はてなキーワード: 二束三文とは
最近、ずっと前から欲しかった可愛いぬいぐるみを買った。ので、洋裁を始めようと思った。
裁縫は高校生以来だが、誰よりも針の進みが遅かったのと、ミシンの扱い方を何回やっても覚えられずダメだったことから、教室に頼ろうとネット検索した。
だがしかし、私が想像するより遥かに高く、そしてどこも満席だった。
勿論、私も違う分野のクリエイターの端くれなので、技術を売ることを下に見ているわけでもなければ高くて当然であることは理解している。それに満席と言うことは腕や教え方も上手いのだろうし、プロフィールを見ても"服飾学校卒業"や"ファッション業界で○年経験し"という文字が並んでいた。そんな人たちに直接教えてもらうと考えれば、逆に安くも感じる。
ただ現実問題、私の大学初任給以下の薄給ではどうしても定期的に払えるわけもなく、泣く泣く諦めて本を買うことにした。
本を読んでみた、が、やはり分からない。服は何着も持っているはずなのに、何故わからないのだろう。そういえば、私は昔から立体物の理解や展開図が苦手だった。
そもそも服の単価は非常に安いと聞くが、こんなに複雑な工程を経て作られた服が二束三文で叩き売られることに衝撃を受けた。生地がペラいのだから安いのはわかるけど、高いブランドだろうと安いブランドだろうと、私より遥かに服飾について専門的な知識のある誰かがミシンをダーーっと動かして作ったのは間違いないのに。
私の祖母は副業で洋裁の仕事をしていたらしく、幼い頃はワンピースや甚平をよく送ってくれた。偶に会うと採寸を取り直したりしてくれて、そして少し経つと今度は新しい服が贈られてくる。
私は中でも、水色のクシャクシャとした生地のワンピースがお気に入りだった。ゴムが入っていてとても着やすく、しかも袖が丸かったのだが、私が「こういう袖が良い!」と祖母に話したからだった。私にとっては今も思い出せるくらい特別な一枚だった。
ある日母に何気なく服の所在を尋ねたところ「とっくの昔に捨てた」と言う。驚き何故かと尋ねたら、理由は"小学生になった(私)が周りの子が既製品の服ばかりで急に自分の服が恥ずかしくなり、母に頼んで祖母にもう作らないで欲しいと言ってくれ、既製品の服を買ってくれと頼んだから、いらなくなったから捨てた"んだそうだ。
幼い頃とはいえ、なんて事を言ってしまったんだ…と非常に後悔した。これを聞いた祖母は何を思ったのだろう。そして実母の作った服を捨てる母は何なんだ…。
けれども、もう過去のことは過ぎてしまったので仕方がないし、祖母ももう居ないので謝るに謝れない。だから考えても無駄だ、とついこの間までは思っていた。
洋裁は本当にめっっちゃ難しい……。
ぬいぐるみの服を作るために縫い物の勉強を始めたけど、一生覚えられる気がしない。針が手に当たって痛い。というか、ミシンが高い上に置く場所がなくて買えない。布もパーツも拘るほど材料費が嵩んでいく。趣味のつもりが修行みたいになってる。
改めて考えてみれば、祖母は誰からも教わらず独学で洋裁を始め、それがいつしか人に売れるまで極めた人だ。しかも本業の合間に作った洋服を。そんな祖母に作ってもらった服を私は無知とはいえ蔑ろにし、あまつさえ『ありがとう』も言えなかったのか。
何とも言えない気持ちが腹の中でぐるぐるして、なんて言ったら良いか分からないけど、とにかく悔しかった。後もう少し長く生きていてくれたら、洋服作ってくれてありがとうって言えたのかな。水色のワンピース大好きだったんだよとか、型紙の見方がわからないから教えてとか、どうして洋服を作るようになったのとか、まだまだ言いたいことあったのにな。
個人的に思うのは、私が大人になるのが遅すぎた。祖母が亡くなる最後の方に何故か謎の思春期が爆発して、あまり会わなかった。でも会ってたら今より少しはまだ言いたいこと言えてたような気はする。
あと最近は晩婚化傾向にあるらしいけど、やっぱり祖父母が早くに亡くなると寂しい。友達とかから最近の祖父母のエピソードを聞くと笑って相槌を打つけど、心の中では良いなーって思ってる。まあ交流を早々に断ちたいクソ野郎だったら良いのかも知れないけどね。
とりあえず、洋裁の方はまだまだ始めたばかりなので頑張ります。さすがに祖母のように売れるまではいかないとは思うけど、でも今年中に一つは完成させたい。
気に入りの漫画の続編がアニメ化されるということで、昨日は久しぶりにTwitterを開いた。
予想通り遊郭が話題に登っていたが、そこで私が見たのは恐るべき光景だった。
「フェミが⚪︎⚪︎の刃を燃やしているらしい」
………こんな呟きが8割。おいおい、肝心のフェミはいくら探しても出てこない。
「燃やしたがるフェミがいるかと期待して検索したが、燃やされるぞと囃し立てるオタクしかいなかった」
「キ⚪︎ツに噛み付いてるフェミってどこにいるんだ?」
…こんな呟きが1割。そうそう、私もそう感じた。
…こんな歴史オタク(?)達による呟きが最後の1割。ほうほう、…「遊郭に噛み付くフェミ」って彼らのことか?いや違うな。噛み付いてるのって誰だよ。
恐らくは、「遊郭に噛み付くフェミ」なんていないのだ。昔の非モテ男性が遊女や花魁に勝手に理想を投影するのと同様に、現在の非モテオタクは屏風に「フェミ」を投影するんだなぁ。
それに、あの漫画を読むと遊郭は、「鬼を生むほど酷い場所」としか読み取れないので、原作未読勢はとにかく黙っていてくれ。「原作を読んだけど遊郭は良いところじゃん?」………センター国語、いや中学国語からやり直してくれ!
以下は漫画とは一切関係のない蛇足だ。匿名なら、徒然なるままに書き殴ったっていいだろう。このコロナ禍で私たちは働き詰めだ。とても疲れた。好きに書き殴らせてくれ。
私の中での遊郭は、今の感覚でいう「風俗(上はトップ女優級の美女から下は売れない不細工や病人まで、予算に合わせて全部取り揃えております)」だという認識だった。
千年に一度の美少女にヤバい借金背負わせて、バリキャリレベルの教養付けさせて、国のお偉いさん向けに春を売るよう仕立てたのが花魁。でもほとんどの女の子は借金漬けの上、二束三文で春を売らされてる。美女も不細工も孕んだり病気になったら………
彼女ら全員、人身売買か拉致でやってきた遊女という商品(モノ)。時代が進むにつれ今の日本の性産業と同様、価格が暴落して待遇は悪化。
私は大学時代に歴史を専攻したわけではないので、専門家がこれを読んでいらっしゃるなら、ぜひとも詳細な解説を聞きたいところだ。
あぁ、そうだ。もしも「その道」の専門家が見ていらっしゃるなら、もう一つ聞きたいことがあったのだ。我が国のTwitterでは、「フェミニズムの在り方の議論」ではなく、「フェミニズム自体に反対」する人が多いのはなぜでしょうか。
そしてフェミニズム自体に反対する方々はまずTwitterで喚くより先に、「女性には人権は保障されない」、という改憲運動をやるべきである。そうすれば性犯罪はやり放題、女性を奴隷のように働かせ、好きなだけ子を産ませて、どんな漫画アニメも大手を振って読めますよ。もう、あなたが「フェミ」に噛み付かれることもありませんね。
なぜネットユーザーは絶対正義であるかのように転売を叩けるのか?
少しでも考えれば転売を叩ける理屈などどこにもないと分かるはずだ。
このまま順当にいけば日本の格差社会はますます加速していくに違いない。
国民年金は年間80万円だが、厚生年金は一般的に国民年金の2倍以上の金額を受け取ることができる。
なお年間80万円という値は現時点のもので将来はもっと少なくなるだろうと予想されている。
年間80万円という金額でどのようにして生活していけばいいのか?
素直に考えれば年間80万円という金額で生活していくことは難しいだろう。
ではお年寄りは老後どのようにして生活費を稼いでいけばいいのか?
当たり前だが老後の体力の衰えによって体力を必要とする仕事は難しいだろう。
そうでなくとも雇用側の年齢制限によって採用される仕事の幅は狭められている。
「仕事の選り好み」以前の段階で雇用側の都合によって生活費を稼ぐことは難しいのだ。
膝の軟骨がすり減って、ちょっと動くだけでも激痛が走る。しかも膝の軟骨は修復しない。
ネットユーザーがいくらキーボードをカチャカチャしても、お年寄りの膝の軟骨は修復しない。
気持ちよくテンバイヤーを叩いているネット論客に膝の軟骨のすり減ったお年寄りを救うことはできない。
iPS細胞による再生医療が実用化でもされない限りお年寄りの膝の軟骨は修復しないだろう。
その点で転売は体力の都合や面接の必要のないという点でお年寄りが生活費を得るのには最適だと言える。
一日中ネットに張り付いているようなネットユーザーならテンバイヤーがホームレスを動員していることは当然ご存知だろう。
ネットユーザーはきっとそれを「ホームレスのような社会的弱者の足元を見る、悪のテンバイヤー」とでも思っているのだろう?
はたしてそうだろうか?たとえつまらない仕事でもホームレスにとっては貴重な収入源に違いない。
君らの職場にホームレスが「働かせてくれ」と頼み込んでも君らは「自己責任」と魔除けの呪文を唱えながら無碍に断るのだろう?
ネットユーザーは「年金で生活できないのなら、生活保護を受給すればいいじゃないか」などと安易に発想するかもしれない。
生活保護バッシングや水際作戦の厳しい現状では生活保護を受給できずに餓死するパターンもあるのだという。
生活保護を受給するにはノーガードであることが求められ持ち家を手放すだけでなく保険をも解約することが求められる。
生活保護と転売についてだが生活保護を受給する際には贅沢品は手放さざるを得ない。
転売可能なグッズはケースワーカーによってことごとく強制的に二束三文で転売されるのだ。
いくら口では転売を憎んでいると言っても社会的なパワーによって有無を言わさず転売することを強いられる。
転売を叩いているものは、恐らくは富裕層で将来は十分過ぎるほどの年金を貰えるに違いない。
まさか、将来年金が年間80万円しか貰えないフリーターが転売を叩いているなどということはあり得ないだろう。
富裕層は自分自身の安定した生活を確保した上で「最後は大好きなグッズに囲まれて大往生したいなぁ」などと企てているのだ。
転売によって大好きなグッズが手に入らないくなるから転売は悪なのだ。
いや、あるいはすべてを見通した上で「下々の者達の生活など知ったことか!」とまで考えているのかもしれない。
だが現実には純粋に悪意なく「転売は悪いことだから悪いんだ」などとトートロジーを浮かべて悦に入っているのだ。
ところでグッズを欲しがっているのが将来になんの不安もない富裕層だけなのかというと、どうやらそうでもなさそうである。
実際には富裕層よりも年間80万円勢が後先考えずに刹那的にグッズに浪費しているのだろう。
マジレスすると年間80万円勢はグッズをゲットしようとテンバイヤーとバトってるような場合ではない。
年間80万円勢が身の丈を考えて将来のために貯金するようになれば民草は転売に怯える日々を過ごす必要もなくなる。
一般的には90年台にフリーターというライフスタイルが登場したとされる。
あと、20年もすればこれらフリーター世代が年金受給者となるだろう。
そうなれば年金格差という「現実」が重くのしかかってくるわけだ。
お年寄りの賢いライフハックとして転売が今まで以上に盛り上がることはまず間違いない。
年金格差が解消されていれば話は別だが、それは希望的観測でしかない。
今、街を歩いている老人はなんだかんだで正社員で終身雇用だったから十分な額の年金をもらっているのだ。
本当の年金格差時代、ひいては本当の転売時代はまだ訪れてはいない。
転売(TENBAI)が世界語として通用する日もそう遠くはないだろう。
世界中の人々に日本が誇るTENBAIの名を知らしめてやるのだ。
今、転売を痛烈批判しているもの(アンチ・テンバイヤー)も、いざ自分自身が経済困窮に陥ったら、まず真っ先に転売という発想が脳裏をよぎるのではないか?
今は良くとも、70代、80代になったらどうか?
まさかせっせとかき集めていた大切なグッズを転売するなどということはあるまいな?
どうせ、いざという段になったらマッハで手のひらを返すに決まっている。
いや、それどころかアンチ・テンバイヤーほどテンバイヤーとなる素質を備えているのだ。
人々の想像するであろうテンバイヤーVSアンチ・テンバイヤーという構図は誤りであると言える。
テンバイヤーになる素質のない人々は、テンバイヤーを敵視してはいない。
テンバイヤーへの敵意には少なからず嫉妬も含まれているのだろう。
ちなみに「仮想通貨で老後資金を得ればいい」などという甘言を囁くものもいるかもしれない。
だが、考えなしにこのような甘言に乗ってしまえば待っているのはより一層悲惨な末路だ。
仮想通貨では税金が発生することに気づかずに高額な税金を支払えず自己破産するパターンがあるのだ。
さらに自己破産した場合でも税金は非免責債権なのでチャラにはならない。
読者のみなさんは紀元前の哲学者ディオゲネスをご存知だろうか?
貨幣偽造の罪で奴隷の身分とされてしまった、あのディオゲネスだ。
自己破産でも取り消せない負債を負ったものはさながら現代のディオゲネスとでも言うべきだろう。
下手に仮想通貨になど手を出してしまえば国家の威信をかけて嫌がらせされてしまう。
よほど知識に自身があるのなら話は別だが素人が触れるべきものではない。
インターネットで甘言を囁くものは、ただ情弱を養分に還元したいだけなのだ。
それで「君らは転売しないつもりなのか?」というところに話を戻そう。
転売行為を批判しているものも「金に困ったときはグッズを金に換えよう」そして「それは転売ではない」とでも考えているのだろう。
表向きは転売を批判しているようで内心では手持ちのグッズにプレミア価格がつくことは満更でもないのだ。
つまり「誰も手放さないからめったに市場に出てこない伝説のコレクターズアイテム」となることを期待している。
さも社会正義のような体を装っているが、やれやれ結局は損得勘定でしかない。
自分が「転売脳」でものを考えていることすら自覚していないのだ。
しかも未練がましく後生大事に抱えて長年に渡って死蔵した上での転売だ。
金目当てでさっさと手放す転売よりも、よほどたちが悪い転売ではないか?
しかも!そういうやつらに限って自分が手放すときはテンバイヤーによる市場価格を参考にするのだ。
いや「思い入れが深い」「手放すのは惜しい」などと言いながら値段を釣り上げるまである。
「(金目当てで愛のないテンバイヤーと違って)大事に使ってました」などと悪のテンバイヤーにマウントを取りながらいけしゃあしゃあと値段を釣り上げるのだ。
常識的に考えて商品に無関心でノータッチで倉庫に眠っていたテンバイヤーの品のほうがコンディションはいいのでは?
ところで「グッズを手に入れたい」という一点だけを重視するなら、テンバイヤーのいない状況は理想的ではない。
テンバイヤーさえいれば、金に糸目をつけない覚悟を持てばとりあえずグッズは手に入る。
「本当のファンなら周辺情報を常にチェックしてるから、限定グッズなどを見逃して買い逃すことはありえない」とでも反論されるかもしれない。
その分野にテンバイヤーは一人もいないというような状況は果たして本当に理想的だろうか?
金目当てで手放すものがいるから、新人がその分野に新規参入することができるのだ。
逆説的ではあるがテンバイヤーのいない分野はおのずと新規参入のない閉じコン(閉じたコンテンツ)となる。
テンバイヤーの有無でそれが決まる。
ここまでで普通に生きていれば転売は避けられない定めだと分かったはずだ。
そこで「俺は上位1%の上級国民だから転売などとは無縁の人生だ」という人々もいるかもしれない。
よしんば鉄の掟によって一生転売しないですんだとしよう。
金持ちほどマンションなど転売していそうなものだが、この際それもないものとする。
グッズの持ち主が死んだあとは、どうする?
死後の世界にグッズは持ち込めない。
遺族によって転売されるか?あるいは遺品整理業者によって転売されるか?
ただし価値があることに気づかれずに捨てられるということはありうる。
勝手に転売されることを防ぐには転売に追い込まれる前に捨てるか、無償で贈与するかしかない。
なお贈与する場合は贈与税を支払わなければならない点に注意しなければならない。
その点、グッズと違ってチケットは消耗品だから気楽で気ままではある。
ただ転売が悪という前提がそもそも間違っているのであってチケットは文字通り無駄金だ。
そして貧困層ほどチケットのような後に残らない刹那的な用途に金を使うという負の連鎖がある。
いままで「転売」と大雑把に扱ってきたが、転売にも種類がある。
転売の話題がこじれるのは転売と聞いてイメージするものに差がある側面が大きい
ネット上で話題となるのは大きく分けて「せどり」「ダフ屋行為」だろう。
他にも「プレゼントとして受け取ったものを転売する」行為の善悪が問われることもなくはない。
まず少なくともせどりに関しては「可」としていいのではないか?
せどりは中古販売なのだから古物商営業許可が必要だという議論になることもある。
しかし古物商営業許可の意味合いを考えるに「盗品販売を防止する」という意味合いが強いのではないか?
さて転売の中でもチケット転売に限ってはダフ屋行為であり犯罪であるとされる。
「ダフ屋行為が反社会勢力の資金源となる」というのがよく聞く決まり文句だ。
しかし「芸能界はそれほどクリーンなのか」という疑問が新たに湧く。
「反社会勢力の資金源となる」というまったく同じ理屈でショービジネス自体の正当性が危うくなるのだ。
反社会勢力云々という言い分はそれほど有無を言わさず通用するような絶対的なものか?
それにやろうと思えば適当な分野と反社会勢力を結びつけることはさほど難しくはない。
例えば「仮想通貨は反社会勢力のマネーローンダリングに利用される恐れがあるから全面禁止とすべきだ」と言うことができる。
でもショービジネスは文化だから保護しなくちゃならないというわけだ。転売とて同じこと。
転売ヘイターはこれら文章を読んで、何か思うところはあるだろうか?
否。おそらくは逆ギレして「じゃあ転売を法律にて完全禁止すればいいじゃん」などと言い出すに違いない。
よしんば法律にて転売を完全撲滅できても背景が変わらない限り待っているのはより悲惨な世界だ。
転売はあくまで金目当てであって悪意があるわけでも嫌がらせでしているわけでもない。
そこで全面的に転売を一律禁止としたところで転売or死という図式は微塵も揺るがない。
転売ヘイターは「転売するくらいなら潔く死ね」とでも思っているのだろうが。
なぜ転売ごときのことがまるで大罪であるかのように扱われ禁止されねばならぬのだ?
転売文化によって人々の目利きのセンスが磨かれるという側面もある。
人の心を持たない冷たい機械による仮想通貨のマイニングによって地球温暖化はますます加速する。
転売か?仮想通貨か?良心ある人々ならどちらを選ぶべきかあえて言うまでもない。
インターネットでは転売は絶対悪であるかのように扱われているが擁護しようと思えばこのようにいくらでも擁護できる!というお話でした。
素敵すぎ。頑張れ。
じゃあ売りましょう。ヤフオクやメルカリは時間かかるので出張買取一択。あとで数万損したとかどうでも良いから。部屋汚いくせに損得考えるな。
今シーズンはたまたますき焼きしなかっただけ。だからすき焼き鍋置く。なら、すき焼き食べに行け。空間は金で買える。ジューサーは毎日使わないなら全部ゴミ。
収納は見て探せる物。ダンボールは一次避難。ダンボールに入れてクローゼットに入れるものは部屋が落ち着いたら出して整理だ。
売る時に~とか言うな。箱なしで売れ。もしくは捨てろ。使いつくせ!
というか売れないから!CMですぐ売れる言うけど売れない!少なくともお前の売りたい価格じゃ売れない。在庫抱えるなら捨てろ。もしくは二束三文で売れ。
月曜から夜ふかしで将棋雑誌捨てる云々あったじゃん。捨てられない人って糞どうでも良い理由つけて捨てたりしないの。メルカリ流行ると更に金になる言って売らない。
本当に取っておきたい人って何かしらの方法で取っておくの。本棚や倉庫とか生活の邪魔にならない方法で。
ダンボールに入れて積み上げておくのは収納じゃないし、それを捨てろ言われてああだこうだ言ったり貴重な資料とか言うのは論外。
Uターンして田舎に帰ってきた人間だけど、こうも書かれると反論したくもなるな。
そもそも住む場所が変わったら多かれ少なかれ生活も変えるもんだけど、それ理解できんかね。
>車を買ってしまうと少なくとも数年は田舎に居住することを自分の中で追認してしまう気がして買っていません。
こんな言ってる時点でもう無理じゃんこいつ。田舎の工場なら車欲しいって言っておけば誰かが二束三文で軽譲ってくれんのに。
いらなくなったら捨てろよ。ホントは手続きできないから敬遠してるだけだろ。
増田は車を持ったらいいよ。駐車場なんて二束三文で手に入る。田舎は移動力ある前提の街設計になっていて、色々なものの密度が低いので車がないだけで確実にQOLが下がる。行動範囲が狭いとやりたいことが全然できない。
でも田舎は自由度が高いので夏の花火やBBQ、冬の焚き火なんかもそのあたりの公園とか道端で出来る。楽しいこといっぱいあるよ。田舎民は良くも悪くも歩いて10分のコンビニでさえ車に乗って移動するので、運転してるうちにちょっと先の海に行くのなんて全然苦じゃなくなる。まあ田舎はラブホだらけかもしれないけど、場所によって変わる傾向を眺めながらドライブするのも乙なものよ。
酒を飲むのが好きな人種だと車で楽しめることもちょっとは減るかもしれないけど、人間だいたいは酔ってない時間の方が多いのだから、少なくともやれることは増える。ちなみに都会にいたら気付かないけど、代行も意外に安いんだ。