2011-11-11

アメリカ人相手に、あの人は仕事熱心だよと伝えたい時

ある人がいか仕事熱心かということを伝えたい場面があるとする。

そんな時、日本人同士や中国人相手であれば、

「あの人は何時から何時まで仕事をしているんだよ」という言い回しですぐ伝わるのに、アメリカ人にはあまり伝わらない。

何時に出社して何時に帰るか、勤務時間や勤務日をどう割り振るかという話は、

そもそもそういう評価基準を持ち合わせてないかのようで、労働時間自慢な表現意味を見いだせない様子だ。

労働時間で「今日仕事したなあ」と感じられる自分は、当初勘違いをしてしまっていた。

周りが5時に帰るのを見て、5時に終わるのが当たり前だと考えるようになってた。

結構時間が経って気付いたのだけど、こちらの人はそういった価値観で行動してはいなくて、

5時に帰るのも真夜中までオフィスにいるのもさほど違いはないんだな。

5時に帰る人が真夜中まで働く同僚を不器用なやつと見下げることもなければ、長い休みを取る同僚をさぼっていると見なすこともない。

相手は相手の信念に基づいているし、俺には俺のペースや感性にあったリズムがある。

そこを理解しているから、バラエティに富んだワークスタイル自然社会に受け容れられる。

その裁量自由度があるから、ソサエティとしてアメリカを眺めると層の厚みを感じさせる。

アメリカ人相手に、誰かをハードワーカーだと伝えたいなら、

その人の業績やどんな仕事をやり遂げたのかを話すと、伝わったなという手応えを得やすい実感だ。

自由な生き方が許される場所で、自分もまた自由な考え方を手に入れたつもりでいるのに、

たまにそういった社会を目の当たりにして「5時に帰る」ことに衝撃を受け、

ワークスタイル自由度時間裁量自由度表現してしまう取り上げ方をしてしまう。

ある意味とても日本人だよなと、我ながら可笑しく思えることがある。

  • 昔ならともかく、今のアメリカ人にそんなこと言っても「熱心になれるだけの仕事があって羨ましいね」と皮肉を言われるだけでしょ。

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