はてなキーワード: サッカー部とは
高校卒業したての18才女。先週卒業式で、ちょうどきのう、半年くらい気になってた同じクラスの男の子をデートに誘ってみて、悪くない感じの返事が来た。
きょう学校で有志が集まって大掃除してて、その彼の下駄箱も掃除してたら枯れてる花束が出てきた。おそらく卒業式後のサッカー部の集まりでもらったであろうやつ。別にもらったものをどうしようが人の勝手だけどなんか悲しかった。優しい人だと思ってたし、いいところもたくさん知ってるけどそんなことするんだって思った。
だから遠回しにデートはやめておこうって言った。もう卒業して進路も別々だからこれを逃したら会わないと思うけど。伝わってるといいな。
いままで女子の前でDカップが好きって言ってたのも、まあ年頃の男の子だし仕方ないかって、ほんとは心のなかで幻滅してたけど隠してきたし、卒業式の夜の打ち上げのあとにわたしに告白してくれるって噂も聞いてたから実は期待してたのに男の子達で群れてペットショップに入っちゃうし、なにが言いたいかって結局私が頭のなかで彼のことを美化しすぎて期待しすぎるからこんなことになるんだろう。人間期待しないが吉。きっとこれから先もっと素敵な人に出会えるだろうって思って勉強がんばる。
あ、これも期待してるか。まあいいや。
人は、何でもかんでもズバズバ切って分けたがる。「裏」と「表」「正義」と「邪悪」「幼卒」と「ホイ卒」そして「兄」と「弟」。
双子は一つのおなかの中で一緒に過ごし、数分差で生まれる。その数分で兄と弟という人生で最初の優劣が付けられ、後の人生でずっとその優劣は付きまとい兄弟に呪いをかける。
思春期になると弟は「たった数分先に生まれただけでお兄ちゃん面すんなよ!まったく。」と不満をぶちまける。兄は「数分でも兄は兄なんだよ」としたり顔。そう、世間一般的に偉いとされるのは兄なのだ。
双子は大体の場合同じ部活を始める。例えばサッカー部。弟のほうはセンス抜群であっという間にエースになり、チームを引っ張る存在になる。一方兄、残念ながらセンスがない。
人々は彼を「お兄ちゃんなのに弟に負けてる人」と認識し、かわいそうねと憐みの目で見る。
私はこんな光景を何度か見たことがあり、そのたびに人々と同じく可哀想だな、なんてなんて思っていた。
しかし、これ、本当はおかしい。兄の方が偉かったり、優秀だったりする(もちろんそうじゃない場合もあるけど)のは、生まれた時間差が何年も違う普通の兄弟に適応される理論であって、生まれた時間差が数分の双子に適応されるのは大間違いなのである。
双子は本来、独立されるべきなのに、兄弟という括りの中に入れられてしまっていて兄弟と同じ扱われ方をしている。
それにしても、双子はあまりにも不憫。必要以上に比べられて必要以上に優劣をつけられる。
一応言っておくと私は双子ではない。
俺は今まで自分から目標を立てたりしなかった。高校も大学も趣味も何から何まで親の助言があったから決まった。
ここがいいんじゃない?こういうのはどう?と俺の人生はどんどん親が決めてくれた。
高校までは勉強しなさい、とかお風呂入りなさい、とか言ってくれた。
それにしたがっていればご飯も作ってくれるしおこづかいだってそれなりにもらえた。
親が旅行でしばらくいないときは置き手紙でやるべきことを書いてくれた。
一生の友人と言っても差し支えない人も二人いるし友好関係は悪い方ではなかったと思う。
悩みなんてなかった。親が敷いた道にしたがって進めばいいだけだったから。
心配なんてなかった。親のせいにできると頭の何処かで考えてたんだろう。
小学校の頃は何かスポーツをしたほうがいいと言われサッカーを始めた。父親がサッカー好きだったから。父親は喜んでくれたと思う。
中学校でもサッカー部だった。仲のいい友達が全員サッカー部に入ったから。
でも本当はサッカー部になんか入りたくなかった。運動神経がいいわけじゃないしやらされてる感があって辛かった。
でもやめられなかった。親に失望されないか、他の部員や顧問の先生はどう思うだろうか考えたら怖くてやめれなかった。
大学になってバイトも始めて自分の好きなものは買えるくらいになってから俺の親は何も言ってこなくなった。
一人でも暮らせるように親なりに考えてくれたんだと思う。でもそれはあまりにも急だった。
急に自由になった俺はPCゲームを毎日毎のようにやった。注意してくれる人が突然消えて歯止めが効かなくなった。
提出しなければいけない課題も放ってゲームに明け暮れた。大学では単位を何個か落とした。それでも歯止めが効かなかった。
配信で金が稼げるほどゲームが上手なわけでもないし特別面白い人ってわけでもない。
他にやらなければいけないことだってある。自分がどんどん腐っていくのが分かる。このままじゃいけないことを頭では理解している。
大人になり自己責任という文字がのしかかってくる今、これからどうしていけばいいのか分からない。
誰かに正解を教えてほしい。
私は高校二年生の女子です。スタンド能力を持っています。普段はここは見てるばっかりなんですが、今日は相談があって投稿しました。
クラスに学年で多分一番きれいな子がいて、名前は玉木さんと言うのですが、最近彼女の私物がいたずらされることがよくあるんです。
玉木さんはクラスの大人しいグループに属していて、派手目なグループの子も一目置くくらい美人なんです。スタイルも良くて美脚。
半年くらい前から、サッカー部の先輩の更に先輩の大学の人が玉木さんに交際を申し込んで断られていました。
玉木さんが、4組の飯田くんとお付き合いすることになってから、どうもサッカー部の人たちが先輩から命令されて玉木さんの私物にいたずらをするようになっています。
はじめサッカー部かどうかわからなかったのですが、サッカー部の人をSNSを見た人が多分そうなんじゃないかって。
大人しくて、とってもかわいいから、玉木さんがターゲットになってる。
男子も初めは命令でやっていたんだけれど、そのうち楽しんでいるみたいで命令じゃなくて自分たちでいたずらをしているように見えます。
スタンドが液体状になって、布とかに染み込む。それで染み込んだスタンドを固着する。もとから布に染み込んでた汚れとかをはじき出せる。
鍵穴とかに染み込ませて、固着して鍵にして、開けられます。小さな隙間に落ちたものとかも、染み込ませて固着させて、取り出せます。
機械とかのネジも、隙間から染み込ませて固定して、力を加えて外せます。
天井に穴とか隙間があれば、そこに浸透させて固着して、ぶら下がれたりします。
マンガみたいに闘うことはないからあまり使い道ないのですが、細かなものを取り出したり取り除いたりには便利なスタンドです。
それで、いたずらなんですが、玉木さんの上履きの匂いをかいだり、精子をかけるんです。こんなの書いてて嫌になるんですけど。
能力使ってこっそり玄関の上の吹き抜けの辺りにぶら下がって実際に見てしまいました。
玉木さん、多分他の私物にもいたずらされてると思います。お弁当とかにもぶっかけてるかも。グループ違うから詳しくないのですが、彼氏にも言えないみたいなんです。
クラスの一番のグループの友達(高木さん)に相談したんだけど、どうも一番の女子グループのあるひとが、サッカー部と繋がっているみたいで。
私、こんなの嫌で、最近は気付いた時にはスタンド能力で上履きに付いた精子を取り除いています。
なんで誰とも知らない男子の精子をスタンドではじき出さなければならないのか。汚らわしい。
でも、玉木さんとっても困っているから。
私のこの能力で、何かサッカー部の男子を止めさせる方法はないでしょうか。期末テストが終わって、またひどくなりそうなんです。
先生に言えばそれですぐ解決するのでしょうか。なんとなく、そうならないように思います。
サッカー部の男子の耳から私のスタンド流しこんで固着して、脳をひり出してブチ殺すことも可能なんですが、ちょっとそういう大事は嫌です。
よろしくお願いします。
スタンド名:NUMBER GIRL(向井秀徳さんが好きです)
破壊力:C(JK2の自分の力よりずっと強く固着でき、時に壊せます。)
スピード:E(よくわかんないけど、遅いと思います。お母さんくらいです)
射程範囲:E(ほとんど身体から離せないので、バレー部でも役に立ちません(そもそもズルするのはダメだ)。)
持続力:B(休み時間くらいならずっと能力出しっぱなしでいけます)
その事件の発端の一つとされる某掲示板の書き込みに、李国秀監督(在日韓国人二世)は理事長の甥に当たる事が書かれてたけど
これマジなのか?
20年ほど前
「うちの学園では4大卒は事務室でも教育職で取っている、君は教員免許はないが教育職で取る」といわれた
担当の教授に相談した所「それはいい!学校内での立場がまるで違うはずだし、給与もいいはずだ」といわれ、そういうもんかと思い就職した
「実はサッカー部の顧問がいなくなりあいてしまう、君やってもらえないか?」といわれた
「いや、サッカーどころか運動のようなものはやったことがない」
「でも、君は教育職として採用しているので部活動をやる義務があるんだ」
といわれ、やることになったもちろんそこからはおきまりのコースだった
事務室は勤務時間が7:30から16:30と9:00から18:00を一週間ごとに変えるという勤務体系だったのだが僕は学校から離れたところにあるグラウンドに行かねばならないので7:30固定になり16:30になると急いでグラウンドに行った
そして18:30まで部活をやりその後残業という勤務になった。もちろん土日は部活動でなくなることが多くなり平均の月の休みは2日ほどになってしまった
教員はなんだかんだいって夏休みは半日程度の部活動のことが多いが事務室はそういうことはない、部活がないときは事務室で通常業務、部活があるときは夏休みでも残業になった
そこまではまだよい(よくはないが)、あるとき僕と同い年の同僚の給与と僕の給与を比較するチャンスが有った
なんとその同僚のが高かったのだ!
これはなぜかというと教育職はいくら残業をやっても残業代は出ず、基本給の4%のみ最初からついてくるという特例で、逆に事務職は勿論普通に残業代が出る
僕らは月に平均40時間ほど残業があった、そのため同年齢の高卒の事務職の方が基本給は安いものの基本給にプラス30%ほど割増の残業代がつきトータルの月給はぼくより多かったのだ、ボーナスを含めたらどうなるかわからないが、これにはすべてのやる気を失ってしまった
なにしろ普段の日は僕のほうが部活の分、仕事が多少遅くなり帰宅時間自体は僕のがいつも遅く、しかも、土日は部活動で休みがないのに、普通に休んでいる人のほうが給料が高いのだから精神的に参ってしまった
もちろん、このことを事務長にいい、校長に報告がいったらしかったが結局、部活をやめるのにその後4年かかった、僕より若い男性教員がなかなかはいらなかったからだ
当方不惑を越えたおっさん。出身中学の同窓会に行ってきたので、その時に得られた知見をシェアしたい。
中学時代に美少女でモテモテだったような女子は不惑を越えてもやっぱり美女だった。ブスはブスのままの人もいたけど、中学当時ブス認定されていたような子が大人になったら化けてあっと驚くような美女になっているのが数名いた。工事したのかも知らんけど。
一人、中学時代に密かに可愛い子だなと思っていたけど周囲からは見向きもされていない女の子がいた。久しぶりに会ったらすごい美女に成長していて、我が慧眼を誇った。
中学校でモテる男子って、大体はサッカー部とかバスケ部とか、運動部に所属する目立つ生徒か、あるいはちょっと不良っぽさを醸し出しているヤツというのがお約束。
一方自分は中学時代は文化系クラブに所属し、女子生徒とはほぼ接触せずに暮らしていた。いわゆる非モテクラスタであった。
大学生や社会人の頃は人並みに女性とデートしたりする経験もして結婚することもできたから、まぁ大学デビューと言えばそれまでだけど、非モテは卒業したつもりでいた。
しかし、久しぶりに同級生たちと会うと一気に時間が中学校の頃に引き戻されてしまった。非モテだった自分は非モテとしての行動を無意識にとってしまい、同級生女子とはほとんど口も聞けず、非モテ男子たちと会場の隅の方で喋るのに終始してしまった。がっかりだ。
クラスに眠っている、今は周りから見向きもされていないようなダイヤの原石的女子を見出して、その子と頑張って仲良くしておくと良い。将来あっと驚く美女に成長したその子をゲットするのだ!
ほんじゃーね。
内面の整理のために吐き出しています、その関係上乱文になってると思います。
間違いなくあそこに地獄があった。
少なくともあの時の僕にとっては地獄だった。
虐められた、とても虐められた。誰も味方がいなかった。
虐められるターゲットだった。友人は居なかった。一人だった。
家の中にも安らぎはなかった。家もまた気を張る場所であった。信頼ならない場所であった。
母は精神障害者だった。弟は知的障害として小学校の時分から養護学級の者として生きていた。父はそんな二人の世話に明け暮れていた。
とても頼ることなど出来なかった。
学校では「死ね」「キモイ」そんな言葉がずっと浴びせかけられていた。常に居場所がなく、昼休みは別の校舎の廊下や音楽室の陰といったひと気のない場所に避難する時間であった。
とても辛かった。そんな場所だった。
部活は小学校の時にサッカーが好きだという理由でサッカー部に入った。大失敗だった。
部活中にも時折、野球部の方からボールが飛んできて僕に当たっていた。たぶん、ぶつけられていたのだと思う。頭に何度も当たっていた。とても辛かった。
中学校1年の2学期から休みがちになった。1学期でも体調を崩しがちであったが、休むために休んでいたのはこの頃だったように思う。
とても行くことが嫌だった。そんな風に休むものだから、勉強も遅れがちになった。宿題が溜まったのもより行きづらさに拍車をかけた。
英語がついていけなくなった。
家は貧しかった。貧しいが故に常識も知らなかった。小学校の宿泊研修で初めてリンスの存在を知る程度には貧しかった。
とても閉じていた。服もなく、娯楽を知らず小学校の夏休みの絵日記に苦労していた、そんな記憶が残っている。
旅行に行く人達を羨ましく思いながら、隣町の祖父母の家に行く位が一番の遠出だった。
どんどん私は中学校に行けなくなっていた。田舎の中学校故だろうか、治安もよくない学校であったのも一因だったとは思う。
通学の自転車が指定の自転車だったが、指定の物ではないものを買い与えられ、そのことがまた虐めの原因にもなっていた。
通学することが苦痛だった。
家の中では良い子でなければ、迷惑をかけないようにしなければならず、学校には居場所がなく、そんな状況が続いていた。
中学1年の三学期にはほとんどいけなくなっていた。ひたすら虐めの恐怖に怯えていた。布団の中でまるまって何故虐められるのか分からず、相談できる相手もいない、一人で苦しみ続けていた。
家の外に出るのが怖くなっていった。休んだことを揶揄されることもまた恐怖だった。ひたすらに家の中で時間を過ぎ去るのを願っていた。夜になってようやく少しだけ外に出られるような有様であった。
中学2年には全く通うことができなくなっていた。申し訳ないと感じつつも動くことができなかった。昼に父が職場から帰ってきてお昼の支度をしてくれる時間が僅かばかりの気晴らしといった毎日であった。
中学3年のころには少しだけ保健室登校のようなことをしていた。それでもほとんど休んでいた。勉強についていけなくなっていた。将来の恐怖に押しつぶされていった。
受験があった。とてもできず、また遠方へ通えるような財力はなかった。地元の県立高校に進学した。
高校に入った。周りは大人になっていたからか、虐められることはなかった。だが、僕自身は人間不信になっていた。やはり一人だった。
そして、とても落ち着かなくなっていた。
授業中に突然笑いだすようなこともあった。エア友達と脳内会話して笑いがこぼれていた結果だった。
ギャップを感じていった。普通が分からなくなっていった。休むようになっていった。精神科へ通うことを勧められた。ここで初めて通うようになった。
月イチでの通院の日々だった。それでも行けないことには代わりはなかった。
出席日数が足りなくなっていった。補修を受けるようになっていた。補修にも行けなくなった。単位を落としてしまった。通わなくなった。
単位が複数落ちてから、一つだったら頑張ればなんとかしてあげれたと言われた。もう遅かった。手遅れだった。
留年するか転校するか退学するかの選択肢となった。金銭上、転校することは出来なかった。そのまま退学することになった。
高校に入ってからしばらくしてから与えられた携帯でネットに依存するようになっていった。
普通じゃなくなっていく苦しみを誤魔化していた。なんとか逃れようとしていた。
ネットに居場所を求めるようになっていった。その間は少しだけ救われていた。
将来への絶望は消えなかった。
父母弟の介護をしつつ、田舎町から出られず永久にそのまま終わるようにしか思えなかった。
17になった。心を誤魔化すためのゲームで繋がりができていた。オフ会に参加することになった。
オフ会に参加するのが唯一の遠出だったと思う。
隣の県まで電車で行った、少しだけその時は救われていた。
18になった。早く頑張らなければ、何かしなければという焦りと苦しみがちりちりと焦がしていたが見ないようにしてゲームに没頭していた。
19になった。オフ会で会った友人たちが大学生になっていった。僕は一人取り残されていった。
また一人になった。
一人の時間が長くなった。その分だけ余計に焦りと苦しみが増していった。向きあおうとして、オフ会の友人との繋がりを控えた。
より苦しくなっていった。薬に甘えないようにせねばと思ってあまり通院してなかった時期でもあった。
夜に原付を飛ばしてみたり、自分なりの反抗をしていた。それでも苦しさは消えなかった。
夏の終わり、自殺を図ろうとした。海の近い町だった。このまま砂浜から海に入っていけば泳げない自分は死ぬのではないかと感じていた。
服が海水を吸って重くなっていった。明確に死の恐怖を感じた。このまま自分が死んでいなくなる恐怖だった。この世から消え去りたくないと感じた。
砂浜へ引き返した。びしょ濡れのまま、一人家に帰った。自殺しようとしたなんて打ち明けることなど出来なかった。
死ななきゃいけないという感情はそれでも消えなかった。僕は考えを捻じれさせていった。
死ななきゃいけないなら、自分自身が死ぬことを納得できる人間になろうとすればいいじゃないかと考えるようになっていった。
当時のニュースの影響もあって、大量殺人者に憧れるようになっていった。ああすれば死ねる!と。
30になったら行おうと思っていた。そこまでの命ならと思って、散財するようにもなっていった。
課金ゲームにハマっていった。諫められても、助けてくれなかった親への恨みから正当化していった。
深みにはまってどんどん続けていた。
バイト探しをするようになっていった。田舎だから、求人は貴重だった。
毎度のごとく落ちていった。
21になった。レンタルショップのバイトに受かった。バイト代はすべて課金ゲームにつぎ込んでいった。
22になった。僕はバイトのままだった。世間の就職にまた焦っていった。
23になった。友人の誘いで地元の原発の作業員になった。入ってウキウキな気持ちと原発への嫌悪感がごちゃ混ぜになっていた。
半年で辞めてしまった。よりヤケになっていった。クレカで借金を作れば自分も死ぬことに納得いくだろうと破滅的な行動が増えていった。
24になった。転職サイトで中途で入社した。ネットの販売員だった。営業だった。件数は全然取れなかった。頑張っても取れなかった。
頑張ることの意味が分からなくなっていった。努力しなくなっていった。ネットへの依存は深まっていった。
グループ内で転籍させられた。借金は増えていった。死にたくてたまらなかった。
25になった。課金ゲーで出会った友人に職に誘われた。僕は後先考えずに飛びついた。殴られるような営業から逃げられると思った。
転職先は良いところだったが付いていけなかった。そのころにはもう考えてもストレスで意識が飛ぶようになっていた。
無職になった。生活保護を受けるようになった。治療を受けても、あまり合わなかった。借金は残ったままだった。
四か月経ち、今日バイトを始めた。あまりのおぼつかなさに愕然とした。
死ななきゃいけない声が聞こえていた。今までは、周りを批判的に見たり、自分の実力を弱く見せたりして補助を貰おうとして誤魔化していた部分も遂に終わりを迎えた。
虐められていたときに亡くなった祖父母へのお別れの気持ちも1週間ほど前に整理がついた。
息子に興奮してしまう
もっと正確に言うと、抱かれたいし抱きたい。そういう行為を息子としたい。
小さい頃からそう思っていたわけではなく、
文章にすれば冷静になれると思って書いている。
サッカー部の息子は腹筋が割れていて逞しく、無駄な肉が一切ない。
自分の部屋で自慰行為をしていると思うのだが、手伝ってあげたい。
本当におかしいと思う。
1.単なる欲求不満
そんな中、旦那以外で一番身近な男性を意識してしまったのだろうか。
不倫をする勇気も若さもないので、息子なら…という気持ちになるのかもしれない。
日焼けしてもシミのできないハリのある肌、
コシのある髪、脂肪のつきにくい体。
3.息子への独占欲
もう少ししたら息子には彼女ができるだろうし、
全部当てはまる気もするし、どれも当てはまらない気もする。
現在、部活動が教員の正規の業務ではないということが世間に知れ、ボランティアでやっているということが問題になっている
私自身の話、昔20代から30代まで私立でサッカー部の顧問をやっていた。校庭が野球部と軟式テニス部に使われてしまっていたため、学校の外の空き地で部活動をやっていた。そのため遅くとも16:30にその場所につけるように仕事に区切りをつけていた。
また、どんなに仕事があるときでも(たとえどんなに重要な会議中でも)18:15に生徒を帰宅させ施設の門の施錠をするという最優先事項が会ったので、なにがあってもその時間にはそこにいっていた。
ただ現在、サッカー部顧問を外れ囲碁部の顧問になってからは、それらの練習指導、施錠がただ単になくなったので特に仕事がないときは以前通り16:20には帰ってしまっている
文化部は毎日あるわけではなく週に二度ほどでしかも顧問はどの部にも二人いるので週一回17:45に部室の鍵を締めに行くだけ
勿論土日にやるのは文化祭の前一回だけ
とにかく週に3回ははやく帰るので、囲碁部顧問になってから結婚した妻には「学校の教員ってなんて楽なのかしら」と思われているようだ
うちの学校では部活動顧問は一度なってしまえば自分からやめたいという以外、やめさせられることは基本ない、何しろボランティアだから
真空パックAVの人に対する当たりの強さを見ていて不思議に思ったのだが、思春期に見聞きしたものの影響の大きさというのはなかなか侮れないと思う。
「影響を受ける」というよりも正確には「もともと心の内奥にある異性への都合のよい期待や幻想が、助長され増幅される」と考えている。
女性なので少女漫画に親しみながら育ったが、そこに出てくる「女の理想を体現した完璧な(つまり女にとって最高に都合のいい)イケメン」が実在すると信じてしばらくのあいだ生きていた。もっと言えば、そういう人が自分だけのためにいつか目の前に現れる日が来ると疑いもなく信じていた。
子どものころのわたしは重度のコミュ障だったので、その世界観が是正されるまでに結構な期間がかかった。
漫画の中のイケメンに比べたら現実の男子は自分に優しくしてくれなくて、かっこよくもなくて、頭もよくないし運動もたいしてできない。
一方で、漫画の中のイケメンとまではいかなくとも、かっこよくて人望があって、みんなの人気者のサッカー部とか野球部とかの男子とはまともに目を合わせて話すことができず、彼らの前ではやたら挙動不審になってキモがられていた。
コミュ障ゆえに二次元の世界に逃げ込んでいた期間が結構長かった。
現実はどうやら漫画とは違うらしい、ということを頭では理解していても、気持ちの上で受け入れることをだいぶ長い間(今思い返してみると、高校の前半ぐらいまでそうだった)拒んでいた。
異性への過剰な期待とその裏返しとしての一方的な蔑み、というくだらない二極化から脱却して、男だとか女だとか意識する前にお互いに一人の人間として尊重しあうことが何よりも大切だ、ということに、もっと早く気づきたかった。
そうすれば、高校時代にもコミュ障なりにも周りの人と心の通い合う実のある生活を送れたのではないかと思う。
男女を完全にひっくり返しても、同じような地点を通過した人は無数にいると思う。
二次元なぞ有害だからなくなってしまえ、などと言いたいわけではない。
真に有害なのは、人間ひとりひとりの心の内奥にある、異性への原初的で利己的な衝動、むきだしの欲望だ。
それを引き出し、有形化し、増幅させるのが二次元だ。
現実とうまく付き合っている人ならば早々に現実と二次元の区別をつけられるようになるのだろうけれど、コミュ障はなかなかそれに気づくチャンスを得られない。
気づかないからいつまでも異性への幻想を捨てきれず、ますますキモがられて現実から遠ざかっていく。
そういう人間にとって、二次元っていうのは救いの光明なのか、それとも甘い罠なのか。
まあべつに規制しようがしまいが自分はもういい大人なのでどうでもいいんだけど、子どもによっては結構影響はあるよね、ということを言いたくて書いた。
昔の話をしてみようと思う。
随分と昔の話になる。
私が中学生だった頃の話だ。
私は、とある習字教室に通っていた。小学生の頃から通っている教室だった。私は毎週土曜日の午後に、その教室に通っていた。
私はそこで、筆と硬筆(いわゆる鉛筆)の書き取りをしていた。手本を見ながら、それを紙に写していき、都度先生に見せて指導をもらう。そんなことを、毎週していた。
ただ、この一見単純な作業、それなりに体力が要る。手本の通り、或いはそれ以上のものを書こうとすると、かなりの試行錯誤が必要だ。
気が付くと、たいてい夕暮れ時になっていることが多かった。
教室には、私の他にも何人か、私と同じ中学校の生徒が通っていた。そこで、教室の先生は、帰る方面が同じ人は、なるべく揃って帰るように促していた。
そこで、私と同じ方面に帰っていた女の子がいた。身長は低めで、とても顔立ちの整った女の子だった。彼女と同じ方面に帰る人は、私以外誰もいなかった為、私達は大抵、帰るときは二人で帰っていた。
帰る間、彼女と私との間には特におもしろい会話もなく、文字通り、ただ一緒に帰るだけの関係だった。
その当時、彼女にはとある噂があった。クラスの中のサッカー部の男の子が好きとか、実はお互い好きで付き合っているとか、そんな噂だ。
ただ、しばらくするうちに、その男の子と別れた、という噂が出始めた。その男の子が、よくつるんでいた同じサッカー部員に対して「彼女、俺のこと好きじゃないから」みたいなことを話していたのを聞いたことがあったので、付き合っていたかはともかく、彼女の心がその男の子から離れていたのは、どうも事実のようだった。(周りをごまかすための嘘であった可能性もあるが…。)
ただ、そんな噂と一緒に、その女の子が私に対して好意を抱いているという噂も流れていた。
しかし、私と彼女との関係は、習字教室から一緒に帰る関係から、進展することはなかった。
その当時、私はとにかくストイックに部活動に励んでおり、また異性に対する恋についてもよくわかっていなかった。(残念なことに、今でもよくわからない。 )
ただ、ぼんやり、彼女のことは、かわいい女の子だよなぁ、と他の女の子にはない感情はあったと思う。
何度か、直接聞いてみようかな、と思うことはあった。実際その男の子の子と付き合っているか、とか、実際私のことどう思うか、とか。
ただ、実際に聞くことはなかった。その行為が彼女に対して失礼なのではないかと思ったからだ。
そんなこんなで月日は経ち、卒業式。ついに私達の関係は、ほんとうに、全くなにも進展しなかった。ただ、実は私は彼女のことを少し意識していた。
この卒業式の日(実は別の日かもしれない。よく思い出せない…。)、私はとある別の女の子から告白をされた。ただ、私は、その子のことを、半ばよくわからない形で振ってしまった。告白してきた女の子からすれば、OKなのかNGなのかわからないような感じだったと思う。逃げるように振ってしまった。
もし、このときに告白されたのが、習字教室を一緒に帰った彼女であったならば、私は喜んで受け入れていたと思う。今にした思えば、私は彼女のことを好きだったのかもしれない。
その後、私達は別々の高校に進み、習字教室も卒業したため、その後彼女との接点はなくなった。彼女の家の場所は知っていたので厳密には皆無というわけではないが、お互いに会うことはなかった。
当時の噂は、どこまで本当だったのだろうか。いずれにしても、私のようなヘタレ男と付き合わなかったのは正解かもしれない。
ただ、私は今でもたまに、彼女のことを思い出す。