はてなキーワード: 日常とは
CMのタイアップ曲がどんな感じで決まっていくのかと、MVの企画がどんな感じで決まっていくかを私の知ってる範囲で書くよ。
炎上した例のMVがどうだったかは知らないけど、普通はこういうケースが多いかなということを書くよ。
ここに書くのは慣れてないので、作法が間違っていたらごめんよ。
まず企業が広告代理店にCMの企画を依頼するところから全てが始まるよ。(今回はコンペじゃなくて仮に随契だとして話を進めるよ)
どういう商品で、どういうことを伝えたいとか、どんな層に見てほしいとか、そういうことを代理店に伝えると、CD(クリエーティブディレクター)やその手下であるプランナーたちが一所懸命企画を考えるよ。
CMの企画というのは大抵3~5案くらい出して好きなのを選んでもらうんだけど、その中で「タイアップ楽曲を使う案も出そう」ということになると、キャスティング担当とかタイアップ担当の人が各レーベルに連絡してエントリーを募るよ。
アーティスト側としてはやりたいのはやまやまだけどツアー中で無理とか、大御所すぎてそもそも興味なしとか、実は競合他社のCMが決まっていてできないとか本当にいろんなパターンがあるけど、タイミングがすごく大事だよ。
ちょうど数ヶ月後にアルバムのリリースを予定していてあと何曲か作ろうと思ってましたみたいなアーティストがいるとベストだよ。
さらに最高なのはすでにCMに合いそうなデモがあってあと歌詞書くだけみたいな状態の曲があると、プレゼンのときに聴かせられるので超有利になるよ。代理店側からこの人に書いてほしいということもあるけど、結局タイミングが合うかどうかだよ。
そもそもタイアップってなに?っていう人もいるかもしれないので書いとくと、
企業側はアーティストの新曲を無料でCMに使うことができておいしい。アーティスト側としては企業が数億円払って買ったTVCMの枠で自分の曲をバンバン流してくれるのはおいしい。っていう仕組みのことだよ。
具体的には新曲をJASRACに登録するときにこのCMでこの曲使うけど使用料発生させないでねという登録(委嘱登録とかタイアップ登録とか言う。詳しく知りたい人は調べてね)をすることだよ。
なのでアーティストとしては出稿量が結構大事で、CCJC(広告業界の人はコカ・コーラのことをこう呼ぶよ。しゃらくさいね)だったらまあかなり多いだろうからできるタイミングならやりたいというアーティストが多いと思うよ。
プレゼンの時点では数組のアーティストが候補として残っていることが多いよ。こっちの人のほうが有名だけど今回は10代に人気のあるバンドのほうがいいかなーみたいな感じで企業の人が絞り込んでいくよ。いよいよ決定となったら、歌詞を発注するよ。
企業と代理店から、楽曲の雰囲気とか歌詞に盛り込んでほしいワードとかをまとめてアーティストにオーダーするよ。
今回の炎上したやつでいうと「渇いたココロに注がれる」みたいな露骨なやつはアーティストからのサービスで、「意外と好きな日常」みたいなワードが逆に企業から出そうな言葉だなーという感じがするよ。あとは「覚えやすい」「マネしたくなる」みたいな注文が多い世の中だよ。
ここまで書いてて思ったんだけど、炎上した曲が使われたCMは私見てなくて、もしかしたら彼らが出演もしてたのかな?曲の提供だけじゃなくて出演もするってなるとエントリーしてくれるアーティストがガクッと減るので、もしそうだとしたら最初からミセスありきの企画だったのかもしれないよ。
撮影して編集して、アーティストから上がってきた曲をのせてCMをつくるよ。
今回のエントリではここは詳しく書かないけど、これでCMづくりは終わりだよ。
大抵の場合、レーベルのA&Rと呼ばれる人が発端となってMVを作ろうということになるよ。
ちなみに資金はレーベルが全部出すパターンと、レーベルと所属事務所が出し合うパターンがあるよ。事務所が全部出すパターンもたぶんあるよ。
まずA&Rが超ざっくりした方針(メンバー稼動はあり、バンド演奏なし、楽しい感じ、とか)を制作会社のプロデューサーに伝えて、プロデューサーはディレクター(監督)を数人提案して、その中から選ばれた監督が2案くらい企画を考えるパターンだよ。
数人の監督にそれぞれ企画を出してもらってコンペ形式にするパターンもあるし、プロデューサーの前に監督決め打ちで話がいくこともあるし、このへんは結構いろいろだよ。アーティスト本人が企画を立てるのも珍しいけどないわけではない。でも結局素人なので3分とか4分をどう構成するかなんていうのは最終的にはディレクターが考えるよ。でもいずれにせよ全てはアーティスト本人が確認して、納得した上で進行するのが普通だよ。
ちなみに今回の炎上MVでいうと制作会社の名前が聞いたことない会社でおや?と思ったんよね。それでプロデューサーの名前を検索してみたら元SEPの人で、過去にミセスのMVを何本かやってるっぽかった。(SEPっていうのはまあMVばっかり作っている会社です)おそらくミセスの仕事を持ったままSEPを辞めて独立したんだと思う。ディレクターもだけどプロデューサーも個人商店っぽいところがあって、会社にというよりその人に指名で仕事がくる世界だよ。
時系列がこの通りとは限らないけど、(だいたいCMを作りながらMVの企画も進んでいると思う)こんな流れが普通だよ。
一部のネットユーザーが「電通ガー」とか「スポンサー企業が知らなかったわけないだろ」とか言ってるけど、仕事の流れを知ってる人からしたら、企業も代理店もMVの企画にはノータッチと考えるのが普通なんよね。なぜならMVには金を出してないから。
もちろん例外もあって、それは企業がMVにも金を出している場合。CMとMVを同じ世界観でやろうとか、そういう特殊なケースのときには当然企業のチェックは入るよ。
例のMVの場合、YouTubeの概要欄に電通の人がクレジットされてたから「電通ガー」が湧くのも無理ないかなと思うけど、たぶんレーベルからしたら元々電通から話が来て生まれた曲という意識があったからクレジットに入れといたほうがいいかなぐらいの感じだったんじゃないかと想像するよ。
なんか電通を擁護するために書いたみたいになってしまったけど別にそういう意図はないよ。繰り返しになるけど普通はこうじゃないかなーっていうことを書いたまでだよ。長くなってすまんね。
弱者男性が世間体のために女性と結婚して子供をもうけましたが、正直言って妻子を愛せません。
毎日、仕事から帰ると、心の中にわだかまる苛立ちと嫌悪感が増すばかりだ。
むしろ、会社の方がまだマシだ。機械と向き合っている方が、無意味な感情に振り回されることがないからだ。
プロジェクトが成功すれば評価されるかもしれないという希望も、家庭に戻るたびに打ち砕かれる。
妻はいつも不機嫌で、子供の泣き声が響くリビングには、逃げ場などない。
俺はただ、無気力にソファに沈み込み、深いため息をつくしかなかった。
機械の設定ミスで生産ラインが一時停止し、上司から厳しい叱責を受けた。
その夜、家に帰ると、さらに追い打ちをかけるように妻が待ち構えていた。
「また遅いの?家庭を顧みないで、自分のことばかり」と妻の言葉が鋭く刺さる。
俺は何も言い返せず、ただうつむいていた。
心の中では「こんな生活から抜け出したい」との思いが渦巻いていたが、どうすることもできなかった。
妻は愚痴をこぼし続け、子供はそんな環境の中で育ち、次第に反抗的になっていった。
俺の心はますます閉ざされ、感情のないロボットのように毎日を過ごしていた。
仕事も家庭も、どこにも安らぎはなかった。
プロジェクトのプレッシャーは増すばかりで、同僚たちの視線も冷たく感じられる。
上司からの叱責は日常茶飯事となり、俺の評価は地に落ちていた。
家庭に戻ると、さらに追い打ちをかけるように妻の怒声と子供の泣き声が待っている。
周囲の目が気になり、逃げ場がない現実に押しつぶされそうだった。
ある夜、耐えきれず家を飛び出した。
行き場もなく、ただただ街をさまよった。
「こんな人生、意味があるのか?」と自問自答しても、答えは見つからなかった。
「どこ行ってたの?」と責めるような声が耳に突き刺さる。
俺は何も答えず、そのままベッドに倒れ込んだ。
眠れない夜が続く。夢も希望もなく、ただ日々をやり過ごすだけの生活。
プロジェクトも失敗に終わり、上司からの評価はますます下がった。
同僚たちも俺を避けるようになり、孤立感が深まるばかりだった。
ある日、ついに限界が来た。上司に呼び出され、厳しく叱責された後、俺はぼんやりと机に向かっていた。
ふと、視線を上げると、周囲の同僚たちが冷ややかな目でこちらを見ているのに気付いた。
心が折れる音が聞こえた気がした。
帰宅しても、いつものように妻の怒声と子供の泣き声が待っていた。
何もかもが嫌になり、無言で家を飛び出した。向かった先は、誰もいない公園のベンチだった。
静寂の中で、自分の無力さを痛感し、涙がこぼれ落ちた。
このままでは何も変わらない。だが、変える力もない。
家庭も仕事も、どこにも安らぎはなく、ただひたすらに辛い現実が続いていくだけだった。
俺は目を閉じ、静かにため息をついた。
そんな日々を、ただ耐え忍ぶしかないのだろう。
養分らは暇空の前は時事系youtuberの扇動に乗っかってゆたぼん叩きしてた連中が多い
暇空は再生数ガタ落ちでフォロワーも減少する一方なので今はもうだいぶ飽きられてまた流れていってる
中3から高2くらいのあいだ、ノラの黒猫がうちに遊びにきていた。というか、エサをもらいに来ていた。
最初に出会ってからというもの黒猫の可愛さに取り憑かれ、家族でうっとり。
家猫にしたかったが、地域柄野良猫を大切にする風潮だったこと、外に出たがる事があまりにも多かったこと、じいちゃんが大の猫嫌いだったこともあり、完全イネネコ化は上手く行かず、半ノラという形で夕方~朝の間は家でずっと過ごしていた。
最初は人見知り全開シャーしまくりだったのが、徐々に懐いて膝の上に乗るようになったりしたのはとても愛くるしかった。前足を骨折して、2日間来なかったこともあったが無事に回復して元気になった事もあった。だがそんな日常も終わりを告げる。
おそらく寿命で言うと3歳くらい。いつものように一緒に布団で寝て、明け方頃窓から出ていったのを最後に二度と家に帰ってこなかった。無理やりにでも家猫にしておけばよかったかのな。
いい思い出をありがとう。いつかまたどこかで会いたいな。
15年間ニートだった。
大学に行かず、就職もせず、高校を卒業してからひらすらネットに閉じこもっていた。
はてな、Twitter、ニコニコ、YouTube、なろう、ネトゲなどを回遊しているうちに、瞬く間に時間が過ぎていった。
みんなで楽しく盛り上がろうという気配が薄れ、昔ならスルーするのが当たり前だった繊細な話題ばかり盛り上がるようになった。
その傾向が本当にコロナの影響なのか、単なる自分の認知の歪みなのかは分からないけども。
あんなに好きだったネットが嫌いになりかけている現実を前に、なんとなく「働かなきゃ」という意欲が湧いた。
当然、正社員なんて無理だよ。派遣でさえもない。ただのアルバイト。
でも何だかんだいって大きな企業のパートに潜り込んで、気付いたら1年間働いてた。
ネットはたまに覗いてるけど、戻りたいという気分にはならない。
コロナ禍で何かが変わってしまった。それ以前の楽しさはもう取り戻せないと思うし、なんなら今の職場での生活のほうがずっと楽しいのかもしれない。
いろいろあったよね、コロナ禍。
気付いたら終わっててみんな日常に帰っていったけど、不幸なことも沢山あった。もっと時間が経ったらそういうことを振り返る機会もあるのかもしれない。
西洋人でもない日本人がそれをありがたがっている、という構図そのものもまた・・・・西欧中心主義になっていないか?
・・・みたいな疑問は沸かないのか?
これが西欧中心主義への盲従への批判ではなく、純粋に可も不可もなく疑問を投げかけただけだと言うのであれば、自然言語喋るの止めて形式言語だけ喋っててほしい
一般的にこの文章は婉曲的に批判を表現するレトリックと解釈されるので、さすがに文章を書く側が悪いと思います
読む側の善意に頼るな
オレ的には「地すべり」はかなり日常的? 親しみ深い? ことばだけどなーw
昭和49年の七夕豪雨ってのがあって、地元の山が地すべりして東海道本線と国道一号線が土砂で埋まってさぁ大変!! て事件があり、その後何十年も「地すべり対策事業」とかで近くの山がガンガン削られたりコンクリートで固められたりの工事が続いて土建業者がウハウハしたあげく、だいたい平らにされちゃったからなーww
近くに同じレベルの弱者女性がいたら元増田みたいに「あいつらくっつければいいじゃーん!」「お似合いーw」「ベストカップルwww」とか言って聞こえるように笑ってるやで
長野の善光寺で産湯をもらって以来つつがなく生きてまいりました。
(長野の善光寺に産湯はないです。そういう書き出しにしたかっただけ)
卒業以来親元を離れ東京の片隅でそれなりに働いて暮らしております。
会社には私のような庶民から上流の方々までいろんな階層の人間がいて、多少交流させていただくこともございます。
ある時、ひょんなことから重役のご子息とご一緒させていただきまして、不釣り合いだと思いながらもお付き合いさせていただくことになりました。
と、私は思っていましたが、どうも勘違いだったようです。
どうも世間知らずゆえ、体を重ねるということは即ち結婚を見据えた交際なのであると思い込み、恥ずかしながらその後で、それはセフレというものであると知ったというていたらく。
彼のご一族はみなさんなにかしらの立派な企業のお偉いさんらしく、都立大にある彼の広いマンションのお部屋でそのご一族の会合のお写真なんかを拝見したりして、なんだか異世界に迷い込んだような心持ちがしたものです。
けれどもそんな夢心地もつかの間、何かの折に結婚の話になりまして「君みたいなのを家族に会わせたらみんなびっくりしちゃうよ、ありえない」と言われた時、そうかそれは承前のものとして弁えておくべきことであったか、私は何を勘違いしていたのかと、恥ずかしくて顔から火が出る思いでございました。
しかし同時にそういう上流の方々と私はなにが違うのか、私の何を見てびっくりさせてしまうのか、とんと見当がつかないことになにか心許なさのようなものを感じたことも覚えております。
それから数年後、私と同じような家柄の庶民の男性と一緒になりました。
二女をもうけ、不器用ながらも子育てに仕事に励んでおりましたが、出産以降は体力が落ち、仕事のパフォーマンスは全盛期の半分ほどになりました。
それでもなんとか夫と共に働き子育てをし、幸いなことに子供も特に大きな病気などにも罹らず健やかに大きくなり、ある日、夫は中学受験をさせたいと言いました。
もっとも私も夫も片田舎の出身ゆえ、ふたりともその経験はありません。
なにから始めたらいいか右も左もわからないまま上の子は5年生にさしかかりました。
とりあえず塾。しかし私も元々成績も芳しくなく偏差値50ちょっとの学校をやっとこさ出たような身で、それも勉強のしかたなどなにもわからないままなんとなく末席に身を置いていたようなもの。
子供に教えられるほどの効率的で有効な勉強法など持ち合わせてはおりません。
子供たちが安心して勉強できるようにとちょっと無理をして中古住宅を購入し、夫はこれからかかるであろう学費のためにも仕事に励んでくれていますから、夫に頼るわけにもいきません。
塾での成績もなかなか思わしくなく、塾を嫌がる子供をなだめたりすかしたりおどしたりしながらなんとか通わせる、家族ともどもストレスフルな日常。
こんな状態では二月の勝者でいうところの「養分」にすぎないことは重々承知。
それでもつきっきりで子供にしてやれそうなことはいくつかは思いつくものの、出産以来の体力の激減、それによる仕事の遅延への焦り、そこに更年期障害の体調の悪さも手伝って、子供になにもしてやれていないという忸怩たる思いに苛まれる毎日でございました。
折しも夫は着実に昇進し、社会的地位は盤石なものとなっていきます。
日頃から夫とは割合和やかにやっておりましたが、たまに諍いを起こすとき、なかなか切れ味の鋭い刃物のような皮肉でもって人を見下すような非道いことをうっかり口走る夫です。
いえうっかりではない。普段思っていることをいつもは黙っているけれども、ここぞという時に吐き出している風で、後から訂正されることは決してないのです。
そういうことも仕方ない、これは私の不出来のせいだと泣きながら自分を納得させるしかないのです。
でもいくら彼の話を理解しようとしても、私は同じような失敗をするらしく、彼を苛立たせます。
そういうこともきっと他に何もなければちょっとは覚え改善できたでしょうが、子育てや仕事の悩みに苛まれている最中、夫の言葉はこたえます。
私のような女は上流の方々が見ればすぐにこういう不出来がわかるのか。
本当にそれが言われたことの真意だったのかはわかりません。おそらくそれとは違う何かだったような気もします。
けれども無能ゆえのストレスで頭の多少おかしくなった女は、そんなつまらない記憶からさえわざわざ自虐することを止められなくなるようです。
同じく庶民の出ながら優秀である夫の足を引っ張るしかできない愚かな妻で母親です。
ともすればより安全な地位へ子供を押し上げてやれたかもしれないところを私がだめにしてしまったのだ。
壊れていく私やわがままになって手がつけられなくなった子供たちに耐えられなくなり、夫はとうとう出て行きました。
誰が悪いわけでもない、ひとえに私の不出来と根性のなさが悪いのです。
けれども子供たちにはできればこういった種類のつまらない劣等感のようなものは味あわせたくはない。
さて、どうしたものか。
願わくば私のようなものではなく夫の優秀な遺伝子を受け継いでいることを願って、これからも私のできる限りをするしかないのだけれども。
そんな遺伝子が存在するのか、あるいは人は育ちが全てなのか?私にはそれは分かりません。
なぜか唐突に思い出した、祖父が好きだったフーテンの寅さんの哀愁をおもいながら、これからの人生や子育てについて思いあぐねているところです。
僕はその概念がプログラミングにどう関連しているのかを理解するのに時間がかかった。
しかしベクトル空間と行列の操作がコードの中で美しくシンメトリーを描く瞬間を発見した時の驚きは、シュレディンガーとハイゼンベルクの式が同じ結果を示していたことを知った時のそれに似ていた。
現実と理論が一致するその感覚は、あのときの僕の混乱とシンクロしていたのかもしれない。
デバッグ作業の合間に僕はふとネットサーフィンに耽ることがある。今日もそんな日だった。仕事に行き詰まり何気なくSNSを眺めていた時、ひとつの広告が目に入った。
聞いたこともない小説だった。ただ何となくその本のタイトルに僕は興味を引かれた。
普段は本など読まないプログラマーの僕が、なぜかその小説に惹かれたのだ。クリックすると古びたオンライン書店のページに飛び、その本の概要が表示された。
SFとミステリーの融合、奇妙な登場人物たち。そして何より、レビューは一切なかった。誰も知らない小説、誰も語らない物語。
そんな時、妻がリビングから現れた。彼女の顔には疲れと苛立ちが混じっていた。夫婦生活はすっかりすれ違っていた。彼女は朝早くから仕事に出かけ、僕は夜遅くまでコーディングに追われる。二人の生活リズムはまるでパズルのピースが合わないかのようにぎくしゃくして、欠けてしまったパズルのピースを探すほどの元気もゆとりもなかった。
仲違いの理由は妻の不倫関係にあった。僕はそのことを知っていながらも何も言えずにいた。
ある夜、僕が帰宅した時、妻は知らない男と電話していた。僕がその会話を聞いてしまった瞬間から心の中で何かが壊れた。
「またネットで何か探してるの?」彼女は僕を見下ろしながら冷たく言った。
「ただの小説だよ。何か面白そうだったから」と僕は言い訳がましく答えた。
彼女はため息をつき、何も言わずにキッチンに向かった。その背中を見送りながら僕は自分の無力さを感じた。すれ違いはいつの間にか深い溝となり、その溝は埋まることなく広がり続けていた。
デバッグ作業に戻るとふと机の片隅に一本の指の模型が目に入った。かつてあるハッカソンで作った人工指だ。触覚センサーを内蔵し人間の感覚を模倣することができる優れ物だったが、結局プロジェクトは頓挫しその模型だけが残った。何かを触れ何かを感じるために作られたものが、今ではただのオブジェクトとなっている。それが僕自身の姿と重なって見えた。
ある日、三毛猫のミケが窓辺に座っていた。ミケは僕たちの唯一の癒しだった。僕がミケを撫でると、彼女は満足そうに目を細めた。猫の可愛さは、まるで不確定な世界の中で確かな存在感を持つシュレディンガーの猫のようだ。そんな時、妻が外から帰ってきた。手には一束のたんぽぽを持っていた。
僕は驚きながらも、そのたんぽぽを受け取った。
デバッグ作業の合間に、僕はふとネットサーフィンに耽ることがある。今日もそんな日だった。仕事に行き詰まり、何気なくSNSを眺めていた時、ひとつの広告が目に入った。「聞いたこともない小説」そう銘打たれたその本のタイトルに僕は興味を引かれた。
普段は本など読まないプログラマーの僕が、なぜかその小説に惹かれたのだ。クリックすると、古びたオンライン書店のページに飛び、その本の概要が表示された。SFとミステリーの融合、奇妙な登場人物たち。そして何より、レビューは一切なかった。誰も知らない、誰も語らない小説。
そんな時、妻がリビングから現れた。彼女の顔には疲れと苛立ちが混じっていた。夫婦生活はすっかりすれ違いがちだ。彼女は朝早くから仕事に出かけ、僕は夜遅くまでコーディングに追われる。二人の生活リズムはまるでパズルのピースが合わないかのようだ。
そして、僕たちの仲違いの理由は、妻の不倫関係にあった。僕はそのことを知っていながらも、何も言えずにいた。ある夜、僕が帰宅した時、妻は知らない男と電話していた。僕がその会話を聞いてしまった瞬間から、心の中で何かが壊れた。
「またネットで何か探してるの?」彼女は僕を見下ろしながら冷たく言った。
「ただの小説だよ。何か面白そうだったから」と僕は言い訳がましく答えた。
彼女はため息をつき、何も言わずにキッチンに向かった。その背中を見送りながら、僕は自分の無力さを感じた。すれ違いは、いつの間にか深い溝となり、その溝は埋まることなく広がり続けていた。
デバッグ作業に戻ると、ふと机の片隅に一本の指の模型が目に入った。かつて、あるハッカソンで作った人工指だ。触覚センサーを内蔵し、人間の感覚を模倣することができる優れ物だったが、結局プロジェクトは頓挫し、その模型だけが残った。何かを触れ、何かを感じるために作られたものが、今ではただのオブジェクトとなっている。それが僕自身の姿と重なって見えた。
やけになった僕は、深夜の街をさまよい、風俗に足を運ぶこともあった。そこでは、まるで別の世界が広がっていた。虚無感と欲望が交錯するその場所で、一瞬の逃避を得るためだけに時間と金を費やした。
ある日、三毛猫のミケが窓辺に座っていた。ミケは僕たちの唯一の癒しだった。僕がミケを撫でると、彼女は満足そうに目を細めた。猫の可愛さは、まるで不確定な世界の中で確かな存在感を持つシュレディンガーの猫のようだ。そんな時、妻が外から帰ってきた。手には一束のたんぽぽを持っていた。
僕は驚きながらも、そのたんぽぽを受け取った。
夜、僕は届いた小説を読み始めた。ページをめくるたびに物語は奇妙に絡み合い、現実と夢が交錯する。登場人物たちの葛藤や喜びが僕自身の感情とリンクしていく。やがて僕は一つのことに気付いた。その小説は僕たち夫婦の物語と重なっていたのだ。
翌朝、僕は妻にその小説のことを話した。彼女は驚きながらも興味を示し、僕たちは一緒にその物語を読み進めることにした。ページをめくるたびに僕たちの心は少しずつ近づいていくように感じた。
たんぽぽが咲き誇る春の日、ミケは僕たちの間でくつろいでいた。僕たちの生活は完全には戻っていないが、少しずつ、確かに何かが変わり始めていた。それは一本の指のように繊細でありながらも、確かな感覚を伴っていた。
バスケほぼミリしらに近い状態から、ある日ふと思い立ってSLAM DUNKを読みはじめて2ヵ月くらい経ったが、進捗は亀の歩み。昨日16巻を読み終えて、17巻に手をつけたところ。
あまりにもバスケを知らなすぎて、画面の隅々まで楽しめている気がしなかったので、『Bリーグ超解説 リアルバスケ観戦がもっと楽しくなるTIPS50』という本を読んでお勉強。おもにBリーグの話だけど、バスケのルールやポジションや試合の流れなどの基本から解説されてるのでありがたい。しかも、THE FIRST SLAM DUNK から入った人のために90年代初頭と現在とでどんな変更点があるのかまで解説してくれる。
いい本の助けを得たとはいえ、もう年なので興味津々ではあっても自分でやらない競技のことを一から覚えるのは容易ではなく、やる気に脳ミソがどーしても着いていかない。
でも、試合中の選手の立ち位置や視線の方向などに着目すると、選手たちや監督のねらいが見えて面白いこと、そしてバスケは数の優位性で闘う競技であるからして戦略の組み立てや読みというものが大事だということは、なんとかかんとか理解した。
数の優位性というワードは、バスケミリしらだけど、私はおなじく数の優位性を重視する競技である囲碁をやるので、なるほどそういうことなのかと、試合中に着目すべき点を把握できたかと思う。
そんな事を理解した上で県大会の陵南戦のとこを読むのはとても楽しかった。読む上で特に重視したのは、画面に描かれた湘北・陵南の両チームのメンバーの立ち位置。そして陵南のエース仙道の挙動。
魚住がファウル4回で安全のために下げられてしまって以降、仙道がチームを引っ張っていくことになるのだが、飄々とした姿勢を崩さないものの徐々に疲労と焦りから追い詰められていき、判断ミスをするようになる。湘北に有利になるとき、その直前には仙道がはんだんを誤っており、更にその前のシーンまで遡って仙道の視線の先を見れば、どうして彼が間違えてしまったのかがわかる。
臨場感と勢いのすごい漫画だから、流れに身を任せてバーッと一気に読んでしまいたい気持ちが強くなってしまうのだけど、我慢して画面のなかにチェックポイントがないか探し、見つけたらその結果を生んだ原因を見つけるためにページを遡ることを、ちまちまやっていく。勢い任せに読むのもいいんだけど、私にはこういう楽しみ方の方が性に合ってそうな感じがする。
陵南戦のあとで田岡監督が自分が湘北をナメていたのが敗因で、選手はよくやっていたと言うシーンがあったけど、選手たちもけっこう湘北をナメているというか、ど素人の桜木はもとより、PGの宮城をそうとう軽んじていて、試合画面でも流川やゴリにディフェンダーをつけるとなったらまず宮城についてる人員を外すということをやっていて(仙道などは仲間にはっきり指示出ししてる)、それが宮城のファインプレーに繋がったので、読んでて思わずニヤリとしてしまった。
数巻続けてスリル満点の試合が続いていたので、日常パートがメインの17巻はちょっと息抜きの巻。晴子さんの流川への気持ちとか、安西先生が直々に花道を特訓する話もいいんだけど、私は仙道推しなので、仙道が主将になったのに部活サボってるシーンが印象に残った。この人もうダメかもしれんな、少なくとも高校バスケでの余生においては。
仙道は、チームをたった一言で持ち直させることの出来るカリスマ性を持ったまとめ役でありつつ、個人の能力も高い点取り屋のスーパースターでもある。しかし、湘北との闘いではリーダーとしての持久力がそうある訳じゃなくて、常に背中を預けられる相手を必要としていることが明らかとなった。なので、魚住が引退したあとで、仙道が力を発揮することはおそらく無いんだろうなぁと。
彼はだいぶ流川に似たところがあるので、流川の未来の姿とも言えるし反面教師とも言えそうだと思う。仙道はおそらくここで潰れ。流川もこのまま日本一の高校生プレイヤーを目指すだけでは早晩潰れてしまうのだろう。流川にも背中を預けられる相棒が必要で、それは先輩ではなく同輩か後輩でないといけないのだ。まあたぶん、それって花道が適任なんだろうなぁー。
などと思いつつ、読破までの道のりはまだまだ長い。
濡れそぼった毛並みと怯えた瞳が、僕の心を掴んだ。家に帰ると、僕は濡れた猫をタオルで優しく拭き、温かいミルクを用意した。猫は警戒しながらも、そのミルクを飲み干した。
この猫、名前をミルクと名付けたのは、その時の出来事からだ。ミルクが僕の家に来たその日から、僕と妻の関係に少しずつ変化が訪れた。
僕たちの夫婦関係は、ここ数年でぎくしゃくしていた。仕事の忙しさや日常の些細なことが積み重なり、言葉を交わすことも少なくなっていた。しかし、ミルクが来てからというもの、僕たちは自然と会話をするようになった。
「この子、なんだか落ち着かないみたいね」と、妻がミルクを見つめながら言った。
「そうだね。まだ新しい環境に慣れてないんだろう」と僕は答えた。
その時、妻の瞳に微かな柔らかさが戻ってきたのを感じた。僕たちはミルクを通じて、少しずつ心を通わせるようになった。
ある日、妻が庭で花を育てているのを見かけた。彼女は昔から花が好きで、特にカモミールを好んでいた。しかし、最近ではその情熱も薄れていたように見えた。僕はミルクを連れて、庭に向かった。
「カモミール、まだ元気に育ってるんだね」と僕が言うと、妻は少し驚いた表情で僕を見た。
「ええ、でも手入れをさぼりがちだったから、ちょっと心配だったの」と彼女は微笑んだ。
僕はその時、妻の好きな花と同じように、僕たちの関係も手入れを怠っていたことに気づいた。ミルクがその間に割って入り、僕たちの心をつなげ直してくれたのだ。
ミルクはカモミールの花に興味津々で、鼻を近づけて匂いを嗅いでいた。その姿を見て、僕たちは自然と笑顔になった。ミルクが花に触れることで、僕たちもまた新たな気持ちでお互いに触れ合うことができた。
「ねえ、最近また花を育てるのが楽しくなってきたわ」と妻が言った。
「そうだね、ミルクのおかげだね」と僕は応えた。
ミルクが僕たちの家庭にやってきてから、僕たちは少しずつ日常の中で小さな幸せを見つけることができるようになった。夫婦の会話が増え、家の中に笑顔が戻ってきた。
カモミールの花が風に揺れるたびに、僕たちはミルクのことを思い出し、お互いへの感謝の気持ちを深めていった。ミルクとカモミールは、僕たちの新しい生活の象徴となり、再び愛情と理解を取り戻すきっかけとなった。