はてなキーワード: コロリとは
老犬、無事に看取りました。ピンピンコロリでした。
具合が悪そうになったのが10日前。その後点滴で気持ちは元気になったけど、実際にはあまり効果が出ていなかった。ので、自宅療養に切り替える決心をしたのが5日前。
前日までは元気に散歩も行ってたけど、次の日の朝てんかんの発作で立てなくなって、一度復活したけどまたその次の日の発作で遂に起き上がれなくなったのが3日前。
ごはんも水も受け付けなくなって、いよいよだなと気付いた。
仕事をサボって2日間添い寝して介護して、夜にすうっと眠ったまま、みんなに見守られながら息をしなくなった。
2日間あったので、バラバラになってた家族全員が家に戻って可愛がれたので良かった。軟弱な甘えん坊犬だったはずなのに、最後はよく頑張ったんだ。
びっくりしたのは、最後の日の昼間に寝返りをうたせてあげとき、こっちをみて尻尾を振ってくれたこと。
最初はてんかんの発作かと思ったけど、目はしっかり開いてこちらをみていて、自分の意思で振ってるんだよとアピールしてきた。どこにそんな力があったのだろう。
かまってくれて嬉しい、なのか、いつもありがとう、なのか、単純に好きだよ、なのか分からないけど。
ずるいよね。そんな愛おしいところ見せられたら、気持ちに嘘が付けなくなるじゃん。
でも私はまだ若い人間だし犬にとってのお姉ちゃんだから、犬より強く生きなきゃいけないから、大好きだよ、大丈夫だよって笑ってあげたんだ。涙は出てたけどさ。
あんなので犬が安心できたのかは分からないけど、少なくとも人間は救われた、本当に。君を好きで良かった。
最後の力を人間への意思表示に使ってくれるなんて、なんて優秀な子だろう。
ともかく、16年来の相棒は死んでいった。
人生の半分以上を共に過ごした良きパートナーだった。友達かもしれないし弟かもしれない。そこはなんでもいい。
自分達や特定の人達に露骨に有利になる様な法律を通そうとしている連中というのは、自分たちがそういう法律を通そうとしていることを悟られない様にさも自分たちが至極正しいことを言っているかのようにカモフラージュする、というよりもっと正確に言うならば自分たちに反対するものを悪者の様に見せることに長けている、世の中の法律って結局そういう奴らによって決められているような気がしてならないんだ。というのもそういう印象操作にコロリと騙されてしまう人が世の中かなり多いんだよ。
その人材派遣会社の例えなら、賛成派はその法案をさも『今困っている人材派遣会社の社員の人達を助けるための法律』であるかの様にアピールし、まるで反対派を社員の人達を見捨てようとしたり更に苦しめようとしたりする酷い奴らの様に見せる印象操作をする。で、そういった操作された印象だけを見て碌に法案の内容の吟味もせず反対派の言い分に耳を貸さずに頭ごなしに反対派を悪者扱いして罵倒する人が結構多いのよ。
これではまるで小学生の議論と同レベルだ、そしてそういうことがあまりにも往々にしてあるものだからクソ真面目にデータだの証拠だの見せたり説明しようとしたりして理詰めで法律について議論するのがバカみたいだと言いたいの。
元増田のモヤモヤから、なんとなく死に対するコミュニケーション不足が感じられました。
だれのというわけでなく、患者さん、ご家族対主治医だったり、チーム内だったり、
人は納得できるだけの情報があってはじめて決断できるとおもってます。その納得できる情報というのは
人それぞれに違うので、短い時間でなかなか提供できるものではありませんが・・・
そんな中でも患者さんは、「治療を中止して、苦しみから逃れるために死ぬ」という決断をしたんだと。
今の医療制度の中で素直にそんな願いはかなえられるわけなく・・・死を望むものに手助けした時点で
自殺幇助になってしまいますから、家族であれ、医療従事者であれその望みを叶えてあげるのは無理ですよね。
できることは、治療拒否か治療方法を選ぶことぐらい。どの治療方法をえらんだらいいのかは、
そんなことをこのエントリを読んで、自分もモヤモヤ考えてしまいました。
自分の母親は大きな病気をして、今は退院してますが、ちゃんと治療方法を選択するときの道標となるべく
「どうやって生き、どうやって死ぬのか」を会話しなきゃなと
昔、元気な時に聞いたときには、ピンピンコロリがいいなんて話していましたが、今ではそれは難しくなったので
丸の内勤務、アフターファイブは丸の内周辺で遊んでいるので、俗にいうハイスペック男性に声をかけられることがとても多い。
彼らはパリッとしたスーツとつやつやの革靴を身に着けて、ギラギラした目で声をかけてくる。
「めちゃくちゃかわいいね」
「俺あの会社務勤めてるんだ。」
「手、きれいだね、握ってもいい?」
今晩だけやれればいい、そんな魂胆を隠して(こちらからすれば丸わかりだが)
まるで本気で惚れたかのように演技をしてくる。
そのたびに私は笑ってしまいたくなる。
彼らは「女はわかりやすいスペックに群がるもの」「俺のスペックなら女など掃いて捨てるほどよってくる」、そう無邪気に信じ込んでいて、なんだか可愛げさえ感じる。
私が自信をもって言ってあげたい。
そのスペックにかまけ、女をひたすらやり捨てる20代~30代前半を過ごしてしまった男性の末路は本当に悲惨でみじめだと。
ちなみに文体が気持ち悪いのは自覚がある。でもこういう文体じゃないと筆が進まない。ごめん。
週5・6日、夜の9:00から朝の5:00というフルタイム勤務だった。
キャバ嬢、ホスト、出張客、外国人、ちょっとカタギじゃなさそうな人、そして普通のOLさん、サラリーマン、大学生、不倫カップル、マッチングアプリの初対面カップル…
大学の単位と引き換えに、大量の人と会話をし、空気を読み、まあいろいろなことを勉強した。
大量の人間と接していると、ある程度の人間はカテゴライズ・サンプル化できてくる。
どのような会話や距離感を好むのか、見極めることを何度も繰り返しているからだ。
それを踏まえて聞いてほしい。
彼らは就職し、自分たちが「ハイスペック男性」であることを自覚する。
「年収1000万を望むアラサー女wwwww」というネットの女叩き記事や、
東京カレンダーとかいう一部の層の心をたまらなくくすぐるであろうメディア、
台頭してきた港区女子…などなど、彼らが自分たちの価値を自覚する機会はここ最近急激に増えたように思う。
そして仕事に慣れて学生臭さが抜け、他の企業との収入にも差ができ始め、女が結婚を本気で視野に入れるようになってきた25歳あたりから彼らは本格的に遊び始める。
彼らのもとには大量に女が群がる。
女が群がれば群がるほど、彼らはさらに自分に自信をつけ堂々とふるまうようになり、女に慣れていき、その所作になおさら女が夢中になる…という雪だるま方式だ。
本気になってもらえるかもしれない。振り向いてほしい。
そう決死の思いで体を許した女を容赦なく切り捨て、俺はもっといい女と付き合うべきだ、もっといい女がいるに違いないと上を求め、そして引っかかってきた女はつまみ食いしていく。
それを繰り返していくうちに、彼らは思う。
「俺はいい男だ」
時として誰かと付き合い、そして何人かセフレを持ち、女は俺の思い通りになる、俺はモテる、と思いながら彼らは数年を過ごしていく。
ここで彼らは2種類に分かれる。
そして「俺はまだまだ遊びつくす。まだ一人の女に絞れるわけがない。むしろ結婚なんてしなくても。」と思うタイプ。
当然、悲惨な末路をたどるのは後者の思考回路を持ってしまったタイプ。
彼らは変わらず女を食っては捨て、食っては捨てを続ける。
めんどくさい、と思えば気軽にラインをブロックし、未読無視し、やりたくなったら自分に本気になっている女を呼び出して欲望のはけ口にする。
状況が変わってくるのは30歳になった頃だ。
30歳に差し掛かってきて、徐々に彼らの手持ちのカード、つまり遊べる女が減ってくる。
彼女たちも彼らを見切り、別の誠実な男と結ばれていくのだ。
でも彼らはまだ遊び足りないし、手元のカードは完全には空にならない。
残った女をまた蔑ろに食い散らかしていく。
落ち着き始めた同僚、増えてきた結婚ラッシュ、そんなものを横目に。
だいたい33歳、34歳あたりだ。
ターゲットにされるのは、まだ社会経験のない大学生というパターンが多い。
女性のエスコートがうまいこと、そんなことでコロリと引っかかってしまう。
彼らからしたら、最高のことだろう。
無邪気に自分のスペックを称賛してくれる若い体をもてあそべるのだから。
ここで彼らは「俺はこの年で若い女と付き合える、やれる」と新たな自信をつける。
もう20代後半以降の女なんかあり得ない、と若さに執着するようになる。
しかしそれは長くは続かない。
20代前半女性は、34歳、35歳までは魅力的な大人の人、と慕ってくれるが、36歳になった途端に突然「おっさん」というラインを引くのだ。
そうして晴れて出来上がるのは、
「女はバカだ」と見下し
体力も衰え、見た目も衰え、
そして手には形ある守るものがない
女をひたすらに傷つけることしかしてこなかった30代後半のこじらせ独身男性だ。
こういうタイプが、当時女子大生だった私を熱心に口説いてきた。
「こいつらはバカなのか?」といつも思っていた。
やんわりと断れば逆上し、暴言を吐き連ねたり酒のせいにしてごまかす。
本当にみっともない、ダサい奴らだと思った。
卑屈で「別に結婚なんて」と強がってる背中のなんてみじめなことか。
20歳そこそこの女がそう思うのだ。
彼らは独身だった。
そして口をそろえて言っていた。
「結婚すればよかった。」
「金はある。でも、それ以外何もない。」
4年間で私はこんな末路をたくさん、もう1日に5人は見た。
だから、結婚なんて、女なんて馬鹿だ、と言いたげにギラギラしている29歳前後の男を見るたびに思う。
もう、それ終わるよ。
あなた、惨めな末路に片足突っ込んでるよ、と。
東京カレンダーが運営しているマッチングアプリで女を食い散らかしている、と豪語する29歳の弁護士に出会ったので。
彼の将来に、幸あれ。合掌。
自殺って他のとくらべると「自分の意思」でやっているわけでしょう?
自己責任じゃないの?
本人が書いた遺書があって、
「こういう理由だから死にます」とか書いているなら検討の余地あるよ?
でも、普通に「今が嫌だから死にたい」というタイプも居るじゃん。
「生きがいがないから」とかその他色んな身勝手な理由で死にたいこともあるでしょう。
「死ぬ」という選択を自分でした以上、他人が文句いって良いわけではないと思う。
それを他者が勝手に「自殺の原因ガー!」とか「周囲ガー!」と言い出して
眠りにつくように楽に逝けるようなさ、そういうもの。全身麻酔と空気注s
安楽死については、まぁ、置いといて。
「ピンピンコロリ」元気で悔いが残らないような急死を誰もが望んでると思う。
病気で、(老衰含めて)元気になる見込みも無いのに延命治療するような、生存者のエゴ的なやつ。
内容にかんするきちんとした反論であったので、言及する必要を感じた。
ちなみに意見としてはこの三行が要旨であろう。
> 奈須作品は主人公の生き様を見てヒロインが主人公に惚れるケースの方が圧倒的に多い。
> そこを、分かり易い恋愛スイッチでキモ男にコロリと落ちるチョロインと勘違いしないように。
> 増田に女性の主体性って視点がない。何かしてもらったからじゃなくて、何かしているのを見て恋をするんだよ。
おそらくだが、ほぼほぼこれは衛宮士郎、岸波白野、藤丸立香を指して言っているのだろうと思う。こいつらの特徴は、生き方や人生に対する向き合い方=人格的な部分を評価されているエピソードが多いところである。これはwikipedia見るだけでも一目瞭然である。だが、その上であえて言おう。それは間違っている。なぜならば
その証拠に、型月の主人公はただのむっつりスケベである。彼らは純朴・朴念仁・お人好しという格好を装っているだけで、実はメチャクチャむっつりである。これはFate/Extra、Extellaのストーリーを追っかけていればわかる。こいつら、実はかなりヒロインに対してセクハラしてる。ただ同じくらいヒロインたちが主人公に対してセクハラをする。ただ、重要なのはセクハラがどうとか主人公がむっつりである、とかそういうところではない。要するにここから那須きのこ氏の作風が透けて見えるのである。つまりキャラクターがシナリオに追従している、という作風である。
本当はこいつらメチャクチャむっつりのドスケベ野郎なのに、ストーリーやエピソード全体で語られる人格は「公明正大で忍耐強く、極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好し」なんだぜ?なんでこういうキャラ付けがなされるのかというと、これまた単純な話で、要するにこいつら性癖を隠すためにこういうキャラ付けがされているだけなのだ。で、特にこれが言いたいのだけれど、本当に主人公たちがマジで性癖があってエロくて人間的に駄目なやつなら全然問題ないのだ。それは単にキャラクターの人物像を掘り進めた結果としての個性になる。だが那須きのこの場合は違う。那須きのこは自分自身の性癖や変態性を隠すために主人公に「人格者」というキャラ付けをする。つまりキャラクターからストーリーを生んでいるわけではないのだ。こいつの性的嗜好を満たすストーリーのためにキャラクターを配置しているだけなのだ。これがキャラクターが描けていない所以だ。
したがって、“女性の恋への主体性という観点が抜けている”という指摘があったが、これも違うと言えよう。何度も言うが、Fateのヒロインは基本恋愛スイッチを押されているだけだ。主体性に似たものをエピソードの中でときたま見せるときもあるが、これをもってしてFateヒロインに恋に落ちる主体性があると考えるのは間違いだ。単にストーリーのつじつま合わせを狙っているだけに過ぎず、これを持って「きちんと好きになった理由がありますよ」とエクスキューズする逃げ道を作ってるだけにしか見えない。そしてそれを成立させるための男性のキャラクターを逆算で考えるため、追従的に男性キャラクターを没個性的なくせに妙に正義感を使命感あふれて包容力がある実はムッツリスケベな男性像ばかりにしてしまうのである。
この代表格は型月ヒロインの代表格:セイバーさんと衛宮士郎くんの関係である。
これは有名な話だと思うが、セイバーはもともと男で衛宮士郎が女という設定だったことを知っているだろうか。Fate/Prototypeで描かれている関係こそが、fate/Staynightのもともとの形だったのである。これがキャラデザ担当の意向とエロゲ売り前提事情から何故かセイバーを女にしてシナリオ改訂しなければならくなった、という逸話は有名だ。(没個性型主人公というのもエロゲによくある話なので、型月主人公の妙な没個性性の源流をここに求めることも可能だろうとは思う。が、私としては前述にも述べたようにきのこ氏の作品発表系列として「空の境界」の黒桐くんを源流と考察しているし、これは間違いないと思っている)
さてここで問いたいのだが、元英国騎士王が現代高校生の落ちこぼれ魔術師もどき男子のところに召喚されてきて恋に落ちる主体性ってなんだろう???
そんなもんあるわけねーだろ。初っ端からシナリオが無理筋じゃねえか。こんなもんまともなストーリーになるわけない。よくてギャグにしかならん。衛宮士郎の人格的な闇?英国騎士王セイバーさんの聖人君主たるがゆえの騎士王としての悩み?アホかそのどこに恋愛につながる要素があるんだよ。シナリオを読めば分かるけど、終始衛宮士郎はセイバーさんを女の子扱いするために謎の頑張りを続け、デートをして現代日本の遊楽街を引っ張り回したリ飯食わせてみたりいろいろデートイベントらしきものを作ってはいる作ってはいるが(ry あれこれシナリオの中で理由らしきものは語られてはいる、語られてはいるがどれもこれも取ってつけたようなよくわからんエピソードばかり。
結局このひとことで終わっちまう気がしてならん。だってエロゲですもん。でもこの言葉で終わらせてしまったら思考停止。言葉に出した時点でシナリオに対する分析する意味自体なくなっちまうパワーワード。でもある意味では結局この言葉に行き着く気がする。要するに、Fate自体最初からつじつま合わせのためにシナリオが存在してきたようなものだ。恋に落ちて人間性を取り戻す英国騎士王という文学をエロゲにするためには、きちんと主人公とセックスするために英国騎士王を女にして、彼女とデートする必要があったんだろううん。果たしてエロゲを描くために英国騎士王を出してくる意味があったのかどうかは置いても、だ。そう、Fate/StayNightはもともとエロゲだったのだ。だからしょうがないのだ。人間性を描けていなくても、女性の恋に落ちる主体性にいまいち説得力がなくても、主人公が単にライターの性癖を隠すためだけに没個性的で奇妙なくらいに人格者でありながら実は内面は単なるむっつりスケベでも、しょうがないのだ。
そんなわけねーだろ。エロゲならキャラクターを描けてなくてもいいのかよ。そんなわけあるか。そんなこと言ったら虚淵さんだってエロゲライターだぞ。しかも割とストーリー性も評価されてるタイプのエロゲライターなのである。なのにこの作品の完成度の違いは一体なんなのだ?というもっともな指摘を那須きのこ氏は逃れられない。元がエロゲだから、元々無理筋なシナリオだから、こじつけっぽいのはしょうがない?それは単なる言い訳だろう。
少々反論もあった衛宮士郎についても言及しておこう。すなわち衛宮士郎とは、やりたいシナリオのためにキャラクターの人間像に説得力のあるエピソードを加えていく奈須きのこ氏の作風の中でも顕著な失敗例、である。主人公が没個性的な理由かつ妙なヲタノリをするのは間違いなく主人公たちが奈須きのこ氏のアバターとしても機能しているからだと私は睨んでいる。それを踏まえて何度も言うが、基本的に奈須きのこ氏はむっつりスケベなので、むっつりスケベなエピソードを書くために女の子が存在している。そしてその女の子と対比させる形で男性キャラクターを反存在的に生み出している。つまり男の子は所詮反射的にいなきゃいけない存在だから生まれてくるキャタクターに過ぎない。そしてむっつりエピソードを成立させるためには女の子がそれなりに異常でなければならないが故に、その異常な女の子に好かれてかつ包容できる男は同様にまた異常でなければならない。つまりシナリオの必然性のためにキャラクターのすべてがつじつま合わせのプロフィールを持っているに過ぎず、衛宮士郎くんの場合は元英国騎士王でありながら実は女の子という異常性を持つセイバーというキャラクターが、魔術適正がありながらほぼ無力の男子高校生である士郎くんとの恋愛を成立させ、恋愛における主体性を持って最終的に結ばれるエンディングを迎えるためには衛宮士郎くんにもそれなりに異常であり傷がなければならない、というシナリオライター的バランス感覚から逆算して生み出されたつじつま合わせのキャラクタだからだ。
そろそろ言いたいことが分かってきてもいいんじゃないだろうか?厨二病という自意識過剰な男性像が自尊心を失わずに英国騎士女王のような格上の女性とデートを成立するために必要な自意識過剰さを支えるために異常性というプロフィールが用意されている。まさにシナリオ追従でキャタクターを配置していることで起こる典型的な弊害だ。
ちなみに青セイバー・アルトリア・ペンドラゴンの過去と元英国騎士王という過去がある女を落とすために主人公(男)もまた異常でなければならない、という等式は単に奈須きのこ氏の脳内にある思い込みであって、実際にはシナリオライターの技量次第でまったくそうではないと思うし、そもそも衛宮士郎くんが男子高校生である必要もまったくなかったと思うが(※例えば虚淵氏が描く衛宮切嗣氏とセイバーの関係の方がよっぽどドラマティックな恋愛シナリオが書けたのではないかと思うくらいだ)そこは突っ込んではいけないらしい。(※これは単に奈須きのこ氏が衛宮切嗣のような男性像を描けなかったからであり、これは彼のキャラクター像が描けないというシナリオライターとしての欠陥からくるものだ。これがいかに病理的であるかは全開語った通りなので割愛するし、この原因は彼のむっつりスケベからくるものだと私は主張してはばからない。そしてこれを乗り越えて、魅力的な男性キャラクター像をきちんと描けるようになることが、奈須きのこ氏の課題だと筆者は思う)
わりと上記のような指摘があったような記憶するので、一応代表的な脚本家をあげてみる
シナリオライターのタイプにはいろいろあるが、実力の高い作者がよく言うこととして「キャラクターが勝手に動いて言うことを聞いてくれないことがある」。これはキャラクターを掘り下げて書くことが得意なタイプによくある特徴で、稀代の脚本家でいえば特撮系の脚本家として有名な小林靖子氏などがそうだろう。氏は脚本を書いていて、シナリオがキャラクターにらしくない行為を強いている場合に、躊躇なくキャラクターにシナリオを追従させる。つまりシナリオをキャラクターに合わせて改変させてしまうのだ。これはキャラクターをシナリオの駒と考えるシナリオライティングとは真逆のアプローチだが、結果としてこれが人間像をきちんと描くことからシナリオ自体の評価につながる事が多い。
また同じようにキャラクターが持つ人間像から醸し出される雰囲気や空気感を出すことにかけては吉田玲子氏の名前を出さないわけにいかない。氏の名前を検索すればすぐにでも代表的な作品がいくらでも出てくるはずだ。この人も脚本賞を二度受賞している。このひとの名前を出すと、すぐにガルパンとかけいおんが出てくるのだが、私としては「デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」とか最近の作品では「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」や「夜明け告げるルーの歌」などを上げたい。他にも「猫の恩返し」「若女将は小学生」キャラクターを描けている、とはこういう作品のことを言うのではなかろうか。特に氏の作品はシナリオの安定感が抜群で評価できる。バランスがよく、それでいて繊細で、何気ない日常の何気ない動作の中に登場人物の感情を表現する手腕には舌を巻く。
女性ばっかりなので、男性も上げておこう。他でもない筆者は虚淵さん大好きである。Fateの中で唯一好きといえるシナリオはFate//Zeroと豪語するくらい虚淵押しである。当然PsychoPassも押さえている。ちなみに筆者を女性と指摘する声もあったが、残念ながら私は男性である。「まどマギ」はもちろん「楽園追放」「沙耶の唄」も消化済である。氏のシナリオの面白いところは、なんだかんだ言って社会風刺を含めたメッセージ性をきちんとエンタメシナリオの中に押し込めることが出来ているところである。しかもこの辺を、いわゆる世間の「反戦」だとかいうご教育主義的で説教臭い作品ではなく、エンターテインメントという作品の中で行えているところがすばらしいと思う。あくまでこれはエンタメなのだ、という前提を忘れてしまえば、主義主張の強いプロパガンダのような作品になってしまう。こういう哲学ばかりするアニメーションではなく、きちんとエンタメをやっていながら、そのエンタメに深みを与える要素として社会風刺がきちんと出来ているところがとても良い。氏の脚本のハードボイルドな側面には魅了されるばかりだ。
「女は男の中身を見ない。惚れるボタンを押せば中身がクズだろうと無個性だろうと等しく落ちるんだろ」って女性観が透けて見える。
恋愛工学本でも読んでろ。
奈須作品は主人公の生き様を見てヒロインが主人公に惚れるケースの方が圧倒的に多い。
奈須作品の主人公は大概気持ち悪いけど、「だがそこがいい」っていう変な嗜好の女性と巡り会えたの。
欠陥者達の物語です、当事者達にとっては異常性はプラス要素だから主体的にやってるの。
そこを、分かり易い恋愛スイッチでキモ男にコロリと落ちるチョロインと勘違いしないように。
何かしてもらったからじゃなくて
何かしているのを見て恋をするんだよ。
だから内容(バトル描写と設定攻め)の割に女性ファンがそれなりに居る。
増田が指摘する落ちる要素って
・照れるようになるきっかけ
ばかり。
男から女へのアピール方法とかどーでもいいの。人間は中身を持った人間に惚れるの。
そこに手段とか些細なこと。最早ただのお約束。ワンパターンで結構。
セックス見て男性器が女性器に入っているだけじゃねーかって言っていようなもの。キャラが出来ていれば特別なプレイとか不要(だからシエル先輩さぁ……)
明日の健康診断に向け、便を2日分採取せよ、との通達が届いた。
いつ催しても良いように検便キットを鞄に忍ばせ職場へと向かうが、待てども待てども門番は固く閉ざしている。便通が良くなると信じ大して好きでもない緑黄色野菜を食べる。数日前は門番に賄賂を渡しながらなんとか駅間隔8分のdeathトレインを凌ぎきったのだ、検便はすぐに終わるはずだ。
なのに、なのに、ヤツはぱたりと気配を消してしまった。
こうなっては2日分どころか一度も採取できぬまま当日を迎えることになってしまう。検便キットを手に職場のトイレに篭城を決め込む。出ろ、出ろ、と念じる。となりの個室に人が入っては出る音を聞きながら待ち、5回転ほどが過ぎても何もない。暇つぶしに持ち込んだスマホには上司から「どこにいる?」という旨の連絡が届いている。まさか検便中だとも言えず、無視を決めこみ、尻に意識を集中させる。祈りが通じたのか、そのうちひとつだけ、コロリ、と落ちた。
トイレットペーパーを尻にはさみ、慌てて立ち上がって便器を覗き込んだ。ウヰスキーグラスに収まりそうな美しくなめらかで丸いヤツがいた。検便キットの取手をとり、そっと表面をなぞり、ミッションコンプリート… のはずだったが、コロリとしたヤツは鋼のように硬く、なぞるどころか検便キットの先を差し込むことすらできない。焦っているうちにヤツは無残にもコロコロ、とトレールペーパーの隙間をすり抜け、海溝に飲み込まれていった。
私にはもう、なにも回収できなかった空の検便キットと、力みすぎてイボ痔になりかけている尻しか残っていない。
これね
https://anond.hatelabo.jp/20190703183336
もうすでにコメントで書かれてるが、苦痛軽減措置としての安楽死なので、本人の自殺の隠語みたいに使うのはそもそも失礼。
2つ目は使ってる文脈
あのブコメの人は「KKOには死が救いなんだよ。」「孤独な人間には安楽死が救い」という文脈で使ってることが多いと思うので、その使い方は良くないという話。
良識的な人の中には、言論の自由の観点から安楽死の話をタブーにすることのほうが有害と思う人もいると思う。
ピンピンコロリなんてみんな望むだろと言われればそうだし。それがなぜだめなのか。
この手の自嘲的な意見は自分の価値観を告白してる事になることが多くて、この人も同じってことを観察して欲しい。
つまり「孤独な人間には安楽死が救い」という意見は「孤独なな人間は生きる価値がない」という自分の価値観を告白してるんだよね。