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「ダメな科学」を見分けるためのおおまかな指針-訳文できました - うさうさメモ
「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター - うさうさメモ
医学生物学論文の70%以上が、再現できない! | Vol. 10 No. 11 | Nature ダイジェスト | Nature Publishing Group
心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
相関と因果は一致しない 女性平均寿命 NHKの放送受信契約数
科学的に物を言うには、「ブラインド(二重盲検査法)」という手法を使わなければいけません。その検体が誰のものか分からないという設定でなければいけません。
2.理論や技術がピア・レビューされあるいは出版されていること。
3.結果を評価するために誤差率や標準的な手法が明らかにされていること。
分析的基準が決められ、それがどの程度の誤りが生じるのか明らかにされていること。
4.専門分野で一般的に受け入られていること。
もしも起訴されたら99.9%有罪になる―無実でも有罪になる「密室裁判」というシステム (日文新書): 井上 薫: 本
刑事裁判の光と陰―有罪率99%の意味するもの (有斐閣人権ライブラリイ): 渡部 保夫, 大野 正男: 本
「無実を探せ! イノセンス・プロジェクト DNA鑑定で冤罪を晴らした人々」 Actual Innocence|朝日新聞グローブ (GLOBE)
BS世界のドキュメンタリー|冤罪から救出せよ ~アメリカ無実プロジェクト~
asahi.com:米の死刑囚ら188人、DNA鑑定で続々、無実を証明 - 国際
銃器工具痕鑑定の非科学性を主張する元FBI研究室長の宣誓供述書
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『生野区連続通り魔事件』の削除について 該記事は特筆性無しとの主張により数度の削除を経て、現在削除(白紙保護)という状態に陥っています。 経緯 ①(初版作成) ②Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130526(削除5、存続4)、管理者Muyo(ノート/履歴/ログ)氏により削除 ③Wikipedia:削除の復帰依頼/生野区連続通り魔事件(復帰26、削除15)、管理者Freetrashbox(ノート/履歴/ログ)氏により復帰 ④Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618(削除31、存続26)、管理者Triglav(ノート/履歴/ログ)氏により削除 ⑤(復帰強行) ⑥Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件20130629(削除8、存続1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時削除、白紙保護 ⑦Wikipedia:削除の復帰依頼#生野区連続通り魔事件 - ノート(復帰1、反対1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下 ②③④ の段階では削除、存続意見が拮抗している状況が伺えます。つまり、特筆性無しでコミュニティでコンセンサスが得られている状況ではありません。しかし、④ の段階で削除が実施され、⑤にて手続きによらず復帰強行、⑥にて即時削除(白紙保護)がなされています。そこで、⑦にてわたしのほうから手続きに則り復帰 依頼をかけましたが、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下されてしまいました。事由としては<同じことを繰り返すな>ということですが、そもそもわたしの理解ではコンセンサスなき削除状態をただす依頼であったため、<同じこと>という認識は誤りだと考えています。 本件につきまして皆様のご意見、果たして特筆性無しというコンセンサスが得られているのかどうか、をお聞かせください。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月29日 (土) 14:54 (UTC) コメント ④の削除は、②の削除で合意不十分として③で復帰した経緯を全く無視したものに見える。よって⑦が提案されたものと考える。しかし、この経緯が理解されなかったらしく、⑦が即時却下されたため、まずここで認識の違いを埋める作業が必要だと考える。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月29日 (土) 16:23 (UTC) コメント この中で一番問題なのは⑤ですね。なので⑥は当然の処置、⑦は却下されて当然です。一方、②から④の判断が適切だったかどうかは削除依頼を隅から隅まで熟読していないので、判断は控えます。--JapaneseA(会話) 2013年6月30日 (日) 01:11 (UTC) コメント ②および④では、「特筆性あり。存続すべき」ということの妥当性を保証できるような情報がついに提示されなかった、ということでしょう。ですから、少なくとも④については、それぞれの経緯を踏まえた上での、問題のない判断だったと言えます。(個人的には、③では「復帰すべき」とするコンセンサスが得られていない状況だったので、復帰が適切だったのか、少々疑問に感じています。結果論ですが、あのまま「復帰せず」でも良かったのではないかと・・・)⑤は行為として最悪なので論外、⑥は当然の処置、⑦は却下されても仕方がないでしょう。⑦は、削除状態を「正す」のではなく「質す・糾す」依頼であったというふうに私の目には映っています。--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 02:26 (UTC) コメント 各依頼について、 ②の時点では存続意見より削除意見のほうが妥当(この時点から資料にニュースでは不十分、以後の経過次第では復帰可能と示唆されています)。 ③については削除依頼で不参加の利用者が多く参加した(何故最初の削除依頼で意見を言わなかった方々がこれほど参加したか原因は予想できますが)ため、意見の合意が出来てないという理由。 ④については意見が十分に出尽くしWP:DP#CLOSEで言うところの『審議がまとまった』(自分は削除意見と存続意見の大勢が出揃ったと解釈しております、意見がまとまったという意味ですと『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあります』と相反するものになるので)ところで、削除意見のほうが理にかなうという判断。 ⑥はGFDL違反が絡む案件。 ⑦は新たな材料が無いため③,④の焼き直しとなることは自明。 現状ではこういう解釈をしており、どの管理者の行為についても問題は無いものと考えます。そもそも特筆性を問題にされている案件なのに二次資料の提示がされないことが現状での特筆性の無さを示していると考えます。よそでも言ったのですが『現状では確認できる資料が新聞レベルでありその域を越える資料が提示されていないため、特筆性(WP:GNG)を担保する二次資料(WP:PSTS)がないためウィキニュースか最近の出来事止まりということです』。 ④において無効撤回も含め賛否コメントの内容を大分すると 削除意見「現状特筆性が無い、特筆性を裏付ける資料が無い、特筆性を担保する資料が出てきてからでも遅くは無い」27「ウィキニュースの範疇,報道量の不足」4「雑報である、単なる嫌韓感情」1 存続意見「犯行理由等が特異,人種にまつわる事件」10「特筆性の理由は不適」1「特筆性はある、資料は十分」11「ネットニュース,削除依頼などで多く関心を持たれている事が特筆性の証紙」3「発展性がある」3「削除に足る要件を満たさない」2「議論不十分」1「事件の大小は問題無く十分百科事典的」1--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC) 分量が多いので若干見落としがある可能性などは否めませんが、だいたいこんなところです。加えて一度コメント入れて議論しない方もいますので編集者間の審議の合意は無理です、審議の内容であるコメントや議論に基づき管理者・削除者が削除の提案に合意をすることはあるでしょうが。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC) コメント 大勢という文言を使ってらっしゃる方がいますが、基本的にWikipediaは多数決ではないと思っています。ですので、④の時点で「削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています。この間違いを糺そうとしたのが⑦の当方依頼および今次の議論提起です。削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティのコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティのコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です。多数決ではないんです、コンセンサスが取れているかどうかなんです。何回も書いているんですが、ここの観点でのご意見を伺っているのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:21 (UTC) コメント ヒートアップしすぎです。お茶でも飲みましょう。いま、生野の件の参加者を平等に招集したところでありますから、皆さんの意見を聞きましょう。 もう一点。返信を乱発するのはよくないので、私のコメントの一部を撤回しました。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月30日 (日) 05:30 (UTC) 仰ることはわからないでもないのですが、本議論を提起したことによりこちらWikipedia:投稿ブロック依頼/BlueSkyWhiteSunでわたしにブロック依頼がかけられています。わたしがブロックと決したならば、本議論も自動的にクローズとされてしまうでしょう。あまり時間は残っていません。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:37 (UTC) 『大勢』は『たいせい』であり大体の状況という意味です。すなわち削除意見、存続意見が大方出揃いコメントの傾向が定まったということです。 元々の英語版の『Wikipedia:Deletion policy』にある『Deletion discussion』によると「削除依頼に参加する編集者は削除するか否か見解を出せる」「可否は多数決により決まるわけではない」「参加者は各々が自分の見解について説明し方針を参照する」といった内容であり、利用者の間で合意形成をするのではなく、利用者各自が見解を述べ管理者・削除者に対し合意を得るというのが本義であると考えます。そういった意味ではWikipedia:削除の方針の削除依頼のところは主語が省略されており誤解を招きやすい表現です。 自分は削除依頼は利用者の間で合意形成をするものでは無く、個々人の意見が集まったところで管理者・削除者が判断し閉じるものであると解釈しております。今回の件に関しては存続方の見解が削除方の見解に比べ具体的な証左に欠けていたのではないかと考えます(特に資料が新聞・ニュース止まりで特筆性を押し出すには力不足であったと見ております)。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 08:03 (UTC) すべての合意は利用者間でなされるものと理解しています。管理者等は利用者間の合意に背くことはできないと存じます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 09:47 (UTC) 特筆性という『弱い』制約にしたがって削除するには合意のレベルが低い。合意が取れているのか自体も明瞭でない。--60.34.102.131 2013年6月30日 (日) 07:46 (UTC) コメント 「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています」とおっしゃられている方がいらっしゃるのでコメントします。そもそも、④の時点で「削除票が存続票より5票多いから削除しました」などという低レベルな判断・処置が行なわれたのではなく、削除票、存続票の中身をよく吟味し、検討して、総合的な判断の結果として、④で対処なさった管理者の方は「それぞれの投票時のコメント内容を見る限り、削除が妥当」と判断なさった、ということです。ですから、「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当』という解釈」があったかどうかということは問題になりませんし、④の時点での管理者の方の判断には「糾す・糺す」必要のあるような間違いもありません。「削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティのコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティのコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です」とのご意見については、結局のところ、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは多数決主義ではありませんから見た場合に、意地悪な言い方をすれば「全有効投票数における削除票の占める割合がある一定量以上でないと『削除』という判断を下せない」ということになってしまいます。そもそも、「削除票が相当な大勢を占めねばならない」とする根拠が不明です。ウィキペディアでは票の数でコミュニティのコンセンサスが得られたかどうかが決まるわけではありません。投票の際に、どのような理由を述べるか、が重要なのです。ぶっちゃけた話、仮定の話として「方針文書・ガイドライン文書と照合した上で、具体的に理由を述べた削除票5票」と「個人的・主観的な理由を述べているだけの、適当な理由付けの存続票5票」があったとした場合、表面的には「票が同数」ですが、これは「存続」以外では判断できないということなのでしょうか。そういう事ではないと思うのですが・・・。「多数決ではないんです、コミュニティのコンセンサスが得られているかどうかなんです」との仰せですが、一連のコメントを拝見する限り、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めねばならない。大勢を占めていなければ「削除が妥当」とするコンセンサスが得られたことにならない」という意見は、削除票を不当に軽く扱うものであると思います。その理屈ですと、「票の中身を検討する必要性」が度外視されているように感じますし、何よりもまず、「削除票と存続票の扱いや重さに極端な差をつけている」ように感じますが、ウィキペディアにおける「票」の重みは、「投票時のコメントの中身」によって決まるのであって、「削除票だから軽い」「存続票だから重い」というわけではありません。削除票が相当な大勢を占めていたわけではないことをもってコミュニティのコンセンサスが得られていないとするのはかなり無理があるのではないでしょうか。投票時のコメントの中身や説得力次第では、表面上の票数とは関係なしに、票数が少ない側(④のケースだと、「削除」側)の主張が通るケースもあるでしょう。しかし、④のケースでは残念ながらそうではなかった、ということでしょう。長文失礼いたしました。(結局のところ、「④の判断は誰が何と言おうと間違っていた。④の削除処置を糺し、正すために、記事を復帰すべきだ」ということなのでしょうか)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 08:18 (UTC) コメント そういうあなた自身が存続票の存在を不当に軽くみているとしか思えません。中身中身と仰いますが、一体どこで削除票には中身があり、存続票には中身がないということがあきらかになったのでしょうか。存続票に中身がないといっているのはあなた個人であってコミュニティはそのような判断はくだしていません。くだしていない以上、双方の見解票は同等の重みをもって扱われるべきでしょう。なお、「正す」「糺す」論については本論とは無関係なため割愛させていただきます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) 返信 (BlueSkyWhiteSunさん宛) 票の「中身」は管理者の方が判断材料としてよく読むわけです。そして、その結果として、記事は削除になったり存続になったりする、ということです。私は「存続票に中身がない」とは一言も申し上げておりません。強いて言うならば、存続票が削除審議に与えた影響力の結果は、管理者の方々のご判断(処置)に現れているのではないでしょうか。なお、「(存続票の中身についての判断をコミュニティが下していない以上)双方の見解は同等の重みを持って扱われるべき」とおっしゃられていますが、そうであれば「(削除票の中身についてもコミュニティが判断を下していない以上)存続票と削除票は同等の重みをもって扱われるべき」ということです。ということは、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という意見は説得力を失います。なぜなら、票の重みについていかなる予断もないはずの状況で、最初から「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」(語釈に忠実に言うならば「削除票は議論において相当な力を持つ中心勢力・メインストリームとならねばならない」となるでしょうか)とすることは妥当性がないからです。「相当な大勢を占めない限り、『削除票』を投じても記事は削除にならない」ということであれば、存続票に比して、削除票がクリアすべきハードルが高い(「相当な大勢」を占めねば考慮されない)という状況を招きます。しかしながら、「双方の見解は同等の重みをもって扱われるべき」であるおっしゃれたということは、「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という見解は撤回又は否定されたものと考えられます。なぜなら、「削除票の側だけ、クリアすべきハードルが高い」ということはなくなるからです。(翻って、存続票について考えた場合、存続票も「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」とお考えなのであれば、まだ話はわかりますが、一連のコメントを拝見する限りはそのようなお考えは読み取れませんでした)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 11:06 (UTC) あー、ごめんなさい。同等に扱われなければいけないのは「双方の見解」ではなく、「双方の票」ですね。これはわたしの2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC)のコメントを読んでもらえればわかると思います。それと作成された記事はWikipediaでは存続が基本です(誰でも勝手に記事作成はできますが、誰でも勝手に記事削除はできませんよね)。記事に対して削除すべきというのであればそれ相応の根拠がなければいけない。その根拠をまとめたのが削除の方針です。削除の方針を適用するためには根拠を述べて審議を通さなければいけないのです。なかでも削除方針ケースE(特筆性)は立証が難しい、というかほぼ不可能。であるならば、コミュニティの大勢を以って判断するしかないわけです。それが最前から繰り返しているコミュニティのコンセンサスです。もし、コミュニティの大勢が一致していない場合、つまりはコンセンサスがない場合、ケースEについては削除主張者は根拠立証不可であり、作成された記事は基本存続の原則に立ち戻るわけです。つまり、「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」ということはないのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 11:36 (UTC) コメント 私はもう、この事件に関連する議論はもう疲れたのであまり参加したくないのですが、会話ページにお知らせがありましたので、お知らせがあったら必ずコメントする義務はないのですが、一応コメント残しておきます。あと機種依存文字である丸囲み数字は代替できる時には使用を控えるべきかと思いますが・・・。 まず私からすれば、②の削除措置は私個人としては問題のない事だと思っていましたが、まぁ仮に合意が取れていなかったとしましょう。そのための③があり、現に復帰しました。私からすれば、復帰する合意も取れていないので、削除の合意が得られていないとする意見に対して復帰の合意が得られていない意見が出なかったの不思議なのですが、復帰依頼で十分な人数と期間を持って議論をすべきという意味合いがあったのかもしれません。では、その間で特筆性を有する資料をどなたか提示したでしょうか?私は無かったと考えています。特筆性が「ない」の証明は複数の状況から総合的に判断するしかないですが、特筆性が「ある」と証明するのは、たった1つの資料を提示すれば済むことです。それを悪魔の証明というかヘンペルのカラスというかは分かりませんが、そういうことです。 なお、⑤に関しては論外です。仮に前の復帰依頼で削除の合意が得られていなかったとしても、それは復帰の合意が得られている事と同義ではありません。議論を無視した復帰は方針に反します。したがって⑥の削除は全く問題ありません。 そして⑦についても問題ありません。というか、この議論もほぼ同義かと思います。④の削除でも言われていますが、記事の復帰にはこれまでに挙げられたもの以外の、全員とは言わずとも10人中8人くらいが「この事件には特筆性がある」と言える資料を提示すべきです。私はこの議論に対して最初から削除派を貫いていますが、そのような資料が提示されれば考えを変えますし、提示されても尚考えを変える気がないと判断するのでしたらいつまでも納得しない人としてコメント依頼を提出するなどの事は構いません。ですが現状では、はっきり言ってしまえばそういう現状を変えるような客観的な根拠を提示せずに復帰に固執する方が納得しない人に該当するのではないでしょうか?そして、各議論で「削除票と存続票は拮抗している」という意見が散見されますが、多数決主義ではないという方針は何度も述べられていますが、仮に票数を数えるとして、存続票のどの程度が中身の濃い、具体的な意見を述べていたでしょうか?依然出た意見とかぶるものもありますが、存続票が多いのに削除を断ずるのは不当だという意見は、中身の濃さを見ずに存続票と削除票のそれぞれの重さをないがしろにする意見かと思います。 --Kiruria281(会話) 2013年6月30日 (日) 08:33 (UTC) コメント 票の中身論については上にコメントしましたので割愛します。特筆性においての削除(削除ケースE)やその他の削除ケースは、削除要件によって削除を行うものです。そして、そのケースに該当しない場合、多くの記事同様、存続が適用されるわけです。削除を訴える側は自らの主張にともない、削除要件を立証する必要があると理解します。立証が不可能であれば削除を申請することは不可能です。ケースEについてはもっとも立証が難しいものでしょうが、コミュニティとして記事の特筆性がないという判断がくだれば、立証に代えることも可能でしょう。コミュニティとしての特筆性がないという判断、すなわち、コミュニティのコンセンサスが得られるかどうかが、ケースEの適用是非を決定するということになると考えます。しかるに本件の数次にわたる投票がなされている現況を顧みれば、コミュニティのコンセンサスが得られていないのはあきらかです。それを問うているのが本議論です。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) コメント 私は②には参加してませんが、読み返すと④の時以上に、②の存続票が酷過ぎるなと感じました。5対4と言ってもスピード違反の論理な意見が二つにそれと同調する意見だけでは、他の削除票と同価値と呼べるものではないでしょう。②の時点で削除で決着ついたと言わざる得ないでしょう。その後状況の変化があったわけでも、加筆されたわけでもない④の削除が正当か不当かなんて論じるまでも有りません。⑤⑦に至っては問題外でしょう。加筆さえされて充分量の内容になったのであれば、復帰に協力でもしますが、現時点ではあり得ない話です。--あな34(須魔寺横行)(会話) 2013年6月30日 (日) 09:25 (UTC) コメント 票の中身論については上に述べましたので割愛します。充分量の内容というのはどの程度の量か、具体的にご提示いただけますか。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) コメント 論点を整理します。ケースE(特筆性)による削除は立証は難しい(これは削除側にとっても存続側にとっても同様)、したがってコミュニティのコンセンサスを以ってその有無を判断せざるを得ない。本件については長期にわたってその特筆性の有無が審議されており、直近の正常審議の行われた④の投票においてもコミュニティとしてのコンセンサスが得られている状況ではない。票の中身云々については立場によってお互いが相手の票の中身を判断して良いものではなく、基本的にその票の重さはいずれのものであっても同等に扱うべきである。なお、わたし自身の特筆性を有りとする論拠は日本では稀有(初?)なヘイトクライムであること、外部のニュース媒体からWikipedia編集に関して報道があった、こちらも稀有(初?)なケースであることです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC) コメント 二度同じことを言うのもなんですが、削除の方針について日本語版のベースとなっている英語版では利用者各自が方針に則り削除すべきか存続すべきか意見しその審議内容から削除者・管理者が判断するようです。日本語版でもWP:DP#CLOSEに『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあり
http://anond.hatelabo.jp/20130831224854
うーん、それはどうだろ。
一見もっともらしいけど違うと思う。
だって左翼団体や右翼団体のリーダーは依然として超偏狭で現実味のない主張をしてるよね。
リーダー経験が思考の複雑さやある種の寛容さを産むという主張であれば
結論からいうと
その思想に従わない「反動」を自信満々に罵って攻撃して取り締まるとか、
ブラックのワタミさんなんてまさにすごいリーダーシップなわけでしょ。
実際のリーダーの思考っていうのは
自分の方針と相性悪い奴を排除する。粛清するっていう方向に向かうんだ。
政治ネタでいうなら20年前に当時テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良って人が
自分の思想信念に基づいて完全に意図的に変更報道をしちゃった。
「庶民に余計な情報を与えるな」「これが正義だ」って感じのことをはっきり言ってた。事件化して供述もとられてる。
というより、リーダーの職責を経ることで独善性や排他性が増したのだと思う。
椿さんがそこまで出世してなければもう少し考え方に余裕や寛容さが残ってたかもしれない。
だって、
リーダーの仕事としては異物や反動を排除するのって正しいからね。
戦国大名でもそうだけど、自領を守れたとか拡大出来た家というのは
それをきちんとできなかった家は必ず衰退したり滅びたりしている。
家臣や親族を斬ったというとすぐ暗愚な殿様だ残虐な殿様だとなるけど
これも現代のイメージでいうことで、本当は斬れない殿様のほうが暗愚。
斬らないのは凡人でも優柔不断でも出来る。
民主主義的フィクションに毒された我々はリーダーの資質と言うものを勘違いしがちだけど
nixなら意識しないでできる。Windowsさんもう本当に勘弁してください。
Sambaが悪いのか、Windowsのエディタが悪いのか、PuTTYが悪いのかわからん。
こいつら全員「自分はUTF-8っすよ」みたく供述するんだけど、最終的に吐き出されてるコードはANSIIなんだよおおおお!!
というか、DOSの歴史には詳しくないからわからんのだが、いい加減Windowsがnixに歩み寄ってくれればいいのに。というか、そうして欲しい。8とかほんとどうでもいいからPowershellの何がpowerなのかわからんpoorshellだろ。
おれの苦悩の過程はだいたいこんな感じだ。途中で何回か順番が変わったり戻ったりしてるけど
1. 直接できないか模索する(MSYSとかMinttyとかちょっと触るだけならいい)
2. Cygwinとか使ってみる(アイコンがきれいになって嬉しいけど結局使えない)
3. VMwareとUbuntu(笑)を組み合わせるも問答無用でしぬ。
4. Mintを試す。クソ遅くてしぬ。(なんでno codec版すら日本のサーバーがないんだ)
5. VirtualBoxでGentooを試す。早くて嬉しいが日本語が必要になってしぬ。←いまここ
ANSIIしか使えなかった時代はしょうがないと思う。。。だけどいい加減うぜえったらないね。。。だってしょうがないじゃんWindows窓から捨てたいよ。でもWineとか使えるかわからんし、でも直接Linuxをインストールするしか方法がないかもしれないな。
埼玉県春日部市の高齢者介護施設「フラワーヒル」で平成22年、入居する高齢者4人が短期間に死亡したり大けがをしたりした問題で、95歳の女性を殴り死なせたとして、埼玉県警捜査1課は11日、傷害致死の疑いで元職員の無職、大吉崇紘(おおよし・たかひろ)容疑者(29)=同県松伏町、別の入居者への傷害容疑で逮捕=を再逮捕した。
捜査1課によると、大吉容疑者は「拳で胸付近を複数回たたいた」と容疑を認め、「第一発見者になって同僚にほめられ、認められたかった」と供述。同課は事件の経緯について詳しい裏付けを進める。
逮捕容疑は22年2月18日午前、介護福祉士として勤務していたフラワーヒルで、入所していた無職、三笠みさゑさん=当時(95)=の胸を拳で殴り肋骨(ろっこつ)を折るなどして死亡させたとしている。
三笠さんは施設の関連病院に搬送されたが同日午後2時35分ごろに死亡。「胸部大動脈瘤破裂」による病死と判断されたが、当時撮影されたCTスキャンの画像を精査した結果、骨折していたことが判明した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130611/crm13061116480012-n1.htm
県警によると、3人が死亡したのは、同市一ノ割の高齢者介護施設「フラワーヒル」。
平成22年2月15~18日の4日間に入所者の女性3人が死亡し、1人がけがをした。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130523/crm13052312230006-n1.htm
さきほど、id:unorthodox氏をよいはてサの例として挙げたが、逆にダメな例を挙げる。
http://hatech.straightline.jp/t/33642
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20130228/k10015840291000.html
を見ればわかるように、nuicksilver氏本人により消されている。
なぜならこの事件、逮捕された少年の供述によれば自民党政治やアベノミクスなどとはまったく関係がなかったからだ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130228-OYT1T01288.htm
証拠もなしに、信じることも疑うこともできないよね。
変な話だけど、この文章は書いてあるだけで、立証する(教唆ではなく自発的行動であるとする)証拠が添付されていない。
この事実から、神奈川県警が証拠より供述を優先し過ぎているということが逆に分かるんじゃない?
今回警察側に求められているのは、犯行の調書の記述が教唆や誘導によるものではないと証明することであって
実質それは悪魔の証明だろうに。難しいと思うよ。
あと、蒸し返さなくてもいいだろうに。当事者同士て穏便に解決を測ればいいじゃないか。
当事者に対して適切な保障が行われて、証拠主義が徹底されることが重要であり、警察の落ち度を逆説的に叩こうとするのは良くないよ。
http://news.livedoor.com/article/detail/6664100/
地下鉄サリン事件の殺人容疑などで逮捕された元オウム真理教信者高橋克也容疑者(54)が逃走直前に購入し、コインロッカーに保管していたキャリーバッグから、教団元代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(57)の写真が数枚見つかっていたことが16日、捜査関係者への取材で分かった。
高橋容疑者は「(逮捕された事実について)まだ理解できません」と供述。バッグからは教団発行の本十数冊も見つかっており、警視庁は同容疑者が今も松本死刑囚を信仰している疑いがあるとみて調べる。
この言い方っていいの?
捜査機関が「○○の疑いがあるとみて調べている」つったら、○○には犯罪にあたるような事実とか、逃亡の事情とかが入るんじゃないのか
について、
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/national/news/20120611-OYT1T00224.htm
「行政のお前が仕事しないからこういう自殺志願者が現れるというのに!」
みたいなのが大量にいる。
アホ仲間同士でだろうけど星もいっぱいつけてる。
って、
あ~~~んな散発的なキチガイについて行政が責任問われてたまるかよw
という以前に、たとえば宅間守が出てきた時にも大阪府知事や堺市長を叩いてたのかよこいつらはw
もし叩いてたなら頭パーなりの一貫性はあるけどさあ。
叩いてないよなきっと。
「凶事が起きるのは施政者が悪い」レベルの感情を顕にしてるのが
(もちろん磯飛の住民票があるとこの首長が悪いわけでもない、当たり前だ。)
とたんに血相変えて「因果関係が無い」「言いがかり」「公務員イジメ」って言うんだろうにさあ。
こう馬鹿丸出しな言いがかりで叩いてるの見ると「あれ?馬鹿なのかな?」って思っちゃうよねw
まあ馬鹿なんだけどさ。
https://twitter.com/omosironews34
平和ボケさんのhttp://unkar.org/ やログ速みたいな2chのログサイトを作ろうと思い
それを利用した2ちゃんねらーがタイトルに「@XXX」と入れてスレを建てるようになり嫌がらせをするようになりました。
なので俺が@しなくても自動でつぶやいてあげるお!(説明が苦手)
https://twitter.com/#!/omosironews34
2週間くらい
も同時に作っていたので長めになった
http://anond.hatelabo.jp/20120530152656
後で治す(やる気失せてる)
犯人は「反省はしていない、自己満足のためにやった」と供述、容疑を認めているとのこと
http://wiki.livedoor.jp/wikkkiiii/
なんでこんなの作ったんだろう・・・
事故に遭い死ぬのは、仕方ないとして、もし親族、社員、近くの住人が事故に遭い、マスコミが押し寄せて来たらどうすればいいのだろうか?
一番やってはいけない。 1日に数十回全世界に流されることになります。
全国民の「あー、うちじゃなくてよかったー」という代理的な悲しみの餌に。
一段落しても、近所の人に「事故大変でしたね・・」と余計な気遣いという名の優越感を得る餌にされます。
そして、数年後でも、同様の事故/事件があった場合、リピートで放送される可能性があり、ようやく忘れられた時期に、目にして傷口をえぐられます。
これもやってはいけない。「悲しみのあまり、言葉が出ない遺族…」といったテロップと共に、流される。
影響に関しても、前述と同じ。
では、どうしたらいいのだろうか?
マスコミによる、他の犠牲者を増やさぬように叩き壊すのがベスト。
もし、器物損壊等で訴えられても、「気が動転していた」、「触れられたくないと断ったのに、しつこく迫ってきた」との供述で、せいぜいカメラ代(高くても100万以内)程度。
しかし、バールのような物でない限り、ストラップもつけてるので、レンズカバーすら壊せない。。
そういう時は、口の広いペットボトルに入れた、100%オレンジジュースをかければOK。
物を壊す気力がない場合は、放送出来ない事のみを言えば、電波には載らない。
彼らはなぜか、自身が放送されるのを極端に嫌う。写真を一枚撮ろうものなら、曽根崎警察以上の剣幕で、撮るな!消せ!今すぐ消せ!と迫ってくる。
消さないで居ると、実力行使でカメラを奪われて、メモリーカードを割られる。
そういう場合に備えて、Eye-fiとテザリング携帯経由で、即時公開する設定にしておきましょう。
別に全裸になれというのではなく、ものすごくどうでもいい世間話、記者さんも大変ですよねーの類の話を1時間位続ける。
彼らは、前述の怒りや悲しみに我を失っているような人を、他社よりも先に記録し無くてはならない。
警視庁愛宕署によると、ヨシカワは偽名で、本名は林貢二容疑者(41)。千葉市内の団地に住む独身で、配電関連の会社に勤務していた。
捜査関係者によると、林容疑者はまず、1階居間の鈴木さんに美保さんに会わせるよう要求。拒んだ鈴木さんに対して「話にならん」と激怒して刺し、2階に上がって美保さんを襲撃した。
美保さんは寝間着姿で、現場の状況から、ベッドで寝ていたところを襲われ廊下まで追い回されたようだ。2人には首を中心に複数の刺し傷があった。ハンマーにも血がついており、鈴木さんが頭部を複数回にわたって殴打されたとみられる。
周到な準備と、執拗な襲い方から浮かぶ激しい憎悪。林容疑者を突き動かしたのは「耳かき」への執念だったという。
「美保さんに耳かきをされると心が癒された。美保さんに謝り、また店に通えるよう頼みたかった。思いを遂げられなかったら殺そうと思った」
そう供述しているという林容疑者は昨年2月ごろから店に通い始め、美保さんを指名し続けた。4月に出入り禁止なった後、店から帰宅する美保さんをつけて、自宅前などで待ち伏せし、付きまといを繰り返すようになった。
事件の約2週間前には美保さんに謝罪したが、出禁は解除されず、その翌日にはメールが受信拒否になっていた。自宅近くで後ろから肩をたたいたときには、近くのコンビニエンスストアに駆け込まれて110番通報された。
美保さんに避けられている現実を認めたくなかったのだろう。事件2日前、再び自宅近くで待ち伏せしたが、美保さんが店関係者に付き添われて帰宅したため接触できず、感情が爆発した。供述によれば、林容疑者の心中はこうだ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110128/crm11012800120004-n1.htm
恐怖心の喚起
恐怖心を喚起する思想も極めて有害です。オウムにおいては、信徒の思考や行動が教義に沿うものに著しく制限されました。
ただし、その思想に触れて間もないうちは、恐怖心を喚起する部分が含まれていても、それに気付かないかもしれません。私自身も、クンダリニーの覚醒前は、麻原の著書の地獄・餓鬼・動物などの記述はまったく気になりませんでした。
その経験を振り返りますと、私の話がどれだけ伝わったか心もとなくなります。信徒の心理において、苦界へ転生する恐怖からの回避は無視できない要素なので、その恐怖が実感できないと、信徒特有の思考や行動は理解が困難だろうからです。実感は難しいかもしれませんが、その恐怖のために、たとえ自身の生命や健康が損なわれる事態に直面しても悪業となる行為はまったくできません。私の経験としては、次のことがありました。
地下鉄サリン事件のとき、私がサリン中毒になったので(本文三十六頁)、あらかじめ指示があったとおりに、送迎後の信徒が車で教団の付属病院に連れて行ってくれました。ところが病院関係者に話が伝わっておらず、事情がわからないようでした。しかし、私はサリン中毒を伝えられませんでした。「ヴァジラヤーナ救済」の任務に関することを関係者意外に話すと悪業になったからです。結局、私は病院での治療を断念し、医師の林郁夫のいる集合場所に行き、治療を受けました。
また、地下鉄サリン事件で逮捕された後、教団の指示どおりに当番弁護士を一回お願いして、拘留場所を教団に伝えましたが、右と同じ理由で事件に関する相談はできませんでした。常識的には、弁護士に相談しながら取り調べを受けます。また、それをしないことは連日十時間の取り調べが続くなか、自らを孤立させることになるとされています。
これらのことは、重大事件で逮捕された状況において、極めて不利です。しかし、悪業となる行為はできませんでした。
さらに、事件の動機である「ヴァジラヤーナの救済」の教義と麻原の地下鉄サリン事件への関与については、供述すると無間地獄(宇宙の創造から破壊までより長い期間苦しむ地獄)に転生しかねないので―また、この教義を聞く資格のない人に話すと誤解され、その人が将来にわたって救済されなくなるともいわれていました―、この事件の捜査期間内には供述できませんでした。
取り調べの最終日、事件の核心部分を追求する検察官を、悪業を犯すまいとする私との間に必死の攻防がありました。
問)麻原尊師のことや事件の動機、目的も話さなければ、反省したとはいえないのではないか。
答)……
問)話せない理由は何か。
答)お話できません。
問)今回の事件はヴァジラヤーナの教義に基づいたものではないか。
答)答えられません。
問)ヴァジラヤーナでは、「ポア」のために他人の命を絶つことも許されるのではないか。
答)答えられません。
答)答えられません。
問)麻原尊師の指示は、いかなるものでも絶対に従わなければならなかったのではないか。
答)必ずしもそうではありません。
問)では、どういう場合に従わなくていいのか。
答)何ともいえません。
―ほら、やはり従わなければならないじゃないか。
問)村井正大師は、サリンを撒くと切り出したとき、それが麻原尊師の意向であることを話さなかったか。
問)今回の事件の後で、君は麻原尊師に事件の報告をしていないか。
―(ある信徒が描いた図を見せながら)〇〇が図まで描いて、君たちが報告したことを話しているのに、話さないのか。
問)君は、今回の事件に関与した仲間については話しているのに、なぜ事件の目的や動機、報告については話さないのか。
答)答えられません。
当時は、なるべく悪業にならないように、教団とは無関係なこととして、地下鉄サリン事件における自身の行為はすべて供述していました。しかし、自身のことを供述しても、事件の動機や麻原の関与を供述しなければ反省していないとみなされ、身を滅ぼしかねない状況でした。加えて、質問の内容から検察官がそれらのことを既に知っていることは分かり、一般的見地からは、私が供述しても誰にも影響しないことは十分に理解できる状況でした。それでも、金縛りにでもあったかのように、供述できなかったのです。
以上のように悪業とされる行為ができなくなる傾向は、クンダリニーの覚醒直後に現れました。オウムに入信する段になって、気に掛かったのは、「複数のグル(修行の指導者)の指導を受けると、その異なるエネルギーの影響で精神が分解する」との麻原の著書の記述でした。当時、私はある瞑想団体に入会していたからです。私は不安になり、クンダリニーが覚醒したその日に、団体に脱会届を郵送しました。
また、私は釣りが好きだったのですが、それは悪業になるので、クンダリニーの覚醒以来一度も行いませんでした。そのほか虫も殺せなくなるなど、恐怖のために教義で悪業とされる行為はできなくなったのです。
このような状態は、次のように、宗教的回心において現れるといわれています。
私たちはある思想を繰り返し繰り返しいだき、ある行為を繰り返し繰り返しおこなっている。しかし、その思想の真の意味が、ある日はじめて、私たちのなかに響き渡るのである。あるいは、その行為が突然、道徳的に不可能なことに一変しているのである。
(前出 ジェイムズ)
オウムの信徒には、同様に悪業を為すことに強い抵抗を感じる者が多数いました。このような宗教的悪業の教義に関して、文献では次のことがいわれています。
さらに、宗教が単独で精神的問題を引き起こす場合がある。フロイトが主張するのは、「イド」と「スーパーエゴ」とのせめぎ合いにおいて、宗教はスーパーエゴの側に立つということである。宗教の戒律や禁制は、性的衝動や攻撃的衝動を抑制する目的がある。さらにまた、宗教は完全な道徳を目指しているので、これらの掟に対する違反は罪悪感を引き起こす。極端な場合、罪悪感が生活を支配し、麻痺させることがある。また、しばしば、過度の後悔に至ることもあり、中世鞭打苦行派の罪の意識による鞭打ちから現代テレビ時代における罪の公然の告白にまで及ぶ。
オランダにおいて、罪への自責心の問題をアライト・シルダーが研究した。彼女の研究『罪の意識に苦しむ以外なすすべがない』は、厳格な一部のオランダプロテスタントに関するもので、罪悪感がもたらしうる、人の仕事、思考および行動を麻痺させる影響への洞察を与えた。
友好関係を生じることに加えて、カリスマグループは個人的および社会的行動を規制する行為の基準を確立する。絶縁したセクトの状況では、このような外的規制によって、集団は心理学的に困難な支配の操作がしやすくなる。多数のセクトの行動規範は、現在の性的に寛大な態度に対する反動形成を反映するように見える。これらの規範は、しばしば多くの儀礼化された集団防衛を採用するだけで維持される。たとえば、ハーダー、リチャードソン、およびシモンズは、ジーザス運動の一つの分派における求愛、結婚、および家庭の形態を研究した。彼らは、全員が性的にとがめられかねない状況を明確に回避することを述べ、そして求愛と肉体的快楽に関するセクト特有の規制の大要を説明した。たとえば、デートをすることは不適切と考えられたが、それに誘惑や罪に至りかねないからだった。セクトに入会中の人の態度の同様な変化は、前に述べた統一教会の会員に関する研究に現れた。その七十六パーセントが性について考えることを“非常に”避けたと述べたが、入会の前には十一パーセントしかそのように感じなかったと報告した。したがって、集団心理は本能の要求の表出の統制やそのほかの葛藤の統制に重要な役割を果たす。
以上のように、宗教的悪業を規定する教義には、人の思考や行動を強く統制する作用があるとされています。そして、オウムの教義にもまた、ある思考や行動を宗教的悪業として規定するものがありました。たとえば、私が出家した直後の平成元年四月二日、麻原は次の内容の説法をしています。
「わたしたちの修行を妨げる眠気、貪り、怒り、真理(オウムの教義と考えていただいて差しつかえありません)を否定したくなる気持ちは悪魔であり、取り返しのつかない迷いの生を繰り返す」
また、クンダリニーが覚醒すると、「魔境」に入りやすくなるとされていました。これは、「これ以上ない人生の挫折」、「生まれ変わっても続いてしまう恐ろしい修行の挫折」とされる状態です。そして、「魔境」に落ちないためには、「正しいグル(解脱した指導者)を持つ」、「功徳(神とグルに対する布施と奉仕)を積む」、「強い信を持つ(グルと真理を強く信じる)」、「真理を実践する」ことが必要と説かれていました。(麻原彰晃著 『超能力秘密の開発法』 『生死を超える』 『マハーヤーナ・スートラ』 )
この類の教義はほかにも多数ありましたが、これらは信徒にとって、麻原、教団、あるいは教義からの離脱を困難にし、そして、麻原や教義に従うよう思考や行動を統制すつものでした。このような作用は、信徒が違法行為の指示に従わなかったリ、事件が明らかになった後でも脱会しなかったりする原因の一つと思います。
私が教義に疑問を抱き、脱会に至るまでには、次のように、悪業とされる行為をすることへの慣れが必要でした。
逮捕された後、供述すると悪業になる内容について、私は取調官の追求を受けるようになりました。しかし、それでも、はじめはまったく供述できない状態であり、身を引きちぎられるように感じました。そのような状況において、私は軽度の悪業となる内容から少しずつ供述せざるを得ませんでした。
私が最初に話したのは、地下鉄内で自身がサリンを発散させた単独行動の部分でした。事件に関してかなりのことが既に明らかになっていた状況であり、個人的な行為として供述するならそれほど悪業にならないと思ったのです。
その後、黙秘と供述を何度も繰り返して、長時間かけて動機の「ヴァジラヤーナの救済」の教義のことや麻原の事件への関与について供述できるようになりました。
以上のように、自覚してないうちに恐怖を喚起する教義の影響を受ける場合があります。また、宗教的悪業を規定する教義そのものに興味を抱いてオウムに係わることは考え難いですが、多くの信徒がそのような関心外の教義を受容し、思考や行動が制限されていました。ですから、そのときは実感がわかなくても、「地獄」など恐怖の喚起が予測される概念を強調する思想には、近づくべきではないでしょう。
ニュース画面http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111014/crm11101412230010-n1.htmからコピペ