虚構は虚構だから読者は虚構として判断するべきであるから、何を放送してもいいというのなら、放送倫理なんていらない。
内容がどうかとか個別論ではなく、『虚構だから何をやってもいいというのは筋違いの議論。』
それが表現である以上他人を傷つける可能性というものを考慮せずに、表現をすることは(ある一定範囲は仕方がないとしても)ただの表現の暴力
表現をすることは自由だが、その結果他人を傷つけた場合で、相手が国家・行政機関などでない場合、賠償責任は当然存在しえる。あとは裁判次第。
表現の自由とは、国家など 自分より強い行政機関などに表現の自由を奪われないという事であって、その辺の第3者を傷つける・もしくは人権侵害の表現を自由にしても賠償しなくていいという事ではない。