はてなキーワード: ハブとは
そうやって非コミュとかコミュ障をぼっちで放置するだけでなく、いじめとか引きこもりの原因にもなっていて、長らく社会問題になってるんだけど、どうよ?
「持たざる者が、持つ者にたいして、配慮しろ(=オレにも寄越せ)と説得する」ってのが現代社会のありとあらゆる場所に見られる。
才能があるやつはイイよな努力しなくても何でも出来て、とか。
これらにたいしてもちろん人権()とか平等()とかをお題目というか錦の御旗にして、持たざる者が持つ者に対してその是正を求めて行くわけだ。それは別段非難されることではない。自分の利益を最大化しようという行動だからだ。でも一方で「持つ者が持たざる者には一切オレの富をやらん」というのも同じく自分の利益を最大化しようという行動で、その点で両者に差はない。
「持たざる者が持つ者に対してその是正を求める」というのが社会正義をひいて絶対的に正しいと思う人もいるが、これは嘘だ。倫理的に一定の正しさはあるが、じゃあそれが「持つ者の私有財産権」を犯していいものかというと疑問である。その両者の間で良い具合のところで落としどころをきめるしかなくね? というのが現代社会のコンセンサスだ。
「持たざる者が、持つ者にたいして、配慮しろ(=オレにも寄越せ)と説得する」ときに、持たざる者が絶対に自覚すべき事がある。
長らく社会問題になってるんだけど、どうよ?
これは「俺たちに配慮しないと問題を起こすぞ(=いやならお前たちの富を寄越せ)」という意味だ。
デモやストライキもその意味ではまったくいっしょだ。「社会問題になってますねー(チラチラ」はサボタージュに近い。
「持つ者」が多数派で法を支配している場合、「持たざる者」のあらゆる抗議は違法であるとされる可能性がある。または適法の行動では「持つ者」の意志を一切変えられないという事態も予想される。法の支配や独占は言うまでもなく(適法ではあるのだろうが)ある種の暴力である。その場合「持たざる者」の抗議行動はテロになるだろう。
デモやストライキ、サボタージュとテロの違いは法律で許可されているかいないかの一点に尽きる。しかし手法としては同一線上にあるものだ。
『ネコつきマンション』なんてのが、ちまたで流行っているようだけど、ネコを飼うのはなかなか大変だ。
ネコは基本的に飼い主のことなんかそっちのけで、ふらりと出て行っては、ずいぶん長い間帰ってこなかったり、
ともすると突然帰ってきたりする。
子猫連れて帰ってくることも(稀に)ある。
で、こっちが増えた新入りの世話に追われて、てんやわんやになっているのを横目に、古残のネコどもはエサだけ食べて、あとはぶらぶらしている。
のんきなもんだよ。
俺は、ずいぶん長い間、ネコさま方とは懇意にさせて頂いている。
一人暮らしを始めた時に、入居した部屋がたまたまペット可で、雨の日にずぶ濡れになっていた黒猫を保護した。
それ以来、知り合いから引き取ったり、野良の屋根になったりしたりで、どっぷりネコ生活を続けている。
もう10年になる。
ある、平日の昼のこと。
その日、大学の講義がなんかの理由でポシャって、友だちにもハブられた俺は、部屋でひとり優雅に茶でも飲みながら読書、と決め込んだ。
寂れた古本屋の店頭に100円で置いてあったやつを値段に惹かれて買ったのがいけなかったのか、文庫本はあまりに退屈だった。
いつしか読書に飽きた俺は、一人がけソファで、つい、うとうとした。
すると、ニャーと声を鳴らして、足元にネコが寄ってきた。
ん?こんな奴いたっけ?
当時のうちは野良のたまり場になっていて、常時2匹は滞在していて、ぜんぶで10匹位はいたと思う。
そのなかに三毛猫はもちろんいたけれど。
はて、こんなにスリムな美形さんはお目にかかったことがない。
いや、やや、顔のパーツが離れているか?
説明しにくいのだが、鼻に対して、目と口が若干離れている。でも、顔自体は大きくない。
こっちが見つめていると、嬉しそうに、ニャーともう一度鳴き、俺の足元をグルリと周る。
いやしかし、俺ってばネコちゃんにモテモテですねえ。次から次へと取っ替えひっ替え、まったくお盛んなことですねえ。こんな調子で彼女もできればいいんだけど。だがしかし全然脈が無い、どころか女の子と付き合いがない。なぜならば理系まっしぐらの男子大学だからである。当然の帰結である。出会いが欲しい。どこかに無いか。バイトでもすればいいのではないか。バイトすればネコの餌代もまかなえて貧困生活から脱却できるのではないか。でも俺がバイトしている間、こいつらの面倒は誰がみるのか。
俺はため息を付いて、足元の新入りを見た。
こっちに顔を向けたまま、微動だにしない。
あれ?なんか、さっきより目の位置が離れていないか?
よく見ると、鼻も下がっている。口も離れていく。
そういえば、他のネコの気配がしない。いつもいるはずのネコ達が今は一匹もいないようだ。窓の外からは何の音も聞こえない。
冷や汗がつたう。目をそらす事ができない。
ネコの顔は、どんどん離れていった。
凍りついたように固まっている。
やがて、顔には何もなくなったが、顔をゆっくりと前後に揺らして、
「ゔあ゛あ゛あ゛あ゛」唸るような音を出した。
2ch内に無数にある「板」と呼ばれる話題別の掲示板の一つであり
今も存在こそするが、殆どの住民は上記事件の際、「嫌儲」と呼ばれる板に移動しており
かつての隆盛は影を潜め、完全に別のコミュニティと化している
ちなみに現在のニュー速は、以前の住民からは皮肉を込めて旧速と呼ばれる
一般的な掲示板と同じで、提示されたあるニュースや話題に対して議論や言葉を交わし合う場所
但し、他のコミュニティとは決定的に違う点が二つ
ネット上では基本的に同意よりも反論の方が多い傾向が見られるが
ニュー速はその傾向に輪をかけて「反対の反対の反対」という風におかしな方向でバランスが取られていた
通常ありえないが、意見投稿時に著作権放棄を掲示板に求められる上
掲示板自体をもその権利をいくら侵害、コンテンツを無断使用されようが訴えるなどの行動を取ることがなかったため
実質的に著作権フリーで転載し放題という状況であった、ちなみに現在もこれは変わらない
・社会的影響力
ニュー速自身では、いくら自分たちが騒ごうが現実世界には何の影響力もないと卑下されることも多かったが
実際の所、様々な形で影響を与えており、現在ネットにある既存のTwitterやFacebook等と比べても明らかに甚大な力を誇った
情報を一手に収集、拡散させるという性質上、非常に高いネットへの影響力があり
ネット世論の大半を形成していたといっても過言ではない状況であった
掲示板というシステムの強みを活かし「自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの」を地で行っていた
基本的にはネット上でのどこかで大きな事件や話題があればニュー速へ輸入され咀嚼されるのが常であり
新聞やTVを見ていなくてもニュー速を見ていれば最低限の世間の動向とネット上の動きは分かるといった感じであった
ニュー速がニュー速であった所以、正にこの情報拡散能力が異常かつありえないものだった
まとめブログと呼ばれるブログ群を通して鬼のようなスピードと規模であらゆるネット媒体、利用者層に情報を行き届かせる事ができた
Twitterやはてブ、Facebook、ニコニコ、ふたば、Redditといった今日の既存ネットコミュニティとの最大の違いはここであり
今後かつてのニュー速と同規模の情報拡散能力をもったネットコミュニティはもはや出て来ないだろうと思われる
この天変地異的に突出した情報拡散能力は当時のネット状況、まとめブログ群とアフィリエイトシステム、2chの構造上の問題等が複雑に絡み合って
奇跡的に成し得たものであり、当然のことながら一言でいってしまえばニュー速というコミュニティの質が他に対して優れていたわけではなかった
そもそも「ニュー速凄い!」などという文言は当時から皮肉を込めてのみ使われていた言葉であり
大まじめにそんなことを言っている人間はかなりの馬鹿か、自分の属するコミュニティに依存した阿呆だけであった
しかし当時の状況を冷静に振り返ってみれば明らかに「ニュー速最強!」であり、失われた今だからこそ声を大にして言いたい事実である
まとめブログにいい加減嫌気がさした利用者、住民達がまとめブログそのものではなく、コンテンツ供給元となるニュー速そのものを攻撃
つまり自らの手で自らのコミュニティを破壊するという傍から見るとイカれた自爆行為を敢行したため綺麗サッパリ消滅してしまった
殆ど言及されないが、その異質さ、困難さ、スピード感、規模からみて日本ネット史における一大事件であった
更にまとめブログの悪質さ、モラルの欠如、著作権的にグレーな営利行為など種々の問題を浮かび上がらせた一件でもあった
司令塔を失った現在の日本ネット世界を見れば分かる通り、どんどんと文化の独自化、多様化が進んでいる
翻ってみれば、当時のニュー速は情報集積地として各ネット文化のハブ的役割も果たしており
現在同じような役目を担えるコミュニティがあるかと問われれば、どこも情報拡散能力やその他の力で圧倒的に劣るものばかりである
だからこそ日本ネット界では現在の縦割り世界化が着実に進行しているのでもあり
つまるところ凄かったと言わざるを得ない
1人でなんでも出来るんじゃない。
誰もいないから、なんでも1人でやらなければならなかっただけだ。
仲間がいるなら手分けしたさ。
でもお前ら、ハブ依頼とかしたりして干すだろ。
結果、一人で何でもやるしか無い奴が生まれて、結果、なんでもできるようになるだけだ。
哀れの極みだよ。
一言で言えば、当事者が書いた本を読んでから物を言え、と。発達障害の概念があることで、当事者は自分を責める量が格段に減ってる。
>少なくとも「発達障害」と見做される特徴を持った人々にとっては昔の日本の方が生きやすかったし生き方の幅も広かった。
縄文時代までさかのぼればそうかも。ADHDの人の勇猛果敢さは狩りで尊敬されただろうし、アスペルガーの人の記憶は「毎年この時期にあの場所に木の実がなる」的な知の伝達に重宝されたと思う。生活の中の繰り返しの多さも彼らに合ってただろう。
ただ、明治以降の日本はすでに生きにくいと思う。集団行動(学校、工場)が始まることで、「規律を乱す性質の人」として悪い方向で顕在化させられてしまったた人達だから。
>変わってる子、空気読めない子をハブってはいけません、人は一人一人違うのだから他人の個性を認め合いましょう…そういう教育。昔の日本にあって今の日本にはない教育。
今も昔もやってる人はやってるし、やってない人はやってない。
やってない(やれない)指導者に対して、有効な切り札になるんだよ。発達障害の概念は。そういう人達はサボっているわけではなく、そういう性質の人達がたくさん存在してて、有効な対処法も確立されてるって理詰めで落としていくために。
似非科学呼ばわりされているけれど、私には「発達障害は生まれつきの障害なのでどうにもなりません」認定の方が似非科学に思える。
個人的にはそもそも「発達障害」なる概念そのものが疑わしく思う。
脳なんていまだにブラックボックスなのに「生まれつき脳の機能障害で一生治らない」という烙印を押して個人を差別する事が本当に科学的に正しいのか。
「発達障害」というのは本来障害でも何でもない人達を差別して排除するためのレッテルでしかないと思ってる。
あくまで作られた障害でしかないと。作られた障害だから、社会のありようによって増えたり減ったりする。だから教育で減る事だってあるはずだ。
はっきり言って「発達障害」なんていうのは肌が褐色なのが障害だとか、目が細いのが障害だとか言ってるのと変わらないと思う
必要なのは障害者として扱って特別な「支援」により周りに合わせる事ではなく、そのままの個性で素晴らしいと肯定する事ではないか。
「発達障害」教育というと、当事者を矯正して「社会」に適合させる事にばかり熱心だが、本当に必要なのはそれ以外の子に対する教育じゃないか?身体障害にしろ人種や民族にしろ、「差別はいけません」と教育するのが第一だ。「特徴を矯正して、差別者に媚びへつらって気に入られるようになりなさい」と、当事者を「支援」したりはしない。
変わってる子、空気読めない子をハブってはいけません、人は一人一人違うのだから他人の個性を認め合いましょう…そういう教育。昔の日本にあって今の日本にはない教育。
昔、少なくとも二十年くらい前までの日本では、今なら絶対発達障害認定されているような人でも職人芸などを生かしてお金を稼ぐ事が出来ていた。周りも「変わった人」として、結構好意を持って接していたと思う。少なくとも今のように障害者認定されて差別される事はなかった。
虫愛ずる姫君という古典がある。化粧もせず、流行りの衣装を好まず、他の女の子が好まない虫を愛する姫の話。当時として一般的ではなかったんだろうけれど
それでもそういう娘を美しいものとして描いた作品が千年後まで残っている訳だ。
社会人の身だしなみとして暗黙のうちに化粧を強要され、常に気配りと甲斐甲斐しさが求められる現代日本の女性には、虫愛ずる姫のように自由に生きる事は不可能だろう。
昔の全てが楽園だった、なんて言う気はないけれど
少なくとも「発達障害」と見做される特徴を持った人々にとっては昔の日本の方が生きやすかったし
生き方の幅も広かった。
「いじめられる側にも原因がある」とかって言うのと同じ感じなんだよな、そういうやつらって。
「努力しないから駄目」「社会のためを考えろ」「会社に迷惑をかけないようにしろ(謎の経営者目線)」
なんつーか、「先生の言うことを聞け」「あいつ空気読めないしハブなー」「きめえんだよ、デブ」
このあたりと言ってるレベルがいっしょ。
話する内容も、どっかから持ってきた話ばっかりで、まったく空虚なんだな。
一番理解できないのが、「個人に価値がある」というようなのが理解できない。
人間個人はたんなる人間個人なだけで、それだけで価値がある無いというのは無くて。
単に、技術とか知識とか、そういうものが価値があるからそれを援用しているというのが個人。
それだけなのに、まるで、知識とか技術を超えたなんらかの『人間個人の価値』みたいなのが本気であると思っている?あるいは思おうとしている?
のが意味不明。
作品によって複数・単体が違ってくる場合が多々あるのでメジャーそうな感じで配置。
シリーズ | 小 | 小範囲 | 中 | 中範囲 | 大 | 大範囲 |
---|---|---|---|---|---|---|
DQ | メラ | ギラ | メラミ | ベギラマ | メラゾーマ | ベギラゴン |
FF | ファイア | - | ファイラ | - | ファイガ | - |
BOF | パダム | - | パダーマ | パダーマ | パダメーマ | パドラーム |
女神 | アギ | マハラギ | アギラオ | マハラギオン | アギダイン | マハラギダイン |
DQ2ではギラが単体だったけど3でメラが登場したことによって、範囲化。
そして起こったメラギラ問題。
閃熱魔法系=ギラという事になった。
そしてメラゾーマに「ゾーマ」が含まれるのは何か理由があるのだろうか。
そしてこれのおかげで主人公・嫁・息子の編成となり、娘だけラストバトルに連れて行って貰えないDQ5、悲しみの象徴。
1に於いてパダメーマという魔法が存在したことを思い出したBOF。
ていうか1は8人の仲間で7番目に魔法使いが入るため、今までベギラマ止まりだった攻撃魔法が一気にギガデインクラスまで追加され、
移植版だと効果がガイドで表示されるけど最初そんなんなかってん…。
パダーマは作品によって単体の時と複数の時がある。
マハとくっつくと、英語の発音みたくアが消える所が言語っぽくてかっこいい。
シリーズ | 小 | 小範囲 | 中 | 中範囲 | 大 | 大範囲 |
---|---|---|---|---|---|---|
DQ | ヒャド | - | - | ヒャダルコ、ヒャダイン | - | マヒャド |
FF | ブリザド・ウォータ | - | ブリザラ・ウォタラ | - | ブリザガ・ウォタガ | - |
BOF | レイガ | - | レイギル | スーレイ | - | グレイゴル |
女神 | ブフ | マハブフ | ブフーラ | マハブフーラ | ブフダイン | マハブフダイン |
ヒャダインだけ敵全体となっている。
多分これに習ったのがBOF1のスーレイだがその後消えました。
ていうかレイガ、レイギルときてちゃんと氷っぽいのに、なんでそこでグレイゴルなんだよ。
でも、1のときのスーレイとグレイゴルのアニメーション効果がかっこよかった。
ていうか水攻撃って言われても困るよね…水鉄砲みたいにして攻撃とかもでない限り。
あ、FF3だと単体・グループ・敵全体と選んで魔法入れることもできたよ。
ブフの由来は多分吹雪なんだろう。
シリーズ | 小 | 小範囲 | 中 | 中範囲 | 大 | 大範囲 |
---|---|---|---|---|---|---|
DQ | - | - | - | ライデイン | ミナデイン | ギガデイン |
FF | サンダー | - | サンダラ | - | サンダガ | - |
BOF | - | バル | - | ババル | - | バルハラー |
女神 | ジオ | マハジオ | ジオンガ | マハジオンガ | ジオダイン | マハジオダイン |
全体攻撃みたいなイメージが強い雷系。
FFではファイアとブリザド系よりちょっとだけ高等魔法として扱われていること多し。
結局、1以降は全体攻撃でバル<ババル<バルハラーという活用に落ち着いた。
ジオはなんか雷っぽい響き。
ジオンガが腕を振り上げて暴れている獣っぽくて強そうで好き。
シリーズ | 小 | 小範囲 | 中 | 中範囲 | 大 | 大範囲 |
---|---|---|---|---|---|---|
DQ | - | イオ | - | イオラ | - | イオナズン |
FF | - | - | - | - | - | メルトン |
BOF | - | メガ | - | ドメガ | - | ドギガ |
女神 | フレイ | - | フレイラ | - | フレイダイン | - |
ギラ系をココにもってきてもいいような気がしないでもない。
(デボラはどうなってるか知らない)
FF6ではメルトンをガウに使われ全滅した懐かしい思い出。(敵味方全員にダメージ)
メギガーとかメマガとかあったのを検索してようやく思い出した。
割と爆発っぽい響きだぞ。
ついでにここに核熱とか入れた。
でもペルソナ1だとここに範囲としてメギドが入ってくるのだった…。
もうやめて!!
この話はいじめとかでは全くないし、そういうことに直面している人から見ると甘っちょろくて、鼻で笑われるタイプの話だと思う。でもやっぱりしんどいので吐き出してみる。
この大学四年間、友人関係を築こうとした私は見事に失敗したんだと思う。声をかければ反応してくれる友人は他学部にもいて、顔をあわせれば雑談出来る友人。そこまではうまくいった。でも、もう一つ踏み込んだ関係からは徹底的に排除されてしまった。
いじめられている訳ではないし、あからさまな嫌悪感を向けられる訳でもない。でも、必要とされていない、邪魔者だと、私が分かるか分からないかギリギリのところをついて、彼女たちは急速に離れていった。
私の場合は女子同士いくつかのグループがある中の一つで、いつも一緒ではないけれど、遊びに行ったりサークル活動を楽しんだりしていた。休み時間や空きコマの時になれば皆と談笑し、誰かと二人になれば個人的な悩みなんかも共有しあった。まるで仲良しの友達みたいだった。
ただ、そう思っていたのは私だけだったようで、それに気づいたのは、私は全く知らなかったけれど、皆が楽しく遊びに行っていたのを、うっかり知ってしまったためだった。正直「遊びに誘われなかったくらいで大袈裟な」と思われるだろうし、自分でもそう思う。けれど、ショックだった。それをお互いがフォローしあってるSNSで呟かれたことも結構ショックだった。
次の日は何事もなかったかのように話しかけられた。いつも通り、仲良しみたいに。
気のせい?うっかり忘れられた?もやっとしながらも、普段通りに接していた。ら、またやられた。
グループの一人から、「来週どうする?私行けなくなっちゃったー」と。なんのこと?と聞いたら、「え、聞いてない?」って。知らない、聞いていない。
学校に行けばいつも通りにこにこ笑顔の皆。でも私は確実にハブられてる。コミュニティの全部じゃなく、極一部分で。 混乱した。
その後も何度か続いて、それでも空気の読めない私はまだしぶとく皆と一緒にいた。
ある時、珍しく今度のサークル後の夕飯に行かないかと誘われた。浮かれた。心臓がドキドキして、でも少し血の気が引いた。当日、何も言わないその子に、私も行っていいかと言ったら「ああ、でもどうなるか分かんないから」と冷たく言われ、あ、だめだ、とようやく分かった。グループの皆とは、今、目の前で、今から行こう行こうと楽しく話していたのだ。
そこから少しずつ距離を置いて、会えばやっぱりにこにこ話すし冗談も言う。ちょっとした不安も分け合う。けれど一緒に遊んだりしない。長期的に一緒にいない。そういう関係になった。
私以外の皆は仲睦まじく一緒に遊びに行っては写真をupしたり近況を呟いたりと楽しそうだ。
ここまで書いて、私が完全に空気読めずにつきまとってただけなのかな、と思った。ただ、話すときの笑顔とか笑い声とか、彼女たちのそういう好意みたいなものが、全部刃物みたいに降ってくる。
きっと彼女たちにとって、どっちも本当の気持ちなんだろう。その場で笑う時も、私を疎ましく思う時も。
本当は私が悪かったですごめんなさいと頭を垂れて静かに引き下がらなければいけないのかもしれないけれど、そんなことはする気がおきない。気のせいでしょ、と一蹴されてしまう程分かりにくいやり口で、周到に疎外されたと、恨む。
彼女たちが卒業旅行の話を進めているのを知って、性懲りもなく傷付いたので吐き出してみた。あんまりすっきりしない。誰かに見られると思うと文章が全部嘘みたいになっていく。
こういうどってことないもので凄く悩んで傷付くんだ。馬鹿みたいだと分かっていても。
彼女たちへの誕生日プレゼントは欠かしたことがない。小さな復讐みたいなもの。おめでとうの一言も、ましてやプレゼントなんてかえってこない。だから、毎年毎年彼女たちにプレゼントを贈る。おめでとうって贈る。
好きだからとか嫌いだからとか、そんなところはとうに過ぎて拗れてしまった。
私は、あなたたちに贈り物をする。
遊んでる友達も、だいたいがネットで知り合ってリアルでも遊ぶようになった人ばかり。
そんなうちの1人が、3か月前くらいから連絡が付かなくなった。
リアルで遊ぶのは月1くらい、ネットだとだいたい毎日何してるか分かるくらいの付き合い。
ある日、普段使ってるSNSでの発言が無くなり、
プライベートで何かにハマるとよくある人なんで
またかなと思っていたら、そのまま今まで発言がない。
うん、留守電すぐ入るってことは、電話は普通に使ってるんだよね。
わかる。
そうか。
それとも、何かあったのかな。
自分に何か悪いところがあったのか。
他の人経由で言ってもらえる程度の関係性はあったと思っているのだが。
そんなの、自分が思っているだけで、相手からはどう思われたのかなんて憶測でしかできない。
相手は無事なのかな。
もやもやする。
30歳 174cm 痩せ型 高卒 地方在住 月給手取り23万。
クラブやバーなど大人の遊び場に行ったことがない。スタバも焼き肉も回らない寿司もファミレスもいったことない。回る寿司は一人でいってお持ち帰りだけならした。飲み会に行ったことがない。風俗も行ったことはない。童貞ではないが恋愛経験はなし。
飛行機に乗ったことがない。船は修学旅行以外で乗ったことがない。というより住んでいる土地から修学旅行以外ででたことがない。四国九州沖縄に行ったことがない。当然海外なんて行ったことがない。
英語はできない。
友達は一人も居ない。ネットでの長い付き合いのある人を友達と言うならネットでは3人位いることになる。
親にもハブられぎみで10年位会ってないし電話もこない。ちなみに親は中卒。
アニメは見ない。ネトゲは少しするけど所詮ネトゲもリアルと同じでぼっちなのでFF14みたいのは面倒でできない。ギャルゲーはやったことない。家庭用ゲーム機は子供の頃から一度も所持したことがない。カラオケ行ったことがない。ろくに歌ったことがないので多分音痴。お年玉を貰ったことがない。将棋、囲碁、麻雀、トランプの各種ゲーム、UNOのルール知らない。ポケモンやったことない。スマフォもったことないから当然LINEなどしらない。スカイプやったことない。
もう一度言う、友達は一人も居ない。
なのにTwitterでは何故か有名なアプリの開発者や最新のネトゲ渡り歩いてるヘビーゲーマーや音楽作ってる人や絵のうまい人にフォローされてツイートに感心されることがある。自分とは対極の今風のきらびやかな世界にいる人達に何者なのか気になると言われたり。なぜかみんな騙されてるか騙されてるフリをしてる。進んで嘘をついてるわけではなく、言わなくていいことは言わないようにしてるだけ。不思議だ。空の上の人たちが自分の何に興味をしめすっていうんだ。
自分が何言っても、現代の文化を知らない人が適当にそれっぽいこと言ってるだけなはずなのに、興味深々な反応をもらう。わけがわからない。俺に媚を売ってもなにも得るものは無いはずなのに。
ただ、不思議でならない。
もしかしてネットなんてみんなそんな架空のイメージをやりとりしてるだけなんだろうか。
でも何か作ったり行動している人のそれは、間違いなく本物なのに。そんな本物を持ってる人が中身のない自分に興味を持つというのが不思議でならない。
Twitterの検索で適当に何人かクリックしてみると、"この人をフォローしている自分のフォロワー" がぼこぼこでてくる。そっちのほうが、はてブが増えたことより驚きだった。知り合い7人たどると全世界がなんとか理論だったか。
こういうベクトルの話題に反応する人たちが自分のフォロワーと近いところにいるのは自然だろうし。Twitterでは必要以上を書いてないだけで、俺という一個人からでてしまう匂いはここでも同じものになってしまうのだと思う。
Twitterでは必要以上を語らないことに徹しているので、逆のことをやってみたくなった結果がこれだった。けど、それが及ぼした影響は俺から見える範囲では結局Twitterと変わらないんだな、俺から見える範囲そのものもさして変わらないのだな、ということを俯瞰して残念なような。
本当に伝えたかったことは、ネットは上辺だけだということじゃなくて、流行りの音楽聴いたりガジェット所持したりかっこいい遊びをしておしゃれをしてということは必須ではないのではないかということかもしれない。俺はずっとそういうことを必須だと思って現実では他の人との壁を厚く感じてた。それがネットではそっちがわの人間の興味あつめる結果になっている。みんな騙されてるフリをしている、という可能性を忘れればだが。
基本的には、ネットだけに特殊な人間関係効果があると自分は考えていない。ネットにも壁はある。事実、他のSNSというものを一度登録だけはしてみたが、全く使い物にならないままに放置された。現実や密なコミュニケーションを要求するSNSやネトゲでは、有限の時間と労力と気力を使ってコミュニケーションを取る以上、より中身のある面白い人物とつきあった方がメリットが大きいのだろう。同じ害にならない人物なら、一緒に過ごして何も得られない人よりも、得られる相手のほうがいいと多くの人が考えているように感じる。
Twitterという場所は少し違う。害にならない人物ならとりあえずかき集めておいて損はないという方向性をTwitterの設計は恐らく意識的に加速させてる。むしろその軽さがTwitterの他のSNSとの違いに思える。フォロー、アンフォローはいつでも気楽にできる。とりあえず見てみることにリスクがない。
そのような場では、何か一つ琴線にふれる部分が対象にあれば、(現実や密なコミュニケーションを要求するSNSやネトゲのように)他の色々が足りなくても対象が有限の時間と労力と気力を無駄に食いつくすということはないので、損にならないように相手を吟味する人が少ないのだと思う。これは現実でいうならお祭りとかボランティアの場とか、ネトゲでいうなら先に出したようにわーわーと大人数で協力する場に近い。いるだけでまあ害にはならないしちょっと得だよね、という。
予想通り「お前がハブられてるのはLINEとか関係ないからwww」ってドヤ顔で言うトラックバックがあってげんなり。想像力のない人なんだろうね。
おれも高校時代携帯を持ってなくて、友人関係には苦労した。ガラケー時代だったからLINEとかなかったけど、LINEで連絡が当たり前の今ならなおさらキツいだろうな。
ハブられる、というのとはちょっと違うんだよな。普通に考えて、クラスの自分以外の全員がメールで(今ならLINEで)学校の外から気軽に連絡するのが当たり前なのに、
その中でおれにだけ手間かけて連絡するか?って考えれば答えは明白だわな。おれだって逆の立場ならめんどくさいもん。
おれが本当の意味ではハブられていなかったことは大学に入って携帯を持ってから証明された。ちゃんと誘われる。卒業後のほうが高校時代の友人と遊んでるよwww
けれども、やっぱ高校時代の友人とは高校時代に遊ぶべきだよ。卒業後は地元を離れるかもしれないし、後から取り戻せるってもんでもないよ。
バイトとかすればいいんじゃないかな?携帯のためのバイトとなると親に禁止されそうだけどwwwちょっとした社会勉強にもなって自信つくと思うし。