はてなキーワード: ライトノベルとは
主人公の女の子が最初の0話で生まれ(0歳)、最終話の25話(25歳)で結婚するような話(以下、ややこしいので話数は0話始まり、つまり話数が主人公の年齢と同じ数字とかんがえる)。
今まで、同じアニメ内で海に行く話やクリスマスの話など、季節系のネタをやるというのはよくあったけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると、同じアニメの同じキャラクターによる小中高の入学式や修学旅行や卒業式、はたまた七五三や成人式などの年齢にとらわれる時期ネタというのができる。
さらに、主人公が成長していくという成長アニメはよくあるけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると主人公の内面だけでなく、外見まで成長していくアニメということになる。そんなアニメはなかなかないと思うし、主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように見れるアニメになれるのではないかと思う。
「30分アニメで1年を描くということは、2分~2分半で1ヶ月分を描くということか? そんなの無理だ!」と思われそうだけど、そういうわけではなく、1年の中でメインとなる話を2,3抽出してその話を主に描くというイメージ。例えば7話(7歳)なら、小学校入学ネタと七五三ネタの2つをメインにもってきて、他の時期の話は短い時間で簡単に描くという感じ。サザエさんだって30分の間に3話分やってるし、現在放送中のアニメ、『デンキ街の本屋さん』の10話ではバレンタインとホワイトデーを両方描き、さらにその前の9話のCパートではクリスマスの話をやっていたので、これだけで30分で数カ月分描けるということが分かる。
それでも、「その話は1話で数ヶ月じゃないか! 1話で1年なんて無理だ!」と思う人もいそうだけど、『琴浦さん』というアニメの1話では最初の10分で15年を描いたので、30分で1年ならもっと余裕をもって描けるだろう。他に思いつくのは、映画だけど『おおかみこどもの雨と雪』は2時間で13年間を描いていた。
そもそも、自分がこういうアニメを見てみたいと思ったきっかけは、30秒で60年ほどの年月を描いたディズニーリゾートのCMを見たからであって、30秒で60年が描けるなら30分で1年も十分にできると思う。
さらにいうと、1話で1年進むというのは自分はアニメぐらいでしかできないのではないかと思っている。実写ドラマでは無理だ。数年後みたいにいきなり話がとぶのではなく、前回の話の終わりと次回の話の始まりの間隔は数ヶ月しか差がないので、いきなり年齢にあわせて役者を変えるとなると非常に違和感があるだろう。やるとするなら、26年間の撮影が必要になり、非現実的だ(ハリウッド映画の『ボーイフッド』という作品は、12年かけて撮影してたというから、もちろんありえなくはないが)。
では、漫画だとどうだろう? 漫画でもできなくはないが、場面転換が少し多くなるので難しいのではないかと思う。4コマ漫画ならできなくはないかもしれないが、個人的にシリアスな話も入れて欲しいので4コマ漫画はあわないのではないかと思う(『琴浦さん』を例にあげといてそれはないだろ! とセルフツッコミ)。小説はできるかもしれないが、内面だけではなく外見の成長が大事な作品となるのでやっぱりあっていない。
シミュレーションゲームやアドベンチャーゲームならできるかもしれないが、操作が面倒だ。
もちろん、だからといってアニメだったら簡単にできるというわけではない。他のアニメ作品と比べると、主人公を演じる声優は0歳から25歳までを演じ分ける必要があり、非常に難しい役どころとなる。主人公は女の子と考えたのも、男だと声変わりがあるので無理だと思ったからだ(こんなこと言うと、野沢雅子ならできる! とか、緒方恵美ならできる! 山寺宏一なら! 石田彰なら! とか言われそうだけど)。キャラクターデザインも同じく0歳から25歳で描き分けなければいけないので大変だろう(女の子なので身長だけでなく、胸の大きさも重要になってくる)。作画や原画担当としても、主人公が描き慣れるということもないため、他のアニメと比べて難しいだろうと思う。だけど、それでもやっぱりアニメでしかできない話だと思うので、やる価値は十分あるだろうと思う。
話の構成としては、0話で誕生し、3話か4話で幼稚園入園やはじめてのおつかい、6話で卒園、7話で小学校入学と七五三、12話で修学旅行と小学校卒業、13話で中学校入学、15話で卒業と高校受験、16話で高校入学、18話で卒業や大学受験、19話で大学入学と自動車免許取得、20話で成人式、21話でインターンシップや就活、22話で卒論、23話で就職、25話で結婚という感じ。
上記で書いてない話は、他のアニメでもよくある水着回や温泉回、はたまた季節系イベントのクリスマスやバレンタイン回をつければいいし、最終話で結婚の話なら結婚相手との出会いや告白の話も必要になってくるだろう。
シリアスな話を描くなら、ちょっと遠出してみたら迷子になる話、仲の良い友だちの転校、交通事故、失恋、就職難、それと25年も生きていれば身近な人の誰かは亡くなると思うので、葬式の話をやるのもいいと思う。
後、女の子の成長を描くうえで個人的にかかせないと思うのが初経の話。初経の話といえば、ないしょのつぼみだと思うのだけど、あれが小学校5年生の話なので、11話ぐらいになるだろうと思う。ただ、1クール目の最後の話は12話になるので、12話のほうがいいかもしれない。ただ、そうなると修学旅行や卒業の話と12話にいろいろな話を詰め込む必要があるので難しいか。いや、修学旅行の話は前半でさっさと終わらせて、後半で初経と卒業ネタを織り交ぜた話にすれば・・・。少なくとも、2クールではなく、1クールになるようであればそうすべきだろう。
なんてことをよく妄想しているのだけれども、自分には2クールアニメを作れるような金も人脈も能力もないし、将来それらが身につく未来も全くもってイメージできないので、その事実にふと気づくと落胆する。なんとかして実現できる方法はないかなと思って、調べてみると、アイデアをだせばそのアイデアを実現することができるかもしれないクラウドファンディングの Dmet idea というサイトを見つけたのだけれども、なんだかこのサイトで求められているアイデアと違う気がしてだしてない。一番可能性がありそうなのが、小説として書いて人気になってアニメ化するという展開になることだけど、先ほども書いたように小説向けではないと思うし、文才もない。何より、自分の場合、確実に最後まで書けない。
本当、仕事中にふと、(13話はこういう展開にすると面白いではないか。それと、結婚相手は子どもの時に出会ってたという話にしたら面白い。だから9話はこういう話にして・・・)なんてことが頭に浮かんで困っている。
最後に、自分はそんなにアニメに詳しいわけではないのでもしかしたら知らないだけですでにあるかもしれないので、もしそういうアニメがあるのなら教えてください。
そうそう、一つ書き忘れたことがあった。キャラが歳を取らないサザエさんなんかでは、「いつの間にかカツオより年上になってた」なんて言われることがよくあるが、一話一年のアニメとなると、「こないだまで自分より年下だったのに、いつの間にか自分より年上になってた」という逆転現象が起こる。こんなアニメはそうそうないんじゃないかと思う(とはいっても、自分が子どもの時は、ドラゴンボールの孫悟空がいつの間にか自分より年上になっていたが、それはちょっと違う)。というわけで、例えば『渡る世間は鬼ばかり』は自分の思うイメージと違う。
後、いくつかトラックバックとブコメを頂いたのでちょっと返信する
・「主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように」と言いながら
「女の子なので胸の大きさも重要」だの「水着回や温泉回」だのと言ったエロ目線も当たり前のように加わっていて
「父親になったつもりで疑似娘と近親相姦したい」と言う願望丸出しできめえ
確かに、「水着回や温泉回」という例をだしたのは少し浅はかだった。個人的にはそういう展開は他のアニメでも求めてないが、ニコニコ動画や2ちゃんねるのコメントを見てるとよく求められてる印象があったので、例にだした。
ただ、そもそも、『エロ目線』といわれるなら、『初経の話』のほうだと思ったのだけど、そちらのほうに触れられていなくてちょっと驚いている。
こういうこと言われることは考えたけど、ある程度キリよく考えたらそこを最終話にするのがいいと思った(自分だって結婚がゴールと考えてるわけではない)。人生のすべてを描くために80話ぐらいやったら確実に後半マンネリ化するだろうしね。
浦島太郎とか
いや、それは違う。最終話で「数年後」となる話とあまり変わらない。
アニメではないけれど、「ハリーポッター」シリーズも1作で1年だった。映画も2年に一度くらいのペースだったので、ハリー役の役者が成長していて時間を感じることができてたなあ。
なるほど。ハリーポッターは確かに近いかもしれない。読んだことないけど。
ありがとう。探してみる。
帰ってきたら100ブクマ超えてた。こういう作品を見てみたい人が多いんだろうな。と思っていいのだろか。ブコメ見てると似たような作品の紹介コメントが多そうだけど。
以下、気になったブコメの返信。
・リチャードリンクレイターの「6歳のボクが大人になるまで」と同じコンセプトですな。
・映画だけど、6才のボクが、大人になるまで。が面白いんじゃないかな
これは、本文でも言及した、『ボーイフッド』のことですね。見てませんが自分もちょっと気になってます。
自分のイメージでは、最初のうちは、母親がほぼ主役的立場という感じでいいと思ってる。特に0話は特別な数値だし、母親が主役だから『0話』としたといろいろいいわけがつく。
・それだったら小学生以下を無視して13歳~25歳で1クールのほうがよくないか、とも思う。キャラクターデザインも中、高、大、社の4種類以下で済むし。
・キャラデザや予算など課題はあるけどアリだと思う。でも小学校入学から高卒までで1クールにした方がいい。赤ちゃんや園児時代は回想で充分だし。
1クールだと誕生~小学校卒業までだと思ってたけど、そうじゃない案が多いのか。意外。
これなんなんだろ、と思ったら「手軽に「娘の結婚式に出るのお父さん」の気分になりたい」なのか。なるほど。
確かに、そういう感じかもしれない。ブコメの中では一番的を得ているコメントだと思った。
いや、個人的にはテクノロジーの進化は描かなくていいと思ってる。ガラスの仮面や名探偵コナンみたいに、作中の時間ではさほど時間がたっていないのに、最初の話では携帯電話なくて、最近の話では携帯電話があるという話があるけど、その逆。近年の0歳~25歳を描くイメージ(できるだけ普遍性はもたしたほうがいいとは思うが)。
一話一年って縛りだから一つのイベント最大20分で決着付けなきゃいけないじゃん。尺とれば面白くできるような話もぶつ切りみたいになって絶対つまらないと思う。
そうかな? ドラえもんやちびまる子ちゃんだって30分の中で2話やってるけど、面白い話も多いよ。もちろん、自分が考えてるストーリー構成案もある程度話題になるとは思うけど、多くの人に面白いと思ってもらえるかどうかは自信ないけど。
いや、一年で大の仲良しの友だちがそうころころ入れ替わるとも思わないし、入れ替わらない話にすればいいだけだと思う。
今回、いろいろブコメでいろんな作品が紹介されていて、でてくるかな? と思ったけどでてこなかった作品で、小学3年生から小学6年生までを描いた50話で1年進む『おジャ魔女どれみ』という作品が昔あったけど、あれだって友だちは入れ替わるわけじゃなかったし(増えはしたけど)。話それるけど、おジャ魔女どれみの続編(高校生編)のライトノベルは気になってるけどまだ読んでない。
誰も見てないと思いますが、小説家になろうで小説として書き始めることにしました。
前から気になっていたアニメ制作が舞台の小説の『ハケンアニメ!』を読んでいると、一話で一年進むというアニメがでてきました。
ファン「し、新刊1冊ずつ下さい!」
私「1200円で~す」
脱サラして幾星霜、同人サークル『おティンティンらんど』は立派な壁サーに成長した。
コミケ、COMIC1、各オンリーイベントで同人マンガを頒布している。筆は早い。
数十部の新刊(『エントリープラグ挿入 1人目の綾波編』)がすべて捌けた。
ホールに響く井上陽水を聴きながら、感涙を堪えるのに必死だった。
劇的なその感動がなければ、きっと筆を折っていただろう。
日中は企業戦士として働き、夜は同人作家として執筆に勤しむ毎日が始まった。
コツコツ努力することは性分に合っている。描くほどに絵はうまくなり、新刊の頒布数は倍々ゲームで増えていった。
私の野望は尽きない。
持ち出し超過だった中国人向け(学生・社畜時代、寸暇を惜しんで語学を修めたのだ)オタグッズ輸入代行業は軌道に乗りつつある。
また、日にペラ2枚のノルマを課し、ライトノベル(『ぴんくいろモザイク』 ※18禁)も書いている。成人向けゆえ、新人賞ではなく編集部持ち込みになるが、『おティンティンらんど』のネームバリューがあれば門前払いされることはなかろう。
今日もラノベを1冊読んだ。最近感じていたのだけれど、今日の一冊を読み終わった余韻から自分の中でラノベが一区切りついたのだと明確に体験できた。
触れ始めたころが一番面白かったのは当然なのだけれど、2008年くらいが一番面白かった。そのあとは電撃が拓いて他が追従する展開が目立ってきて楽しめなくなった。自分の中ではスニーカー+電撃の2巨頭時代が一番おもしろかった。そんな時代なかっただろ、と言われるのは承知だけれど。ひな形ができる前とでもい言えばいいのかな。いろんな文芸がラノベフォーマットに変換されて供給されていたと今は判る。
2010年くらいからネット小説経由の出版が目立ってきた。これは歓迎だった。そのころの「なろう」はまだむちゃくちゃでジャンルはいろいろあった。時間とともに淘汰されていってネット小説に求めているモノが確定した今では想像もできない。「楽園」どこいった。今なら「ReadME!」でも出版されるんじゃないかな。
で、粒ぞろいになったなと感じ始めたのが昨年くらい。ぼこぼこレーベルが湧いてきたころだ。自分をみつめると「拗ねた」んだと思っている。以前なら新刊の半分くらいは読んでいた。ジャンルを知悉している手ごたえが面白かった。そのうちに読んでない本が増えていって、その中からアニメ化がでてきて、このラノで上位を取る。読んでない本が流行りはじめると、どれだけ読んでも読んでもついていけない。
そして俺は拗ねてしまった。いわゆる「デビュー前からのファンなんだけどメジャーデビューして離れていった」層だ。特別扱いされていないと感じて拗ねるのだ。
いまラノベは夏なんだろう。やがて秋になり冬になる。私の中でラノベは季節が移ろった。それだけのことだ。楽しかったよ、ライトノベル。
http://anond.hatelabo.jp/20141001193557
「そういうことはな、聞いてみるもんだよ」
「ご存じなんで」
「もちろん」
「聞きましょ」
セリフの背景にある心理でもなんでもいい、
「」
一般にそれ単体ではプログラムとして動作させることはできないので
実行ファイルではない。他のプログラムに何らかの機能を提供する
「……何か読んでるね? ウィキペディアの『ライブラリ』の項目かい?」
「ふーん」
「ドヤ」
「ちょっと聞きますが、ライトノベルの『ライト』の話ですがね」
「うん」
「いまの、『ライブラリ』? 『ライ』はあるけど『ト』が無いね」
「」
「それはどういう?」
「……あれは『ト』ではない」
「ほう」
「……あれは水トちゃんの『ト』と同じで、本来は(ボク)と読む」
「」
「新たなコンテンツを作るにあたって
『ライ』『ト』ノベルというわけだな」
「……」
「……よそで言うんじゃないぞ」
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違うよ。
むしろ一冊あたりで売れないから刊行点数を増やして全体の売上を確保するんだよ。
さて、棚が飽和してこれ以上ラノベを置けなくなるなんてことは個々の書店の視点では起こりうるけど、それが出版社の視点とか市場全体にそれほど影響するかな?
するよ。
電撃文庫は毎月10日発売だけどその新刊が平台に並ぶのはせいぜい10日間ほど。
すぐにGAやガガガや富士見と入れ替わり、またすぐにMFJ文庫Jやスーパーダッシュと入れ替わる。
ラノベ棚の特殊事情? については認識があまりなかったのでそこらを説明してくれてやっと意味がわかった。
そもそもそんな売れてないというのはそうだろうなと思ってた。絶版が早いのは確かに困っている。
物理的限界で売れないなんてのが本当なら、構造的欠陥じゃないの?
言い方の問題じゃないの。
いやあ、そう言われると僕は、「じゃあライトノベル買えよ」って思っちゃうけどね。
既にそうなっていると思うけど、それへの対処はゆっくりと相互理解を深めることだけでしょ。
あのね、実際のところ黒人を定義しなくて不便なことなんか無いんだよ?
誰も気にしないならね。
いやいや、それを言うなら
「皆がジャンルやレッテルではなく、内容だけで本を判断するなら、ラノベを定義する意味は無い」と同義、だろう。
君のいう例だと
これはさすがに詭弁だな。
黒が邪悪であることに文化的・論理的な背景があるならともかく、およそそんなわけがないのだから「黒が邪悪」なことが差別だろ?
黒が邪悪なのに論理的な根拠があるなら黒人は邪悪でいいよ。差別じゃないからね。
でもそうでなくて、そしてもし僕が黒色が好きな人間で、黒が邪悪じゃないことを皆に説明しようと思ったら、
定義することで差別がなくなるんじゃなくて、差別をなくすには必然的に定義することは必要になるってだけだ。
相互理解するためには、それを知らない相手にラノベとはなにか説明するよね。
一人ひとりに説明するのと、定義として、共通認識として提示するのは対象にしている人数が違うだけで結局同じ道程だと思うけどどう?
違うよ。
むしろ一冊あたりで売れないから刊行点数を増やして全体の売上を確保するんだよ。
さて、棚が飽和してこれ以上ラノベを置けなくなるなんてことは個々の書店の視点では起こりうるけど、それが出版社の視点とか市場全体にそれほど影響するかな?
するよ。
電撃文庫は毎月10日発売だけどその新刊が平台に並ぶのはせいぜい10日間ほど。
すぐにGAやガガガや富士見と入れ替わり、またすぐにMFJ文庫Jやスーパーダッシュと入れ替わる。
だから「ラノベは初速が命」「発売後一週間が勝負」なんて言われるんだけど、
言い方の問題じゃないの。
「たとえ外見は違っても中身がライトノベルであることに価値を見出している」とも言えるだろ。
既にそうなっていると思うけど、それへの対処はゆっくりと相互理解を深めることだけでしょ。
あのね、実際のところ黒人を定義しなくて不便なことなんか無いんだよ?
誰も気にしないならね。
それは「ラノベが一冊も売れないならラノベを定義する意味はない」と同義だよ。
売れるとは言ってないだろ。
僕が言いたかったのは、
ということだった。
もし、ラノベの棚が飽和しているのだとしたら、それはラノベが売れているからだよね。
刊行されたラノベをひと通り置く義務なんて本屋には無いからね。ラノベ無い本屋もあるしね。
さて、棚が飽和してこれ以上ラノベを置けなくなるなんてことは個々の書店の視点では起こりうるけど、それが出版社の視点とか市場全体にそれほど影響するかな?
実際は書店の他に、アニメショップなんかのそれこそ本の棚はほぼラノベ(と漫画)しか無い店、ネット通販もあるわけだからさ。
ラノベが売れるなら、本屋のラノベの棚は増えるだろう。もし、ある本屋で君の言うように限界になったとしても、その分他のスペースに余裕がある本屋ではもっと棚を増やせるかもしれない。
全国で考えるとラノベの棚は増えるか? 増やせなかった本屋の棚の分も、スペースのある本屋が棚を増やせばラノベの棚は増えるね。
あるいは(ありえないけど)そんなにラノベが売れるなら新しく本屋ができるだろうさ。
一方で実質的に本屋の棚の代わりになるものはいくらでもあって、需要を満たすだけ増えることが可能だ。アニメイトだとか『丸善ジュンク堂ネットストア』とかね!
だから本屋の売り場がないから需要があるのに売れないなんて考えるのはナンセンスじゃないか?
いや経済は専門じゃないのであんまり偉そうなことは言えないけど。
それともなんかぜんぜん違うことを言っていてこの説明は全然見当違いなのかね。
その目論見がないとは言えないけど、
どっちかと言うと「ラノベみたいなのを読みたいけどラノベ売り場からは遠ざかっている」という人向けではないかね。
いちばん大きいのはやっぱり売り場の違いだと思うよ。
「ラノベみたいなのを読みたいけどラノベ売り場からは遠ざかっている」という人に売れると言っているんだよね?
それについては同意だ。
僕は「ラノベみたいなのを読みたいけどラノベ売り場からは遠ざかっている」人というのは何らかの理由でライトノベル読みたくないんだと思う。
本当に読みたいんならライトノベル売り場に行けばいいんだからさ。遠ざかる意味がわからない。
ライトノベル売り場に恥ずかしくてだったりバカにしてだったりして行けない人が一般文芸の棚でライトノベルっぽいのを探して買うってわけだ。
それはつまり内容は変わらないのに「ライトノベルではない。」という部分に価値を見出しているということだろう。
そうかな?
理由がなんであれ放っておけば、もともと理由がない人もそのうち叩くようになるかもよ?
補足すると黒色人種の定義は「肌の黒い人種」だから、黒人の定義は「肌が黒い人種に属する人」だね。
あのね、実際のところ黒人を定義しなくて不便なことなんか無いんだよ?
誰も気にしないならね。
でも、ある言葉が間違った偏見にもとづいて理解されてそれが広まる危険があるんならそれはちゃんと正して誤解を解くべきじゃない?
そうかな。売れるなら書店は棚を拡大するんじゃないかな。
売れるとは言ってないだろ。
売上と刊行点数との兼ね合いの中でラノベ棚の拡大も限界に来ているから飽和してしまう。
「ライトノベルとは違うんだ」っていうところに価値観を見出す市場が存在するからこういうブランド戦略で売れるだろう、という目論見があるのでは?
その目論見がないとは言えないけど、
どっちかと言うと「ラノベみたいなのを読みたいけどラノベ売り場からは遠ざかっている」という人向けではないかね。
いちばん大きいのはやっぱり売り場の違いだと思うよ。
ラノベの定義を「レーベル側(出版社)がラノベだと言ったらラノベ」というのはどうだろう。
これだと「ラノベレーベル」だと宣言しているレーベルの出す本は当然ラノベだし、ラノベとラノベ以外も出版するレーベルも包括的に定義できる。
ラノベ定義論においては有名な話なんだけど「電撃文庫はライトノベルと名乗らない」んだよな。
そもそも「ライトノベル」という呼称は読者側から発生したものなので出版社側に決定権を委ねるのは違和感があるよ。
実際の文化的状況に対しての妥当な定義付けは、論理的な根拠の無い区別=偏見や差別を横行させないために必要だろう、と考えている。
ラノベが叩かれるのは「自分たちとは別のコミュニティが急に現れて自分たちの場所を侵食している」からだろう。
「黒人を定義する際に、粗暴だとかリズム感がいいとかいう定義は間違っている、粗暴じゃなくてリズム感の悪い黒人もいる。黒人の定義は『黒色人種に属する人。』で十分だ」
と言っているのに、
「50%黒色人種の血が入っていて50%白人の血が混じっている人が存在するじゃないか! 黒人は定義できない! 」
と言われても困る。やれやれ。
ああすまん。新潮社の公式アカウントがラノベレーベルじゃないと言ったんだった。新潮社nex編集が言ったんだと理解してた。
参考: http://togetter.com/li/684962
そうかな。売れるなら書店は棚を拡大するんじゃないかな。
「ライトノベルとは違うんだ」っていうところに価値観を見出す市場が存在するからこういうブランド戦略で売れるだろう、という目論見があるのでは?
これはホント君の言うとおりだな。
ラノベの定義を「ラノベのレーベルから出ている本がラノベ」とすると講談社ノベルスの存在で破綻するということが判明したわけだ。
まあ講談社ノベルスの中の人が何を考えているのかはよくわからないけど。
そこで修正案を提案したいんだけど、
ラノベの定義を「レーベル側(出版社)がラノベだと言ったらラノベ」というのはどうだろう。
これだと「ラノベレーベル」だと宣言しているレーベルの出す本は当然ラノベだし、ラノベとラノベ以外も出版するレーベルも包括的に定義できる。
なかなか良い案じゃないかな?
ああ、確かにエンタメである必要があるという意味では内容は制限を受ける可能性があるね。
ラノベでは何でもできるみたいな言い方は間違いかもしれない。
大衆文学と比較してエンタメ傾向が存在することに起因する内容の変化はないということは言えると思う。
対象年齢については、文学作品の対象年齢に下限はあっても上限は無いと思う。
子供は漢字が読めなかったりするので読める小説に制限はあるが、低年齢向けに書かれたものが大人の鑑賞に耐えられない内容であるという説得力のある根拠はないからだ。
結局、「対象年齢が低い」ということを定義に含めるかという話をするべきだと思うんだけど、
今書いた理由もあって、それはするべきではないと考えている。
それに加えて「対象年齢が低い」というのがラノベの出自としてはあるとしても実際は児童文学を読んでいる大人よりも明らかに多くの大人がラノベを読んでいて
実際に大人の鑑賞に耐えうる作品も存在するという反論もそこここに見られる。
じゃあ今度は君は「大人のラノベ」はラノベじゃないのかよ、なんて話をし始めるのかもしれないけど、
まあ結局ジャンル分の定義は存在するものに対して後付でしていくものなので、世の中が変化していく以上完璧な定義はありえない。
結局、妥当性が高いものを共通認識として提案し続けるしか無いだろう。
僕は「ラノベ」っていうジャンルが、蔑称としても通称としても流通している現状は良くないと思う。
実際の文化的状況に対しての妥当な定義付けは、論理的な根拠の無い区別=偏見や差別を横行させないために必要だろう、と考えている。
「黒人を定義する際に、粗暴だとかリズム感がいいとかいう定義は間違っている、粗暴じゃなくてリズム感の悪い黒人もいる。黒人の定義は『黒色人種に属する人。』で十分だ」
と言っているのに、
「50%黒色人種の血が入っていて50%白人の血が混じっている人が存在するじゃないか! 黒人は定義できない! 」
と言われても困る。やれやれ。
「ラノベの定義=ラノベレーベルから出てること」と定義するなら「半分だけラノベレーベル」なんて曖昧な言い方はだめだろう。
編集がなんと言おうが、挿絵が無かろうが、ラノベレーベルから出ていればラノベだ、と言ったのはおまえだろ。しっかりしろ。
ちなみに「ラノベじゃないと言ったほうが売れる」のは「書店のラノベ棚が飽和している」という前提あってのことだ。
おいおい、「ラノベもラノベじゃないのもどっちも出すレーベル」なんてものが存在したら、
その時点で「ラノベのレーベルから出ている本がラノベ」なんて定義は成り立たないじゃないか。
それはライトノベルがレーベルじゃなくてパッケージによって定義されているということだろ。
どっちなんだよ。
ラノベって言葉はジャンルのエンタメ傾向と対象年齢をゆるく示しているだけなので、内容については実は何でもいいのではないかな。
読んだこと無いけどビブリア古書堂とかでしょう?
あれはラノベとみなしてる人一般書とみなしている人半々の印象。
レーベルのテーマ・コンセプトは「大人のためのライトノベル」なんだから、
どうジャンル分けされるか不明だけど、結局ラノベじゃないって言ったほうが売れるのだろうか。
講談社ノベルスは「どっちも出すよ」てレーベルなんだから、編集がこれはラノベなって言えばラノベなんじゃないか。
というかラノベって言葉はジャンルのエンタメ傾向と対象年齢をゆるく示しているだけなので、内容については実は何でもいいのではないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20141001193557
ライトノベルと言うと、表紙と挿絵にアニメ風の美少女イラストが入った内容の軽い低俗な本、がすぐ思い浮かぶだろう。
雰囲気としては合っている気がする。僕の読んできたライトノベルもだいたいそんな感じだった。
でもとりあえずは、無用な誤解をさけるために定義付けをしっかりしよう。
だけど、すぐに反証が見つかる。
例えばここに、さっき本棚を一分漁って見つけた佐々木マキのイラストが入った村上春樹の『カンガルー日和』がある。
この本が刊行された時、日本文壇は春樹は文学ではないと言っていたかもしれないけど、少なくともラノベとは言えない。
それに、児童文学はイラストが入っているのが一般的だから、イラスト=ラノベとはいえないんじゃないだろうか。
じゃあ内容が低俗だとか軽いのがラノベだ、ということだろうか?
いやそれはおかしい。シドニィ・シェルダンの『空が落ちる』は一般小説の棚に置いてある。
紅玉いづきの『ミミズクと夜の王』のイラストはどう見てもアニメ絵じゃないが、ライトノベルを名乗っている。
(表紙がアニメ絵の一般小説もちょっと名前は挙がらないけど、本屋でたまに見かける)
こんな感じで、ラノベがラノベである理由はおよそはっきりしない。
はっきりしているのは、ラノベであると名乗っている出版レーベルが幾つかあり、それについて一般的にラノベであると認められているという状況のみである。
こんなわけなので、定義はラノベのレーベルから出ている本がラノベだ、ということにしておくのが妥当だろう。
だから筒井康隆がラノベのレーベルから小説を出したらラノベになるし、『百瀬、こっちを向いて。』の中田永一がラノベを書いたらラノベになるし、中島梓がラノベのレーベルから本を出したらラノベになる。
大江健三郎が児童文学だと言いはって『二百年の子供』を書いたら児童文学になったように、大江健三郎がラノベのレーベルから小説を出したらラノベになるだろう。
その通りだ。
しかしそういう人は、日本文学が垂れ流した私小説という肥やしにもならない糞の山のことはどう考えているのか。
僕が言いたいのはつまり、未来のノーベル文学賞作家がラノベから出ないと誰が言い切れるのか、ということだ。
いや言い切れるはずがない。
さっき書いたように、ラノベがラノベであるのはレーベルの問題であって、その内容だったり作者には関係が無いからだ。
そんなものはない。
ラノベを馬鹿にしている人は、ハリーポッターが児童書版で出たら恥ずかしくて買えないのに一般書版で出たら買う人たちだ。
そういう人は自分の力で、自分だけの「ハリーポッター」を発見することは絶対にできない。
そういう人は本当に面白いものを見つけることも、それを評価することもできない。
一緒に仕事してる分にはコイツボソボソうぜーなーくらいで済むんだけど、普段どんな生活してるのか気になる。
例えば電車の中吊り広告とか、駅のポスターとか、ふと目に入ったものをぼーっと読むことあるじゃん。
ああいうのもぼーっとしながら「奔放初公開!元金メダリストの悩殺オールヌード」とかぺらぺら喋ってるんだろうか。
ライトノベル読むとき「ぐっ…貴様!どうして、こんなところ…に…」とか三点リーダの間もきっちり表現しつつ声に出してるのかな。
いやライトノベルならまだいい。18禁の本読みながら部屋で一人あんあんいやぁぁ言ってるとしたら、もう同僚のアイツを直視できない。
そもそも、英検漢検とかセンター試験とか、ボソボソ厳禁のテストはどうやって乗り越えてきたんだろう?
もしそういう時もこっそりボソボソ喋ってたのなら、隣のヤツに刺されなくてよかったなとしか言えない。
(関係ないけど「そういう時は口パクしてた(キリッ」って言うボソラーは死ねばいいのにと思う。意外と息漏れてるし視界に入ると気になるよ。)
どっかのライトノベルの賞に投稿するのもいいのだけど、百合というジャンルがニッチな上、ライトノベルではどうも百合のウケが悪いようだ。そもそも、長編で最後まで飽きさせない純粋な百合小説を書くのは非常に難儀である。だから、最初から短編を書くつもりだ。せっかく書いたのだから、たくさんの百合愛好家に読んでもらいたいと思うのは当然だろう。
自分のブログになんて書いたところでそれがあることすら知ってもらえない。そもそも、ブログで小説ってのは読みにくい。それがあることを百合愛好家に知ってもらうチャンスが欲しい。
というわけで、そういうチャンスがどこだろう。
SAOは設定が売れていた面があって、その設定で主人公が売れた。
そんで売れた主人公だけ使って、設定を変えていったけど。飽きられた。
同一主人公が、設定だけ変えて何度も何度も冒険すればそりゃ(主人公が)飽きられる。
結論から言えば(ライトノベルの刊行ペースその物が)マーケティングに失敗してるので
何をやっても先細っていくだろ。
ライトノベルは今や一大人気コンテンツの一つで、新刊が出る度にとりわけ人気シリーズはマンネリが続こうが買い支えられているので、
落とし所が掴めていないため、惰性で続けられてるのが多い。
漫画で言えば、『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』などの推理漫画や『こち亀』のように永遠に年を取らない設定の漫画がある。
ライトノベルでも人気シリーズは多く、特にネットゲームを題材にした『ソードアート・オンライン』はシリーズ化して久しい。
『ソードアート・オンライン』アリシゼーション編の最新刊の評価が両極端に割れている。
確かにシリーズが長すぎて冗長に陥ってるのも分かる。
もはや落とし所を誤ったとしか言いようがない。
同じようにシリーズ化が長くなり過ぎて仕切り直しをして再起を図った例もある。
『とある魔術の禁書目録』がそれだ。
今は新約もシリーズが長くなってきているので多少マンネリが否めないものの、前作から心機一転できたのは大きいだろう。
しかしながら、シリーズが長くなり過ぎてダメになったパターンもある。
番外編の『お釈迦様もみてる』と併せて読むとその実がよく分かる。
とにかく終わりの見えない学園ドラマと化したため、マンネリが出てもはや行き着く処が分からないままシリーズが続いている。
元々大筋があったのにそこから番外編を立て続けに出した結果、本編から逸れすぎてしまって修正が不可能な所まで落ちたケースといってよい。
漫画であれば、完結しない事で知られる『ベルセルク』やオサレ過ぎてもはや何を描いてるのか分からない『BLEACH』、ネトゲに嵌って惰性で年に数回しか連載されない『HUNTER×HUNTER』のように落ちる所まで落ちてるのに未だに連載が続いていて人気も高い作品もあるのでそこは注視したい。
ただ、漫画はそれでいいかもしれない。
しかしながら、ライトノベルは数ヶ月に一度か或いは年に1度しかシリーズ物が登場しない事もあって、早い完結が読者の中で見込まれてるのは確かである。
さっさと終わればいいものを、ドラゴンボールおよびドラゴンボールZ並の尺取りなのでマンネリ云々以上に上手い展開でなければそれはもう惰性で描き続けられていると見られても仕方ない。
いっその事、禁書のように新約に逃げるのもありかもしれない。
要は仕切り直せば良いわけである。