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はてなキーワード: サッカー部とは

2018-08-22

臭い中高生男子

電車に乗っているんだが前にいる中学生だか高校生だかの男子が汗臭い

部活帰り、見るとろによるとサッカー部のよう。

やってるスマホサッカーゲーム、なんてサッカー好きだ。

だが、汗臭いのは許せない。甲子園行けよ。

しかも、手首にはなぞの数珠みたいなの巻いてるし。

2018-08-05

カースト上位「お前、最低だな(キレる芝居)」←この破壊力

凄まじいよな。

まず、相手理屈など無視で、とにかく気に入らないか糾弾したいという悪魔的な意志がある。

理屈無視人格攻撃などしたら自分正当性が獲得できないから、そこはカースト上位の威光と、正義漢の立場からとにかく怒って軽蔑してるというオーラをビンビンに漂わせることで周りを味方につけようとソロバンを弾く。

こいつら、ルフィ的な正義漢では断じてないぞ。

ゲシュタポクメール・ルージュくらいにはキチガってる。

イン杯予選控えたサッカー部キャプテンの足をへし折った陰キャがこのやり方で問答無用糾弾されてた。

そのキャプテンからエスカレートして殺されるかどうかって瀬戸際までいじめられてたんだけどな。

ムードカーストストーリー重視の正義漢にはそんなの知るかだったようで。

2018-07-09

インターネットを取り戻せ

インターネットから匿名性が失われていく現象には何か名前はついてるだろうか。

匿名性のないインターネットはとても便利だ、でも悲しい。

昔より誰が言ったかが重視されるようになって、「面白い人」が言ったことは面白くて、「おしゃれな人」が勧めるものはおしゃれだ。

おいおいおいとそんなのお前らが嫌いだった小学校中学校のころと一緒じゃねえか。

思い出せよ声がでかいだけの野球部ギャグでみんなが笑い、前髪が長いだけのサッカー部女の子にちやほやされたとき感情を。

だんだん俺たちのインターネットがそうなっていってるんだよ、危機感持てよ。

思い出せよ、お前らがつけた秀逸なあだ名野球部が我が物顔で言って大爆笑をかっさらっていった時の感情を、俺は見てたぞお前らがヘラヘラして自分の胸の感情を殺していってるところを。

今のインターネットはそれだよ。名もなきぽまえらが作って築き上げていったインターネット企業アフィリエイターに金とか影響力みたいなもんでかっさわれちまったんだ。

残念ながらこの思いが届くのはもうすでにごく少数の人間だけなんだろう。

みんな立ち上がれ、俺たちのインターネットを取り戻そう。

俺たちにできるのは匿名性が守られ続けている増田面白い文章バンバン投稿して、薄汚れちまったインターネットの目を覚ますことだ。

おれは期待してる、お前らのポテンシャルに。おれはずっと増田でみんなの投稿を見てるぜ。

2018-07-03

anond:20180703170816

じゃあ、例えを変えよう。

君が通っている中学校サッカー部が中体連で勝ち上がったら応援するだろ?同じ学校に通っているから親近感が沸くよね?それと近い感覚で、同じ国に住んでいるか日本代表応援したくなるんだ。

これだったらわかるかな?

2018-06-25

フォー・アフターが楽しみ

wカップ前

「結果がすべて!言い訳は許されない!」

中島を入れないなんて!」

電通ジャパン!」

老害ジャパン!」

電通サッカー部!」

スポンサー圧力が!」

2018-06-23

今のサッカー日本代表応援できないって言うけど、なぜなんだろう?

巷では田嶋会長がクソだからハリルホジッチ解任に納得できないから、実質電通サッカー部からケイスケホンダいるから、とかいろいろ言われてるけども

応援する・しないってそんなに理詰めで決めているものなのだろうか?


僕も応援をやめた経験は何度かある。

最近でいえば、20年来のベイスターズファンを去年やめた。ひどいプレーを繰り返す某選手が固定されつづけているのを見て、応援する気がなくなってしまった。

そのときは、もうファンはやめようなんて決意した記憶はない。なんとなく、いつの間にか離れていた。

今思えば、「僕だったらこうやるのに」という僕の考えと監督選手思考が著しく乖離していると感じたから、ファンでなくなったのだと思う。


ところで、なにがしか属性を持ったモノは、一定応援をされるという世の中の相場がある。

たとえば「日本代表」、たとえば「善戦マン」「シルバーコレクター」。弱い立場の人に同情する判官贔屓もその一種だろう。

それらが応援されるのは、その応援対象自分との間になにがしかの関わりが感じられるというのが一番の理由だと思うのだ。愛国心があるから日本代表応援するのではなく、なんとなく他人とは思えないか応援する。そういうものだと思うのだ。


結局、何かを応援するというのは、自分の魂の小さなひとカケラが「そこ」にあると錯覚して、魂の共振錯覚して、「そこ」にいる自分自身を応援しているということなのだと思う。

そう考えると、今のサッカー日本代表応援できないと言う人たちの理由もすっきりする。

彼らにとって、サッカー協会周辺のゴタゴタに左右されまくっているあのチームは、もはや"Their Team"であって、"My Team"とは感じられなくなっているのだろう。


かくいう僕も今のサッカー日本代表特に応援してないです。

セネガル代表のシセ監督めっちゃイケメンなので、彼の笑顔ガッツポーズがまた見たいなあ。

2018-06-22

ウイイレCMが眩しい

なんか、高校生サッカー部の、常につるんでる仲間がいっぱいいる感じとか、部室にあったキャプ翼読んで真似したのかな?ってゆう感じでツインシュートとかスカイラブハリケーンを真似したりとか、好きな子告白するのをみんなで見てたりとか、水飲み場バカやったりとか、部活サッカーやってんのにその後またウイイレやったりとか、帰宅部だった俺には眩しすぎて、もうね。なんでああいうのやらなかったんだろうって。

2018-06-19

嫌われて部活を辞めた話。

高校生の時、部活同級生から無視されるようになった。

高校入学したばかりの頃、毎日が楽しかった。関西でそこそこ有名な進学校に受かり、高等教育を受けなかった親が泣いて喜んでくれたことが誇らしかったのを覚えている。

部活小学校から続けてきたこともあり、サッカー部に迷わず入った。中々ハード高校部活にも少しずつ慣れ、試合にも出れるようになってきた秋頃からじわじわ部活同級生の態度が変わってきた。

部活が終わると皆で日課のように立ち寄っていたコンビニも、皆俺を置いていくようになった。急いで着替えて走って追いかけると例のコンビニの前に皆いて、少したむろして解散すると、いつも同じ電車で帰っていた同級生は俺と話そうともせず、スタスタと先に歩いて行ってしまうようになった。最初は話しかければ素っ気なくも会話があったが、気づいた時にはすっかりスルーをされるようになっていた。休み時間に話しかけても部活同級生は俺の言葉に反応をしなくなった。自分でもいよいよこれは無視されている、と気付いた。

この頃から世の中の景色が一変した。あれだけ毎日通うのが誇らしく、楽しかった校舎も見るだけで気分が沈むようになった。それでも通学の自転車時間は一瞬で過ぎ、家を出て次の瞬間には学校の前に着いているように感じることがよくあった。

同級生と会うのが怖くなり、学校休みがちになった。胃が痛くなったり、身体が鉛のように重くなった。

世の中には殴られたりカツアゲされたり、物を隠されたり、もっと卑劣いじめをされる人が沢山いることは知っているが、人からこんなにもあからさまに嫌われることが生まれて初めてで、辛かった。

なんとか部活に出た日は、それでも練習が終わるとひとりぼっちになるのが嫌で、真っ先に着替えて日課コンビニに置いていかれないようにもした。無視されることに変わりはなかったし、思考回路がもう萎縮していた。

もうこんな生活は続けられないと思い、小学校から続けていた大好きなサッカーを辞めようと思った。顧問部活を辞めたいと切り出すと、

「辞めたいなら主将自分で話せ」

と突き放された。

部活辞めてどうするんだ、どうせ髪染めて煙草でも吸うようになるんだろう」

と言われた。この時顧問は部内の1年生に何が起きているか、把握していなかった。

中々主将に切り出せず、1ヶ月経ってようやく辞めたい旨伝えることができた。この1ヶ月毎日「言わなきゃ」と頭に渦巻き、それでも言い出せず、意識朦朧としていた。

やっと主将に辞める意思を伝えた。

そのあと駆け足で顧問

主将に言いました、もういいですか」

と言った。顧問

「そうか、元気でな」

とあっけらかんとしていた。

この日から俺は帰宅部員になった。

体調は少しずつ回復し、学校でも違う方面友達と付き合うようになった。今まで怯えて過ごしていたことが嘘のように思えるようにまでなり、日常を一応は取り戻すことができた。

—*************

辛い思い出だが、何故こんな目に遭ったのか、20年近く経った今でも考えることがある。この件、自分に原因があったと思っている。

原因は、自分の話ばかりしていたこと。人の話に自分の話をすぐに被せていたこと。どんな話題にも返しは「俺はー」だったこと。これに尽きると思う。理由もなく嫌われた訳ではないのだ。高校1年生といえど面倒くさい奴と思われたのだろう。

しかし、集団無視はきつい。どうか嫌いな人にもそういう罰は与えないでほしい。一生のトラウマになってしまうこともある。俺が今もし部活で一緒だった彼らに道端で会ったら、間違いなく物陰に隠れると思う。

そして、理由は様々あれど、部活を辞めることは決して恥ではないと思う。長い人生部活辞めたことなんてほんの些細なことです。本当に些細なこと。

部活を辞めてしまった学生の皆さん、どうか負い目を感じずに興味の持てることを探したり、一生懸命勉強したりして楽しく過ごしてください。

2018-06-06

いじめられた記憶暴力衝動

原田マハさんの「生きるぼくら」を読み始めた。主人公は、高校いじめられて中退して引きこもりになった24歳。

その、いじめの話を読んでいると、自分中学時代に受けていたいじめを思い出して、気分が沈んで黒い気持ちになってきたので書き出してみることにした。

読んでも教訓はないし、得るものもないことだけ注記しておく。

自分は、地方市街地にある公立中学校に通っていた。そこで、クラスメイト2人からいじめられたのだった。

1人は、近所の、小学校からの遊び友達で、粗野な面もありつつ話も発想もおもしろく、遊びを発明したりとクラスの中心人物。もてていたと思う。スポーツ推薦で私立高校に進んだけれど怪我をして中退した。高校以降は部活試合などで数回しか会っていない。

ペーパーテストはできなかったけれど、いまでも、頭のよさや自信を尊敬している。中学校ではいっしょに登校していて、登校中にお菓子をわけてくれるのが楽しみだった。

もう1人は、サッカー部の肩幅の大きい人間愛嬌があっておもしろ人間だった。いじめ問題が解決した1年くらい後の出来事ではあるけれど、一番印象に残っているのは、家庭科性教育の班発表で避妊についてコンドームの実物をくばったりしたこと。そのときに彼が言っていた、コンドームは失敗する可能性も少なくないから、コンドームをつかってかつ外で射精することが重要、と言っていた教えはいまでも記憶にある。

彼らからは、直接打撃的ないじめを受けたわけではない。恐喝されたわけでもない。言葉ではなにか言われたかもしれないけれど、人格否定するほどではなかった気もする。「生きるぼくら」で主人公が受けていた体に見えないところに暴行されたり、母の弁当をぶちまけられたりというほどではない。

一番、くやしかったのは、羽交い絞めにされて学ランのズボンに、黒板消しをなすりつけられたこと、何度かあった気がする。柔道技をかけられて、力の差でなにもできなかったこともある。ほかのことはあまり記憶が明瞭ではない。

悔しさか悲しさか情けなさかで泣いていたのを覚えている。殺意めいたものも感じていたと思う。

いじめ自体は、親や先生が動いて、わりとすぐに収束した。今思うと、相手の家に乗り込んだ父はほんとすごかったし、母には心配をかけたし、先生相手と1対1で話し合いをしてくれてちゃんとしていた。

いじめがあったことがどう親や先生に伝わったかは、そのころまったく気にできなかった。自分が30歳近くになったころ、母が地元印鑑屋さんで自分実印をつくってくれたのだけれど、そこの印鑑屋の息子が自分同級生で、先生いじめが起きていることを伝えてくれたということを聞いた。そのころは自分の殻に閉じこもっていたのか、彼の名前や顔も思い出せなくて、申し訳なく思っている。ほんとうに感謝しています地元に住むことはなさそうだけれど友だちになりたい。

いま、冷静に考えると、いじめ自体もなよなよしていて腹立たしい自分に対するちょっかいエスカレートしたもので悪意はなく(だからこそいじめはやっかいではある)、自分人格確立されていれば言葉で跳ね返せた、とは思うのだけれど、難しい。積極的に近寄りたいとは思わないけれど、恨んではいないし、いまならあの頃はいろいろあったね、と話ができる気もする。たぶんだけれど、2人とも、このあとはいじめを止める側に回っている気がする。

そして、冒頭で黒い気持ちになったというのは、いじめられたことそのものではなく、いまもサッカー部の彼に対して抱いてしま暴力衝動

ももシャープペンを突き刺して、二度とサッカーできないようにするところを想像したり。事故とみせかけて階段でもたれこんで突き落とすのを考えてしまったりしてしまう。いじめられた当時から同じことを考えていたのか、そのあと繰り返し想像して強くなっているのかは混同してわからないけれど、10年たった今でも、いじめを想起するたびにこれらの暴力的な衝動イメージしてしまう。そして、そうすることで心を慰めてしまっている自分発見して暗い気分になる。いつか克服できるだろうか。

でも、もうすこしいじめが続いていたら、そういう想像を実現させていたと思う。そして、相手自分破滅していただろう。

行動に移すまえに、いじめを止めてくれた親や先生名前も忘れた友人に感謝している。いじめ相手には複雑な気持ちを持っているけれど、どこかで幸せ生活していてほしい。自分はこれからもその衝動を抱いて生きるだろうけれど、行動には移さないと思う。

2018-05-26

野球部サッカー部日大問題についてどう考えているのか

野球には、わざとデッドボールを投げる行為はある、

それに対する報復行為もある。

サッカーなら『削りに行く』なんてしょっちゅうだ。

こうした行為俎上に載せられないのはなぜなんだ?

普通な類似ケースとして話題になってもよいはずなのに。

お前ら、都合よく口をつぐむなよ。

2018-05-24

中学の時のサッカー部顧問先生が、日体大日本体育大学)のアメフト部だったらしいが、

練習自体も厳しかったみたいだね...。

練習中に具合悪くなる人続出だったみたい。

やっぱ、防具着て関取並みの男がダッシュを何回も繰り返すのって身体に良く成さそう。。

2018-05-19

体育会系 部活別のタイプ(個人偏見)

野球部

・おしゃれといえば細眉

私服は意外とおしゃれ

上下関係が厳しい

じゃがいも

・3年夏の大会が終わってから髪を伸ばすも似合わない

サッカー部

元祖ウェイ系

・チャラい

短足で足が太くがに股

バスケ部

・のっぺりした顔

長身でもわりと俊敏

・いいヤツが多い

卓球部

・昔は陰キャ巣窟

・他の部活の奴に授業の卓球で負ける

・短パン(笑)

柔道部

早弁

anond:20180519093657

そうは言ってもね、野球部ジャガイモ頭とか、サッカー部のカッコつけ不細工男とか、今まで体育会系まともな男を見たことが無いんだよね。

2018-05-18

anond:20180518185815

そりゃ、大学側で記録してるものメディアリークしたら、喧嘩売ってるようなもんだから事実否定しない限り出さないだろ。

俺は大学サッカー部だったが公式戦は全部記録とってたぞ。というか、現代スポーツでは分析のために必須だろ。アメフトってそんなお遊びレベルスポーツなんか。

2018-05-16

anond:20180516152105

バスケ部ってそんな社会に嫌われてるイメージあるのか?

サッカー部に比べればカーストが低いから云々とか言ってた人は見た事あるけどオタクと比べれば小さな事なような

2018-05-14

オタクパブリックエネミー認定されやすいわけ

民進党候補者である青地まみ氏の「パブリックエネミー」騒動について、少々遅くなってしまったが、少しこの問題に便乗して自分の思うところを色々書いてみたい。

まず「パブリックエネミー」という言葉であるが、前都議選民進党から出馬して落選した青地まみ氏が「オタクパブリックエネミーとして認定したい」という内容のツイッターを書いたことで、ここ数日ほど炎上したらしい。青地氏が民進党から立候補して落選した経緯から民進党立憲民主党にも批判の矛先が向けられているとのこと。

パブリックエネミーとは、公的な敵だと社会全体で認定する行為である

炎上自体に関しては、日本野党らしくありふれた光景であり、特に目新しさはない。リベラル価値観を共有しているはずの人間が、オタク全般のことを「萌え豚」という蔑称で書いたらしく、そのオタク社会の敵認定してやりたいという趣旨ツイートをした。

まあ日本リベラルは、口では平和人権だと高潔思想を掲げていても、実際は偽リベラルレイシストに過ぎないといういつもの平常運転です、本当にありがとうございましたというだけの話。

本題はここからであるが、なぜオタク全般は、社会から特に女性たちから)目の敵にされやすいのだろうか、ということ。パブリックエネミー認定とは「公的な敵」とみなすということであり、上記青地氏には多数の批判も集中したが、青地氏を擁護するツイートも多かったとのこと。

賛否両論があるにせよ、オタク存在を忌々しく思っている一定数の人間が世の中には明確に存在しているということでもあるよね。

オタク社会から嫌われやす属性集団だと思われやすいのは、やはり犯罪集団みたいなものだと思われているからだろうか。確かに宮崎勤事件などオタクの中で重大犯罪を犯した一部の人間がいることも事実であるし、それは受け止めるべきだろう。

しかし、社会全体でみた場合オタク性犯罪を犯しやす属性ではないはずである。一番性犯罪を犯しやすいのは、オタクとは正反対野球部サッカー部などの運動系人間ではないのか。

例えば福田事務次官TOKIO山口元メンバー女性問題で辞任した米山新潟県知事三者オタクとは正反対人種である

それでもオタク全般性犯罪者予備軍として扱われてしまう一番の理由は、オタクが扱っている創作物の性表現ストレートすぎるからではないか

美人可愛い女だけしか出てこなくて、ブスな女はオタク世界から排除されているのは、テレビ映画などのメインストリーム文化共通であるが、やっぱり表現ストレート過ぎるのである

から女性たち(特にリベラル女性たち)に敵視されやすい素地がある。

今の社会は、女性たちから敵視されると社会生命を失いやすい状況になっている。私達は知らずのうちに、そんな社会の中を生きている。

特に、この20年間の間にセクハラコンプラ法整備などは進んだ。それ時代社会が良くなることでもあるから歓迎すべきだろう。

全般痴漢予備軍だと見なす女性専用車両や、女性の申告によるセクハラ認定されやすことなど、思いつこうと思えばいくらでも思いつく。

そんな社会風潮という根拠があるからこそ、オタク全般を「パブリックエネミー」に認定しようという政治的主張も生まれしまうのではないか

オタク女性の敵だから社会の敵認定したい」ともっともらしい事を言っているけど、それはナチスドイツボリシェビキユダヤ人虐殺と同じ構図だからね。

2018-05-08

運動したら、世界が明るくなったけど

40手前。夜勤のある専門職

から運動はそんなに得意じゃないタイプで、とにかく学校の体育は嫌いだった。

サッカー部野球部のイケている方々に、何となく、うっすらとバカにされ続けているような被害関係念慮を抱えながら過ごした学生時代は、ずっと僕のモヤモヤの種火として燻っていた。

そんな僕が、半年からキックボクシングを始めた。

ボクササイズというよりは、ワリとゴリゴリやる感じ。

選んだスポーツ特性もあるんだろうけど、心拍数が急激にアップダウンするためなのか、これがとにかく、とても楽しいスカッとする。

やたらと自己肯定感が上がる感じがある。

達成感というか、

「僕は頑張っている!」

「僕は頑張れる!」

「頑張れる僕はエライ!」

エライ僕は頑張れる!」

と好循環がヤバい

週二回通い始めてから意識も変わった。

しかった。

ただ、それと同時に、この湧き上がる身体感覚精神状態を感じながら、確かに、少しだけ「運動をしていない人をバカにしたいような気持ちも少しだけわかってしまった自分」にさっき気がついてしまった。

ギョッとした。

このままでは、僕はあいつらみたいになってしまうのか。

怖い。


から瞑想もセットなのかな。

瞑想オススメの本でも教えてもらおうかしら。

2018-03-26

anond:20180326025146

改めて返答感謝純粋に話ができて楽しいですw

あるとすれば人の数だけ死後の世界はある。

こんな教義宗教はないけど。

コレ実は、矛盾しない余地もあると思います

生物学者のユクスキュルが提唱した『環世界』という概念をご存知でしょうか?

同じ空間認識していても、その認識者の認識機能差異によって、脳や心に創り上げられる世界千差万別で、

同じ空間認識し・生きながらにして、全く異なる世界認識し・生きているという考え方です。

まり言ってしまえばこの現世だって、人の数だけ異なる世界があるのです。

まして恐らく、あの世では現世の五感とは異なる認識機能によって観測するのだろうから、現世以上に環世界差異が大きい可能性も大。

加えて、教祖あの世観測した世界教義に記す能力と、教祖あの世世界複数あることを観測する能力はまた別ですから

例えば「あの世には野球部があったぞー!」という教義真実でも、その教義に従っていれば将来その野球部に入部できるのは真実だとしても、

あの世には野球部以外にサッカー部もあるという事実認識できたか…というのはまた別の話で、だからと言って野球部教義は嘘にはならない。

私は科学教の信徒(ともいえる)なので、ここは「ない」と断言しちゃう

この認識ならば一切口を挟む余地はないです。

実際以上に科学で判明している事を過大評価した科学事実云々ではなく、科学技術信仰のような人の信仰自体自由ですので。

この世に影響を与えてないものが、人の魂(コア)を動かす、ってところ。

これも矛盾しない余地はあると思います

先の環世界的な話でもあるのだけれど、例えば、人の認識機能3次元な訳ですが、超弦理論などでは実際には10次元だそうです。

そして、蟻の認識機能はこのうち2次元だけとも評されるように、人間認識機能もこのうち3次元だけで、

(嘘か真か、盲目数学である者ポントリャーギンは「5次元図形を視覚的に思い浮かべることができた」なんて話もありますし)

実はあの世というのはこの世の4次元目以降にすぐそこに存在し、別に魂が動かされるとかそんな大層な話ではなく、

脳による認識機能が失われて初めて認識できる環世界あの世があると考えれば、何も矛盾しないのではないのでしょうか。

それこそ、その認識機能が特異的に鋭敏な人がいたら、その人が教祖としてそうやって微かに観測できた世界教義に残した…

なんて仮定すれば、先の複数ある死後の世界を一つと錯覚した件も含めて、諸々矛盾しないことになると思います

…因みに言うまでもないとは思いますが、私も個人的宗教観などは貴方に近いです。が、ここはあくま論理的思考実験としての話ですのでw

要は「死後の世界宗教教義簡単否定できる程の認識能力材料を私達は持ち合わせているのか」って話です。

では、その時喋った私は一体誰なんでしょうか?

面白いですね。凄く興味深いですね。

ただ、麻酔は確か飛行機の飛行原理と同じく、科学的にはその原理が解明されていない事柄ですから、断定的なことはやっぱり不明でしょうね。

単純に済ますのであれば記憶を失った酔っぱらいと同じ状態なのかもしれません。

もしあえて漱石枕流っぽくロマンを追求するならば、擬似的に脳(の電気信号)を失ったことにより、

先の4次元目以降の世界観測干渉できていた…かもしれないこともあるかもしれないw

2018-03-25

anond:20180325013455

なるほど!お付き合い頂き感謝

なぜ違うかというと、どっちかは地獄に落ちるべきと思って戦ってるから、同じとこに行くのはおかしい。

これは確かにその通りだね。

ただし、あくまで「天国的なもの」と「地獄的なもの」の矛盾であって、「あの世」そのもの矛盾ではないかな。

加えて、死後の世界大学サークルみたいに、その魂の在り方に合わせて多様な天国地獄集合体みたいなものがある

…と考えれば、一概に矛盾してるとも言えないかな。

野球の方が面白いだろ!」と「サッカーの方が面白いだろ!」という人達が激突しても、

その後それぞれ野球部とサッカー部に入れば万事解決的な。

やっぱり脳が消えたら消えたままになるとおもう。

そうだね。ぶっちゃけ個人的にもその可能性の方が高いとは思う。

でも、断言はできない。科学的には「わからない」が正解で、「ない」と断言するのは「ある」と断言する信仰と同レベルだとも思う。

この世に影響を及ぼさなものが、どうしてこの世に関与できるんだろう?ここで矛盾する。

ここはもうちょっと解説をお願いしたい。

例えば、天体望遠鏡観測できる遥か彼方のアンドロメダ銀河とかは、地球からはとても関与・影響はできないけれど、

人間認識メカニズムや現状の科学が確かならば、確かに存在はすると考えられている訳だよね?

この世に関与や影響がないことに何の問題が?関与できない世界のことが何故教義として残っているのかっていう矛盾

それに、死後のこの世のことなんて後世の生者に任せれば別にそれで良いのでは?

「金を残すは下、名を残すは中、人を残すは上」なんて言うし、それこそ後世に託すのが人生の目的考える人だっている。

2018-03-20

動物いじめ

高校友達八木くんという活発な男の子がいました。

サッカー部レギュラーだったが、

八木って名前だけで、いつも紙を食べさせられていました。

いつも明るい八木くんは、

無理やり紙をたべさせられても

うめぇーーー」といって、みんなを笑わせていました。

その高校も3年になり、クラスグループごとに卒業アルバム

写真を撮ることになりました。

八木くんといっしょだったグループは当然のように

つん這いになった八木くんにテスト答案用紙を食べさせているところを

撮ってもらおうとしたが、八木くんが突然

「なんで、オレが紙をくわなきゃいけねーんだよ!!」とマジギレしました。

事態が飲み込めないクラスのみんなはぽかーんとしていました。

みんなは「だってお前八木だろ?いつものように紙を食べろよ!?

と思いました。

「いつもいつも紙をくわさせやがって!!ふざけるな」

八木くんはどんどん怒りを増幅して、さらに怒りました。そしてどこかへ消えました。

みんなは、ようやく「ああ、八木くんは紙を食べるのは嫌だったんだ」と気が付きました。

仕方がないので、みんなは八木くん以外で写真を撮りました。

まだ、八木くんは帰ってこないので、探しました。

しばらく探すと、八木くんは屋上のフチに立っていました。

誰かが「やっぱりあいつはヤギだったんだじゃーねか」とふざけて言いました。

周りは失笑していました。先生も笑っていました。

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