。大学受験と大差ないない
人によって話題にするポイントが違っていつつ、これまでの持論?をここぞとばかりに開陳する人が多くて、長引いている感じですね。
一般論としては一理あるんですが、日本マイクロソフト個別論としては、ちょまどはテクニカルエバンジェリストとしての責務を果たしているようなので、なんとも。
それから、一般論として技術力はGitHubだけから判断されるべきかという論点もあるでしょう。個別論としては、ちょまどのGitHubリポジトリにはそんなにすごいコードが置いてあるわけでもないようです。
派生して
エバンジェリストという言葉だけで虫唾が走る、さぶいぼ出るという人もいます。
オタサーの姫が話題になるときと同じで、下の2つのどちらかもしくは両方があります。
とにかく「性だ」と言いたい人も見かけました。
なお「女性エンジニアは〇〇であるべき」「そんなべきなどありません、女性かどうかで区別する時点でおかしい」などさらにジェンダーな方向に向かう話題も見ました。
彼女のこれまでの(主にtwitterでの?)ふるまいを嫌っている人たちというのもいるようです。元彼がどうとか。法務エディションも追加?
「ケーキとかサイン会とかおかしい」という意見の根っこにこれを置いてる人もいれば、ケーキやサイン会はコミュニティ内のヒエラルキーとは別でしょ?の人もいますね。
後者についてはMS系コミュニティの悪習っていうか悪臭として、MS公式発表すごい、MSの中の人すごい、MVP(MSに表彰されたコミュニティリーダー)の人すごい、みたいな雰囲気を感じ取り、そこを嫌う人もいるようです。
MVPの人がコミュニティでアクティブに活動しているのをDisるのはどうなのかなーと思いますが、でもコミュニティリーダーならむしろMVPではない人のトークを盛り立てていくべきなのかもしれませんね。例のスライド出した本人もどうやらMVPとのことで……。
という「個別論ではなく全体論」ということなので、身バレもないだろうしそのへんに絞ったレスをしてみたいと思います。
ああ、一個上のP付きっす。
その前に軽く触れると、自分は出版系のIP管理からアニメにもゲームにもアプリっぽいのの制作にもPで参加したことが有るという立場の増田です。なので、アニメにそこまで肩入れした擁護はないので、そのへんは差っ引いてくださいませ。
まず
という点なんだけど、それは概ね事実としてある。アニメは制作さえ決めれば空中爆発率は低いし、動く絵としてものは出来上がってくる。
それは「完成して出て来る」ってのを至上命題として業態/業務か出来上がってるからっていう部分がまず第一に大きいです。
だって予告して、放送枠取ってそこにV(=動画)が到着しなかったら放映できないでしょう? 良くも悪くも「タイトな締切に間に合わせてでっち上げる」ことが常態化しているし、そのためにいろんな仕組みが整備されている。深夜まで作業するのも常識になってたりもする……。ゲームやサービスみたいに「クオリティのために延期」というのが「ない」って言う前提で動いているんですね(総集編っていうのは、だからこそ本来例外だし、やばいわけっす)。
でもそれは前提であって「完成する理由」にはなっても「そこそこまともになる理由」ではないですよね。「そこそこまともになる理由」は、個人的には以下の2点があると考えています。
ゲームとかマンガとかWebサービスなんかに比べて、アニメは制作スケジュールとかチームの規模感みたいなものの前例が豊富で強いです。12話1クールを作る人数はこれくらい、必要な役職はこう、時間はこれくらいかかる、そのためのお金はこれくらい。
そういう規模感がはっきりしてる。
だって1シーズン数十本も作ってるんだから、そりゃ数字もつみ重なる。
プロジェクトハンドリングはたしかに属人性が高いけれど、こういう数字まで共有されていないわけではないです。むしろ、一般常識化しすぎてて話題にすらならないほど強固に存在します。そこから外れた作品が皆無というはなしじゃなくて、その規模感から外れるにしろ「規模感という地図を持っている」ことに大きな意味が有るって話です。
(特に工夫をしようと思わなければ)アニメ制作のバジェットは、穴埋め式のテンプレートみたいなもので、記入欄にスタジオ名とかスタッフ名を入れていけばチン!と出てくるようなものです。「スケジュール遅延による予算の倍増!?」みたいなトラブルは少ないです(劇場版では聞きます)。
製作工程自体も(何か変わったことをしようとしなければ)概ね予定通りに進みます。アニメ制作において制作の遅れは作画スタッフの不調とか、確保してたスタッフがうまく稼働できてないとかであって「技術的困難があって見込みが外れた」みたいな事例は少数です。そういう意味では製作期間も読みやすい部類に入ります。
アニメに比べれば、ゲームやWebサービスや新製品開発は、闇の中を手探りで地図もなしにうろついているようなものに見えます。逆にそちらからアニメを見れば、一度作ったもののテクスチャ張替えをして類似商品を量産しているようなものです。
この構造はクオリティコントロールの意味では強いです。要するに初期予算を部門ごとに配分して、それを話数で割って、出来ることはできるし、出来ないことは出来ないって話だからです。これがそのまま職人的な監督のこだわりに対する手綱にもなってます。だって、ここでそのお金つかっちゃうと、こっちが足りないですよね? 無理ですよね? と説得が出来るからですね。
個別の現場の話で言えば、それをやりくりとか、追加予算をひねり出すとかもPの仕事だけど、前提として上記みたいな構図が有るのはハンドリング面では楽ができる要素です。
という指摘に対する返答が今回の中心なんだけど、「まとも率」ってなんだろう? って言う問が答えのヒントです。
すごく大雑把な話をすると、アニメには(というかコンテンツ制作には)2種類の方向性があって、それは「外れるかもしれないけれどバットを思い切り振り回していこう、当たればホームランだぞ!(はずれれば三振だが)」というのと、「とりあえず進塁打めざしましょ、コケそうになっても最低限くさいバントして大コケはしないように(でもその打法でホームランは出ない)」の2種です。
どっちがいいというものじゃないですが、とにかくそういうふたつの考え方があります。全てのPは例外なく今手がけている作品をどちらにするか考えます。
もちろん現実にはもうちょっと細かいです。たとえば、ある作品は全体的には手堅くバント狙いなんだけど、音楽だけは超ゴリゴリのインディーズ起用でギャンブル、とかもあります。声優だけ豪華! とかも。無名だけど実力があって伸びそうなスタッフを中心部に据える冒険というのもあります。とにかくあらゆる判断において「大当たりを狙って強振」か「手堅く固める」の判断があります。
ここからが非常に夢のない話になるのですけれど、アニメは(とくに地上波の週刊アニメでは)どちらかというと「手堅く小ヒット狙い」なメディアなんです。だから「最低ラインでもまとも率が高い」という結果になっています。
なぜか?
理由は様々にあるんですが、本質的には生存戦略としてそれが(一応の全体認識としては)有利だからです。
あらゆる面で革新的で挑戦を行ってフルスィングをしていくと、三振討ち死に率が高い。ホームラン率3%で三振60%で残りがポテンヒットみたいな印象です。しかもこのフルスィングは、そもそも予算を大きく要求しておいてこういう結果になることが多い。
そこへいくと、小ヒット狙いのコンパクトスィングは、35%三振(=赤字)40%バント34%ヒットで、実はホームランも1%くらいは出るかなー? みたいな構造です。
もちろん、安全性と飛距離の両立ができる企画があればいいですが、それはとても難しいことがもうわかっているので、企画の全体も、細部もジャッジしてどちらかに振っていかなければならないです。
アニメの場合は、しかもその判断を製作委員会(もしくはそれに準ずる意思決定機関)で合意しなければならない。多人数での合意なので、どうしても「安全策」が採用されがちです。
(余談だけれど、監督業の一番尊敬できる部分は、そういう安全への堕落に対して『いいや、今回はこういうチャレンジをする。僕等にはその力があるはずだ!』という果敢なジャッジをして、それに向かって猛進してみんなを引っ張れる部分だと思います)
夢も希望もないけれどこの「集団判断による安全策への流れ」がアニメにおいて「どれもそれなりに見れる作品になる理由」です。
もちろんそういう安全策ばかりでは1作品の勝った負けたに終止してしまうために、どこかでは冒険もしなければならないです。また、円盤の売上という一面的な勝敗判断以外にも判断基準はあります。
それはたとえば、社内への技術蓄積(この作品を作ったので3Dエフェクトの技術が社内に蓄積された)とか、スタッフの成長の舞台としての作品とかいう視点です。ファンの人が思っているよりもアニメスタジオはずっとそういうお金以外のことを気にして運営されてます(お金を信用してないとも言える)。
まあ、冷めた話をすれば、巨大な予算と巨大な人数をかけた企画において、夢物語なホームラン狙いが抑制されるのは当たり前の話です。バブル期のゲーム業界とか、アメリカンドリーム次代のハリウッドが異常だっただけで、億超えの規模動かしてれば慎重な方が当然です。
ライトノベルとアニメの相性が良いのはそこで、ライトノベルは個人制作でそれはつまりかかった予算が非常に小さいジャンルです。予算が非常に小さいということそのものが直接関係するわけではなくて、そういう個人制作小規模ジャンルであれば、(ある意味非常に無謀な)挑戦ができるということだからです。
他にも色々触れるべき点は有るかもしれないけれど、暇なので書いてみた「アニメの制作フローにQCのヒントが有るのでは?」に対してのお返事でした。思いつくままに適当に書いたので誤字脱字とか、文章の乱れとかあったらごめんなさい。
差別というのは、物理的・精神的に何らかの危害を加える事をいうわけで
昨今話題のLGBTについては、そもそも戸籍における結婚は財産権の問題で
病院等の面会謝絶に、他人だから立ち会えないなどの個別の問題は確かに問題だから解消される方向に向かってる。
それ以外はなんだろう。個別の問題もあるからな。LGBTだから差別されているのか、本人の性格が悪くて差別されているのかは一概には言えないからな。
という大前提の上で物理的な危害が発生していないものについては言論の自由もあるし
物理的な危害が発生しているものについては、国家レベルでやっているわけじゃないから個別論だし
でなんだろう。
俺が個人的に思うに、この一連の流れで一番迷惑しているのはLGBTの人たち本人だろうなと思わなくもない。
ヘタに社会的な流れに成ってしまったせいで、一部の既得権団体じゃないけど、そういう厄介な人たちに目をつけられて腐敗の温床にならないか不安だよ。
2次創作はあくまでも、他人の権利物で稼いでいる状態だという話と
個別論は、アシに慣れたら同人販売は特権で30万まで許可とか50万まで許可とか
正式に許可が出るとかでもいいだろ。それこそ業界で話しあう話だ。
他人の権利物をグレーゾーンで稼いでいるうちに、いつのまにか 使って当然 なぜ使えなくするんだ!という文句を言い始める。
つまり権利意識が無くなるというモラルハザードを引き起こすのを何とかしなければならないという問題。
犯罪を助長するシステムを、まっとうにしようというはなしで、 今すぐ何とかという話じゃない。
http://www.j-cast.com/2014/05/27205857.html
この記事がホッテントリに入ってブコメでもちらほら怒りの声が上がっていますが、いくつか突っ込みどころのある記事でもあります。
タイトルでどんなカラクリがあるのかと煽っていますが、まあそうたいしたものでもありません。
・欠損金の繰越控除
あたりでしょうか。ざっくりみてみましょう。
法人税の課税は基本的に単体決算に対して行われます。トヨタが連結でいくら利益を出していても、日本市場が不調で単体赤字なら日本で法人税を納めることはありません。
また海外子会社が海外で利益を上げたら海外で納税するのは当然のことです。
記事ではここのところが誤解されています。(意図的かもしれませんが)
とはいえ、基本的に利益があって、配当している上場企業は法人税を払っているはずだ。トヨタの2009年3月期の税引き前当期利益は5604億円の赤字だったので、このとき法人税が払えないのはわかる。しかし、10年3月期のそれは2914億円の黒字。以降、5632億円、4328億円、13年3月期には1兆4036億円もの黒字を計上してきた。法人税を納められないほど「体力」がないわけではない。
連結上いくら体力があっても日本で利益が出ていないならば法人税はとれません。
端的に言うと、これは二重課税回避のための規定です。配当金の支払原資は企業の内部留保で、これは法人税課税後の利益の蓄積です。
これを配当金を受け取った側で課税すると課税後利益にさらに課税することになり、これを是正するためにあります。
個人の所得税の配当控除も同じ理由で規定されています。つまり大企業優遇でもなんでもありません。
赤字となった年度は法人税がかかりません。しかしその赤字を切り捨てて黒字になった年度に即課税すると、毎期平均して利益をあげている企業と、赤字と黒字を繰り返している企業とで税額に差が出てしまいます。
例えば平均的な利益を上げるA社と、浮き沈みの激しいB社があったとして、欠損金の繰越控除がなかったとすると、
A社の各年度決算が(利益:税額)=(100:30)、(100:30)、(100:30)、(100:30)、(100:30)=(500:150)であったとして、
B社の各年度決算が(利益:税額)=(200:60)、(-300:0)、(200:60)、(-100:0)、(500:150)=(500:270)という場合、
5年間のトータルの利益が同じでも浮き沈みのある企業は税額が多くなってしまいます。
これを是正するのが欠損金の繰越控除で、期限を決めて黒字で過去の赤字を補てんした分には法人税がかからなくするものです。
B社の場合でこれを行うと(利益:税額)=(200:60)、(-300:0)、(200:0)、(-100:0)、(500:90)=(500:150)
となりA社と同じ課税関係となります。これも大企業優遇とかそういうものではありません。
となっています。リーマンショック以降ガクッと利益が落ちていますが、赤字額は22年と23年の1241億円ほど。
それなら25年には回収し終わって法人税がかかるはずだろと思うかもしれませんがそうではありません。
トヨタは海外子会社で利益を上げているので受取配当金額が巨額です。
先ほども説明したように、受取配当金には課税しないため、実際の課税所得を推定するためには、これを税引前利益から除く必要があります。
ただ、受取配当金ならすべてが益金不算入ということでもないので、便宜的に受取配当金の8割を税引前利益から除いてみるとこのような金額になります。
赤字額が大幅に拡大しました。22年と23年だけでなく21年と24年も赤字で、累計額は1兆円を超えます。これでは25年に数千億円の利益を出したところで賄いきれません。
今年になってようやく繰越欠損金の処理が終わり、単体で納税できるようになったというのが実際のところと見受けられます。
一方で、じつは法人税にはさまざまな「控除」項目がある。たとえば、欠損金の繰越控除額(期間7年、大手企業の場合は80%)。ただ、2010年以降利益を上げているので、これだけでは「ゼロ継続」の説明はつかない。
その点、記事ではこのように述べられていますが、欠損金の繰越控除だけでほぼ説明がついてしまうのではないか、というのが私の所感です。
ちなみにですが、記事で述べられている研究開発費の税額控除もある、ということですが、この税額控除は法人税額の30%までという規定があるため、法人税を納めていなかった期間に関してはまったく関係ありません。
この話題から「日本の法人税が高いなんて大ウソ」とか「大企業ばかり優遇して中小企業が~」という議論に持っていくのは無理筋に思います。
税制上は中小企業は大企業より優遇されている点も多いですし、なんとなくのイメージで大企業や国を叩いても相手には届きようもありません。
虚構は虚構だから読者は虚構として判断するべきであるから、何を放送してもいいというのなら、放送倫理なんていらない。
内容がどうかとか個別論ではなく、『虚構だから何をやってもいいというのは筋違いの議論。』
それが表現である以上他人を傷つける可能性というものを考慮せずに、表現をすることは(ある一定範囲は仕方がないとしても)ただの表現の暴力
表現をすることは自由だが、その結果他人を傷つけた場合で、相手が国家・行政機関などでない場合、賠償責任は当然存在しえる。あとは裁判次第。
表現の自由とは、国家など 自分より強い行政機関などに表現の自由を奪われないという事であって、その辺の第3者を傷つける・もしくは人権侵害の表現を自由にしても賠償しなくていいという事ではない。
少し時間が経ってしまいましたが、個人的にはなかなか効率よく勉強できたのではないかと思うので、備忘録も兼ねて勉強方法について書いてみたいと思います。
簿記2級を理解していること。
公認会計士 短答式対策シリーズ ベーシック問題集 財務会計論 計算問題編
公認会計士 短答式対策シリーズ ベーシック問題集 財務会計論 理論問題編
公認会計士 短答式対策シリーズ ベーシック問題集 管理会計論
計16冊30660円也
TACのサイトで買うと割引されるので僕は全てTACで揃えましたが、
ネットスクールのとおるシリーズでもいいと思いますし、大原の短答式シリーズでもいいと思います。
基本的な流れとして、テキスト→問題集→過去問→過去問→過去問という流れはよくある簿記2級に○週間で受かる!みたいなのと同じです。
まずはテキストを読んで練習問題を解きます。1冊10hくらいで読みたいところですが、連結や意思決定のあたりは時間がかかるかもしれません。
連結や税効果はなんとなく難しい感じがしますが、個々の仕訳はそこまで難しくないので、意味と出所を理解できるといいと思います。
トレーニングの問題には重要度に応じて星が1~3つ付けられています。
時間があまりないので、星1つは無視して2つと3つの問題を解きます。
わからないところがあれば、都度テキストに戻りつつ、どうしてもわからなければ先に進みましょう。
後からわかることもあるし、最後まで理解できなければ計算テクニックとしてこういうもんだと覚えてしまってもいいと思います。
160hあれば2周くらいは解けると思います。
各回に商簿・会計・工簿・原計で大問が4つずつあるので、それぞれ1時間くらいで解きます。
たぶん全然できないので、解説を読んでテキストを読んで、わからないなりにどんどん進みます。各回8hくらいはかかると思います。
今度は本番通りに商簿・会計で1.5h、工簿・原計で1.5hで解きます。
合格点は取れなくても、前回は手も足も出なかったところが、今回は戦えたくらいでもいいと思います。
各回4hくらいで進めるといいと思います。
・一つ一つの仕訳をきらず、ダイレクトに答えの数字を出す練習になる。
などがあります。連結なんかはこっちの問題をやった後だと1級は基本的過ぎてつまらないくらいです。
3回目ともなると見覚えのある問題も多く、スピードはずいぶん上がっているのではないかと思います。
わかっている問題は考えずに一直線に解ける分、各回2~2.5hくらいで解きたいです。
ここにきてまだ「何でそういう処理になるか分からない」というところがあったとしたら、
「この数字とこの数字を使うと答えの数字が出る」という方法を見つけてそのまま覚えてしまいましょう。
ここまでで500hです。きちんと測っていたわけではありませんが、勉強期間と1日の勉強時間から逆算して丸めると大体こんなところだと思います。
500hというと、勉強期間としては学生なら3ヶ月~半年、社会人なら1年~1年半といったところでしょうか。
簿記の試験勉強は1にも2にも問題演習だと思いますが、問題集と過去問だけでなく、会計士の教材を使ってみるのもおすすめです。
原則賛成だ。個別論、自分の処世術として中小でも大手でも通用すると思う。
だが、一方で別の視点、多少マクロ視点で見ると、まったく別の景色が見える話でもある。この種の働き方をして、かつ、自分の給料と等しい程度に会社に利益をもたらせられる人間って、日本人の中にどれくらい居るのだろうか?
僕が勤めていた中小企業では、創業社長は間違いなくパワーがあった。人格的に優れていたとは言わないけれど、実務も営業もかなりパワフルだった。他にもエース級の人間が二人居た。小粒な方は若かった。この3人が会社の利益の相当な部分を稼ぎ出していて、さらに8人ほどは給料分そつなく働いていた。
残りの4人ほどは明らかに貢献度が低かった。自分たちの給料分の利益を会社に与えられていなかった。病弱を自称している人間2人も含まれていた。彼らはよく会社のために人生がある訳じゃないと飲み屋でうそぶいていた。増田の記事の実践者だった。
批判がほしいのか、一握りの共感がほしいのかわかりませんが、こんな文章を知らない誰かが読んでどう思うのか気になって書いて見ました。
いつからかボタンをかけちがっているような感覚がありました。些細な瞬間というよりは常にうっすらとありました。
自分の人生を生きているという確かな実感が薄く、実年齢とその年齢で想定していた精神状態との乖離をすごく感じていました。精神は安定せず、2~3ヶ月に何日かすごく塞ぎこむ日が続いたと思えば、一週間ほど“ハイ”な日がきたりしました。
夜明けまで街なかを散歩したかと思えば、毎日ランニングに精を出したこともあります。
2~3週間で興味や関心が移り、好きな時間に起きて、それをやり、好きな時間に寝ていました。
そんな生活をしていると一年という期間はあっという間に過ぎてしまいます。
この一年で得た些細なものと、この一年で失った大きなものとの、両方の大きさを実感できます。
ニートになるのはやめろ、言いたいのではなく、結局なるようになったのだと思います。
ボタンのかけちがったままいこうにも、すでにとめるものが無くなってしまったのですから。
躁鬱病と言えばそれまでですが、病院に行ったこともなく正式な診断は受けていません。
自分で病的だということの自覚はありますが、それが自他ともに認めるのを怖がっているのです。
ですが自分が病的であるという自覚、又は仮定をすれば、では正常な判断とはなんだろう、という疑問が湧きます。
もし1つ条件を置くことを許して頂ければ、誰しもこの疑問にすぐ答えることは難しいだろうと思います。
「常識、普通」と「正常な判断」というのは必ずしも一致しない。
これは僕の経験則なので、あまり参考にならないかも知れませんが、常識や普通で考えて、「良い」又は「ありえる」「良くない」と想定できる行為は、行為のすべての可能性の8割程度を構成していると思います。
後の2割に「とてつもなく悪い」と「とてつもなく良い」が、混在しており、それは常識では判断できず、往々にして常識ではどちらも「とてつもなく悪い」と判断されてしまいます。
デカルトは良識はすべての人に備わっているといいましたが、もし「とてつもなく良い」判断をする能力を須く人類が備えていれば、「とてつもなく良い」世界ができそうですが、僕にはそうなっているようには思えません。
つまり8割を判断できる一般論では、2割を構成する極論は判断できないのです。
そしてその極論は、一般論では、否応なく悪い方に判断されてしまいがちだ、と思うのです。
というのも「とてつもなく悪い」と「とてつもなく良い」というのは何か、紙の裏と表のようなもので切り離して語ることはで
きないので、そのように思うのです。
例えば「食事」で考えてみます。
「良い」食事というと常識で考えて、1日3食決まった時間にバランスよく肉だけでなく魚や野菜も食べれば「良い」食事であると判断できるのではないでしょうか。
逆に「悪い」食事というのは、常識で考えて、好きな時間に、ファーストフードや揚げ物など偏ったものばかり食べれば、それは「悪い」食事であると判断できるのではないでしょうか。
では例えばスティーブジョブスのような偏執的とも言えるようなベジタリアンはどうなのでしょう。
本で見た程度なので、正確かどうかはわかりませんが、彼は体の毒を除くための絶食を1週間程したり、肉は全く食べず限られたものしか食べないというようなかなり偏ったベジタリアンだったようです。
晩年、すい臓がんの闘病中に、医師から栄養価の高いものを勧められても頑なに自分の信念を曲げず、自分の決めたものしか食べなかったので、病気の進行を早めたといいます。
これは「とてつもなく悪い」食事なのでしょうか。
多分そうなのでしょう。
食事という面を切り取れば、「とてつもなく悪い」ということになると思います。ではもう少し多面的に、考えてみましょう。
この偏執とも言える食事のおかげで、彼の頑なな意志が生まれ、僅かではあるが、皆さんがご存知の偉大なイノベーションにつながったとすればいかがでしょうか。
これでは、言い過ぎと言われるかもしれないので、彼の頑なな意志では、一度決めたことは、たとえそれが「とてつもなく悪い」ことでも貫き通すことにこそ意味があった、というのはいかがでしょう。
彼のパーソナリティを鑑みれば、「とてつもなく悪い」食事と「とてつもなく良い」イノベーションとは切っても切れない関係なのです。
これも言い過ぎかも知れませんが、僕が言いたいのはこのようなことです。
極論なので論ずるに値しないと思う人もいるかもしれませんが、僕は極論の話をしたいのです。
極論というとあまり響きがよくないので、ここで言い換えましょう。
一般相対性理論、特殊相対性理論とあるように、一般の対義語は、特殊だと思いますが、特殊論というと、これも極論と響きが似てきます。
例えば「彼のようなクリエィティブな人間な人材を育成したい」と言うと、食習慣を真似するというのではなく、イノベーティブな製品を発明することを指すと思います。
ですが私は、それらは切り離せないウラとオモテのように思うのです。
常識的な判断で「よい」と思われる物事の一面だけを切り取って、それを一般化させて、一般論としても、個別論に適応できないように思われるのです。
僕達は個別論的に生きているので、一般論的に論じられても、意味を見出せないと思います。
これは私の個別論的な主観を、一般化して世代を論じているので、自己矛盾じゃないか、と言われると思いますが、全くその通りです。
そしてただの自己弁護です。
こんな文章を一体誰が読んでくれるのでしょう。ああ、そういえばタイトルがありました。
「やりたいことをやるってなんだろう」です。これです。
結局僕はやりたいことが一般論で見つからなかったからニートになったんだと思います。そしてこの文章も推敲もせず途中で投げ出していまいました。こんな人間がニートになるのです。
国土万能論かよwww
そもそも、フランスと日本の関税の問題でなんでアメリカが出てくるの?TPPじゃねーからアメリカ関係ないだろ。
EUと日本の個別の話しで関税なくしても、アメリカとの関税は残ったまんま。
そして、フランスの国土は日本の1.5倍でそこまで大差ねーよ。
そして、関税とってまもるのも、奨励金だしてまもるのも国家としては同じことだ。そもそも、EUで関税がなくなるということは、自動車会社の売上が上がるという事を意味していてその分国家としては税収が上がるという事を意味していて
その分、チーズに泣いてくれというのだから、税収増えた分をチーズに回そうというのは常識的だ。
ソースヨメ。というか前提を理解しろ。 関税といったらなんでもかんでもTPPとかヤメロ。バーターという考え方は理解してくれ。EUと日本の個別論の話でTPPの話じゃない。
次回からその種のうっかりや物忘れをしないようにさせたい→なんで?
まず、個別論として、上の状況はないだろ。
だってその上司は(事実として)「なんで」って言っちゃったんだから、「それ以外のフレーズ」がないんだよ。「なかったんだよ」とでもいうか。
その上司はより適切なフレーズを選ぶ能力がなかったんだから、たらればを語っても仕方ない。この話はもう終わってるし、終わりにするしかない。
次に一般論として、その話は議論の相当初期で終わってるっていう認識なんだが、そこは共通認識じゃないのか?
・「なんで」というフレーズは良くない。
・そもそも注意喚起をするレベル(初めてのうっかり、もしくは年に一回レベル)なら「注意しろよ」で終わって良い。
・多発するようならばメモやカレンダーなどの具体的方策を一緒に考える
・部下自身に改善策を提案させてそれをチェックするのも良い
――当たりがすでに共通認識であって、これもまた「終わってる話題」だとおもうんだが、そのへんはどうなんだろう?
いま続いている話題は、「何度うっかりしても部下に詰問するような環境はド許せぬ」っていうモンスター社員の大暴れに見えるんだけど。