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2011-11-11

アメリカ人相手に、あの人は仕事熱心だよと伝えたい時

ある人がいか仕事熱心かということを伝えたい場面があるとする。

そんな時、日本人同士や中国人相手であれば、

「あの人は何時から何時まで仕事をしているんだよ」という言い回しですぐ伝わるのに、アメリカ人にはあまり伝わらない。

何時に出社して何時に帰るか、勤務時間や勤務日をどう割り振るかという話は、

そもそもそういう評価基準を持ち合わせてないかのようで、労働時間自慢な表現意味を見いだせない様子だ。

労働時間で「今日仕事したなあ」と感じられる自分は、当初勘違いをしてしまっていた。

周りが5時に帰るのを見て、5時に終わるのが当たり前だと考えるようになってた。

結構時間が経って気付いたのだけど、こちらの人はそういった価値観で行動してはいなくて、

5時に帰るのも真夜中までオフィスにいるのもさほど違いはないんだな。

5時に帰る人が真夜中まで働く同僚を不器用なやつと見下げることもなければ、長い休みを取る同僚をさぼっていると見なすこともない。

相手は相手の信念に基づいているし、俺には俺のペースや感性にあったリズムがある。

そこを理解しているから、バラエティに富んだワークスタイル自然社会に受け容れられる。

その裁量自由度があるから、ソサエティとしてアメリカを眺めると層の厚みを感じさせる。

アメリカ人相手に、誰かをハードワーカーだと伝えたいなら、

その人の業績やどんな仕事をやり遂げたのかを話すと、伝わったなという手応えを得やすい実感だ。

自由な生き方が許される場所で、自分もまた自由な考え方を手に入れたつもりでいるのに、

たまにそういった社会を目の当たりにして「5時に帰る」ことに衝撃を受け、

ワークスタイル自由度時間裁量自由度表現してしまう取り上げ方をしてしまう。

ある意味とても日本人だよなと、我ながら可笑しく思えることがある。

2011-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20111108061557

この中で自分裁量で決められ、かつリスクも少ないのは

学歴大企業公務員

というわけか。勉強ができなくなるにつれ、増していく得も言われぬ不安感の原因はここにあったのかもしれない。

大企業に入ったら入ったで出世コース争いがあるし、公務員についても制度改正の可能性があるが、その他中小企業に比べれば、十二分にホワイトですね^^^^

名大卒業生がこぞって大企業正社員公務員になりたがるのもうなづける。

2011-10-29

主審の決定は「絶対」であるということの意味

 サッカーにおいて、主審は「絶対だ」。でも僕はその絶対性を大きく見誤っていた。

 以下は先日ちょっと話題になった「試合終了の笛のあと、それを覆した主審の決定」についての、高体連の判断。これは日本サッカー協会との相談の上での判断だから、JFAも同様の見解であると考えてもいいだろう。

 試合映像は、多摩目黒高校のゴール前で帝京高校に与えられた間接FKが行われる前に、多摩目黒高校の選手が前進し、規定の距離を守らなかった事実が確認できる一方、その後、多摩目黒高校の攻撃に移った後、主審試合を終了していることも確認できます。さらに、副審多摩目黒高校の反則について旗を上げていたことから主審はそれを採用して試合終了の決定を覆し、帝京高校に再度間接FK を与えていることを見ることが出来ます

 現行の競技規則第5条・主審の決定によれば、「プレーを再開する前、または試合を終結する前であれば、主審は、その直前の決定が正しくないことに気付いたとき、または主審裁量によって副審又は第4の審判員の助言を採用したときのみ、決定を変えることができる。」となっており、主審試合を終結させた後に帝京高校に間接FK を与えたことは、競技規則を誤って適用したことに

なりますしかしながら、同時に同条前半には「プレーに関する事実についての主審の決定は、得点になったかどうか、また試合結果を含め、最終である。」と規定されていることから、その後の延長戦での判定や試合結果を含め、変更することは出来ません。

 従いまして、東京高体連サッカー専門部としましては、平成23 年9 月18 日に行われました、多摩目黒高校対帝京高校試合結果を変更することは出来ないと判断することに至りました。

http://tokyosoccer-u18.com/SEN11/Tama&Teikyo.pdf

上の決定は、要するにルール違反した主審の決定は、有効である。」ことを示している。

ルールに則れば、当該主審試合終了の後に、決定を取り消すことはできない。だけど主審は「絶対」から、その決定を取り消すことができる。

いったいなにが起こっているのだろう?

たとえ話1

 例えば、とてもバカな主審がいて、キーパーはどこでも手を使うことができると勘違いしていた。キーパー試合終了間際のCKにあがっていって、何を考えたのか手でキャッチしてゴールに分投げた。主審はバカだったのでこれをゴールと判定した。ルールに則れば、手を使ってはいけない。これはファールである。でも主審は「絶対」なので、ゴールは有効である主審がバカなことに気づいたキーパーは、自陣からボールラグビーのように持って言ってゴールに入れる。主審はこれを認めることができる。ありえない想定だが、しかし、上の高体連の判断に則れば、これは有効な試合である

たとえ話2

 今回の判断によれば、主審試合が終わったあともそれを覆すことができる。ところで、主審はいつまで主審なのだろうか。フィールドから出た時?審判ユニフォームを脱いだ時?家に帰って奥さんと子どもに「ただいま」をいった時?試合の報告書を提出した時?分からないが、主審主審であるかぎり試合は覆せる。もし彼がいまだ主審ならば、マラドーナのゴールを今から取り消して再試合をさせることだってできるのだ。バカバカしいが、しか主審は絶対である

まとめ

主審の決定は「絶対」だってよくいうけどこんなに絶対だとは思いもしませんでしたまる

2011-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20111025195744

どこが最低限かなあ

俺の外食バイトに求める最低限は、

「注文聞くときは直立せず膝をついて注文を反復斉唱で確認、どれだけ早く持ってきても「おまたせしました」と声を張って笑顔提供、どれだけクレーム付けられたり水ぶっかけられたりしても笑顔を崩さず、自分裁量で出来る範囲の注文なら何言われても(裸踊りでも)文句を言わず笑顔でこなす」

ぐらいかなあ

2011-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20111007003500

周りと比べて自分コミュ力以外劣ってません!コミュ力のせいで人生上手くいってません!

って思ってる時点で受かるはず無いじゃん。そういうのって雰囲気で出るもんだし。

もし自分が人事担当でそんなオーラがひしひしと出されたら取りたいと思う?

こういう人って全てをコミュ力みたいな正確に規定されないもの

もっといえば自分裁量しか規定できないもののせいにして生きていくんだろうね。可哀相に。

いま苦しい時期で、上手くいかないのを何かのせいにしたいのはわかる。

でもそんなのから逃げてたら一生自分の行きたい所にはたどり着けないんじゃないかな。

2011-10-05

塾講師の悲哀

 正直あまり良い話ではないのですが、貴重な経験であった事と、これを読む人にとっても、そういう事ってあるのだなという意味で、まあ他人の経験談って何かと考える時の材料になるので書こうと思いました。

 っていうよりも自分の一つの記憶として一度整理しておきたいなと思ったってのが本当かもしれません。

 あれは2008年の春の終わり頃だったのでもう3年も前ですが、ある個別指導の塾講師として採用され働きはじめた時の事でした。

 それまで個別指導というのは家庭教師と同じ事をただ塾という場所でやっているものだと思っていたのですが、どうやら個別指導というのは会場に教壇や黒板のような物がなく、一人一人の生徒が個別に課題に取り組み個々の生徒の申し出に応じて講師が席まで行って個別に教えるというものだという事をこの時知りました。もしかしたら塾によって色々と違いはあるかもしれません。

 だから同時に学年の違う生徒が同じ部屋で勉強できるので稼働率という意味では良いのかもしれません。それに講師の個々の技量もありますが、課題制作するのは本部なので、その課題の出来具合も生徒の伸びが左右される、そんな所でした。

 判ってはいたのですが、けっこうなハードワークで時には何十人もの小中学生マシンガンのように「先生!」と呼びつけられます。朝は昼過ぎから始動なのでのんびりしていますが午後は終電少し前くらいまでが普通でした。

 そんな中、接する事になった生徒や親、そしてそれに対する塾としての在り方として、どうしても嫌になってしまった事がありました。嫌な話をするのは嫌ですが、色々と考えさせられたという意味では良い話です

 一つ目は「え?」とビックリしてしまった親の話、まさかと思われるかもしれませんが親の中には「家に居て欲しくないから」という理由で塾に行かせている親がいるという事。本当にこれにはビックリしました。そんな発想はどこから出てくるのかと、ただ例え口でそう思っていると言わなくても態度や対応を見ていればそうとしか思えない。勿論断定するわけではありませんが「ああそうなんだな」と誰でも感じる事はあるでしょう。

 ああ、子供に帰って来てほしくないんだな・・・

 それが僕の頭の中に浮かんだ印象です

 しかし、だからと言って塾として預からないわけにもいきません。なんか悲しくなりますよね。なぜ?なぜそんな親の手助けみたいな事をしなければならないのか?勿論塾として経営状況が素晴らしく良ければ、その事が子供にとって良かろうと悪かろうと塾としては生徒本人の「学びたい」「塾に行きたい」という意思を尊重すべきだと思うので、そういった場合拒否する事も不可能ではないでしょう。

 そして、次これは小学5年生くらいの双子女の子の話です。ちょっと記憶あいまいなのですが、たしかその双子の親は娘達を受験の必要な私立に中学に行かせたかったみたいなのですが、片方の女の子は良かったのですがもう片方の女の子があまり勉強が好きではない様子。やりたくなくてやりたくなくて仕方がなくすぐにイタズラ書きなど始めてしまい。「同じ学校に行けなくなると」と言っても「別にいい」という様子、そして母親講師に対し「もっと厳しくお願いします」というもの

 だいたいにおいてそうですが「やりたい!」と思わせる事も大事ですが、色々とむずかしいものです

 最後に、いわゆる知恵の遅れた子供の話です。知能障害と言っても色々あるようにどう考えても今の制度では普通学校ではなく養護学校などに行くことになってしま場合もあれば「際どい」という場合もあります比較する事がそのまま良いとは思いませんが、同年齢の児童と比べても明らかな差があってもある程度は親の裁量普通学校に行く、もしくわ養護学校から断られる場合もあるでしょう。

 例えば6年生で10÷2を計算する時に一々

  2×1=2

  2×2=4

  2×3=6

  2×4=8

  2×5=10

 あっ答えは10だ!ってならないでしょ?

 この子は確か九九を覚えていなかったのか、知能の問題で九九を覚える事ができないのか不明ですが、一私塾でそこまで広範囲な性質を持った児童にまで対応しきれません。こんな状態であるのにも関わらずそこに、さらに親の「息子に遅れがある」という事を認めたくないというエゴが相まりその児童に対し塾として毎日時間もただ右から左数字を移動するだけのような拷問にも似た作業をさせ続けるという事をしなければなりませんでした。

 かなり主観としての表現なので、そんな事でも長い目で見ればその子の役に立つ勉強なのかもしれません。けれどその時の自分にはどうしてもそうは思えなかったのです

 もちろん、こんな嫌な話ばかりではなく、伸び伸びと成長していく子供達とかかわり、元気がだだ溢れる環境で働けるというのはとても素晴らしい事であるし、一定の生徒にとってはとても有効に活用できる場でもあると思います

 ただ自分にはやっていけないなという思いと、どうにもならないなという無力感に尽き。その仕事は辞める事にしました。

 今この瞬間も塾という場を利用して我が子を苦しめている親がいるかもしれないのかと思うととても悲しいですが、そういう事もあるのだなと知れた事が自分にとってはとても良い経験になりました。

 子供は親にとっての何なのだろう?

 もう子供のいるマイミクも沢山いると思います

 お手伝いしなさい! なんて命令はなんの為?

 もし本当に子供の為であるならば

 絶対にうちの子はあまり手伝いをしない等という

 不満に似た感情は絶対に頭に浮かばないはずです

 あなたは将来自分の子供にお手伝いをさせますか?

 例えば、食器洗いにしてみても

 いまだに「嫌だったのにさせられたなあ」と思いだします。

 皿洗いそのもの全然嫌じゃないのに

 そういう記憶だけはある

 だからなのか・・・

 友達自分の家で夕飯と食べた時とかに

 「いい いい 俺洗うから」とか

 誰かの家で御馳走になった時に

 「御馳走になったし、皿くらい洗わせてよ」

 などと言ってしま

 もしも「皿洗いが楽しい事!」という擦り込みがあったら・・・

 他人の楽しみを奪ってはいけない!と思ってしまから

 洗っていいよ!だとか言ってしまったり

 他人の家でそういった気遣いができなかったかもしれない・・

 お母さん!ありがとう

 でも、こういう作業は嫌がる人の方が多い世の中だから

 してあげると喜ぶよ!って教えてくれれば

 それで良かったのに

 

初等教育はどうあるべきか?

乱暴な理論であることを承知の上お読みいただきたい。

教育問題が取りざたされて久しい。

私はとある私塾講師として授業を受け持っていて、担当は高校3年生が中心である

高校生ともなれば、ある程度の学力のばらつきが出るのは当然であり、

高校の授業内容を全員が等しく身につけることは必須ではない。

有り体な言い方をすれば、良い大学受験したい人はしっかり勉強すればいいし、

そうではない人は適当にやっていればいい。

実質的教育問題とは、とくに初等教育の問題であると考えてよいだろう。

特に、生活のリズム社会マナーを身につける小学校という場について考えてみたい。

そもそも、小学校教員はどのようにしてなるのだろうか?

一般的なのは教育大学あるいは教員養成教育学部をもつ大学に進学することである

河合塾大学入試ランキング

http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k205.pdf

を見てみると、教員養成系の大学偏差値は50~55程度が多いように見受けられる。

これらのレベル大学卒業した学生教員となり、現場児童教育することになる。

一方、教育の政策決定レベルではどうだろうか?

文部科学省官僚は、そのほとんどが東大閥であろう。

http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k203.pdf

によると、東京大学文科一類偏差値は70である

自分の高校時代を思い浮かべてもらいたい。

偏差値70のトップレベル集団と、平均点そこそこの集団は違う。

具体的な人間を思い浮かべてみてほしい。

さて、教育特に初等教育は、親からの目が特に厳しい職業である

小学校教員のもとには毎日まさに鬼のようクレームが寄せられるらしい。

そんな業種として、他に医療が挙げられる。

止む終えない理由で患者が亡くなってもすぐに訴訟される。

そしてその医療の担い手として大きな役割を果たすのが医師である

医師になるためには医学部医学科に入学する必要があり、その偏差値理系の中でもトップクラスである

http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k210.pdf

によると、国公立の医学部医学科の偏差値は65~70程度が多い。

教育医療も、周りの期待が大きい。耐え切れないほどの重圧がのしかかる。

教育現場では、現場教員裁量がかなり大きい。

教員の立ち振る舞い方で、児童はいかようにも変わっていく。それが初等教育であると考える。

かつて、私立医学部入学するのに必要な偏差値は50を切っていた時代があった。

今では軒並み65程度まで上がっている。

医療教育、私には共通する部分が多いように感じられる。

医療現場では、患者やその家族との信頼関係を作るように現場レベルでの指導が行われ、徐々に大学医学部での教育も変容しつつあるようだ。

教育も同じであるべきである。その時に求められるのは教員いか児童保護者との信頼関係を気づいていくか。

それを念頭に置いた教員養成のための教育が、今の限られた教職課程の授業の中で行われているのか。

そしてそれを実現できうるレベル学生が今の教員養成系の大学に集まっているのだろうか?

教育を本当に志す者のための教員養成機関になっているだろうか?

決して、就職先がない人の掃き溜めであってはならない。

しかし、教育には夢がある。未来があるはずである

強い信念を持った素敵な教員が増えることを願ってやまない。

2011-08-05

まどか☆マギカ風にコンビニ業界の腐敗っぷりを書くよ

コンビニ店員が理解できない業界のカスっぷり:ハムスター速報

ほむ「まず、このスレで書いてあることは全国のコンビニで起きているわ。ロー◯ンだって例外じゃない。」

Q「そんなのコンビニだけに限った話じゃないよ。どこの業界だって廃棄はある程度だすものさ。

機会ロスは避けなければならないからね。」

ほむ「問題はそこじゃないわ!!」まど「ほむらちゃん!?

Q「暁美ほむらきみは・・・。」ほむ「あなたたち本部が廃棄を他の業種以上に強要するのにはもう一つ理由があるはずよ。」

ほむ「それは特殊な会計方式によって廃棄から多大な利益を生むことができるからよ!!」Q「・・・。」

杏「ああっ!?そんな事聞いてねーぞ!?」Q「聞かれなかったからね。」

杏「ああ!?テメー、一番くじの一等賞にして捌くぞ!!」ほむ「杏子ちゃ人身売買はやめて!」杏「売らー!」

マミ「暁美さんその特殊な会計方式は本部に多大なメリットを与えるの?」

ほむ「ええ、廃棄だけでなく万引きなどによる棚不足から利益を生むわ。当然、私たち加盟店からその利益分は引かれるわ。」

マミ「そんな!!そんなことしたら値引きしてみんな売り切るしかないじゃないっ!!」

Q「マミ、見切り販売なんてしちゃダメだ!そんなことしたら全国で値段のパワーバランスが崩れる。

全加盟店に迷惑をかけることになるんだよ。」ほむ「いいえ、あなたたち本部が恐れていることはそんなことじゃないわ。

あなたたちは見切り販売が行われることによって廃棄、つまり収益が減ることを恐れているのよ!

から、加盟店の裁量で値引きしようとすると、契約の破棄を匂わせて、私たちの生活権を脅かす。

まり公正取引委員会から排除命令が出た今でも見切り販売の制限は秘密裏に行われているのよ。狡猾にね。

未だにコンビニで見切り販売をあまり見かけないのはこうした理由からだわ。」

杏「テメー!!おでんの具にして捌いてやるよー!!」ほむ「杏子ちゃんQ肉販売はやめて!!」杏「食うかい?」

Q「やれやれ、君たち加盟店はいつもそうだ。契約した後になって騒ぎ出す。

コンビニ会計に関しては契約書には書いてあったはずだよ。

僕たちはあくまで君たちの合意を前提に契約しているんだ。なんの問題もないはずだよ。」

ほむ「しかし、口頭のよる説明は必ずと言っていいほどしないわ。それにあの記述だけでは誰だって何のことだか分からないわ。

事実コンビニ会計を知らない加盟店の方が圧倒的に多い。これだけでもあなたたち本部の説明義務違反だわ。」

Q「じゃあ、公取にでも申告すればいい。」ほむ「無駄よ。あなたたちの経産省側の議員への献金が効いているわ。」

まど「ほむらちゃん、私たち加盟店は一体どうすればいいの・・。」

ほむ「FC法よ。議員に呼びかけて本部の暴走規制する法律をつくるしかないわ。」

マミ「でも議員献金で抑えこまれてるのでしょ?私たち加盟店は円環の会計に導かれて搾取されつづけるしかないのよ。」

ほむ「いいえ、世論を動かすのよ。世論が動けば議員も動かずを得ない。このことは一般的には知られていないわ。」

さや「そうだ!!マスコミよ!!新聞社に駆け込めばいいんだわ!!」

ほむ「無駄よ。」さや「えっ!?」ほむ「マスコミにとって本部はスポンサーであり、流通元だわ。耳を貸さない。」

さや「そんな・・。私ってホントばか・・・。」杏「さやかー!!」マミ「逝ってしまったわ。円環の・・」

まど「そんなのってないよ。それじゃ電力会社と変わらないじゃない。」

ほむ「そうよ、それがコンビニ業界あなたたち本部の正体よ!」Q「・・・。」

ほむ「マスコミがだめならネット発の情報発信しかないわ。高岡蒼甫のように。それが最後に残った道しるべだわ。」

まど「ほむらちゃん・・」ほむ「まどか!?」まど「ごめんね。私、魔法少女になる。

魔法少女になってひとりでも多くの人にはてブをつけてもらう。

それで少しでも世論が動いたらそれはとっても嬉しいなって。」「さあ、叶えてよインキュベーター

2011-06-26

ネットワーク抜きでどない?

最近知り合った人で、なかなか面白い男がいて、

僕は仲良くなりたいと思っていた。

1)かなりポジティブ

2)労働時間裁量のきく自由な働き方

3)自分の夢、考えをあけすけなく話す

4)知り合いに美男美女が多い。

結局、ネットワークビジネス(以下NB)やってる子だったので、付き合い考えてるのだけど、

純粋に1)~4)のいい面とだけ付き合えれば、楽しいかなと思った。

ゴール地点は単純にここ

「NBを間に挟まず付き合いましょう」

この提案をすると、少しピントのずれた返答

「このままでは付き合いにくいから、ぜひ一度話を聞いてほしい。」

彼らはNBやってることが一種のアイデンティティになってるので、

そこを否定すると激昂するのでそこは触れないor否定しない

という方向で、もう一回説明しないといけないなあ。

「NBやってようとやってまいと関係ない。普通に飲み友達でよろしく。」

ってな感じで


=========================

結局飲み友達になる前に「話を聞いてほしい。」と、

誤解・偏見ときたいとかなんとかやいやい言って、

どーしても話し合い的なものに勧誘しようとするので、

距離置くことにしました。

ただ、飲むだけにどーして仕事の説明とかするの?

必要なしでしょ。ただたまに飲みに行くだけってシンプルな提案なんだけど。

なんで飲みに行く前に、何時間も相手の会社の説明聞かないといけないんですかね。

NB系の人たちとは、お互いがNBありきの付き合いじゃないと、

成り立たないっていうのを実感した出来事でした。

そうなると、NBのたちって、普通の友人関係は皆無になっちゃうんじゃないだろか?

まあ、結局違う世界人間だったってことかな。

2011-06-17

で、三度目の合憲判決なわけだが

君が代訴訟:起立命令、三たび合憲 最高裁判決、2人目の反対意見

 入学式などで君が代斉唱時に起立しなかったことを理由に戒告処分を受けたのは「思想・良心の自由」を保障した憲法に反するとして、東京都内の公立中学校教諭ら3人が都を相手に処分取り消しなどを求めた訴訟上告審判決で、最高裁第3小法廷田原睦夫裁判長)は14日「起立斉唱命令は合憲」と判断し、教諭側の上告を棄却した。訴えを退けた2審判決(10年4月)が確定した。最高裁の三つの法廷で合憲判決が出そろったが、弁護士出身の田原裁判長が2人目となる反対意見を述べた。

 5月30日と6月6日の別の小法廷での判決と同様、今回の判決も、命令が思想・良心の自由への「間接的制約となる面は否定しがたい」としつつ、教諭の職務の公共性などから合憲とした。田原裁判長は「起立命令と斉唱命令は分けて考えるべきで、斉唱命令は内心の核心的部分を侵害する可能性がある」との反対意見を述べた。

 そのうえで、田原裁判長は不起立を理由とした処分について「命令内容が思想・良心の自由に直接関わる場合、処分はより慎重になされるべきだ」と指摘。多数意見岡部喜代子裁判官も「不利益処分は慎重にすべきだ」との補足意見を述べた。

 原告教諭ら(2人は退職)は入学式卒業式で起立斉唱しなかったとして、04年に戒告処分を受けた。うち一人の元教諭判決後「教育現場に処分を伴った一律強制がまかり通っている。行政をたしなめるべき司法が追認したことは残念」と話した。

 1審の東京地裁判決(09年)は同命令を合憲としたうえで「最も軽い戒告としたことに裁量権の逸脱はない」と請求を棄却東京高裁も支持した。【伊藤一郎】

"二人目の反対意見"なんて未練たらしく書いてるけど、これだけ立て続けにぶちかまされたらもう無理だろ。

この件の反対派はもういい加減従来路線の維持は諦めて、戦略の見直し仕切り直しを各自でやった方がいい。

2011-06-05

投資教育、自由の裁量

医学部を出て主婦になるのは悪いこと?」


→私はそこまで過激ではありませんが、「奨学金借りて大学に行ったのに中退したクズ。生きる価値なし」ぐらい蔑まれてもしかたがないと思います。


→つまり、それだけの期待を裏切るというのですから、信用失墜はもちろん、やはり他人から罵られても因果応報というものでしょう。

→もちろん、教育につぎ込むのも躊躇されるでしょう。就職でやめるかどうかもわからない新卒に、教育費かけてられないというものと同じロジックが働くことは疑いありません。


  • さて、医療のような社会的貢献を大きく期待される職種に関して、個人の自由はどの程度認められるのでしょう。

→この件で手塚治虫加藤周一安部公房を引き合いに出している人がいますが、それは結果論というものです

→まして、その三例を以てして、「だから別に問題じゃない」というには説得力が足りません。

→私は、医療に従事すると決めた以上、その職務から離れるのは資質能力に問題があるケースの他はあまり認めるべきではないと考えます

→これは医学部入試年齢による不合格問題と直結します。


医療に携わる人間年齢は関係ありません。そこに教育をかけることに問題があるのです。言ってしまえば社会還元のほどが見込めないということです

教育投資です。早ければ早いほど、見返りが大きいなら大きいほどよい。だからこそ、キツイですが頭の悪い大人というのは出来が悪いし、教育に失敗したといえるのです

→だからこそ、そういうのを選別するのには、正当性があるのです。選別すれば、社会全体によい還元ができる。この差別は必要な差別です

→そして、そういう事情があるからこそ国家税金を投入するし、年齢学業等の理由で人を選別するのです

→そして、その選別や投資を受けていながら、それを無に帰する行為は、やはり社会的には悪だろうと言えます


  • 繰り返しますが、好きにしたきゃすればいいでしょう。しかし、その自由は他人に影響を大きく及ぼすことは理解してください。

手塚治虫安部公房加藤周一結果として他の分野で「大きく」社会還元しました。じゃあ、主婦は?

http://anond.hatelabo.jp/20110605164957

2011-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20110530172805

産経判決文を一部報じてる。

なんとなく重要そうな所を太字にしてみた。

「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断

 卒業式国歌斉唱で起立しなかったことを理由に、退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として、東京都立高の元教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟上告審判決で、最高裁第2小法廷須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長職務命令を合憲と判断し、元教諭側の上告を棄却した。都に賠償を命じた1審判決を取り消し、元教諭側の逆転敗訴となった2審判決が確定した

 最高裁平成19年2月、国歌伴奏を命じた職務命令を合憲と初判断したが、国歌斉唱の起立命令に対する合憲判断は初めて。

 1、2審判決などによると、元教諭は16年3月の都立高の卒業式で起立せず、東京都教育委員会から戒告処分を受けた。19年3月の退職前に再雇用を求めたが、不合格とされた。

 同小法廷判決理由で、卒業式などでの国歌斉唱の起立は「慣例上の儀礼的な所作」と定義。起立を命じた職務命令について「個人の歴史観世界観を否定しない。特定の思想の強制や禁止、告白強要ともいえず、思想、良心直ちに制約するものとは認められない」と指摘した

「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断

 その上で、「『日の丸』や『君が代』が戦前軍国主義との関係で一定の役割を果たしたとする教育上の信念を持つ者にとっては、思想、良心の自由が間接的に制約される面はあるが、教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」との判断を示した

 判決は4人の裁判官全員一致の意見で、うち3人が補足意見を付けた。竹内行夫裁判官「他国の国旗国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗国歌に対する敬意が必要」した

 1審東京地裁判決は21年1月、職務命令違憲性を否定したが、「起立しなかったのは1回だけで不採用裁量権の乱用にあたる」として都に約210万円の賠償を命じた。2審東京高裁は同年10月、職務命令の合憲性を認め、命令がある以上、元教諭は従う職務上の義務があるとして、1審判決を取り消し、逆転判決を言い渡した

だ、そうな。

で、最高裁で合憲判決が出たわけだが

http://www.asahi.com/edu/news/TKY201105300242.html

君が代訴訟、起立命じる職務命令「合憲」 最高裁初判断

 卒業式君が代斉唱時の起立を命じた校長職務命令が「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないかが争点となった訴訟上告審判決で、最高裁第二小法廷須藤正彦裁判長)は30日、「憲法違反しない」とする初めての判断を示した

 訴えていたのは、東京都立高校の元教諭男性(64)。2004年3月の卒業式で「国歌斉唱の際は、国旗日の丸に向かって起立するように」と校長から命じられたが、起立しなかったことから戒告処分を受けた。07年3月に定年退職する前に「嘱託員」としての再雇用を申請したが、不採用とされたため、都に損害賠償などを求めて提訴した

 一審・東京地裁判決(09年1月)は、職務命令は合憲としながら、04年3月以降は職務命令に従っていた点などを考慮して「裁量権の逸脱」と判断し、約210万円の支払いを都に命じた。一方、二審・東京高裁判決(09年10月)は、「都には広範な裁量権がある」として元教諭が逆転敗訴したため、元教諭が上告していた。

 「再雇用の拒否が裁量権の逸脱、乱用にあたるか」などの争点については、すでに第二小法廷上告審として受理しない決定をしており、今回の判決は「職務命令憲法違反するか」だけが争点として残っていた。第二小法廷はこの日の判決の中で「合憲」と判断をしたうえで、損害賠償などを求める元教諭側の上告を棄却した

 この訴訟とは別に、市立小学校入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた音楽教諭が都教育委員会に処分取り消しを求めた訴訟で、最高裁第三小法廷が07年2月、「伴奏を命じた職務命令は合憲」との判断を示している。

君が代伴奏命令も合憲、起立命令も合憲と。

2011-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20110422104128

このニート毎日何を息巻いているのか知らないけど、こういう能力差すらなくそうって考えてる奴がいるからたちが悪い。

バカにはバカ以上の馬力は出せないしそれ以上の裁量も任せないほうがいい。

こういう常識的な思考すら糾弾するんだから、左巻きはいつまでも脳内お花畑から抜け出せない。

いい加減学習してもらいたいものだよ。

頭悪いなら身体使え、身体も使えないならでしゃばってくるなってことだね。

案外身の丈をわきまえない一部の高学歴がこういう思考に陥るからめんどくさいんだよなあ。女神にでもなったつもりかって。



なんていうかさ、割と真面目に、分相応ってのをわきまえろって話だよね。



こういうのはニートが言うと重みがあるのかね?w

http://anond.hatelabo.jp/20110422082718

なんていうかさ、割と真面目に、分相応ってのをわきまえろって話だよね。

差別をなくそうって息巻いてる奴の中には、こういう能力差すらなくそうって考えてる奴がいるからたちが悪い。

バカにはバカ以上の馬力は出せないしそれ以上の裁量も任せないほうがいい。

こういう常識的な思考すら糾弾するんだから、左巻きはいつまでも脳内お花畑から抜け出せない。

いい加減学習してもらいたいものだよ。

頭悪いなら身体使え、身体も使えないならでしゃばってくるなってことだね。

案外身の丈をわきまえない一部の高学歴がこういう思考に陥るからめんどくさいんだよなあ。女神にでもなったつもりかって。

2011-04-14

もうさ、今更民主がどうの、自民がどうのっていっても始まんないよ。

火事場で罵り合ってる場合じゃないって。

どの道民主は解散なんかしないし解散総選挙やる時間も人手もない。

いくら管がクソでも総裁選挙やって組閣し直しなんてしてるゆとりもない。

だったら民主にうまく立ち回ってもらうしかないじゃない。

政府がクソならどこをどうやったらうまく回るのか、その知恵を出し合おうよ。

責任追及はある程度災害収束の見通しが立ってからにしようよ。

とりあえず東海大地震を見越して日本では一番災害対応マニュアルがちゃんとしてると思われる静岡から

役人出してもらおうよ。

災害対応研究家も大量召集して、そこで意思決定させる。

そして役人に大幅に裁量を与えて、管は事後承諾、全責任を取るってことで。

超法規的措置ってのは重々承知だけど、手続き遵守だの民主コントロールだの言ってる間にどんどん被災地は消耗しちゃうんだから

司令塔が何も決められないなら、下々の人間が決めるしかないじゃない。

2011-04-11

青春やのう

http://anond.hatelabo.jp/20110410225124

と、いきなりからかうけど、14歳から18歳までは、しょっちゅう自殺未遂をしていた。もう、かれこれ40年前の話になるなあ。なんで死ななかったかというと、自分に合う仕事が見つかったからだったな。ただのアルバイトだったんだけど、なぜか、社員一同、私の職種が嫌いで、出来ればやりたくなく、アルバイトである私に何もかも丸投げ。つまり、私はアルバイトの分際で社員さんをこきつかう(もちろん、表面上は丁寧にお願いするわけだが)役回りになって、これが快感だった。なんつーか、初めて「私が動かないと何も仕事が進まない世界」を手に入れたわけだ。時給は624円だがね。時給だから会社にいればいるほどお金になるんで、面白がって残業してたら、この時給で月20万越えしたこともあった。計算してみたら、月320時間アルバイトしてた。一度、そういう立場をやるとはずみがつくっていうか、自分裁量でいろいろと動かしていくのが面白くなって、自殺願望はいつか忘れてしまっていた。今は違う仕事をしているけどね。

ああ、でも、ときどき気分が落ち込むことがあって(死にたい)と思うけど、たいがい、そういうとき生理中なんだよねー。ホルモンバランスが変わるときは、気分の浮き沈みが激しいだってさ。それを知ってから、ああ、なんだ、自殺願望なんて、ただの幻かと思うようになった。

女性はだいたい毎月ホルモンバランスが変わるから不安定になるタイミングがわかるけど、男性バランスが変わるときはあるからね。今度、自殺願望が強くなったら、何かいつもと違うことが無かったか、考えてみれば答えが出るかも知れない。

2011-04-04

日教組による教育大阪

30年ほど前、日教組バリバリ小学校教育を受けた。

記憶も怪しいが、覚えている限りのことを書こうと思う。

1980年代大阪府北摂地方の話。その後卒業と同時に関東引っ越したのでその後不明。

職員室には、日教組の団結旗?が飾ってあり(おそらく教職員)の名前が書いてあった。

担任やってた先生が、いきなり担任外に外され、子供ながらに何が変だと感じていた。

通知表

相対評価の5段階評価でも3段階評価でもなく、絶対評価の2段階評価だった。

○と◎、できたか良くできただったと思う。×はあったかもしれないが、覚えが無い。

「にんげん」という授業時間

道徳時間とは別に、にんげんという授業時間があった。

部落とか在日への差別を無くしましょうとか、彼らは弱者から日本人が守る必要がありますとかそういった内容。

でも子供の間ではチョン校とむやみに関るなというのがルールだった。

何でかというと電球口にくわえさせたまま顔殴るとか、俺らのルールでは禁じ手とされている内容を普通に使うのが、彼らのやり口だったから。

なので、差別してはいけませんと言われても、無理だよという空気

今思うに、土地ルールを守らずに自分勝手に振舞えば、そりゃ元からいた連中に嫌がられる訳だし、そこにいるならルール守るようにするのが先だろうと。

いやなら帰れなんだから

少し前まで出ていた帰国船に乗らずに残ったのだから土地ルールは守るべきだよな。

ブラジルアメリカに渡った日本人達はそうしてきたのだし。

指導要綱には無いと思う、どこぞにハングル教えている小学校があるそうだが、そういったものは裁量の範囲で教えていると思いたい

2011-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20110328002135

地震が起こった週明け、余震もまだまだ発生している状態で電車のダイアも不安定。

そんな状態なのにスーツ着て革靴履いて9時に出社しようとしてる連中見てゾッとしたの思い出したわ。

そんな状況で会社に来させようとする事自体がイカれてるが、何が起こるか分からない、

電車がいつ止まるか分からない状況で何で普段と同じ格好で来るの?って感じだね。

常識的に考えりゃ少なくとも動きやすい格好をすべきだろ。緊急事態なんだから

上司に言われなきゃTPOに合わせた格好一つ出来なくなっちまったのかよ日本人は。

上司上司自分裁量明日は来なくて良いぞとか、今は動きやすい格好で来ても良いぞぐらい言えっつーの。

こんな大災害が起きても何も考えず慣習通りの行動を取る働きアリ達。

馬鹿は死ななきゃ直らないとは正にこのことだよな。

2011-03-09

なぜメイドインジャパン政治は粗悪品なのか

呆れてきたので原因を考えてみようと思った。

まず第一に政治家市場は正統な競争がなされていないかである

日本における、一票の格差は恒常的に最大5倍に達したままである。先の参院選高知広田一氏は13万7千票で当選したが、神奈川千葉景子法相民主)は69万7千票を集めて落選している。全体にとって不利益な政策がとれられたとしてもフェアな競争がなされていないのであればいたしかたないというものだ。

第二には政治家市場には強烈な参入障壁がある。

政治への新規参入ほとんど成功しない。政治家家業の大抵は世継ぎかのれん分けだ。

有権者投票すべき政治家いかな人物であるのかという品定めを行う機会というものをほぼ得ることができない。政見放送は粗さえ出さなければ話題にもならないし、見られもしない。文書図画は決められた枚数しか配ってはならないし選挙カー名前の連呼しか許されてない。選挙期間中はWEB更新ダメだとか本当に意味がわからないが、そうした現状を是とするのは既存政治家だ。新規参入を防ぐための策はきちんと機能しているといっていい。

選挙前に配られる官報?には学歴と略歴とがんばりますぐらいのことしか書いていない。しかもみんな自由形式で書きたいことしか書かないか比較もできない。地獄の業火に焼かれろ的な「とんでも」は発見できても、普通候補者だと違いがわからない。ネットショップ価格スペック比較できず写真だけで選べという店であたり商品が引けるわけがない。この場合消費者がとりうる選択肢は限られる。どこかの既知のブランドから無難な商品を買うか、さもなくば買わないかだ

結果、約半数が投票に行かないし地方首長選挙は現職が9割の勝率となる。保守的なのではなく、新規が得体が知れなすぎるのだ。誰に投票していいかもわかっていない有権者など、確率的な数でしかない。だから当選するために確実に投票してくれる組織を囲い込むことに政治家は腐心する。そのために地盤お金が必要となり、結果、特定の組織利益誘導的にならざるを得ない。たとえその組織利益が大多数の利益を損ねるものだとしてもだ。バラバラに動く有権者は特定の利益のために組織だって行動する人たちのまえに為す術などあろうはずがない。

第三にはそもそも議会制民主主義なのかという問題がある。

もっといえば罪刑法定主義なのかも怪しいところだ。判例主義といったところで検察裁判判検交流に代表されるように三権分立など建前になってしまっている。厳密にしてしまえば、物事なににつけても対立がうまれ滞ってしまうので、そのような体制のほうがいいこともあるだろう。だがバランス重要だ。現状は人治が法や道理を押しのけるまでになっているのではないかと思う。

例えば先日可決された東京都青少年保護育成条例の改正に代表されるように、法は立てるが、運用するのは、お目こぼしをするのは我々だという暗黙の権力行使を許していてはそもそも政治家は必要ではない。議会も必要ではない。

政治家自身、何を議論して、何を決めて、それがどんな結果を及ぼしているのかにまで想像力が働いていないのだろう。やはり局所利益誘導的なのだ。決定には関与しても、立ち上げにも、運用にも、またそれが為されているのかの確認にも公正に関与できていない。政治家がただの多数決要員なら無差別に選出された陪審員でやったほうがよほどいい。

以上の原因と仮定からスキャンダル醜聞にまみれ、日本の政治の質が低かったとしても致し方ない。

自浄効果も期待できず新規参入も無理なら当然の帰結だ。絶望した!

ほにゃららふがふが社会絶望した!と、いうところで思考を停止して右派左派同様ギャーギャー騒ぎたてるのも無理からぬこと。実際、じゃあ他に何か手立てあんの?と聞かれてもお手上げだ。誰か政治家の代わりをやれよといわれても、多分同じことをやらざるを得ないだろう。日本の政治はもはやこれで完成品なのだ。アラブでは、民主化民主化と騒いでいるが、日本には閉塞感はあっても打ち倒すべきシンボルテーマもない。やはり行き止まりだ。

基本に立ち返る。

最大数の幸福を追求したいと考えるならば、人ではなく仕組みに裁量を持たせたほうがよい。そのためには公正な競争がなされなければならない。公正な競争がなされるためには、新規参入や撤退に自由度をもたせればいい。

既存の仕組みでも運用する人さえ違えば充分なのかもしれない。既存政治市場と、並行稼動で仮想市場をつくっておいて、実際の議員投票はこうだったけど、その地域有権者の実際の意見はこうでした!的な仕組みがあるだけで、何がおかしいのか評価はできるようになる。というわけでYouつくって。

2011-02-18

暴論MMO

MMOに必要なものは、プレーヤーの自治かも。

運営とプレーヤーを比べたら、圧倒的に数でプレーヤーに分がある。

数がすべてとは言わないが、運営にあまり統制権を偏らせすぎると、多すぎるプレーヤーの統治が出来なくなるのではないか

そもそもプレーヤーというのは、現在では多くのゲーム渡り歩いてきた人間が多数で、運営よりもずっと知識やアイディアを持っているのではないかと思ってしまう。

プレーヤーの自治に必要なのは自由度の高さで、自由度の高さはシステム崩壊というリスクを高める。

つまりここは徹底的に考えなければならない。面白いシステムや斬新なシステムというよりは、徹底して「崩壊しない」システム、そのさじ加減を考えて考えて考えまくること。

中途半端自由度ではもうプレーヤーは満足しない。

あと、運営があまり出てこないこと。

運営はあくまで管理者であって、フレンドリーな神であってはいけないと思う。

運営がプレーヤーに接近すればするほど、なんというか、そのゲーム自体が安っぽく見える。底が浅いというか。

下手すれば運営の裁量一つでパラメータも集めたアイテムも全部リセット出来るというのに、そんな奴がなぜプレーヤーに媚びを売るのか。理解できない。

畏怖すべき存在、下手したリセットされるかもしれない恐怖。運営は絶対なのだという前提を覆してはいけないと思う。そうじゃなきゃ、皆作られた世界に飽き飽きしてしまう。

そのうえで、運営は単に恐怖であってはならない。運営とは全知全能の神であり、プレーヤーを過度に苦しめて収益を上げるような存在はない。それでは逆の意味プレーヤーに接近してしまっているから。

運営はあくまで世界創造しそれを維持することだけに集中すべき。

イベントなどいらない。イベントとは運営ではなプレーヤーが作るべきもの。

イベントを連発すれば、プレーヤー怠惰になる。イベントとは言ってみれば運営が媚びを売った結果であり、運営の言うとおりにすればアイテムがもらえるなんて、もはやそれは仮想世界でもなんでもない。

そしてもう一つ。MMO世界は徹底的に情報を隠ぺいしろ!

情報は表に出してはならない。そして常に新しいアイテムシステム創造し続け、さらにそれを隠ぺいしろ。

全てプレーヤーに見つけ出させる。当たり前だが、一か月遊んで廃人がすべてのシステムを見つけ出すような薄っぺらい世界はいけない。

FF11のような膨大かつありえないほどの広がりを「嘘でも」感じさせる世界重要だ。

アイテムはま10万種類は作れ。5年かかっても廃人はその3割しか見つけられないような難易度にしろ!

世界の広がりは途方もなくしろ。新しいフィールドを踏破した人間プレーヤーの間で伝説として語り継がれるくらいの難易度でいい。

そうやって歴史を積み重ねろ!資金はいくらあっても足りない。大富豪たかれ。世界には腐るほど金を持ってる奴はたくさんいる。とにかくたかれ。

基本無料でもいいが、必ず金を払いたいと思う要素を取り込んだほうがいい。

たとえば、レベル制限、フィールド制限、アイテム制限。そういったものを段階的に組み込んで、結局は月額で何千円かは払わなくてはいけないようにしたほうがいい。

すごいゲーム無料で楽しめるわけがない、と思わせることが重要レベル10制限にひっかかってもうやめたと思ったらそれは運営の怠惰だ。

とにかく離れられないようにしなければならない。このゲームを、寝食を忘れ職も失い友達も失い、それでもやらなければならないと思うほどのものにしろ!

2011-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20110129190156

レビュー指摘事項:実装者の調査不備」と起票していたら、

俺は、「指示者の指示漏れでしょ」と言う。そんだけ。

うん、指示漏れだとして、指示が漏れていたから、レビューして指示しなおしてるよね?何が問題?

自由にさせろと言ってみたり、指示漏れと言ってみたり・・・

あなたの指摘は要領を得ない。

誰の責任かといえば、そら、責任を取る話しになったら私だろ。責任者なんだから

責任論をするなら、まったくもって、おっしゃるとおりで、私が悪い。

いま、話をしているのは、責任論の話なんか全くしてないわけ。

コードの解決の話をしているんだからコードの解決としては、調査不足に付きやり直しって書くのは妥当。

 

引責の話と、レビューの話は別。

私の指示が悪く、調査をしないで書かせてしまったために、不当なコードが上がってきたためにやり直しを命じた。

かかねーよ、そんなレビュー書。

私の指示が悪かったから、やり直して・・・いいけど、人が育たないだろ。言われたことをやればいいわけじゃないんだから

 

結果として、調査が不足しているからやりなおし。

それだけの話し。

レビュー責任論の話なんて初めて聞くよ。 

さらに上長から、遅れた理由を聞かれて、部下が勝手にやったからと私が抗弁して あなたのせいでしょといわれるならわかる。

そんな事はしていないわけで。そんなレビューを喰らう理由がない。

かい条件もわからないだろうし、こっちも説明できないし、そんな状況の人にレビューされても困るよ。

ある程度の裁量は任せている。でも、レビューはある。レビューはあるから裁量の範囲内でも問題があれば修正依頼を出す。

その修正依頼も合議する。アタリマエのことだと思うが?最初から指示を全部出したら、あなたのいう自由とは程遠い。

した指示も本人と話し合って、合意を得ている。手戻りしていて、遅れているが、その説明もすんでいるし、無事完成している。

何が問題だと言われているのかよくわからない。

 

聞いてない、知らない。そらそうだろ、増田なんだから。聞いてない、知らないこともたくさんあるのに、レスしてきたのは、増田でしょ。

聞いてない、知らないこともたくさんあるのは前提なんだから最初に聞いてから発言して欲しい

 

あなたが、何を主張したいのかわからいから、

あなたが主張したいことを、最初に戻って、もう1度箇条書きで 主張してみてもらえる?

2011-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20110124012603

あたりまえだが、そんなコメント出す段階で、その部分のドキュメントに多くのコストを掛ける金はない。

あったら、そういうコメントはならん。

他方 オープンソースはOpenSSLクラスで本やに本があるレベルからねぇ・・・いくらなんでも程度問題。

かに僕は「ドキュメントにはコストがかかる」と言っているが、

より重要な点は、オープンソースにしてもかかる、と言ってる点だ。

OpenSSLの本は売ってても、何でそれを採用したのか、どの部分に使われているのか、業務を踏まえた時に何処が大事か、

そういう事は載ってない。そしてそれが何より大事だ。

引き継ぎの時に市販本を持ち出されて、「資料でござい」と言われたら、元増田だって眉をひそめるだろう?

 

自由にやらせてみろって言ったり 事細かに指示しろっていってみたりよくわからん

繰り返すけど、

オープンソースを知ってる事が、そんなに大事なら、

それこそ教育コストをかけて後輩に教えてあげれば良かったんじゃないの?

って話だよ。

増田が大事だと思うなら教えてやればいいじゃない。

どっちでもいいなら自由にさせたらいいじゃない。

 

そもそも、つくれといった部品とはちがうサブで使う部品を、持ってくればいいのに、作っちまったって話だから。指示しようもない。

それは元増田に書かれていない情報なので、背景として共有できませんよ。今更言われても困る。

 

それに対して、王道理想論持ってこられても現場は回らないよ。

別に王道なんか持ってきてないし、僕の現場は廻ってるんだけどなぁ。

前回、「大学では~」みたいに行ってた人に、王道とか現場云々と言われるのも心外。

 

頼んだ部品を作る過程のレビューの話なんだから

オープンソースした場合は手戻りが発生するけど、少しの手戻りだから許してね」って話に見えるけど?

だったら惜しいのは作っちまった後輩じゃなくて、レビューが遅れた先輩なんじゃないの?

いつ頃にレビューしましょうって線を引いたのは先輩だよね?

もし、そこの裁量権を後輩に持たせてるなら、レビュー前に作ったのが悪いけど。(オープンソース以前の問題)

 

怒ってない

ごめん、その点は僕は無関係。

甘え云々の話といい、なんか僕の事を、自分の後輩かなんかと混同してないか

2011-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20110108093339

まあある程度当たってるけど

「誠実」でない者には自浄作用は期待できない、じゃあ規制しましょ、というのが行政の考え方

ここは少し役人性善説だなあ。実際は役人したら「規制の口実発見! うれしい!」なんだよね。なぜかというと規制が増えれば増えるほど彼らの権力裁量=便宜の見返り)が増えるからね。だからマスコミだなんだ使って企業汚職を煽る煽る!

で、当然そんなのは悪なんだから、「仲間のうち一人が失敗すると規制が増えて迷惑だ」の答えは「だから失敗する(ズルする)奴が悪い!」ではなく「そういうとこに目をつける役人が悪い!」とならなきゃ。

もちろん、そんなこと言ったって役人が改めるわけじゃなし、そんなすべもなく、結局自衛の策としては「仲間からまする奴を出さない」という対症療法しかないわけだが理想的な体質改善としては役人が正しくなる方がいいわけで、だとすれば対症療法現実対処しながらも心のどこかでは根本的な問題について思いをはせていた方がいいと思う。

2011-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20110107160526

君が言いたいのは無限有限の責任はなく、直接間接の責任じゃないのか?

他人から見たら、自己裁量有限責任から

それすら決定的だということぐらい、わかりそうなもんだけど。だいたい有限責任からなんだというのだろう。軽く蔑んだ印象が拭えない。有限責任チキン代名詞はないぞ。

ところで、個人のさじ加減でない責任なんてあんのかね?

それこそ幻想のたぐいではないか責任のとり方すら前例考慮するというのに。

からしいことは、自由意志存在しない、と言っている人間仕事はまかせたくない、と考える人が多いだろうということくらいだ。

蓋然に蓋然を重ねて説得力が出ると思ってるのかw自己責任を標榜する人間とは思えないなw

ちなみに俺は自由意志存在するか否かは確認できない、といっている。

モニターの向こうの僕の存在を確認していただけているようで光栄です

ところで、意思とは確認できるものでしょうか?

責任の有無を捉えるには、僕が以前のトラバで言及した(そして君が無視した)「無為に関連付けられた自由意志存在」を肯定しなければならないはずなんだが

うーん。この人社会人的言説をよくする割にはちっともロジカルじゃないというか、なんというか。

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