はてなキーワード: 紙一重とは
https://twitter.com/dokurobehe/status/1377809012939313152
オンラインサロンの主催者が「大学やめろ」「会社やめろ」って言うの、端的に言って周囲とのつながりを絶たせて外界から孤立させるカルトの手段と同じですからな。
起業だイノベーションだも、結局は熱意だとか思いだとか欲望みたいに煽り、それでいて金も時間も余裕がなくなるという他人が騙してはめ込める状況と紙一重。
弱い人間だから食い物にできる。そして、どんどん食い物にされる状況になっていき、挙句の果てには「まず起業を考える」という段階で、起業オンラインサロンが騙してはめ込んで餌にする状況にまでなりましたかー。
大学やめろ、会社やめろってのはまあ、昔から言われてた。だけど起業オンラインサロンとしてでかい塊になったから可視化されたとも言えるかね。
あのさー
つまらなくなった途端のタイミングって言うのは運営がマネタイズが上手くいった証拠でもあるから
面白くなくなったSNSは儲かってるんだなぁーってつくづく思うわ。
ツイッターももはやどうでも良いことをどうでも良くつぶやいている方の人が少なくなってきているのかも知れないわね。
五万人ぐらいいると思うわ。
キャンプはあんまり行きたくないけどランプとかナイフとかのキャンプギアは欲しい!焚き火はしてみたい!みたいなことよね。
家庭用コンロじゃなくても、
もう普通にキャンプカレーを家で作ったらキャンプ気分なのかしらって思うし、
事務所のフロアのちょっと広いところでテント張ったっていいんじゃない?ってそこでお昼休み流しそうめんでもしたら
もうキャンプ気分よ!
家に居ながらの巣ごもりで
キャンプしたい欲を満たしてくれるかがってことも重要なのかも知れないわね。
だから
そうは言ってないわよね。
山に登って淹れるコーヒーが頂上で飲むと美味しいように
キャンプ地には行きたいけど寝るのは車の中でいいわ!ってことなのかしら。
結局は一緒なのよ。
キャンプに行ってテントの中では結局はノートパソコン開いてインターネッツを見ているから
あの大容量モバイルバッテリーがめちゃくちゃ売れてるって言うのも一理ありまくりだわ。
なるほどねーって思っちゃった。
それと、
的に手斧投げるアックススローイングが超流行ることを今ゆっとくわ!
リアルに手斧投げて的の丸太にすこーんって気持ちよく刺さって止まったら快感よね!
黄砂でぼんやり青空じゃない霞んだ感じを正に一刀両断したいものね。
うふふ。
パッと見はソーダ水に見えるけど甘くない炭酸水レモンウォーラーです。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
大学で一目惚れした人に我ながら異常なくらいアタックした結果、恋人ができた
一目惚れだったわりに内面の相性がよくて、そのまま現在まで続いている
もし破局したら、たぶん恋愛はもういいやという感じになる 彼女以上に気が合う人は現れない気がするので、その彼女と別れるんなら誰と付き合ったって詮ない
顔は相当キモく、矮躯で、内気で、反社会的で、インドア派で、あがり症で、とにかく魅力に欠ける カスと言っていい
しかし、彼女と出会えて、かつ良い感じに付き合うところまで行けたおかげで、現在恋愛に関しては勝っていると言っていい側にいる
大学で偶然入ったサークルに彼女がいなかったら俺はたぶん一生彼女ナシ人間だった
白饅頭とかすももとか、そういうのにハマってガチインセル化していた可能性もかなりある
いま彼女がいるから俺は余裕を持ってられるだけで、運がちょっと悪かったらド非モテの完全孤独人間だった
彼らだってそんな頻繁に会う感じの仲じゃない
直近でプライベートで会ってるというか話してる人間、マジで彼女しかいねえ
恐ろしすぎるよ
厄介な患者に思われるだろうか?とびくびくしながらも精神科医なら慣れているだろうと(自己判断ではあるけれど)ストレスに直面した際の一時的な不調だと思うこと、ただ、うつ病の既往があるからこそ「一時的」のうちにかかりつけ医を見つけておきたかったこと、夜勤がある関係で規則正しい服薬は難しいこと、ADHDの診断歴もあるけれど、コンサータを服薬をしていた当時は効果が感じられなかったし、現状、なにをしなくても不自由なく生活できているから、これに関しては治療を希望しないこと。それらを初診で話した。カウンセラーに対しては、初回、とにかく吐き出したいのでまずはうんうんと聴いてもらう形でも大丈夫でしょうかと厚かましいお願いをした。
精神科医、カウンセラーはプロであるから、素人たる患者にあれこれと言われていい気持ちはしないかもしれない。(これも素人の勝手な想像なのだけれど)とくに精神科領域は患者の要望に応えることと患者に振り回されることは紙一重で難しいだろうという思いもある。ただ、今回は要望のすべてを快く了承してくださったこと。その上でそれぞれがアプローチをしてくださったことがほんとうに心強かった。
結局、三回で終診した。一ヶ月半である。受診をしなかったとしてもそれだけの期間があれば持ち直せていたに違いない、そうは思うけれど、今後、困ったことがあればあのクリニックを頼ればいいのだと感じられることはありがたいなあ。
台湾の国家機関による擬人化された疫病キャラクターが魅惑の悪役すぎると話題に
https://karapaia.com/archives/52299471.html
なぜなのか……
あれだけ宇崎ちゃんの時にあれこれ理屈をひりだしてきたけど、同じ理屈を一貫できないネトフェミはマジで説得力というものを胎内に置き忘れてきたのかな?
・ 日本でやったら「こういう格好している人は病気なのか!」って燃えるよ。間違いない。
・日本でやったらぜったいに叩く人が出てくると思う
・同じ絵に「日本製」「台湾製」「中国製」のラベルを付けて反応を見たくなった
2020M-1チャンピオンの二人がどちらもだいしゅき結婚したい
ツッコミの方がSNSで女の子ファンからすきすきアピールされて
ツッコミが「渡しにこい」と煽ったら
実際にマンションの近くまで来たらしい
ツッコミのマンションはテレビにも取材で映ったことあるし、特定しようと思えば特定できるんだろうな
牛乳少年のツッコミもファンと付き合ってる?結婚してる?らしいし
自分の好きな芸能人にすきすきアピール直接できるのうらやましい
認知されたりとか
自分はファンレター送るくらいで、認知されるほどの追っかけする時間もないし
地下アイドルとかに必死にアピールしてチェキとか撮ってる女の子みれば痛々しいなんて思っちゃう私だが
やっぱ牛乳少年みたいな芸人とファンの両思いの関係性はうらやましいわー
わたしはわたしで結婚しててラブラブな旦那がいるし子どもだって産んでるんだけど
普通のシスヘテロ男性なら16歳くらいの女性に欲情するのって当たり前のことなんですよ。
だから「犯罪者予備軍は身近にいる」と思ってもっと警戒した方がいい。
逆に、大体13歳以下の、初潮前の女性に欲情するペドフィリアは「普通じゃない」んですよ。
「普通じゃない」ということは、つまりマイノリティということで、だからこそ差別を受けやすい属性でもある。
18~歳の実在女性に欲情するのは~18歳の実在女性に欲情することと紙一重なのに、被害者のいない小児型ラブドールを叩く人達はそちらを問題視しない。
対人性愛、対人セックスそのものが内包する罪から目をそらして、「私はやましいことをしていない」とエクスキューズするためにペドフィリアを仮想敵に仕立て上げようとしている動きには、もっと警戒しなければいけない。
これはもう普段の思考や解釈の違いのようなものだとも思うのですが、結局「フィクションのどうしようもない無力さ」とは紙一重なのだと思います。
「フィクションは所詮虚構、でもそれを見たり作ることで救われることはできる」といいますか。
イングロリアス・バスターズのラストでは、ユダヤ系の観客はそろって歓声を上げたそうです。
ユダヤ系の人に起きた悲劇や失われた命は何も変わらないけど、でもそれによって救われる気持ちというのはあります。
そこに何か意味を見出すか、所詮は作り物だと冷めてしまうかの違いだと思います。
ただ、作り手というのはそこに意味を感じない限り、作品を作らないと思います。
日常でも、「この人と話しても何も意味ないな」と感じたら、会話をやめるのではないでしょうか。(一応断っておくと、このやり取りの事ではないです)
最後のifの意味が読み解けないとおっしゃいますが、例えばあなたの好きな、悲しい経緯で亡くなってしまった俳優やアーティストがその不幸な運命を避ける、という物語に置き換えて考えても、やはり感覚はわからないでしょうか。
シャロン・テートという女優は、タランティーノや一部の映画ファンにとって、そういう象徴になりうる存在なのです。
なぜそこに感動するのか、ということの説明は難しいですね。
亡くなった人へ贈る追悼文では、その人の生きていたころの思い出を語り、まだ生きていたらどれほど良かったかということを綴ります。
ワンス~は映画・物語という方法で追悼の思いを伝えている、という説明が近いかもしれません。
だからこそ、ラストでは主人公とシャロン・テートが同じ画面に映らないことが美しいのだと感じます。
※ちなみに、タランティーノはテクニックや過激な描写がよく話題になりますが、意外と根は真面目、話自体も実は倫理的という指摘があります。
ストーリーの複雑な時制も解きほぐすと因果がストレートだったりします。
石破 茂 です。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
昨日、一都三県を対象とした緊急事態が再宣言され、昨日発表された東京の感染者も過去最多の2447人となりました。
感染者の増加は確かに重大事ではありますが、冬になって空気中の水分が減って飛沫が遠くまで飛びやすくなるのは当然のことですし、寒冷地では換気の機会も減少することも考えられます。PCR検査数の増加によって陽性者が増えるのもまた当然のことです。
かくなる上は、感染者数ばかりに注目することなく、限界ある国家資源や医療資源を、重症者と死亡者を減少させることに重点化して配分すべきなのではないでしょうか。
「どうすれば重症化・重篤化しないか、どうすれば死に至らないかが重要であり、対策も情報発信も、このことを重視すべき」と昨年の感染初期よりテレビなどでも何度か申し上げてきたのですが、なかなかそうはなりません。
医療関係者の献身的な努力によって、アビガン、レムデシベル、ヘパリン、デキサメトゾンなどの薬、人工呼吸器類(ネーザルハイフローやECMOなど)、普及率世界一のCTなど(この多くを今回初めて知りました)を用いた治療法も随分と進歩し、救命率もかなり上がっているはずなのですが、そのような報道もあまり聞くことがありません。漠然とした感染者数よりも、基礎疾患を持つ方や70代、80代、90代の高齢の方の罹患率、感染者数と死亡者数の正確な分析などの方が知りたいと思うのは私だけでしょうか。
日本人が欧米に比べて人口当たりの感染者数や死亡者数が極めて低いのも、同じ都道府県内でも市区町村によって状況が全く異なることにも必ず理由があるはずで、その科学的な分析が進められれば、もっと精緻な政策が打てるのではないでしょうか。
生活習慣の相違、国民皆保険制度の存在、極端な格差社会ではなく分厚い中間層が存在していることは決定的に重要な要素であり、この持続可能性を維持できるかが最大の課題です。
諸外国、特にスウェーデンの対応についても様々な論評がありますし、同政府のコメントも承知していますが、この国において「『寝たきり老人』(とても嫌いな語感です)が居ない」ということとも関連性がある宗教観や死生観の問題が、改めて問われているように思われてなりません。
日本特有の同調圧力とゼロリスク志向の強さも改めて感じています。「自粛警察」などという不可思議至極な活動は、今のところなりを潜めているようですが、戦争中の「パーマネントはやめませう」「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」などという「愛国的な」活動が想起されて、とても嫌な思いが致しました。ヘルスリテラシーの低さについても、自らを省みて、これもまた然りと思います。
日本においては大勢の世論(「空気」)に抗って異論を差し挟むことは忌み嫌われますが、政治は世論に迎合しすぎてポピュリズムに堕してはいけない、よく自重自戒せねばならないと思っております。
失業率が1%上がると自殺者が1,000人から2,000人増えると言われていますが、ここ数か月の自殺者の増加、特に女性の割合の増加はとても気がかりです。また、病院にあまり行きたくない、ということで、がんの定期健診の受診数も大幅に下がっています。
風邪やインフルエンザが「根絶」されることがないように、新型コロナウイルスも「根絶」される、ということはないでしょう。ただし治療法が広く共有され、重篤化を防ぐことができ、ワクチンが広く行きわたり、感染拡大が収束した時に、自殺者が激増し、がんによる死亡者が大幅に増えてしまったとすれば、それは「人類がコロナに打ち勝った」証とは言えないのだと思います。
政権は厳しい状況の中であらゆる方面からの批判に晒されながらも可能な限りの対応をしているのであり、我々は少しでも国民の支持と理解が得られるように努めなくてはなりません。
昨日のアメリカ議会へのトランプ支持者の乱入と死傷者発生の事態について、トランプ大統領に責任がないとはとても言えない状況でした。選挙結果について異議を唱えるだけならともかくも、支持者に対して議会への乱入を扇動するようなスピーチなどは、民主主義の実力行使による否定と紙一重であり、見たくもない光景でした。
トランプ大統領が就任した時、「言を左右して相手を困惑させ、自分にとって最も有利な取引を仕掛ける『サスペンスとディールの大統領』となるのではないか」と申し上げたと記憶していますが、まさにその通りの4年間であったと思います。大統領当選時の勢いをもって議会選挙を経た結果、共和党も明らかに変質を遂げました。昨年の大統領選挙でトランプ氏に投票した米国有権者は7380万人、この人々が更に先鋭化するのかも全く見通しは立ちません。
自由を建国の精神とするイデオロギー国家、国民の8割が神の存在を信じ、4割が毎週日曜に教会に通う宗教国家、アメリカ国民という意味での民族国家、こういったアメリカの本質はバイデン政権になっても変わることはありません。そうであれば、それぞれの自画像、理想像、基本的な価値観が対立する米中の軋轢は今後一層激しくなり、日本はより一層厳しい選択を迫られることになります。安全保障についての法体系も、装備も、運用も、アメリカ依存から脱却し根本から見直すべきだと思いますし、今までのような問題先送りでは国益を損じると考えます。
それでもなお、同盟国である米国が新政権によってその美点である復元力を発揮し、アメリカ民主主義の理想に立ち戻ることを心より期待しています。
年末年始、生来の怠惰さに加え、雑事に追われて勉強らしい勉強も出来なかったのですが、中川恵一准教授(東大附属病院)の「コロナとがん」(海竜社)、小林よしのり氏の「コロナ論」(扶桑社)、橋爪大三郎氏の「中国VSアメリカ」、同氏の大澤真幸氏との対談「アメリカ」(共に河出新書)、加藤陽子氏の「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫)、は極めて示唆に富む大変に興味深いものでした。
合間に久々に再読した、没後50年となる三島由紀夫の短編・中編(新潮文庫)の文章の独特の華麗さにも魅了されたことでした。
週末の日本列島はまた寒波の襲来に見舞われそうです。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。
水色と赤色のファンキーな色合いをしたサソリがペットショップかどこかで売られていた
たぶんヤドクガエルをモデルにしていて、小さいけれど毒はとても強いという設定らしかった
夢の中の俺はなぜかそのサソリ(ヤドクサソリとでも呼ぶべきか)を買って帰った 普段は収納されている針を見てみたいとか、そういう動機だったと思う
そして何でかわからんが床に放ち、布団?タオル?で胴体部分を押さえつけた 両手を広げて布団にテンションをかけることで手の真ん中にいるサソリが押さえられる形だ 針の部分は外に出ている
しかしうまく押さえられず、サソリがじりじりと動き出した このままでは完全に自由になってしまう そうなると勝ち目がない
焦った俺はサソリの胴体部分を手で押さえた
当然針が直撃する位置だ
針がゆっくり近づいてくる
痛さではなく熱さのような感覚が手に走るが、針はまだ刺さっていない 恐怖のあまり刺されていないのに感覚がおかしくなっているらしい
針はすっかり露出して肌に触れている もう紙一重だ やばいやばいやばい!
……そして目が覚めた
刺されなくてよかった……
そのとおりなのだと思いますが、もうちょっと踏み込んでみるとブロックされるほうはそういう気持ちを持っているということには理解が及ばないものかと考える次第です
これまでの一連眺めていただけるとおわかりでしょうが、無差別ブロックしてるほうが危険が及ぶ確率が高まるような気はします
見たくない面識のないアカウントをブロックする→見なくて済む(ブロックしているほう)
ある日面識のないアカウントから突然ブロックされてることを知る→もにょる(ブロックされてるほう)
この流れですが、「あたおか」らしいブロックされてるほうが「あたおか」らしい行動をするきっかけにはなりやすいんじゃないかなと思うのですよ
ある日面識のないアカウントから突然ブロックされてることを知る→もにょる
から、
もにょる→泣き寝入る
もにょる→ブチ切れる
ってのは紙一重だよなと
よりブチ切れるひとを煽る行為にしかならないような気はするんですよね
実際にどれだけそういうことが起こってるのかわかりませんが
「やろうと思えば」(やってませんが)どれだけでも行動に移すことができるじゃないですか(やってませんよ)
実際にどれだけそういうことが起こっているのかわかりませんが(やってませんよ)(やってませんよ)
ブロック→通報がメインの仕事のアカウントに「それ」をする気は起こりませんが、「あたおか」だからとブロックする人はブロックされる側からも「あたおか」と思われてる可能性は高いから。
ただ、たとえばツイートがバズっててちゃんとした内容をツイートしてそうだと思うものがブロックされているから読めないと思うともにょるの先を考えるのも仕方ないじゃないですか
それが今回の書き込みです