はてなキーワード: 人生とは
朝ドラウォッチャーだから気に入らなくても全話見る派なんだけど「虎に翼」は序盤でこの社会ひっくり返してやる!女同士で連帯して頑張るぞ!って感じの空気出しときながら主人公が真っ先に名誉男性化して男性様の妻の立場の恩恵を余すことなくいただいて、都合が悪いときは文句言う、ただし名誉男性特権は頑として手放さない。そして家族にその態度に苦言呈されると「家族に怒られちゃいましたww」仕草(まるで森喜朗…)できっちり名誉男性やるの様式美の領域にきててまぁまぁウケるんだよな。
結婚しないと信頼得られないからねwwこれが「賢い選択」wwで結婚するの、さすがにモデルの人生に合わせて結婚するとしてもこんなひでえやり方ある?!と思ったよ。
名誉男性的な主人公なんていくらでもいるけど、女性の権利や立場みたいなものを掲げて最初の評価が高かったから落差がきついんだよね。
モデルの人生なぞる必要がある(どこまでなぞる必要あんの?名前まで変えてんのに?)とはいえ、こんなクソバカ名誉男性に仕立て上げるとか脚本家もしかしてモデルの人のこと嫌いなんすかね?!って思っちゃうね。
目標があって、努力さえすればそれに届くと信じられていた頃は楽しかったなぁ
今は何もなくて、目先の娯楽と食事を楽しみにしながら惰性で暮らしている
教育虐待を受けてたから、自分と同じような境遇の子供を助けたいって気持ちもあったけど、教育虐待から救うってどういうことだろうと考え始めたら底なしの沼みたいで諦めた
「東京秘密基地チャンスじゃない?」と言ってきたのは夫の方である。
なんならこの記事を書いてほしいと言ったのも夫で、書くのは私。アップロードするのは夫に任せてある。
夫33歳、妻35歳子なし、結婚歴7年。離婚歴があり、セックスレスの経験もあるため、2度目の結婚では、セックスレスを恐れて週に1回は夫を抱くように意識している。
もう「抱かれる」というスタンスではいけないと思えるのは、2回目の結婚生活だからである。
今までの私は、彼氏が途切れたこともなかったし、20代はマンコの価値が高くて、セックスはいつでもできたし、風俗に行くなんて考えたこともなかった。
そんな矢先、夫が1週間出張でいないことが増えた。
夫はアングラなものが好きで、よく『東京秘密基地』についてTwitterで眺めたり、知人から話を聞いたりしていて、とても興味がある様子だった。
一方わたしは、3Pに興味があり、人生で一度はやってみたいことの一つである。
しかし夫は3Pは興味がなく、叶えるには『東京秘密基地』だろうなと思っていた。
なので、せっかく夫が言ってきたこの機会に、お試ししてみようと思ったわけ。
そして初めて女性用風俗を試してみて感じたのは、思いもよらず、自分の過去のトラウマからの解放であり、「あ、私自由になりたかったんだ」という気づきだった。
うだるような夏の暑さ。陽が傾き暑さが少し和らぐ時間帯に、暑い中待つのは疲れるので、商業施設の中で待ち合わせをした。
相手にはどんな服装で行くか事前に写真を送っておいたので、男性が気づいてくれて「あ、どうも」といった感じで合流した。
長身でスラリとした男性で、サングラスをした姿が、めちゃくちゃ友達に似ていて笑いそうになる。
東京秘密基地では、サイト上でおすすめのホテル情報がまとめてあり、その中から良さそうだなと思っていたホテルへ向かう。
ラブホテルなんて久しぶりだし、慣れていない中、ありがたいことにエスコートしてくれる。フロントのお姉さんに、部屋の中にお水が何本あるか確認もしていて、商業だ〜と感心してしまった。
部屋に入ると話ながら、照明を調整し、キャンドルに火を灯し、持参したアロマディフューザーでアロマを炊いてくれた。持参したBOSEのスピーカーからは、ヒーリングミュージックがかかり、その様子は、まるでプロのヘアメイクさんが、仕事場を整えているようだった。
あっという間に準備が進む中、お風呂にお湯がはられ、ふたりで歯磨きをしてた。なるほど、歯磨きするのか、などとドギマギしながら歯を磨いた。
「なんで女性用風俗で働こうと思ったんですか?」と聞いてみると「叶えたい夢があって、将来事業をやりたくて、そのためにまとまったお金をと思って始めたんだよね」と。
嘘でも「綺麗な応援したくなるようなストーリー」に、正直「この人マーケ上手いな」と思った。
だって、正直、政策金融公庫にお金借りて事業なんて始めたらいいわけで、会社をやるために風俗をするなんて綺麗な嘘だと思った。
だから「叶えたい夢があって、風俗をしている」というストーリーラインは、頼むお客さんからしたら、「夢を応援する一助として指名する」言い訳にもなるわけで。すごく上手だなと思ったわけだ。
私がシャワーを浴びて、次に男性がシャワーを浴びている間、ベッドの上でぼんやりと鏡越しにシャワーを浴びている様子を眺めていた。
こういう部屋のつくりはラブホテルならではで、よく考えられているなと、また感心した。
壁に反射したキャンドルの灯りが綺麗で、ガラスのキャンドルホルダーも、きっといいものなんだろうなという気がした。
カウンセリングとして、「性の悩みはある?どこが好き?」などと聞かれた。例えば中イキできないという悩みのある方は、中イキできるようになったりするらしい。
わたしは悩みはないが、女の子扱いされたいし、ロマンチックな感じがいいと答えた。
そしていざ「ファンタジーマッサージ」が始まった。「オイルマッサージと指圧どっちがいい?」と聞かれてオイルにした。
「ファンタジーマッサージ」とは、性感マッサージのことを、東京秘密基地がオブラートに包んだ言い方で、ワードセンスには脱帽である。
なんてことないマッサージから始まり、夫以外の人と触れるのは久しぶりで、初めて世界に触れた赤ちゃんになったような新鮮さがあった。
くちびるが柔らかすぎて「なんのリップ使ってるんですか?」と食い気味で聞いてしまった。
信じられないくらいテクニックがあり、全く潮を吹かない体質の私は何度も潮を吹いた。何度も何度もオーガズムを得て、女の快感には天井がないんだなと知った。触られただけでもイってしまう身体になってしまった。
「あ、私もう浮気しないな」
と思った。
野良の男と浮気するくらいなら、お金を払ってファンタジーマッサージを受けた方が満足度が高い。
無我夢中というか、必死というか、未来の不安も、過去の辛い経験も忘れさせてくれる。今ココにしか自分が存在しないような感覚こそ、私がセックスが好きな理由だったなと思い出した。
そして「今、私は自由だ」と全身の細胞が沸き立つように感じた。
ちょうどその頃「内的家族システム」に関する心理学の本を読んでいた。
人間の人格はいくつかのパーツに別れており、複数の人格を常に使い分けているという話。妻としての自分、会社員としての自分、誰しもがいろんな顔を使い分けて生活をしている。
そうした表に出るパーツとは別に、深層心理には、過去のトラウマを受けた時にそのトラウマを引き受けるためにできた人格(パーツ)があり、そのパーツは、トラウマを受けた年齢で時が止まっているそう。
私はいわゆる毒親育ちで、10代の頃は親とか経済的な貧困から抜け出したかった。自由になりたかった。
そのことをふと思い出したのだ。
私は人生をかけて自由になりたかった。そのために一生懸命仕事をして、自分のお金で今風俗に来ている。
トラウマを引き受けたパーツは10代のままで止まっており、自分が今35歳でもう10代でないことを、そして人生うまくやっていることをパーツに伝えることからトラウマの治癒は始まるそう。
20代の頃はお金を払って風俗に行くなんて思ってもみなかった。でも今こうして自分のお金で風俗に行けることに謎の自信を覚えた。
ハイブランドのものを買って、自分は大人になったんだと思うように、私は女性用風俗を通して、全身で自分は大人になったんだと思えた。
もうとっくに自由になっているはずなのに、深層心理は10代で止まっていて、自由になっていることを知らなかったことに気づけたし、過去の私の願う「自由になりたい」という思いにはケリがつけられたのだ。
ファンタジーマッサージをして、何をしてもイク身体になった私は、とにかく夫とセックスがしたくなった。「早くしようよ」とせがんで、夫はというと、何をしても気持ちがいい身体になった私をみて可愛いと思ったらしく、すぐ射精に至った。
正直、自分は良くても相手がヤキモチを妬いたりしたらどうしようと思っていたが、そんな心配は露知らず。
私は人生をかけて自由になりたかったことに気づいたこと、そして自由を叶えられたことに気づけたこと。悟りを開いたような発見の多さに、「大きくなって帰ってきたね」と感想をくれた。
私にとってはすごくいい経験だった女性用風俗だが、全ての人におすすめしたいと軽々しくはいえない。
「話を聞いて一晩考えたんだけど、私相手のこと好きになっちゃって、夫いるのにって罪悪感覚えて泣きそうw」
「今まで遊んでこなかったツケがきてるw」と女友達は笑っていた。
性というものはある程度、相手を消費する感覚がないといけない。ガチ恋になるリスクがあるなら、おすすめはできないが、ある程度相手を消費する感覚があるなら、ぜひファンタジーマッサージを体験してみてほしい。
「他の人試したいとかないの?」と夫に言われたが、私的にはいいと思ったら同じ人をリピートしたいと思った。
身体を預けるという意味では、医者ガチャと同じものを感じたのである。いい医者に出会ったら、かかりつけ医にするように、私は同じ人をリピートしたいと思う。
格ゲーという前提で話すけど、ワイそれなりにかなりうまいけど、格ゲーかなりうまいのって本当に心の底からアホな事で人生の浪費だよ
中にはまともな人もいるけど、大抵の格ゲー上手いプレイヤーはとてもじゃないけど仲間になりたい相手じゃないし
肝心のゲームって結局数年程度で環境煮詰まって調整したり別ゲーに以降しないといけない浅いゲームだから将棋や囲碁とは比較にならないし
格ゲーがうまいっていうのは、グーチョキパー以外に手札がいくつもある高速じゃんけんが強い
これ以外の何物でもない
今日はな、記憶っちゅうもんについて考えてみたんやけど、ほんま大した話やで、ほんまに。
まずな、エントロピーっちゅうのは、情報幾何学っちゅう視点で見ると、確率分布の集合における距離の概念と関連があるんやわ。
ほんで、確率分布間の距離を測るのに使われるんが、情報利得っちゅうやつやねん。
これ使うとやな、ある状態から別の状態への情報の「距離」っちゅうもんを測れるんやで。
ほんで、記憶の形成っちゅうのは、脳内の神経ネットワークでのトポロジカルな変化として捉えられるんや。
トポロジーではな、空間の連結性やら穴の数を考えることで、系の安定性を評価できるっちゅうわけや。
記憶が安定してる状態は、トポロジカルに「閉じた」状態としてモデル化できるんやで。
脳の構造はな、微分幾何学っちゅうのを使って、曲率や接続性を考えることで、情報の流れを表せるんやわ。
リーマン多様体の概念を使うとやな、脳内の情報の流れを曲面上の最短経路(測地線)として表現できるんやで。
これで、情報がどないに効率的に伝達されるかを理解できるっちゅう話や。
ほんで、脳が情報を処理する過程は、作用素代数っちゅうのを使えばええんちゃうかな。
ヒルベルト空間上の作用素を考えることで、情報の操作や変換がどないに行われるかを数学的に記述できるんや。
そんで、記憶の形成や情報の統合がどないに行われるかを理解できるって話やで。
要するにやな、記憶を作るっちゅうのは、エネルギーを効率的に使うて、エントロピーを下げて脳内の秩序を保つプロセスやっちゅうことや。
これを意識して、毎日楽しいことを覚えておくと、心の中のエントロピーが下がって、より豊かな人生が送れるんちゃうかな。
若さを失ったらヒステリックブルーになって切れ散らかすようになるので手に負えない
結婚したらヒスママになって発狂しだしてガキや旦那に当たり散らす
そしてトルネード投法
そのとき初めてガルダイーグルは10倍モーターに匹敵するスピードを獲得する
スピンしながら更に加速を続ける
風をつかむんだコウヤ
風をつかめ!
増田という映画を知っていますか?と言いたいところですが、このような映画はありませんね。
しかし、ちょっと別の映画に目を向けてみましょう。例えば「グラン・トリノ」という映画をご存知でしょうか?
クリント・イーストウッドが監督・主演を務めるこの作品は、韓国戦争の退役軍人で、妻に先立たれ、独り暮らしのウォルト・コワルスキーという老人が主人公です。
ウォルトは、口が悪く、偏見に満ちた性格で、隣人との関係もうまくいっていません。
しかし、彼が隣人のモン族の少年、タオ・ローと出会い、友情が生まれることで、彼の生き方は大きく変わります。
彼はタオに生きる意味や価値を見出し、最終的には自らの命をかけて彼を守る決意をします。
増田、ウォルトの人生も決して順風満帆ではありませんでした。彼も孤独と偏見に満ちた日々を過ごし、過去のさまざまな出来事に苦しんでいました。
しかし、人との出会いと交流が彼を変え、人間らしい感情や新しい生き方を取り戻すことができたのです。
人生は厳しいものですが、何か新しいことに挑戦し、他人と関わることで、自分自身を少しずつ変えていくことができるかもしれません。
無価値だと思っているその人生、もしかするとまだ見ぬ価値が隠れているのかもしれませんよ。
増田、どんなに孤独でも、どこかに手を差し伸べてくれる人や、あなたが手を差し伸べるべき人がいるのかもしれません。
同じ日々の繰り返しに見えても、新しい一日が必ず訪れます。そしてその一日はまた新たな可能性を秘めているのです。
どうか諦めず、少しずつでも前向きな一歩を踏み出してください。
非正規低所得者で、童貞の30代男性という真の弱者男性なもんで、タラレバが止められないし、仕事も雇止めになりそうだから金もないしでお盆開けたら死のうと思ってるんだけれどさ。
なんで一度も正規の仕事に就けなかったんだろうとか、なんで一度も友達や彼女がいなかったんだろうとか思うと悔しくて悔しくてたまらないわけさ。
いつもだと貧乏暇なしで生活に追われていて気づかないんだけれど、休みになりふと正気に戻ると、なんて実りのない無価値な人生なんだろうと思う。
俺は皆と同じように生活しているだけのに、何が他人と違ったんだろうとか、他人はそういうここぞというイベントがポップしてきていて、それをうまく察知してやれていたのだろうけど、
俺の人生にはそういうイベントがポップしなかったな、いや気づかなったなぁと、ただただ虚無だったなとふと思ってしまった。
顔も悪いし性格も悪い。
趣味もインターネットだし、子供のころからパソコンはやっていたが、プログラミングもできないままだったし、性格も人気なものを僻んで背を向けるという嫌な性格しているし、かといって何かを生産できるわけでもない。
こんな性質だから友達も彼女もいたことはないしちやほやされた経験もない。人間関係をやってきてないから仕事の面接もうまくいかないまま、正規の仕事にはつけないままだ。
こんなこと思っていても仕方ないというのはわかってるさ。ただ少しは、今よりはマシな生活送りたいさ。生きていることを楽しみたいよ。どうしたらいいんだよ。俺はもう苦しくてつらいよ。
増田という名の方にお伝えしたいのです。ご安心を、私は映画を通じて何度も生き延びる術を学んできた淀川長治です。
「キャスト・アウェイ」という映画を知っていますか?トム・ハンクスが主人公のチャック・ノーランドを演じ、彼は飛行機事故で無人島に漂流してしまいます。最初は絶望の中で生きる術を探しながらも、やがては自然の中での生活に適応し、サバイバルの知恵を身につけるという物語です。この映画が教えてくれるのは、どんなに絶望的な状況でも人は生き延びる力を持っているということです。あなたの経験と同じように、最初は辛く、もがきながらも、少しずつどう振る舞えば最悪な結果を回避できるかを学んでいくんですね。
増田さん、あなたもこれまで様々な経験をし、その度に学びと成長を遂げてきたことでしょう。人生は確かに困難な時期もありますが、その中でどう自分を守り、前に進むことができるかを知っているあなたなら、これからもきっと生き延びていけると思います。映画の世界でも人々は困難を乗り越えて成長していく姿が描かれているように、あなたにも素晴らしい未来が待っていると思います。
はぁ?何それ、クソ雑魚ナメクジすぎるんだけどぉ♡
友だちも増やそうと思えば増えるでしょ♡
意欲がないって言ってるけど、ほんとは何かやりたいことあるんじゃないのぉ?
まぁ、教えてあげるけど楽しいことでも探してみればぁ?♡
やす子といういじられ芸人が、芸人らしからぬぬるいツイートを繰り返しぬるい称賛を得ていたのだ。
やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす😄😄😄😄👏👏👏👏✨✨✨
これは毒にも薬にもならない文章として一見見えるが、その背後には命を削って仕事の現場で戦っている精神異常者の狂気を誘発する性質があることは、みな納得できるだろう。
言葉にして論理的に説明すると嫉妬だの妬みだの陳腐でチープな表現になってしまうのでここでは詳しく追わないが、事実フワはこのコメントに対して「死んでくださーい」とツイートをカマしてしまっている。
そこからわかるのは、少なくともフワにとってはこの投稿が有害であった、少なくとも攻撃を発露させるのに十分であったという事実がある。
やす子オリンピックの良し悪しは論じるつもりはなく、今回のテーマではありません。
おまえは偉くないので、死んでくださーい😅😅😅😅😅 予選敗退でーす👏👏
表題にある通り、私が一番注目したのは、死んでくださいと言う言葉でした。
フワは、この期に及んで自分の中の攻撃性すら認めることが出来ずに、暴力を装うことも出来ず冗談の風を装った文章を送りつけている。
フワ!
攻撃的な自分の言動を縛られて苦しくやっと勝ち取った維持しているポジションを、いじられキャラでクソオモロ無いぬるツイートを繰り返し、ぬるい称賛を集めてるやつが現れた。
殺したいに決まってるだろ。
何が「死んでくださーい」だ!
お前がするべきは、覚悟を決めて、このぬるい発言の撤回を勝ち取り、やす子を取り巻く環境とそれを許している社会に徹底抗戦するべきだっただろう!
お前がするべきは、覚悟を決めて「この発言は聞くに耐えないから、取り消せ」であり、
拒否されたうえでの「私の覚悟は決まっている、今からお前を殺す」
であるべきだった。
フワ。
おまえはやす子を侮りすぎていた。
フワ。お前ができることは全力で必死に戦うことだった。決して「死んでくださーい」などとちょけたフリをして、相手に生死の決断を委ねるような、責任回避的なツイートをするべきではなかった。
フワよ。
怒り猛れ!お前は猛獣だろうが!
フワよ!
趣味が続かない。
数か月前、はてブで小説に関するエントリを見て熱が湧き読書が趣味になった。ハマった時は盲目的でそれしか無いような熱中っぷりで読み進めた。ところが、その熱も三日坊主で2ヶ月には冷めた。読み切ったとか関係なくふとした拍子で燃料が途切れる。
読書に代わりゲームにハマった。これもまた同じ様に熱を帯び、そして冷めた。そんな繰り返しでまたエントリ等でその対象へと移ろう。
元々飽きっぽい性格である事は自負していたけれど、どうも続ける意味や必然性を求めてしまい、一旦「これを続けても何もならないのでは?」と思ってしまうと繋がれていた興味関心という回路が切れてしまう。
自己分析をするとコミュニケーションに繋がってないと思ってしまう事が要因だった。つまりその行為が他者との繋がりに活かされていないと感じてしまうとその熱が冷める。
改めて振り返ってみると思い当たる節がある。昔は自分はゲームが好きな方だと思っていた。でも、それはあくまでコミュニケーションの手段、みんながやっていたから自分もやっていただけで実はそこまで好きじゃないかもと思った時期があった。今もやる時はやるけど声を大にして、趣味だと言えるほどはやらない。
86歳になりさっさとくたばればいいと思っている養老孟司の死にたくないという思いが、その目的を遂げる。
結論は、ブクブクに太った町子の人生の一時期における、気球でどこまでも飛んでいけると思っていたときに墜落して重傷を負って死んだという概要の夢であるが
共学高校→工学系大学→自動車業界と歩を進めてきた私にとっては、高校の部活の同窓会というのは男女比がほぼ5:5になる唯一のコミュニティだ。
大学に入って以来女子のほうが多い飲み会に参加した記憶などなく、仕事帰りに男女で居酒屋に入っている集団を見ると例外なく殺意を覚えたものだが今回ばかりは私がその男女の集団なのである。
そんな飲み会に参加できるのであれば、妻との交渉にて使ったHäagen-Dazsなど安いもの。
ただ一言だけ断っておきたいのは、私は決して浮気不倫等の社会倫理に悖るコトをしたいのではなく、ただ単純に旧友に会って話がしたいということのみであり、ついでに女子が多く場が華やかであれば尚良しというただそれだけのことである。
さて高校3年間、16~18才の所謂"青春時代"をともに過ごしたメンバーであるから、破局したカップルがいたり、叶わぬ片思いの相手がいたりと愛憎渦巻く飲み会であった。
元カップルが、現在全く別の相手と結婚していたりいまだ独身だったりするのであるから、それは破局したと言って差し支えないだろう。
全員アラサーであり、良くも悪くも大人なので昔の恥ずかしくも甘酸っぱい思い出を語るようなことはせず、もっぱら話題は結婚、出産、子育て、マイホーム、転職、近況が主な話であり、それぞれ自分の人生を歩んでいると思った。
マイホームとその予算。子育てと仕事との折り合い。転職と投資。今の日本を覆う諸問題は、眼の前の旧友たちにも例外なく振りかかっているようだ。
そんな中、私の元片思い相手は絶賛彼氏募集中という話を聞いた。
一番結婚から縁遠そうな私が結婚したので、妻との馴れ初めや結婚式の話をしていると、そのようなコトを言っていたのだ。
どうやらマッチングアプリを使ってはいるものの、なかなかいい人と巡り合っていないという近況とのこと。
それを聞いたときの私の心情というのが今回の文章の主題である。
温めの燗酒と炙ったイカをお供に私の舟唄を聞いてほしい。
その件の相手というのは高校の同級生で、入学したとき私の前の席だったのを覚えている。
どちらかと言うと明るいが奇妙奇天烈な性格で、典型的なオタク女という分類になるのであろう。
意識したきっかけは何だったか、はっきりとは覚えていないが確か魔法少女まどか☆マギカの映画化に際して、今度よかったら一緒に観に行かない?と(おそらく向こうにとっては)なんの気無しに言ったお誘いだった記憶。
女子からなにかに誘われるということはそれまでの人生で1度となく、胸が高まったというのだけは覚えている。
地元のイオンモールに2人で買い物に行ったことがある。私の人生初デートである。その時の目的もはっきりとは覚えていないが、確か何かしらのアニメグッズを買いに行くのが目的だったはずだ。
そこから約1年。同じ部活のメンバーとして練習をしたり、みんなでカラオケに行ったりという何気ない日常が続いていた。
その頃にはもう好きになっていたのであろう。
まどか☆マギカを観に行かないかという誘いは、そして果たされることになる。
201X年の12月24日。県庁所在地にある映画館にて映画を見に行った。
当時アマガミという恋愛シミュレーションゲームにハマっていた私は、クリスマスデートというのは絶対に抑えておきたい高校生活のメインイベントだった。
彼女にその気があったかは私は知らないし、知ることはないだろうがそれでも私にとってはデートだった。
親に出かけるといい、精一杯のおしゃれをして、なんとなく親には察され、待ち合わせ場所に向かった。
地元の駅で待ち合わせ、映画館に向かう間は私は緊張してあまり喋れなかったように思う。
映画を観終わって帰路をたどっている最中、私はどうやって告白するか、それだけを考えていた。
もう少し正確な表現を心がけるなら、おそらくその日は1日中告白することだけを考えていたのだろう。
恋愛シミュレーションに毒された高校生が、12月24日に映画館デートをしているのである。
意中の相手とクリスマス・イブに2人で出かければ、意識をするなという方が酷な話であろう。ましてや17才の青春真っ盛りの高校生であれば、恋愛脳であっても誰からも咎められはすまい。
だが私は結局言い出せなかった。
告白なんかできる雰囲気ではなかった。言えるタイミングがなかった。言い訳を挙げればキリがないが、要するに怖気づいて言えなかったのだった。
部活はまだ続いていく。告白して失敗し、気まずくなるよりはリスクを冒さずに現状維持することを選んでしまったのだ。
この選択は正しかったと15年たった今でも自分に言い訳を続けている。
年が明け、年度が変わり高校3年生になった。私は理系、彼女は文系なので違うクラスに。それは部活を引退すれば疎遠になるということだった。
インターハイが終わり、私の高校での部活は終わった。これからは大学受験に向けて各々勉強する時期である。
とはいえ、高校生活はまだ続いていくからイベントはある。文化祭や体育祭、球技大会などクラス単位で楽しむイベントはまだ残っている。
当然私も自分のクラスで、文化祭や体育祭など全力で取り組んだ。文化祭の出し物の打ち合わせで22時過ぎまでファミレスでクラスメイトと話し合いをして、追い出されたのはいい思い出である。
彼女と同じクラスで出し物ができる、文系クラスの友人を羨ましく思った。
私は英語が大の苦手で、このままでは英語が足を引っ張り不合格になるであろうことが予想されていた。
両親の方針で、地方でひとり暮らしをしてでも浪人は絶対にNGとのことだったので二次試験に英語のない地方の大学に目標を変えざるを得なかった。
詳しくは知らない(し、未だに彼女がどこの大学に行ったのかはよくわかっていない)が彼女は実家から通える都内の大学を受験すると聞いた。
2人の距離が、どんどん開いていくような気がした。
3月になり、私は地方の大学でひとり暮らし。彼女は都内の大学に通うことが決まった。4月になれば離れ離れである。
卒業式が終わり、付き合っているわけではないが彼女との別れが近づいてきた。
私は彼女が秋葉原のメイド喫茶と池袋のアニメイト本店に行きたいと言っていたのを覚えていたので、彼女をデートに誘ったのだ。
私は当日が楽しみだった。普段は見ない朝のテレビ占いなんかもみて自分の運勢を確認したくらいである。
そしてクリスマスの日にできなかったことを今日こそはとも思った。
何しろもう後が無いのである。月末には私は地方に行かねばならない。
都内でのデートは非常に楽しかった。私の青春の集大成と言ってもいい。
行く先々でカップルと見られるのは心地が良かったし、この時間が永遠に続いてほしいとも願った。
どうしても遠距離になってしまうし、現実的には厳しかったのも理解していた。
ただこれからが絶望的な以上、クリスマスのときのように比べる天秤がない以上、一兆分の一の可能性を信じたかった。
地方に引っ越しをした時が私の人生で一番寂しかった時期だろう。
知らない街、知り合いは誰もいない中で、選別に貰ったキーホルダーが失恋を常に思い出させた。
失恋から6年後、キーホルダーが壊れてくれたお陰で、私は青春と漸く決別できたのである。
同窓会で再開して、彼氏募集中のようであったとしても、私にはもう人生をともにする伴侶がいる。
今の妻と別れてもう一度青春を取り戻すべきであろうか?
それが不可能であり、すべきでないことは論じるまでもないであろう。
綺麗な思い出は綺麗なまま保管せざるを得ないのである。
せめても彼女に、佳き人が現れることを願う。