はてなキーワード: 保育園とは
児童館で他人(他のママ)と色々と話しただけで疲れたのか一歳児とぐっすり昼寝してしまい、夜に子供がなかなか寝なくてさらに疲れてしまった
健常児産んで、きちんと育ってくれてるだけでもありがたいし
義母は優しいし
実母も私の味方だし
病児の親の話とか聞いたら酸素吸入の機械の対処とか?詳しい話はわからないけど明らかに私よりも大変だし
私の親も夫の親も遠方に住んでいるので子供を預けてのんびり休むことはできない
本来なら児童館行って、ごはん食べて、また公園に遊びにいくくらいしないといけないのに今日はなんだか疲れてしまってできなかった…家事もできなかった
夕飯は手抜きで作った
児童館で他人と話しただけで、遊ぶ子供を見守ってただけでドッと疲れてしまうのなんなんだろー
別の日だったらもっとがんばれる日もあるんだけどな
でも、趣味のことは精一杯楽しむって感じで
別に障害者本人に何かされたわけじゃないけど、周りのせいで被害こうむったって話。
ショッピングモールの増田は対一で嫌なことされたからまぁ分かるんだけど(たまたまイカれた客が障害もってたってだけとも言えるけど)
障害者本人には責任ないけど、イカれた保育士とイカれた障害者の保護者のせいで、障害者にまつわる嫌な思いしたって話。
もうはるか昔の話になるけど、保育園でずっと知的障害持つ子の世話させられてた。
その時はまだ特別学級とか田舎の方ということもあってあんまり普及してなくて、保育園ならなおさら。普通に20人にも満たないクラスに、知的障害持つ子がふたりと、たぶん発達障害だろうなって子がひとりいた。
自分は割と発育早くて、身長も大きいし、他の子より聞き分けも良くて、先生から何かと頼りにされることが多かった。
だから、その3人の世話を任されること(押し付けられること)が多々あった。
一番重度の知的障害を持つH君は、会話もままならず、顔もなんか変で体も小さくて、周りの人とのコミュニケーションが取れなかった。
だから庭遊びの時とか、いつも手を繋がされてふたりで放置された。
他の子が縄跳びとか竹馬とか追いかけっこしてるとき、自分はH君と黙々と砂遊びしたり、園庭をぐるぐる散歩することしか出来なかった。
もう1人の知的障害を持つFちゃんは、癇癪が酷くて、自分のままならない事があると奇声をあげて泣きながら、とにかく周りの人もものも叩きまくった。
工作なんかは他人の倍時間がかかるので、手先の器用だった自分がいつもお手伝いとして投入されていた。この時間があれば、もっと絵を書き込んだり、工作も丁寧に出来るのになと思いながら、たまに癇癪おこされて頭ぶっ叩かれながら卒園までお役目は続いた。
発達障害のN君も癇癪持ちな上、ワガママで暴力的。お昼寝の時間になるとこっちの布団に潜り込み、陰部を触ったり、キスしてきたりとなんかこれはこれで大層ヤバい子だった。
布団を離してくれというと、泣きわめいて先生を蹴るので、「我慢してね」と言われて長らく園児による園児へのセクハラを受けながら過ごした。
自分の灰色の保育園生活はこんな感じだったけど、いずれも障害者本人達には何も責任はないと思う。(むかしは本人達が嫌いでしょうがなかったが)
今思えば、スケープゴートを差し出してクラスの安定をはかろうとしていたバカ保育士や、そもそも園に通わせていた保護者がむしろ加害者であると思っている。
でもその時の嫌な思い出が原体験としてはつよすぎて、未だになんか障害者とは関わりたくないんだよね。
どんだけ強いかといえば、あんな子持つぐらいなら子供いらないなと思うぐらい。
辛くて死にたい、というよりは
何もしたく無い、という感覚が近いだろう。
誰にも何も影響を与えたく無い。
40歳 妻あり 6歳の娘と4歳の息子がいる
ここで命を経つことは無責任に他ならない。
それは十分に理解しているつもりだ。
なぜこう言う感情が出てきたかを自分なりに整理すると、きっかけはどうでもいい夫婦喧嘩だ。
友人から聞いた「良い学童」に行くために、200万かけて400mの引っ越しをした。
とにかく論理的な会話にならず、隣の学区に行くと良いというバイアスに汚染されていた。
実際他の保護者に聞くと、その学童も言うほど良く無い、放置されている。とい話を聞いた。
それでも、引っ越さずに行った学童が悪かったら、私は会社を辞めます!と脅迫まがいの交渉に根負けして、引越を受け入れた。
あまりのストレスに、見られていないであろうTwitterに3件ほど愚痴を呟いた。
結婚祝いのディナーグレード落として7,000円なのに20,000並のコスパのフレンチにしてやる!しかもシェフはイケメンだからな!
他はやっておくからいいよって、言われたけどやはり間に合っていないので、あと4時間後に引越業者くるけど、いまお皿を梱包しながら箱詰めしている。眠い。
たぶん、その程度の愚痴だったと思う。
歩み寄り方がわからない。
話は変わるが、昨年独立して、心理学をベースにした、コミュニケーション支援のサービスを立ち上げようとしている。
後ろ盾もないスタートアップなので、ずっと勉強、企画、開発、経理など、やることが無限にある。
それを言い訳に、平日の大半、家のことを妻に任せきりにしてしまっていた。
そこは本当に申し訳ない。
最近のぶつかりは、翌朝6時に出る仕事がある時に0時過ぎに帰宅して、まだ起きていたのでホワイトデーのプレゼントを渡した。
紙袋が1枚多く、これは誰に渡した?と。
そうですか、私は不機嫌です。
と。
そのご6時に起きるから勘弁してくれと言ったら、あしらわれたと感じる更に怒り、結局2時くらいまで話が続いた。
そして最近。
妻は遅刻グセがひどいのだが、その点を指摘すると怒りをあらわにする。
我が家は夫婦揃って朝が弱く、寝坊して早く早くと言って言うことが多い。
すると妻は、起きない親が悪いんだから、朝からグチグチ言わないでよっ!と言われてしまう。
早く!じゃなくて、具体的なアクションで言って!
いや、言っているのだが…
その日も朝起きてこなかったので、8:30に起こしに行った。9時には出なければいけないのだが
妻は、もう少し布団に入ってたいってー。と。
息子のせいにしている。
なんせ、朝保育園に送るのは私で、保育士に対して迷惑をかけるのは私だし、刺されるのも私だ。
その日もなかなか動けない子供達に対し、はやくしよー、○○の会があるから早く行くんだよね?ほら手が止まってるよ?口が空いたら次入れようねー。お腹いっぱいねら先着替えよー。あんまりこんなことばっか言ってるとまだ 朝からグチグチうるさい って言われちゃうよ…
と言ったら
は?いま言ってないけど、なんでそこで出てくるの?
家の前で電話したら
あ?なに?っと、不快感をあらわにした音が電話から流れてきた。
ああ、この人にとって私は不快の源泉にまでなってしまったのか。
子供にとって私が役に立つのは工作を一緒にやる部分のみらしい。
スタートアップの応援もしていてくれたが、全く活かせてませんね。だったり、コーチングとかでは相手の話を一旦受け止めるのは基本かと。
など、暗に向いてないよと。
子供のためにと思った行動も、妻からすると子供のためにならないようだし。
仕事も自分で活かせない事で世の中の人の役に立つなんておこがましい。
何もかもがうまく行かない。
立ち上げまではあと半年ほどか。
うまく行く保証は当然ない。
週2帰って夜面倒見る、では満足いただけない。
となると、立ち上げまでキャッシュが持たない。
妻からしたら、年収維持できるなら独立してもいいよ。とのことだったが、やはり厳しい。
昨初年度は年商3,000ほどになったが、今年度は大きく下回りそうだ。
とにかく色々自信を無くしてしまったし、やる気が出ない。
子供は可愛いし好きだけど、自分の考えを入れるのが良くないことであれば、接するのが難しいし、100%の愛が向かなくなってきている。
それも死にたい の1つだろう。
いま一応残している防波堤としては
自家発電用のローション
あと、暗号資産が3,000万ほど、誰かに託さない限り無に帰す事となる。
これらを整理してしまったり、引き継ぎ方を残すなりが整ったら、ふとした瞬間にイツでもイケるのだろう。
そんなこんなで、長文を書いてしまったが。
実行するしないはさておき 死にたい とはなんだろう。
命とはなんだろう。と色々感じてしまう。
巷にある転生もののように、新たな人生を送れるなら、すぐにでもいきたいものだが、実際はただの終了、停止だろうな。
そこで何も無くなるだけ。
残された人には絶望と後悔を与えるだろうが、いずれ忘れられるように人間の脳はできている。
書いてみると、ほんとどうでもいいし、こんな事で死ぬなよアホかってレベルだ。
でも人生の目的が複数同時に消失するとそんなもんなんだなーって。
実際命を絶った人というのも、、周りからしたら、そんな理由で…
と思われるのだろう。
Twitterはバレたので何も呟けなくなったので、こちらに書かせていただいた。
一旦ココロは落ち着いたようだ。抗不安剤のおかげでもあるのだが、気持ちを吐露する場所が失われたのも効いていたのかもしれない。
平均的増田ユーザーよりもうまく増田を使っている 話題を作ったことも何度かあるし、その割にはそうそう捕捉されない
反応ゼロの長文エントリもたっくさん書いてる あとから読み直して、なかなかいいこと言うじゃん、俺!と思うこともあれば、うわ、恥ずかしすぎる!と思って消すこともある
その俺が、10代のうちに増田にたどり着くことができなかったという事実
それが悲しい
あれは相当話題になってたから、あのときには確実に増田の存在を知ったはずだ
さらにいうと、記憶としてはあのときに初めて増田を認識したわけではない
もう少し前から、サイトが存在していることは知っていたはずなんだ
知らなかったから使えなかったんじゃない
知っていたのに使わなかったんだ
俺は増田にignorantだったんじゃない
増田をignoreしていた
なんてことだ
悔しい 悔しすぎる
4月に小学生になる息子は凄まじいADHD+陽キャASDで、支援級在籍になる。
支援専門の先生の提案により、お試し小学校訪問が提案され、昨日がその初日だった。
当日、児童には、今度支援級に入学する子が見学に来るが、普通に授業や活動をして欲しいことを、集会で校長先生が言ってくれたらしい。
学校に行くと。支援の先生は私に、初日は彼がどんな行動をするかを後ろからついていき、手を出さず見てみましょう、となった。
息子はます、体育倉庫の扉の南京錠を開けたがり、何を思いついたかピッキングの真似までしだした。
なんだなんだ?というように、校長と教師、児童ら計5人でそれを眺めてはいるものの
「やっちゃだめ」
という人は誰もいなかった。
校長は
「これ、ちゃんと閉まってるよね?」
そこなの?!
その後、放課後校庭で遊ぶ10才くらいの男児と息子とで追っかけっこが始まる。
だから、おいかけた児童を捕まえた時、息子児童をガブリと噛んでうわっ!またやった!!と本当に冷や汗が額から噴き出た。しかし当の児童は
「せんせー、かまれたー」
と先生は笑っていた。
世間ではそれを他害って呼ぶんだけど、これで済むの?
他にも、高学年女子に抱きついたら嬉しいっ!とバグし返される、金魚を持った低学年に興奮しても、こちらを少し見ただけで何ともなく目の前を通り過ぎて行った。
「ここは通常の公立校とは全く違う軸と制度、価値観で運営してるわ…」
と驚きっぱなしだった。
むしろ保護者にこれについていけない人がいるんじゃないかなとも思いはする。
「迷惑」や「いつもと違うこと」を勘定や落とし込みではなく、発生した時点で排除する、って価値観の地域や学校だとこの運営方法は難しいのは理解している。
だから息子は、今のとこはこの地域のこの学校で良かったなと思った。
帰る間際に、増田さん、勉強はどうしましょうか?彼は学校生活のルールを中心に学ぶと、授業が絶対遅れるけど、と、支援の先生に聞かれたので
「……文科省に謝りましょうかね」
我が増田家には性格が悪い、というか少しひねくれた人間が多いような気がする。他の家族の内情を知らないので断言はもちろんできないが。
まずは私の父。60代。私は父と一緒に働いている。父は、私が昼休憩を終え自席に戻り、PCに向かって小さく「よし!」と言うと、必ず「よし!ってw」と嘲笑する。午後からも頑張ろうと気合を入れてるだけなんだけど。
そして私の娘。6歳。彼女は保育園の出来事をたまに私に報告してくれる。この間は「〇〇ちゃんって鬼滅1話しか見てないのにグッズいっぱい持ってるねんでw」と明らかにミーハーな友人を嘲笑していた。確かに私もそれは面白いと思う。だけどその面白さに6歳で気づくのは早くないか。
その他女子大生の妹が体育会系の彼氏のことを脳筋とバカにしまくってたり、私の祖父がデイサービスで1歳しか変わらないお爺さんを年寄りとバカにしてたり色々あるけどめんどくさいので割愛する。
何が言いたかったかと言うと、持って生まれた性格の悪さは仕方ないが、性格の悪い大人に囲まれてるせいで娘の性格が悪くなり結果的に娘が生きづらさを感じるなら申し訳ないなと思う。
その頃小中学校に教師からの理不尽な罰があったのは今でも知っている人は多いけれど、保育園にもあった。
全国的かはわからないけど、少なくとも私が通っている保育園にはあった。
色々ありはしたのだけど、一番痛烈だったことを書く。
その保育園は園の方針か先生の独断かはわからないけれど、給食を時間内に食べ終わらないと罰を受けた。
私は食べるのが遅くて、年長になるともうあらかたの罰を受けきっていた。
年長の園児が恐れていたのは
「下の年のクラスでのお昼寝」
だった。確かに小さい子、特に2才児クラスあたりと寝ると、自分まで赤ちゃん扱いされそうで嫌だな、と思っていたが、先生がそうしろというならするしかない、と乳児を抜けたばかりの子たちと一緒に寝たりした
ただ、私は昼寝で熟睡できないタイプだったので、2時間ずっと気まずさを感じてはいた。
ある日、給食を残す常連の私ともう一人、あすかちゃんという女の子の2人がやっぱり時間内に食べきれなかった。
その時、多分先生は虫の居所が悪かったのだと思う。
「増田ちゃんとあすかちゃんは養護組に行ってお昼寝しなさい!!」
と怒鳴った。
園には中程度の身体や知的障害児が集まる養護クラスがあって、そこでお昼寝をしろということだ。
「自分やクラスの子とは全く異なる変な姿でよくわからないけど、保育園に来てる子」
と認識していた。
養護組は冷暖房完備だったし、カーペットが敷いてあっから、今日は快適な場所で寝られるなあ、と思った。
あすかちゃんは号泣しだして、養護組は嫌だー!って叫び、それを無理やり先生が手を引っ張り、あすかちゃんはそれに抵抗した。
私は、その姿を見ながらタオルケットの入った巾着袋を背負って、養護組に入ってお昼寝をした。養護組の先生たちは優しくて好きだったし、教室の窓が大きく取られていて、部屋が薄暗くなるように少し濃いめのカーテンが引かれていた。それが風でヒラヒラするのを見ながら、ここは居心地がいいな、静かだな、と思った。
その数日後。
私が砂遊びをしていたらば、近くで私の担任を含めた3人の先生が雑談していたのが聞こえてきた。
「増田ってばさー、他のクラスで昼寝しろって言っても自分で行っちゃうの。この前なんて養護組で昼寝しろって行ったのに、何にも言わずに自分でタオルケット背負ってすたすたってさぁ」
と嫌そうに言っていた。
私は大人どうしで悪口を言うとは知っていたけれど、まさか子供のことを、更には受け持っている子の悪口を言うのか、と思ってびっくりして、それから、私はそんなに嫌われるようなことをした?と悲しくなった。
時は過ぎて成人式。
養護組の同い年で、当時は四つん這いになって歩いていた男の子、つよし君が車椅子で来ていた。
彼が私のことを覚えているかはわからないけれど、近くにいたので何とはなしに手を振った。
その瞬間、ようやく、14年越しに理解したのだ。
担任の先生が、養護組でのお昼寝を最も重い罰として私たちに命じた。
私はそれに全く気づかないでいたから、あとで先生に嫌がられた。
それらが全て繋がった時に、つよし君や養護組になんて扱いをしてるんだ、先生って職業が何故差別を助長や利用するんだ、何故あすかちゃんは私のわからなかったそれをわかっていたのか、いや、私がそれに気付くのが遅かっただけなのか。
6才の時のつよし君は、手を握って這っていた。
養護組の先生が
「つよし君はね、喋れないけどみんなの言うことはわかっているのよ。いっぱい歩くからね、手の皮がとってもかたいの」
と言ったので、彼の手の関節を触らせてもらった。
軽石かというくらい、かたくてザラザラしていた。
うわーすごいねー、と無邪気に驚いた。
あの当時、私だって悪知恵も小賢しさもおマセな部分もあるガキだ。
障害者というものを知らなかったからからだとしても、あの光景は鮮明に覚えているし、忘れないし、それに怒ったり胸糞悪くなっていたりしたい。
実際問題、リソースが育児で消費されており、職場のメンバーは迷惑をこうむるから (ちょっと極端な事を言ってみてます)
次世代の労働力確保は日本社会の継続性の点では重要であり、性別関係なく国民の問題。
国民主権の日本において子育てがしにくいならば、それは次世代などどうでも良いというのが国民の総意という事になる。
非婚晩婚化が加速し、次世代へ遺伝子を残せない個体が増えてる状況下でこの負担を許容する意味が無いと思われ
ても仕方がないのではないか。場合によっては介護保険料のようなノリで既婚者へ育児保険料が追加されても仕方がな
いのでは。それで保育園を増やそう。
誰でも大抵は結婚し子供を作る状況にならないと、継続性のある社会はまだまだ遠い。
女性の社会進出と女性の上昇婚願望がある状況は詰んでるし、恋愛⇒結婚という価値観は恋愛したことも、する努力
手繋ぎゴールで全員1番も、クラスみんなが桃太郎も、幼稚園保育園が主だったけど、あれぐらいの年齢って、遅生まれの子と早生まれの子の差が激しい。
4月生まれと3月生まれの5歳児には、人生の1/5近い歳の差があるわけだ。
15歳と12歳、15歳と18歳で競わせるようなものだ。かけっこでも頭の良さでもお行儀の良さでも歳下の子が負けるのは目に見えている。
遅生まれの子ばかりが、かけっこ1番、劇の主役を奪って、早生まれの子どもが成功経験を積めない。こうした差が、高校入試での早生まれと遅生まれの偏差値4.5の差、30代での収入の4%の差に繋がっているという研究もある。野球選手に遅生まれが多いのも有名な話だろう。
そもそもの話、幼稚園児保育園児を競わせて何になると言うのだろう。楽しく遊んで自分のペースで発達すれば十分の年頃ではないか。
そこまで生き残ってるなら、救われてるんじゃないかねえ。
振り返ってみても、死に至る罠はそこらじゅうにあったと思うよ。
決められたレールの上を歩けばいいなんて楽な話じゃないだろ人生は。
たかが結婚してないくらいで、たかが老後の資金が足りないくらいで、
救われてないというのなら、結婚したっていつまでも救われないよ。
子供がまだできないの、子供ができたら発達障害だの保育園がどーしたこーした、子供が勉強しなくてどーしたこーした、反抗期だ落第だ、妻が更年期障害がリストラだ子供が引き籠りだと、
いつまで経っても要求は絶え間なく続くのさ。
あの劇中の赤ちゃん、つばさちゃんだっけ? あれだってあと数年で手が付けられない野獣になって、ヒカリは家の中でヒステリー起こすんだよ。そしてトウジは「お父さん臭い。洗濯物分けて」とか言われて、人生って何だろうと思い悩むのさ。
私はこれまで性被害にあったことはないと思っていた。陰部を触られるような痴漢や、レイプを受けたことがないからだ。
でも、最近Twitterで女性は大なり小なり性被害を受けているという文を見て、ふと自分のこれまでを振り返った。
お昼寝の時間、私の隣に眠りたがる男の子がいて、子供ながらに好かれていると気づいていた。
みんなが寝静まった頃、私は寝付けないでいた。もともとあまり寝ないたちで、昼寝の時間はいつも時間を持て余していた。その日もそうで、早くお昼寝が終わって、遊びの時間になるのを待っていた。
既に文字が読めた私は本を読むことが好きで、お昼寝前に読んでいた絵本の続きが読みたかった。
しかし、その日起きているのは私だけではなかった。
寝たフリをしていた私の布団を、隣に寝ていた男の子がめくったのだ。特に寒い日ではなかったので、私は気にしないで眠ったフリを続けた。
すると男の子は、私のズボンをパンツごと脱がせた。それには流石に驚いた。子どもながらに早熟な私は、みんなで乾布摩擦やお風呂やプールに入る時も、裸になることを恥ずかしがる子だった。
そして、子供が恥ずかしがるのはあまりよくないとも思っていた。周りの子供たちが恥ずかしがってる私を見て変なのと言ったり、大人が子供なんだから恥ずかしがらなくていいと言っていたからだ。
でも私は既に裸を見せることは恥ずかしいと知っていて、やらしいというのも理解していた。ちなみに、あまり信じてもらえないと思うが、既にオナニーもしていた。きっかけは分からないが、ちゃんと陰部を触ると気持ちがいいということを理解していたし、それを人に見られてはいけないとも知っていた。
だから私は男の子がパンツを脱がせてきたことに、3歳ながらかなり焦った。
さらに驚くことに、その男の子は、「君のお尻はかわいいね。ぼくのちんちん入れようね」と言って自分の陰部を押しつけてきた。
たぶんこれを見てる人はこの話を信じられない人が大半だと思う。3歳がそんなこと言うはずないと。私だってそう思う。
衝撃すぎて今でも忘れられないほど。
後々考えれば、あのセリフはその男の子が考えて言ったことではないだろう。たぶん、親がやっていたことを見て、真似したのだ。
男の子に陰部を押しつけられた私は、「やめて!」と言って男の子を押し除けた。触られて気持ちいいところをその子に触られたくなくて、仰向けから体勢を変えうつ伏せになった。
その男の子は私のお尻を触ってずっと可愛いね可愛いねと言っていた。
やめて!と何度も言っていると、周りの子が起き出して、うるさい!静かにしてと言い出した。
それで男の子は布団に戻った。
お昼寝が終わって、先生が戻ってくると周りの子が「増田がうるさいせいで眠れなかった」と先生に言った。先生から「なんでうるさくしたの?」と聞かれ、私はだってあの男の子がお尻を触ってくるから、と言おうとしたが、言えなかった。
裸やオナニーを人に見られると恥ずかしいと考えるようになっていた私は、誰かにお尻を触られたことや陰部を押しつけられたことも、ひとに言わない方がいいことなのではと思ったからだ。
この話は、今も誰にもしていない。
子供がやったこととして信じてもらえないだろうと言う気持ちと、未だにお尻を触られたことを口にするのが恥ずかしいと言う気持ちがあるからだ。
これ以外にもあった。
小1の頃、学童クラブの男の先生にスカートをめくられて「いちごパンツ笑」とからかわれた。
小4の頃、成長が早く胸も膨らんでいた私は、体育のとき「あいつは走ると胸が揺れるぜ」と言われ、走っているとき男子が横からいちいち見てきた。
小5の頃、好きだった男の子から「おまえマン毛もうボーボーだろ」と言われた。
中学の頃、同級生の男子がしょっちゅう胸に膝をぶつけてきた。毎回同じ子で、ぶつかるのは絶対胸だった。
同じ中学の頃、職場体験で老人施設に行くと、そこで職員たちが「若い女の子が入ってきた。おまえの嫁にしろよ」と1人の男性職員に言った。その後、私はその男性職員と2人だけで行動することになったが、ずっと周りから囃し立てられ、2人きりで車に乗ったとき、助手席に座らせられた私の前にある書類を取ると言って、私の太ももに手をついてきたこと、彼氏はいるかと聞かれたこと、俺と結婚するかと言われたこと、冗談でも嫌だった。自分も他のグループメンバーと一緒にいたくて、なんで自分だけがこの人と2人きりなんだと思っていたが、大人が子供に対して本気でそう思っているわけないと考えて、本気で嫌がったら笑われると誰にも嫌な気持ちを言えなかった。
高校生の頃、道ですれ違った知らない男子の集団に「Dカップ」と言われた。なんのことかと思っていると、他の女性を見ても「Cカップ」「Eカップ」と言っていて、どうやらすれ違う女性たちの胸のサイズを当てているようだった。しかも聞こえるくらいの大声で。
大学に入って、父親くらいの男性講師が突然背後から髪の毛を触ってきた。
「髪の色素薄いね、地毛?」と言っていた。「あの、やめてください」と言うと、「え、なに俺セクハラと思われてる?まさか。君らくらいなんて、子供みたいなもんだよ笑」と言っていた。
これら全ては誰にも言わなかったり、言っても「え〜男の子らしくて可愛いじゃん」「嘘でしょ笑」「考えすぎだよ」と言われたり、聞かないフリをされて無視された。
やっぱり考えすぎか、やっぱり話すのは恥ずかしい、男の子はやって仕方ないこと、そう思うようになって、それらの記憶は「大したことのないもの」になったし、ひとに話さない方がいいこと、隠すべきことになっていた。それでも何故か嫌な気持ちが消えなくて、ずっと頭に残っている。
あのTwitterを見てそう考える。
でもその一方で、性被害というには大したことなさすぎるよ笑レイプや漫画やテレビで見るような痴漢を受けたことないでしょ考えすぎ、というもう1人の自分の声も聞こえてくる。
そして、きっと世の中には、自分と同じように、嫌だけど言ってはいけない、そう思って口を閉じている人たちがいるのではないか、と思う。もし私が経験したことが性被害なら、いったい何人の女性が性被害を性被害と自覚していないのだろう。口を閉ざしているのだろう。嫌な気持ちを耐えているのだろうか。
いや、正直べつに生殖をしてもらうのは構わない(動物だしね)んだけど、それに付随して謎の権利を求めるのをやめてほしい
俺は人類の存続とか全然重視してないから、「未来を担う世代」とか言われても全然ピンとこねえ
生まれた子供が本当に将来の俺を支えてくれるんならいいが、どうせ無理だろ 人数比的に
俺なんてまだ20代前半だけど、俺が生まれた年と比べて今年の出生数は40万人も少ない
そら支えきれんわ
どうせ支えきれないなら、いま何やったって一緒だろ
子育て世帯を支援!とか、そういうのでなんとかなる問題に見えねえもん 少子化
金がないから結婚しまへん、子供つくりまへん!って人もそら多少はいるだろうけど、多分価値観そのものの変動により、金があろうとなかろうと子供は作んねーよって人が相当数いる
無理矢理産ませる以外の方法で、俺が老人になったときにしっかり支えてくれる量の子供を生み出す手段があるとは思えん
なので、子は宝ってこともないんですわ
子供だろうとなんだろうと、電車の中で泣き喚かれたらうるさい 走り回られたら殺すぞと思う
妊婦なんかも、自分で望んでなっておいてなぜアディショナルな権利を求めるんだ?とかなり疑問に思う
あなたがやりたいと思って始めたんですよね?
大変さを調べることもできましたよね?
あなたの子供がすくすく健やかに育っても、俺にはなんの益もねえよ
まあ別に損得だけで動いてるわけじゃないから、意味もなく子連れに席譲ることはある
でもなあ もうちょい謙虚にいられねえのか?
マタニティマークつけてたのに、席譲られなかった〜!日本社会は地獄〜!じゃねえよアホ
身障者とか老人ならわかるよ
望んで能動的に身障者になる人はそうそういないだろうし、老いを避けることはできねえ
でも、まったく望んでなくて何もしてないのにいきなり妊娠する人間は聖母マリアくらいじゃん
強姦されたっていうんなら話は別だけども、強姦でできた子を産む決心をしてマタニティマークつけて電車に乗る人は相当少ないだろう多分
他の弱者と比べて、自己責任度が段違いなんだよな、妊婦と子連れ
自分で足切り落としといて、「この店はスロープがないから入れない〜!最悪〜!日本は地獄〜!」って喚くのはやめてほしいんだよなあ
俺は反出生主義はやめた
俺は生まれてしまった以上もうどうしようもない 他人がいくら生まれて苦しんでも俺には直接関係ない だから許す
でも、うるせーガキを放置した挙句「子は宝!」とか言って開き直るカスは、「敵」だ
ガキがギエーギエー叫びドタバタ走り回るのを毎日聞かされるのって相当苦痛だぜ