はてなキーワード: 保育園とは
生まれてからずっといじめられてきて、結婚してみたらDVモラハラ夫だったので実家に戻って、ネットで知り合った人と再婚しました。
家計が厳しい時はパートや派遣もしましたが、何をやってもうまくいかず、上司には怒られて同僚には冷たい視線を送られて、それで不眠や嘔吐を繰り返したので働くことも無理でした。
子どもが産まれて保育園に入ると、今度は運動会やお遊戯会でお母さんたちに混じるのが怖くて、子どもを見るどころではなく、変な汗と胃液があがるのをがまんしてその場にいることが精一杯でした。
さすがにこれがずっと続くとまずいと思い、精神科の門を叩くと、生育歴にかなり問題があるし、二次障害も起こっていると言われ、今も服薬し定期的に通院しています。薬の調整は定期的にしていますが、効果の実感はありません。
子が小学生に入学すれば、入学式前日からご飯が喉を通らず、式そのものはつつがなく終わりましたが、帰宅したらば胃液を盛大にぶちまけました。
今も授業参観やPTA、運動会は行くと震えが止まらないし、当日は何も食べられません。
夫はそれを見ながら
「わざわざ行かなくていいんだぞ?」
といたわってくれますが、子どもは私が行けば喜んでくれるし、専業主婦なのにPTAとか学校の活動に行かないとか、まるっきり社会性を手放すみたいで、できずにいます。
そういうのの積み重ねで、今はほとんど外に出ませんが、ネットではてなやTwitterを見る限りにおいて、私は理解のある彼くん(夫)がいるメンヘラで、働かなくていい立場と揶揄や叩いて良い対象のようで、私は再びいじめや嘲笑の的なんだなと思って、でもそれが現実社会だと思うから、目を離してはならないと思いながら閲覧しています。
この春は子どもの卒業式と入学式があり、今、式にでる服を選ばなければならないのですが、やらなきゃいけないのに体が動かなくて辛い気持ちになって、最近ずっと眠っています。
多分、多くの人たちが持つ感想は
「考えすぎ」
だと思います。
私も出来ない側の人間だからわかるんだけど、「そんな事ない。あいつは努力してないし、じゃあ部下に仕事させるなってこと?その考えだとあいつにさせられる仕事なんて一つもないんだけど」としか返ってこなそう。
だから増田が部下を「反省しない、改善の努力もしない」って思っていても、部下は部下なりに何かしら感じることや、行動をとっているのでは?ただそれが、増田基準だと努力の範疇ではないレベルだってだけなのでは?
「いや同期に相談しても『増田さんが正しい』って返ってくるし、私だけじゃなくて常識的に見てその人は努力してない」
って返ってくる。
なぜなら「そうできない人間関係の職場じゃない」と思ってるから。
注意されても平然としている様に見えるのは、あえてそうしてるだけであって、なにもヘコんでいないってわけじゃない。
「そんな事ない。あれは全くヘコんでない。見てないから言えるんだよ」
って返ってくる。
なぜなら自分の観察力に自信を持ってるし、自分が感じられない物は存在しないのと同じだから。
いつもの癖で抜けちゃったりしてるだけなのよ。
「だから何?その癖を治せっつってんの。それも出来ないなら、ここは保育園じゃないんだよ?」
って返ってくる。
なぜなら「キャパの低い人を、キャパ高く育てるまでの余裕は無い」とは思ってるから。
そして余裕のある保育園でならできるとも思ってる。
「同じ事を気にしろって言ってんの。それが仕事なんだから」って返ってくる。
なぜなら「人は皆平等に能力を持っている」という幻想をどこかで信じてるから。
「それはわかってるよ。でも、じゃあ部下は悪くないの?」って返ってくると思う。
なぜなら、この件に関して自分は100%の善良な被害者で相手は100%の悪者だと思ってるから。
30%くらい私も悪いかな、なんて考えられない。0か100か。
むしろ「それって私が悪いって事?私のやる気と努力を否定するの?」って考えちゃう。
「それが出来れば苦労はしないよ」って返ってくると思う。
なぜなら部下を見捨てないのがあるべき上司の姿だと思ってるから。
あるべき上司の姿を目指さなかったら、やる気のない悪者になるから。
正直元増田よんで増田と同じ事を思ったけど、こういう人には何言ってもわからないとも思う。
こういうのってどうしたらわかるんだろうね。
小学生でわかってる人もいれば、死ぬまで分からないままの人もいる。
きっとそれも能力差なんだろう。
むしろ元増田の人生においてはわかる必要は無いのかもしれない。
部下が気付いて逃げるしかない。
勤務開始時間になっても出勤せず休む連絡もなく、携帯にかけても出ず、課長が家に電話すると取り乱した奥さんからそう伝えられた。
いつも通り家を出たあと、近くの公園の木で首を吊っていたらしい。
2歳の娘がいて、きれいな家を新築したばかりで職場の皆でお呼ばれして新築お披露目・お祝い会をして、ニコニコして幸せそうに見えていたので、まさかだった。
その後に職場の皆で家にお悔やみに行ったが、奥さんの沈んだ表情が忘れられない
自殺の原因は遺書がなかったのではっきりはわからないのだが、私生活では幸せそうに見えたので(見えただけで、もしかしたら悩みもあったのかもしれないが)、たぶん仕事上の悩みが原因だと思う。おれはそう思ってる。
本人は優秀でやる気にあふれた人で、激務で有名な部署にもいたことがある。
当時の部署はそこそこ忙しく、あまり有能ではない上司と、無能でやる気のない部下(俺だ)に挟まれて、悩んでたのではないかと思う。
らしいというのは、俺は職場では与えられた仕事をなんとか期限内にこなす(期限を過ぎることも多々有る)だけで、職場内の人間関係には関心がないからだ。
それからずっと、事あるごとに、俺のせいで一人自殺させてしまったと心がチクチクしていた。俺の無能さが悩みの元の一つだったのではないか、と。
それから10年が経ち、俺も結婚して同じ年頃の子供ができて、こんな愛おしい子供を遺して自ら死ぬなんて考えられず、やはり仕事の悩みだったんだろうなとの思いを強くしてる。
そして俺は反省して仕事で優秀になったかというとそんな事はなく、やる気のなさと無責任さはより強くなってる。
係長が自殺したあと、あまりにも普通に職場の日常が経過することにショックを受けたんだ。
仕事が原因で自殺したのに、組織の最高責任者がそれに言及することなく、俺含め誰か処分を受けることもなく、遺族の一生の面倒を見る事もなく、サラッと流されてしまったことに。
仕事に命をかけるほど打ち込んで悩んで自殺しても、職場はそれに報いることはない。なら、頑張るだけアホらしいじゃないか。自殺してしまうより、手を抜いてほどほどに仕事こなしてストレス感じないほうがいいじゃなかと、そんな思考になってしまった。
あまりにやる気がなさすぎて、こうして仕事中にはてブ増田(間違えたよスマンな)してるし、何の間違いかその後に忙しい部署に異動になったときには、ほどほどに残業してたものの仕事が追いつかずに、やるべき事をやらずに対外文書を発出するという不正行為を繰り返してしまい、内部規則違反で減給の懲戒処分まで受けて地方新聞の3行記事にもなった。(実名は出てないので、当時の同じ職場の人間や人事担当者以外は俺の懲戒処分を知らないだだろうけど)
その際には同僚や上司や主幹課の担当者の方々は後始末の奔走に走り、ただでさえ忙しい中で更に余計な仕事を増やして多大な迷惑をかけてしまい、異動した今でもたまに彼ら・彼女らの顔を見えると恥ずかしさと申し訳なさで目を伏せてしまう。
当時はとても職場に居づらかったし、悩んでたし、苦しんでたが、自殺だけは考えなかった。反省はしていたが、根本では
「共働きで子育てしてるのに、こんな忙しい部署に配置した人事担当が悪い」「そもそも残業前提の業務量になってるのがおかしい、人を増やさない組織が悪い」
と、主責任が自分にあるとは考えてなかったから。(こんなストレートには言ってないが、懲戒処分前の聴聞でもこれを砕いて主張した)
昔から俺は他責思考なんだ。子供のころから親に「人のせいにしない」と怒られてたけど、中年になった今でもそのままだ。
周囲の人はたまったもんじゃないと思うが、そのおかげで自殺もせずメンタルを病む事も無く(自殺者に比べると精神疾患持ちは職場で多い)、今では業務怠慢の懲戒経歴持ちとして、出先に配置されて頭を使わない定例業務を繰り返し定時で帰る日々を送っている。(俺の前任者も前前任者もメンタル病んで傷病休暇を繰り返してた人なので、そういう配置なんだろう)
帰りに子供を保育園に迎えに行き、しばらく遊んで風呂に入って晩ご飯を作って妻の帰りを待ち、みなで夕食を食べて寝る。とても幸せだ。
仕事も家事育児も「これくらいはして然るべき」というラインや、
将来を考えてこういうことをできるようにならなければならない、という部分への必要な準備という点で
妻とは認識にずれがあり、どうやって認識の差を埋めればよいか迷っている。
現状家事分担に関して言うと、洗濯と子供のお迎え、保育園の準備以外はすべて私がやっている。
食事も掃除も、お風呂やごみ捨て、必要な書類を集めたり保険の手続き等もすべて私だ。
妻が仕事をしているとき、半分くらいは携帯でゲームをしている。Youtubeを流してそれを聞いている。
それでも年収600万円くらいはあるので、世間で言えば十分稼いでいるのだろうが、
その遊んでいる時間で年収を上げたり、子供のために何かをしてあげたり、やれることはあると思う。
でもそれをしない。結果朝は起きてこないし、必要な書類をそろえたり、手続きをするということもない。
この場では自慢にもならないと思うが、私の年収は妻の倍ある。
金銭的に生活に困るわけではないが、将来何があるかわからないのだから稼げるときに稼いでおきたい。
子供がいない時間は勉強や副業、帰ってきてからはご飯やお風呂、寝かしつけなどをしてまた勉強に戻る。
がっつり大きい椅子や籠、さらに子供や荷物を積んで要塞と化した自転車に乗るママさんは、そのハンデをものともせずむちゃくちゃ速い。
朝は子供を保育園に早く送り届けたいんだろうし、夜は早く帰って夕食やらお風呂やらを済ませたいんだろうな。
というわけで、交差点で出会ったときはママさんが走り出すのを待つことにしている。絶対スターティング速いもん。ぶつかりたくないんで。
俺の考えるあるべきプリキュア。
各地でそれぞれ不遇な生い立ちの少女たちがそれぞれの地獄に抗う。
いつしか5人は出合いかけがえのない仲間となり共に強大な敵に立ち向かうのであるが人間関係の亀裂から最終的には散り散りになる。
真の敵はなんだったのか。
何が彼女たちを不幸にしたのか。
ピンク:茨城の小都市でシングル家庭に育つ。母は弁当工場勤務。保育園児の妹の世話をしている。夢はガストで好きなものを食べること。
オレンジ:大阪育ち。父母貧しく、夫婦仲悪い。怒鳴り声と接しながら育つ。クラブ活動のサッカーが好きだがシューズは買ってもらえない。後にこれが理由で試合への出場を取り消される。
ブルー:横浜で裕福な家庭に育つ。父母は不条理なまでに厳格で塾と習い事で生活のすべてを過ごしている。衣食住は世間の平均以上だがおもちゃは買ってもらえない。お友だちにもらったプリキュアの玩具を目の前で父母にへし折られている。
グリーン:鹿児島育ちの中学2年生。サザエさんそっくりな家父長制の強い昭和的家庭で育つ。5人の中で最も年長で、知性、性格、容貌、すべて優れている。なお容貌は歴代プリキュアの○○そのもの。都会の有名大学にあこがれており担任も協力的。しかし父母も祖父母も女子の進学に批判的で、同級生もその父母も彼女を妬んでいる。ついには担任と彼女のあらぬ噂が流れ、担任は土地を追われる。
パープル:あなた。
その片隅の、さほど大きくない団地に育った。
団地とともにできた集会所の中に、小さな図書館の分室があった。
学校の教室一つぶんよりも小さいそこに、子供のころ足しげく通った。
児童書コーナーにあった本はおそらく全部読んだと思う。
漢字がわかるようになると、鉄道ファンの積みあがったバックナンバーをひたすらに読み漁った。
身長が伸びてくると、本棚の上の方にあったソノラマ文庫に手が届くようになった。
コバルト文庫やソノラマ文庫の並んだ中に、いつごろかロードス島戦記と風の大陸が入った。
いつしか小さな図書館の蔵書では物足りなくなり、自分で本を買いそろえるようになると、徐々に足は遠のいていった。
やがて団地そのものから引っ越すことになり、最後に行ったのはもう二十年も前になるだろうか。
その分室が、閉鎖されると知らされた。
団地から丘一つ越えた向こうの別の団地にある、大きな図書館がリニューアルされたというのが主な理由。
実際のところは、あの古い団地に人が少なくなっていたのだろう。
私が通った小学校も、もうすぐ統廃合されると人づてに聞いていた。
最終日の今日、いてもたってもいられなくて、車を飛ばして行ってきた。
商店街も半ば消滅していて、子供だけでなく人がいないのだとわかった。
かつて私たちが群がって、キン消しやビックリマン、カードダスを買った駄菓子屋はとっくに閉店していた。
入口を封鎖するように机が立てられて、司書さんが返す本を受け付けるカウンターになっていた。
そこに、子供たちがいた。
司書さんとも顔なじみなのだろう、本を返しに来た幼稚園くらいの子供たちの姿を見た。
見れば図書館の入り口のドアには、近くの保育園の子らから寄せられた寄せ書きが飾られていた。
私が来なくなって二十年以上経ってしまったこの図書館に、通ってくれていた子供たちに、心の中で礼を言った。
ただそこにいて、居続けることができる場所だった。
私にとっては、そういう場所だった。
入れないのは仕方がないが、司書さんにお願いして入口から中を覗かせてもらった。
あの手前にはトーマスが並んでいた。
何十年も前の記憶がひと時に蘇った。
たぶん、私は泣いていたのだと思う。
そこは、私の故郷だった。
いままさに、失われようとする、私の心の故郷だった。
あそこで教えてくれた数々を胸に、今の私がある。
東京はリベラルな割に出生率が低く、保育園に落ちた日本死んでしまうほど子育て環境が劣悪なんだよね。
リベラルバロメーターで測ると女性に平等な社会ほど出生率が回復し、子育てもしやすくなっているはず。
なのでねリベラルな東京がバロメーターで非リベラル社会かのような数値を、出してしまっているのはリベラルパラドックスなんだよね。
白人と黒人に同時に告白されたとして、どっちを選んでもレイシストではない。
「私は差別を憎んでいるのでどっちと付き合うかコイン投げで決めるね」という人がいたら差別が何なのかはき違えている馬鹿としか言いようがない。
ただし「ニガーなんかとと付き合えるかよ」という差別的な動機を開陳するなら、それは差別に当たる。
元増田のテストなら、どっちの物件を選ぼうが差別ではない。でも「<パンティー人>が多くて治安が悪そうだから、あそこに住むのはやめた」と吹聴するならそれは差別である。
別の例を出すなら、女性保育士しかいない保育園と男女両方の保育士がいる保育園、どちらを選んでも差別ではない。でも「男性保育士は子供を性虐待しそうで怖いから、あっちの保育園は選ばなかった」と吹聴すれば差別。
3年前私は夫婦別姓を選択して結婚した、といっても法律婚ではない別姓なので事実婚だ
周りから同棲と何が違う?と言われないように結婚式もあげた、合計300万くらいかかったが夫が全部出してくれた
結婚生活には大きな不服は無く子供は出来たらいいね~程度でセックスをして子供ができた
結婚する前の事前調査で事実婚だと子供は私の姓になることがわかっていたので当然のように子供は私の姓にすると思っていた
だが生まれる直前になって夫が子供を自分の姓にしたいと言い出した、
そっちが姓を変えるならするよと答えたが夫は拒絶した、当然だろう、それがお互いできるなら初めから法律婚を選択している
そこで夫が出してきたのが家庭裁判所の許可があれば夫の氏にできるということだ
そんな簡単に許可が下りるものなのか私は疑問だったが夫はできると強弁した
ならばと一人目は私の姓で、二人目は夫の姓にしてはどうだろう?と提案もしてみたが夫は逆が良いという
私は結婚前から子供は私の姓になるとお互い了承していたじゃないかと絶対に譲らなかった
今から考えるとなんでそんな事にヒートアップしたのかわからない
もうすぐ育休が明ける、私は仕事に戻らなければならないが保育園は決まっていない、だが保育園が決まったら実家を出て東京に戻らないといけない
仕事にも東京にも戻りたくない、まだ立ち上がったばかりの子供を預けて自分が仕事をしなければならないなんて気が狂いそうになる
そもそも仕事もそんなに好きじゃない、月末月初は毎回残業になり年末は12月31日まで仕事があるような状況に戻るとか正気の沙汰じゃない
なんであの時私は意地をはったんだろう、私がずっと欲しかったのは自分の姓じゃない、家族だったはずなのに
何故姓にこだわり家族を手放したんだろう
いや夫だってもっと早く法律婚じゃなきゃ絶対嫌だって言えばよかったんだ、理解あるふりして今は夫婦別姓でいいと思うよなんて言わなければよかったのだ
子供ができたことは後悔していない、子育ては嫌いだが子供は好きだ、いや他人の子供は嫌いだが自分の子供は好きだ、子供と別の姓になることは今でもやはり考えられない
どうか私と同じ底辺の女性にだけは聞いてほしい、こんな状況になったからこそわかる
夫婦別姓はすべての女性のためにあるものじゃない、あれは強者女性が強者性を維持するためのものだ
私たちのような経済弱者が夫婦別姓を選択しても、私たちが強者女性になることは無い
誰もそうしろなんて言っていない、お前がそう選んだだけだ、男が悪い、男を見る目がない、どうせ散々叩かれるんだろう