はてなキーワード: 駄目女とは
まほよめ、が受け付けなかった。
すごくいい作品だと思ったのに。見てるうちに受け付けなくなってしまって、どんどんいやになっていってしまった。何故なんだ。
なんでなのか考えたくなったので、そしてそこにはきちんとした根拠があるような気がしたので書き散らす。
まず見てて思ったけど、テンプレが古いような気がした。今の時代にこれじゃ共感・好感を得るのも難しくないか?
「男尊女卑の世界で虐げられてきて友達からもいじめられてきた悲壮な過去を持つ日本女」が「心を取り戻したいイギリス風味の冷血漢」と結ばれる話は腐るほどある。
日本女がイギリス男に惹かれるのはジェームズボンドやイーサンハントの時代からずっとそうだった。
何故って今はもうインターネットネイティブの時代なので、デフォルトでグローバルなのは当たり前なのだ。
そんな時代にイギリス男というレーベルが殊更価値のあるキーワードになり得るのか?イーサンハントやジェームズボンドに価値があるのは別に彼らがイギリス人だからじゃないぞ。
いや別にそういう組み合わせを持ってきたって別にいいんだけど、属性として押しすぎるとむしろ作者の古臭さを感じる。あんたの男性像は古臭い。
昔みたいに個人が村社会の中で圧力の中で生きているという時代とはややうってかわって日本も個人主義に移行しつつある成熟社会になっているわけで
客層としての女子のアイデンティティはむしろリーダーシップや主体性・個人の価値の把握、強く生きるために戦う女性像の方へと向いているんじゃないか。
女の子は今も昔もシンデレラになりたがっているかもしれないが、昔のシンデレラと違って今のシンデレラはもっと歌うし踊るし必要ならマネージャーと枕だってやる。
まほよめの主人公と似た境遇なら、クレイモアがそれと近い様に思う。そしてクレイモアのクレアと同じ系譜にはFF13のライトニングさんが該当すると思う。
でもこの二人は守ってもらうようなか弱い女じゃなかった。むしろ積極的に前線に出てくる戦士だ。でも女じゃないのかというとそういうことはまったくない、クーデレ系の不器用さがむしろ魅力の立派なヒロインだ。
まほよめの彼女には、こういう意思の強さが感じられない。そのくせクーデレを気取っているだけの、ただのヘタレ女だ。
いまの時代に求められているキャラクター像をチセが満たしているとは思えない。
むしろチセはたぶん千と千尋の神隠しの千尋だ。だが千尋が作中で見せた成長をチセが作中で見せているとも感じられない。
中途半端に影を背負い、そのくせ魔法に関する得意体質という名前の血統書をつけた、実は自意識過剰をこじらせて周りと上手くやれなかった自己肯定感の低い女でしかない。
次に、まほよめの魔法使いエリアスの男性像が設定としてそもそも矛盾を抱えていて、ここにどちらかというとむしろサイコパスを感じる。
具体的にはまほよめの魔法使いが異形のイギリス風味男の冷血漢でありながら、同時に精神的にとてつもなく未熟な少年という設定に大いに無理を感じる。設定の使い方が下手だ。
イギリス紳士の老年男に魅力を感じるのはそこにダンディズムがあり精神的な成熟性があるからだ。枯れていく美、ワビサビをそこに見出すことが可能であり、独特の和がそこにあるからだ。
既に一度女を味わった男が持つ深み、人生を知っているからこそ出る言葉の軽薄さの裏側に隠された渋さ。ここに人間的な魅力が凝縮されているのに
まほよめの魔法使いは長命でありながら未だに「ボクは人間の感情というものが分からない。欠落しているんだ」だのと言っている。
また作中もしょっちゅう師匠という立場でありながら自分を見失い、何度もチサを殺しかけている。
この手の男性像でよく見られるのはビジュアル系バンドのダメ男パターンである。
見た目はダークで神秘的だけど、中身は未熟なので容易に女に手が出る上に見捨てられ不安の強いただの駄目男である。
人間的に未成熟なので、せっかくのイギリス属性と紳士属性をつけたのにその属性が持っている一番の魅力である渋みを出せずにいる。
最悪なのは18話で、要するにこいつはよくある境界性人格障害なのである。
エリアスは単に自分の外見と雰囲気を取り繕うことで上位に立っていると錯覚したいだけで、その実添い寝をしてもらいたいただのガキだということだ。
ここに、狂気と闇を感じる。それをコメディタッチにしてしまう作者と、そしてそこに自分の存在意義を見出してしまうチセのよくある駄目女パターンに。
病みすぎだろ、こいつら。
過去に何かいろいろあって死にたがったり自分に価値を感じられない弱い女が、王子様に買われてやさしいお兄さんも手に入れる話によくある女の主体性のなさ。
だけどはっきり言うが、女の主体性のなさは単なる「責任回避」だからな。そして今の男子は女の主体性のなさに対して可愛げを感じるようなピュアさは既にして無い。
男になんでも決めてほしいのは単に女の身勝手だとほとんどの男が気づいているぞ。
あれこれ主人公の過去に理由をつけて女から主体性を取り除いてみたようだが、はっきりいって主人公の魅力減だ。
自分の主体性のなさを自分で指摘して内省している様子も含めて、なんとも言えないうざさを感じる。主体性がないことを恥じるなら、即座に反省して主体的な行動をすればいいのだ。
時折この主人公が口走る「私はわがままだよ」の台詞も鬱陶しさに拍車をかける。
ちなみに話し方がまんま「綾波」でこれまたテンプレ感を感じる。
というより「とりあえず綾波っぽくしゃべらせとけ」っていう雑な感じを受ける。
今の女の子はもっとアクティブだし、男の方も女の本音にずっと敏感になった。こんな時代にひねりもなく古臭いテンプレが通用すると考えるのは浅はかだ。
ちなみにこの手の勘違いとしてよくあるようなのできつく言っておくと、綾波は「私の代わりはいくらでもいる」から「私の体で好きにして」というタイプの女であり、彼女はヘタレではない上に処女でもない。
何故なら、チセが服をひん剥かれて身体を洗われるときに抵抗したようなことをたぶん彼女はしないからだ。
この手のシンデレラ系によくあるコメディってくっそつまらんと思うのは俺だけか。
笑いのほとんどが古臭い。「あれ?メガネがないぞ」「メガネなら頭の上にちゃんとあるじゃない」「あ!ほんとだ!あはははは」レベルの会話が延々となされている感じだ。
笑いをとるならしっかり取れ。シリアスとコメディを両立させたいならシリアスなコメディをやれ。中途半端なコメディ
その上でさらに言いたい。描かれるラブに情念・情感が無い。なんつーか、処女臭い。童貞臭い。いや処女臭さや童貞臭さは別にあっていいのだ。良い意味での開き直りや突破感がない。
日本のラブコメつったらToLoveるみたいなのが普通にあふれてるこの時代に、地味な赤毛の女の子のキスとイギリス気取った実は童貞男のぎくしゃくくらいでラブコメが作れると思うこと自体間違ってる。
この作品にはメインとなるカップル以外にも魔術師とストリートチルドレンのカップリングもあるんだが、、、なんつーか、雑。
それから人格障害者とのラブでよくあることだけど、愛情に双方向性がないから、チセがエリアスにとってのペットになったり母親になったり、そうかと思えば娘のように扱われる描写もある。
あるがままのその人を愛するのではなく、無意識にエリアスがチセを抑圧していることから起こる現象であり、はっきり言ってチセは幸せじゃないと思う。
チセはエリアスの不気味さや不思議さに振り回されまくってるけど、コメディたっちだからそう見えるだけで実はあれは境界性人格障害の男に振り回される女によくあるパターンだ。
ほかにもいろいろ、細かく分析するといろいろ病みを指摘できる箇所があるが、長くなってきたのでここまでとする
なんというか、作品に出てくる登場人物の行動ひとつひとつに病みを見てしまい、その向こう側にある作者の病みを垣間見てしまうのだ。
この手の作品の主人公格が常に死の影をまとっている理由はとても単純で、それはこの作品の主人公や登場人物たちが幸せではない願望の塊だからだ。
はっきり言うとチセはエリアスと一緒にいる限り幸せになれない。
幸せになれないのは、エリアスが魔物であり人外の存在だからというわけではない。エリアスがただのDV男=境界性人格障害者であり、チサはそれに引っかかるただの典型的な依存型駄目女であり
下記はすべて「例外もあるけど、一般的にはこうではないか」と俺が考えている内容である。
俺は、自分の望んだように生きていきやすい順番が
1.頑張っている、上流の男
2.頑張っている、上流の女
3.頑張っていない、平均以下の女
4.頑張っていない、平均以下の男
の順番だと思っている。頑張ってるとか上流とか平均以下とかいうのは適当に選んだ言葉であって、実際に簡単に区分できるものではないというのはわかっているのでそこは適当にアバウトなニュアンスで捕らえてもらえると助かる。
ただし、ここは間違えないで頂きたいが、上流とか平均以下というのは決して財産や持ち金の問題ではなく、人生や仕事に対して真摯に取り組んでいる姿勢・人生観による区分だと捕らえていただきたい。頭の中身も多少は入っている。
まず(1)(2)の、においては男性が生きやすいというのは、完全に仕事面の問題だ。
男女雇用機会均等法が施行されてから随分マシになったとは言え、未だに50や60のオッサンの女性に対する蔑視というのは確実に存在しているし、友人で色々と理不尽な目にあった人間も知っている。また、男のほうが体力があるというのもメリットの1つになる。俺は少なくとも仕事をしていくに当たっては、主に給与面・評価面において男でよかったと思っている。
今後、この蔑視は少しずつ是正されていくとは思うが、絶対に女性にしかできない出産というイベントがある限り、仕事面において完全に平等になるのは難しいだろう。
また、家庭においては未だに子育てや家事はどちらかというと女がするものという不文律もある。
(3)(4)の差、平均以下の社会においては女の方が生きやすいのは事実だ。
要するに「俺働きたくないからお前養ってよ」という駄目男より、「私働きたくないからあなた養ってね」の駄目女のほうが一般的に大義名分を得やすいということだ。
「女は専業主婦になれるからいいよな」「ニートでも家事手伝いと言い逃れられるからいいよな」というのはまさにイメージの問題なのだ。男女ともにすでに90%以上が働いている世の中だから上記の言葉はおかしいと思う女性もいようが、下流の10%、ニートだったりフリーターだったりする人間にとっては「女のほうが生きやすい」と思うのは必然なのである。いや、あえて働いていない下流10%に限らなくてもよい。もう少し上流の、働いてはいるが、仕事にやりがいもない、面白くもない、ただ金のために働き、企業に搾取されている労働者層においては「本当は働きたくない」→「でも働かないと男は白い目で見られる」→「働かなくても白い目で見られない専業主婦・家事手伝いが羨ましい」→「女性は生きやすい」と繋がっていくのである。
この認識は、過去に女性は専業主婦として家事手伝いをしてから嫁に行くのが当たり前だった時代のなごりだろう。これは今後女性が働くのが当たり前になっていくにつれ、少しずつ認識は変わっていくかもしれないが、現在ではまだ男の方により厳しい視線が向けられていることは確かだ。
また、こうした(3)の女性にとって大きな武器になっているのが、(2)の女性である。
(2)の女たちが色々と女性の権利を切り拓いてきたところに、これら「実際は努力したくない」(3)の女性はうまく乗っかり、「仕事に手を抜き」「権利ばかりを主張」することを覚えた。
これにより、完全に(4)の男性は(3)の女性の下に置かれることになった。
(2)の女性の努力を(3)の女性がエサにするばかりか、(4)の男性の反感まで買っていると思えばよい。2chやはてなのミソジニーの構図はまさにこれだと思う。
さらに、もっと底辺に行くと、女性は風俗業に行けば簡単に金が稼げる(と思われている)が、男は同じ肉体労働でも土方やタコ部屋、果てはホームレスになるしかないという差もあろう。
恋愛にしても、例えば10人中7位の容姿・性格の女性であれば、たとえ体目当てであろうが言い寄られることもあろう。しかし、10人中7位の容姿・性格の男性がいるとしたら、かなりの努力をしないと異性を獲得することもままならない。
俺に彼女をよこせ。
疲れたので続きはあとで。