https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12610114895.html
結婚相談所職員のブログで、結婚するためには男が奢ったりデートプランを考えたりすべきだ
という主張が記事内にはある。
この主張の根本には変えられないマチズモ的価値観についてのあきらめが内包されている。
あきらめと言うよりはむしろハックしてしまえという姿勢に近いかもしれない。
一方で、ここ最近話題になる弱者男性というワード。無論その主張も多岐に渡る。最も過激なものが
タイトルに置いた「女をあてがえ論者」で、穏健的な論者は「放っておいてくれ、つらさを分かってくれ」
というあたりだろうか。
これらは結局のところマチズモ的価値観による抑圧に起因しており、男性が男性として認められる
結婚であったり、恋愛だったり、職業だったり、資産であったり。
女性差別が多岐に渡るのと同じように、男性が一人前の男性と認められるために課せられたハードルも
また多岐に渡る。これが"弱者男性"を画一的に表現することが難しい原因である。
さて、穏健的な論者はつまりマチズモ的価値観の消失を願っている。つまり結婚、恋愛、職業、資産etc、
そういうハードルを越えられなくとも、きちんと認めてくれる社会を願っている。
(そんな存在に対して急進的なフェミニストは得てして敵になってしまう。なぜなら大抵、急進的なフェミニストは
マチズモ的な枠組みにおいてのし上がろうとしており、保守的で自由主義的だからだ。)
対して「女をあてがえ」論はマチズモ的価値観が変えられない事を確信している者が、そこで弱者が一人前になる
ための方法としてたどり着いた、きわめてロジカルで身勝手な解である。
これは結局マチズモ的価値観を受け入れ、それに則って行動させる結婚相談所の職員と根本的に変わらない。