「私生活」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 私生活とは

2024-03-14

楽しいメンヘラ夢日記

子供ができたか責任取ってくださいと手紙が届く

 

全然心当たりがないので、断ってやる気満々であってみたら、

通院している病院看護師さんだった

 

そこで思い出したが、初診の時に襲われてなし崩し的に関係持ったんだったわ

 

でも私生活保護だぜ?

 

養ってやるぜ!→素敵!抱いて!→結婚

 

子供が産まれてたその日にせがまれ病院中田氏セエエエエエエエエエエエ

 

1年後、専業主婦として順調に成長し「人生勝ち組だなぁ」としみじみ。

 

しかし、このタイミングで嫁が患者つまみ食い常習犯であり、

私を襲ったのと同じ時期に複数患者関係を持っていたことを知る

なんなら結婚後も同じことをしていた

 

一人目も二人目も、本当は誰の子がさっぱり分からない!

子供可愛いし、とても懐いてくれて、よく言うことを聞いてくれるいい子に育っているけど、

それが誰の子が分からないことで精神崩壊する

DNA鑑定は嫁に抵抗されたし、養う-養われている関係なので反抗もできない

 

人生詰んだ

 

ここで目が覚める

泣いていた

 

涙は出ているのに、ちんちんバキバキ勃起していた

30代になって久しくなかった朝勃ちだが、こんな夢で朝勃ちなぞしとうなかったし、

激鬱な夢で興奮してしまたことに鬱になって再就寝もできず今に至る

 

今日も頑張って生きよう…

2024-03-13

anond:20240313145658

モテるのにマチアプを使う理由は、職場恋愛をしたくない、というかもう職場は何件かやってて社内結婚なんてしたら色々終わってしまうので手詰まりなのと、

私生活趣味で忙しいんで出会う機会もなく、正直現状に不満があるようでないから、まぁ良い人がいればいいなぐらいの気力だからですね。

2024-03-11

vrchatを2年プレイしてお砂糖人間関係について思うこと

砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別位置なのか議論されることがありますしかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲渡ります。それでは、この微妙関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。

『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」

[補説] 2013年10月実施した「あなた言葉辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』

goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/

"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉表現されますが、その深さや距離感に違いがあります

互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分内面理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見自由に交換できる関係を指します。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的問題を共有することは少ないかもしれません。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます

「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定コンテンツゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティ所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。

私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋趣味を楽しむ相手としての友達です。

これが悪いというわけではありません。むしろインターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。

ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられますリアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人である恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。

それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人しかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全人間関係を築く上で全く適切ではありません。

それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います

奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます

人々が他人欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団非難することは、不寛容社会を反映しています完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています

カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たち他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準適用してしまっているのです。

しかし、人間完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。

自分距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います

人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たち完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っていますしかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります

嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています

まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。

人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います

ですが、現実はそう甘くはありません。

SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。

このような状況は、人間関係価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係問題が生じたとき解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要過程です。簡単関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。

私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的不快感問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバース時代においても変わらない人間関係本質であると言えるでしょう。

anond:20240311164233

容姿清潔感を磨くわけだから女と大して変わらんよ

ジム通うとか痩せるとか髪型変えるとかじゃないの

かっこよくなるぞ!でボイトレとかカメラ始めちゃってんのはなんか致命的にズレてるね

私生活全部冴えてなさそう

2024-03-08

外国人は謝らない」みたいな話をよく聞くけど、日本人も過ちや欠点を認めたら負けと思っている節あるよね。私生活ではなく、社会的レベルで。日本男尊女卑なんてありとあらゆるデータに出ているのに、なんとか捻じ曲げて逆転させようとする高齢男性の多さよ。何がなんでも絶対直視しようとしない。

2024-03-02

絵師経験に学び、賢絵師歴史に学ぶ

自動車発明陸上競技消滅たか

かつて声優商品は声「だけ」だった。

声優ビジュアルが求められるようになり、SNS私生活小出しにするまでが商材になり市場は拡大した。

我々が砲丸投げに期待しているのは飛距離の結果ではない。

そんなもの機械で打ち出せば何百メートルでも何キロでも飛ばせる

人々は競技者に付随するロマン文脈ストーリー価値を見出す

 

こんなもん歴史が繰り返してきた当たり前の社会の変化なんだよ

適応できた奴が生き残る

 

絵師成果物の技工で、その中ですべてを表現し、そこに価値がある

資本主義にそんな矜持通用せんよ

うまい飯が食いたけりゃ知恵を絞れ

デジタル時代アート生き残り策

 

少なくとも上手に絵が描けるだけではもはや無価値だ、諦めろ

 

絵師の相当数が不要になる、さっさと転職するか、知恵を絞った生き残り策に掛けるか

 

でもこれお前らにだけ降りかかった不幸じゃねぇよ

 

かつて必ず街に1軒あった畳屋とガラス屋は駆逐された

港には大量の港湾労働者が働いていたが、コンテナICT発明駆逐された

 

業界の変化と斜陽を指くわえて眺めるだけでは愚痴愚痴駆逐される

 

法規制しろ、変化を止めろ、

自動車発明でも馬車主がそう声を上げた、が

無駄

2024-03-01

私生活友達の知り合いとかでユダヤ人を紹介されたら無視しようと思っていたがそんな機会はなかった

 

2024-02-26

俳優情報のせいで映像に入り込めない

めちゃくちゃ悪い役だけど私生活ては良いパパなんだよな、とか。

一途な役だけどこの前まで不倫してたんだよな、とか。

清純派だけどこの後バツ2になるんだよな、とか。

元気な役だけどこの時から鬱病になったんだよな、とか。

礼儀正しい役だけどインタビューでは凄い不機嫌だったよな、とか。

まれも育ちも都会の役だけど実際は九州の片田舎出身なんだよな、とか。

とかとか。

日本にいるとどうしても日本活躍する俳優情報が嫌でも入ってきてしまうのでドラマ映画も楽しめなくなってしまった。

2024-02-23

「しない」ことをアイデンティティにする人ってなんなの?

X(Twitter)によくいるけど

結婚しない

子供産まない

・頑張って働かない

私生活もだらだらしてる

こういうことをアイデンティティにしてる人ってなんなの?

なんなの?っていうのはこれらの行為否定しているわけではなく

わざわざ主張する意味はなんなの?

「賢い人は結婚しない」「仕事で全力出してる奴はバカ」とかさ

それ言って「しない」自分肯定して何が得られるの?

嫌味とかでは全くなく心理状態がわからない

自分も色々「しない」ことがあるけどわざわざそれをアピールする気には全くならない

ほんとに何?

他人私生活においてもパートナーとの会話においても、未熟であることもコンプライアンスからそれる事も許さな現代ネット社会

綺麗事で見栄を張って他人に厳しくしすぎてない?

お前らだってパンツ一丁でゴロゴロダラダラしながらうんこうんこ口走ってるような生活してるんだろ

なんかダブスタだと思うんだよな

2024-02-21

anond:20240221222237

大谷藤井あたりは史的に才能が凄いだけでなく、倫理面でも凄くきちんとしているよ。本業で才能があるように見えても、私生活問題があると、左派指定が入りキャンセルカルチャされるらしい。

2024-02-19

そろそろ40歳になるのでやめたいこと

1. 酒を飲みすぎて吐く。いまだにやっちゃうんだよな。これはやめたい。

2. コンビニコーラポテトチップスを買う。いい年して恥ずかしいけどやっちゃう。さすがにキャベツ太郎我慢してる。

3. YouTube徹夜tiktokでもXでもいいけど時間無駄すぎるのでやめたい。

4. 気分によって仕事の成果にムラがある。私生活問題仕事に持ち込んでしまうので気をつけないと。

5. ジーンズ。Levi's 好きなんだよな。動きやすいし丈夫だし。最近ジャケットスラックスに移行しつつある。

かにもいろいろあるんだよね。年を取るってつらい。

2024-02-18

更新が止まってたオタ系アカウントブログ更新されたけど

私生活で色々あり気力が無くなり、創作引退します」

「気力が無くなったのでオタク趣味卒業します」

気力が無くなったってなんだよ

オタクは一生じゃないのか?

今どきの学生がなにやってるのか分からなすぎて学園モノが書けない

から異世界にいくお。

異世界学園モノの世界観加齢臭ヤベーのは、現実の学園モノかけなくなったジジババの溜まり場だからなんだろうな。

の子供に何が流行ってるのかも分からんし、そもそも夏休みがいつからいつまでなのかも知らんもん。

学習指導要領どころかホームルーム総合学習があるのかないのかも分からん

ぶっちゃけ高校は「うちは私立生徒会が最高権力のプチ異世界なんだよ」で押し通せるけど、公立小学校とか舞台になると完全に意味分からん感じになりそう。

ストーリーに絡んできた小学生キャラには極力学校の話はさせないし、なんなら不登校にさせて小学校との関係を完全に絶たせるまである

ラノベ作家若い人間が有利ってこういうことなんだなあ。

でも出版社契約してたらそっからコネ資料とかもらえそうだけどな。

ゆーて「小学生の間で流行ってるYoutuber動画見るぜ!流し見でいいか仕事中ずっとつけっぱにするぜ!」とかやったら頭おかしくなりそうではある。

かい声で意味不明なこと言ってりゃ受けるみたいなノリについてけねーわ。

まあオッサン流行ってるVでもそんな所がないわけではないんだが……。

異世界マジでそういうの考えなくていいから最高だぜ。

俺の異世界では苦泥血っていうスポーツ流行っていて皆それに夢中だぜ!とか言っておけばそれでもう学生趣味とか私生活考えなくていいからな。

異世界は設定考えるの大変みたいな意見もあるが、現実世界舞台にすでに存在する法律行事ちゃん取材して作品に落とし込むのに比べたら全然楽勝ですわ。

多少間違えたってキャラが嘘ついてたことにすればいいだけだしな。

マジでヌルいね

何気ない一言で心が崩壊しそう

吐き出し。

去年12月からスタッフが何人か辞めて、仕事多忙で、でもクオリティを下げる事は出来なくて、他のスタッフ多忙から仕方ないと思って

ほぼ毎日残業しながら自分仕事をして、2週間前に上司入院たか上司仕事も引き継いで慣れない中、職場を回して

スタッフメンタルも気にしつつ、私生活では毎朝メンタルの薬を飲まないと仕事も出来なくて、資格取得の為の勉強や親の入院バタバタして

いつこの生活が終わるのかな?

もうちょっとだけ頑張ろう、私だけが辛いんじゃないんだから

皆で乗り切る為私が辛いって顔しちゃダメだ!笑顔でいよう

4月には新入社員が入ってくるから

と思いながら昨日も必死で「仕方ない、あと少し、みんな辛いから」と思って仕事をしたのに他店のヘルプから

増田さんばかり働いてる」

と言われて、心が崩壊しつつある。

「あれー、私ばかり働いてるのかなー、他スタッフ、忙しそうに見えて楽してるのかなー?役職的にこれが普通じゃないのかなー」

考えれば考える程、疑心暗鬼が止まらないし、この先も暗い未来しか思いつかない、辛うじて保ってた心が崩壊しそう。

辛い、仕事行きたくない、でも行かないといけない、休めない。いつ楽になれるの?

取り合えず、薬を飲んで、今日締め切りの研修資料を仕上げる事に没頭します。

2024-02-09

anond:20240209085055

農家とか家族商売やってる家とかは、家父長制が残ってたりする事多いな。

なんでかっていうと、家族であると同時に、仕事をする上のグループで、親父がリーダーから仕事私生活区切りがないから。

2024-02-06

はてブって性差別主義者が多すぎる

不倫したのが男か女かで反応が違いすぎる

 

女が不倫したときについたブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.oricon.co.jp/news/2313371/full/

不貞行為って、そんなに騒ぎ立てるようなことなのだろうか」

不倫コンテストの結果なんか何の関係もない」

「誰の不倫であろうが当人たちの問題しかないのだから不倫に関して世間が厳しすぎると個人的には思ってしまう」

「芸に秀でててるなら私生活にアラがあろうとも認めればいい」

中傷コメントトップにしちゃダメ民度を。」

 

男が不倫したときについたブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/sports/272333/1/1/

「既婚者がホテル女性二人を招き入れ着替えさせて動画に撮ってるってだけで十分不倫カス男」

「性被害無かったとしても既婚なのに女性を自室に連れ込んだって事実は残る」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sponichi.co.jp/soccer/news/2024/02/03/kiji/20240202s00002014742000c.html

女の子を連れ込んでた時点で離脱だろ」

代表離脱妥当。既婚者かつ代表選手にもかかわらず、初対面の女性ワンナイトを決め込もうとした脇の甘さ」

代表活動中に女性2人を部屋に連れ込んで泊まらせてる時点でスポンサー離れる理由にはなると思う」

「女遊びしてチーム内のペナルティないのかよ。本当に国を代表するチームのあり方としておかしいわ」

 

イメージ商売のものであるミス日本には「不倫関係いから取り消しはおかしい」といい、

試合結果が大事スポーツ選手、人を笑わせることが大事お笑い芸人ダウンタウン松本)には「不倫したのだから取り消しされて当然」とのたまう。

ダウンタウン松本関係でも「性的加害がなかったとしても不倫してる時点で引退は当然」てブコメが多数あった。)

いや逆だろ。その理屈だとミス日本のほうが不倫ダメだろ。

脇も甘いしスポンサーも離れるし日本代表する女性のあり方としておかしいだろ。

 

男が不倫で騒がれたら「イメージ商売なのだからこれはダメキャンセルされて当然、二度と表に出られないな」「下品、幻滅、みっともない」と批判中傷するコメントを書く人が、女が不倫で騒がれたときには批判中傷しない。

女が不倫で騒がれたら「〇〇と不倫関係ないのに、キャンセルはひどい、女性差別だ」「当事者間の問題なのだから外野が騒ぐな」と擁護コメントを書く人が、男が不倫で騒がれたときには擁護しない。

積極的コメントを求められる場でないことをいいことに、黙る相手と書き込む相手恣意的に使い分けることでダブスタ姿勢を隠しつつ巧妙に性差別してる。

2024-02-03

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

俳優叩くな

脚本家はわりと図太い生き物だと思ってる

基本痛くて、でも文字物語に取り憑かれたようなやつ

誇張表現じゃなく、それが自分アイデンティティであり自己表現の場にしている

炎上に足突っ込みまくってる脚本家も大概そうだろう

と言ってもいろんなタイプがいる

それを見極めることは飲みにでも行かない限りは難しいだろう

いろんなやつがいる、で終わる話としてだな

役者の繊細率は異常なんだよ

まあ顔も声も人によっては裸体も私生活も全部さらけ出してしま職業から精神病みがちなのはあると思うが、そもそも病んでるのをデフォルトと考えたらふっとしたときに何かが壊れるんだよ

お前ら何度も芸能人の死を見てきただろ

その中には演技や実写がクソほど叩かれたやつも居ただろ

繰り返すな。その俳優もおそらくなんらかの被害者だぞ

もう嫌だから

2024-02-01

anond:20240201120332

なるほど。

男性もそうかもしれんが、私生活の充実が仕事にも影響するのはありそう。

2024-01-31

anond:20240130222749

明治文豪私生活がやばすぎるのは「まあ、昔の人だから」「もうとっくに亡くなってるんだし」「当時は当たり前のことだったから」「違法になったのは死後のことだから」で何となく済ませられているけど

昭和生まれスターはまだ余裕で生きてるし生きてる間に時代が変わりすぎなんだよな(昭和どころかここ数年で変わりすぎだけど)

一般人もめちゃくちゃやっててそういう時代だったのに芸能人だけ槍玉に上げられるのはかわいそうな気もする

漫画家インタビュー声優ラジオだってのものを掘ったら今の基準で言うとまずいものはたくさんあると思う

キャンセルカルチャーをやめるか増田の言うように掘られたらまずい過去を持たない若者構成していくしかなくて

でもそうやってもその若者中年になったら今やっていることが未来では駄目なこととされてそこで同じようにキャンセルカルチャーされていくんだろう

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん