はてなキーワード: 人身事故とは
新卒入社した会社に8年ほど通っている。
横浜方面から都心へ、混雑ピークの時間は過ぎてはいるもののまだまだ余裕はない時間帯。
多少の窮屈さは感じつつもまぁこんなもんだろうと思って過ごしてきた。
去年のある日、親会社に吸収されるとの知らせがきた。オフィスはさらに東京の中心へ、しかも始業時間は早まるという・・・。
もろもろおわり新オフィスへの通勤が始まったがこれが地獄・・・。特に東京メトロの混雑はおかしい。
小さい車体にとんでもない数の人間がのりこむ。そのうえ全く詰めてくれない・・・。狭いゆえに詰めない人を押しのけて
その隙間に入ることもできない・・・。
そのほか、人身事故に悪態つく連中、女性専用車両のごたごた(痴漢が悪い)、酔客の横暴などなど昔から感じていたストレスがたまりにたまり
怒りMAXに達したため、会社の徒歩圏内に引っ越すことにした。(会社および仕事自体は好きであるし、そこそこホワイトであるため、転職は×)
徒歩20,30分なら全然OK、そんなスタンスで探してみると意外に条件にあう物件はある。
家賃は高い、当然高い。60%ほどあがった。 全体的なスペックはまあまあだが、広さは40%減である。
周辺の物価はそれほど変わらない。もともとすんでいる人がたちがおり、やすい商店もけっこうある。
意外と住みやすいことがわかった。とはいえ家賃のせいもあり、かなりカツカツである。
だいたい半年ほど徒歩通勤をしているが、端的に言って最高である。
道を歩くときに俺を圧迫してくるものはなにもない! 悪態罵詈雑言を吐く連中もいない!!
天気が悪いときはつらいのだが、電車に比べれば屁でもない。(ちなみに屁をこいてもよい!)
梅雨時や夏場がどうなるかはちょっと不安であるが、対策は今のうちから考えておきたい。
もし通勤電車の混雑にうんざりしていて、頑張れば引っ越し可能という人には激しくおすすめしたい。
あなたが電車に乗るのをやめればその分のスペースが空いて、混雑解消に一歩近づくぞ!!
悪名高き都内某DT線ユーザーなのでよく人身事故やその他の列車遅延で遅刻する。
べつに遅刻自体を咎められたことはないし、遅延証明出してるから給料にも影響ない。
乗ってる最中に遅延して「あーこれ間に合わねえな」ってときあるじゃん。当然車内で電話するわけにいかなくて降りるじゃん。
遅延してる通勤時間の電車なんてすし詰めで、やっと一人乗れるかというところ。
電話するために一回降りて、次に来た電車乗れなくて数本見送って、遅刻時間が延びる延びる。
メールとかメッセンジャーとかじゃだめなのかね。そしたら車内からも出せるのに。
見落とす可能性が〜とか言うけど、じゃああんたら取引先との連絡何でやってるのよ。メールでしょ。ポップアップで通知来るでしょ。
ほんとにわからん。
1ふんなら予測変換に出るけど1っぷんでは出ない。1p分て表示される。数日前に日本語は世界一難しい言語ってエントリーがあったけど案外そうなのかもしれない。あ〜あ、勝手に英語使えるようにならないかな〜。Redditとか4chとかすらすら読んで、駅で外国人に道教えてドヤ顔してぇ。そういえば外人の読み方、ガイジンってちょっと気になりません?あとRedditでたまたま見つけたんだけど、勉強がてらに読んで見て。
Aさん: I traveled to Japan last month. One morning I decided to read the local news. The top story said something like ‘Man falls under train and is saved by fellow passengers, train 3 minutes late’
Bさん:It’s almost as if the train being 3 minutes late is as surprising as the almost death.
Aさん:私は先月日本に行った。ある朝、私は地元のニュースを読むことに決めました。トップストーリーは、「人が列車に乗って仲間に救われ、3分遅れで列車に乗る」
私もBさんのようなズレをずっと持っていた。あなたは人身事故で電車が遅れたとき、誰かの事故や死傷を思い浮かべますか?私は一瞬、それが自殺だったと仮定して、お疲れ様。 と祈る。でもすぐに景色は見慣れた223系に戻り、誰かが死んだことを忘れる。そんな私は今夜誕生日。この増田を描いてる間に19歳になっちゃった。いま海外にいるので、時差的に少し未来にいます。今年こそは英語の勉強を始めたいと思います。でもやっぱさっきの英文を打って思ったけど、英語難しいね。
なるべくたくさんの人に見てほしいのでこのようなタイトルにしました。
助けて!知恵を貸してください。
わたくしは不登校児です。
まずは私の懺悔を聞いてください。イタくてクサい犯行記録をよんでください。
新学期が始まって2日経った。まだ一度も学校には行っていない。
行ってきます、と家をでて、電車に乗る。乗り換えの駅で降りる。ベンチに座る。電車から降りた人たちが群れをつくって階段へ向かうのを眺める。平日朝の駅には美しい秩序がある。目当ての群れに入りさえすれば、あとは無思考でも乗り換えのホームへ人が運んでくれる。ちょうど目当ての群れはベンチの前を濁流のように動いている。私はただ立ち上がればいい。しかし立ち上がらない。人びとをじっと見つめる。カナダグースが多いなあと思う。
やがて体が凍えてくる。始業時刻をとっくに過ぎてしまったことを知る。そこでやっと立ち上がることができて、私はよろよろと改札を抜け、すぐそばのスターバックスに入ることができる。
あとは授業が終わる時間までカフェを3軒くらいハシゴする。大きな図書館に行くこともある。それらの中で私は本を読んで、リブログして、あるいはじっと考える。なるべく現実とかけ離れていることを、虚空を見つめて考え続ける。
父親は単身赴任、母親も働いて日中は家にいない。帰ったほうが節約になるし、テレビ見れるしあったかいし寝れるし絶対そっちの方がいいけれど、大学を中退した四つ上の兄が一日中いるのでそうもいかない。
サボっても、家に連絡が来ることはない。電話線を抜いたから、きてるかどうかもわからない。
初めてサボったのは中学一年生の時である。その頃は今と家庭状況が違ったので、昼前には家に帰ることができたが、家に連絡が入ってバレてしまった。
中学二年生からは真面目に通っていたのだが、高校一年生の夏の終わりから、私のこの悪癖はまた顔を覗かせ始めた。
バレるたびに私の信用はゼロになる。
バレなくても、学校に行かないことで学校の友達や仲間に迷惑をかけまくる。「ばり休む子」という色眼鏡で見られる。
中1で失くしたものをせっかく取り戻したというのに(うちは中高でほとんど生徒のメンバーが変わらない。99%同じ160人)、また自分でそれをぶち壊してしまった。
困ったことに、サボるときはLINEのアプリを開くのが苦痛になるため、友達の心配するメッセージに返すこともできない。電話もでれない。みんな優しいので通知3,000とかいっちゃう。ごめんね。
未読無視したままでも、それでも久しぶりに学校に行くとみんなはすごく嬉しそうにしたり、ほっとした顔をしてくれる。笑ってイジってくれるし(また鎖国〜?と言われる)、一緒にLINEを返してくれる子もいる。
幸せだなーと思う。
自分はクソ人間だが、何故か私は縁に恵まれている。私の周りは良いやつばっかり。みんな善良で、ユーモアがあり、親切で、努力家で、芸術が好きで、頭がいい。
でも私はまた休んでしまう。その度に友達は手を差し伸べてくれる。私は甘んじてその手を握り、そしてまた強い力で振りほどいてしまう。
ほんとうに申し訳ない。
中1の頃も高1の頃も、学校をサボった朝、私は自殺しようとしていた。
朝起きて、自分の一番好きな服(母校がガチで好きなので制服のことです)に着替える。何事もないよう装う。さもいまから学校にいくんですよ、昨日の続きの人生を送りますよ、という風な態度をとる。ここでちょっとでも変なことをしたら、死ぬ自由を奪われてしまう。
自殺を決意したとき特有の見え方で輝いている母親の優しい眼差しなんかを目に焼き付けて、いつもよりも良い匂いの空気を吸い込む。
駅のホームで、さあ死ぬぞ、と靴を半分脱ぐ。そういえば、滞りなく通学していた時期に、人身事故で困ったことがあったなあ。線路に飛び込んで死んだら、損害賠償がヤバイってマジなのかな…。そんなことを考えていると、通過列車のアナウンスが流れる(死ぬならやっぱ通過じゃない?止まるやつより速いから確実そう)。
入ってくる電車がやけにゆっくりに感じて、運転手さんの顔をじっくりと見てしまって、見てしまうと、もうダメで、私はまた靴をはくのです。
それの繰り返し。
電車ではムリだとわかったので、今度は家で首を吊ることにする。初めてつくった縄はぐちゃぐちゃだったなあ。つくるのにすごく手間取ってしまった。今ではだいぶ上手くなった。私のロフトベッドの桟には、試行錯誤の縄の跡がついている。
しかし、首吊りというのも難しい。首に縄をかけるのは能動的なものなのである。よほど強固な意志があるか錯乱していないと、ブレーキがかかってしまう。好きな音楽をかけてなんとか自分を励ます。首に縄をかけたとき、本当に優しい気持ちが溢れてくる。人類すべてに対する、焦がれるような愛情がほとばしる。世界がはちゃめちゃに美しいと感じる。えいと椅子を蹴ったけど、結局縄はするすると解けてしまった。そして私は明日のために、明日の自殺の自由を奪われないために、急いで証拠隠滅をはかる。
他にも二つくらいの方法を試したけどダメだった。準備の最中にお母さんから「今日の、晩ごはんは肉じゃが(*^_^*)高いお肉を、買ったよ♪お出汁をとっておいてね!」などとLINEがはいると、(私にとって)自殺直前特有の激しい愛情もあいまってもうダメになっちゃう。
他の二つのことは(というか実は飛び込みと首吊りのこともなんですけどね)主題に全く関係ないので書きません。
しかし私は死ななくてはならない。前はただ自意識から逃げたくて死のうとしてたし、今もそうなのだけど、私はもうわかっちゃったのだ。
私に伸び代はない。
せっかく中学受験して、一生の誇りになるような学校に入ったのに残念だけど、私は17歳になっても怠惰が治らなかった。そもそも自殺が成功しないのも怠惰が原因ですよね。
はあ…。
すみません、時間がないのに、なんでこんなにたくさん書いてるんだろう、焦ってるから考えられないのだと思います。
どうしたらいいですか?
中1のときと高1のときは、ヒリヒリするほど自殺への欲求がありました。おかしな話ですけど、私は生きるために、自殺しないように、学校をサボって自分を休ませる方法を編み出しました。
そのときは、そうしないとマジで気が狂うと思ったし死ぬと思ったから、罪悪感とかは後々になってでてくるものだった。
でも、今はどうなのかわからない。
でも、あの頃ほどじゃない。
というかたぶんそれで間違いはない。宿題終わってないから、嫌やねんな。そう。
罪悪感がすごい。いつかバレるのではないかという恐怖もすごい。みんなそうだと思うけどうちの母親は怒ると人格が変わって、マジでなんでもする。風呂に沈めてくる。
兄貴は今は肩身がせまいから大人しくしているけれど、去年の4月まで私は生傷が絶えなかった。顔と耳に血豆ができた状態で学校に行って、ウケると思って「兄貴にやられた!」と言ったら、みんないいとこの子なのでガチマジのドン引きをされた。私の立場が悪くなったらすぐまたあの頃に戻ると思う。ホントに関係ない話だけど、「君の名は。」でみつはちゃんにはいった瀧くんが胸を揉むシーンが、マジで無理いろいろ思い出すから。アニキにされたこと、思い出したくないし文章にしたくないけど伝えたいので、↑で察してほしい。毎日だった。
とにかくサボってることをバレるのが怖い。
今日母親に「増田が新学期の始業式から学校に行ってて嬉しい!」と言われた。行ってない!!!ごめんお母さん。
もういっそ全部バレてほしい。もう嫌だなにもかも。
私はこれから「大丈夫ー?」という友達のLINEの通知をオフにして、電気を消して、明日の段取りを考える。いつも通りの顔で、いってきますと言わなくちゃいけない。
みなさん、私はどうしたらいいですか?今から何をすべき?明日はどうすべき?
知恵を貸してください。
読んだらわかると思うけど、かなり焦っているし取り乱しています。文頭と文末がしっかりしていないし、言葉も間違いまくってるとと思う。わかりにくいでしょう。
助けて。
はたちなので成人式に出席した.
・よかったこと
・着物でドレスアップしてる女の子を見るのが大好きなので,たくさん振袖の女の子を見れて最高だった
・振袖を着て会場まで移動してたらすれ違うおばさまに「きれいね」とか「おめでとう」とか声をかけてもらえた.自尊心が塵レベルなのでうれしい.
・一か月くらいダイエットとか自分磨き頑張ってきたから,再会した中学の同級生に「かわいい」って言ってもらえて報われた.
・悪かったこと(?)
・親などの付き添いなしでヘアメイク→着付け→移動をこなしたので,着てきた洋服などの荷物が邪魔で仕方なかった.駅のコインロッカーに入れることにはしていたが,想像以上に荷物が重くてずっと「さらっと荷物運んでくれるイケメンいねぇかな」とか考えてた.
・人身事故で帰りの電車のダイヤが乱れてて,成人式後の同窓会の前に一時帰宅しようと思ってたのにできなかった.まぁこれはどうしようもないこと.
「はれのひ」の直接の被害にあった子が周りにいなくて安心したけど,着付けをしてくれた業者さんは問い合わせとか取材の電話がかかってきてて大変そうだった.
飛び込むすき間が亡くなれば、人身事故は減る気もする。
行きつけの店で会話と食事を楽しんだのち、友人たちと別れひとり乗り込んだ横須賀線にて違和感が生じた。
毎週土曜の習慣であるアニメ鑑賞を終え、日で染まったオレンジを隙間から覗かせる轟々とした雲の下を歩き、私は最寄駅に着いた。これから友人たちに会いに行くのだ。
数ヶ月に一度、大学時代の友人と定期的に会っている。場所は友人が昨年見つけた居酒屋。彼らと集まるときは必ずそこだった。
駅に着いた私は改札前の人だかりの隙間に小さなホワイトボードがあることを認めた。
イヤホンを外すと、京急線にて振替輸送が行われていると駅員の案内が聞こえた。
現在時刻は16:56。ホワイトボードの復旧予定時刻が17:30に書き換えられるのを見届けた私は京急線のホームへ向かった。
私と同じように流れてきた人たちにもみくちゃにされながら、京急線は品川まで到着した。ここから横須賀線に乗り換え、30分ほどで目的地である。
しかし、発車した横須賀線はほどなくして止まった。アナウンスを聞くと、今度は人身事故の影響で遅延が発生しているらしい。東京駅から折り返し運転の電車もあるため、身動きが取れない状態となっているとのこと。
ついていないな、などと思いながら待つこと15分、ようやく動き始めた電車は新橋についた。
先の理由から、電車は新橋にも留まるであろうことは想像していたので、私は電車を降りて汐留口に向かった。
私はタクシーを引き留め、目的地を告げた。現在時刻は18:27。待ち合わせの時間はすでに過ぎていた。予期せぬ出費は痛手ではあったが、いつまで待つのかわからない状況で人ごみに押しつぶされているのは耐え難いものだった。
鉄の棺桶と化した電車内で、目的地まではタクシーで20分¥2,400程度と調べておいた。タクシーに乗り20分。イルミネーションで彩られた道のりはまだ続いていた。結局かかった時間は35分ほどで、つくづくついていないな、と思いながら調べた金額にさらに¥1,000ほどを支払った。
すでに出来上がっていた友人たちに合流し、他愛ない話で代えがたい時間を過ごした。
出そうだ。
そのときは耐えうる痛みに感じた。過去何十回と耐えてきた痛み。今回も大丈夫だろう。
念のためと思い新橋で降車し、ホームからエスカレーターを昇りきり、青と赤の人型を見つけた次の瞬間にそれは起きた。
そのときの私はいたって冷静であった。今は個室に入りさえすればいい。それだけだった。
長い廊下を歩き、たどり着いた。
個室は空いていた。人もいなかった。ズボンと下着を脱ぎ、中を検めた。
うんちを漏らしていた。
うんちを漏らしたのは初めてだった。
私は下着に留まるそれを流し、ケツを拭いた紙を流し、ズボンに付着したそれを拭きとった紙を流した。
私は冷静であった。
異臭を放つ下着も流したかったが、紙で何重にも何重にも巻き、懐にしまい込んだ。
私は冷静であった。
手を洗いトイレを出て丁寧に包装した小包をゴミ箱にぶち込んだ。
私は冷静であった。
私は京浜東北線に乗っていた。ダイヤは復旧していたが、いつも以上の人がいた。やはりトラブルの影響は免れないようだった。
私はこのときになって初めて、自分がうんちを漏らしたことに対し恐怖を感じた。
もし異臭が残っていたら。もし誰かが気づいてしまったら。もしもう一度うんちを漏らしてしまったら。
ズボンの染みはコートの丈が隠してくれているが、ふとした拍子に他人の肩が当たったり目が合ってしまったときにひどく狼狽した。
しかし、私がうんちを漏らしたことを知る人はこの電車内に誰もおらず、また、私がうんちを漏らしたことを知る由もないのだと思うと、愉快でもあった。
忘年会を心行くまで楽しんだ大学生たちも、休日のこの時間に帰宅する年配のサラリーマンも、これから夜の街に消えていくであろう男女も、誰も知らないのである。
私は誰もいない暗い部屋に帰宅した。暖房をつけっぱなしにしていたようだが、うんちを漏らした私を温かく迎えてくれるのはありがたかった。
シャワーを浴び入念に体を洗っていくが、どれだけ洗っても落ちなかった。
何度も水で流し、洗い、跡が残っていないことを確認しても、落ちなかった。
それは、汚れが"穢れ"となった瞬間だった。
私の体は、もはや私の体ではなくなってしまっていた。
線路のつなぎ目ではない、何か別のものを踏んだような、ガタガタとした揺れ。
揺れそのものは1秒くらいだったと思う。
電車が停車して1分後くらい。
顔をしかめる人。
黙々とスマホをいじる人。
気づかず眠り続ける人。
今、僕らの立っているこの下を
生きた人間が通り過ぎていったんだよ?
今、その人は、死んでるんだろう(もしかしたら、まだ生きてるかも知れない)。
人が今ここで死んだのに、
手を合わせる人もいない。
無慈悲だ。
この電車に乗っている人。
これが普通なの?
自ら死を選んだ(何らかの事故かも知れない)人に、冥福の祈りを捧げてもよいではないか?
死を悼もうよ?
負傷者の救助と車両点検のため、電車が遅れて申し訳ありませんでした、とアナウンスが繰り返されている。
もういいよ。
車掌は乗客に謝らなくていいから、誰かわからないけれど、今、死を選んだ人に祈りを捧げようと、言ってくれないか?
僕は、到着が遅れて嫌だなと考えた。
ほかの交通手段を考えた。
轢かれた人間に思いが及んだのは、ずいぶん後だった。
僕自身、車内にいる人、車掌さんに、祈りを捧げようとは、呼びかけなかった。
そして、僕はこの出来事を増田で、コンテンツとして、消費しようとしている。
頼むよ。
誰か。
悲しすぎるよ。
アメリカの大人気TVシリーズ「セックスアンドザシティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。
かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。
私は最近、中学時代からの友人Aをこれを理由に音信不通にした。
Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。
ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。
そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。
私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤしストレスをためながら、でもどうしていいかわからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。
初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。
穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミーと普通の関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。
Aとの付き合いは長い。中学・高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。
ある日、中学の同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。
専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女が東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。
大学卒業後、Aは地元で社会人になり、私は地元にはもどらず東京でフリーターをしながら資格の勉強をしていた。
Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界に就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。
私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから「東京で改めて学生をすることにした、初上京だから色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。
私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々で東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。
私の電車が人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。
彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。
でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。
諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。
夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。
私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。
この頃はAのこういう行動に対して「東京生活でストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。
これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自身大人になっていなかった。正直このときの違和感を信じていれば、と今でも思う。
私はAをよく遊ぶグループや趣味のグループ、習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。
Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。
18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女が孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。
春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキー、クリスマスパーティーに忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。
冬のある日、お台場のイベントに大人数で遊びにいくことになった。
駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。
周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。
このとき「もしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。
その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。
そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。
なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。
新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分は人間として未熟なんだと落ち込んだ。
その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。
私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデンの伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人と結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。
Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたかも自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。
私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。
この頃になるとAの髪型や服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。
私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。
しかし、最初に色々な自分のコミュニティにAを紹介したことからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。
どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。
Aの他者に対する暴言はますますひどくなり道端で「あんなデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。
私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。
この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達にコミュニティを乗っ取られる」と検索したことがあった。
ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分がモヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分が性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。
段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。
何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデンの工芸品も全部売り払った。
不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからのラインはパッタリと途切れた。
Aに真似されるというのが、大げさだが自分のアイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。
同じ趣味の教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。
Aはその後も私の友人達と遊んだ様子などをSNSにアップしていた。
最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。
なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。
28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。
春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。
久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。
しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。
マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女は大手アパレルの企画をしている人でいわゆるキャリアウーマンだ。
しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。
バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。
ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。
私は「子供っぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。
話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議な感覚だった。
大学でできた友達、大学の外でできた友達、フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。
それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリー、カバンをもっているAがいる違和感。
話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。
Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。
Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。
「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。
人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分の直感や違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。
子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分のテリトリーに必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。
そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。
決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女のコミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。
私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。
Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達を遮断する影のようだった。
私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。
今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。
決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。
Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏か旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。
私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。
Aとの関係は綺麗には切れない。
自分が所属しているコミュニティに彼女もまたしっかり根を下ろしているから共通の友人が多い。
でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。
友達の結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。
そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。
周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。
夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。
前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。
自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。
「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。
今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。
「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分がしんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。
時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。
男性の起こす年間人身事故は40万件、女性は19万件で、ほぼ2:1
ただペーパードライバーが居るのでマイカー保有率である男性は8割女性は6割を掛けると、マイカー持ってる男女比と人身事故起こす男女比はほぼ同じになる。
児童の列に突っ込む事故が報道されて、漠然と男性ドライバーだろうなと思ったらやはりそうだった。
何でそう思ったのだろう、そんなに男ばかりだったかと検索してみたらヒットする突っ込んだドライバー達は見事に男性ばかりだった。
犯罪者が男性に偏るのはわかるけど、事故で何でこんなに男性に偏るのか、事故の男女比ってそこまで偏ってたっけ?と調べてみた
スピードが遅く無謀運転は少なく出会い頭や追突されるのがメインならそういう事故は起こしにくいだろう
つーかこれだけ男性の事故率が女性より高いのに女は運転下手とネットで散々叩かれてるのマジ理不尽だな
以下コピペ
男性の免許保有者が約4,500万人で、女性の免許保有者も約3,600万人と非常に多く、増加傾向にあります。ですので、事故件数は増加しています。男女のドライバーによる年間の人身事故件数ですが、
男性:49万5,899件
女性:16万9,274件
男性:40万3,119件
女性:19万4,509件
死亡事故件数でも、男性は2012年が2,735件、女性が660件となっています。ただ、男性のほうが免許保有者が多いのも影響していると思います。
実際、女性の運転は男性に比べるとスピードが遅く無謀な運転が少ないため、大事故にはつながりにくいのです。男性のほうがスピードを出すため、死亡事故につながりやすいとわかっています。
――女性ドライバーに多い違反や事故はどんなものがあるのでしょうか?
四輪運転者の人身事故を法令違反別にまとめていますが、単純に件数が多いのは、安全不確認や脇見などの「安全運転義務違反」、交差点での安全確認を怠った「交差点安全進行義務違反」、そして「一時不停止」です。
「一時不停止」ですね。2012年中は男性が1万4,385件、女性が9,444件で、女性の割合は39.6%です。事故を類型別にした場合は、女性は「出合い頭の事故」が多く見られます。
――一時不停止をした結果、出合い頭の事故が多いということですね。
――先ほど女性ドライバーはあまりスピードを出さないということをおっしゃっていましたが、その影響もあるのでしょうか。
スピードだけでなく、たとえば交差点などで、男性と女性では曲がろうとするタイミングなどが微妙にちがったりするので、この微妙な差が事故につながってしまうケースもあると考えています。ですので、男性も女性も「前の車の動きをしっかり見る」「どういう動きをするのか予測する」といったことをしっかりするといいと思います。
「電車の人身事故が多発する日本やばい」なんて書く人も居るけどさ
自殺の名所って言われてる踏切で、そこには自殺防止に青いLEDも付いてたんだって
けれど遺留品は自転車と部活用のカバンで、当時は急な雨が降ってきたらしく見通しもかなり悪かったそう
現場検証の結果「自転車に乗って電車に突っ込んでいった」らしいんだけど
これって本当に自殺なんだろうか?
調べてみたらその踏切はめちゃくちゃ幅が狭くて、踏切が降りてから電車くるまでがやたら短いとの事
そして電車も結構なスピードで通過する地点らしくてさ・・・前から結構問題視されてたみたい
これって鉄道会社の人は何かおかしいと思わないもんなのかなぁ?