はてなキーワード: 自由主義とは
のどちらかでしか解決しないんだけど、それを言うと、自称弱者男性は「自助を強制するのは差別」と言って怒り出すよね。
貧困や属性による不当な取り扱い、イジメのような他者からの攻撃に共助・公助はありえても、孤独は自助しか方法がない。
誰かに友人や恋人、家族になることを強制することは人権侵害になるからだ。
この増田のような自称弱者男性の話を聞くと、自分の孤独を改善するために、他人を利用しようとしているようにしか思えない。
あるいは自助以外で満たされないことを理解したうえで解決する気はなく、ただ他人を叩くためのツールにしている。
孤独に陥る理由に貧困があれば共助、公助で貧困を改善する対策をすべきだと思うし、公助として"自助をサポートする講習(コミュニケーション講座とか)"や、市民同士の交流を促す催事をするのは良いことだ。
だけど増田は貧困が原因の孤独じゃないし、例えば上記みたいな公助があったとしても利用できないんじゃないかと思うんだよね。
臆病でプライドの高い人にとって、友達を作る努力はストレスを伴うから。
増田のように貧困が原因でもなく、孤独を楽しめるタイプでもなく、友達を作る努力が辛いタイプの人間は、やはり絶望(孤独が絶望というのなら)に寄り添って生きるしかないんじゃないかな。
Libertarian の私は国による免許制度とか国の機関というものが嫌いなので、あたり前に医師会なんてものに好感がある訳ないのですが、そもそも前提がそれのため、スキャンダルが出てきてまぁ当たり前だよね、うん。としか思いませんでした。今更なにを言っているのかがよく分かりません。Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.ですよ。腐敗は権力を与えられた者の責任ではありません。腐敗は権力の属性です。腐敗は権力というものの側面です。側面ですから必ず付随しています。
そもそも論としてあらゆる組織はその構成員のためにのみある。もっと言えば人間が組織を作る理由は自分を守るため以外に何もありません。医師会は組織です。組織であるなら構成員の為にのみ医師会が行動を取ることは当たり前の話です。人間はすべからく利己的なので、医師は利己的です。そしてあらゆる集団は利己的な目的にのみに基いて組織されます。そこに例外はあり得ません。そのために医師会は利己的です。利己的であることは悪いことではありません。むしろ利己的であることこそが、自身が自身として力強く地を踏む最低限のものです。
某スキャンダルが悪いとしても、悪いのは政治家や医師ではない。権力を監視できない全ての責任だ。
私は政府や中央というものが大嫌いですが嫌いだからと言って、叩いていいとは思わない。無駄だとも思わない。不正義だとも思わない。ただ嫌い。私の政治思想と合致しない。でも私の政治思想は正しくないので、社会がどうあってもそのままそれでいい。
そんなことを思う。政府なんてものはシュリンクの極限で、機能しなくなるくらいが丁度いい。レッセフェールで社会は良くなることはないかも知れないが、レッセフェールで良くならないならそれはそれで歩むべき道なんだよ。国家なんて要らない。それで人類が滅びても、歪な状態で生き長らえるよりはずっと良い。それが私の政治思想です。完全自由主義です。ノーランチャートの右上です。が、しかしそんなことを思う人がこれ以上増えてはいけないと思う。
とりあえず良識のある市民の方々はがんばって libertarian というダークサイドまで堕ちてこないようにして欲しい。
既に各役所で審査は終わっており、市長の考えうる懸案事項は通過済みだからだ。
市長が七面倒な人格者でも町が廻っていたのは、こういった役員達の努力による所が多い。
「慣習的な規範を選別したり忌避する向きも確かにあります。ですが、そもそも文化に基づいたルール自体は社会において必要なものですよ。でなければ法律でガチガチに縛るしかありませんので」
「もちろん箸の持ち方を法律で縛ろうなんて話はしていませんよ。いま話しているのは、法律のように強制力はなくても守った方がいいルールがあり、それが間違いなく社会を回す上で不可欠だという話をしているんです。それを手助けするのも政治の役割ですよ」
そして、それでも市長が渋った場合は、彼を言いくるめる理論武装も済ませてある。
「箸の持ち方を好きにさせろって人も他のマナーを守る時はあるでしょう。その他の常識、文化、マナー、規範といったものによって、快適に社会生活を遅れている側面もあります。そこにきて箸の持ち方だけ好きにさせろというのは理屈じゃないでしょ」
「あー、分かった、分かりましたよ、分かっていますよ!」
「いえ、どうしても判を押さないというのなら構いませんが、それ相応の理由は必要かと。でなければ他が納得しませんので」
「そうですねえ……」
「……昼時なんで、飯食ってきます」
「……そうですか、ではその間に考えをまとめてきてくださいね」
いつも利用する市役所の食堂を通り過ぎて、市長は外で店を探し始めた、
「さて、どうしたものか……」
そうして十数分、あてもなくフラフラしても考えはまとまらず、結局コンビニで適当なものを買うことにした。
市長自身、この件をなぜここまで渋っているのか上手く言葉に出来ずにいた。
ただ、この件が政治的に動くという事実と、それが後は自分の判の一つで決まるという状況。
そのことが、どうしても喉に引っかかって飲み込めなかったんだ。
「やっぱり私が、市政がどうこうするようなものでもないと思うんですよねえ」
あくまで市政がやることは、授業で使う矯正用の箸を作るための資金を出すこと。
市長が声を大にして「みんな箸は持つべきだ」なんて言うわけではない。
秘書はそうも言っていたが、自分の意志で判を押して、相応の金を出す以上はそうもいかない。
だがイエスにしろノーにしろ、今の市長にはどちらも言える気概がなかった。
反緊縮のもとになってるMMTで投げかけられた問は「財政破綻とは何か?」だよ。
そして、基軸通貨国や経常黒字国は外貨借金が増えないので財政破綻しない。
ただし、基軸通貨国とはいえ、自国が売れるものがなくなれば、基軸通貨国の座を追われる。経常黒字国もそもそも売れるものがなければ経常赤字国に転落する。また、財政出動は景気を良くして輸入を増やすので経常赤字に傾ける作用がある。
しかし、経常赤字に至らない程度の財政出動は問題ない。なおかつ、景気が良くないと設備研究投資をしなくなるため、産業劣化し経常赤字側に傾きやすくなる。事実、日本は時折貿易赤字を出すほど産業が劣化してしまった。
それから、資本主義は全く方向の違う(新)自由主義とケインズ主義からなる。
(新)自由主義は政府が何もしないのが望ましい。税制はフラットに。
そして、社会の致命的な欠点として、大規模経済危機を迎えると、企業が保身に入り、金を貯め込み設備研究投資をしなくなるというものがある。
この状態に陥ると自由主義は何もできない。日本で1990年に起きた。30年経ってもただ産業が劣化しただけ。
ケインズ主義は財政出動をしろと言える。ついでにインフラとか、地球環境を守る技術開発にでも使えばよいだろう。1930年世界大恐慌はそうやって回復した。日本の1990年バブル崩壊も、貸し剥がしや、消費税増税、金を溜め込まれる法人税減税、累進所得税減税をしなければ回復してただろう。
新自由主義自民党VS新自由主義民主党派カレー味のうんこVSうんこ味のカレーでしかない。
そもそも安倍はリフレで経済をマシにしたからな。二度の消費税増税でせっかくの経済回復をだめにしたが。そこでMMTの議論が現れた。
結局どういう経済理論が良いかを国民が理解して、その党に投票しないとだめだよ。
でないと新自由主義だと一度不景気になったら回復しない「アイツラが敵だから攻撃すればいい!+英雄に任せればいい!」となる。
そもそも戦前も政府が何もしないほうが良いという自由主義だった。その結果が世界恐慌後の不況にどうすることもできず、ナチスドイツ、天皇親政の爆誕と世界大戦だった。
小泉劇場やトランプもバブル崩壊やリーマン・ショック後の不景気を踏まえた不景気後どうしようもなくなり、英雄を求める流れの一つだろう。
悪しざまに行ってしまえば、自治会とかのコミュニティでルール決めれば正しい程度の言い分。
もちろん、いろいろ留保はつけてるが、それが社会に馴染みにくい少数派に厳しいルールになるのは当然。
少し前のリベラル(これを、政治学用語でニューリベラルと言う)は、そういうしがらみを破壊して、変人にも居場所があるという感じだったんだが、サンデル他が叩き潰しちゃった。
で、ここで捻じれがあるんだが、この時に、サンデルと一緒にリベラルをぶっ叩いていたのが、まあ左翼。
どうしても、自由主義というのは強者の理屈になりがちで、また道徳的に非難に値する連中に対してやさしい。
そういうのを批判していた人たちがいた。その代表格が、ユルゲン・ハーバーマス。北守とかが大好きな思想家だ。
ノリとしては、矯風会みたいな宗教保守とラディカルフェミニストが今日として、ポルノという悪しき自由を叩いているという構図に近い。
結局家族制がある限り「他人より有利に子育てしたい」って願望は消えないじゃん?
正社員になって十分な福利厚生の恩恵にあずかりたいという欲望、夫婦2人十分な収入を得た状態で子育てスタートさせたいという欲望、子供の競争を有利に導く形質(容姿や頭脳)を遺伝させたいという欲望、子供に潤沢な文化資本を与えたいという欲望、保育園併設のタワマンに住みたい、幼稚舎受験させたい、etc……
こういう欲望を前提として恋愛自由主義という名の優生思想が回ってる(自由恋愛自体が優生論の文脈で日本に持ち込まれたことに関してちくまから本が出ている)以上、いったん人間から子育てを取り上げないことにはルッキズム・メリトクラシー敗者の男女にはどうやっても挽回の目がないと思うのね(まぁ、キモカネ女性は子育てに巻き込まれないほうがもしかしたら幸福度が高いかもしれず、似たような境遇の男女間にある「救済しろ」という声の大きさの互いにはそれが関わっているかもしれないが……)
これらの欲望自体は社会によって規定されている部分があるから、ある程度は再配分によって是正されるかもしれないが、かと言って社会構造がすこし変わったところで結局「競争に有利とされる形質」がすこし変わるだけで競争自体の生み出す苦しみは避けられないと思うのね
子育てが、生存が、競争だから苦しいのよ(それを調整するのが修正資本主義の政府の役目だとは思うが、まぁ、現状はご覧の有り様で……)
特に男性の言う「生きやすさ」に「子孫の残しやすさ」が含まれてるとしたら、たぶんただ再配分するだけで救済されるとも思えないよね、ただ多少金を持たせて「選ばれやすくする」ということしかできないんだから(そしてこちらを選択すると相対的に女性が貧しくなり、男性へ、家へ、子供へと縛り付けられていき以下素敵な無限ループ)
そんなことをつらつら考えてみて、あてがえ論とか女性の自由意志の尊重とか、そんなことでヤイヤイやり合ってもあんまり芯を食ってる気がしないなぁってずっと思ってんのよ
家族制ドリブン、子育てドリブンの欲望が、つらい競争とその結果の格差を生んでるんじゃないの?
まぁこの辺はもうすでにマルクス主義で通った議論ではあるし、かなり赤い主義主張であることは否定しないんだけどさ……
たとえば国民は求められたら卵子や精子を提供する義務があるだけで、子供は国が勝手にAIで多様性を保持しながらマッチングして作って、知らないところで職業的に子育てや教育に従事する人々が育てて労働人口として送り出す
整形当たり前だったり、バーチャル空間で望みのVアバター纏って生活するのであったり、方法は問わないけど、生まれ持った見た目や能力を問われない世界であれば、ただパートナーとして共に生きていくことを選択するハードルは「友達になる」程度には大きく下がるんじゃないか?(この辺は希望的観測であり、コミュ力はどうしても必要になるだろうからなんか自分で言ってても厳しいような気がするが……)
こうなってくると過去のSF文豪たちがディストピアとして警告した世界そのものではあるんだが、労働人口を確保せざるを得ない以上、競争による過度な苦しみは避けるにはこうなっていくしかないと思うのよね
個人的に、どうやっても「今生きてる人間のために次の世代の人間が労働してくれることが必要な世界」では、この選択は俺は別に悪くないと思う
いつかこの苦しみの連鎖を技術が止めてくれることを願ってる(が、多分資本主義の世界からはその技術は生まれないだろうと思う)
この増田が強者とは全く思わないが資本主義、自由主義的世界観はこれだよ
結局弱者男性問題は資本主義の敗北者が生活保護や最低労働賃金レベルのセーフティネットじゃ満足できないと言い始めているという話だ
でも、現状の資本主義はあくまでも敗北者がまた戦いに参加することを是としているだけで、敗北者のままでいることは否定している
勉強や努力をやめないことを前提として敗北者の命を保証している
なので資本主義は敗北者のままでいたいと言っている弱者男性は冷遇するのは当たり前なのだ
ちなみに女性や障がい者という弱者が生活しやすい社会を作ろうとしている理由もこれで説明がつく
そのままでは敗北者にならざるを得ない人たちには、資本主義は優しくなるのだ
そして、女性や障がい者が弱者にならざるを得ない理由を無くすことで、死ぬまで勉強し努力することが義務付けられた優しくない資本主義社会に女性や障がい者を引き摺り込もうとしているだけ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12610114895.html
結婚相談所職員のブログで、結婚するためには男が奢ったりデートプランを考えたりすべきだ
という主張が記事内にはある。
この主張の根本には変えられないマチズモ的価値観についてのあきらめが内包されている。
あきらめと言うよりはむしろハックしてしまえという姿勢に近いかもしれない。
一方で、ここ最近話題になる弱者男性というワード。無論その主張も多岐に渡る。最も過激なものが
タイトルに置いた「女をあてがえ論者」で、穏健的な論者は「放っておいてくれ、つらさを分かってくれ」
というあたりだろうか。
これらは結局のところマチズモ的価値観による抑圧に起因しており、男性が男性として認められる
結婚であったり、恋愛だったり、職業だったり、資産であったり。
女性差別が多岐に渡るのと同じように、男性が一人前の男性と認められるために課せられたハードルも
また多岐に渡る。これが"弱者男性"を画一的に表現することが難しい原因である。
さて、穏健的な論者はつまりマチズモ的価値観の消失を願っている。つまり結婚、恋愛、職業、資産etc、
そういうハードルを越えられなくとも、きちんと認めてくれる社会を願っている。
(そんな存在に対して急進的なフェミニストは得てして敵になってしまう。なぜなら大抵、急進的なフェミニストは
マチズモ的な枠組みにおいてのし上がろうとしており、保守的で自由主義的だからだ。)
対して「女をあてがえ」論はマチズモ的価値観が変えられない事を確信している者が、そこで弱者が一人前になる
ための方法としてたどり着いた、きわめてロジカルで身勝手な解である。
これは結局マチズモ的価値観を受け入れ、それに則って行動させる結婚相談所の職員と根本的に変わらない。
労働弱者保護:非正規の場合の最低賃金2割増し・退職金月給3か月分保証、労基の大幅増員+権限強化など
結婚弱者保護:子なしでも婚姻手当毎月3万円(子供手当は別枠維持)、市有建物の式場使用無料(歴史的な建物だとより良い)、離職保母さん達の学童運営補助など
恋愛弱者保護:なし。自由主義的発想から言わせれば、国が価値観に口出しするのは、気色悪い。
表現の自由等:同じく基本的に介入しない。憲法の伝統的学説を支持し、私人間の不法行為に基づく損害賠償責任の問題で処理。
経済政策:大企業それ自体への盲目的な攻撃はしない。大企業やその関係会社の従業員も弱者。自動的なベア年1パーセントを強制→強制インフレ。
環境政策:無理のない範囲で、できるところから。とにかく科学的合理性を重視して。原発ゼロは最終目標としてはいいかもしれんけど、巻き添えで弱者が死なないように軟着陸で。
社会福祉:基本現状維持。ただし、老人も医療費3割負担してね。
財政政策:低金利維持+インフレが長期的に借金を解決してくれる。あと、コロナが落ち着いたら、米欧と足並み揃えて債務減免交渉をやってみてもいいんでない?
https://anond.hatelabo.jp/20210403165033
この増田も返信の増田見れば分かるけど所謂「リベラル」じゃなくてはてなでは「リバタリアン」と呼ばれるような思想の持ち主だったし、
何をリベラルと呼ぶのか混乱しすぎてる、マトモに議論できない。
じゃあこの増田のような奴は「リバタリアン」と呼ぶべきなのかって言うと、それもアメリカのローカルな文脈でしょ?
シャルリエブドの件なんかでも分かる通り、ヨーロッパでの「リベラル」は増田の様な自由至上主義タイプのリベラルで、アメリカならリバタニアンと呼ばれてるような人種でしょ。
つまり世界的には日本・アメリカの様に社会主義的なリベラルを「リベラル」と呼ぶ方が少数派なんだと思うよ。
そもそも「リベラル」って名前自体、自由主義って意味だしね、アメリカでの呼び方の方が歪んでんの。(つまり上の増田のリベラル自認の方が合ってる)
日本のリベラルはアメリカに絶対服従で尻尾振ってる与党の姿勢に批判的なはずだけど、「リベラル」の定義だけはアメリカにぶんぶん尻尾振ってるのおかしくない?アメリカだけが世界じゃないんだよ?
個人の自由を抑圧してでも自らの考える社会正義を実現しようとしたり、大きな政府を志す派閥は「リベラル」じゃなく「左派」「左翼」で良いと思うよ。
(日本のリベラルは「私たちはシャルリエブド」なんて言わないでしょ?)
逆に何でそれで駄目なのかが分からない、「左派」「左翼」と呼ばれるのが恥ずかしいと思ってるなら、それこそおかしいでしょ。
下の増田を読んだときは「ほーん」とスルーしてたけど、やっぱり今の「リベラル」の呼び方は混乱の元だし、歪んでると思うよ。無意味だし止めるべき。
まあそうだ。
昔は、貴族にしか暮らしの責任を負う自由はなかった。貴族がこければ地域ごと人生がコケるのが普通だった。いまでは自由となり、一人一人が自分の人生の責任を負っている。
責任を負う自由があることを、20世紀自由主義は「幸福」と定義してきた。貴族や親に自由を制限されている状況が辛すぎたからだ。
でも、いまではそうでとは限らないよね。過剰に自由になりすぎた社会で、むしろ人々は責任をいかにして逃れるか、不自由でも安定したリスクのない生活を送るかを考えている。
この変化をいかに考えるか?
それは思想の課題ではある。ただ、ジェンダーがどうとかいう狭い範囲の話ではないな。もうちょっとでかい哲学とかの潮流の話だよ。