はてなキーワード: 紳士とは
読んでいると若干モラハラ入ってるように感じる。
もちろん夫のやってることは良くないことだ。
でも一方的に相手の自由を制限することは好ましくないなんでそんなことになったのかはっきりと言葉にして解明されてないし、理由は何にせよ扱える金銭が少なくなって夫はよりフラストレーションを溜めるわけじゃない?
相手の過失を出汁にして自分が夫にかけてる圧力を正当化してるんだよ増田は。
夫は結婚した当初から仕事で行き詰まりを感じていた。脳と心が疲弊し、私の出産を機に閑職へ異動。年収とともに忙しさも減って私は嬉しかったが夫は寂しそうだった。
なんで夫が寂しそうにしてる横で喜んでんだよ。家族なんだから孤立さすなや。
ゲーム内の紳士的な仲間たちは「リアルが大事ですもんね」と言っていた。彼らは大馬鹿者である。ゲームとリアルは綺麗に分けられていて、それぞれ別の世界だとでも思っているのか。この世は常にリアルしかない。心をすり減らしながら労働し、液晶画面の絵や文字を変えるのに金をつぎこみ、その金を得るためにまた心をすり減らす。その醜悪な構図はどこまでもリアルだ。なぜ分からない。大脳が溶けてる。
その醜悪な構図の中に増田も組み込まれてるんだよ、自分の気がつかなかったうちにな。
夫の大脳が溶けてくのを放置するどころかそれに拍車かけてたんだよ。
夫が隠れて借金をしていた。洗濯物のポケットから支払い明細票が出てきた。読んでも正確な額が分からない。ただ50万円以上は確実だ。急いで夫と連絡を取り「持ってる金融機関のカードを暗証番号とともに全て提出してね」と伝えた。
これまで我が家の家計は完全に別財布だった。昔から家賃光熱費通信費は全て旦那持ち。子供が生まれて私が退職している今は、そこから更に毎月6万円食費雑費としてもらっている。
思えば夫の金遣いには怪しい所があった。DVDや漫画を買うのが好きだし、ゲームにも課金していたようだ。それでも大人なんだから借金なんかするはずないと思ってた。クレジット会社から送られてくるギフトカードを受け取りながら、私は不安になって何度もこう言ってたのだ。「借金ないんだよね?もしあるなら全部私が立て替えるから。リボ払いは怖いんだよ。6万円払えるの?」それに対して夫は「大丈夫、借金なんてしてない」
どうやら夫は大ウソつきうんこ野郎だったようだ。それでも今まで家計を任せきりにしていた負い目もあるから強く責める気はなかった。
帰宅後、カードと暗証番号をもらって、急いでカード会社のホームページから利用明細を確認。何ということでしょう。彼は毎夜ソシャゲに高額の金を突っ込む大脳の溶けた精神病患者だったのです。
1万円の支払いを一晩に3~4回躊躇なく繰り返している。年末年始なんてひどい。12月31日から1月1日にかけてのリボ払いの大盤振る舞い。
借金の額は、100万はありそうだが夫も正確には分からないと言う。私が「自分の借金の額を把握してないの変だよね?何でかな?」と言っても、夫は辛そうに黙っている。だいたい彼は暗証番号を言うときもキレ気味だった。子供か。私より10以上年上だけど精神が成長する機会には恵まれなかったようだ。
翌日、泣き叫ぶ2歳児と眠り込む0歳児を引き連れて、カードの支払窓口に大金を持ち込んだ。手持ちでは足りず、総額で自分の貯金から140万を返済した。私の貯金の半分以上が電脳の海へと溶けていったのである。南無~。
帰宅後、夫の利用明細をCSV形式でダウンロード。2006年からのクレカ利用状況が全て分かった。ゲロを吐きそうになった。
夫が「旅行に行きたいの?お金もったいない」と言うからいつも1~2泊、国内旅行で安く済ませてきた。新婚旅行も国内2泊1万円以下の宿。そのとき彼は一晩に3万円ゲームに突っ込んでいたのだ。 私があるプログラミング言語にはまって講習に行きたいと言ったことがある。「ふた月で15万円?子供も生まれたし色々考えないといけないんじゃない」と夫は言った。そのとき彼は何も生み出さないゲームに一週間で15万円つぎ込んでいた。
彼がゲームに傾倒しているのは知ってたがこれほどのものとは!!衝撃だった。愛する夫が実は前科二犯の幼児性愛者だと判明する衝撃に匹敵。あなた誰?と思った。
返済した日の夜、夫の携帯のロックを解除してもらい、例のゲームを起動する。夫はゲーム内で隊長を称し、チームを率いていた。既に引退を宣言したのか「寂しいです」「リアルが大事ですもんね」「引退なんてもったいない、隠居してみては」など仲間から暖かいメッセージが寄せられている。
最高に笑えるおじさんたちだ。私の金で興じた戦争ごっこはさぞ楽しかったでしょうね。何より何より。などそのほか多種多様な罵詈雑言が私の頭の中トレドの泉のように湧き起こり、紳士的で親しみやすい彼らにひとつひとつご挨拶したい欲求に駆られる。フリック入力が面倒でやめた。代わりにSRやSSRと記された金銀に輝くキャラクター群を売却。50万、100万かけた電子データが意味のない数字の羅列になり果て爽快爽快。
夫は結婚した当初から仕事で行き詰まりを感じていた。脳と心が疲弊し、私の出産を機に閑職へ異動。年収とともに忙しさも減って私は嬉しかったが夫は寂しそうだった。
夫は20代の青春期を、劇団を率いて舞台に捧げた人だった。舞台をやめた後は仕事に打ち込み、ほんのひと時だが部下を持ったこともある。彼は頼りにされ、リーダーだと持て囃されることに飢えていたのかもしれない。ゲームの中で「隊長!」と呼ばれ、人から頼りにされる仕事のできる俺という幻想に大金をつぎ込んでいたのだ。
ゲーム内の紳士的な仲間たちは「リアルが大事ですもんね」と言っていた。彼らは大馬鹿者である。ゲームとリアルは綺麗に分けられていて、それぞれ別の世界だとでも思っているのか。この世は常にリアルしかない。心をすり減らしながら労働し、液晶画面の絵や文字を変えるのに金をつぎこみ、その金を得るためにまた心をすり減らす。その醜悪な構図はどこまでもリアルだ。なぜ分からない。大脳が溶けてる。
ダウンロードしたCSVを元に計算すると、この3年間、ゲームだけで170万(利息含)つぎ込んでいた。夫もそれを見て塩らしい態度になり、今は私が彼の全個人情報を把握するのに協力的だ。今朝は甲斐甲斐しく子供のおむつを替えていた。すぐそばにある子供のかわいい顔に気づき、しばらくは我が子と「隊長と隊員ごっこ」に興じるようだ。
私も今までの生き方を改めよう。それまで私もひと月に電子書籍で1万円をTL官能小説に浪費したことがあったし人のことはとやかく言えない。今まで買っていた漫画を買うのもやめるし、小説も電子書籍ももう買わないよと約束した。代わりにあなたも買い物は今後しないでと言った。私にとって、何も買わないことは苦ではない。だが彼はどうか。今まで息をするようにキャッシングしていた人間が突然変わることなんてできるのか。不安で仕方がない。
私の実家はそこそこ金があるし、住んでる家は実家の持家だし、切り捨てる決定権は私にある。再びゲームに金をつぎ込めば離婚してやろうかな。液晶の画面がうつしだす「隊長!隊長!」という文字列にかじりつきながらせいぜい一人でうっとりしてればいい。4~5年保育労働をさせて使い潰したら捨ててやると隣で赤ん坊をあやす夫に笑いかけながら考える。そんなひどいことを考えつくぐらい私は怒っていた。 あっでも離婚しませーん(^^)いえーい。
・選手は頑丈な防具をつけていて視界が遮られているので周りがよく見えない
・そもそ試合中の怪我がいやなら最初からアメフトをするべきではない
他にもサッカーとかで足引っ掛けた引っ掛けてないがガバガバなのもよく分からんわ。
シミュレーション行為だなんだ言われているけど、そもそもお互いにタックルしまくってスパイクで相手の靴下引っかきまくってるけどもうその時点で紳士のスポーツではないよね。
「相手選手をビビらせるためにやたら内角深めに投げる」とか平然と行われているよね?
しかも打つ側ですら「相手投手をビビらせるためにバッターボックスギリギリまで乗り出す」とか平気でやるよね。
スポーツ選手って最初からお互いの体を大切にしようって発想がないんじゃないの?
つまりさ、アレぐらいの事でいまさら騒げるような環境で普段から競技をやっているのかって話だよ。
アレがそこまでアウトだって言うなら、審判がさっさと没収試合にするようルールで決めるべきだろ。
国際卓球連盟(ITTF)は昔っから自らの競技の「政治利用」にわりと積極的な組織だ。
国際問題の調停を、競技を通して、かなり踏み込んだ立場でやろうとするとこがある。
ITTFは第一次大戦後、国際的融和ムードが支配的だった1920年代半ばに創設された。
初代会長はコスモポリタン的人物で、「スポーツを通して国の垣根を無くしたい」と公言。
40年以上にわたって在職し、組織の基底的な思想を決定づけた。
たとえば創設以来、世界選手権においては長年にわたって、表彰台での国旗掲揚・国歌演奏は行わないものとされていた
「紳士淑女の友好的遊戯」という競技的ルーツへの自負もまた、融和を尊ぶ姿勢を醸成した。
対日感情の極めて悪かった第二次大戦直後の1949年、いまだ占領下にあった日本の再加盟を、
国際競技団体としていち早く認めている。
「スポーツを通じて世界をつなぐ」積極的行動モデルとして結実させようとしたのが3代目会長の荻村伊智朗。
会長在任中は、91年世界大会に最初の統一コリアチームを実現させた他、
地球ユース選手権にてイスラエル・パレスチナ両国のジュニア選手に共同で宣誓させる等々、
末期がんによる死の一週間前にあってなお、病身を起こして会場に駆けつけた。
その後も国際的緊張の当事者同士を共に組ませて国際親善大会をしたりと言ったことを継続的にやっている。
またたとえ、国際的承認を十分に得られていない地域の協会であっても、
火中の栗を拾うことをあんま恐れない。
たとえばWikipediaの『コソボの国際競技連盟への加盟』の項を見れば、
2011年に当時の会長も「ピンポン外交は次の時代へ入った」とコメントしたように、
「競技の政治利用」すなわち「外交的融和を目指して自らの競技を積極的に活用してく」ことは、
ITTFにとっては継承されたレガシー、自覚的ミッションのおもむきすらある。
そこら辺を踏まえた上で、例の件について言うと、
まず先だって出された板門店宣言にスポーツの合同チームの結成が盛り込まれていた、という背景があり、
競技団体として、こういった特例を認めた場合の今後への弊害を考えることになるんだろうけど、
現実問題、ここまでの歴史的条件が揃って、大会開催期間とタイムリーに重なるということはそうそうあることではない。
前例化したとしてもそれを以ってなし崩しにはなりにくいと思われる。
そしてコソボ承認の件もそうだが、国際問題に先陣切ってコミットすることを恐れない連盟の体質。
むしろ今後に続くであろう統一チームの流れに先鞭をつける機会を、
わざわざこのような特例措置を用いてまで自分たちが最速で提供することに、
使命感とか陶酔とか覚えててもおかしくない。いやまあ偏見だけど。
選手たち当事者には、やっぱりアンフェアじゃないの、という権利は正当にあると思う。
しかし現時点で報じられる限りでは女子日本代表に動揺はないという。
日本卓球協会側も「スポーツを通した世界平和を目指している」「歓迎したい」とか受容的コメント。
本音は、とか言い出したらキリはないが、卓球界に長年育まれてきた感覚ではこんなものかもしれない。
卓球界では過去に複数回、統一コリアチームが結成された前例があり、心理的に受容の土壌もある。
それに実際、日本女子の実力から言えばことさら動揺する必要もない。
んなこと言ってると91年大会の中国みたいに足元すくわれるけどな!
今回の合同劇が卓球界の受け継いできた流れのひとつの結実だとするなら、
荻村の母国である日本が真向からそれを受けて立つのも、ある種の本望、度量の見せどころ--なんて言うのは
ここ最近、おじさんの「この子ひょっとして俺のこと好きなんじゃないの?」「押したらいけるんじゃないの?」みたいな勘違いによるセクハラ事案が多すぎて嫌になる…。
まじで本当にめちゃくちゃ何度も言うけど、ほとんどの10代や20代の女子からすると10歳以上年上の男の人はおじさんです!!!!!!!!!
時折ある年の差カップルは女の子が特殊なケースだけです!!!!!!!!
いくらおじさんがイケメンでもお金持ちでも結婚したい若い女の子は少ないと思って下さい(キモカネおじさんよりは確率は上がりますが)。
この前Twitterでも見かけたけど、キモイおじさんとキモくないおじさんの差は「ワンチャンあると狙ってくるおじさん(危険)」と「決して自分を恋愛対象にしないが紳士なおじさん(危険でない)」の差です。だから子煩悩や愛妻家は好感度が上がるわけ。
「女の子の容姿を褒めたのに、セクハラ扱いになるなら話しかけるなってことか?」みたいな意見も聞きますが、要するに「口説くな」ってことですよ。
奥様の手料理が美味いとか、子供かわいいとか、あそこに行けば猫が見れるとか、柴犬飼いたいとか、そういう話をしろってことです。
まほよめ、が受け付けなかった。
すごくいい作品だと思ったのに。見てるうちに受け付けなくなってしまって、どんどんいやになっていってしまった。何故なんだ。
なんでなのか考えたくなったので、そしてそこにはきちんとした根拠があるような気がしたので書き散らす。
まず見てて思ったけど、テンプレが古いような気がした。今の時代にこれじゃ共感・好感を得るのも難しくないか?
「男尊女卑の世界で虐げられてきて友達からもいじめられてきた悲壮な過去を持つ日本女」が「心を取り戻したいイギリス風味の冷血漢」と結ばれる話は腐るほどある。
日本女がイギリス男に惹かれるのはジェームズボンドやイーサンハントの時代からずっとそうだった。
何故って今はもうインターネットネイティブの時代なので、デフォルトでグローバルなのは当たり前なのだ。
そんな時代にイギリス男というレーベルが殊更価値のあるキーワードになり得るのか?イーサンハントやジェームズボンドに価値があるのは別に彼らがイギリス人だからじゃないぞ。
いや別にそういう組み合わせを持ってきたって別にいいんだけど、属性として押しすぎるとむしろ作者の古臭さを感じる。あんたの男性像は古臭い。
昔みたいに個人が村社会の中で圧力の中で生きているという時代とはややうってかわって日本も個人主義に移行しつつある成熟社会になっているわけで
客層としての女子のアイデンティティはむしろリーダーシップや主体性・個人の価値の把握、強く生きるために戦う女性像の方へと向いているんじゃないか。
女の子は今も昔もシンデレラになりたがっているかもしれないが、昔のシンデレラと違って今のシンデレラはもっと歌うし踊るし必要ならマネージャーと枕だってやる。
まほよめの主人公と似た境遇なら、クレイモアがそれと近い様に思う。そしてクレイモアのクレアと同じ系譜にはFF13のライトニングさんが該当すると思う。
でもこの二人は守ってもらうようなか弱い女じゃなかった。むしろ積極的に前線に出てくる戦士だ。でも女じゃないのかというとそういうことはまったくない、クーデレ系の不器用さがむしろ魅力の立派なヒロインだ。
まほよめの彼女には、こういう意思の強さが感じられない。そのくせクーデレを気取っているだけの、ただのヘタレ女だ。
いまの時代に求められているキャラクター像をチセが満たしているとは思えない。
むしろチセはたぶん千と千尋の神隠しの千尋だ。だが千尋が作中で見せた成長をチセが作中で見せているとも感じられない。
中途半端に影を背負い、そのくせ魔法に関する得意体質という名前の血統書をつけた、実は自意識過剰をこじらせて周りと上手くやれなかった自己肯定感の低い女でしかない。
次に、まほよめの魔法使いエリアスの男性像が設定としてそもそも矛盾を抱えていて、ここにどちらかというとむしろサイコパスを感じる。
具体的にはまほよめの魔法使いが異形のイギリス風味男の冷血漢でありながら、同時に精神的にとてつもなく未熟な少年という設定に大いに無理を感じる。設定の使い方が下手だ。
イギリス紳士の老年男に魅力を感じるのはそこにダンディズムがあり精神的な成熟性があるからだ。枯れていく美、ワビサビをそこに見出すことが可能であり、独特の和がそこにあるからだ。
既に一度女を味わった男が持つ深み、人生を知っているからこそ出る言葉の軽薄さの裏側に隠された渋さ。ここに人間的な魅力が凝縮されているのに
まほよめの魔法使いは長命でありながら未だに「ボクは人間の感情というものが分からない。欠落しているんだ」だのと言っている。
また作中もしょっちゅう師匠という立場でありながら自分を見失い、何度もチサを殺しかけている。
この手の男性像でよく見られるのはビジュアル系バンドのダメ男パターンである。
見た目はダークで神秘的だけど、中身は未熟なので容易に女に手が出る上に見捨てられ不安の強いただの駄目男である。
人間的に未成熟なので、せっかくのイギリス属性と紳士属性をつけたのにその属性が持っている一番の魅力である渋みを出せずにいる。
最悪なのは18話で、要するにこいつはよくある境界性人格障害なのである。
エリアスは単に自分の外見と雰囲気を取り繕うことで上位に立っていると錯覚したいだけで、その実添い寝をしてもらいたいただのガキだということだ。
ここに、狂気と闇を感じる。それをコメディタッチにしてしまう作者と、そしてそこに自分の存在意義を見出してしまうチセのよくある駄目女パターンに。
病みすぎだろ、こいつら。
過去に何かいろいろあって死にたがったり自分に価値を感じられない弱い女が、王子様に買われてやさしいお兄さんも手に入れる話によくある女の主体性のなさ。
だけどはっきり言うが、女の主体性のなさは単なる「責任回避」だからな。そして今の男子は女の主体性のなさに対して可愛げを感じるようなピュアさは既にして無い。
男になんでも決めてほしいのは単に女の身勝手だとほとんどの男が気づいているぞ。
あれこれ主人公の過去に理由をつけて女から主体性を取り除いてみたようだが、はっきりいって主人公の魅力減だ。
自分の主体性のなさを自分で指摘して内省している様子も含めて、なんとも言えないうざさを感じる。主体性がないことを恥じるなら、即座に反省して主体的な行動をすればいいのだ。
時折この主人公が口走る「私はわがままだよ」の台詞も鬱陶しさに拍車をかける。
ちなみに話し方がまんま「綾波」でこれまたテンプレ感を感じる。
というより「とりあえず綾波っぽくしゃべらせとけ」っていう雑な感じを受ける。
今の女の子はもっとアクティブだし、男の方も女の本音にずっと敏感になった。こんな時代にひねりもなく古臭いテンプレが通用すると考えるのは浅はかだ。
ちなみにこの手の勘違いとしてよくあるようなのできつく言っておくと、綾波は「私の代わりはいくらでもいる」から「私の体で好きにして」というタイプの女であり、彼女はヘタレではない上に処女でもない。
何故なら、チセが服をひん剥かれて身体を洗われるときに抵抗したようなことをたぶん彼女はしないからだ。
この手のシンデレラ系によくあるコメディってくっそつまらんと思うのは俺だけか。
笑いのほとんどが古臭い。「あれ?メガネがないぞ」「メガネなら頭の上にちゃんとあるじゃない」「あ!ほんとだ!あはははは」レベルの会話が延々となされている感じだ。
笑いをとるならしっかり取れ。シリアスとコメディを両立させたいならシリアスなコメディをやれ。中途半端なコメディ
その上でさらに言いたい。描かれるラブに情念・情感が無い。なんつーか、処女臭い。童貞臭い。いや処女臭さや童貞臭さは別にあっていいのだ。良い意味での開き直りや突破感がない。
日本のラブコメつったらToLoveるみたいなのが普通にあふれてるこの時代に、地味な赤毛の女の子のキスとイギリス気取った実は童貞男のぎくしゃくくらいでラブコメが作れると思うこと自体間違ってる。
この作品にはメインとなるカップル以外にも魔術師とストリートチルドレンのカップリングもあるんだが、、、なんつーか、雑。
それから人格障害者とのラブでよくあることだけど、愛情に双方向性がないから、チセがエリアスにとってのペットになったり母親になったり、そうかと思えば娘のように扱われる描写もある。
あるがままのその人を愛するのではなく、無意識にエリアスがチセを抑圧していることから起こる現象であり、はっきり言ってチセは幸せじゃないと思う。
チセはエリアスの不気味さや不思議さに振り回されまくってるけど、コメディたっちだからそう見えるだけで実はあれは境界性人格障害の男に振り回される女によくあるパターンだ。
ほかにもいろいろ、細かく分析するといろいろ病みを指摘できる箇所があるが、長くなってきたのでここまでとする
なんというか、作品に出てくる登場人物の行動ひとつひとつに病みを見てしまい、その向こう側にある作者の病みを垣間見てしまうのだ。
この手の作品の主人公格が常に死の影をまとっている理由はとても単純で、それはこの作品の主人公や登場人物たちが幸せではない願望の塊だからだ。
はっきり言うとチセはエリアスと一緒にいる限り幸せになれない。
幸せになれないのは、エリアスが魔物であり人外の存在だからというわけではない。エリアスがただのDV男=境界性人格障害者であり、チサはそれに引っかかるただの典型的な依存型駄目女であり
好きなキャラはだいたい攻め、左に置いてしまうのだが、基本的にはどのキャラも攻めだと思っている節がある。
攻めか受けかだけを問われればこの世の全てのキャラはひとまず攻めだと思っているため、カップリングを組む場合は攻め×攻めになる。
なので男女カプだろうがBLカプだろうがGLカプだろうが性別不明のキャラが絡むカプだろうが、二人のうちより攻め度が高い方を攻めにする傾向がある。
私の中では受けという存在がいくらか希薄なので、このキャラは受け!といったキャラは特におらず、攻めヒエラルキーの様なものはあるのだが
その最下層に位置しているキャラでも、私の中ではどこまで「攻め」なのでひとまずは受けではなく攻めなのだ。
いざ自分の好きなカップリングやジャンルや作品を問わずに自分の中で一番攻め度が高いと思うキャラクター、攻めヒエラルキーの上位層を選出した際に
私が攻め度が高いと思っているキャラにいくつかの共通点がある事に気づいたのはここ数年だ。
基本的には常識人で黒髪、多少の紳士要素を持ったのキャラを好きになりやすいのだが、それはあくまでも好きになる際の要素や好みのタイプの話であり、
私が攻め度を測る際に大きな寄り代としているのは、そのキャラが性格的に、あるいは作中での行動や言動、描写的にどれだけ生きづらそうかという部分だ。
または幸せになろうとしない、幸せになりにくそう、幸せになるのが下手くそそう、などと言い換えても良い。
自分を大事にしないキャラ、頭はいいし何事も器用にこなせる癖に性格が不器用で誤解されるキャラ、常に劣等感や羨望に悩まされるキャラ、
誰かを愛するのに躊躇してしまうキャラ、己が幸せを得てしまうのが耐えられないキャラ、等がそれが当てはまる。
ここからは性癖の話になるのだが、私はそういう生き辛そうなキャラクターが幸せになろうと足掻くのを見たり読んだりするのが大好きだ。
一人で放っておいたら永遠に幸せになろうとしないキャラ、むしろ幸せとは逆へ突き進むキャラが誰かと出会い何かをきっかけにして
幸せになりたい、その誰かを愛したい、その誰かに愛されたい、と思ってしまう瞬間を何度でも読みたい。
基本的にはハピエン厨でハピエンが大好きなところがこの嗜好の原因だと思う。
幸せになるのが難しいキャラが、幸せになろうともしないキャラが、自滅や不幸へと突き進む事でしか生きられないキャラが、
自分で「幸せになりたい」という感情を少しでも抱いてしまい、そこから彼らが自ら幸せになろうと足掻くのを見たり読んだりするのがとにかく好きだ。
最終的に幸せになってくれればいいので、幸せになろうと足掻く最中で出会う試練やイベントの内容に関してはそこまで大きく重視していない。
ギャグや実は両片思いでした的エンドでちょくちょくある相手に告白したら相手も「マ?私も好き!」みたいな2コマで終わるような感じでもいい。
大事なのは彼、彼女または彼ら彼女らが幸せになる事、ハピエンを迎えることである。
彼が、あるいは彼女が幸せになりたい!と自覚して幸せになろうとしてハピエンを迎えてくれれば別に攻めじゃなくて受けでもいいのではなかろうか?と自問した事もあるのだが、
私の中ではどうやら攻め=最初に愛する方、愛してしまう方 受け=最初に愛される方、愛されてしまう方 という認識があるらしく、私は私でまずそのキャラに誰かを自らの意思で「愛したい」と思い愛して欲しい
という嗜好があるので攻め(=最初に愛する方)に置いてしまう。最終的には攻めと受けは相思相愛になり愛し愛されになるので攻めも受けも「愛し、愛される方」となるが、
発端が受け側からの片思いであろうとも、最初に手を出すのは、好意や好きという感情が愛に変わるのは、性的にハメる方になるのは生き辛さを抱えている、幸せになろうとはしないキャラの方が私の性癖に響く。
だんだんとめちゃくちゃな事を言っている様な気にもなってきたが、私の感情にはまとまりがついてきたのでこのままタイピングを進めようと思う。
上記で述べた「生き辛そう、幸せになろうとしなさそうなキャラ」が一方的に愛されてパコられて雌堕ち快楽堕ちからダブルピース決めて「幸せ…♥」みたいな感じの
エンディングを迎えるタイプのものはひどく苦手である。個人的にはリョナや虐待と等しい行為と捉えてしまうためギャーッッ!!となってしまう。多分私はそのキャラが無理やりお薬や雌堕ち快楽堕ちで「し、しあわせでちゅ…♥」みたいなハピエン(?)の迎え方が苦手なんだと思う。な、なんて事をギャーッ!!!という心情になる。もはやこれがハピエンなのかメリバなのかバッドエンドなのかはイマイチ判別がつきづらいが、そのキャラがようやく得た幸せがそういう類のそれであるのに耐えられないのだと思う。(あくまで個人の性癖や嗜好として苦手、というだけで、否定する意図はないので好きな人は好きな人で楽しんで欲しい)
あとは生き辛そうなキャラがひたすらに愛されるのを見ていると時折「お前が愛するんだよッッッ!!!!!!」みたいな感情が湧くのでそういうキャラには誰かに愛されるのではなくとにかく誰かをまず愛してから愛されて欲しいのだと思う。
あとは色々な意味で「ずるい」かどうかも攻め度を測る際に重要になる要素の一つだ。
颯爽と現れて颯爽とヒロインやヒーローを助けて颯爽とキザな言葉と共に去って行くキャラ、
主人公に意地の悪いちょっかいや、少し性格の悪いいたずらを仕掛けるお姉さんお兄さんキャラ、
相手の優しさや良心に付け込んで相手が断れないと知っていながら相手に私を僕を愛してくれと請うキャラ、
この辺りはあまりにも個人的な「ずるい」判定ゾーンが幅広く「ヤバい」的な意味の広さを持ちつつある事に
気づいたのでこの辺にしておこうと思う。
長くなったが感情と嗜好の整理はある程度ついたのでこれで終わる。