はてなキーワード: VbAとは
9割がVBAと言っていい
pythonだのtypescriptだのといった今をときめくプログラミング言語を使えと言われてもそもそも無いんだ
となると使える武器はWindowsに標準でインストールされているVBS、Powershell(めっちゃバージョン低い)、コマンドプロンプト、IE(めっちゃバージョン低い)で走らせるjavascript、そしてOfficeに付いているVBAしかないわけだ
こいつらを縦横無尽に組み合わせてなんとか使えるツールを作りゴミみたいな定例業務の効率化を図るのだ
そうした時に便利なのがwinAPIだ
VBAでwinAPIをdeclareすればマウスの自動操縦からウィンドウの操作、何から何までできる
社内イントラに設置されたカスみたいな入力フォーム(IE)をウィンドウ名で捕捉し、オブジェクトに代入してjavascriptを流し込むのだ
昔から極度のあがり症なのと、大きな音や人前に立つことに酷くストレスを感じ、口頭でのやりとりが苦手過ぎて発話能力が壊死してるのもあって壊滅的に人前で喋るのが苦手だ。喋ろうとすると頭が真っ白になる。
一ヶ月前から発表の予定が入るとその事で頭がいっぱいになり廃人のようになる。俺はそれで仕事を数回飛んだ。内容証明で退職届を書き失踪した。社会人として失格なのは重々承知しているし最低な行為だと思うが、本当にいっぱいいっぱいになってしまう。
コミュ障にプログラマが薦められていたのをネットで見たのと、ルーチン業務をVBAで自動化させたのが楽しかったのがきっかけでプログラマとして就職が決まったが、人前で喋る機会が余りにも多くて、研修期間中に飛んだこともあった。
俺みたいな人前で話すのが苦手すぎる人はどんな仕事をしてるんだろう。どんな対策をしてるんだろう。皆なんであんなに普通に人前で振る舞えるのか俺にはわからない。皆1ヶ月ぐらい悪夢に魘されたりご飯が喉に通らなかったり茫然自失になりノイローゼ気味になりながらもなんとか頑張ってるんだろうか。だとしたら俺には無理だ。
教科書を読んだだけで、全く手を動かさずにテストの8割答案を埋められる人は何割いるだろうか?
テストのレベルにもよるとか言われそうだが、伝えたいことはそうではない。問題なのは、塾に通って何度も手を動かしても、教科書の例題を解くのが精一杯の生徒は確実にいるという事実を皆が無視して、馬鹿に優しくない世の中を作ってるということだ。
直感的に操作できるアプリケーションを本当に直感で操作できる人はひと握りだ。VBAなんてプログラミングの知識なしで書けると売り出したが、結局何割の人が使えたのか?VOOKUPどころか四則演算すらまともに出来ないから、ジジババは電卓で確定申告書を作ってる。
1番の問題は、貧しい人を救うセーフティネットはいくらでもあるが、貧しい人は往々にして馬鹿なのでその恩恵に預かれないということ。
例えば、馬鹿だと自らの貧しさを説明することが出来ない。去年に比べて収入が減ったことを説明出来ない。
「BSとPL作ればいいだろ、個人事業主や家庭のなんてちょっとググればサクッとつくれるだろ」と言い放っても出来ないものは出来ないのだ。
ふるさと納税がしたいが確定申告が出来ないから諦めてたサラリーマンがたくさんいたように、大半の人間は自分の現金収入すら把握してないし、いくら税金を払ってるかも知らないのだ。まして、現金以外の資産状況については全く説明出来ない。
教科書を読んだだけで答案を埋められる人にとっては、この世はイージーモードだ。
制度を作ってる人達もやっぱり教科書を読んだだけで答案を埋められる人たちなので、馬鹿にとってはハードモードなことを理解できない。
馬鹿は長い文章は理解できないし、条件分岐も例外処理も理解できない。
役所に行けば食べ物が貰えます、そのくらいのシンプルな仕組みのセーフティネットしか馬鹿が利用することは出来ないのだ。
本論とは話がズレるが、時折、田舎は文化レベルが低いとか教養がないとか言う議論があるが、自分の観測範囲だと、都会と田舎もヤンキー比率の中のマイルドヤンキーとガチヤンキーの比率が違うくらいで、ここで言うマトモな人間、教科書を読めば答案が埋まるような人間の比率は都会でも田舎でも1割くらいじゃなかろうか。
どういうしくみ?VbA?
45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。
皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。
仕事でとうとうGitHubすら使わずにプログラマ人生を終えてしまった。
レガシーな技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。
年収は20代後半からは550万~700万位だった。残業代・退職金は無く交通費は出ない。
所属会社は営業も事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社の運営に必要な金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。
仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる方式。
フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社の所属にしているだけの所だった。
それでもすごく世話になった。
私はやる気が無いプログラマだった。オフの時間にプログラムの勉強をしたことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。
これはそんな元ニートの高卒45歳、多重派遣の底辺プログラマの退職エントリ。
はてなのIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。
◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣のSESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。
技術の勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。
足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。
45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。
退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聞いて仕様書に落とすこともした。
C/C++・Java・各種Shell・VB/VBA・SQL、UNIX/Linux・Windowsサーバーでなんとなーく仕事をしていた。
プログラムは他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いた。
ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京だからあったのだ。
人並以上の理解をしていたのはLinuxの構造くらい。仕事でカーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。
当時居た会社は年俸制という糞システムだったので1円も残業代は出なかったが。
全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社の営業に売りに出されることはままあった。
現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。
解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。
仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれないし、切られる時は切られる。
30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。
それと同時にここ10~15年はブラックなIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。
ライブやイベントにも足を運べるようになり、推しに投資が出来るようになった。
おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。
「あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。
あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。
・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない
・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる
・仕事のタスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論
・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる
・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。
と、毎朝そんな問答を繰り返していた。
改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。
そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。
子供も数年前に生まれ、子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。
そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。
今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。
3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽やパワハラには事欠かなかった。
まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。
フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PGで新人のK君に与えられた。何度も。
かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査で検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業IDを使用して黙ってシステムを更新するというのを繰り返し行った。
今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。
テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピーを検査員に見せつけたのだ。
だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。
今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。
大手家電メーカーの工場で仕事をした時、プログラムの仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。
工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイの工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。
この現場は電機メーカーのIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。
何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?
入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。
これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。
入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。
結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。
小さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。
1週間の仕事で金曜日納品なのに、木曜日の夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。
私の抜けた後、E社の別な人間が担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分のスキルでは本当にギリギリだった。危なかった。
高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。
その後、大手新聞社とオペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。
教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数も理解していなかった。
その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。
文科省認定の専門学校の情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIerや商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。
アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。
就職氷河期の真っ最中に地方中核都市で就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。
会社からは15万円の引っ越し資金だけが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。
親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原の石丸電気で家財一式を買って貰った。
SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。
派遣法の隙間をついて、たった1人で新人が派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。
私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当が想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。
ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。
親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたときの絶望感は大きかった。
地下鉄の電車がホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。
知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。
それ以降、他社でも同じチームの新人には丁寧に接していた。私はまだ恵まれていた方なのかもしれないと思うこともままあった。
その家電はTronからLinuxにOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアのシミュレーターが新規開発となった。
Linuxのカーネルプログラミングが必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリーの洋書(現在は日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。
英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。
私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員もLinux上でC言語の仕事をしたことがある。くらいの人員が集められたのだ。
単価が安い人しか使ってはいけないというルールで運用されていたらしい。
苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロアの大人数の前でこう叱った。
「こいつ全然解ってないじゃないか!!なんでこんなのにやらせているんだ!!」
中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである。
月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。
徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。
何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。
精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。
大卒の育ちの良い中国人派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。
(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)
彼らのような有益な人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。
私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。
自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。
そして、翌週、中間の会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである。
結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、
当時の私には多い金額に思えていたものの、都内のフリーの技術者としては当然低すぎる金額であった。
忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額で契約させられたのだった。
みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。
賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年間遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。
余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。
国産OSのtronは携帯電話で世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話のOSはLinuxとSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。
他にも
「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社が搾取し、私には全く反映されない話」
「野田がドモホルンリンクルのバイトのように円高を注視し続けた時、円高&オフショアブームで単価が2年で2回減った話」
「中間会社にオフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場をインフルで倒れた振りをして休んだ話」
「5000円の著作権フリー音源をシステムに使用するのに数百万かかった話」
「メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」
「メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法を提示され、阻止した話」
「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」
「入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイのショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」
「無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬で生活リズムを取り返した話」
「大手会社のコンプライアンス啓蒙画像に著作権違反を発見した話」
「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」
「某銀行の開発子会社の美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」
などなど考えていたが長くなったので終わり。
多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師の中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。
以前いたプロジェクトの有名SI企業のPMもSES上がりの元寿司職人だった。
SESは就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職で大手や大手子会社に転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。
SESの会社も玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣は改善されてほしいが。
何が書きたかったのか忘れたし飽きた。
業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。
追記:続編を書きました。
元々は開発の現場に10年ほど居たんだけど、残業残業に次ぐ残業で体壊して数年前に辞めた。
今とある専門学校で教えているんだけど、そこで教えている内容がExcel VBA。
他の授業ではSQLとかHTMLとかやってるんだけど、言語らしい言語がExcel VBAだけ。
しかもこれで3年間うちの2年。
私も専門卒だからわかるけど、そりゃ頭の出来が微妙な生徒が多いから難しいことがやれないのはわかるけど、それにしたってVBAだけって…。
私が卒業したところだともう少しまともだったし、卒業までにソフ開取ったり今考えるとしょっぼいけど卒業制作でCGIでRPGを作ったりもした。(年がばれそう)
学校に働きかけて、どうにかするべきなのか。それとも早々に見切りをつけてここから去るべきなのか。
色々悩んでいる日々。
元増田。
新しいことしようと思って、会社のパソコンにPython勝手にインストールした。
とかいって、SQLソフト入れてても何年も気づいてないか、何も指摘ないじゃん。ばーかばーか。
そんなんだから、添付ファイルのパスワードは、電話で伝えましょう、とか言い出すんだ。ばーかばーか。
プログラム専門の人には到底叶わないけど、技術者→ちょっとプログラム出来るのはアドバンテージあると思っている。
エクセルVBAとかSQLちょっと出来るだけで、有難がられるような環境だし。
とりあえずhello world終わった段階で、
Webエンジニアだと、技術情報を発信したり、記事を読んで新しいインプットを得たりすることが容易だが、
業界ニュースは見るだろうが、情報発信をしたところで、ほとんどレスポンスを得ることはない。
広告で稼ぐということもできず、続けるには他のモチベーションが必要だ。
論文はネットで公開されるので読みに行くだろうが、ニュースサイトで話題になることはない。
Twitterで発信している人を探せれればいいくらいだろうか。
時代はクラウドだ、機械学習だと言われて、新しいことを勉強しようと始めてみるはいいが、実際の業務とは結び付かない。
そもそも自由に触れるサーバーはないし、クラウドを利用することは禁止されている。
機械学習もWeb用のデータセットは色々あるが、業界のはない。
家庭でできるのはGPU4枚挿しくらいで独立した2つのコンセントから供給して学習させるのが、個人の家庭でできる限界だ。
GoogleColaboratoryをやれるようになっても、業務では使えない。
結局エクセルのVBAで頑張ることになり、ネットでは将来性のないスキルセットとして扱われ不安になる。
時代は量子コンピュータだと言われるが、Xanadu社のStrawberry Fieldsで量子計算をしてみても、
まだまだ業務に使えるような代物ではない。
Juliaで色々量子アルゴリズムが出てきているが適用範囲が狭すぎる。
本当に皆触っているのか?
つうかよお、お前らそのVBAは外部のコンサルに頼んで作ってもらったんだろ?EUCですらないじゃん!
会社には大量にオペレーターがいるのだが、彼女たちが使っているシステムが古い。メインフレームの画面を直接タイプして業務を行っているのだ。外からは見えないが、自販機の中に人がいる感じ。
で、今俺はその部門で使うツール(VBA)の改修を依頼されている。そのツールとは、Windows上でエミュレートされているメインフレームのCUI画面をコピーしてExcelに張り付け、マクロを動かしてチェックするというものだ。
で、ツールの改修とは、今度そのCUI画面がWeb化されるのに対応せよ、ということだ。せっかくWeb化した画面を今までのマクロにコピペ出来るように直せということだ。
いい加減に根本的にシステム更新しろよと思うが、それだと倍の期間と10倍の費用、開発失敗やシステム移行のリスク、オペレーター教育の手間などを勘案すると難しいそうな。