はてなキーワード: バブル期とは
シュワルツェネッガーとスタローンがバチバチ文句を言い合いながら筋肉映画に出演し、漫画といえば北斗神拳で敵が内臓破裂していた。遡ればチャールズ・ブロンソンが漢の代表として映画に出演し、梶原一騎が『愛と誠』や『あしたのジョー』、雁屋哲が『男組』の原作を務めるなど、男という存在は創作においてもクールでハードな像が求められてた。
中には北斗世代において『ウィングマン』『バスタード!』のようなH系のナンパな作品もあったものの、それらはメジャー作品とは言い難く、一部のファンが支えるものだった。実際その二つの作品は絵がアニメ風というだけでも当時の漫画作品の中では特異だったと思う。
ジョジョの承太郎は作者の荒木の初期作品にも見られるハードな男像を全面に押し出したもので、荒木自身がブロンソンやジョン・ウェインに対する懐古主義を持っていた。それと北斗世代が合致した最後の漢の時代と言ってもいい。やがてこの旧態依然とした男像はバブル期には時代にそぐわなくなってくる。
これゆえ後の荒木作品は筋肉質でハードな男像より、頭脳が焼け切れるまでフル回転させてヒリヒリした状況を生き抜く情報社会系マッチョへと変質してゆく。荒木がマッチョイズムである理由は対談にも現れる。故・宅八郎との対談で弱い内面を発露したエヴァンゲリオンの主人公シンジを全面的に否定している。
日本人は基本的にケチだけど、ハレの日にはパーっと使う傾向があるからイベントをやって金を使う大義名分を用意してやるといい
GoToイベントだって、金持ってるけど旅行は一通り行ったっていう年配者が、お国のために旅行するんだって大義名分ができた
クリスマスも、カップルがディナー食ってシティホテルに泊まるなんてバブル期の日本で始まった風習だけど、中国、韓国、台湾といったアジア諸国には広まってしまった
1月は正月で金を使う、2月はバレンタインで金を使う、3月はひな祭りで金を使う、4月は花見で金を使う、5月はゴールデンウィークで金を使う、6月はジューンブライドで金を使う、7月は七夕で金を使う、8月は夏休みで金を使う、9月は月見で金を使う、10月はハロウィンで金を使う、11月は七五三で金を使う、12月はクリスマスで金を使う
相手がいないから蚊帳の外って言ってるやつは金の使い方が足りない
使う金がなければ、働いて金を稼ごう
https://anond.hatelabo.jp/20200813115920
https://anond.hatelabo.jp/20200813164528
久々に日記を書きたくなったので、今回は方向性を変えて年代記風の記事を投下してみます。
私自身は業界の全盛期である80年代~90年代前半を経験しておらず、当時の状況を記述するのに十分な知識がないため、その時代については省いています。
ということで、私がこの業界に入ることになる少し前の90年代半ばから物語を開始します。
※工場の呼び名は企業の再編によって変わる事が多々あるので、原則立地で表記している。
80年代後半に栄華を極めた日本半導体産業であったが、日米貿易摩擦の影響で一時に比べて勢いを失っていた。
また、韓国企業の台頭により得意分野のDRAMの雲行きが怪しくなり始めたのもこの時期である。
(余談だが、日本の半導体衰退の原因としてよく話題に上がる韓国での週末技術者バイトはさらに昔の話である。このころにはすでに強力な競合に育っていた。)
とはいえ世界的にみると日本の電機メーカーは資金力・技術力ともに上位であり、一時的な不況を乗り越えさえすれば再び繁栄が訪れると誰もが信じていた。
そんな時代背景の元、日本企業は貿易摩擦に対抗しつつ、さらなる勢力拡大を図るため、自動車産業の成功例に倣い世界各地で現地生産を進めることで変化に対応しようとしていた。
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | カリフォルニア州ローズビル | 1981 |
富士通 | オレゴン州グラシャム | 1988 |
三菱 | ノースカロライナ州ダーラム | 1989 |
日立 | テキサス州アービング | 1990 |
松下 | ワシントン州ピュアラップ(National Semiconductorより買収) | 1991 |
東芝 | ヴァージニア州マナサス(IBMとの合弁でドミニオンセミコンダクタ設立) | 1996 |
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | 英 リビングストン | 1982 |
日立 | 独 ランツフルト | 1990 |
三菱 | 独 アーヘン | 1990 |
富士通 | 英 ダーラム | 1991 |
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | 中国首鋼集団と合弁工場設立 | 1991 |
三菱 | 台湾力晶半導体(Power Chip)と提携しDRAM技術供与 | 1994 |
東芝 | 台湾華邦電子(Winbond)と提携しDRAM技術供与 | 1995 |
沖電気 | 台湾南亜科技(NANYA)と提携しDRAM技術供与 | 1995 |
日立 | 新日本製鉄及びシンガポール開発庁と共同出資でシンガポールに工場建設 | 1996 |
Windows95ブームの終焉による半導体のだふつき、アジア通貨危機後の韓国メーカーのなりふり構わぬ安値攻勢、ITバブル崩壊による半導体需要の激減と、短期間で何度も悪化する半導体市況。
次第に半導体産業は将来性を危ぶまれるようになり、成長分野から社内の『お荷物』とみなされるようになっていった。
かつて半導体事業の中核だったDRAMは、優位性を失い韓国企業に覇権を譲り渡してしまった。
資金面でも徐々に脱落するメーカーが現れ始める。はじめについていけなくなったのは、バブル期に事業の多角化を進めて半導体に新規参入した鉄鋼メーカーだった。
続いて総合電機各社も規模縮小に向かう。世界中に作った半導体工場は投資の回収ができないまま次々と閉鎖されていった...
工場の現地化の試みは失敗に終わり、10年程度という短い期間での工場立ち上げ・閉鎖はマンパワーと資金の浪費に終わった。
こうして各社は体力を削られ、余力を失っていくのだった。
NEC、日立、DRAM事業の統合を決定。エルピーダメモリ設立。
神戸製鋼、米TIと合弁の西脇の半導体工場を米Micronに売却
日立、台湾UMCと合同で初の300mmェハ(従来の主力の直径200mmのウェハから2.25倍の面積になり、ざっくりいえば同じ工程数で2倍程度のChipが取れてコストを削減可能。現在に至るまで主流のウェハサイズ。)を使用する工場、トレセンティテクノロジを常陸那珂に設立
東芝、DRAM撤退。北米拠点のドミニオンセミコンダクタを米Micronに売却。
NEC、非メモリー半導体事業を分社化、NECエレクトロニクスを設立。
繰り返す半導体市況の激しい変動も落ち着きを取り戻し、待ち望んだ好景気がやってきた。
90年代後半からの不況で体力を消耗した日本企業だが、いまだ技術力は健在。
折からブームとなっていた『選択と集中』を合言葉に、各社の得意分野に集中投資だ!
パソコンではアメリカ企業に後れを取ってシェアを失ったが、液晶・プラズマをはじめとするテレビ、DVDレコーダーにデジカメ等、日本のお家芸である家電のデジタル化が進展する今こそ最大のチャンス!
さらに、世界中で規格が共通化された第三世代携帯電話が普及すれば、圧倒的な先進性を誇る日本の携帯電話が天下を取れるのだ!半導体復活の時はついに来た!!!
製造業の国内回帰の波に乗り、生産性に優れる300mmウェハの工場をどんどん建てて再起をねらうのだ!
日立と三菱がロジック半導体事業を統合、世界三位の半導体メーカールネサステクノロジ誕生。
富士通、米AMDとNOR型Flashメモリ事業を統合、Spansion設立。
エルピーダ、三菱電機からDRAM事業を譲渡。日本の残存DRAM事業が集約。新社長を外部招聘し、反転攻勢開始
東芝、四日市に300mm対応のNAND型Flash工場、四日市第3工場建設開始
Spansion、会津若松に300mm対応のNOR型Flash工場建設を発表
ルネサス、UMCからトレセンティテクノロジの持ち株を買収。完全子会社化
東芝、四日市に300mm対応のNAND型Flash第4工場を建設開始
2000年代の日本企業の反転攻勢は、リーマンショックで終わってしまった。
日本の電機業界が成功を夢見たデジタル家電は韓国勢との競争に敗れ、携帯電話でも海外展開に失敗した。
90年代から繰り返し計上してきた赤字と、2000年代の大規模投資を経た今、半導体工場への投資を継続する資金的余力はもはや残っていなかった。
不採算部門とみなされるようになった半導体事業は設備投資が止まり、建設されてからわずか数年で時代遅れとなってしまった。
これ以降は、東芝のNAND型Flashメモリや、ソニーのイメージセンサーといった競争力を維持している分野、また旧エルピーダのDRAM工場といった外資の資金を得た分野のみが投資を継続されることになる。
ルネサス、日立時代からの欧州拠点、ランツフルト工場をLファウンドリーに売却
日立、シンガポールの工場をシンガポールのチャータードセミコンダクタに売却
ルネサスとNECエレが合併。世界第三位の半導体メーカー、ルネサスエレクトロニクス発足。フィンランドのノキアからモデム部門を買収。
ルネサスエレ、NEC時代からの北米拠点、ローズビル工場を独テレフンケンに売却
米オン・セミコンダクター、三洋電機の半導体事業を買収
ルネサスエレ、ノキアから買収したモデム事業から撤退、さらに2300人リストラ。またNEC時代の中国の合弁を解消し撤退。
富士通、マイコン・アナログ事業を再建したSpansionに売却
東芝、四日市の300mm第5工場2期分稼働。200mmの第2工場を300mmに建て替え
Panasonic、半導体工場をまとめてイスラエルのTower Jazzに売却
富士通とPanasonic、SoC設計部門を統合、ソシオネクスト設立
この時期に至ってようやく主要半導体メーカーの工場再編が一通り完了し、現在につながる枠組みがほぼ出来上がった。
リーマンショック後の大規模再編で日本企業の世界的地位はかつてないまでに低下し、国内の工場においても外資系の傘下に入るところが増えた。
現在半導体の先端工場に継続投資できる日本企業は、イメージセンサーに強いソニーと東芝のメモリ事業を引き継いだキオクシアだけである。
はたして日本の半導体産業は今後どうなるのだろうか?再び世界に飛躍する日はやってくるのだろうか?
東芝、四日市の第2工場建て替え完了。大分と岩手の200mm工場を分社化、ジャパンセミコンダクターを設立。
東芝、本体の粉飾決算のあおりを受けてメモリ事業を分社化。東芝メモリ設立。四日市に300mmの第6工場建設開始。さらに北上市に300mm新工場を建設
ルネサスエレ、米intersilを買収
東芝メモリ、四日市の第6工場が稼働。多国籍連合のファンド、パンゲアから出資を受ける。
富士通、桑名の300mm工場を台湾UMCに売却。また、会津若松の200mm工場も米オン・セミコンダクターに売却。
Panasonic、残ったマイコン等の事業を台湾Nuvotonに売却して半導体から撤退
「俺がお前だったら辞表を出している」とか言って
若手を何人も病院送りにしたあげく
社長が「こんな人間を管理職にした会社に責任があると認識している」と団体交渉の場で発言するレベルになり、その発言を労組が書いて社内で配布しても
まったく辞めないし悪びれないおじさん
しかもここにいたるまでも行政事件になるような不祥事を何度も起こしてるし、オマケにベンチャー時代に人事だったの悪用して女子高生ホテルに連れ込んだり未成年淫交と誘拐で逮捕歴まであるのだが、それでも辞めない
ツラの皮が戦車の装甲並みに厚いと思ったが、単なる凄まじい世間知らずの意識高い系スーパーバカ老害が
たまたまバブル期あたりのいい時期にIT業界に就職してて会社の金で有り余るほどの経験と知識を積む機会があって教育投資されてるので、技術だけはあるという、意識高い系の究極形態のようだった
増田は技術さえあれば上と喧嘩できるとか金も女も好き放題できるというが
こんなのにまでなりたいのかと思う
趣味は赤字であるべきというひとって、オールドタイプなんだよな。
それ古い。
今の時代、趣味が高じて金儲けにつながるケースは枚挙にいとまがない。
youtuber、同人作家、イラスト描き、なろう作家、日曜漫画家、動画作成、ゲームクリエイター、趣味が高じて金儲けをやることが何らおかしくない時代に突入している。
二次創作だってそうである。趣味はカネを使うことが当然、赤字であるべきという考えは「道楽」であり、今の時代、そんな巨額の道楽をできる趣味人がどれだけいるんだろうか?
そんな、「年間100万円カメラに使いました」とか、そういう趣味ができる人間はなかなかいない。
だから、赤字を少しでも圧縮する方向に進んだし、時代は「金もうけできる趣味」が増えている。
今の時代、You Tubeを見れば、趣味でカネを稼いでいる人なんて沢山いる。
写真にしても、写真加工のスキルを利用して副業に生かしている人も沢山いるのだ。
旅行を記事にして、広告収入を集めてる人間はそれこそ大勢いる。
元増田の、趣味は赤字がデフォルト。赤字こそ自然で、黒字を出そうとするのは趣味ではないという認識は、30年前のバブル期のものだ。
しかし、10年前にしても、ゲーム趣味の人間が、そのゲームをブログの感想をかいて広告収入を得ていることだって珍しくはなかった。
現在、趣味は「赤字垂れ流しこそ格好いい」という時代ではない。
むしろ「赤字をいくら圧縮したか?」とか「趣味が金儲けできるまで高じた」ということがステイタスになる時代ですらある。
それは趣味ではなく仕事だというが、この二つを切り分けて語ろうとすること自体がもうすでに時代に適合していない。
だって、もうその二つは切り分けられないほどに領域が曖昧であり、趣味で金儲けすることが可能な時代に突入しているからだ。
こういうふうに趣味は赤字なのが当然というほど、沢山の給料をもらってる人もいないから、赤字垂れ流しで趣味を続けること自体がもう難しいのだ。
むしろ、趣味の収支を安定させて金を儲けること、きちんと趣味を継続させることこそが現代的な趣味の形だとも言える。
今のネットで暴れ回る日本型フェミナチの理想社会はバブル期のアッシーメッシーであることは何回も指摘されている
そんなものが許されるのはあの時代か、今ならば歩くだけで周りの男性のオナネタに即行なるようなレベルのエロ可愛いティーンエイジのモデルとか芸能界系みたいなレベルか
ラブマシーン(2004)がバブル期のイケイケ感を表しているとかいうトンデモな時代考証が散見されるまでになってこういう決定的な事実誤認はせっせと潰していくようにしている
氷河期世代がバブル世代と思われてたり、今の60くらいを団塊世代とか呼んでる奴がいたり、ほっとくとそのうちゆとり世代が戦争に行ってたことにでもなりそうだ
この頃は女子高生がブルセラショップなる店で自分のパンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際とかに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランド物しか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観は蔓延していた。
事実誤認。
ブルセラショップなるものの隆盛はバブル後。バブル期は性の対象にされるのは主に女子大生までで、女子高生はまだ子供時代を過ごすことが許されていた。
バブル崩壊後、90年代半ばになって社会が貧しくなり、親がリストラされる子供たちが続出し、援助交際とか言って売春に手を染める女子高生が増えた。これがその時代に東京で過ごしていた自分が目撃した世界。
まともに。というのは
なぜか。
実際は違うかもしれないけど。自分ではそうとしか思えないのだ。
そもそも。
世の中の社会人、経済をまわしていて、税金を納めている人々はいつぐらいから「はたらく」という意識が芽生えてるのだろう?
家は、お祖父さんて人がやり手の実業家?だったかなにかで、バブル期いわゆる勝ち組だったらしい。
バブル崩壊後もその遺産と趣味を元に小銭を稼いで10数年生計をたてていた。
全盛期は知らないものの、私は10代前半頃まで親が汗水働いてる姿を見たことがない。
趣味の延長で始めた自営業で、幼少期からほとんど家にはいなかったものの、苦悩して働いてる様子ではなく、むしろ逆で週末には友達とどんちゃん騒ぎ、2,3ヶ月いないなー。と思いきや大量のお土産やなんやをもって楽しそうに帰ってきてたし、ひとりっ子の私をひとりにさせてる多い目からか、欲しいとねだったものを買ってもらえなかったこともなかった。
だから、正直、私は生きる事を舐め腐っていたと思う。
そんな私も分別がつく多感な年頃になり、「家… なんか変なんじゃないか?」と思い、機能不全家族でかつもろもろの感覚がおかしい事がわかった。
でも、わかったところでどうしようもない。
15,6の娘が親に「あなた達は頭がおかしいですよ。」と言ったところで聞く耳を持つわけもなく。
私だけでもしっかりしよう思いつつ、高校進学の頃になった。が、自分の希望した進学先を親は納得してくれず、説得できないまま嫌々親の決めた学校に入った。
そんな気持ちで、順調に通学できるはずもなく、大人になり始めてる同級生たちの中では、私をとりまく環境は異質でしかなく、自分の言動や思考もやはりそれなりに侵されていて、うまく高校に馴染めなかった。
今まで「家が全て」と思っていた私はそこそこな良い子認定だったため、親の奨めた学校を3ヶ月で辞めたことに親は憤慨し落胆。
そこからもともと機能不全気味だった家族はあってないものになり。私は引きこもりの道へ。
いやー。なりたくてなったわけじゃないけど、15,6歳でそこそこ治安の悪い海外に住んでるのに日本語しかできなくて、外に世界を求められず。
でも、家ではもう腫れ物のようにされるし、行き場がなかった。
でも、引きこもってるって事は親のスネかじってるって事だよなー。あのわけわからん親に養ってもらってるのは屈辱だ。って思いはあって、18歳の時には家を出る決意をする。高校中退のやつが正規ルート?で就職できると思ってなかったから、手当り次第にバイトで食いつなぐ日々。
でも、どこもかしこも続かない。
最初の頃は人の下で働くことに慣れなさすぎて、人に指図されることにイラついて上司にたてついて行けなくなり、何ヶ所か続けざまに常識が身についてないというとろから最終的には罵倒され、傷ついて、どこにいっても人間関係の悩みに心が蝕まれて挫折しちゃって、やっと長く務められそうだと思った職場は派遣切り、契約社員で入った職場では自分の長引く体調不良と祖母の帰省が重なってやむを得ず退職。
あちこち転々としてるうちに、どーでも良くなって廃人してて、最近、自分は社会復帰する気があるのか?いや、そもそも、出だしからまともな社会参加してないのに復帰もクソもないわけで、で?これからどうするんだ?集団の就活の荒波にもまれたこともないし。そもそも、大中小企業の正式な入社方法?エントリー方法?もよくわかってない。1番長く続いた仕事も1年かそこら、もう数年したら、応募できる求人も減ってくる年になる。そろそろまずいよな。
そう思っても懸命に職探しせねば!働かねば!と思えないの頭おかしいな。って思う。